資料507 国民学校暫定教科書『初等科國語六』(本文) 

  

  
(暫定教科書)

       『初等科國語  六』  第五學年後期用   文部省


       
目  次
   一 こ と ば
   二 田   園 
   三  幸   福
   四 世の中は
   五 冬 の 夜
   六 あ る 時 
   七 思ひ出の一節 
   八 父の看病

    

 

 

 

 


   一 こ と ば

   (一)
「ナマムギナガゴメナガタマゴ。」
「ナマムギナマモメナマタマゴ。」
いくどもくり返してゐるうちに、太郎は、
「生麥、生米、生卵。」
と、早口にすらすらといへるやうになつた。太郎は得意になつて、
「おとうさん、こんなにいひにくいことばは、ほかにないでせう。」
といふと、父は、にこにこ笑ひながら、
「おとうさんは、もつといひにくいことばを知つてゐる。」
と答へました。
「何といふことばですか。」
「『はい。』といふことばと、『いいえ。』といふことばだ。」
 「『はい。』『いいえ。』やさしいことばではありませんか。どうしてそんなにいひにくいのでせう。」
「やさしいやうだが、なかなかいひにくいことばだよ。」
 その翌日、太郎は、友だちの正男と良一と三人づれで、學校から歸る時のことであつた。
「本道は遠いから、近道をしよう。」
と、正男がいふと、良一はすぐさんせいした。その近道といふのは、田のあぜ道で、途中には、かなり深い小川にかけ渡した一本橋がある。
 太郎は、前から、父に、「あの橋は、あぶないから、けつして渡つてはいけない。」と、かたくとめられてゐたのであつたが、今、友だちからすすめられて、ことわりかねてしまつた。さうして、いつしよにその一本橋を渡りだした。すると、橋がまん中から折れて、三人は、川の中にどぶんと落ち込んだ。さいはひ、近くの田で働いてゐた村の人たちに助けられて、みんなぬれねずみのやうになつて、家に歸つた。
 父は、
「おまへは、どうしたのだ。まへから、あぶないといつておいたあの橋を、 
 渡つたのではないかね。」
とたづねた。しかし、太郎はだまつてゐた。
 その夜、また、父に嚴しくただされて、太郎は、やつと、今日のことをありのままにうちあけた。
 父は、
「なぜ、その時、『いいえ、ぼくは、とめられてゐるから渡りません。』
 と、きつぱりことわらなかつたのか。」
と責めました。
「ぼくは、なんべんもことわつたのです。すると、しまひに、みんなが、弱
 虫だといつて笑ふのです。ぼくは、くやしくてたまらなくなつたので、な
 に、このくらゐのことが、こはいものかと、自分から先になつて、渡つて   
 しまつたのです。」
「なるほど、弱虫だ。人のいふことに、『いいえ。』といひきるには、ほん
 たうの勇氣がいる。おまへのやうな弱虫には、ひよつとすると、命を失ふ
 やうなあぶない時でも、いひだすことのできないほど、『いいえ。』とい
 ふことばは、いひにくいのだ。
 それから、また、このことをたづねた時、なぜすなほに、『はい。』とい
 はなかつたのだね。」
「なんだか、きまりが惡くつて、さういへなかつたのです。」
「それごらん。『はい。』もいひにくいことばではないか。」
 太郎は、つくづくと、自分の惡かつたことをさとるとともに、「はい。」と「いいえ。」のいひにくいわけを、知ることができた。

   (二)
 昨夜からの大あらしは、今朝になつてもまだ續いてゐた。庭のあさがほの花は、みな吹きちぎられ、へちまの葉は、下向きになつてしまつた。
 私は、出勤の時刻になつたので、かさをさして、電車の停留所まででかけた。しかし、風が烈しいので、かさをすぐつぼめてしまつた。雨にうたれながら、電車の來るのを待つてゐた。電車は、來るには來るが、みな、滿員の札をさげて、止まらずに走つて行つてしまふ。
 やつと一臺の電車が止まつた。あふれさうな乘客にまじつて、どうやら乘車口へもぐりこむことができた。車内はむし暑い上に、おたがひが、ぬれた體を、おし合ひへし合ひしなければならなかつた。
 だれかのかさのしづくが、私のくつの上に、ぽたぽたと落ちて來たりした。けれども、その足も、動かすことはできなかつた。
 電車は、齒ぎしりでもするやうに、車の音をたてて、あらしの中をつき進んで行く。
 一停留所ごとに、降りる人と乘る人とが、もみくちやになつた。
 車しやうさんは、
「さあ、あんまり乘らないでください。滿員ですから。」
と、聲をかけた。
「そんなにぶらさがつちや、電車は動けませんよ。」
と、さけんだ。
 大きな聲だが、雨や、風の音のために、乘客の耳には聞えさうもない。乘客はおたがひにおされて、車しやう臺までつめ込んでしまつた。
 その時、車しやうさんは、
「電車も、なみだをこぼしてゐます。そんなにおさないでください。」
といつた。
 そのことばを聞いて、そこらの乘客は、思はずほほゑんだ。今まで、まるでとげとげした心で、おし合つてゐた人たちも、急になごやかな氣持になつた。さうして、少しでもゆづり合ふやうな心にさへなつてきた。
 この車しやうさんのいつたことばは、ちよつとしたことばにはちがひないが、その場に、いかにもふさはしいことばだと思つた。なるほどと、人をうなづかせるものであつた。それだから、みんなの心にうつたへる力がこもつてゐたのだらう。
 あらしの中をついて走る電車は、屋根から、まどから、ざあざあと、雨がたきのやうに流れてゐる。その電車に、すきもなく人が乘りこむ。むし暑い、重い、さすがの電車も、泣かないではゐられない。あんまり電車をいぢめないでくださいといふ、車しやうさんの温い心が、このことばに、うかがはれるではないか。
 その時、その場所に、よく合つたことばといふものは、人を動かす力のあることは、この一例でもわかる。
 このごろ、電車の中に、次のやうな標語がかかげられてゐるのを見た。
「入口ふさがず、乘つたら中へ。」
「ゆづる一歩、親和の一歩。」
「笑顔の入口、感謝の出口。」
「つりかはあけずに中ほどへ。」
「おたがひにつめて座席へもう一人。」
「ゆづられた時の氣持でゆづりませう。」
 どれもみな、うまいことばにちがひない。しかし、あの車しやうさんの「電車もなみだをこぼしてゐます。」の方が、私の胸にこたへた。
 ここに、ことばのふしぎなはたらきがこもつてゐる。

   (三)
 ことばはかはいい。
 きれいな魔(ま)もの、
 小さな魔もの、
 生きてゐる魔もの、
 ひとつ、ひとつかはいい。

 ことばははねる。
 つまめば逃げる、
 てんたう虫のやうに、
 水すましのやうに、
 ひとつ、ひとつはねる。

 ことばはひびく、
 あしの葉のふえよ。
 すず虫、小虫、
 チック、タック時計、
 ひとつ、ひとつひびく。

 ことばは光る、
 プリズムのかげよ。
 花火や、ほたる、
 とんぼの目だま、
 ひとつ、ひとつ光る。

 ことばはかをる。
 べにばら、野ばら、
 さんしよの木のめ、
 めやぎのお乳、
 ひとつ、ひとつかをる。

 ことばはしみる。
 はちみつや、いちご、
 愬漾△錣気咫
 にがいにがい藥、
 ひとつ、ひとつしみる。

 ことばをつづろ。
 じゆずだま、むくろじ、
 あかい、あかいつばき、
 げんげの花わ、
 ひとつ、ひとつつづろ。

 ことばはをどる。
 ふしぎな小人、
 三角ばうの小人、
 チンカラ、チンカラはやして、
 ひとつ、ひとつをどる。 

  
   二 田  園

    春
 
紅梅・白梅みな散りはてて
  ひがん過ぎれば風暖く、
 木々のつぼみも草のめも、
 日々に色づきふとりだす。

  續くひよりにさくらが咲いて、
 野山をかざると、もも赤く、
  畑にさいて、れんげうは、
  かきねを黄色に染めていく。


  悗ざにはかすみがこめて、
 ひばりは朝から大うかれ、
 ゑんどう・そらまめみな花つけて、
 羽音高くみつばちが飛ぶ。

 しとしとと降る春雨に、
 やぶのたけのこすくすくのびて、
 しづく吸はうとでて虫が、
 角を振りあげのぼりだす。 

 岸の柳のほわたが飛んで、
 麥のはしりほ、かがやく上を、
 海越えて來たつばくろが、
 すういすういと飛びまはる。

 げんげが咲いて、なの花散つて、
 かきの若葉に日の照るころは、
 矢車カラカラこひのぼり、
 村のわら屋の庭に立つ。

 短か夜しらむを待ちかねて、
 だいこんの花にあかつきの、
 色ただよへば勇ましく、
 すき・くは持つて野に急ぐ。
    
    夏
 ほたる追ふ夜も重なつて、
 麥のとりいれことなくすめば、
 はひ色雲が空うちおほひ、
 慷奸若葉にさみだれる。

 さなへ運ぶ子、牛追ふおきな、
 家内そろつて田植する。
 きのふの畑はみづ田となつて、
 晩にはかへるが歌ひだす。

 露ばれ空はみどりにすんで、
 日増しに日照りが強くなり、
 稻はしげるし、あぜ豆のびて、
 吹くすず風に夕飯樂し。
 
 空にくづれる雲のみね、
 庭にかがやくひまはりの花、
 あぶらぜみの聲かしましく、
 晝の休みもあせが出る。

 まばゆく光るいなづまに、
 續いてひびくらいの音、
 たきと落ち來る大夕立に、
 今の暑さはどこへやら。

 くはをかついで田を見まはれば、
 日はまた照つて、水たつぷりと、
 稻のかぶばりこの上もなく、
 秋のみのりも思はれる。

 ひと日のあせもをさまつて、
 夕風吹けば、たいこなり、
 罎げ嶺瓩△舛海舛函
 こよひ樂しいぼんをどり。

    秋
 はぎの花吹く朝風も、
 音さへすずしくなつてきた。
 さや豆たうきびよくみのり、
 いももふとつてくるやうす。

 あまがき・しぶがき赤らんで、
 くりもばらばら落ちだした。
 こずゑをかけるもずの音も、
 すむ秋空に高響く。

 あぜに火と咲くまんじゆしやげ、
 庭に燃えたつ葉げいとう。
 續くひよりに勇みたち、
 稻もことなくとり入れた。

 けふはうれしい豊
年まつり。
 村道に立つ大のぼり、
 往き來の人も笑顔して、
 その足どりもいそいそと。

 かきねににほふきんもくせい、
 しとしとと降る秋雨に、
 散れば、山には松たけが、
 にほひ豊かに生えてくる。

 かへでにうるし、はじの葉も、
 赤く黄色く色づいて、
 冬の支度をとり急ぐ
 村人の目をなぐさめる。

 罎すずしい氣を吸ひに、
 ぞろぞろと來る町の人、
 うれしや、われらは村育ち、
 心もからだもすこやかだ。

    冬
 大麥、小麥の種まきすんで、
 そらまめ、ゑんどうみな植ゑた。
 冬の用意もしだいに進み、
 あとはもみすりするばかり。

 山のもみぢ葉みな散りはてて、
 悗しげるは松、すぎ、ひのき。
 夕ぐれ寒く吹くこがらしは、
 黄色くかれたくぬぎ葉鳴らす。

 南に傾く日につれて、
 光はまともにえんにさす。
 ほしたかぼちやは赤やら黄やら、
 にはとりどもはひなたぼこ。

 はひ色雲がたちこめて、
 里はしぐれがしとしと降るに、
 ふもとのわら屋はみぞれして、
 うらの山には白雪積る。

 もちつきすませて、しめなはを張り、
 一夜明ければうれしいはつ日。
 廣場につどうた隣り組どうし、
 笑顔にほころびあいさつをする。

 池にむすぶはうすごほり、
 庭に立つたはしもばしら。
 學校に急ぐ子供らの、
 息はま白にまひのぼる。

 よべの大雪まだ降りやまぬ。
 まうそう竹も重荷にたへず、
 つばきの上にぼたぼた落す。
 今年も作はよいだらう。

 ふきのたう出て、すゐせんにほひ、
 うめもほころび、こち吹けば、
 春も目さきに近づいた。
 どれ、植ゑつけの用意しよう。

 

   三 幸  福

「幸福」が、いろいろな家へたづねて行きました。
 だれでも幸福のほしくない人はありませんから、どこの家をたづねましても、みんな大喜びで迎へてくれるにちがひありません。けれども、それでは人の心がよくわかりません。そこで、「幸福」は、貧しい、貧しいこじきのやうななりをしました。だれかがきいたら、自分は「幸福」だといはずに、「びんばふ」だといふつもりでした。
 そんな貧しいなりをしてゐても、それでも自分をよく迎へてくれる人がありましたら、その人のところへ、幸福を分けておいて來るつもりでした。
 この「幸福」が、いろいろな家へたづねて行きますと、犬のかつてある家がありました。その家の前へ行つて、「幸福」が立ちました。そこの家の人は、「幸福」が來たとは知りませんから、貧しい、貧しいこじきのやうなものが、家の前にゐるのを見て、
「おまへさんはだれですか。」
とたづねました。
「私は『びんばふ』でございます。」
「ああ、『びんばふ』か。『びんばふ』は、うちぢやおことわりだ。」
と、そこの家の人は、戸をぴしやんとしめてしまひました。おまけに、そこの家にかつてある犬が、恐しい聲で追ひたてるやうに鳴きました。
 「幸福」は、さつそくごめんをかうむりまして、こんどは、にはとりをかつてある家の前へ行つて立ちました。
 そこの家の人も、「幸福」が來たとは知らなかつたとみえて、いやなものでも家の前に立つたやうに、顔をしかめて、
「おまへさんはだれですか。」
とたづねました。
「私は『びんばふ』でございます。」
「ああ、『びんばふ』か。『びんばふ』は、うちぢやたくさんだ。」
と、そこの家の人は、深いため息をつきました。
 それから、かつてあるにはとりに氣をつけました。貧しい、貧しいこじきのやうなものが來て、にはとりを盗んでいきはしないかと思つたのでせう。
「こつ、こつ、こつ、こつ。」と、そこの家のにはとりは、用心深い聲を出して鳴きました。
「幸福」は、また、そこの家もごめんをかうむりまして、こんどは、うさぎをかつてある家の前へ行つて立ちました。
「おまへさんはだれですか。」
「私は『びんばふ』でございます。」
「ああ、『びんばふ』か。」
といひましたが、そこの家の人が出て見ると、貧しい、貧しいこじきのやうなものが、おもてに立つてゐました。そこの家の人も、「幸福」が來たとは知らないやうでしたが、なさけといふものがあるとみえて、臺所の方から、おむすびを一つにぎつて來て、
「さあ、これをおあがり。」
といつてくれました。そこの家の人は、黄色いたくあんのおかうこまで、そのおむすびにそへてくれました。
「ぐう、ぐう、ぐう、ぐう。」と、うさぎは高いいびきをかいて、さも樂しさうに晝寢をしてゐました。
「幸福」には、そこの家の人の心がよくわかりました。おむすび一つ、たくあん一きれにも、人の心の奥はわかるものです。それをうれしく思ひまして、そのうさぎをかつてある家へ、幸福を分けておいて來ました。

  
   
四 世の中は

   (一) 根
 葉は悗、
 くきは長く、
 幹は高くそびえてゐるが、
 根はちつとも見えない。

 花は美しく、
 實はうまい、
 しかし、根はちつとも見えはしない。

 根の先は毛より細い。
 毛よりもやはらかだ。
 その細い、やはらかなものが、
 地をうがち、岩をおし分け、
 深く廣くのびていく。
 のびていく根の先を、さへぎるものは何もな
  い。

 おほづなのやうなたくましい根が、
 深くのびて幹をささへ、
 廣くのびて枝をやしなひ、
 それから出たこまかい根が、
 網のやうにからみ合つて、
 葉を育て、花をさかせる。

 根は見えない、
 見えないが、深くて長い。
 深くて長い
根の上に
 みごとな草や、木が繁つていく。

   (二) のこぎり
 のこぎりには刃がある。
 のこぎりの刃は、
 犬の齒のやうにとがつて、
 一つおきに右と左に少しよぢれて、
 二十も三十も續いてゐる。
 五十も六十も續いてゐる。
 

 のこぎりの刃は、
 いつもやすりをかけて、
 右と左によぢつておかないと、
 なんの役にもたたない。

 のこぎりの刃は、
 厚みをもつてゐる。
 大きな、かたいものを切るのこぎりの刃は、
  大きくて厚い。
 小さな、やはらかいものを切るのこぎりの
  刃は、小さくて薄い。

 糸のこは糸のやうに細く、
 ひきまはしはひじやうにせまい。
 まつすぐに長く切るのこぎりは、廣いはばを
  もつてゐる。
 こびきやの大のこは、ひじやうにはばが廣い
  し、
 製材所の丸いのこぎりも、大きなさしわたし
  をもつてゐる。

 はたらきのある人は、
 刃をもつたのこぎりににてゐる。
 しかし、いつも勉強して、みがきをかけてゐ
  ないと、
 ぢき、役にたたなくなる。

 どんなにはたらきがあつても、
 それに厚みと
 廣さとがなかつたら、
 正しく、りつぱに、世の中をわたることがで
  きない。

   (三) 世の中は
 世の中は、どんなに變つていくのだらう。
 ただ、變つていくのを待つてゐていいのだら
  うか。

 おとうさんも、おかあさんも、
 にいさんも、弟も、
 みんなほんたうの仲よしになりたいな。

 金持も、びんばふ人も、
 地主も、小作をする人たちも、
 おたがひのことを思ひ合つて、
 みんな仲よしになれないだらうか。

 電車にひとつ乘つたつて、
 知つてゐる人もだいじにしてあげる、
 知らない人もだいじにしてあげる。
 さうしたら、どんなに氣持がいいだらう。

 友だちになれた時、
 先生だつて心から嬉しさうだ。

 天子樣だつて、
 國民たちと親しみなさることを、
 きつとお望みであらう。

 むりに押しつけるやうなこともなく、
 お互ひがゆづり合ひ助け合つていかう。

 さうしたら、世の中は、
 みんな心からの友だちになつて、
 親切をつくし合ふやうになるだらう。
 一日も早く、
 さういふ世の中にしなくちやならない。


   
五 冬 の 夜 

 子供の時分の冬の夜のきおくの中に、うきあがつて來るかずかずのものの中に、「行燈(あんどん)」がある。自分の思ひ出し得られるかぎりでは、その當時のおもなる照明具は、石油ランプであつた。ときたま特別の來客のもてなしでもする時に、西洋らふそくがバネ仕掛で管の中からせりあがつて來る、當時では氣のきいたしよく臺を使ふこともあつたが、しかし、寢る時の「ありあけ」には、ずつと後までも行燈を使つてゐた。しかも、古風な四角な箱形のもので、下に引き出しがあつて、その中に燈心がはいつてゐたと思ふ。時には紙をはり代へたであらうが、きおくに殘つてゐるのは、いつもすすけてをり、それに針や、線香でつついたいたづらの跡をとどめたものである。夜中にふと眼がさめると、臺所の土間のゐどばたで、虫の聲がおそろしく高く響いてゐるが、傍らには母も父もゐない。戸の外で、しゆろの葉がかさかさと鳴つてゐる。そんな時、この行燈が、忠義なうばのやうに、自分のまくらもとを護つてゐてくれたものである。
 母が、頭から銀のかんざしを拔いて、燈心をかき立ててゐるすがたのまぼろしのやうなものを、思ひ出すと同時に、あの燈油のこいにほひを、思ひ合はせるのが常である。もし自分が、今でもこのひほひの實感を持ち合はさなかつたとしたら、江戸(えど)時代の文學・美術その他のあらゆる江戸文化を、正しく認めることはむづかしいのではないか、といふ氣もする。

 石油ランプは、また、明治時代のシンボルのやうな氣もする。少くも明治文化の半分は、この照明の下に發達したものであらう。冬の夕まぐれの茶の間の板えんで、古新聞をひき破つて、ランプのほやさうぢをした經驗をもたないこのごろの若い人が、明治文學に興味の薄いのは、當然かもしれない。ほやの中にほうつと息を吹き込んでおいて、ぼう切れの先に丸めた新聞紙で、キュツキュツ
と音をさせてふくのであつた。
 そのころでは、燈明をともすのに、マッチはけがれがあるといふので、わざわざひうち石で火をきり出し、まづほくちに點火しておいて、更につけ木を燃やし、そのほのほを燈心に移すのであつた。ひうち石の鐵と石のふれ合ふ音、ほとばしる火花、ほくちの燃えるかすかなささやき、つけ木の燃えつく時の、愬鬚い曚里曚凌Г釆確音
(ありうさん)のにほひ、かうした感覺の一しよになつたものには、祖先幾百年のゆめと詩が、結び附いてゐたやうな氣がする。
 マッチのことは、「すりつけ」といつた。「すりつけ木」の略稱である。高等小學校の理科の時間に、T・K先生といふ先生が、るつぼの底に入れた鹽酸加里(えんさんかり)の粉に、赤燐
(せきりん)
をちよつぴり振りかけたのを、むちの先でちよつとつつくと、ぱつと發火するといふ、實驗をやつてみせてくれたことを思ひ出す。その時、先生自身がひどくびつくりした顔を、今でも、はつきり思ひ出すことができる。
 マッチのぢく木を並べてするいろいろの西洋の遊びを、當時の少年雜誌で讀んでは、それを實演して、友だちや、をひなどと、冬の夜長を過したものである。
 まだ少年雜誌などといふものの存在を知らなかつたころの、冬の夜の子供遊びには、よく「火渡し」「しりつぎ」をやつたものである。日本紙をはば五六分にひきさいたのに、火ばちのはひを少し包みこんで、線香大のぼう形にひねる。その一端に火をつけて、「火渡し」といつて次の人に渡すと、次の人は、「しりつぎ」と答へて次へまはす。それからだんだんに、東京でいはゆる「しりとり」をするのであるが、ことばが出なくて考へてゐる間に火が消えると、その人は、何かしら罸として、こつけいなかくしげいを實演しなければならないのである。
 そのほかに、「かあちかあち」といふ遊びがあつた。くはしいことは忘れたが、なんでも、しやう屋になる人と獵師
(れふし)加八
かはち)といふ名になつてゐる)になる人のほか、たぬきや、ゐのししや、くまや、いろいろの動物になる人を、くじびきできめる。そこで、しやう屋になつた人が、「かあちかあち、てつぱううて。」と命ずる。「かあち」(加八)になつた子が、「何をうちませう。」ときく。そこでしやう屋殿が、たとへば、「たぬき」と仰せられると、加八は、一同の顔色を注意深く觀察して、だれが「たぬき」であるかを見破るために、いはば、讀心術の練習のやうなことをする。「たぬき」でない子が、わざと、なんだかおちつかないやうなやうすをして、天じやうを仰いでみたり、鼻をこすつてみたりして、けん制しようとするなどは、極めて初歩であるので、その裏をかくつもりで、「たぬき」自身が、わざと、そのやうなふりをすることもある。これをかりに第二次の作戰とすると、そのもう一つ上の第三次の方策は、第一次とほぼ同じやうなことになるのである。とにかく、幼少な「加八」くんは、ここで、そのありたけの深謀を、ちやんちやんこの裏にめぐらして、最後のねらひを定めて、「ズドーン。」といつて、火ぶたを切るまねをする。うまく當れば、當てられたのが代つて「加八」になり、當てた「加八」がしやう屋になる。當らなかつたら、當るまで、同じことをくり返すのである。
「かみなり」といふのは、一人がかみなりになつて、たとへば、障子の外のえんがはへ出て、戸をたたいてかみなりのまねをする。大ぜいで車座に坐つて、茶わんでも、石ころでも、じゆんじゆんに手渡ししていく。かみなりの音がしだいに急になつて、最後にドシーンと落ちた時に、運つたなくそのまはしてゐた品を手に持つてゐた人が、罰を受けて、何かさせられるのである。
 パリーに滯在中、下宿の人たちが、ある夜集まつて遊んでゐた時、「ノーフラージュ」(難破船)をやらうといひ出したものがあつた。この「難破船」の遊びが、前にのべた「かみなり」と、そつくり同じやうである。
 まづはじめに、めいめいの持ち物を何か一つづつ、たんぽとしてさし出させる。それから、一人、「船長」がきめられる。次に、テーブルを圍んだ人々のわを傳はつて、テーブルの下で、こそこそと品物がまはされる。口々に、「いいなぎだ。」といつてゐる。次に、なんといつたか忘れたが、とにかく、「海が荒れだした。」といふ意味のことばをくり返してゐる。その間にもたえず、みんなが、テーブルの下で次々に品物を渡してゐるやうなまねをしてゐる。その人のわのどこかを、實際に品物が移動してゐるのである。船長が、いきなり、「ノーフラージュ(難破船)」とどなると、移動がぴたりと止まるのである。自分も、一ど、運惡くこの難破船にぶつかつて、何かしなければならないことになつたので、その思案に苦しんでゐたら、隣席の若いドイツ人が、ドイツ語でこつそり、「一番歳とつた婦人に花をささげたまへ。」と海悗討れた。さいはひに、ドイツ語は、この席のだれにも通じなかつたのである。そこで、私は立つて、まどわくにのせてあつた草花のはちを持つて、片すみにはじめからだまつて坐つてゐた半白の老婦人の前に進み、うやうやしくそれをささげるまねをしたら、みんなが喜んでさけんだり、手をたたいたりした。
 あとで、たんぽに入れてあつた物を、めいめいに返してゐた時、一本のえんぴつをさしあげて、「これはどなたのでしたか。」と、主婦がたづねたら、一座の中の二人のイタリヤ女の若い方が、輕く立ちあがつて、親指で自分の胸を指さし、ただ一こと、ゆつくり、しづかに「イル・ミオ」(わたくしのです)といつた。その時ほど私は、イタリヤ語といふものを、優美なものに思つたことはないやうな氣がする。
 ドイツの冬の夜の思ひ出について、今、突然思ひ出したのは、ゲッチンゲンの歳暮のある夜のことである。雪が降り出して、夜中にはさうたう積つた。あかりを消して、寢ようとしてゐると、まどの外に、馬のひづめの音と、シャン、シャン、シャンといふ耳なれぬすずの音がする。カーテンをあげて、のぞいて見ると、人けのない深夜の裏通りを、一臺の雪ぞりがすべつて行く、と思ふ間もなく、もう町角を曲つて、見えなくなつてしまつた。
 子供の時分に、ナショナルリーダーををそはつた時に、生まれてはじめて、雪ぞりといふものの名を聞き覺え、その繪を見て、限りない好奇心と、外國の冬へのあこがれがよび起されたのであつたが、その實物をこの眼に見、そのすずの音を耳にしたのは、實にこの夜がはじめてであり、さうしてまた、おそらく最後でもあつた。しかも、それが、かすかな雪あかりに、まどからちらと見えた後影だけで、消えてしまつた。それだけに、その印象はかへつて強烈であつたのかもしれない。ともかくも、そのしゆんかんに、自分が子供の時分にゆめみてゐた西洋といふものが、ふつと眼前に現はれて、ふつと消えてしまつたのであつた。今の日本人、殊に都會人が、西洋へ行つて、西洋の都市にくらしてゐても、眞に西洋を感じるといふことは、おそらくわりあひまれであらう。ただ、かへつて、こんな思はぬ不用意のしゆんかんに、いなづまの如く、それを感じるだけであらうかと思はれる。
 凍つたしも夜の土で、思ひ出すことが一つある。子供のころ、寒月のさえた夜などに、友だちの家から歸つて來る途中で、川ぞひの道のまん中をすかして見ると、土の表面に、ちやうどとび石を並べたやうに、かすかに、白つぽい色をしたはん點が、規則正しく一列に並んでゐる。それは、むかし、この道路の水準がずつと低かつたころに、砂利をつめた土俵を並べて、とび石代りにしたのだが、それをそのまま、のちに、土で埋めて、道路面をあげたのであるが、砂利が周圍のしめりけを吸收するために、その上に當るところだけが、よけいにかわいて、白く見えるとのことであつた。しかし、どうしてそれが月夜の晩によく見えるかは、だれも説明する人はなかつた。それはとにかく、寒月に照し出された、この「とび石の幽靈
(いうれい)」には、なんとなく茶暗なすごみが感ぜられた。埋められた過去が、月の光にうかされて、うかびあがつてゐるのだ、といふやうな氣がしたのかもしれない。
 さういふ晩には、綿入羽織(はおり)をすつぽり頭からかぶつて、その下から、口ぶえとともに白い息を吹き出しながら、なるべくわき目をしないやうにして、家路を急いだものである。


   六 あ る 時

   (一)
 あれ、あれ、
 すずめつ子もいつしよに、
 砂を浴びてる。
 水を浴びてる。
   (二)
 たそがれると、
 それを知つてゐて、
 そろそろ、
 花も、
 草木も、
 よりそつて、
 それもまた、
 美しいではないか、
 眠りかける。
   (三)
 いい月だ。
 路ばたに立つてゐる石まで、
 しみじみ
 なでてでもやりたいやうな。
   (四)
 とうちやん、
 とうちやん、
 あらしは、
 お月さんを忘れていつたよ。
   (五)
 子供はりんごがすきだから、
 りんごも子供がすきなんだ。
 きつと、さうだ。
   (六)
 大きなぬまだ。
 そのまん中に、
 舟が一つ。
 魚を釣つてゐるのか
 それとも、月をながめてゐるのか。
   (七)
 ボタン、
 ボタン。
 どこまで
 深い晝だらう。
 生きることの尊さよ。

 

   七 思ひ出の一節
 
はじめてズボンつりを用ひだしたころ、さうして、やつとむづかしい本を讀み始めた、むじやきな少年であつたころの私が、はじめて小鳥の巣を見つけ、かじめてきのこを見いだした時の、うちやうてんのありさまを、私は、今なほ眼前に見るやうなここちがする。このやうな重大なできごとのお話をしよう。年をとると、むかしのことを思ひ返すのがすきになるのだ。
 好奇心が目ざめて、ぼんやりとしてゐた幼年時代からわれわれを連れ出す、あの幸多い時代、その遠い思ひ出は、私のもつとも樂しかつたころを、まざまざとよみがへらせてくれる。ひなたぼつこの晝寢の夢を、行きずりの人に破られて、しやこのひなの一群は、あはてて四散する。どれもまだうぶ毛のままの、玉のやうなかはいいひなは、のがれて、繁みにすがたをかくすが、また周圍がしづかになると、母鳥の呼び聲を聞くが早いか、殘らず母鳥のつばさの下にもどつて來る。
 私の幼年時代も、人生のいばらにだいぶ羽を拔かれたが、やはり小鳥のやうなもので、むかしを呼びさませば、小鳥と同じにもどつて來るのだ。やぶに逃げた思ひ出の小鳥のかずかずには、頭を痛め、足どりもよろめいてゐる。いばらの一角で窒息
(ちつそく)
して、もう呼びもどせないものもある。しかし、なほ、かずかずの思ひ出は、いきいきと胸のうちに殘つてゐる。さて、時の爪からまぬがれたこれらの思ひ出のうち、最もいきいきとしてゐるのは、一ばんはじめのきおくである。幼い日の思ひ出を包む柔らかいらふは、愼爾里笋Δ妨任なつて、いつまでも變ることなく、思ひ出を守つてゐるのである。
 その日、おやつのりんごを持つて、ちやうどひまではあるし、私は、それまで、私にとつては世界のはてであつた近所の小山のいただきに、行つてみようと思ひたつたのだ。いただきには、一列の並木が立つてゐて、風に背を向けて、ちやうど根を引き拔いて逃げださうとでもするかのやうに、ゆれ傾いてゐる。私の家の小さなまどから、あらしの時に、この並木がおじぎをしてゐるのを、いくど見たことだらう。また、いくど山はだに北風が吹きつけるふぶきのただ中で、死にものぐるひにもがいてゐるさまを見たことだらう。あのかはいさうな木々は、高みで何をしてゐるだらうか。
 今日は、惷の中にしづかに立つてゐると思ふと、明日は、雲の往き來にゆり動かされる、あの立ち木のしなやかな幹に、私は興味を覺えた。しづかに立つてゐれば、私もうれしくなるし、荒れくるつてゐると、私も心を痛める。あの木々は私の友だちなのだ。しじゆう、私は、かれらから眼をはなさない。朝になると、くつきりとゑがきだされた並木のとばりの後から、太陽がきらきらとのぼつて來る。どこから、太陽はやつて來るのだらう。あのいあただきにのぼつてみよう。さうしたら、たぶんわかることだらう。
 私は坂をのぼつた。家へ歸つてしかられるかぎざきを作るやうなやぶもなければ、のぼるのに危險な岩もない。ただ、あちこちに平たい、大きな石が、散在するばかりである。たんたんたる地面をまつすぐにのぼりさへすればいいのだ。しかし、しば地は、屋根のやうに傾斜してゐる。さうして長く、長く續いてゐるのに、私の足はあまりに短い。ときどき高みをながめるが、私の友だちの頂上の並木は、近づくやうにも思はれない。さあ、元氣を出すのだ。たゆまずのぼるのだ。
 今、そこに、足もとに私は何を見たのだらう。一羽の美しい鳥が、大きな石のひさしの下のかくれ家から、飛びたつたのだ。ありがたい。毛と細いわらでできた巣が、一つあるではないか。これは、私がはじめて見つけた巣だ。鳥が私に與へた最初の喜びだ。巣の中には、六つのきれいな卵が、並んではいつてゐる。卵は、紺悗留佞涼罎砲任發弔韻燭笋Δ法△垢个蕕靴悗たГ鬚靴討陲襦うれしさにむちゆうになつて、私は、しば地に横になつて、卵にながめいつた。
 そのうちに、母鳥は、タック、タックと、かすかにのどを鳴らしながら、不安さうに、ぶゑんりよな私からさほど遠くない石の上を、飛びはじめた。私の年ごろは無慈悲(むじひ)で、まだ、母親の心痛を理解するには、あまりにやばんであつた。私の頭の中では、一つの計畫がめぐらされてゐた。まうじうのやうな計畫である。二週間ばかりしてから、卵からかへつたひなが、巣だたないうちに、取りに來てやらう。それまで、私の發見の記念に、このきれいな悗ね颪髻一つ、たつた一つだけ取つていつてやらう。もろい卵のこはれるのを氣づかつて、私は、手のくぼみにこけを少しにぎり、その上に卵をおいた。幼時、はじめて鳥の巣を見つけたうれしさを經驗しなかつた人は、私のしうちを責めたがいい。
 一歩ふみあやまつたらつぶれてしまふ、もろい荷物を持つてゐることとて、私は、これ以上のぼることはあきらめてしまつた。太陽ののぼる頂上の並木は、また、他日にゆづることにしよう。私は坂をくだつた。ふもとで、私は、本を讀みながら散歩をしてゐる牧師さんに出あつた。かれは、尊い遺物でも運んでゐるやうに、しんちような足どりで歩いてゐる私を見つけた。さうして、せなかの後に手をまはして、何かかくして持つてゐるのを見破つてしまつた。
「ぼつちやん、何を持つてゐるのですか。」
と、牧師さんはたづねた。
 どぎまぎして、私は手を開き、こけの寢どこに横たはる悗ね颪鮗┐靴拭
「ああ、のびたきの卵ですか。」
と、牧師さんはいつた。
「いつたい、どこで、それを取つて來ましたか。」
「あそこの石の下で。」
 だんだん問ひつめられて、私は、自分の小さな罪を告白させられてしまつた。私は、探してゐたわけではないが、ぐうぜん鳥の巣を見つけたこと、中には卵が六つあつたこと、これがその一つで、殘りの卵がかへるのを待つてゐること、ひなのつばさに太い羽のぢくができるころ、もう一どひなを取りに出かけることなど。
「ぼつちやん。」
と、牧師さんはいつた。
「そんなことをしてはいけませんよ。母鳥からひなをうばつてはいけません。罪のない鳥の一家を、尊敬しなければなりません。あなたはだまつて、畜襪両鳥が成長し、巣から飛びたつのを見てゐなければいけません。鳥は野原の喜びです。地上から毒虫を驅除してくれるのです。賢明な子になりたいと思つたら、二どと巣に手をふれるのではありませんよ。」
 私は、すぐ「はい。」といつて、うなづいた。さうして、私は、幼い頭の中に、二つのりつぱな種子を植ゑて、家にもどつた。牧師さんのことばは、巣を荒らすのはよくないおこなひだといふことを私に海悗拭どうして鳥は、作物に害をする毒虫をたべて、われわれの手助けをするのか、私にはよく解らなかつた。しかし、心の奥底では、母親を苦しめるのは惡いことだと感じた。
 牧師さんは、私のえ物を見て、「のびたき」といつた。「はてな。」と、私は考へた。われわれと同じやうに、動物にも名まへがあるのだな。だれが名まへをつけたのだらう。野原や、森で見覺えたあの鳥、この鳥は、なんといふ名まへだらう。「のびたき」といふのは、どういふ意味だらうか。
 いく年かたつて、ラテン語を學ぶやうになつて、「のびたき」は岩の住人を意味する、といふことを知つた。なるほど、あの鳥は、私が卵の前にうちやうてんになつてゐる間、岩の末端から末端へと飛び歩いてゐた。その家、つまり巣は、大きな石のふちを屋根にしてゐる。本を讀んでゐるうちに、この鳥は、また、モットゥ(石まじりの岡に住む鳥)とよばれることを知つた。それは、耕作の時期に、ほり返された虫のたくさんゐるうねを探して、土くれから土くれへと飛び歩くからである。本の終の方で、私は、「腹白
(はらじろ
といふ方言を知つた。これも、よく、實物を寫したいひ方で、耕地をぴよいぴよい飛ぶ時に、白いてふのやうにみえる、白い腹を思ひ出させる。
 野原のぶたいに登場する多くの俳優
(はいいう)たち──小道の傍らにほほゑむかずかずの草花を、他日、私は、その本名でよぶことができるやうになつたが、このやうにして、物の名まへは生まれるのである。牧師が何氣なく用ひた學名は、私に、一つの世界──草木や、鳥獸がその本名によつてよばれる世界を、開いてくれたのであつた。
 私の村の西の方は、傾斜した果樹園になつてゐて、梅の實や、りんごがみのつてゐる。地衣や、こけ類がこびりついて、遒なつた、低いづんぐりしたかべが、だんだんになつた斜面を圍んでゐる。坂のふもとに小川が流れてゐる。ほとんどどこでも、一とびで、とび越えることができる。多少はばの廣い所には、平たいとび石が置いてあつて、かけ橋の代りをする。子供が見えなくても、母親たちの心配する深みなどは、どこにもない。水はひざくらゐで、それ以上深い所はないのだ。すがすがしい、とう明な、しづかな、なつかしい小川である。その後、私は、洋々たる大河、廣大無邊の海を見たが、このささやかな小さな流れにまさるきおくをもたない。それは、幼時の印象の罎せ蹐任△襪ら、ねうちがあるのだ。
 あるこなひき屋が、野原を横ぎつてあんなにゆくわいさうに流れてゐるこの小川を、利用しようともくろんだ。岡の中腹にほり割りを作つて、ゆるいこうばいで、川の水を一部引き入れ、大きな貯水池の中へ流れこませた。これが、水車をまはす原動力を、供給するのである。この池は、人通りの多い小道の側にあるので、かべで圍はれてゐる。
 ある日、友だちの肩車に乘つて、私は、しだ類の生ひ繁つた、きみの惡いかべ越しに、中をのぞいて見た。みどりのねばねばした藻が、いつぱいにういてゐる、底知れぬよどんだ水が見えた。ねばつた一面の藻のすき間に、遒伐の交つた、ずんぐりした一種のとかげが、ものうさうにおよいでゐた。今なら、ゐもりと呼ぶところだが、當時は、おとぎばなしの恐しい話の中に出て來る、大へびか龍(りゆう)の子供かなんぞのやうに思はれたのである。「ぶるるつ。」もうたくさんだ。早くおりよう。
 もつと下の方に、小川が流れてゐる。兩岸には、はんの木や、とねりこが、枝を交へてたれ、みどりのアーチを作つてゐる。その根もと、曲りくねつた太い根の後に、水中のかくれ家があつて、暗いらうかとなつてのびてゐる。このかくれ家の入口に、木の葉をもれる卵形の日光が、わづかにさしこんで、ふるへてゐる。
 赤いネクタイをつけたやうな魚は、かういふ所にたむろしてゐるのである。そつと忍び寄つて、地上に腹ばひに寢て、うかがつてみよう。のどのまつかなあの小魚の、なんときれいなことだらう。横にならんで、流れとはんたいの方に頭を向け、ほほをふくらましたり、すぼめたりして、たえず水を飲みはきして、口をすすいでゐる。流れる水の中で、じつと體を動かさずにゐるためには、しつぽと背なかのひれを動かすだけでいいらしい。木の葉が一枚落ちた。ぱちやん、魚の群は、見えなくなつてしまつた。
 小川の向かふには、柱のやうにすべすべして、まつすぐなぶなの林がある。暗いほど繁つた、そのどつしりした繁みの中に、小鳥が、新しい羽が生えかはつたので、古い羽を拔きながら、ガアガア鳴いてゐる。地面には、こけがしきつめてある。この柔かいしき物の上に、一歩をふみ込むが早いか、きのこが一つ見つかつた。まだかさの開かない、どこかのにはとりがうろついて生み落していつた卵、とでもいつたかくかうのやつである。これは、私がみつけた最初のきのこである。私は、ひつくり返し、ひつくり返してながめた。觀察心の目覺めである、あのばくぜんたる好奇心から、きのこの構造を調べ始めた。
 まもなく、大きさも、形も、色もちがふほかのきのこが、いくつも見つかつた。それは、まつたく、新參者の私の目には、いいごちそうであつた。つりがね形、湯飲み形のものもあれば、じやうご形にくぼんだもの、半球形にまるまつたものもある。くだくと、お乳みたいなものを出すきのこにもであつた。つぶすと、たちまち悗なるもの、大きなきのこで、くさつてつぶれ、虫がうようよしてゐるものなどもあつた。
 なしの形をした、からからか
はいたきのこは、いただきに圓いあながあいてゐて、腹を輕くたたくと、えんとつのやうなぐあひに、けむりを出す。これは、一ばん奇妙なきのこであつた。ひまな時にけむりをはかせるため、私は、これを、ポケットにいつぱいいつめこんだ。中みがすつかり出てしまつたあとは、一種のひうちもぐさのやうになつてしまふ。
 この快樂の森は、なんと樂しみの多いことだらう。私は、最初のえ物を見つけた時以來、いくたびとなく、この森にやつて來た。私のきのこに對する最初の研究は、ここで、小鳥を友としてなされたのである。私のとつたきのこは、もちろん、家では受け附けられなかつた。きのこ──われわれのよんでゐたことばでいへばブウトレルは、家庭では、ひやうばんがよくなかつた。人を毒殺するといふのである。じふぶんに調べて、母親たちは、これを、家族の食卓(しよくたく)から追ひ拂ふのであつた。外觀はあんなにやさしいブウトレルが、そんな顔もしないで、遒た瓦鮖つてゐようとは、私には、がてんがいかなかつた。しかし、私は、けつきよく、親たちの經驗に耳をかした。さうして、毒殺者とかろがろしく交りを結んでゐたものの、けつして、いまはしいことなどは起らなかつた。
 ぶなの森の訪問をくり返してゐるうちに、私は、とつたきのこを三種類に分けることに成功した。一ばん數の多い第一類のきのこは、かさの下に放射状のひだのあるものである。第二類は、かさの下面が、やつと眼に見えるくらゐの、一面のあなに埋まつた厚い層になつてゐるものである。第三類は、ねこの舌の小突起に似た、こまかなとげの生えてゐるものである。きおくの助けとするための整理の欲求は、私に分類を考へ出させたのである。
 ずつと後、あるパンフレットをいくつか手に入れたが、その中で、私は、自分の三種の分類法は、すでに知名のことであることを知つた。それには、ラテン語の名まへさへついてゐた。しかし、それに對して私は、けつして不快を感じなかつた。きのこは、いよいよ、私の尊敬を大きくしたのであつた。このやうにむづかしいよび名をつけるねうちがあるのだから、きのこは、ほんたうに重要なものであるに違ひないと思つた。
 同じ本に、煙を出すえんとつで、大いに私を興がらせた、例のきのこの名まへも出てゐた。
 ただ少年の好奇心だけで、きのこの知識を探つた、あのなつかしい時代は、なんと遠いむかしとなつたことだらう。


   八 父の看病

 
雨の降つてゐる三月のある朝、ゐなか者らしい一人の少年が、どろまみれにぐつしよりとぬれて、わきの下に着物の包みをかかへながら、ナポリの大きな病院の門番の前へ行つて、一通の手紙を見せて、父親をたづねました。少年は、色のあさ遒ぁ△も長な顔で、考へ深さうな眼に、厚いくちびるがいつもなかば開いて、まつ白な齒を見せてをりました。
 少年は、ナポリの近在の村から來たのでした。父親といふのは、去年仕事を探しにフランスへ行つてゐたのが、イタリヤへ歸つて來て、數日前ナポリに上陸したのでしたが、にはかに病氣にかかつたのです。父親は、簡單な手紙を書いて、歸つたことと、病院にはいつたこととを、家族の者に知らせました。母親は、その知らせを見ると、がつかりしましたが、自分は、病氣の子供もあるし、それにちのみ子もあつて、家をあけることができないので、長男にいくらかのかねを持たせ、父親の看病のために、ナポリへよこしたのでした。
 門番は、その手紙を一目見てから、看護人を呼んで、少年をその父親のところへ連れて行くやうにといひました。
「おとうさんはなんといふの。」
と、看護人がききました。
 少年は、もしや惡い知らせを聞きはしまいかと、恐しさにふるへながら、その名をいひました。看護人は、さういふ名前を思ひ出しませんでした。
「年よりのでかせぎ人ですか、外國から歸つて來た。」
と、看護人がききました。
「さうです。でかせぎ人です。」
と、少年は、ますます不安を覺えながら答へました。
「そんなに年よりではないのですが、外國から歸つて來たのです。」
「いつ入院したのですか。」
と、看護人がききました。
 少年は手紙を見て、
「五日前だと思ひます。」
 看護人は、しばらく考へてゐましたが、ふと思ひ出したやうに、
「ぢや、第四號室の一番向かふの寢臺だ。」
といひました。
「たいへん惡いのでせうか。どんなのでせう。」
と、少年は心配さうにききました。
 看護人は、少年をながめて、それには答へないで、ただ、
「私についておいでなさい。」
といつただけでした。
 二人は、はしご段を二つのぼつて、長いらうかのはづれまで歩いて行きました。さうして、大きな部屋の、開いたドアの前まで來ますと、その中に、寢臺が二列に並んでゐました。
「おいでなさい。」
と、看護人はくり返しながら、中へはいりました。
 少年は、勇氣をふるひ起して、看護人の後からついて行きながら、おどおどした目を右に左に向けて、悗兇瓩拭△笋擦海韻心蕕鬚靴討陲詆多佑燭舛鮓まはしました。中には、死人のやうに見えたものもあれば、また、びつくりでもしたやうに、大きく見開いた目をあけて、じつと空間を見つめてゐるものもありました。子供のやうにうなつてゐるものもありました。大きな部屋は、薄暗く、あたりには、烈しい藥のにほひがただよつてをりました。看護婦が二人、手に藥びんを持つて、部屋中を歩きまはつてをりました。
 その大きな部屋の端まで行くと、看護人は、一つの寢臺の頭の方に立ち止つて、カーテンをあけて、
「これが、きみのおとうさんですよ。」
といひました。
 少年は、包みを下に置くと、頭を病人の肩のところへさげて、一方の手で、ふとんの上におかれたまま動かずにゐる腕をつかみました。病人は動きませんでした。
 少年は、身を起して父親の方を見ました。すると、悲しくなつて泣きだしました。病人は、しげしげと少年を見つめて、いくらかわかつたやうにみえましたが、くちびるは動きませんでした。かうも變れば變るものか、これが父親であらうとは、とても思はれませんでした。かみの毛は白くなり、ひ
げはのび、顔ははれあがつて、どんよりと赤く、ひふは、はり切れさうになつてゐました。ただ、額と弓形をしたまゆとのほかには、どこといつて父親らしいところはありませんでした。息をつくのも、やつとのやうでした。
「おとうさん、おとうさん。」
と、少年はいひました。
「ぼくですよ。わかりませんか。チチロですよ。チチロが、いなかから出て
 來たのですよ。おかあさんがよこしたのです。よく見てください、ぼく
 が、わかりませんか。なんとか一こといつてください。」
 けれど、病人は、一心に少年を見つめたあとで、目を閉ぢました。
「おとうさん、おとうさん。いつたい、どうしたのですか。ぼくはあなたの
 こどもですよ──あなたのこどものチチロですよ。」
 病人は、身動きもしないで、苦しさうに息を續けてをりました。
 少年は、いすを引き寄せて、目は父親の顔から離さないで、腰をおろして待つてをりました。
「いまに、お醫者さまが來てくださるだらう。」
と、少年は考へました。
「さうすれば、父のやうすもなんとかわかるだらう。」
 少年は、悲しい思ひにしづみながら、やさしい父親のことを、いろいろと考へ出してをりました。
 去年、見送つて行つて、船の上で最後の別れを告げたことや、家族の者が、その旅に樂しい希望をかけてゐたことや、手紙の着いた時に、母親がどんなにか力を落したことや、それから、少年は、死といふことを考へました。父親が死んで、母親が遒い睇を着て、家族の者が悲しみの涙にくれてゐるありさまが、目にうかんできました。その時、少年は、輕い手がふと肩にさはつたので、びつくりしてとびあがりました。それは看護婦でした。
「ぼくのお父さんはどうしたのでせう。」
と、少年は口早にききました。
「このかた、あなたのおとうさんですか。」
と、看護婦はやさしくいひました。
「さうですよ。ぼくの父なので、ぼくが來たのですが、どんなに惡いのです
 か。」
「心配しないでいらつしやい。」
と、看護婦は答へました。
「先生が、今ぢきに、おいでになりますからね。」
さうして、看護婦は、ほかにはなんにもいはずに、行つてしまひました。
 半時間ばかりたつと、ベルの鳴る音が聞えました。見ると、醫者が、部屋の向かふの端の方に、一人の助手を連れて、はいつて來ました。さつきの看護婦ともう一人の看護人とが、ついてをりました。その人たちは、しんさつを始めて、一つ一つの寢臺のそばに立ち止りました。待つてゐるその間が、少年には、ひじやうに長く思はれました。醫者が、一歩一歩近づくにつれて、心配が増して來ました。とうとう、その人たちはわきの寢臺まで來ました。醫者は、高い脊の、少し屈んだ、まじめな顔をした老人でありました。その人が、まだ隣りの寢臺を離れない前に、少年は立ちあがりました。
 醫者は少年を見ました。
「これはこの患者(くわんじや)のむすこさんです。」
と、看護婦がいひました。
「今日、ゐなかから來たのでございます。」
 醫者は、手を少年の肩にかけました。それから、病人の上に屈んで、脈をみたり、額にさはつてみたりして、さうして、二こと三こと看護婦にたづねました。
「別に變りはございません。」
と、看護婦は答へました。すると、醫者は、ちよつと考へてから、かういひました。
「今までどほりのてあてを續けなさい。」
 その時、少年は、勇氣
をふるひ起してたづねました。
「ぼくの父は、どうしたのでせう。」
「心配しないでおいで。」
と、醫者は、もう一ど手を少年の肩にかけながら、答へました。
「たんどくが顔に出たのです。だいぶ惡いけれど、まだ望みがある。氣をつ
 けておあげなさい。きみがゐればきつとよくなるから。」
「けれど、ぼくつてことがわからないのです。」
と、少年は、苦しさうな聲でさけびました。
「どうかよくしたいものだ。力を落さずにゐるがいいよ。」
 少年は、もつとなにかとききたかつたが、いへませんでした。醫者は行つ
てしまひました。そこで、少年は看病にかかりました。が、ほかに何といつてすることもありませんでしたから、病人のふとんを直したり、ときどきその手にさはつてみたり、はへを追つたり、うなる度ごとに屈んでみたり、さうして、看護婦が何か飲み物を持つて來ると、コップなり、さじなりをその手から取つて、看護婦に代つて、それを飲ませたりしました。病人は、ときどき少年の方を見ましたが、わかつたやうすはしませんでした。でも、見る度ごとに、少年を見つめる時間が長くなつて、ことに少年がハンカチを眼にあててゐる時には、じつと見つめてをりました。
 かうして、第一日は過ぎました。夜になると、少年は、部屋のすみにいすを二つ並べて、その上で眠りました。さうして、朝になると、また、看病を始めました。その日は、病人の眼つきが、いくらかわかりかけでもしたやうにみえました。少年のいたはるやうな聲の響を聞くと、感謝するやうな色が、そのひとみに、ちよつとの間うかぶやうにみえました。さうして、何かいはうとでもするやうに、少しくちびるを動かしました。少し眠つたあとでちよいちよいと目を開いた時には、その小さな看護人を探すやうに思はれました。醫者は、二ど來てみて、いくらかよくなつたやうに思ふといひました。夕方、コップを病人の口もとにつけた時に、少年は、そのふくれあがつた顔の上に、極めてかすかな微笑がうかんだのを、見たやうな氣がしました。そこで、少年は、自分を慰めて、望みをかけ始めました。少くとも、いくらかわかるであらうと思ふと、いろいろのことを──母親のことや、妹たちのことや、父親の歸りを待つてゐたことなどを──それからそれへと長々と話しかけて、さうして、温かな愛情のこもつたことばで、しつかりするやうにと、病人を勵ましました。たとひわからなかつたとしても、病人が、なんだかうれしさうに、自分の話す聲に──情愛と悲しみとのまじり合つた、しみじみとしたそのてうしに、じつと耳を傾けてゐるやうに思はれたからです。さうして、二日め
も、三日めも、四日めも過ぎました。少しよくなるかと思へば、思ひがけなくまた惡くなつたりしながら。少年は、心づかひに一生けんめいになつてをりましたから、一日に二ど看護婦が持つて來てくれる、少しばかりのパンとチーズをも、ほとんどたべず、また、自分のまはりに起つたことをも──患者が死んだり、夜、にはかに、看護婦たちがかけあがつて來たり、見まひに來た人たちががつかりしたやうすをしたりしたことをも──それがほかの時であつたら、驚きあわてもしたでせうが、さういふ病院内の悲しい痛ましいことも見ずにをりました。少年は、父のちよつとしたため息にも、ちよつとした目つきにもふるへながら、氣をつけ、氣をもんで、心を安めるやうな希望と、胸をこほらせるやうな失望との間で、絶えずはらはらしてをりました。
 ところが、五日めに、病人はにはかに惡くなりました。醫者は、まつたくだめだといはんばかりに、頭を振りました。少年は、いすにぐつたりと身をもたして、すすり泣きました。が、ただ一つ、少年を慰めることがありました。それは、容體が惡くなつたにもかかはらず、病人が、しだいに、少しづつ物がわかりかけるやうにみえたことです。病人は、だんだんしつかりした目を少年の上にすゑて、うれしさうな色を顔にうかべながら、飲み物や、藥を、少年の手からでなければ、飲まないやうになりました。また、何かものをいはうとでもしてゐるやうに、いくどもいくども、むりにくちびるを動かさうとしました。それが、時には、いかにもはつきりとしましたので、少年は、希望に力づけられながら、いきなり病人の腕をつかんで、
「おとうさん、しつかりするのですよ。しつかりするのですよ。もう少しの
 間ですから。」
といつて、力づけました。
 その日の午後の四時ごろでした。ちやうど、少年が、さういふはかない希望をもつて、一心に看護してゐた時でした。その部屋のぢきそばのドアの外に足音が聞えて、やがて、「さやうなら、看護婦さん。」といふ聲が聞えました。少年は、思はずはつと、とびあがりました。のどまで出かけたさけびを、じつとおさへながら。
 見ると、一方の手に厚くはうたいをした一人の男が、看護婦に送られながら、その部屋へはいつて來ました。
 少年は、するどいさけびをあげて、その場に立ちすくみました。
 男は、一目少年を見ると、こんどは、かれがさけびました。
「チチロ。」
 男はさういつて、少年の方へとんで來ました。
 少年は、父親の腕の中に倒れましたが、胸がせまつて、息もつけませんでした。
 看護婦、看護人、助手が、かけ寄つて來ました。
 少年は、まだ、聲を出すことができませんでした。
「おお、チチロ。」
と、父親は、じつと病人の方を見つめた後で、いくども少年にほほずりしてから、いひました。
「チチロ、これはいつたいどうしたのだ。おまへは別の人のところへ、連れ
 て行かれたのだな。私は、また、おかあさんから、『チチロをやりまし
 た。』つて手紙が來たきり、おまへが來ないから、どんなにがつかりして
 ゐたかわからないよ。これチチロ、いく日、おまへはここにゐたのだね。
 どうして、こんなまちがひが起つたのだらう。私は、これこのとほり、す
 つかり丈夫になつたよ。それで、おかあさんはどうしてゐるの。それか
 ら、コンセテラは。それから、あかんばうは──みんなどうしてゐる。私
 は、いま、退院するところなのだよ。さあ行かう。まあほんたうに、思ひ
 がけないこともあるものだ。」
 少年は、二こと三ことことばをはさんで、家族のやうすを語らうとしましたが、
「ほんたうに、ぼく、うれしい。」
 少年はやつといひました。
「さあ行かう。晩には家につけるから。」
 父親は、少年を自分の方へひつぱりました。少年は、ふり返つて病人の方を見ました。
「さあ、行くのか、行かないのかね。」
と、父親はあきれて、うながしました。
 少年は、なほまた、病人の方をながめました。病人は、その時眼を開いて、じつと少年を見つめました。
 すると、少年のたましひの底から、どつとことばがほとばしり出ました。
「いいえ、おとうさん。待つてください。ぼく行けないのです。ここにあの
 をぢさんがゐます。ぼくここに五日の間ゐました。をぢさんは、いつでも
 ぼくを見てゐます。ぼく、あの人に飲ませてあげるのです。いつでも、ぼ
 くが、そばにゐないといけないのです。あの人、いまひどく惡いのですか
 ら。許してください。ぼく、とても思ひきれないのです。ぼく、あした家
 へ歸りますから、もう少し、ここにゐさしてください。ほら、あんなにぼ
 くを見てゐます。ぼく、あの人だれだか知りませんが、ぼくがゐないと、
 あの人一人で死んで行きます。どうかここにゐさせてください、ねえ、お
 とうさん。」
 父親は、當惑(たうわく)しながら、じつと少年を見つめてゐましたが、やがてまた、病人の方を見ました。それから、附きそひ人に、
「だれですか、あの人は。」
と、たづねました。
「あなたと同じやうに、ゐなかのかたです。」
と、附きそひ人が答へました。
「やはり外國から歸つたばかりで、ちやうど、あなたが入院したと同じ日 
 に、入院したのです。ここへ連れて來た時は、もうすつかりわけがわから
 なくなつてゐて、口もきけなかつたのですよ。たぶん、遠いところに家族
 がゐるのでせう。どうやら、あなたのむすこさんを、自分のむすこの一人
 だと思つてゐるらしいのですよ。」
 病人は、やはり、じつと少年の方を見てをりました。
 父親はチチロにいひました。
「ぢや、ここにおいで。」
「もういくらもゐなくともいいでせうよ。」
と、附きそひ人が小聲でいひました。
 「私は、これからすぐに家へ歸つて、おかあさんを安心させよう。ぢや
 あ、ここに二圓だけおいていくから、小づかひにしなさい。さやうなら、
 ぢきまた會へるね。」
 父親はさういつて、出て行きました。
 少年が、寢臺のそばのもとの場所に歸ると、病人は、ほつとしたやうにみえました。で、チチロは、また、看病を始めました。その熱心と、そのしんばう強さとは、以前と少しも變りはありませんでした。かれは、また、病人に飲み物を飲ませたり、ふとんを直したり、手をさすつたり、やさしく話しかけたり、しつかりするやうにと勵ましたりしました。その日も、その晩も、ずつと附きそつてをりました。その次の日も一日、ずつとそばにをりました。しかし、病人は、ますます惡くなるばかりでした。顔はむらさき色になり、呼吸はいよいよ困難になり、氣はむやみにたかぶつて、わけのわかららぬことをうめいたり、熱もひどくなりました。夕方の囘診(くわいしん)の時に、醫者は、今夜はとても持ち越すまいといひました。そこで、チチロは、いよいよ世話をよくみて、ちよつとの間も、目を病人から離しませんでした。病人は、しげしげと少年を見つめながら、ときどき、むりにくちびるを動かして、何かものをいひたげにしました。また、やさしい色が、その目にうかぶこともありましたが、それも、次第に小さく、次第に暗くなつていきました。その晩、少年は、夜通しそばについて、とうとう、あかつきの光がまどから白くさしこんで來るまで、みまもつてをりましたが、その時、看護婦が出て來ました。看護婦は、寢臺に近づいて、一目病人を見ると、すぐひき返して、急ぎ足で去りました。まもなく、看護婦は、助手の醫者と、看護人といつしよに、また出て來ました。
「いよいよ臨終だ。」
と、醫者はいひました。
 少年は、病人の手を握りました。病人は、目を開いて、少年をじつと見て、さうして、また目を閉ぢました。
 その時、少年は、病人が自分の手をにぎりしめたやうな氣がしました。
「ぼくの手をにぎつた。」
と、少年はさけびました。
 醫者は、病人の上に、しばらくの間うつむいてゐましたが、
やがて、身をまつすぐに立てました。看護婦が、十字架像をかべからはづしました。
「死んでしまつた。」
と、少年はさけびました。
「さあ、お歸り。」
と、醫者はいひました。
「きみの看病はすんだ。歸つてしあはせにおくらし。ほんたうに感心な子
 だ。畜襪、きみを守つてくださるだらう。さやうなら。」
と、やさしくいひました。
 そのうちに、ちよつとわきの方へ行つてゐた看護婦が、小さなすみれの花束を、持つて來ました。さうして、それを少年に渡しながら、いひました。
「ほかに何も、あげるものがありません。これを、病院の記念に持つていら
 つしやい。」
「ありがたう。」
と、少年はいつて、一方の手で花束を取りながら、一方の手で目をふきました。
「だけど、ぼく、遠い道を歩いて行かなければならないので……しぼんでし
 まひます。」
 さういつて、すみれを寢臺の上に散らしながら、いひました。
「ぼく、記念に、この死んだ人に殘して行きます。看護婦さん、ありがた
 う。お醫者さん、ありがたう。」
 そこで、死人の方へ向いて、
「さやうなら。」
といつて、名を何と呼ばうかと思つてゐるうち、五日の間呼びなれてゐた名が、しぜんと口にのぼつて來ました。
「さやうなら、おとうさん。」
 さういつて、少年は、その小さな着物の包みを、わきの下にかかへました。夜は明けかけてをりました。

 

 

      (注) 1. 暫定教科書『初等科國語 六』の教科書は、昭和21年11月10日翻刻発行。著作権所
        有・著作兼発行者 文部省。発行所 日本書籍株式会社。
         上記の「国民学校暫定教科書『初等科国語五』」の本文は、複刻版『文部省著作 暫
        定教科書(国民学校用)』第三巻(大空社、昭和59年5月26日発行)によりました。      
        . 
『初等科國語 六』の教科書は、国民学校5年生後期用の教科書です。
        3. この教科書には、挿絵が一切入っていません。
        4. 出典について、分かっているものだけメモしておきます。
            田園 ………作者は、赤坂清七。公募作品とのことです。
            幸福 ………島崎藤村の童話「幸福(しあわせ)」
            冬の夜 ……寺田寅彦の随筆「追憶の冬夜」
            思ひ出の一節 ……ファーブル「幼年時代の思い出」
            父の看病 ……アミーチス『クオレ』
             *「公募作品」というのは、文部省が昭和21年4月9日付の新聞で、昭和22年用の国民学校
                国語教科書教材を一般から募集したものを指すと思われます。昭和21年10月22日の新聞
                に、入選者の氏名と作品名が発表されています。その紙面に、「赤坂清七(大阪)知識と迷信
                (散文)田園(散文)」とあります。しかし、この「田園」という
作品が22年用でなく21年後期用
                の害塀颪坊悩椶気譴燭箸いΔ海箸發△辰燭里任靴腓Δ。同じ紙面に「矢沢邦彦(東京)世の中は
                (詩)」ともありますが、この「世の中は(詩)」というのは、この暫定教科書『初等科国語六』に
                掲載されている教材のことなのでしょうか。
 
        5. 

        

資料105に 『ヨミカタ 一』の本文(文) があります。

資料106に 『ヨミカタ 二』の本文(全文) があります。

資料144に 『よみかた 三』の本文(全文) があります。

資料146に 『よみかた 四』の本文(全文) があります。

資料154に 『初等科國語 一』の本文(全文) があります。

資料156に 『初等科國語 二』の本文(全文) があります。   

資料179に 『初等科國語 三』の本文(全文) があります。

資料186に 『初等科國語 四』の本文(全文) があります。

資料189に 『初等科國語 五』の本文(全文) があります。

資料196に 『初等科國語 六』の本文(全文) があります。

資料199に 『初等科國語 七』の本文(全文) があります。

資料210に 『初等科國語 八』の本文(全文) があります。

資料506に 国民学校暫定教科書『初等科國語五』(本文)があります。

 

資料262に 国民学校暫定教科書『初等科国語七』(本文)があります。

 

資料263に 国民学校暫定教科書『初等科国語八』(本文)があります。

     

 

 
                             
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