資料506 国民学校暫定教科書『初等科國語五』(本文)


  暫定教科書

     
『初等科國語 五』  第五學年前期用   文部省

 
    目 録
    一 ことばと文字
    二 海 の 幸
    三 かんこ鳥
    四 炭燒小屋
    五 ぼくの小馬
    六 星 の 話
    七 遠  泳
    八 海底を行く
    九 秋のおとづれ
    十 武士のおもかげ
   十一 弟 橘 媛
   十二 稻むらの火
   十三 月の世界
   十四 柿 の 色
   十五 初冬二題
   十六 豐田佐吉
   十七 頂 一 つ
   十八 漢字の音と訓
   十九 塗り物の話
   二十 ばらの芽
  二十一 茶わんの湯



 

    一 ことばと文字

 私たちが、うれしいなと感じたり、えらいなと感心したり、何かすばらしいことを思ひついた時などには、そのことを、おとうさんや、おかあさんや、先生や、お友だちに早く知らせたいと思ひます。
 そんな時、
「おとうさん、ぼく、みんなで海へ行つて、ほんたうに愉快でした。」
「おかあさん、あの人は、えらいことをしたものですね。」
「先生、この間から、いろいろ考へてゐたのですが、とうとうこんなものを作りました。」
「本田くん、おとうさんといつしよに山のぼりをして、ほんたうにおもし
 ろかつたよ。」
といつて、自分の氣持を傳へます。
 このやうに、話しかける相手が目の前にゐる時は、ことばを口に出して、思つてゐることを傳へますが、離れてゐて直接話ができないやうな時には、手紙や文に書いて知らせます。かうして話しかけると、話しかけられた人たちも喜んで返事をしたり、いろいろなことを話したりしてくれます。それは皆、おたがひに話したり、書いたりすることばや、文字がよくわかるからです。もし、私たちの話すことばや、書く文字が、まつたくわからない外國人であつたら、いくら話してみても、どんなりつぱな手紙を書いてみても、決して心持が通じ合ふやうなことはありません。日本人である私たちは、いつもこのやうに、わが國のことばと文字のおかげをかうむつてゐるのです。
 自分の思つてゐることを、話したり書いたりして、すつかり相手にわかつてもらつた時ほど、うれしいことはありません。また、いろいろなお話を靜かに聞き、書かれたものをくり返し讀んで、ことがらや心持がよくわかつた時は、同じやうに喜ばしいものです。このやうに、ことばと文字は、私たちの心を樂しくしてくれます。
 私たちが、心の中で考へたり感じたりしてゐることを、ことばで話してみると、その考へや感じが、心の中で思つてゐた時よりも、はつきりして來ます。更に、ことばで話したことを文字で書き表しますと、今まで氣づかなかつた考への不足や、感じ方の淺さがはつきりわかつて、自分の考へや感じを、いつそうくはしくし、深くして行くことができます。よく、
「わかつてゐるから、話さなくてもいいよ。」
といふ人がありますが、そんな人は、まだまだことばや文字のありがたさを知らない人です。わかつてゐると思つたことでも、話したり書いたりして、始めてほんたうにはつきりするのです。
 ことばと文字は、いはば心の中を寫し出す鏡であります。ただ、ことばは、思つたことを聲でいひ表すのですから、それは聞いてゐる人の心にだけ殘ります。それに引きかへ、文字に書き表したものは、どこへでも傳はり、いつまでも殘りますから、それを讀むすべての人たちに、場所が違つてゐても、時代がへだたつてゐても、ちやんと心持を傳へることができます。
 文字で書き表す場合には、書いたものを何べんも讀み返して、消したり書き足したりして、自分の考へを、できるだけわかりやすく書き表すことができます。しかし、ことばで話す時には、一々ことばを深く考へたり、いひまはしを工夫したりするひまがありません。それで、とかくことばがおろそかになりがちです。それでは困りますから、いつも話すことばに注意して、文字で書くのと同じやうな心がけを持つことが大切であります。
 いくら美しい文字で文を書いても、うそいつはりの心持を書いたのでは、だれも感心して讀まないやうに、どんなにかざつたことばで話しても、眞心がこもらなければ、少しも聞く人々を感心させません。これと反對に、りつぱな心持が正しいことばで書かれてあれば、その文を讀む人々が、心から感動するやうに、眞心を正しいことばで話せば、聞く人たちは、喜んでいつまでもその話に耳を傾けます。
 私たちは、文字を正しくきれいに書き、りつぱなことばで話すことを忘れてはなりません。さうすることが、昔から傳はつてゐるだいじな私たちの國語を、ますますりつぱにみがいて行くことになるのです。
  


    二 海の幸

 沖の方は、白くもやでかすんで、見通しがきかない。日の出前の海は、油でも流したやうに靜かである。
 ばさつばさつと、波が足もとで輕く音をたててゐる。
 あたりはまだほの暗く、明けきらない港の朝の風は、(ほほ)をここちよくなでて通る。
「ボー。」と、力強い汽笛が、突然この靜かな港の空氣をゆり動かす。その音が、港を兩手でだきかかへるやうに取り圍んでゐる裏の山々にこだましながら、長く尾を引いて消えて行く。
 左手の山の頂が、銀のやうに白く光り始めると、どす遒つた海面が、にぶい光線を反射する。
 折から、「パンパン。」と白い煙の輪を吐きながら、乳色のもやを破つて、漁船が眞直に近寄つて來る。これを合圖に、今まで眠つてゐた港の船が、急に目をさまし始める。
 海面から立ちのぼつてゐた白いもやが、薄れて行つて、山の頂に横たはる雲が、黄にくれなゐにかがやき渡ると、はるかな海の上をおほうてゐたもやも消えてなくなり、太平洋のかなたから押し寄せて來るみどりの波が、きらきらと光りだす。
 帆柱に旗を立てた漁船が、港へはいつて來たのをきつかけに、二隻・三隻と續いて港へはいつて來る。母親に子どもがすがりつくやうに、今はいつて來たばかりの漁船をめがけて、ぎいぎいと櫓
(ろ)の音もすがすがしく、たくさんの小舟が近づいて行く。漁船のかたはらに、小舟がぴつたり寄りそふと、
「えんさらほい、えんさらほい。」
と掛聲にぎやかに、日にやけた漁夫たちが、遠くの海から取つて來た數々の海の幸を、漁船から小さな舟に移す。まるまると肥えたまぐろ、細長いかじきまぐろ、大きなさめ──その白い腹が朝の太陽に光り、ひれが力強くぴんと左右に張つてゐる。このまぐろや、さめをのせた小舟は、大急ぎで岸の魚市場をめざしてこぎ歸つて行く。
 魚市場の廣いたたきの上を、鉢巻をした若者が、大きな魚をてんびん棒につるしたり、手押車にのせたりして、威勢よく右へ左へ運んで行く。見る見るまぐろもさめも、次から次へ行儀よく並べられる。
 大きな魚にまじつて、たくさんのかつをが置かれ、ついさつきまでぴちぴちとはねてゐたやうな、六七十センチもある鯛が、つやつやした櫻色のはだに、むらさきの星をきらめかしてゐる。その間にまじつて、帶のやうなたち魚が、いくつもいくつも横たはつてゐるのは、めづらしい見ものである。
 四角な箱の中には、近くの海で取れたあぢやさばが、惴のする新鮮な色を見せ、まるいをけの中には、いかが折り重なつて、今にもちゆつと鹽水を吹き出しさうである。この魚の行列の間を、市場の人たちと魚問屋の若者たちが、いしがしさうに右往左往してゐる。
 荷作り場では、まぐろやさめの腹をさいて、氷を入れて送り出す者や、木箱にぎつしり氷といつしよにつめて荷作りする者や、たいへんないそがしさである。新鮮をたつとぶ魚の取引きをする魚市場の朝は、見るからにきびきびとして、威勢がよい。「ブッブー。」とけたたましい警笛の音をあとに殘して、荷作りされた魚の箱を山のやうに積んだ貨物自動車が、魚市場を出て行くのは、それから數分ののちである。
 太陽があかあかと四方の山々を照らし、波が靜かなうねりに變つて沖から押し寄せるころになると、あれほど活氣に滿ちて生きもののやうに活動してゐた魚市場も、ひつそりと靜まり返つて、またあすの朝を待つのである。
 ちやうどそのころ、港のあちらこちらにもやひしてゐる漁船からは、朝げの煙が波の上に影を落しながら、ゆつくりと立ちのぼる。


    三 かんこ鳥

  朝日、いまあらはれて、
  ああ、はるけくもこの峯に
  光さし來ぬ。

  薄きみどり、こきみどり、
  山々のひだ縞(しま)なして、
  見る目うるはし。

  川の流れか、さらさらと
  はるかなる麓
(ふもと)のわたり
  かすかに響き、

  いづくともなく霧
(きり)わきて、
  風のまにまに谷間より
  ただよひのぼる。

  かつこう、かつこう、かんこ鳥、
  こだまのごと、ゆめのごと、
  かつこう、かつこう。

        
    四 炭燒小屋

      一
 悄垢般个弔燭澆匹蠅両燭法煙がなびいてゐる。炭燒がまから立ちのぼる煙である。
 源作ぢいさんは、その煙のやうすをじつと見つめた。黄色な煙の中に、白い煙がまじつてゐる。どうもをかしい。煙の色もへんだが、煙の出るやうすに活氣がない。かまが病氣をしてゐるな──と、ぢいさんは思つた。
 源作ぢいさんは、かまのそばにすわつて、たき口から中をのぞいて火のかげんを見た。眞赤に燒けた木から、めらめらとほのほが立ちのぼつてゐる。壁にくり拔かれたいくつかの小さな穴から、ほのほが隣りのかまの中へ吸ひ込まれて行く。そのかまには、炭に燒く丸太がぎつしりとつめ込まれてゐるのだ。ぢいさんがのぞいた、あのかまから火氣を送つて、このかまの中の丸太をむし燒きにする仕掛なのだ。
 源作ぢいさんは、もえさかるほのほの色をじつと見た。それから、おもむろに立ちあがつて、さしわたし二メートルもある、土で固めた圓形のかまの上へそつと手を置いた。かつとした火氣が手のひらを打つ。源作ぢいさんは、かまがいらいらしてゐるなと感じた。どつかりと、また、かまの前にすわつて、もくもくと立ちのぼる煙を見つめながら、黄色な煙が、薄むらさき色に變つて行くのを心に念じた。
      二
 二三日たつてから、かまの口を開いた源作ぢいさんは、眞遒盆けた炭を外へ取り出した。
「うまく燒けたかな。」と氣がせく。三十何年炭を燒いてゐても、かまから取り出すまでは、どんなに燒けたかが氣がかりである。うまく燒けた時は、とびあがるやうにうれしい。この調子で次も燒かうと思ふ。失敗した時は、ひどく氣持が惡い。この次には、何とかしてうまく燒きたいものだと思ふ。源作ぢいさんは、一メートルばかりの長さに燒けた炭の端を、指の先でこすつてみた。堅くて、うまく燒けてゐない。火のまはりが惡かつたのだ。
 炭を取り出しながら、源作ぢいさんは、かまの天井や壁をこつこつとたたいてみた。どこも惡くはない。をかしいなと思つて、煙突へ通じる口を、ふと見たとたん、おやと思つた。木のやにがうんとこびりついて、煙の出口をふさいでゐる。これだ、これが病氣のもとだと、源作ぢいさんの心は急に明かるくなつた。
      三
 炭燒がまの裏の山道には、丸太を並べた木馬道が、曲りくねつて山の奥の方へ續いてゐる。
 そりの形をした木馬に、木を山のやうに積んで、源作ぢいさんが引いておりて來る。右へ曲り、左へ折れて、かまの近くでぴたりと止つた。
 汗をふきふき、ぢいさんは小屋へはいつて、のこぎりを持ち出した。腰には、毛皮で作つた小さなざぶとんのやうな腰皮をさげてゐる。腰皮の上に腰をおろし、切つて來たばかりの木を、一メートルばかりの長さにそろへて、樂しさうにひき始めた。
 一本一本の丸太を、あの炭燒がまへ入れて、今度こそは、上できの炭に燒いてみようと考へながら、ぢいさんは一心に木をひいてゐる。


    五 ぼくの子馬

 北斗は、ぼくの子馬です。
 生まれたのは、去年の春、ちやうど櫻の花の咲くころでした。ぼくが學校から歸ると、父はにこにこしながら、
「新一、子馬が生まれたよ。」
といひます。それを聞くと、ぼくはむちゆうになつて馬屋へかけ込みました。見れば、うす暗くしてある馬屋の奥の方で、母馬が、生まれたばかりの子馬をしきりになめてやつてゐました。父もあとから來たので、ぼくが、
「おとうさん、子馬はをすですか、めすですか。」
とたづねますと、父はさも得意さうに、
「をすさ。」
といひます。
「ぢやあ、今度の子馬は、ぼくに世話をさせてください。」
父は、しばらくだまつてゐましたが、
「うん、おぢいさんによく指圖していただいて、ひとつ一生けんめいに
 やつて見るかな。」
と許してくれました。
 ぼくは、うれしくてたまりません。さつそく、そのことを祖父にいひますと、祖父も、
「ほう、おまへが世話をするといふのか。よからう。ひとつやつてご
 らん。こまかいことはだんだん話してあげようが、第一は、馬をよ
 くかはいがつてやることだ。日本の馬は、氣が荒いとかいはれるさ
 うだが、それも馬が惡いのではない、扱ふ人がいけないから、馬に
 惡いくせがついてしまふのだ。しんせつにしてやれば、馬ほどすな
 ほで、りこうなものはめつたにないぞ。」
と海悗討れました。
 子馬の名は、北斗ときまりました。一週間ばかりたつて、親子とも馬屋の外へ出しますと、北斗は、おくびやうさうな目つきをして、始めて見る世界をさもめづらしさうに眺めました。大きな犬ぐらゐの大きさで、足は、ばかにひよろ長く見えます。さうして、ともすると母馬にすり寄つては、乳を吸つてばかりゐます。そのかはいいやうすは、今でも忘れません。
 日がたつにつれて、だんだんぼくになれて來ました。時には乳を飲むのも忘れて、ひよろ長い足で元氣よく、草原の上をはねまはることもありました。
 六月になると、母馬につけて、近くの牧場へ放牧にやることになりました。ぼくは、せつかくなれて來た北斗を、手もとからはなすのがいやでしたが、さうしないと、子馬が丈夫にならないのです。で、ぼくは、そのころ學校から歸ると、すぐ牧場へ行つて見ました。牧場には、村のあちこちから、同じやうな子馬がたくさん來てゐて、母馬の草をたべるあとを追ひながら、廣い野原を樂しさうに遊びまはつてゐました。
 放牧に出してから、北斗のからだはめきめき丈夫になりました。足もしつかりして來ました。さうして、長い夏も過ぎ秋が來て、野山の草木が枯れるころ、五箇月ぶりでうちの馬屋へつれて歸りました。
 いよいよ北斗は、乳を離れるやうになりました。からだの手入れをしたり、運動をさせたり、ぼくの仕事がおひおひいそがしくなつたのは、そのころからです。しかしそれだけに、かはいさもいつそう深くなつて來ました。 
 寒い冬の日でも、一日に一度はかならず、北斗をつれて運動に出かけました。ぼくがかけ出せば北斗もかけ出し、ぼくが止れば北斗も止り、追つたり追はれたりしながら、樂しく運動しました。
 二歳ごまになつて、北斗もめつきり馬らしくなりました。今年も、六月から放牧に出しましたが、去年と違つて、ぼくが行くと、北斗は、うれしさうにすぐぼくのところへとんで來て、鼻をすりつけます。手のひらに塩をのせてやると、うまさうになめます。ぼくが唱歌を歌ふと、北斗はいつまでもおとなしく草をたべながら、ぼくのそばで遊んでゐます。
 いつのころからか、北斗は、清くんのうちの子馬の悗函大そう仲よしになりました。ぼくのゐない時は、いつでも悗藩靴鵑任陲襪笋Δ任靴拭
 九月に二歳ごまの市が始るといふので、八月に北斗をうちへつれて歸りました。
 北斗は、ほんたうにりこうで、すなほです。海悗襪海箸浪燭任發茲覺えるし、櫛(くし)で手入れをしたり、足をあげさせてひづめの裏をさうぢしたりしても、じつとおとなしくしてゐます。物に驚いてかけ出さうとするやうな時でも、「ほうほう。」と聲を掛けて、手のひらで輕く首やせなかをなでてやると、すぐ安心して靜まつてしまひます。この間も祖父がいひました。
「おまへがよくめんだうを見てやつたから、北斗はりつぱな二歳ごまに
 なつた。この村に二歳ごまもたくさんゐるが、北斗ほどみごとなのは
 見かけないやうだ。幅もあるし、骨組も丈夫になつた。」
ぼくは、祖父のこのことばを聞いて、ほんたうにうれしいと思ひました。
 二歳ごまの市が始れば、いよいよ北斗と別れなければなりません。一年半も手しほにかけた北斗といつしよにゐるのも、あといく日もないと思ふと、ぼくは泣きたいほどつらい氣がします。けれども、北斗は、きつとよい人に買ひあげられるに違ひありません。さうして、りつぱな乘馬になるでせう。その勇ましいやうすを思ひ浮かべると、ぼくは北斗のために喜んでやりたいのです。
 

    六 星の話

 召譴震襦空を仰ぐと、たくさんの星が、まるで寶石をちりばめたやうに美しくかがやいてゐます。ちよつと見たところでは、ほとんど無數と見えるこれらの星にも、名前や番號があり、位置もきまつてゐるのですが、ただぼんやり見てゐるだけでは、いつたい、どれがどうなのか、さつぱり見當がつきません。
 そこで、まづ眞北へ向かつて立つて見ませう。北の空にもたくさんの星がありますが、その中で一つだいじな星があります。地平線からしだいに見あげて、頭の眞上まで行く途中、眞中邊より少し低いところに、かなり大きな星が一つ見えるのが、それです。もつともその高さは、見る場所によつていくぶん違ひます。北の北海道でしたら、ほぼ眞中邊ですが、反對に南の九州あたりでしたら、低くなります。
 しかし、かういつただけでは、まだなかなか見當がつかないでせう。さうしたら、どこかその邊の空に、ひしやくのやうな形に連なつた美しい七つの星を、さがすことにしませう。これはすぐ見つかります。七月の中ごろですと、夜九時ごろ、北より少し西へ寄つた方に、ますを下に、少し曲つた柄を上に、ちやうどひしやくを立てたやうなかつかうになつてゐます。この七つの星を北斗七星といひます。
 北斗七星が見つかつたら、その七つの中の、下の端に當る二つの星に注意しませう。さうして、かりにこの二つの星を結ぶ線を引き、それをなほ右の方へ延してみませう。すると、この二つの星の距離の五倍ばかりのところに、きつと一つの星が見つかります。さつきさがさうとしたのがこれで、北極星といふ星です。
 北極星は、いつ見てもほぼ眞北にある星ですから、夜、道に迷つた時など、この星を見つければ、すぐ方角を知ることができます。昔から、航海の目當てとなつてくれたのは、この星です。
 ところで、大空の他の星は、時刻によつてかなりあり場所が變つて行きます。今どれか一つの星を、東へさし出た軒端にすれすれに當てて、下からじつと見てゐますと、やがてその星は、軒端にかくれて見えなくなります。つまり星は、西へ西へと移つて行くのです。日や月が東から出て西へはいるやうに、星もだいたい東から出て西へはいるのです。
 星の動き方を、もつとくはしく調べて見ますと、北の空では、星が、北極星をほぼ中心に、圓をゑがいて動いてゐるのだといふことがわかります。寫眞機を北極星に向けて、一時間ぐらゐふたをあけておくと、この圓をゑがくやうすがわかるやうに寫眞にうつります。それでなくても、夜九時に北斗七星を見てその位置を覺え、更に十時、十一時に見ると、この動き方が大てい見當がつきます。さうして、北極星の近くに見える星ほど小さな圓をゑがき、遠くに見える星ほど大きな圓をゑがきます。
 しかし、このやうに星が動くといふのも、實はわれわれの住んでゐる地球がまはるから、さう見えるだけのことですが、今の場合、それを考へに入れないでおきませう。
 さて、この北極星や北斗七星を目當てにして、その附近を見ると、いろいろの星の列があります。まづ、北斗七星とその附近にあるいくつかの星を加へて、大熊
(おほぐまざ)といひますが、それは昔の人が、それらの星の列に大きな熊の形を考へたからです。また、北極星を柄の端にして、北斗七星とどうやら似た小さなひしやく形に連なるのを、大熊座に對して小熊座といひ、小熊座と北斗七星の間に尾を入れて、小熊座を包むやうにのろのろと曲りくねつて連なる十ばかりの星を龍(りよう)座といひますが、どちらも星があまり大きくありませんから、よく氣をつけて見ないとはつきりしません。それよりも、北極星の右下の方に、椅子(いす)の形に連なる五つばかりの星はカシオペヤ座で、俗にいかり星とも山形星ともいひますが、これははつきりしてゐますから、だれでもすぐ見つけます。さうして、この邊、北から南へかけて、天(あま)の川が、夏の夜空に銀の砂子を美しくまき散らしてゐるのが見られます。

    七 遠  泳

「これから遠泳をする。一人殘らず目的地に着くやうに。」
先生の激勵のことばをしつかり心にだいて、先頭から順々に海へはいつて行つた。
 熱い海岸の砂をふんでゐた足の裏に、つめたい海の水が氣持よく感じられる。水の中を歩きながら、顔を洗ひ頭を水でひたす。兩手でからだに水を掛けると、ひやつとして氣持がよい。ひざから腰、腰から腹へと、海は一足ごとに深くなつて行く。思ひきつて、からだをずぶりと水の中へつけると、つめたさが身にしみわたる。
 先頭から一人一人、順に泳ぎ始めた。いよいよ、ぼくの番になつた。立ち止つて、手を前へ延し足で地面をけると、からだはすいと水の上へ浮かんだ。
 風は吹いてゐないが、波が、目の前の水面に、小さな三角の小山をこしらへ、それが顔に當つて、目や鼻へゑんりよなくはいつて來る。うつかりすると、呼吸の調子で、がぶりと塩からい海水を飲まされる。
 初めは、みんな元氣であつた。薄悗見えてゐた海の水が、いつのまにかこいみどり色に變る。後をふり返ると、海岸はだいぶ遠くなつて、人も家も、小さく見える。目の前を、白いかもめが海面とすれすれに飛んで行く。
 ゆつくりと、自然に兩腕で水を大きくかき、兩足で水をけつて進む。二列に並んだ列を、まだだれも亂す者はない。天氣のよい日、おだやかな海原を航海するやうな樂しさである。この調子なら、わけもなく遠泳ができさうだと、ぼくは喜んだ。一本松を目當てに進んで行く。いつもそばを離れない警備船の上から、先生が、
「時々頭を水にひたせ。」
と注意される。
 遠くに見えた一本松が、だんだん近づいて來る。初めは何も氣がつかなかつたが、一本松がはつきり見えるやうになつたころから、今までからだを浮かしてゐてくれた海が、いくら力を出して泳いでも、なかなか前へ出してくれない。ぼく一人かと思つて前の方を見ると、みんなも同じだ。
「潮の流れが逆になつたから、みんな元氣を出せ。」
先生の聲である。「島の端をまはつてしまへば、あとはらくだ。潮流の激しい一本松の沖あひを、泳ぎ拔けるかどうかが成否の分れめだ。」と話された先生のことばが、思ひ出された。潮流に負けてはならないと、ぼくは一かき一けりに力をこめて、潮の流れと戰ふ氣持で泳いだ。
 きちんとそろつて進んでゐた列が、だんだん亂れて行つた。おくれる者、列からはみ出る者。ぼくは、先頭におくれないやうに、一生けんめいで水をけつた。潮の流れはますます急になるのか、いくら手足に力を入れても、進みはにぶい。一人落ち、三人落ちして、とうとう先頭から三四人めになつた。さうなると、先頭からかけ離れて、間をつめようとしてもなかなか思ふやうにはいかない。並んで泳いでゐた小島くんも、だんだん弱つて來たやうだ。
「小島、廣田、しつかり泳げ。」
先生の聲援がありがたかつた。ぼくは、むちゆうで腕と足を動かした。
 ふと氣がつくと、小島くんの姿が見えない。何だか一人取り殘されたやうな、さびしい氣持になる。その氣持を拂ひのけるやうに、手足に力を入れようとしたが、力がはいらない。水の中で、もがいてゐるやうである。顔を水にひたして、からだを浮かすやうにして泳いだ。一本松を見たが、まだかなり遠いところで手招きをしてゐるやうだ。手足が、石のやうにこはばつて來る。先頭からは、どんどんおくれて行く。もう、だめだ。警備船へあがらうか。
「廣田、おくれたつてかまはない。ゆつくり泳げ。」
と、船の上から先生が叫ばれた。ぼくは、自分の弱い心持が恥づかしくなつた。おくれたつて、ほかの人がやめたつて、ぼくだけは、最後までどうしても泳がう──それからは、何も考へないで、まるで機械のやうに手足を動かした。
 一本松が、右手の海岸のがけの上に、大きく立つてゐるのが見えた。もう一息だと力を出した時、ふしぎにからだは、すいすいと前の方へ輕く進んで行つた。がけの下をぐるつとまはると、今まで見えなかつた島の裏側の海岸が、見えて來た。悄垢箸靴震擇、鏡のやうに靜かな海面に影を投げかけてゐる。その向かふに、眞一文字に白い線を引いたやうな砂濱が、目にしみるやうに寫つた。
「廣田よくやつた。もう大丈夫だ。潮の流れもいいし。そら、あそこに
 見えるだらう、あの砂濱が、到着點だ。」
 ぼくは、全身の力を腕と足とにこめて、遠い砂濱をめがけて、元氣よく泳いで行つた。

    八 海底をゆく

  目の前に、
  關門海峽はさざ波をたたへ、
  車窓から何百の船が見える。
  「おかあさん、
   あの海峽をくぐるのね。」

  汽車はたちまちトンネルにはいつた、
  ざあつとすべつて行く車輪の響き。
  「おかあさん、
   今、海の底を走つてゐるのね。」

  本州と九州の握手(あくしゆ)だ、
  日本最初の海底トンネルだ。
  「おかあさん、
   まるでおとぎ話のやうね。」

  だいじな物資や、郵便物や、
  私たちを一氣に運んでくれる。  
  「ありがたいぢやありませんか。
   命がけでほつたおかげですよ。」

  ふり返ると、
  關門海峽はさざ波をたたへ、
  いそがしさうに船が動いてゐる。
  「おかあさん、
   あの下を通つて來たのね。」


    九 秋のおとづれ

 秋は虫の聲から始る。
 晝間は、まだ暑い暑いの歎聲が口をついて出て來る。眞夏の暑さはだれも覺悟をしてゐるが、八月もなかばを越せば、どこかに秋らしいものが見えてもよささうなものである。それだのに、寒暖計は三十度を越えたがる。暑さは、もうたくさんだといひたくなる。するとある日の午後、裏山の森で、「つくつくぼうし、つくつくぼうし。」の聲を聞いた。
 暑い日がやつと暮れても、よひの間は家の中がむつとして、柱も壁も、さはるとどうやら熱氣を吐いてゐる。二階へあがつてみても、さして涼しい風はなささうである。ただ召譴震覿に星がきらきらとさえ、銀河があざやかに中天にかかつてゐる。その時ふと耳にするものは、前の草原で鳴く虫の聲である。それがはたして何虫であるか、はつきりはしないが、かなりたくさんの聲であることを感じる。夜がふけると、思ひなしか屋根瓦(やねがはら)が少ししめつて來る。
 夜の燈火をしたつて來る虫は、蛾
(が)や、こがね虫など、どれもこれもただうるさいだけであるのに、どこからかかすかに羽音がして障子に輕くばさと止つた虫が、やがて「すいつちよ、すいつちよ。」をくり返す。このくらゐあいきやうのある氣のきいた虫は、めつたにないものだ。さうして、それが、しきりに「秋だ、秋だ。」と鳴きたてるやうに思はれる。
 もう何といつても秋である。よし晝間はどんなに暑からうとも、日光はかすかに黄色味を帶びて、壁やへいの強い反射がいくぶんやはらいで見える。梢吹く風が、思ひ出したやうにざわざわと音をたてる。背戸のみぞ端に、秋海棠
(しうかいだう)がかはいらしい薄赤の花をつける。畠のにらの花に、頭でつかちないちもじせせりが飛びちがふ。何よりも、たんぼに早稻(わせ)の穗が出そろつて白く波打つのが、秋らしく見渡される。
 やがて二百十日が來て、農家はただ風ばかりを心配する。夜は、そろそろこほろぎが家の中へはいつて、床の下や壁の中で聲高く鳴きたてる。
 


   十 武士のおもかげ
     
      かりまたの矢 
 義家、ある日、安倍
(あべ)の宗任(むねたふ)らをつれて、廣き野を過ぎ行きしに、きつね一匹走り出でたり。義家、背に負ひたるうつぼより、かりまたの矢を拔きて弓につがへ、きつねを追ひかけしが、殺さんもふびんと思ひて、左右の耳の間をねらひてひようと射る。矢は、あやまたず頭上をすれすれにかすめて、きつねの前なる土に立ち、きつねは、その矢につき當りて倒れたり。
 宗任、馬よりおりてきつねを引きあげながら、
「矢は當らぬに、死にて候。」
と申せば、義家、
「おどろきて死にたるなり。捨ておかば、ほどなく生き返るべし。」
といふ。
 宗任、すなはち矢を取りてさし出せば、義家、背を向けてうつぼにささせけり。宗任はもと賊軍の頭にて、近ごろ降りし者なれば、他の家來どもこのさまを見て、
「危きことかな。するどき矢をささしめたまふことよ。もし、宗任に惡し
 き心もあらば。」
とて、手に汗をにぎりけり。

      障子張り
 相模守時頼
(さがみのかみときより)の母を、松下禪尼(ぜんに)といへり。時頼を招くことありけるに、すすけたる障子の破れを、禪尼、てづから小刀にて切りまはしつつ張りゐたり。城介義景(じやうのすけよしかげ)これを見て、
「その障子をこなたへたまはりて、なにがしに張らせ候はん。さやうのこ
 とに、なれたるものにて候。」
と申しければ、禪尼、
「その男、尼
(あま)が細工にはよもまさり候はじ。」
とて、なほ一間づつ張りゐたり。義景、
「すべてを張りかへんは、はるかにたやすく候。まだらになりて見苦しか
 るべし。」
と重ねていへば、
「尼も、のちには新しく張りかへんとは思へど、すべて物は破れたるとこ
 ろをつくろへば、しばらくは用をなすものぞと、若き人に見ならはせん
 とて、かくするなり。」
といひけり。

      馬ぞろへ
 山内一豐
(やまうちかつとよ)、織田(おだ)家に仕へし初め、東國第一の名馬なりとて、安土(あづち)に引き來て商なふものあり。信長の家臣らこれを見るに、まことにならびなき馬なり。されど價あまりに高くして、買ふもの一人もなく、空しく引き歸らんとす。
 一豐もこの馬ほしく思へど、求むることいかにもかなふべからず。家に歸りて、
「世の中に、身貧しきほどくちをしきことはなし。一豐、仕への初めな
 り。かかる名馬に乘りて見參に入れたらんには、主君の御感にもあづ
 かるべきものを。」
とひとりごといひしに、妻つくづくと聞きて、
「その馬の價は、いかばかりにや。」
と問ふ。
「黄金十兩とこそいひつれ。」
「さほどに思ひたまはば、その馬求めたまへ。價をば、みづからまゐら
 すべし。」
とて、鏡の箱の底より黄金十兩を取り出す。
 一豐、大きにおどろきて、
「この年ごろ身貧しく、苦しさのみ多かりしに、その黄金ありとも知らせ
 たまはず。されば、今この馬、ゆめにも求め得べしとは思はざりき。」
と喜び、またうらむ。妻、
「のたまふところ、ことわりにこそ。されどこれは、わらはこの家にま
 ゐりし時、この鏡の下に父の入れたまひて、ゆめゆめ、世のつねのこ
 とに用ふべからず。汝の夫の一大事あらん時にまゐらせよとて、たま
 ひき。されば、家貧しくして苦しむなどは、世のつねのことなり。ま
 ことにや、都にて御馬ぞろへあるべしなど聞ゆ。君は仕への初めなり。
 良き馬にめして、主君の御感にあづかりたまへ。」
といふ。
 一豐、すなはちその馬を求めたり。
 やがて馬ぞろへの日とはなれり。いづれおとらぬ馬多く集りたる中に、一きは目だちてたくましきを信長うち見て、
「あつぱれ、名馬。たれの馬ぞ。」
と問へば、家臣答へて、
「これは東國第一の名馬とて、商人の引きてまゐりしを、一豐が求め得
 たるものに候。」
と申す。信長、
「一豐は仕へて日なほ淺く、家も貧しからんに、よくもかかる名馬を求め
 たるぞ。見あげたる志。」
と、しばし感じてやまざりけり。 
  
   
    十一 弟橘媛
(おとたちばなひめ)

 日本武尊
(やまとたけるのみこと)、相模(さがみの)國より御船にて上総(かづさ)へ渡りたまふ。
 にはかに風起り波たちさわぎて、御船進まず。從者みな、船底におそれ伏したり。
 尊に從ひたまへる后、
弟橘媛、「これ海神のたたりなるべし。かくては御命も危からん。」と思ひたまひて、尊に申したまふやう、
「われ、皇子
(みこ)に代りて海に入り、海神の心をなだめん。皇子は勅命
 を果して、めでたくかへりごと申させたまへ。」
と申したまひて、すがだたみ八重、皮だたみ八重、きぬだたみ八重を波の上に敷きて、その上におりたまへり。
 はたして荒波おのづから靜まりて、
御船は進むことを得たり。
 七日ののち、后の御櫛
(おんくし)ただよひて海べに寄りぬ。尊、これををさめて、后のみはかを作らせたまふ。
 東國の賊を平げて、尊、西へ歸りたまふ時、相模の足柄
(あしがら)山を越えたまふ。はるかに海を望みたまひて、
「あづまはや。」
とのたまひぬ。これよりのち、このわたりを廣く「あづま」といふとぞ。

         
    十二 稻むらの火

「これは、ただごとでない。」
とつぶやきながら、五兵衛は家から出て來た。今の地震は、別に激しいといふほどのものではなかつた。しかし、長い、ゆつたりとしたゆれ方と、うなるやうな地鳴りとは、年取つた五兵衛に、今まで經驗したことのない、無氣味なものであつた。
 五兵衛は、自分の家の庭から、心配さうに下の村を見おろした。村では、豐年を祝ふよひ祭の支度に心を取られて、さつきの地震には、一向氣がつかないもののやうである。
 村から海へ移した五兵衛の目は、たちまちそこに吸ひつけられてしまつた。風とは反對に、波が沖へ沖へと動いて、見る見る海岸には、廣い砂原や、遒ご篦譴現れて來た。
「大變だ。津波
(つなみ)がやつて來るに違ひない。」と、五兵衛は思つた。このままにしておいたら、四百の命が、村もろとも一のみにやられてしまふ。もう、一刻もぐづぐづしてはゐられない。
「よし。」
と叫んで、家へかけ込んだ五兵衛は、大きなたいまつを持つてとび出して來た。そこには、取り入れるばかりになつてゐるたくさんの稻束が積んである。
「もつたいないが、これで村中の命が救へるのだ。」
と、五兵衛は、いきなりその稻むらの一つに火を移した。風にあふられて、火の手がぱつとあがつた。一つまた一つ、五兵衛は
むちゆうで走つた。かうして、自分の田のすべての稻むらに火をつけてしまふと、たいまつを捨てた。まるで失神したやうに、かれはそこに突つ立つたまま、沖の方を眺めてゐた。
 日はすでに沒して、あたりがだんだん薄暗くなつて來た。稻むらの火は、天をこがした。山寺では、この火を見て早鐘をつき出した。
「火事だ。莊屋
(しやうや)さんの家だ。」
と、村の若い者は、急いで山手へかけ出した。續いて、老人も、女も、子どもも、若者のあとを追ふやうにかけ出した。
 高臺から見おろしてゐる五兵衛の目には、それが蟻
(あり)の歩みのやうにもどかしく思はれた。やつと二十人ほどの若者が、かけあがつて來た。かれらは、すぐ火を消しにかからうとする。五兵衛は、大聲にいつた。
「うつちやつておけ。──大變だ。村中の人に來てもらふんだ。」
 村中の人は、おひおひ集つて來た。五兵衛は、あとからあとからのぼつて來る老幼男女を、一人一人數へた。集つて來た人々は、もえてゐる稻むらと五兵衛の顔とを、代る代る見くらべた。
 その時、五兵衛は、力いつぱいの聲で叫んだ。
「見ろ。やつて來たぞ。」
 たそがれの薄明かりをすかして、五兵衛の指さす方を一同は見た。遠く海の端に、細い、暗い、一筋の線が見えた。その線は、見る見る太くなつた。廣くなつた。非常な速さで押し寄せて來た。
「津波だ。」
と、だれかが叫んだ。海水が、絶壁のやうに目の前にせまつたと思ふと、山がのしかかつて來たやうな重さと、百雷の一時に落ちたやうなとどろきとで、陸にぶつかつた。人々は、われを忘れて後へとびのいた。雲のやうに山手へ突進して來た水煙のほかは、一時何物も見えなかつた。
 人々は、自分らの村の上を荒れくるつて通る、白い、恐しい海を見た。二度三度、村の上を、海は進みまた退いた。
 高臺では、しばらく何の話し聲もなかつた。一同は、波にゑぐり取られてあとかたもなくなつた村をただあきれて見おろしてゐた。
 稻むらの火は風にあふられてまたもえあがり、夕やみに包まれたあたりを明かるくした。始めてわれにかへつた村人は、この火によつて救はれたのだと氣がつくと、ただだまつて、五兵衛の前にひざまづいてしまつた。

    十三 月の世界

     望遠鏡で見た月
「きみ、今夜うちへ來ないか。」
學校の門を出ると、正男くんがぼくにかういつた。
「どうして。」
「にいさんが天體望遠鏡を作つたんだ。」
「ほう。」
「月がすばらしいよ。よかつたら見に來たまへ。」
 夕方、まだ明かるい空に、半月が光り始めた。おかあさんにさういつて、夕飯がすむと、すぐ出かけた。
 行つてみると、正男くんのうちでは、もう縁先に望遠鏡をすゑつけて、にいさんと正男くんが、代る代る觀測をしてゐる。長さ一メートルばかりの望遠鏡が、三脚
(きやく)の上にのつてゐる。
「りつぱな望遠鏡ですね。」
と、ぼくがにいさんにいふと、正男くんは、
「これでにいさんのお手製なんだ。見たまへ、筒
(つつ)はボール紙だらう。三脚は、やつときのふできあがつた。ぼくも、ずゐぶん手傳つたよ。」
「レンズは。」
「買つたのさ。レンズは、だいぶ上等なんだ。」
正男くんは、さも自分で買つたやうな口振りでいふ。にいさんは、初めからにこにこしながらだまつてゐた。
「さあ、きみものぞいてごらん。」
と、正男くんにいはれて、ぼくは望遠鏡に目を近寄せた。
 望遠鏡の圓い視野に、月がくつきりと浮き出して見える。それは肉眼で見るのとすつかり感じが違つて、今に露でもしたたりさうな、なまなましい、あざやかな美しさである。
「きれいだなあ。」
ぼくが思はず叫ぶと、正男くんが、
「きれいだらう。」
とあひづちを打つやうにいふ。だが、よく見ると、月の表面は決してなめらかではない。一面にざらざらしたやうな感じである。殊に、半月のかけた部分に近く、蜂
(はち)の巣(す)を思はせるやうなでこぼこが、目立つて見える。
「月の顔には、ずゐぶんあばたがあるね。」
と、ぼくがいつたので、にいさんも正男くんも、笑つた。
 それからも、三人代る代るのぞきながら、にいさんからおもしろい説明を聞いた。
     
にいさんの説明
 
あのあばたのやうに見えるのは、大部分が火山で、穴は噴火(ふんくわ)口です。こんな小さな望遠鏡でさへ、はつきり見えるのですから、噴火口は、非常に大きなものだといふことが考へられます。いちばん大きなのは、直徑が二百キロもあるといはれてゐます。かうした火山は、どれもこれもけはしくて、低いのでも三百メートル、高いのになると八千メートル──富士山の二倍以上もあるのがあります。もちろん、月は地球と違つて、とつくの昔、すつかり冷えてしまつた天體ですから、火山といつても、みんな死火山ですがね。
 それから、よく見なさい。月の中に薄遒ぁ大きな斑點
(はんてん)のやうなものがあるでせう。あれは海といはれる部分ですが、月には水が一しづくもありませんから、海といふより、平原といつた方がよいかも知れません。たぶん、昔、このたくさんな火山からふき出した熔岩(ようがん)が、流れて固まつたものでせう。
 月には水がないといひましたが、水ばかりか空氣もないのです。したがつて、雲や、雨や、あらしや、さういつた、この地球上に見られる氣象現象は、一つもありません。月は、いつも湘靴覆里任后この望遠鏡で見てもわかるやうに、月のどこ一つくもつたところがないのが、その證據
(しようこ)です。しかも、空氣も水もないとすると、地球上のやうに、太陽から來る光や熱を調節するものがないから、月の世界では、晝はこげつくやうな暑さ、夜はその反對に、ひどい寒さであらうと思はれます。
 まだおもしろいことがあります。かりに、私たちが月の世界へ行つたとすると、そのけしきはどんなものでせう。今もいふやうに、光を調節するものがないから、太陽に照らされた部分は、目が痛いほど光つて見えるでせうが、陰になる部分は、きつと眞遒妨えるに違ひない。ごつごつした火山が、到るところにそびえて、それが眞遒並膓に突つ立つてゐるとしたら、どんなに恐しいけしきでせう。もちろん、草も木もありませんよ。その代り、一つうらやましいと思ふのは、月から見た地球の美觀です。地球の直徑は、月の約四倍ありますから、夜、月から地球を見るとすると、われわれが常に見る月の四倍ぐらゐな地球が、天にかかつて見えるわけです。
 かういふふうに、月の世界は、いはばまつたく恐しい死の世界ですが、それでゐて、昔から月ほどやさしい、平和な氣持を與へてくれるものはありません。その愬鬚ぁ△靴澆犬澆反討靴瓩觚が、われわれに大きな慰めを與へるからです。殊に日本では、昔から月と文學が、まつたく離れられないものになつてゐます。ごらんなさい、歌でも、俳句でも、詩でも、月に關するものがどんなに
多いか。月の世界に都があつて、そこで天人が舞つてゐるなどは、實に美しい想像ですね。今日私たちは、それが死の世界であると知つても、やはり月がなかつたらさびしい。峯の月、大海原の月、椰子(やし)の木かげの月、さういふものがないとしたら、ほとんど生きがひがないと思ふでせう。月は、永久に人間の心の友であり、慰めであります。

    十四 柿の色

 かま場より出でし喜三右衛門(きさゑもん)は、しばし縁先にやすらひぬ。
 日は、やや西に傾けり。仰げば庭前の柿の梢は、大空に墨繪をゑがき、すずなりの赤き實、夕日を浴びて、さながら珊瑚珠
(さんごじゆ)のかがやくに似たり。この美しさに、しばし見とれたる喜三右衛門は、ふと何思ひけん、
「おお、それよ。」
とつぶやきて、直ちにまたかま場へ引き返しぬ。
 その日より、喜三右衛門は、赤色の燒きつけに熱中し始めたり。されど、めざす色はたやすく現るべくもあらず、いたづらに燒きてはくだき、くだきては燒き、はてはただばう然として、歎息するばかりなり。
 苦心は、それのみにあらざりき。研究に費す金はしだいにかさみ、しかも工夫に心をうばはれては、おのづから家業もおろそかならざるを得ず。やがて、その日の生計も立ちがたく、弟子たちこの師を見かぎり去りて、手助けをする者一人もなし。人はこの樣を見て、たはけとあざけり、氣違ひとののしる。されど、喜三右衛門は、動かざること山のごとく、一念ただ夕日に映ゆる柿の色を求めて止まざりき。
 かくて數年は過ぎたり。ある日の夕べ、あわただしくかま場より走り出でたるかれは、
「たき木、たき木。」
と叫びつつ、手當りしだいに物を運びて、かまの火にことごとく投じたり。
 その夜、喜三右衛門は、かまのかたはらを離れざりき。鷄の聲を聞きては、はや心も心にあらず。かまの周圍を、ぐるぐるとめぐり歩きぬ。
 夜は、やうやく明けはなれたり。胸ををどらせつつ、やをらかまを開かんとすれば、今しも朝日、はなやかにさし出でて、かま場を照らせり。
 一つまた一つ、血走る眼に見つめつつ、かまより皿を取り出しゐたるかれは、やがて「おお。」と力ある聲に叫びて、立ちあがりぬ。
 ああ、多年の苦心は、つひに報いられたり。かれは、一枚の皿を兩手にささげて、しばしかま場にこをどりしぬ。
 喜三右衛門は、やがて名を柿右衛門と改めたり。
 柿右衛門は、今より三百餘年前、肥前の有田
(ありた)に出でし陶工なり。かれは、その後いよいよ研究を重ね、工夫を積みて、つひに柿右衛門風と呼ばるる、郵なる陶器を製作するにいたれり。その作品は、ひとりわが國にもてはやさるるのみならず、遠く海外にも傳はりて、名工のほまれはなはだ高し。

    十五 初冬二題

     ゆず
  今年も、隣りのゆずが黄ばんだ。
  かんとさえた冬空、
  太陽が、まぶしく仰がれる。

  かさこそと、
  竹竿であの木の梢をつついてゐた
  隣りのをぢさんは、今ゐない。
  からたちの垣根越しに、ふとほほ笑んで、
  「あげようか。」と、投げてくれた
  をぢさんは、よい人だつた。
  あの時、ざくつとおや指を皮に突き立てたら、
  しゆつと、しぶきがほとばしつて、
  爪
(つめ)を黄いろく染めたものだつた。

  なつかしいゆずのかをり、
  わたしは、じつと梢を仰ぎ見た、
  今は轉任て、
  遠くへ行つてしまつたをぢさんを思ひながら。

     朝飯
  新づけの白菜、
  何といふみづみづしさであらう。
  かめば、さくさくと齒切れよく、
  朝の氣分を新たにする。

  父も、母も、兄も、妹も、
  だまつて箸を動かしてゐる。
  そろつて健康に働く家族の、
  樂しい朝飯だと思へば、
  あたたかい御飯の湯氣が、
  幸福に、私たちの顔を打つ。

  明けて行く朝、
  窓ガラス越しに、林が遒ぁ
  からからと、どこかで荷車の音。
  白い御飯から、
  あたたかいみそ汁から、
  ほかほかと、立ちのぼる湯氣を見つめながら、
  私は、さくさくと白菜をかむ。

    十六 豐 田 佐 吉  
 

「機ばかりいじつてゐて、をかしなやつだ。男のくせに。」 
豐田
(とよだ)佐吉は、村の人々から、かういつてあざけられた。佐吉は、父の大工の仕事を助けて働いてゐたが、ひまさへあれば、織機のことを調べ續けてゐたのである。
「いよいよ、あれは氣違ひだ。」
 村中にこんなうはさがひろがると、父も、だまつてはゐなかつた。
「おまへは大工のせがれだ。ほかのことを考へないで、みつしり仕事をや
 つてくれ。」
とさとしたが、佐吉のもえるやうな研究熱は、どうすることもできなかつた。父は、とうとう佐吉をよその大工の家にあづけてしまつた。
 この間に立つて、佐吉を勵ましたり、慰めたりしてくれたのは、母であつた。佐吉は、「今にきつと成功してみせます。しばらくお許しください。」と、心の中で深く兩親にわびた。
 佐吉の考へは、かうであつた。人間の衣食住といふものは、みんな大切なものであるから、布を織る仕事も、決してゆるがせにしてはおかれない。今のやうな仕方では、みんながきつと困る時が來るに違ひない。それには、どうしても、織機をもつともつと進歩させなければならないといふのである。
 佐吉が、最初目をつけたのは、布を織る時、たて糸の間を縫つて行くよこ糸であつた。よこ糸は、杼
(ひ)によつて、右から左、左から右へと往復するのであるが、これを人の手によらず、機械の力で動かすやうに工夫したかつた。機械で動かせば、もつと早く往復するやうな仕組みになるだらう。更に進んでは、ひとりでに、布がずんずん織られて行くやうにもなるであらう。次から次へと、佐吉の考へは高まつて行つたが、わづか小學校を出ただけのかれには、ややもすれば、手のとどきさうもない空想になりがちであつた。
 たまたま、そのころ東京に博覧會が開かれた。佐吉は上京して、目をかがやかしながら、その機械館へ毎日通つた。銀色に光つたたくさんの機械は、まるで生き物のやうに動いてゐた。かれは、その郵な機械を見て感心するとともに、何ともいへない肩身のせまい思ひがした。機械は、どれ一つとして、わが日本製のものでなかつたからである。
「こんなことでいいのか。日本の將來をどうするのだ。」
 佐吉は、もうじつとしてゐられなくなつた。
 せめて自分のめざしてゐる織機を仕あげて、いつかは、外國を見返してやらうと固く決心した。
 それからは、ほとんど晝も夜もなかつた。設計圖を引いては、組み立てた。組み立てては、それを動かしてみた。だが、思ふやうに動くものは、なかなか生まれて來なかつた。佐吉は、一軒の納屋に閉ぢこもつて、一心に考へぬき、これならといふ一臺の織機を作りあげたが、これもまんまと失敗であつた。世間からは、ますます笑はれて、だれ一人相手にさへしなくなる。貧しさは、ひしひしと身にせまつて來る。しかし、佐吉は、「このくらゐのことで弱るものか。」と、新しい勇氣をふるつて立ちあがつた。
 鐵材を使ふことができなかつたために、すべて木材によつて、こまかなところまで作り直して行つた。今までの失敗の原因を、みんな取り除いて、面目を一新した設計圖ができあがつた。さつそく、その組み立てに取りかかり、苦心の末、やつと思ひ通りの織機ができあがつた。驗してみると、はたしてよく動いた。
 この織機を、村の人々の前で、試運轉する日がやつて來た。郢海里笋Δ暴犬弔真佑燭舛蓮布をみごとに織つて行くふしぎな機械に目を見張つた。
「よくやつた。えらいものだ。」
 みんなは、かういつてほめたたへた。この日、佐吉の織機を操つて、りつぱに布を織つてみせた人こそ、佐吉の母であつた。明治二十三年、佐吉が二十四歳の時のことである。
 翌年、特許を得た。豐田式人力織機は、盛んに國内に使用されるやうになつた。しかも、かれはこれに滿足せず、すぐ動力機械の製造にとりかかつた。人の力から、機械の力に移すといふ、多年の夢
(ゆめ)を實現しようといふのである。そこで、更に七年間の工夫が續けられ、みごと佐吉の自動織機が完成された。これが、日本における自動織機の始祖である。
 この自動織機の出現によつて、日本は、あつぱれ綿布工業國として、世界に乘り出すやうになつた。
 何千臺といふ自動織機が勢ぞろひをして、いつせいに活動し、すばらしい速さで織り出す光景は、見るからに壯觀である。

    十七 頂 一 つ

 雪殘る頂一つ國ざかひ          子  規
(しき)
 島々に灯(ひ)
をともしけり春の海      子  規
 赤い椿白い椿と落ちにけり       碧 梧 桐(へきごどう)
 もらひ來る茶わんの中の金魚かな    鳴  雪
 たたかれて晝の蚊(か)を吐く木魚かな   漱  石(そうせき)


 山門をぎいととざすや秋の暮      子  規


    十八 漢字の音と訓

 私たちは、毎日、本や、新聞や、雜誌を讀んでゐます。時には綴り方や、手紙を書きます。かうして讀んだり書いたりする文章は、漢字とかなで書き表されます。
 かなは、だいたいきまつた音で讀みますが、漢字にはいろいろな讀み方があります。例へば、「國民學校」の「國」「民」といふ漢字は、「こく」「みん」と讀むほかに、「くに」「たみ」とも讀みます。「こく」「みん」といふ讀み方は、漢字本來の發音で、これを漢字の音といひます。「くに」「たみ」は、漢字の訓と呼ばれるものですが、これこそわが國の昔からのことばで、それを漢字に當てて讀んだものです。
「國」「民」「年」「島」など、そのほか大部分の漢字は一つの音で讀みますが、「大木」「木目」の「木」は、「ぼく」とも、「もく」とも讀みます。また、「銀行」「行列」の「行」は、「かう」「ぎやう」などと讀み、「宮殿」「龍宮
(りゆうぐうの「宮」は「きゆう」「ぐう」などいろいろの音で讀みます。これは、もともと支那各地で、いろいろな音が行はれてゐたのが、自然わが國へもはいつて、それぞれの讀みならはしとなつたのです。
「國」「民」「靴」「杖」などの訓は、一つですが、「生まれる」「生える」「生きる」「生る」のやうに、「生」を「うまれる」「はえる」「いきる」「なる」と、いろいろに讀みます。これは、「うまれる」「はえる」「いきる」「なる」といつたわが國のことばを、漢字の「生」に當てて讀んだもので、それらの讀み方が、自然「生」の字の訓となつたのです。このやうに、訓にも、音のやうに二つ以上ある場合があります。
 音と訓を持つた漢字を、二字以上組み合はせて、ことばが書き表された場合には、どの漢字もすべて音で讀むか、または訓で讀むのが普通です。「先生」「遠足」「教科書」「萬年筆」などは、音ばかりで讀む例で、「父親」「笑顔」「物干竿」などは、訓ばかりで讀む場合です。
 ところで「山川」「父母」のやうに、「さんせん」「ふぼ」、あるひは「やまかは」「ちちはは」と、音でも訓でも讀める場合があります。また、ことばによつては、「重箱」「記念日」のやうに、上を音、下を訓で讀んだり、「手本」「道順」のやうに、上を訓、下を音で讀んだりする場合も、まれにはあります。
 漢字には、このやうに音と訓があり、中には、音訓にいろいろ種類があつて、意味の違ひや、文のおもしろみを出してゐるのです。漢字を音で讀むか訓で讀むか、どの音で讀み、どの訓で讀むかは、すべて、讀みならはしによつてきまるのです。殊に、人の姓名や、地名などには、おのおの特別な讀み方があります。
 私たちが、漢字を讀む時には、このやうにいろいろな漢字の音と訓とに注意して、その場合に應じた、正しい讀み方をするやうにしなければなりません。


    
十九 塗り物の話

 「工場を見せていただきたいのですが。」
 「さあ、どうぞこちらへおいでください。」
主人に案内された塗り物の工場は、薄暗い土藏の中である。障子をもれて來る窓際の明かりで、職人が、白木の盆
(ぼん)のところどころへ、遒ぁ△笋呂蕕な膏藥(かうやく)のやうなものを、細い竹べらでつめてゐる。
 「何をつめてゐるのですか。」
 「こくそといふものですよ。米の粉と、おがくづとを、漆
(うるし)でね 
 り合はせたもので、木地に、すき間や、きずをなくすために、かうして
 つめてゐるのです。」
左手で、盆をくるくるまはしながら、熟練した手早さで、職人は、一つ一つのすき間へ、こくそをつめて行く。
 次の部屋へはいると、こくそをつめた白木の盆が、うづ高く積んである。そのかげで、職人の手が動いてゐる。その手は、盆を一枚一枚、はけでさび色に塗つて行く。
 「これはさび漆といふものです。さび土と漆と、まぜ合はせて作つたもの   
 です。さび土は、その土地特有のもので、これがなかなか塗り物には大切  
 なものです。」
職人は、話しながらも、仕事の手はちつともゆるめない。
 急な階段をのぼつて二階へ行くと、そこにも、だまつて塗り物を塗つてゐる人たちがゐた。
 この人たちは、下塗りのできた盆の内側へ、遒ぜ燭鯏匹弔胴圓。さうして、時々、くじやくの羽で穗先を作つた細い筆で、漆にまじつたごみを取つてゐる。
 「下塗りは下の部屋でしますが、中塗りと上塗りは、二階の方がいいので  
 す。塗り物には、ほこりが禁物ですから。」
主人の話は、中塗りのことになる。
 「下塗りができあがると、その上へ、このやうに中塗りをします。盆のや  
 うに簡單なものでも、表と裏と同時に塗ることはできません。まづ、この  
 やうに内側を塗つて、それを乾かしてから外側を塗るのです。なかなか手  
 數のかかる仕事です。」
さういへば、そばに積まれた中塗りの盆は、内側ばかりが塗つてあつて、外側はまださび色のままである。
 「このまま自然に乾かすのですか。」
 「いや、さうたやすくはいきません。この室
(むろ)の中をごらんなさ
 い。」
といひながら、主人は戸を開いた。上下二段にわかれた戸だなで、中にはわくが仕掛けてある。
 「このわくへ、塗つた物をはさみます。わくは心棒で支へ、時計仕掛で靜  
  かに回轉させながら、漆がまんべんなく行き渡るやうにして乾かします。
 この時計仕掛が發明されない前は、夜中でも起きて、心棒を手でまはさな  
      
 ければならなかつたのです。」
なるほど、室の横側には、重い分銅
(ふんどう)のついた仕掛があつて、時計が時を刻むのと同じやうに、目に見えないくらゐゆつくりした動きで、わくが回轉してゐる。
 「漆はよく天氣を知つてゐて、雨か召は、その乾き具合ですぐわかるほ     
 どです。漆が乾く時には水分を吸收しますが、乾いてしまつたら水分を受  
 けつけません。乾かさうと思へば、半日ぐらゐでも乾きますが、早く乾か   
 し過ぎると、あとでちぢんで、しわができたり、干割れがしたりします。
 だから、夏でも冬でも、できるだけ温度と濕度
(しつど)に變りのない土藏
 が選ばれ、更に、室の中で乾かす必要があるのです。」  
 主人の話に感心しながら、上塗りの部屋へはいる。
 下塗りと中塗りができた上へ、上漆をかけて最後の仕あげをする仕方は、中塗りと同樣
(どうやう)で、ここでも同じやうな工程がくり返されてゐる。
 「これで一通り工場の御案内は終りました。これから、製品陳列
(ちんれ
  つ)
室で、できあがつた品物を見ていただきたいと思ひます。」
 さて、みなさん。私は陳列室へはいつて、いろいろな塗り物の並んでゐるのを見ましたが、みなさんの周圍には、どんな塗り物があるか氣をつけてごらんなさい。さうして、それらが一つ一つ、このやうにしてできあがつたのだといふことを、よく考へてください。


    二十 ばらの芽

                 正 岡 子 規
(しき)

 くれなゐの二尺のびたるばらの芽の針やはらかに春雨
 の降る

 松の葉の葉ごとにむすぶ白露のおきてはこぼれこぼれ
 てはおく

                 島 木 赤 彦
(あかひこ)
 
 雪降れば山よりくだる小鳥多し障子のそとにひねもす
 聞ゆ  

                 若 山 牧 水
(ぼくすゐ)

 
土ぼこりうづまき立つや十あまり荷馬車すぎ行く夏草
 の野路に

                 伊 藤 左 千 夫
(いとうさちを)

 
汽車の來る重き力の地ひびきに家鳴(やな)りとよもす
 秋の晝すぎ

 おとろへし蠅
(はへ)の一つが力なく障子にはひて日は
 しづかなり
  


    二十一 茶わんの湯
 

 ここに、茶わんが一つあります。中には、熱い湯が、いつぱいはいつてをります。ただそれだけでは、何のおもしろみもなく、ふしぎもないやうですが、よく氣をつけて見てゐると、だんだんに、いろいろのこまかいことが目につき、さまざまのうたがひが起つて來るはずです。ただ一ぱいのこの湯でも、自然の現象を觀察し、研究することの好きな人には、なかなかおもしろい見もの です。
 第一に、湯の面からは、白い湯氣がたつてゐます。これは、いふまでもなく、熱い水じよう氣が冷えて、小さなしづくになつたのが、無數に群がつてゐるので、ちやうど、雲やきりと同じやうなものです。この茶わんを、縁側の日なたへ持ち出して、日光を湯氣にあて、向ふ側に遒ど曚任眞屬い董△垢して見ると、しづくのつぶの大きいのが、ちらちらと目に見えます。場合により、つぶがあまり大きくない時には、日光にすかして見ると、湯氣の中に、にじ のやうな、赤や悗凌Гついてゐます。これは白い薄雲が月にかかつた時に見えるのと、似たやうなものです。この色については、お話することがどつさりありますが、それは、また、いつか別の時にしませう。
 すべて、まつたくとう明なガス體のじよう氣が、しづくになる時には、かならず、何か、そのしづくの心
になるものがあつて、そのまはりにじよう氣がこつて、くつつくので、もし、さういう心 がなかつたら、きりは、たやすくできないといふことが、學者の研究でわかつて來ました。その になるものは、けんび鏡でも見えないほどの、たいへんにこまかい、ちり のやうなものです。空氣中には、それが、自然にたくさん浮いてゐるのです。空中に浮んでゐた雲が、消えてしまつたあとには、今いつた、ちりのやうなものばかりが殘つてゐて、飛行機などで横からすかして見ると、ちやうど、けむりがひろがつてゐるやうに、見えるさうです。
 茶わんからあがる湯氣をよく見ると、湯が熱いか、ぬるいかが、おほよそわかります。しめきつたへや で、人の動きまはらない時だと、殊によくわかります。熱い湯ですと、湯氣の温度が高くて、まはりの空氣にくらべて、よけいに輕いために、どんどん、盛んに立ちのぼります。反對に、湯がぬるいと、勢いが弱いわけです。湯の温度を計る寒暖計があるなら、いろいろ自分で驗して見ると、おもしろいでせう。もちろん、これは、まはりの空氣の温度によつても違ひますが、おほよその見當はわかるだらうと思ひます。
 次に、温度があがる時には、いろいろのうづ ができます。これが、また、よく見てゐると、なかなかおもしろいものです。線かうのけむりでも、何でも、けむりの出るところからいくらかの高さまでは、まつすぐにあがりますが、それ以上は、けむりがゆらゆらして、いくつものうづ になり、それがだんだんにひろがり、入り亂れて、しまひに見えなくなつてしまひます。茶わんの湯氣などの場合だと、もう茶わんのすぐ上から大きくうづができて、それが、かなり早くまはりながら、のぼつて行きます。
 これとよく似たうづで、もつと大きなのが、庭の上などにできることがあります。春先などのぽかぽか暖い日には、前日雨でも降つて、土のしめつてゐるところへ日光が當つて、そこから白い湯氣が立つことがよくあります。さういふ時に、よく氣をつけて見てゐてごらんなさい。湯氣は、えんの下やかき根 のすき間から、つめたい風が吹き込む度に、横になびいては、また立ちのぼります。さうして、大きなうづができ、それが、ちやうどたつまきのやうなものになつて、地面から何尺もある、高い柱の形になり、たいへんな速さでくわい轉するのを見ることがあるでせう。
わんの上や、庭先で起るうづのやうなもので、もつと大仕掛なものがあります。それは、らい雨の時に、空中に起つてゐる大きなうづです。陸地の上のどこかの一地方が、日光のために特別に温められると、そこだけは、地面からじよう發する水じよう氣が、特に多くなります。さういふ地方のそばに、割合につめたい空氣におほはれた地方がありますと、前にいつた地方の、暖かい空氣があがつて行くあとへ、入れかはりに、まはりのつめたい空氣が下から吹きこんで來て、大きなうづができます。さうして、ひよう が降つたり、かみなりが鳴つたりします。
 これは、茶わんの場合にくらべると、仕掛がずつと大きくて、うづの高さも、一里とか二里とかいふのですから、さういふ、いろいろな變つたことが起るのですが、しかし、また見方によつては、茶わんの湯と、かうしたらい雨とは、よほどよく似たものと思つてもさしつかへありません。もつとも、らい雨のでき方は、今いつたやうな場合ばかりでなく、だいぶ樣子の違つたのもあります。だから、どれもこれもみんな、茶わんの湯にくらべるのは無理ですが、ただ、ちよつと見ただけでは、まつたく關係のないやうなことがらが、原理の上からは、おたがひいによく似たものに見えるといふ一つの例に、かみなりをあげてみたのです。
 湯氣のお話はこのくらゐにして、こんどは湯の方を見ることにしませう。
 白い茶わんにはいつてゐる湯は、日陰で見ては、別に變つた樣子も何もありませんが、それを 日なた へ持ち出して、じかに日光をあて、茶わんの底をよく見てごらんなさい。そこには、妙なゆらゆらした光つた線や、薄暗い線が、不規則な模樣のやうになつて、それが、ゆるやかに動いてゐるのに氣がつくでせう。これは、夜、電燈の光をあてて見ると、もつとよく、あざやかに見えます。夕食のおぜん の上でもやれますから、よく見てごらんなさい。それも、お湯がなるべく熱いほど、模樣がはつきりします。
 次に、茶わんのお湯がだんだんに冷えるのは、湯の表面の茶わんのまはりから、熱が逃げるためだと思つていいのです。もし、表面にちやんとふたでもして置けば、冷やされるのは、おもに、まはりの、茶わんにふれた部分だけになります。さうなると、茶わんに接したところでは、湯は冷えて重くなり、下の方へ流れて、底の方へ向つて動きます。その反對に、茶わんのまん中の方では、ぎやくに上の方へのぼつて、表面からは外側に向つて流れます。だいたい、さういふふうなじゆんくわんが起ります。よく理科の書物などにある、ビーカーの底をアルコールランプで熱した時の水の流れと、同じやうなものになるわけです。これは、湯の中に浮んでゐる、小さな絲くづなどの動くのを見てゐても、いくらかわかるはずです。 しかし、茶わんの湯を、ふたもしないで置いた場合には、湯は表面からも冷えます。さうして、その冷え方がどこも同じではないので、ところどころ特別につめたいむらができます。さういふ部分からは、冷えた水が下へおり、そのまはりの割合に熱い表面の水が、そのあとへ向かつて流れ、それが、おりた水のあとへとどく時分には、冷えて、そこからおります。こんなふうにして、湯の表面には、水のおりてゐるところと、のぼつてゐるところとが、方々にできます。したがつて、湯の中までも熱いところと、割合にぬるいところとが、いろいろに入り亂れて、できて來ます。これに日光をあてると、熱いところと、つめたいところとのさかひで、光が曲るために、その光が一樣にならず、むらになつて、茶わんの底を照らします。そのために、さきにいつたやうな模樣が見えるのです。
 日のあたつたかべや屋根をすかして見ると、ちらちらしたものが見えることがあります。あの「かげろふ」といふものも、この茶わんの底の模樣と同じやうなものです。「かげろふ」が立つのは、かべや屋根が熱せられると、それに接した空氣が熱くなつて、ふくれてのぼる、その時にできる氣流のむらが、光を折り曲げるためなのです。
 このやうな水や空氣のむらを、はつきりと見えるやうに、工夫することができます。
 さういふ方法で、望遠鏡を使つて、空中の高いところの空気のむらを、調べようとしてゐる學者もいたやうです。
 次には、熱い茶わんの湯の表面を、日光にすかして見ると、湯の面に、にじの色のついた、きりのやうなものが、一皮かぶさつてをり、それが、ちやうどさけめ のやうに縱横に破れて、そこだけがとう明に見えます。このふしぎな模樣が何であるかといふことは、まだ、あまりよくわかつてゐないやうです。しかし、それも、前の温度の
むらと何か關係があることだけは確かでせう。
 湯が冷える時にできる、熱い、つめたい
むらが、どうなるかといふことは、ただ、茶わんの時だけの問題ではなく、たとへば、湖水や海の水が、冬になつて、表面から冷えて行く時には、どんな流れが起るかといふやうなことにも、關係してきます。さうなると、いろいろの實用上の問題と、縁がつながつて來ます。
 地面の空氣が、日光のために温められてできる時の
むらは、飛行家にとつて、たいへんに危ないものです。突風といふものがそれです。たとへば、森と畠とのさかひのやうなところですと、畠の方が、森よりも日光のためによけいに温められるので、畠では空氣がのぼり、森ではくだつてゐます。それで、畠の上から飛んできて、森の上へかかると、飛行機は、自然と下の方へおしおろされる傾きがあります。これがあまりに烈しくなると、危けんになるのです。これと同じやうな氣流のじゆんくわんが、もつと大仕掛に、陸地と海との間に行はれてをります。それは、海陸風と呼ばれてゐるもので、晝間は海から陸へ、夜は反對に陸から海へ吹きます。少し高いところでは、反對の風が吹いてゐます。
 これと同じやうなことが、山の頂きと谷との間にあつて、
山谷風(さんごくふう) と名づけられてゐます。これが、もう一そう大仕掛になつて、たとへば、アジア大陸と太平洋との間に起ると、それがいはゆる季節風 (モンスーン) で、われわれが冬期に受ける北西の風と、夏期の南がかつた風になるのです。
 茶わんの湯のお話は、すればまだいくらでもありますが、こんどは、これくらゐにしておきませう。


 

      (注) 1. 暫定教科書『初等科國語 五』は、第一分冊が昭和21年3月25日翻刻発行、第二分
        冊が昭和21年5月10日翻刻発行、第三分冊が昭和21年9月10日翻刻発行となって
        います。発行権所有、著作兼発行者 文部省。発行所は、 第一分冊が日本書籍株式         
        会社、第二分冊・第三分冊が東京書籍株式会社となっています。
          上記の「国民学校暫定教科書『初等科国語五』」の本文は、複刻版『文部省著作 暫
        定教科書(国民学校用)』第三巻(大空社、昭和59年5月26日発行)によりました。      

        .  
第一分冊は、第七課「遠泳」の途中、「「小島、廣田、しつかり泳げ。」」まで、第二分冊
        は、第十六課「豊田佐吉」の途中、「鐵材を使ふことができなかつたために、すべて木材
        に」までとなっています。

       3. この教科書には、挿絵が一切入っていません。
       4. 『初等科國語 五』の教科書は、国民学校5年生前期用の教科書です。
       5. 「二 海の幸」の本文中の「」の漢字は、島根県立大学の“e漢字”を利用させて
         いただきました。
       6.

       

資料105に 『ヨミカタ 一』の本文(全文) があります。

資料106に 『ヨミカタ 二』の本文(全文) があります。

資料144に 『よみかた 三』の本文(全文) があります。

資料146に 『よみかた 四』の本文(全文) があります。

資料154に 『初等科國語 一』の本文(全文) があります。

資料156に 『初等科國語 二』の本文(全文) があります。   

資料179に 『初等科國語 三』の本文(全文) があります。

資料186に 『初等科國語 四』の本文(全文) があります。

 

資料189に 『初等科國語 五』の本文(全文) があります。

 

資料196に 『初等科國語 六』の本文(全文) があります。

資料199に 『初等科國語 七』の本文(全文) があります。

資料210に 『初等科國語 八』の本文(全文) があります。

 

資料507に 国民学校暫定教科書『初等科國語六』(本文)があります。

資料262に 国民学校暫定教科書『初等科国語七』(本文)があります。

資料263に 国民学校暫定教科書『初等科国語八』(本文)があります。

 

 

 

 

 

         
 


                              
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