資料262 国民学校暫定教科書『初等科国語七』(本文)



 


   
暫定教科書『初等科國語 七』  第六學年前期用 
                  


    目 録
   一   醂狭召硫鯢
   二   敬語の使ひ方
   三   見わたせば
   四   源氏物語
   五   姉
   六   召豐
   七   雲のさまざま
   八   山の朝
   九   燕岳に登る
   十   月光の曲
   十一  朝顔に
   十二  古事記
   十三  われは海の子
   十四  いけ花
   十五  玉のひびき
   十六  山の生活
   十七  孔子と顔回
   十八  奈良の四季
   十九  萬葉集
   二十  修行者と羅刹
   二十一 末廣がり
  



    一 醂
(こくりゆう)江の解氷

  五尺もある厚い氷、
  遠い兩岸の間をぎつしりと張りつめてゐた氷、
  その下で、眠つてゐた醂狭召、
  ひとつ大きなあくびをしてから、
  春のいぶきをいつぱいに吸ひ込んだ。

  めりめりと氷が割れる、
  碎ける、
  地響きをたてながら。
  半年も地面のやうに動かなかつた川が、
  今、動きだした。
  あちら、こちらに川波が光りだした。
  ああ、自然の大きな脈搏
(みやくはく)

  松花江をのみ、
  ウスリー江をのみ、
  はるかオホーツクの海へ向かつて、
 「はあ。」と冬のなごりを吐く。

  暗鄂Г領れにあふられ、
  氷塊と氷塊がつきあたり、
  噛
(か)みあひ、のしかかり、
  でんぐりかへり、
  群がつて流れる。

  やがて醂狭召蓮△笋気靴ぜ蠅鬚劼蹐押
  わが子のやうに滿洲をだきかかへて、
  春の歌を歌ふ。

  

     二 敬語の使ひ方

 文化の進んだ國、獲椶旅發ぴ¬韻砲△弔討蓮≪控靴鮟鼎鵑検△海箸个鼎ひをていねいにすることが、非常に大切なことになつてゐる。特に、わが國語には敬語といふものがあつて、その使ひ方が特別に發達してゐるから、ことばづかひをていねいにするためには、ぜひとも敬語の使ひ方をよく心得ておかなければならない。 
 まづ相手の人に對して尊敬の意を表すために、特別なことばを、われわれは常に用ひてゐることに氣づくであらう。相手を「あなた」といふのが、すでに敬語である。また、相手や目上の人の動作を述べるのに、「いらつしやる」とか、「めしあがる」とかいふのも、それである。
 相手を尊敬するためには、自分のことを謙遜していふのがわが國語のいき方で、これも敬語のうちにはいる。自分のことを「わたくし」といふのが、すでに謙遜したことばであり、「行く」「食ふ」「する」も、「まゐる」「いただく」「いたす」などいふのが普通である。
  私もまゐりませう。
  もう十分にいただきました。
それ故、自分のことや目下のもののことを、
  私はまだめしあがりません。
  妹たちも、きのふの祝賀式にいらつしやいました。
などいつては、もの笑ひである。
 しかし、自分の動作であつても、それが相手のためにする場合は、
  私が御案内申しませう。
  御心配申しあげました。
  では、一通りお話いたします。
のやうに、「御」や「お」をつけて敬語にするのである。相手のすることに、「御」や「お」をつけて敬ふのは、いふまでもない。
  決して御心配くださいますな。
  お志、ありがたう存じます。
 父・母・兄・姉・をぢ・をば等は、目上の人であるから、それを相手とする時、
  おとうさん、どこへおいでになりますか。
  をばさんは、どうなさいます。
と敬つていふのである。しかし、一たび他人の前へ出た場合には、自分のことを謙遜していふのと同じく、自分の身内の者のこともまた謙遜していふのである。だから、
  おとうさんがよろしくおつしやいました。
  おかあさんは、今日おいでになりません。
  私のをぢさんは、大阪にをられます。
  ねえさんは、お仕事をしておいでです。
といふよりは、
  父がよろしく申しました。
  母は、今日まゐりません。
  私のをぢは、大阪にをります。
  姉は、仕事をしてゐます。
といふのが、相手に對して禮儀のあるいひ方である。ただ自分の身内でない目上の人のこととなると、他人の前でもやはり敬つていはなければならない。
 いつぱんに、女は男よりもいつそうていねいにものをいふのが、わが國語のならはしである。したがつて、女の使ふ敬語には、やや特殊のものがある。多くは家庭で用ひる物品などに對して、「おなべ」「おさかな」「お召物」とか、あるひは、「汁」を「おみおつけ」などいふのがその例である。「行く」「來る」を「いらつしやる」といふなども、女らしいことばである。今日では、男も混用したり、あるものはいつぱんに使用されたりするが、それが度を越すと、かへつてばかていねいになつたり、また柔弱に聞えたりする。それに、何でも「御」や「お」をつけさへすれば敬語になると思つたり、敬語を使ひさへすれば禮儀になると考へたりするのは、大きなあやまりである。敬語の使用は、禮儀にかなふとともに、常に適正であることと、眞の敬意、すなはち敬ふ眞心がことばに現れることが、最も大切である。
 敬語の使ひ方によつて、尊敬や謙遜の心をこまやかに表すことのできるのは、實にわが國語の一大特色であり、世界各國の言語にその例を見ないところである。古來わが國民は、皇室を中心とし、至誠の心を表すためには、最上の敬語を用ひることをならはしとしてゐる。さうして、また長上を敬ふ家族制度の美風からもていねいなことばづかひが重んじられてゐる。わが國語に、敬語がこれほどに發達したのは、つまりわが國がらの尊さ、昔ながらの美風が、ことばの上に反映したのにほかならないのである。
   


    三 見わたせば

                      素性
(そせい)法師
 見わたせば柳さくらをこきまぜて都ぞ春のにしきなりける

                      紀 貫之
(きのつらゆき)
 やどりして春の山べにねたる夜は夢のうちにも花ぞ散りける

                    藤原敏行
(ふぢはらのとしゆき)
 秋來ぬと目にはさやかに見えねども風の音にぞおどろかれぬる

                      よみ人しらず
 白雲にはねうちかはし飛ぶかりの數さへ見ゆる秋の夜の月

                      能因
(のういん)法師
 山里の春の夕ぐれ來て見ればいりあひの鐘に花ぞ散りける

                      西行
(さいぎやう)法師
 道のべに清水
(しみづ)流るる柳かげしばしとてこそ立ちとまりつれ

                      藤原顯輔
(あきすけ)
 秋風にたなびく雲の絶え間よりもれいづる月のかげのさやけさ




     四 源氏物語

 
紫式部は、子どもの時から非常にりこうでした。兄が史記を讀んでゐるのを、そばでじつと聞いてゐて、兄より先に覺えてしまふほどでした。父の爲時
(ためとき)は、
「ああ、この子が男であつたら、りつぱな學者になるであらうに。」
といつて歎息しました。
 大きくなつて、藤原宣孝
(ふぢはらののぶたか)の妻となりましたが、不幸にも早く夫に死に別れました。そのころから紫式部は、筆をとつて有名な源氏物語を書き始めました。
 そののち上東門院に仕へて、紫式部の名は一世に高くなりました。式部は、文學の天才であつたばかりか、婦人としてもまことに圓滿な、深みのある人でした。
 父爲時が願つたやうに、もし紫式部が男であつたら、源氏物語のやうな、かな文は書かなかつたでせう。當時、かな文は女の書くもので、男は、漢文を書くのが普通であつたからです。しかし、かな文であればこそ、當時の國語を自由自在に使つて、その時代の生活をこまやかに寫し出すことができたのです。かう考へると、紫式部はやつぱり女でなくてはならなかつたのです。
 源氏物語五十四帖
(でふ)は、わが國の偉大な小説であるばかりでなく、今日では、世界にすぐれた文學としてほめたたへられてゐます。
 次にかかげる文章は、源氏物語の一節を簡單にして、それを今日のことばで表したものですが、ただこれだけで見ても、約九百年の昔に書かれた源氏物語が、いかによく人間を生き生きと、美しく、こまやかに寫し出してゐるかがよくわかるでせう。
     一
 のどかな春の日は、暮れさうでなかなか暮れない。
 きれいに作つたしば垣の内の僧庵
(そうあん)に、折から夕日がさして、西側は  
 みすがあげられ、年とつた上品な尼
(あま)さんが佛壇(ぶつだん)に花を供へて、  
 靜かにお經を讀んでゐる。顔はふつくらとしてゐるが、目もとはさもだるさう 
 で、病身らしく見える。そばに、二人の女がすわつてゐる。
 時々、女の子たちが出たりはいつたりして遊んでゐる中に、十ばかりであらう 
 か、白い着物の上に山吹色の着物を重ねて、かけ出して來た女の子は、何とい 
 ふかはいらしい子であらう。切りそろへた髮が、ともすると扇のやうに廣がつ 
 て、肩の邊にゆらゆら掛るのが、目だつて美しく見える。どうしたのか、その 
 子が尼さんのそばへ來て、立つたまましくしく泣きだした。
 「どうしました。子どもたちと、いひ合ひでもしたのですか。」
 といひながら、見あげた尼さんの顔は、この子とどこか似たところがある。
 「雀の子を、あの犬きが逃したの。かごに伏せておいたのに。」
 と、女の子は、さもくやしさうである。
 そばにゐた女の一人は、
 「まあ、しやうのない犬きですこと。うつかり者だから、ついゆだんを
  して逃したのでせう。せつかくなれて、かはいくなつてゐたのに。烏
  にでも取られたらどうしませう。」
 かういつて、雀をさがしに立つて向かふへ行つた。それは、この子の乳母
(うば)  
 
であるらしい。
 尼さんはもの靜かに、
 「いやもう、あなたはまるで赤ちやんですね。どうして、いつまでもか
  うなんでせう。わたしがこんなに病氣で、いつとも知れない身になつ
  てゐるのに、あなたは雀の子に夢中なんですか。生き物をいじめると
  いふことは、佛樣に對しても申しわけのないことだと、ふだんから
  へてあげてあるでせう。さあ、ここへちよつとおすわりなさい。」
 子どもは、おとなしくすわつた。尼さんは、子どもの髮をなでながら、
 「櫛を使ふことをおきらひだが、それにしては、まあ何といふよい髮で
  せう。でも、かういつまでも赤ちやんでは困りますよ。もうあなたぐ
  らゐになれば、もつともつとおとなしいはずです。さうさう、なくな
  られたあなたのおかあさんは、十二の時おとうさんをおなくしでした
  が、それはそれは、よく物がおわかりでしたよ。今にでも、このおば
  あさんがゐなくなつたら、いつたいあなたはどうなさらうといふので
  せう。」
 さすがに子どもは、じつと聞きながら目を伏せてゐたが、とうとううつ伏せにな 
 つて、泣き入つてしまつた。とたんに美しい髮が、はらはらと前へこぼれかかる。
     二
 雀の子が逃げて泣いた紫の君は、その年の秋おばあさんに死なれて、たつた一人こ
 の世に取り殘されてしまつた。
 紫の君は、いとこの源氏の君のうちへ引き取られることになつた。あの乳母や犬き 
 も、紫の君といつしよに引き移つた。
 源氏は、小さな妹でもできたやうに、いろいろと紫の君のめんだうを見てやつた。 
 紫の君も、源氏をほんたうのにいさんだと思ふほどなついて來た。
 しかし、紫の君は、やはりおばあさんのことを思ひ出しては泣くことがある。この 
 不幸な子を慰めるために、源氏は繪をかいて見せたり、人形を求めてやつたりした。
 お正月になつた。元日の朝、源氏は、ちよつと紫の君のゐる部屋へ行つてみた。さう
 して、
 「どうです。お正月が來たから、あなたも少しはおとならしくなつたで
  せうね。」
 といつた。
 りつぱな書棚
(しよだな)に、たくさんの人形や、家や、車が並べてある。紫の君は、
 それを部屋いつぱいにひろげて、人形遊びにいそがしい。
 「豆まきをするつて、このお人形さんを犬きがこはしました。わたしが
  つくろつたのですよ。」
 と、さも大變なことででもあるやうに、紫の君は源氏にいつた。
 「よしよし。あとで、りつぱにつくろはせてあげよう。今日はお正月だ
  から、泣いてはいけませんよ。」
 といつて、源氏は出て行つた。
 紫の君は、人形の一つをおばあさんと呼んでゐる。お正月だから、きれいな着物を着
 せてあげた。
 「さうさう。このおにいさんにも、いい着物を着せてあげなければ。」
 さういつて、今一つの人形にも美しい着物を着せた。
 「さあ、御參内だ。車にお召しください。犬きや、おまへはおにいさん
  のお供をするのですよ。」
 「はい。」と答へて次の間から出て來た犬きが、その車を引いた。
 庭では、うぐひすが、美しい聲で「ほうほけきよ。」と鳴いた。


     五  姉

 今日、ねえさんがお嫁入りをします。さう思ふと、心がちつとも落ち着きませんでした。先生のおつしやることが、つい私の耳をす通りします。骸爾里修箸蓮△Δ蕕蕕な初夏です。屋根で雀がちゆうちゆう鳴いてゐます。あの雀は、のんきでいいなあ。ほんたうに、あのねえさんが、よその人になつてしまふのかしら。何だかうそのやうだ──と思つたとたん、はつとしました。先生の目が、みんなの笑つた顔が、私に集つてゐます。先生が、私に何かおつしやつたやうです。顔が火のやうになるのを、私は感じました。
 午後、急ぎ足で學校の門を出ました。歸つてみると、入口に下駄が何足も並んでゐて、奥では、がやがや人聲がします。
 髮結ひさんが、一生けんめいに、ねえさんのお支度をしてゐるところでした。きれいに髮を結つて、召戝紊鮹紊擦蕕譴燭佑┐気鵑蓮△泙襪任茲修凌佑里笋Δ妨えます。分家のをばさんが、
「ああ、いいお嫁さんができました。」
といつて、ほめてゐます。おかあさんも、そばでにこにこしながら眺めてゐます。
 お座敷では、山田のをぢさんとをばさんが、おとうさんや分家のをぢさんなどと話をしてゐます。
 何だかさびしい氣がして、私は自分の部屋へもどりました。心を無理にしづめようとして雜誌を開きましたが、字も畫も、てんで目にはいりません。
 ふすまがすうとあいて、着かざつたねえさんがはいつて來ました。
「雪ちやん。」
少しかすれた聲でした。
「ねえさん、おめでたう。」
やつとこれだけが、私の口から出ました。
「ありがたう。私がゐなくなつても、さびしがらないで、よく勉強して
 くださいね。」
「はい。」
さういへば、よくねえさんにいろいろ海悗討い燭世い燭發里任靴拭
「生まれた家を出て行くのです。どうぞ私に代つて、おとうさんやおか
 あさんを、だいじにしてあげてくださいね。おかあさんは、さうお丈
 夫ではないんですから。」
 私はだまつてうなづきました。「ねえさん、これまでずゐぶんわがままをいつてすみませんでした。」──それがのどまで出てゐるのですけれど、とうとういへないでしまひました。
 夕方、迎への車が來ました。ねえさんは、山田のをぢさんをばさんといつしよに、車に乘りました。
 その夜、おとうさんも、おかあさんも、口ぐせのやうに「めでたい、めでたい。」といひながら、話はとだえがちでした。にいさんだけが、時々おどけたことをいつて、みんなを笑はせました。



        六 召豐
    
  
さみだれの召豐屬Δ譴靴、
    野に立てば
    野はかがやきて、
    白雲を
    通す日影に、
    はや夏の暑さをおぼゆ。

    行く水は少しにごれど、
    せせらぎの 
    音もまさりて、
    よろこびを
    歌ふがごとく、
    行くわれを迎ふるごとし。

    田園のつづく限りは、
    植ゑわたす 
    早苗
(さなへ)のみどり。
    山遠く
    心はるばる、
    天地の大いなるかな。

    ふと見れば、道のほとりに、 
    つつましき
    姿を見せて、
    濃きるりの
    色あざやかに、
    咲くものは露草の花。
 



     七 雲のさまざま

 澄んだ惷に、はけで輕くはいたやうな、または眞綿を薄く引き延したやうな白い雲の出るのを、巻雲といひます。ごくこまかな氷の結晶の集つたもので、雲の中でもいちばん高く、八千メートルから一萬二千メートルの高さに、浮かんでゐます。どこまでもこまやかで、すつきりした感じの雲です。天女の輕い舞の袖を思はせるやうな雲です。
 ところで、この雲がだんだんふえてひろがりだすと、すつきりした感じがなくなつて、形がぼやけて來ます。のちには、ごく薄い、白い絹か何かで空をおほつたやうになりますから、俗に薄雲といひます。太陽や月が、大きなかさを着るのはこの雲のかかつた時で、かさの中に星が見えれば天氣、さうでなければ、雨だなどといひます。とにかく、そろそろ天氣がくづれるなと思はせるのが、この雲です。
 惷にうろこのやうに群生する白い雲は、さばの斑點
(はんてん)に似てゐるのでさば雲といひ、またこの雲が出るといわしの大漁があるといふので、いわし雲ともいひますが、見たところはさびしい雲です。夜、この雲の續く果に、半月がうつすらとかかつてゐるのは、殊にさうした感じを深くします。天候惡變の兆といはれる雲で、そばに遒け世龍(りゆう)のやうに續いてゐる場合には、雨の近いことほとんど受合ひだといひます。
 いわし雲よりぐつと大きな塊になつて、群生する白い雲があります。俗にむら雲といつてゐますが、西洋ではよく牧場の群羊にたとへます。惷に綿を大きくちぎつて、あとからあとから投げ出したやうで、なかなか盛んな感じのする雲です。
 いわし雲がぐんぐんふえて來ると、空一帶が灰色になつて、何だか頭を押さへつけられさうになります。太陽でも、月でも、おぼろにしか見えません。照りもせず曇りもはてぬ春の夜のおぼろ月とは、かういふ雲のかかつた場合ですが、このおぼろ雲は、天候の前兆としてはいよいよ惡い方だといひます。
 むら雲・おぼろ雲は、巻雲や、薄雲・いわし雲などより低く、四五千メートルのところに浮かんでゐます。
 惷に、薄遒け世みなぎることがあります。雨雲に似てゐますが、ところどころに惷が見え、雲の端々が白く見えて、その間から日光がもれたりします。もくもくと大きくかたまつたり、また時にそれが畠のうねのやうに、天の一方から他方へ幾條か連なつたりすることがあります。曇り雲とか、ね雲とかいはれる雲です。
 雨雲はきまつた形がなく、空いつぱいに薄遒おほふもので、亂雲と呼ばれてゐます。いちばん陰氣で、いやな感じの雲であることはいふまでもありません。曇り雲と同じく、二千メートル以下にある雲です。
 雨の降つたあげく、山の間などから流れるやうにすべり出る白い雲は、層雲といつて、雲の中でもいちばん低い雲です。高さは五百メートルぐらゐですから、まつたく手に取れさうに見えます。
 天氣のよい日、底が平で、上が山の峯のやうに積みあがつた形に現れる白い雲は、積雲といひますが、夏の日など、峯が恐しいほどむくむくとふくれあがつたのは、俗にいふ入道雲です。強烈な日光に照らされた入道雲が、まぶしいほど、銀白色または銀鼠
(ぎんねずみ)色にかがやくのを見ると、雲の王者といひたい感じがします。俳句で「雲の峯」といふのも、この入道雲です。積雲は二千メートル以下の高さですが、入道雲の頂になると、六千メートルから八千メートルの高さになります。その頂が開いたのは、朝顔雲とか、かなとこ雲とかいつて、雷雨を起したり、時にひようを降らしたりします。一天にはかに墨を流したやうに曇つて、天地も暗くなるのは、かうしたすばらしく厚い雲によつて、日光がさへぎられるからです。巻雲のかぼそい女性的な美しさに比べると、積雲や、入道雲や、かなとこ雲は、いかにも壯大で、強烈で、男性的です。

   
     八 山の朝

 ふと、目がさめる。
 遠くの方から、小鳥の聲が枕もとへ流れるやうに聞えて來る。まだ、なかば眠りからさめない心のうちに、山の夜明けだといふことが浮かぶ。
 はね起きて窓を開いた。つめたい空氣が、吸ひつけられるやうに室の中へしのびこむ。首筋に水晶のはけがさはつたやうなつめたさである。まだ、朝の太陽はのぼつてゐない。薄明の天地の中で、山々の薄遒せ僂、だまつて眠つてゐる。
  山小屋の重い戸びらを音もなく開き、素足
(すあし)に草履(ざうり)をはいて、露深い草の小道におり立つ。生き生きとした小鳥の聲が、あたりの靜けさをふるはせて、頭の上から降り注いで來る。このにぎやかな聲の絶え間を縫つて、どこからともなく、つつましやかな小川のせせらぎの音が、かすかに聞えて來る。
 山からわき流れる羶
(しみづ)が、かけひをまつしぐらにかけ拔けて通る。玉のやうな、罎蕕な水を兩手にすくひあげると、こほりつくやうなつめたさが、全身にしみとほる。この水で口をすすぎ顔を洗ふと、心の底までが罎瓩蕕譴襪笋Δ保羯がする。胸を張つて、思ひきり深く朝の山の空氣を吸ふ。
 山小屋の前の小道をくだつて行くと、そよ風が頬
(ほほ)にここちよい。なら・かへで・ぶな・くりなどの木々が茂り合つて、頭の上を自然の天蓋(てんがい)でかざつてくれる。夜明けに近い薄あかりが、重なり合つた葉の層を通して落ちて來る。緑色のガラスを張りめぐらした部屋の中に、たたずんでゐるやうである。一々の鳴き聲を聞きわけることができないやうに、鳥の聲がにぎやかに聞えて來る。短い鋭さの中にも、どこかやさしさのある小鳥の聲に混つて、太く口の中でふくんだやうに鳴く山鳩の聲が聞えて來る。その間を際立つてくつきりと、うぐひすの聲がころがるやうに續いて走る。この美しい木々の緑と、さわやかな鳥の聲のごちそうを前にして、しんせつな山のお招きの席に、しばらくは、すべてを忘れて立つてゐた。
 林の中を、奥へ奥へと進んで行くにしたがつて、小川のせせらぎはだんだん高く聞えて來る。林を出はづれて、頭の上の緑のおほひが盡きてしまつた時、いつのまにのぼつたのか、朝の日の光が、石を噛んで流れる水の上にをどつてゐる。
 危ふげにかけ渡された一本の丸木橋の上を、靜かに渡る。この丸木橋に立つて、朝の太陽の前に身じまひを正し始めた高い山々の針葉樹林を見あげる。きりのやうにとがつた梢の先を天に向けて眞直に立つものは、かうやまきである。ふさふさした枝の冠
(かんむり)をいただいて立つてゐるのは、檜(ひのき)である。
 この深山
(みやま)の朝の靈氣にふれるため、私はここまでのぼつて來たのだ。   


     九 燕岳
(つばくろだけ)に登る

「出發。」
山田先生の聲が、中房
(なかぶさ)温泉旅館の庭に勇ましく響き渡つた。午前七時である。きのふの雨はからりと召譴董太陽は、ほがらかにこの温泉の谷間を照らしてゐる。
 ルックサック・水筒
(すゐとう)・金剛(こんがう)杖の身支度もかひがひしく、ぼくらは、小鳥のやうにをどる胸を押さへながら、つり橋を渡つた。ごうごうと鳴る激流の上に、高い橋がぐらぐら動くのが、愉快でたまらなかつた。
 道はすぐ登りになる。かちりかちりと、杖が岩に鳴つた。前の人の足あとをふみしめるやうに、一歩一歩登つて行く。せまい道の兩側には、大きなささが、ぼくらの頭をおほふくらゐ高く茂つてゐた。
 岩角が出、木の根が横たはつてゐる。
「氣をつけろよ。」
と、前の方で聲がする。額も、せなかも、汗ばんで來た。はずむ呼吸が、前にも後にもはつきり聞かれる。
 かうして、つづら折りの明かるい山道を、あへぎあへぎ登つた。時々見おろす谷底に、さつき出發した温泉宿が、だんだん小さくなつて行く。谷川が、下で遠く鳴つてゐる。つい向かふに、ぐつと見あげるほどそびえ立つてゐるのが、有明
(ありあけ)山である。
「今日は、あの山よりもつと高く登るのだぞ。」
と、石川先生がいはれた。
 まばらな濶葉
(くわつえふ)樹林を通して、太陽がじりじりと照りつける。帽子の下からわき出る汗が、顔を傳つて流れ落ちる。息が苦しいほどはずむ。
「先生、休んでください。」
と、後の方でいつしか悲鳴をあげる。
「もう少しがんばれ。」
と、前の方でまぜかへす。
 まもなく、ぴりぴりとうれしい笛が鳴つた。みんなは待つてゐたやうに、そこらへ腰をおろして汗をふく。水筒の水を飲むと、のどがごくりと鳴つた。木の間では、うぐひすが鳴いてゐる。谷底から吹きあげる風が、はだに快く感じる。
 そろそろ、針葉樹が現れて來た。
 やがて、針葉樹の密林へはいると、急に快い涼しさを覺える。時に「さうしかんば」のはだが、梢からもれる太陽の光に映じて、薄暗い中に銀色に光る。道はいくぶんなだらかになつたり、またぐつと急になつたりする。きのふの雨でじめじめして、うつかりすると足がすべる。木の根、岩角を數へるやうに、ふみしめ、ふみしめ登つた。
「あと四キロだ。」
と先頭で叫ぶ。道標の數字がしだいにへつて行くのが、力と頼まれる。時々休んでは、また勇氣を振るひ起す。
 植物に、變つたものがあるやうになつた。葉がふぢに似た「ななかまど」や、大木から長くひげのやうにぶらさがる「さるをがせ」などを、石川先生に海悗討發蕕弔拭かはいい桃色の「いはかがみ」の花を、道端に見つけるのが樂しみであつた。
 あたりにだんだん霧がわいて來て、大木の幹を、かなたへ、かなたへと薄く見せた。耳を澄ますと、遠く近くさまざまの小鳥のさへづりが聞かれる。
 かうして、とうとう合戰小屋にたどり着いたのが午前十一時、みんなはずゐぶんつかれてゐた。ここで辨當をたべる、そのおいしいこと。
 空がしだいに曇つて來た。霧もだんだん深くなる。しかし、小屋の人は、
「天氣は大丈夫です。」
と、先生たちにいつてゐた。
 それからも、しばらく道が急だつた。
 霧の間に、「さうしかんば」の林が續く。道端には、ささがめづらしく花をつけてゐた。
 いつのまにか大木が少くなつて、せいの低い細い木が目につくやうになつた。つひにはそれもなくなつたと思ふと、眼界が急に開けて、山腹の斜面に、低い緑の「はひまつ」が波のやうに續いて見えた。みんなが、わいわい歡聲をあげた。
 道は、ややなだらかになつた。
「三角點。」
といふ聲がする。ぼくらは、胸がをどつた。
 やや廣く平なところに、三角點を示す石があつた。そばに腰掛が何臺かある。中房温泉から四・六キロと記した道標が立つてゐる。頂上まであと二キロだ。
 召譴討陲譴弌△海海ら、今登らうとする燕の絶頂も槍岳
(やりがたけ)その他の山々も見えるさうだが、今日は何も見えない。行手の道も「はひまつ」も、すべて夢のやうに霧の中に薄れてゐる。ただ、天地がいかにも明かるかつた。
 それからは尾根傳ひに、なだらかな道が續いた。薄日がぽかぽかとせなかを温める。道端は、「いはかがみ」の花盛りであつた。小さなすみれや、蘭
(らん)もところどころに咲いてゐる。どれもこれも、すき通るほどあざやかな色であつた。
 ふと「はひまつ」の間に、高さ一メートルにも足らない「たかねざくら」が、今を盛りと咲いてゐるのを見た。眞夏に櫻の滿開である。
「山は、今春なのだ。」
と、石川先生がいはれた。みつばちが、盛んに花から花へ飛んでゐた。
 行くにしたがつて、花は美しかつた。右手に見おろす斜面に咲き續く黄色な花は、大きなのが「しなのきんばい」、小さなのが「みやまきんぽうげ」であつた。その間々に、白い「はくさんいちげ」や、深紅の「べにばないちご」などが、點々と入り亂れてゐた。お花畠は、まるで滿天の星のやうに美しかつた。
 その邊から、ところどころに殘雪があつた。みんながうれしがつて雪をすくつた。
 つひに、霧の中に近く山小屋を見あげるところへ來た。下から風が強く吹きあげる。足もとには、かなり大きな雪溪
(せつけい)が見おろされた。
 先頭は、もう山小屋の右下の鞍部
(あんぶ)にたどり着いた。
「早く來い。向かふは召譴董∋海すてきだぞ。」
と、だれかが帽子を振りながら、ぼくらに叫んでゐる。
 やがてそこへ登り着いたぼくらは、何といふすばらしい景色を、西の方に見渡したことであらう。
 左端の穗高に續いて、槍岳が、それこそ天を突く槍の穗先のやうに突き立つてゐる。更に右へ右へとのびる飛騨山脈が、蓮華
(れんげ)・鷲羽(わしは)・水晶・五郎と、大波のやうに、屏風(びやうぶ)のやうに、紫紺のはだあざやかにそそり立ち、うねり續く雄大莊嚴な姿。ところどころに、白雲がただよつて、中腹をおほひ、峯をかくし、谷々の雪溪と相映じて山々を奥深く見せる。ぼくらが今立つてゐるところと向かふの山脈との間は、千丈の谷となつて、その底に高瀬(たかせ)川の鳴つてゐるのが、かすかに聞えて來る。この大自然がくりひろげる景觀に打たれて、ぼくらは、ほとんど一種の興奮を感じるほどであつた。
 そこから右へ縱走して、燕の絶頂をめざした。
 馬の背のやうに、峯傳ひの道が續いてゐた。ややもするとくづれようとする砂と岩との間を、「はひまつ」にすがりながら進んだ。右下から吹きあげる風は、もうもうと雲を巻きあげて、それがこの尾根を界に消散する。それは、ふしぎに思へるほどはつきりとしてゐた。左は、急な斜面が神祕な谷底へ深く落ち込んでゐる。
 とうとう、燕の絶頂が來た。それは、大空の一角にそそり立つ御影石の岩塊である。そこは、十人とは乘れないほどせまかつた。今こそ、二千七百六十三メートルの最高點に立つたのである。さつきの槍岳が、「ここまでお出で。」といふやうに、しかしいかにも嚴然とそびえてゐる。あの絶頂へ登る傾斜は、少くとも四十五度以上はあらう。
「あんな山へ登れる人があるのかなあ。」
といふと、元氣な山田先生は、
「もう二年たつたら、きみたちも槍へ登れるよ。」
といはれた。
 東も北も一帶に雲がとざして、ぼくらの村はもとより、富士・淺間・白馬
(しろうま)・立山等の姿を見ないのが、まつたく殘念であつた。
 午後二時、下山の途についた。
「山は廣い。」と、ぼくはつくづく思つた。さうして何年かののちに、きつとあの槍に登らうといふ希望をいだきながら、山をくだつた。


      
十 月光の曲

 
ドイツの有名な音樂家ベートーベンが、まだ若い時のことであつた。月のさえた夜、友人と二人町へ散歩に出て、薄暗い小路を通り、ある小さなみすぼらしい家の前まで來ると、中からピヤノの音が聞える。
「ああ、あれはぼくの作つた曲だ。聞きたまへ。なかなかうまいではな
  いか。」
かれは、突然かういつて足を止めた。
 二人は戸外にたたずんで、しばらく耳を澄ましてゐたが、やがてピヤノの音がはたとやんで、
「にいさん、まあ何といふいい曲なんでせう。私には、もうとてもひけ
 ません。ほんたうに一度でもいいから、演奏會へ行つて聞いてみた
 い。」
と、さも情なささうにいつてゐるのは、若い女の聲である。

「そんなことをいつたつて仕方がない。家賃さへも拂へない今の身の上
 ではないか。」
と、兄の聲。
「はいつてみよう。さうして一曲ひいてやらう。」
ベートーベンは、急に戸をあけてはいつて行つた。友人も續いてはいつた。
 薄暗いらふそくの火のもとで、色の悗じ弓罎里覆気気Δ兵磴っ砲、靴を縫つてゐる。そのそばにある舊式のピヤノによりかかつてゐるのは妹であらう。二人は、不意の來客に、さも驚いたらしいやうすである。
「ごめんください。私は音樂家ですが、おもしろさについつり込まれて
 まゐりました。」
と、ベートーベンがいつた。妹の顔は、さつと赤くなつた。兄は、むつつりとして、やや當惑
(たうわく)のやうすである。
 ベートーベンも、われながら餘りだしぬけだと思つたらしく、口ごもりながら、
「實はその、今ちよつと門口で聞いたのですが──あなたは、演奏會へ
 行つてみたいとかいふことでしたね。まあ、一曲ひかせていただきま
 せう。」
そのいひ方がいかにもをかしかつたので、いつた者も聞いた者も、思はずにつこりした。
「ありがたうございます。しかし、まことに粗末なピヤノで、それに樂
 譜もございませんが。」
と、兄がいふ。ベートーベンは、
「え、樂譜がない。」
といひさして、ふと見ると、かはいさうに妹は盲人である。
「いや、これでたくさんです。」
といひながら、ベートーベンはピヤノの前に腰を掛けて、すぐにひき始めた。その最初の一音が、すでにきやうだいの耳にはふしぎに響いた。ベートーベンの兩眼は異樣にかがやいて、その身には、にはかに何者かが乘り移つたやう。一音は一音より妙を加へ辰貌つて、何をひいてゐるか、かれ自身にもわからないやうである。きやうだいは、ただうつとりとして感に打たれてゐる。ベートーベンの友人も、まつたくわれを忘れて、一同夢に夢見るここち。
 折からともし火がぱつと明かるくなつたと思ふと、ゆらゆらと動いて消えてしまつた。
 ベートーベンは、ひく手をやめた。友人がそつと立つて窓の戸をあけると、清い月の光が流れるやうに入り込んで、ピヤノのひき手の顔を照らした。しかし、ベートーベンは、ただだまつてうなだれてゐる。しばらくして、兄は恐る恐る近寄つて、
「いつたい、あなたはどういふお方でございますか。」
「まあ、待つてください。」
ベートーベンはかういつて、さつき娘がひいてゐた曲をまたひき始めた。
「ああ、あなたはベートーベン先生ですか。」
きやうだいは思はず叫んだ。
 ひき終ると、ベートーベンは、つと立ちあがつた。三人は、「どうかもう一曲。」としきりに頼んだ。かれは、再びピヤノの前に腰をおろした。月は、ますますさえ渡つて來る。
「それでは、この月の光を題に一曲。」
といつて、かれはしばらく澄みきつた空を眺めてゐたが、やがて指がピヤノにふれたと思ふと、やさしい沈んだ調べは、ちやうど東の空にのぼる月が、しだいにやみの世界を照らすやう、一轉すると、今度はいかにもものすごい、いはば奇怪な物の佑寄り集つて、夜の芝生
(しばふ)にをどるやう、最後はまた急流の岩に激し、荒波の岩に碎けるやうな調べに、三人の心は、驚きと感激でいつぱいになつて、ただぼうつとして、ひき終つたのも氣づかないくらゐ。
「さやうなら。」
ベートーベンは立つて出かけた。
「先生、またおいでくださいませうか。」
きやうだいは、口をそろへていつた。
「まゐりませう。」
ベートーベンは、ちよつとふり返つてその娘を見た。
 かれは、急いで家へ歸つた。さうして、その夜はまんじりともせず机に向かつて、かの曲を譜に書きあげた。ベートーベンの「月光の曲」といつて不朽の名聲を博したのはこの曲である。




     十一 朝顔に

                 千代
(ちよ)
 朝顔につるべ取られてもらひ水
 木から物のこぼるる音や秋の風
 何着ても美しうなる月見かな
 ころぶ人を笑うてころぶ雪見かな

                 一茶
(いつさ)
 雀の子そこのけそこのけお馬が通る
 やせ蛙まけるな一茶これにあり
 やれ打つなはへが手をする足をする
    


     十二 古事記

 元明天皇の勅命によつて、太安萬侶
(おほのやすまろ)は、稗田阿禮(ひえだのあれ)がそらんじる、わが國の古傳を、文字に書き表すことになつた。
 阿禮は記憶力の非凡な人であつた。かれが天武天皇の仰せによつて、わが國の古記録を讀み、古いいひ傳へをそらんじ始めたのは、三十餘年前のことである。當時二十八歳の若盛りであつた阿禮が、今ではもう六十近い老人になつた。この人がなくなつたら、わが國の古傳、つまり神代以來の尊い歴史も文學も、その死とともに傳はらないでしまふかも知れないのであつた。
 勅命の下つたことを承つた阿禮は、それこそ天にものぼるここちであつたらう。さうして、長い長い物語を讀みあげるのに、ほとんど心魂をささげ盡くしたことであらう。ところで、これを文字に書き表す安萬侶の苦心は、それにも増して大きいものであつた。
 そのころは、まだかたかなもひらがなもなかつた。文字といへば漢字ばかりで、文章といへば、漢文が普通であつた。しかるに、阿禮の語るところは、すべてわが國の古いことばである。わが國の古語を、漢字ばかりでそのままに書き表すことが、安萬侶に取つての大きな苦心であつた。
 試みに、今日もし、かたかなもひらがなもないとして、漢字ばかりで、われわれの日常使ふことばを書き表さうとしたら、どうなるであらう。「クサキハアヲイ」といふのを漢字だけで書けば、さし當り「草木悄廚判颪い曇狢しなければなるまい。しかし、これでは、漢文流に「サウモクアヲシ」と讀むこともできる。そこで、ほんたうに間違ひなく讀ませるためには、「久佐幾波阿遠以
(クサキハアヲイ)」とでも書かなければならなくなる。だが、これではまたあまりに長過ぎて、讀むのにかへつて不便である。
 安萬侶は、いろいろの方法を用ひた。例へば、「アメツチ」といふのを「天地」と書き、「クラゲ」といふのを「久羅下
(クラゲ)」と書いた。前者は「クサキ」を「草木」と書くのと同じであり。後者は「久佐幾」と書くのと同じである。「ハヤスサノヲノミコト」といふのを「速須佐之男命(ハヤスサノヲノミコト)」としたのは、「草木」と「久佐幾」と二つの方法をいつしよにしたのである。これらは名前だから、割合ひ簡單でもあらうが、長い文章になると、その苦心は一通りのことでなかつた。
 しかし、かうした苦心はやがて報いられて、阿禮の語るところは、ことばそのまま文字に書き表された。安萬侶はこれを三巻の書物にまとめて、天皇に奉つた。古事記といつて、わが國でも最も古い書物の一つになつてゐる。和銅
(わどう)五年正月二十八日、今から一千二百餘年の昔のことである。
 天の岩屋、八岐
(やまた)のをろち、大國主神、ににぎのみこと、つりばりの行くへ等の神代の物語を始め、神武天皇や日本武尊(やまとたけるのみこと)の御事蹟、その他古代のいひ傳へが、古事記に載せられて今日に傳はつてゐる。
 それは、要するにわが國初以來の尊い歴史であり、文學である。殊に大切なことは、かうしてわが國の古傳が、古語のままに殘つたことである。


        十三 われは海の子

    われは海の子、白波の
  さわぐいそべの松原に、
  煙たなびくとまやこそ、
  わがなつかしき住みかなれ。

  生まれて潮にゆあみして、
  波を子守の歌と聞き、
  千里寄せくる海の氣を
  吸ひて童となりにけり。

  高く鼻つくいその香に、
  不斷
(ふだん)の花のかをりあり。
  なぎさの松に吹く風を、
  いみじき樂とわれは聞く。

  丈餘のろかいあやつりて、
  ゆくて定めぬ波まくら、
  ももひろちひろ海の底、
  遊びなれたる庭廣し。

  いくとせここにきたへたる
  鐵より堅きかひなあり。
  吹く潮風に遒澆燭
  はだは赤銅
(しやくどう)さながらに。
 
  波にただよふ氷山も、
  來たらば來たれ、恐れんや。
  海巻きあぐる龍巻も
  起らば起れ、おどろかじ。

  いで大船を乘り出して、
  われは拾はん海の富。
  いで大船に乘り組みて、
  われはさぐらん海の幸。



     十四 いけ花

 まさえさん、この間は、お手紙をありがたうございました。おとうさんも、おかあさんも、お元氣ださうで安心しました。こんなに遠く離れてゐると、うちのことが何よりも知りたいのですよ。
 私も、こちらへ來てからもう一年近くなりますが、これまで病氣一つしませんでした。毎日毎日畠へ出て働いてゐることが、私をこんなに丈夫にしてくれたのでせう。それとも、大陸の氣候が私に合ふのかも知れません。
 この一年間は、何を見ても、何をしても、始めてのものばかりで、めづらしいやら樂しいやら、まるで夢のやうに過して來ました。
 この春植ゑつけた野菜類は、たいそうよくできて、この間一部分だけ收穫しました。その時にうつした寫眞を同封しておきましたから、見てください。いろいろな野菜がありますから、何だかあててごらんなさい。
 お手紙によると、このごろまさえさんは、熱心にいけ花のおけいこをしてゐるさうですね。せんだつて、おかあさんからのお手紙にも、そのことが書きそへてありました。私のおいて來た花ばさみや花器などが、そつくりまさえさんの手で、かはいがられてゐると思ふと、たいそううれしい氣がします。
 私もいけ花がすきなので、いそがしい中にも、ずつと續けてやつてゐます。
 つい四五日前も、野原でききやうの花を見つけたので、それを摘んで來ていけてみました。こんなにして野の草花をいけたりすると、その昔、まさえさんと二人で、野原へ花摘みに行つた時のことが、なつかしく思ひ出されました。
「はらんを、何度も何度もいけるのは、あきてしまひました。」と書いてありましたが、あれは、いけ花のいちばんもとになるものですから、しつかりとおけいこをしておかなければなりませんよ。何を覺えるにしても、そのもとをのみこむことが大切だと思ひます。もとといつても、形ばかりでなく、いつも自分の心がこもつてゐなければなりません。
 いけ花ほど、いける人の氣持のよく現れるものはないと、自分ながらびつくりすることがあります。例へば、何か氣にさはることがあつて心の落ち着かない時には、いくらいけようと思つても、花はいふことをききません。召蹂召譴箸靴匿瓦瑠曚靴せには、花の方から、進んで動いてくれます。さうして、できあがつたものにも、その時、その人の氣持が、そつくりそのまま現れるやうに思はれます。
 どうかまさえさんも、いけ花をみつしりけいこして、日本の少女らしい、つつましやかな心を育ててください。
 今、こちらはいちばんよい時候で、空がどこまでも高く澄んでゐます。では、おとうさんとおかあさんに、よろしくお傳へください。さやうなら。
 
  
     十五 玉のひびき

御製
 いそ崎にたゆまずよするあら波を凌
(しの)ぐいはほの力をぞおもふ
 西ひがしむつみかはして榮ゆかむ世をこそいのれとしのはじめに
大正天皇御製
 汐
(しほ)風のからきにたへて枝ぶりのみなたくましき磯の松原
明治天皇御製
 あさみどり澄みわたりたる大空の廣きをおのが心ともがな
 目にみえぬかみの心に通ふこそひとの心のまことなりけれ
 さしのぼる朝日のごとくさわやかにもたまほしきは心なりけり
 高殿の窓てふまどをあけさせてよもの櫻のさかりをぞみる
昭憲皇太后御歌
 朝ごとにむかふ鏡のくもりなくあらまほしきは心なりけり


     十六 山の生活

     銅山
 入坑の時刻がせまつた。
 坑口の前の線路には、幾十臺の軌道車
(きだうしや)が、鑛員たちの乘るのを待つてゐる。
 集合した鑛員は、鐵かぶとに似た帽子をかぶり、作業服・ぢか足袋
(たび)に、尻(しり)あてといつたいでたちである。
 坑道へはいる前に、みんないつせいに體操をする。朝の光を受けて、元氣よく腕をのばし、足を擧げ、胸を張る。
 體操がすむと、みんな軌道車に乘り込む。出發に際し、事務所の係員が、
「今日も、十分氣をつけて働いてください。では、元氣で行つていらつしや
 い。」
と挨拶
(あいさつ)する。軌道車が動きだすと、擴聲器から快活な行進曲が響いて來る。さうして、まつしぐらに坑道へ進んで行く。
 一歩坑内へはいれば眞暗で、あたりの岩石に、軌道車の響きがごうごうと反響する。鑛水のにほひがして來る。「採鑛へ總進軍。」と書いた電燈看板に迎へられて、三キロ、四キロと坑内深くはいつて行く。
 やがて軌道車からおり、昇降機に分乘して、數百メートルのたて坑を一氣におりて行く。
 そこから、各自受持の採鑛現場へと急ぐ。アセチレン燈をたよりに、ほら穴を奥へ奥へもぐつて行く。地熱のために暑くなり、温度が高いのでむしむしする。上着などは脱いでしまふ。
「さ、仕事にかからう。」
 鑛石の肌
(はだ)が美しい。色が美しいのではない、形が美しいのでもない。日本をゆたかにする寶が、この中に生きてゐるのだ。さう思ふと、鑛石の光澤も、ひだも、硬度も、重量感も、みな美しく見えて來るのだ。
 鑿岩
(さくがん)機をかかへて、「ダ、ダ、ダ、ダ。」と鑛石に穴をあける。いくつもあける。あけてはそこへ爆藥をつめる。爆破させる。もうもうと、煙やガスが立ちこめる。
 これが召譴襪里鯊圓弔董鑛石運搬の鑛員がやつて來る。シャベルですくつては、トロッコに積み込む。たちまち鑛石滿載のトロッコが一臺、二臺、三臺とできあがる。やがて、十臺、二十臺と長くつながつて、坑外へ運搬されて行く。まさに山の幸を得ての凱旋
(がいせん)だ。鑛石を運んでしまつたあとの坑内に、支柱を組み立てる鑛員が仕事にかかる。太い、がんじような材木を、鳥居のやうな形にがつしりと組み合はせる、岩石がくづれないやうに、働く人の足場が落ちないやうにと念じながら。
 かうして、鑛石を掘る人、鑛石を運ぶ人、支柱を立てる人──これらがいつしよになつて、坑内で働いてゐる。めいめい勝手なことはできない。心を一つにすることが、かんじんだ。一分のすきも許されない。もしあれば、危險といふ魔
(ま)が、すぐねらつて來るからである。
 鑛員同志に「申し送り」があり、「申し受け」があつて、たがひに堅く連絡を取るのもそのためである。これはちやうど、かまをたく人、運轉する人、方向を見定める人などが、いつしよになつて艦船を走らせるのと變りはない。
 鑛員たちは、だれも見てゐない眞暗なところで仕事をするので、なまけようと思へば、なまけられないことはない。しかし、決してそんな氣持にはなれない。
 七時間の勞働時間も、やがて過ぎてしまふ。
「交代の時間だ。」
 鑛員たちは、現場を引きあげて昇降機に乘る。再び軌道車に搖られて、歸途につく。疲れた五體ではあるが、働きぬいた滿足で心は輕やかである。ごうごうと響く車の音は、見送つてくれる山の歡聲である。
 翩一陣、坑内から坑外へ出る。
 太陽の輝く悗ざ、何といつてあの明かるさをいひ表したらよいだらう。
     石の山
 見あげるばかり高く切り立つた山だ。御影石の山々だ。山の肩のあたりから、刃物でそいだやうに突つ立つてゐて、眞晝の日光が、まぶしいほど反射して來る。
 あちらの山でも、こちらの山でも、三四人づつ一かたまりになつて、石の上で働いてゐる。鑿
(のみ)を持つ人、それを槌(つち)で打つ人、その穴に水をさす人。
 堅い石に、長い鑿を打ち込んで行くこの仕事は、生やさしいものではない。眞直に打ち込むのだ。第一、並み並みならぬ根氣がいる。
 槌の音は、いかにものんびりと響いてゐるが、一槌ごとに心をこめて打つてゐる音である。一センチ、二センチ、石に穴があく。それが積り積つて、五メートル、八メートルにもなるのである。
 日の出から日の入りまで、同じやうな仕事を、くり返しくり返し續けてやる。たとへ日が照らうが、風が吹かうが、じりじりと續けられて行く。
 十分深く穴を掘つてしまふと、火藥を固くつめる。爆音とともに、家ほどもある御影石が、ごろんごろんと、倒れ落ちる。その大きな石を二つに割り、四つに割り、用途によつては更にいくつにも小さく割つて行く。
 堅い、大きな石が、小さな鑿と槌で、思ひ通りにぱくんぱくんと割れる。
 割られた石材は、石積み車に載せられて、山の道をすべるやうに運ばれて行く。
 日がな一日、露天で働く石工たちは、みんな日にやけて、顔も、腕も、遏垢箸靴討陲襦いかにも丈夫さうだ。けれども、仕事の相手は大きな岩であり、山のからだである。それで、石工の姿は、山の中で見かけると至つて小さく、たよりなく見える。よく、あの兩腕で石が割れるものだ。よく山と取り組んで働けるものだと思ふ。
 一人前の石工になるためには、早くから弟子入りをしなければならない。
 弟子たちは、石くづをかたづけたり、仕事場の掃除をしたり、鑿などをやく火のふいごをふいたりする。かうして、三年も五年も石の山にかよつては、石工の仕事を見覺えて行くのである。大きな石が、おもしろいほど思ひ通りに割れる腕前になるには、長い間の汗みどろの努力がひそんでゐる。たとへば石を割るには、石の目を見わけなければならない。石の目といふのは、ちやうど板でいへば、木目のやうなものである。小さな雲母や、石英や、長石などが、ごちやごちやに入り混つてゐる石の面を見て、その目を見わけ、それによつてこの石はかう割れるといふことが判斷される。もし石の目を見まちがへれば、石は、とんでもない方向にひびが入り、思はない倒れ方をする。石の山で働く人は、大まかで荒つぽい仕事をしてゐるやうで、決してさうではない。
 一生を石の中で暮してゐる石工たちには、心なき岩石も意志あるかのやうに思はれ、その岩石を何百萬年もだきかかへてゐる母のやうな山の心も、わかるやうな氣がするといふ。


    十七 孔子と顔回

      一
「ああ、天は予
(よ)をほろぼした。天は予をほろぼした。」
七十歳の孔子は、弟子顔回の死にあつて、聲をあげて泣いた。
 三千人の弟子のうち、顔回ほどその師を知り、師の海悗鮗蕕蝓∋佞漣海悗鰌藕圓垢襪海箸某干櫃韻深圓呂覆つた。これこそは、わが道を傳へ得るただ一人の弟子だと、孔子はかねてから深く信頼してゐた。その顔回が、年若くてなくなつたのである。
「ああ、天は予をほろぼした。天は予をほろぼした。」
まさに、後繼者を失つた者の悲痛な叫びでなくて何であらう。

      二
 十數年前にさかのぼる。孔子が、弟子たちをつれて、匡
(きやう)といふところを通つた時、突然軍兵に圍まれたことがある。かつて陽虎(やうこ)といふ者が、この地でらんばうを働いた。不幸にも、孔子の顔が陽虎に似てゐたところから、匡人は孔子を取り圍んだのである。この時、おくればせにかけつけた顔回を見た孔子は、ほつとしながら、
「おお、顔回。お前は無事であつたか。死んだのではないかと心配した。」
といつた。すると顔回は、
「先生が生きていらつしやる限り、どうして私が死ねませう。」
と答へた。
 孔子は五十餘歳、顔回は一愬であつた。わが身の上の危さも忘れて、孔子は年若い顔回をひたすらに案じ、また顔回は、これほどまでその師を慕つてゐたのであつた。
      三
 それから數年たつて、陳
(ちん)・蔡(さい)の厄があつた。孔子は楚(そ)の國へ行かうとして、弟子たちとともに陳・蔡の野を旅行した。あいにくこの地方に戰亂があつて、道ははかどらず、七日七夜、孔子も弟子も、ろくろく食ふ物がなかつた。
 困難に際會すると、おのづから人の心がわかるものである。弟子たちの中には、ぶつぶつ不平をもらす者があつた。き一本な子路が、とがり聲で孔子にいつた。
「いつたい、の修つた君子でも困られることがあるのですか。」
 のある者なら、天が助けるはずだ。助けないところを見ると、先生はまだ君子ではないのか──子路には、ひよつとすると、さういふ考へがわいたのかも知れない。孔子は平然として答へた。
「君子だつて、困る場合はある。ただ、困り方が違ふぞ。困つたら惡いことで
 も何でもするといふのが小人である。君子はそこが違ふ。」
 子貢
(しこう)といふ弟子がいつた。
「先生の道は餘りに大き過ぎます。だから、世の中が先生を受け容れて用ひよ
 うとしません。先生は、少し手かげんをなさつたらいかがでせう。」
孔子は答へた。
「細工のうまい大工が、必ず人にほめられるときまつてはゐない。ほめられな
 いからといつて、手かげんするのが果してよい大工だらうか。君子も同じこ
 とだ。道の修つた者が、必ず人に用ひられるとはきまつてゐない。といつて
 手かげんをしたら、人に用ひられるためには、道はどうでもよいといふこと
 になりはしないか。」
 顔回は師を慰めるやうにいつた。
「世の中に容れられないといふことは、何でもありません。今の亂れた世に容
 れられなければこそ、ほんたうに先生の大きいことがわかります。道を修め
 ないのは君子の恥でございますが、君子を容れないのは世の中の恥でござい
 ます。」
このことばが、孔子をどんなに滿足させたことか。
      四
 孔子は、弟子に道を説くのに、弟子の才能に應じてわかる程度に海悗拭 
 孔子の理想とする「仁」についても、ある者には「人を愛することだ。」といひ、ある者には「人のわる口をいはないことだ。」と説き、ある者には「むづかしいことを先にすることだ。」と海悗拭いづれも「仁」の一部の説明で、その行ひやすい方面を述べたのである。ところで顔回には、
「己に克
(か)つて禮に復(かへ)るのが仁である。」
と海悗拭あらゆる欲望にうちかつて、禮を實行せよといふのである。その實行方法として、
「非禮は見るな。非禮は聞くな。非禮はいふな。非禮に動くな。」
と海悗拭D起きるから夜寝るまで、見ること、聞くこと、いふこと、行ふこと、いつさい禮に從ひ、禮にかなへよといふのである。ここに、「仁」の全體が説かれてゐる。さうして、顔回なればこそ、この最もむづかしい海悗髻△修里泙渾藕圓垢襪海箸できたのである。
      五
 孔子は顔回をほめて、
「顔回は、予の前で海悗鮗ける時、ただだまつてゐるので、何だかぼんやり
 者のやうに見える。しかし退いて一人でゐる時は、師の海悗砲弔い堂燭自
 分で工夫をこらしてゐる。決してぼんやり者ではない。」
といつてゐる。また、
「ほかの弟子は、海悗砲弔い討い蹐い躰遡笋發掘△修譴罵修魴錫い靴討れる
 ことがある。しかし、顔回は質問一つせず、すぐ會得して實行にかかる。か
 れは、一を聞いて十を知る男だ。」
ともいつてゐる。
 孔子がよく顔回を知つてゐたやうに、顔回もまたよくその師を知つてゐた。顔回は孔子をたたへて、
「先生は、仰げば仰ぐほど高く、接すれば接するほど奥深いお方だ。大きな
 力で、ぐんぐんと人を引つぱつて行かれる。とても先生には追ひつけない
 から、もうよさうと思つても、やはりついて行かないではゐられない。私
 が力のあらん限り修養しても、先生は、いつでも更に高いところに立つて
 おいでになる。結局、足もとにも寄りつけないと感じながら、ついて行く
 のである。」
といつてゐる。顔回なればこそ、偉大な孔子の全面を、よくみとめることができたのである。
      六
「先生が生きていらつしやる限り、どうして私が死ねませう。」
といつた顔回が、先生よりも先に死んでしまつた。
 ある日、魯
(ろ)の哀公(あいこう)が孔子に、
「おんみの弟子のうち、最も學を好むものはだれか。」
とたづねた。孔子は、
「顔回といふ者がをりました。學を好み、過ちも二度とはしない男でございま
 したが、不幸にも短命でございました。」
と答へた。



    十八 奈良
(なら)の四季

  若草山も春日
(かすが)野も
  かすみこめたる春景色、
  古き都のなごりとて
  花はむかしの色に咲く。
  古人いへらく、
   奈良七重七堂伽藍
(がらん)八重櫻。

  大佛殿に佛燈の
  光は今もかがやきて、
  正倉
(しやうさう)院は天平の
  むかしを固く封じたり。
  古人いへらく、
   虫干しやをひの僧とふ東大寺。

  鹿
(しか)の鳴く音にさそはれて、
  三笠
(みかさ)の山をはなれけん、
  滿月はやく猿澤
(さるさは)の 
  池の水
(み)の面(も)に浮かびたり。
  古人いへらく、
   仲麻呂
(なかまろ)の魂祭せん今日の月。

  佐保の川原は水あせて、
  石にささやく音靜か。
  かへりみすれば葛城
(かつらぎ)
  山のいただき雪白し。 
  古人いへらく、
   大佛を見かけて遠き冬野かな。



    十九 萬葉集

 今を去るほぼ千二百年の昔、萬葉集が編纂された。
 有名な歌人、柿本人麻呂
(かきのもとのひとまろ)や、山部赤人(やまべのあかひと)の作は萬葉集によつて傳へられてゐる。
 東
(ひむがし)の野にかぎろひの立つ見えてかへりみすれば月かたぶきぬ
人麻呂の歌である。文武
(もんむ)天皇がまだ皇子でいらつしやつたころ、大和(やまと)の安騎野(あきの)で狩をなさつた。人麻呂も御供に加つた。野中の一夜は明けて、東には今あけぼのの光が美しく輝き、ふり返つて西を見れば、殘月が傾いてゐる。東西の美しさを一首の中によみ入れた、まことに調子の高い歌である。人麻呂は、特に歌の道にすぐれてゐたので、後世歌聖とたたへられた。
 和歌の浦に潮みち來れば潟
(かた)をなみあしべをさしてたづ鳴きわたる
紀伊
(きい)の國へ行幸の御供をした時、赤人が作つた歌である。「和歌の浦に潮が滿ちて來ると、干潟がなくなるので、あしの生ひ茂つてゐる岸べをさして、鶴が鳴きながら飛んで行く。」といふ意味で、ひたひたと寄せる潮の靜かな音、鳴きながら飛んで行く鶴の羽ばたきまでが、聞かれるやうな感じのする歌である。
 をのこやも空しかるべき萬代に語りつぐべき名は立てずして
山上憶良
(やまのうへのおくら)の作である。憶良は、遣唐使(けんたうし)に從つて支那へ渡つたこともある。この歌は、「いやしくも男と生まれた以上、萬代に傳ふべき名も立てないで、どうして空しく死なれようか。」といふのであつて、後人を奮起させるものがある。
 あをによし奈良
(なら)の都は咲く花のにほふがごとく今さかりなり
東大寺の大佛ができ、インドから高僧が渡海して來たころのはなやかな奈良の都を、ありありと見るやうな氣がする。小野老
(をののおゆ)の歌である。
 萬葉集には短歌が多いが、後世の歌集に比べて長歌の多いのが、一つの特色となつてゐる。
 大和には群山
(むらやま)あれど、
 とりよろふ天
(あめ)の香具(かぐ)山、
 登り立ち國見をすれば、
 國原はけぶり立ち立つ、
 海原はかまめ立ち立つ。
 うまし國ぞ、
 あきつ島大和の國は。
舒明
(じよめい)天皇の御製で、長歌としては短いものの一つである。「大和の國には、たくさんの山々があるが、中でもりつぱに整つた香具山に登つて、國のやうすを見ると、平地は廣々として、かまどの煙があちらこちらに立ちのぼり、海のやうに見渡される池には、かもめがあちらこちらに飛び立つてゐる。大和は、ほんたうにりつぱなよい國である。」といふのであつて、美しい光景を目の前に見るやうにお歌ひになつてゐる。
 萬葉集の歌は、まことに雄大であり明朗である。それは、わが古代の人々が、雄大明朗の氣性を持ち、極めて純な感情に生きてゐたからである。「萬葉」とは「萬世」の意で、萬世までも傳へようとした古人の心を、われわれは讀むことができるのである。 


    二十 修行者と羅刹
(らせつ)

 
色はにほへど散りぬるを、
 わがよたれぞ常ならむ。

どこからか聞えて來る尊いことば。美しい聲。
 ところは雪山
(せっせん)の山の中である。長い間の難行苦行に、身も心も疲れきつた一人の修行者が、ふとこのことばに耳を傾けた。
 いひ知れぬ喜びが、かれの胸にわきあがつて來た。病人が良藥を得、渇者が耄笋平紊鯑世燭里砲發泙靴董大きな喜びであつた。
「今のは佛の御聲でなかつたらうか。」
と、かれは考へた。しかし、「
花は咲いてもたちまち散り、人は生まれてもやがて死ぬ。無常は生ある者の免れない運命である。」といふ今のことばだけでは、まだ十分でない。もしあれが佛のみことばであれば、そのあとに何か續くことばがなくてはならない。かれには、さう思はれた。
 修行者は、座を立つてあたりを見まはしたが、佛の御姿も人影もない。ただ、ふとそば近く、恐しい惡魔
(あくま)の姿をした羅刹のゐるのに氣がついた。
「この羅刹の聲であつたらうか。」
さう思ひながら、修行者は、じつとそのものすごい形相を見つめた。
「まさか、この無知非道な羅刹のことばとは思へない。」
と、一度は否定してみたが、
「いやいや、かれとても、昔の御佛に海悗鯤垢なかつたとは限らない。よ
 し、相手は羅刹にもせよ、惡魔にもせよ、佛のみことばとあれば聞かなけ
 ればならない。」
修行者はかう考へて、靜かに羅刹に問ひかけた。
「いつたいおまへは、だれに今のことばを海悗蕕譴燭里。思ふに、佛のみこ
 とばであらう。それも前半分で、まだあとの半分があるに違ひない。前半分
 を聞いてさへ、私は喜びにたへないが、どうか殘りを聞かせて、私に悟りを
 開かせてくれ。」
すると、羅刹はとぼけたやうに、
「わしは、何も知りませんよ、行者さん。わしは腹がへつてをります。あんま
 りへつたので、つい、うは言が出たかも知れないが、わしには何も覺えがな
 いのです。」
と答へた。
 修行者は、いつそう謙遜な心でいつた。
「私はおまへの弟子にならう。終生の弟子にならう。どうか、殘りを海悗討
 ただきたい。」
羅刹は首を振つた。
「だめだ、行者さん。おまへは自分のことばつかり考へて、人の腹のへつてゐ
 ることを考へてくれない。」
「いつたい、おまへは何をたべるのか。」
「びつくりしちやいけませんよ。わしのたべ物といふのはね、行者さん、人間
 の生肉、それから飲み物といふのが、人間の生き血さ。」
といふそばから、さも食ひしんばうらしく、羅刹は舌なめずりをした。
 しかし、修行者は少しも驚かなかつた。
「よろしい。あのことばの殘りを聞かう。さうしたら、私のからだをおまへに
 やつてもよい。」
「えつ。たつた二文句ですよ。二文句と、行者さんのからだと、取りかへつこ
 をしてもよいといふのですかい。」
修行者は、どこまでも眞劒であつた。
「どうせ死ぬべきこのからだを捨てて、永久の命を得ようといふのだ。何でこ
 の身が惜しからう。」
かういひながら、かれはその身に着けてゐる鹿
(しか)の皮を取つて、それを地上に敷いた。
「さあ、これへおすわりください。つつしんで佛のみことばを承りませう。」
 羅刹は座に着いて、おもむろに口を開いた。あの恐しい形相から、どうしてこんな聲が出るかと思はれるほど美しい聲である。
有爲(うゐ)の奥山今日越えて、
 淺き夢見じ醉
(ゑ)ひもせず。

と歌ふやうにいひ終ると、
「たつたこれだけですがね、行者さん。でも、お約束だから、そろそろごちそ
  うになりませうかな。」
といつて、ぎよろりと目を光らした。
 修行者は、うつとりとしてこのことばを聞き、それをくり返し口に唱へた。すると、
生死を超越してしまへば、もう淺はかな夢も迷ひもない。そこにほんたうの
  悟りの境地がある。

といふ深い意味が、かれにはつきりと浮かんだ。心は喜びでいつぱいになつた。
 この喜びをあまねく世に分つて、人間を救はなければならないと、かれは思つた。かれは、あたりの石といはず、木の幹といはず、今のことばを書きつけた。
 色はにほへど散りぬるを、
 わが世たれぞ常ならむ。

 
有爲の奥山今日越えて、
 淺き夢見じ醉ひもせず。
 
書き終ると、かれは手近にある木に登つた。そのてつぺんから身を投じて、今や羅刹の餌食(ゑじき)にならうといふのである。
 木は、枝や葉を震はせながら、修行者の心に感動するかのやうに見えた。修行者は、
「一言半句の海悗里燭瓩法△海凌箸鮗里討襪錣譴鮓よ。」
と高らかにいつて、ひらりと樹上から飛んだ。
 とたんに、妙なる樂の音が起つて、朗かに天上に響き渡つた。と見れば、あの恐しい羅刹は、たちまち端嚴な帝釋天
(たいしやくてん)の姿となつて、修行者を空中にささげ、さうしてうやうやしく地上に安置した。
 もろもろの尊者、多くの天人たちが現れて、修行者の足もとにひれ伏しながら、心から禮拜した。
 この修行者こそ、ただ一すぢに道を求めて止まなかつた、ありし日のお釋迦
(しやか)樣であつた。 



    二十一 末廣がり

大名 「このあたりの大名でござる。太郎冠者(くわじや)あるか。」
冠者 「お前に。」
大名 「たいそう早かつた。汝を呼び出したのは、餘の儀ではない。明日のお客
   の引出物に、末廣がりを出さうと思ふ。汝は大儀ながら京へのぼり、急
     いで求めてまゐれ。」
冠者 「かしこまりました。」
大名 「急げ。」
冠者 「はつ──さてさて、それがしの主人は、立板に水を流すやうにものをい
    ひつけられるお方ぢや。まづ急いでまゐらう。とかく申すうちに、これ
     はもう都ぢや。や、うかと致した。それがしは末廣がり屋を存ぜぬが、
     何と致さう。や、物の欲しい時は、大聲に呼ばはるものと見える。それ
     がしも呼ばはつてみよう。末廣がりを買はう、末廣がりを買はう。」
わる者「これは京に住まひ致すわる者でござる。何者かは知らぬが、わいわい
     わめいてゐる。ひとつ當つてみませう──なうなう、そなたは何をわい
     わいわめいてゐられるぞ。」
冠者 「それがしは、田舎(ゐなか)からまゐつた者でござる。末廣がり屋を知ら
     ぬによつて、かやう申すのでござる。」
わる者「それがしは、末廣がり屋の主人でござる。」
冠者 「それは仕合はせなこと。末廣がりはござらうか。」
わる者「いかにも。」
冠者 「急いで見せてくだされ。」
わる者「心得ました──はて、何を賣つてくれようか。や、よいことがある。
     これにからかさがあるから、これを賣つてやらう──なうなう、田舎の
     人、これぢや。」
冠者 「や、それが末廣がりでござるか。」
わる者「いかにも。」
冠者 「なるほど、廣げれば大きな末廣がりぢや。ここに御主人の書きつけがあ
     るによつて、それに合つたらば買ひませう。」
わる者「では、お讀みくだされ。」
冠者 「まづ地紙よくとござる。」
わる者「これ、地紙とはこの紙のこと。きつねの鳴くやうに、こんこんといふほ
     ど、よく張つてござる。」
冠者 「骨みがき。」
わる者「これ、骨みがきとはこの骨のこと。とくさをかけてみがいてあるによつ
     て、すべすべ致す。」
冠者 「要(かなめ)もとしめて。」
わる者「かう廣げて、この金物でじつとしめるによつて、要もとしめてでござ
     る。」
冠者 「さてさて、書つけに合つてうれしうござる。して、價はいかほどでござ
     らうか。」
わる者「高うござるぞ。」
冠者 「いくらほどでござるぞ。」
わる者「十兩でござる。」
冠者 「それはまた高いことぢや。一兩ばかりになりますまいか。」
わる者「なう、そこな人、そのやうに安いものではござらぬ。賣りますまい。」
冠者 「いや、十兩のうち、一兩ばかりも引いてくださらぬかといふのでござ
     る。」
わる者「よろしうござる。賣つてあげませう。」
冠者 「かたじけなうござる。さらば、さらば。」
わる者「なうなう、そなたは定めて主人持ちでござらう。」
冠者 「いかにも。」
わる者「主人といふ者は、きげんのよいこともあり、惡いこともある。もし、き
     げんが惡うござつたら、かうかうはやして舞はれたらよからう。」
冠者 「さてさて、かたじけなうござる──まづ御主人に急いでお目にかけよ
     う。殿樣、ござりますか。」
大名 「太郎冠者、もどつたか。」
冠者 「歸りました。」
大名 「大儀であつた。急いで見せい。」
冠者 「はつ。」
大名 「これは何ぢや。」
冠者 「末廣がりでござります。」
大名 「これが。」
冠者 「はあ。殿樣の御合點まゐらぬも道理でござります。かう致しますと、
   ぐつと廣がります。」
大名 「いかにも大きな末廣がりぢや。して、あの書きつけに合はせてみた
     か。」
冠者 「合はせましたとも。お讀みくだされ。」
大名 「まづ地紙よく。」
冠者 「それこそ氣をつけました。これ、この通り、きつねの鳴くやうに、こん
     こんといふほど、よく張つてござります。」
大名 「骨みがきは。」
冠者 「これ、この骨でござります。とくさをかけてみがいてあるによつて、す
     べすべ致します。」
大名 「要もとしめては。」
冠者 「かう廣げまして、この金物でじつとしめます。」
大名 「やい、太郎冠者。そちは末廣がりを知らぬな。末廣がりとは、扇のこと
     ぢや。おのれは古がさを買うて來て、やれ末廣がりで候の、骨みがきで
     候のと申しをる。すさりをらう。」
冠者 「お許しくだされ──さういはれれば、なるほどこれは古がさぢや。これ
     は、へんなことになりをつた。おお、さうぢや。あれをはやして、ごき
     げんをなほさう。
    えいえい、
    かさをさすならば、
    人がかさをさすならば、
    おれもかさをささうよ。」
大名 「や、おのれ、買物にはまんまとだまされて、申しわけに、はやしもの
     をするとは。いやいや、あきれたやつめ。や、これはこれは。や、これ
     はおもしろいぞ。
    げにもさうよ、
    げにもさうよの。
    かさをさすならば、
    人がかさをさすならば、
    おれもかさをささうよ。
    げにもさうよ、
    げにもさうよの。」  
      

 

      (注) 1. 文部省発行の暫定教科書 『初等科國語 七』(第6学年前期用)は、昭和21年3月20
        日第一分冊翻刻発行、昭和21年5月25日第二分冊翻刻発行、昭和21年7月30日第
        三分冊翻刻発行と、3回に分けて発行されました。
       2. この教科書本文は、『文部省著作 暫定教科書(国民学校用) 第三巻』(中村紀久
        二監修、大空社 昭和59年5月26日発行)によりました。
       3. この教科書は、今までの『初等科國語 七』『初等科國語 八』の教科書の中から、適
        当な教材を引き、教材によっては一部手直しや削除を施して収録したものです。(例え
        ば、「いけ花」の文章中から、「いつか隣りのお子さんをつれて、ニュース映畫を見に行
                きました。映畫の中に、日本の兵隊さんが、山の谷あひを長い列になつて、進軍して行
        くところが寫りました。みんな銃をかついで、重さうな背嚢
(はいなう)を背負つて歩いてゐ
        ました。よく見ると肩のところに、野菊の枝をつけてゐる兵隊さんがゐました。それも一
        人でなく、何人も何人も、つけてゐました。あの強い日本の兵隊さんが、こんなものやさ
        しい心を持つてゐられるのかと、ふと思ひました。さうして、ほんたうに勇ましい人の心
        の中には、かうしたやさしい情がこもつてゐるのだと考へさせられました。それでこそ、
        世界の人々をびつくりさせるやうな大東亞戰爭を、戰ひぬくことができるに違ひありませ
        ん。」という部分を削除して掲載したり、「われは海の子」の最終連、「いで軍艦に乘り組
        みて、われは護らん海の國」を、「いで大船に乘り組みて、われはさぐらん海の幸」とする
        など。)
       4. この『初等科國語 七』の教科書は、国民学校6年生前期用の教科書です。
          昭和16年に国民学校の1年生に入学した生徒たちは、昭和20年8月、5年生の時に
        終戦を迎えましたので、昭和21年度6年生の時には、この暫定教科書を使いました。新
        聞のように印刷された紙を配られ、自分で折りたたんで切りそろえ、綴じて適当な表紙を
        つけて使いました。
          翌昭和22年には別の教科書が作られたので、この教科書はたった1年間使用された
         だけの教科書でした。
       5. 資料263に、国民学校暫定教科書『初等科国語八』(本文)(第六学年後期用)があ
         ります。
       6. 昭和20年度までの『初等科國語 七』及び『初等科國語 八』の教科書本文は、資料
        199『初等科國語 七』の本文(全文)、資料210『初等科國語 八』の本文(全文)をご覧
        下さい。
       7.  資料154に 『初等科國語 一』の本文(全文) があります。
           資料156に 『初等科國語 二』の本文(全文) があります。
   
           資料179に 『初等科國語 三』の本文(全文) があります。
 
             資料186に 『初等科國語 四』の本文(全文)があります。
               資料189に 『初等科國語 五』の本文(全文) があります。
               資料196に 『初等科國語 六』の本文(全文) があります。
           資料199に 『初等科國語 七』の本文(全文) があります。
                     資料210に 『初等科國語 八』の本文(全文) があります。
       8. 資料223に「文部省発行の暫定教科書『初等科國語七』『初等科國語八』目録」があり、
        そこに暫定教科書について書かれた論文の案内も出ていますので、ご覧下さい。
       9. 国立国会図書館の『レファレンス協同データベース』に、暫定教科書についての質問に
        対する回答があり、参考になります。


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