資料196 国民学校国語教科書『初等科國語六』(本文)
 

 


      
『初等科國語 六』        


    目 録

 

 

   一  明治神宮
   二  水兵の母
   三  姿なき入城
   四  稻むらの火
   五  朝鮮のゐなか
   六  月の世界
   七  柿の色
   八  初冬二題
   九  十二月八日
   十  不沈艦の最期
   十一 世界一の織機
   十二 水師營
   十三 元日や
   十四 源氏と平家
   十五 漢字の音と訓
   十六 塗り物の話
   十七 ばらの芽
   十八 敵前上陸
   十九 病院船
   二十 ひとさしの舞

   附 録
   一 土とともに   二 愛路少年隊
   三 胡同風景 




 

 


    一 明治神宮

     參拜
 神宮橋を渡りて、まづ仰ぐ大鳥居に、菊花の御紋章を拜するかしこさ。南參道に入れば、夜來の雨に罎瓩蕕譴袈椋粛、さくさくと鳴りて、參拜の人々、あたかもいひ合はせたるごとく、足並みのおのづからそろふも尊く思はる。御造營當時、國民の眞心もてたてまつりたる木々は、參道の左右を始め、到るところすき間もなき木立となりて、神域
(しんゐき)いよいよ嚴かならんとす。
 左折して更に大鳥居を過ぎ、神氣身にせまるをおぼえつつ、靜かに歩みを移せば、參道はまた右折す。この時、正面やや遠く拜する南神門のけだかさ、美しさ。玉垣に連なる鳥居の奥に、すがすがしき赤松の木立を負ひたる樓門
(ろうもん)は、一幅の繪畫に似て、しかも尊嚴のおもむきをそへたり。
 水屋の水に口をすすぎて、この門を入れば、中央の拜殿、左右の廻廊
(くわいらう)、庭上の白砂、すべて罎蕕に、嚴なり。
 拜殿に進み、明治天皇・昭憲皇太后御二柱の神の御前に、うやうやしくぬかづく。
 つつしみて、御在世中の大御歌・御歌をしのびまつれば、とこしへに民やすかれといのるなるわがよをまもれ伊勢
(いせ)のおほかみ
 神風の伊勢の内外の宮柱ゆるぎなき世をなほ祈るかなと、神かけて祈らせたまへるを、今とこしへに神靈
(しんれい)としづまりまして、御みづから世を守り、國をしづめ、民草をもみそなはすらん。大御心のかたじけなさ、そぞろに涙のわき出づるをおぼゆ。
     寶物殿
 西神門を出でて行く道は、しばし森林の奥に人をいざなふ。やがて木立遠ざかりてみどりの芝生
(しばふ)遠く廣く續き、道いとはるかなるかなたに、寶物殿を望む。
 殿内に入りて御遺物を拜觀す。日常の御生活のいかに御儉素にわたらせられしか。御机は紫檀
(したん)にも鄰(こくたん)にもあらずして、ただ遒ぬり机なり。竹の御硯箱は何のかざりもなく、筆・鉛筆等、國民學校生徒の用ふる物と異なるところなし。昭憲皇太后の御硯箱は、ふたの裏に石盤(せきばん)をはめ、石筆はちびてわづかに寸餘を殘すのみ。まことにおそれ多き極みといふべし。
     舊御殿舊御苑
(ぎよゑん)
 
舊御殿・舊御苑は、もと南豐島(としま)御料地の内にて、御二柱の神に御由緒(ゆゐしよ)深きところ。御殿とは申せど、質素なる平屋にして、行幸ありし時の玉座今もそのままに拜せらる。
 舊御苑に入れば、木立深く、道めぐり、池の眺め廣きところに、御茶屋ありて、隔雲亭
(かくうんてい)といふ。ほのかに承れば、この御苑は、明治天皇御みづから、森の下道・下草まで何くれと御仰せありて、自然のままに作らせたまひ、昭憲皇太后かぎりなくめでさせたまひて、しばしば行啓あらせられたりとぞ。昔の武蔵野(むさしの)の面影、そのまま今に殘りて、とこしへに大御心をしのびまつるも、いとかしこしや。


    二 水兵の母

 明治二十七八年戰役の時であつた。ある日、わが軍艦高千穗
(たかちほ)の一水兵が、手紙を讀みながら泣いてゐた。ふと、通りかかつたある大尉がこれを見て、餘りにめめしいふるまひと思つて、
「こら、どうした。命が惜しくなつたか。妻子がこひしくなつたか。軍人
 となつて、軍に出たのを男子の面目とも思はず、そのありさまは何事
 だ。兵士の恥は艦の恥、艦の恥は帝國の恥だぞ。」
と、ことばするどくしかつた。  
 水兵は驚いて立ちあがりしばらく大尉の顔を見つめてゐたが、
「それは餘りなおことばです。私には、妻も子もありません。私も、日本
 男子です。何で命を惜しみませう。どうぞ、これをごらんください。」
といって、その手紙をさし出した。                
 大尉がそれを取つて見ると、次のやうなことが書いてあつた。
「聞けば、そなたは豊島
(ほうたう)沖の海戰にも出でず、八月十日の威海衛
 
(ゐかいゑい)攻撃とやらにも、かくべつの働きなかりし由、母はいかにも
 殘念に思ひ候。何のために軍には出で候ぞ。
一命を捨てて、君の御恩に
 報ゆるために
は候はずや。村の方々は、朝に夕に、いろいろとやさしく
 お世話なしくだされ、一人の子が、御國のため軍に出でしことなれば、
 定めて不自由なることもあらん。何にてもゑんりよなくいへと、しんせ
 つに仰せくだされ候。母は、その方々の顔を見るごとに、そなたのふが
 ひなきことが思ひ出されて、この胸は張りさくるばかりにて候。八幡
(は
   ちまん)
樣に日參致し候も、そなたが、あつぱれなるてがらを立て候やう
 との心願に候。母も人間なれば、わが子にくしとはつゆ思ひ申さず。い
 かばかりの思ひにて、この手紙をしたためしか、よくよくお察しくださ
 れたく候。」   
大尉は、これを讀んで思はず涙を落し、水兵の手をにぎつて、
「わたしが惡かつた。おかあさんの心は、感心のほかはない。おまへの殘
 念がるのも、もつともだ。しかし、今の戰爭は昔と違つて、一人で進ん
 で功を立てるやうなことはできない。將校も兵士も、皆一つになつて働
 かなければならない。すべて上官の命令を守つて、自分の職務に佑鮟
 すのが第一だ。おかあさんは、一命を捨てて君恩に報いよといつてゐら
 れるが、まだその折に出あはないのだ。豊島沖の海戰に出なかつたこと
 は、艦中一同殘念に思つてゐる。しかし、これも仕方がない。そのうち
 に、はなばなしい戰爭もあるだらう。その時には、おたがひにめざまし
 い働きをして、わが高千穗の名をあげよう。このわけをよくおかあさん
 にいつてあげて、安心なさるやうにするがよい。」
といひ聞かせた。
 水兵は、頭をさげて聞いてゐたが、やがて手をあげて敬禮し、につこりと笑つて立ち去つた。



    三 姿なき入城

  
いとし子よ、
  ラングーンは落ちたり。
  いざ、汝も
  勇ましく入城せよ、
  姿なく、
  聲なき汝なれども。

  昭和十六年十二月、
  ラングーン第一回の爆撃に、
  汝は、別動隊編隊
(へんたい)機長として、
  近郊ミンガラドン飛行場にせまり、
  敵スピットファイヤー二十數機と、
  空中戰はなばなしく、
  陸鷲
(りくわし)は、その十六機をほふれり。
  更にラングーンの上空に現れ、
  巨彈
(きよだん)を投じたる一瞬(いつしゆん)
  敵高射砲彈は、
  汝が愛機の胴體を貫ぬきつ。

  機は、たちまちほのほを吐き、
  翼は、空中分解を始めぬ。
  汝、につこりとして天蓋
(てんがい)を押し開き、
  二王立ちとなつて僚機に別れを告げ、
 「天皇陛下萬歳。」を奉唱、
  若き血潮に、
  大空の積亂雲をいろどりぬ。

  それより七十六日
  汝は、母の心に生きて、
  今日の入城を待てり。
  今し、母は齋壇
(さいだん)をしつらへ、
  日の丸の小旗二もとをかかげつ。
  一もとは、すでになき汝の部隊長機へ、
  一もとは、汝の愛機へ。
  いざ、親鷲を先頭に、
  続け、若鷲。
  ラングーンに花と散りにし汝に、
  見せばやと思ふ今日の御旗ぞ。

  いとし子よ、
  汝、ますらをなれば、
  大君の御楯
(みたて)と起ちて、
  たくましく、
  ををしく生きぬ。
  いざ、今日よりは
  母のふところに歸りて、
  安らかに眠れ、
  幼かりし時
  わが乳房
(ちぶさ)にすがりて、
  すやすやと眠りしごとく。

    

        四 稻むらの火

「これは、ただごとでない。」
とつぶやきながら、五兵衛は家から出て來た。今の地震は、別に激しいといふほどのものではなかつた。しかし、長い、ゆつたりとしたゆれ方と、うなるやうな地鳴りとは、年取つた五兵衛に、今まで經驗したことのない、無氣味なものであつた。
 五兵衛は、自分の家の庭から、心配さうに下の村を見おろした。村では、豐年を祝ふよひ祭の支度に心を取られて、さつきの地震には、一向氣がつかないもののやうである。
 村から海へ移した五兵衛の目は、たちまちそこに吸ひつけられてしまつた。風とは反對に、波が沖へ沖へと動いて、見る見る海岸には、廣い砂原や、遒ご篦譴現れて來た。
「大變だ。津波
(つなみ)がやつて來るに違ひない。」と、五兵衛は思つた。このままにしておいたら、四百の命が、村もろとも一のみにやられてしまふ。もう、一刻もぐづぐづしてはゐられない。
「よし。」
と叫んで、家へかけ込んだ五兵衛は、大きなたいまつを持つてとび出して來た。そこには、取り入れるばかりになつてゐるたくさんの稻束が積んである。
「もつたいないが、これで村中の命が救へるのだ。」
と、五兵衛は、いきなりその稻むらの一つに火を移した。風にあふられて、火の手がぱつとあがつた。一つまた一つ、五兵衛はむちゆうで走つた。かうして、自分の田のすべての稻むらに火をつけてしまふと、たいまつを捨てた。まるで失神したやうに、かれはそこに突つ立つたまま、沖の方を眺めてゐた。
 日はすでに沒して、あたりがだんだん薄暗くなつて來た。稻むらの火は、天をこがした。山寺では、この火を見て早鐘をつき出した。
「火事だ。莊屋
(しやうや)さんの家だ。」
と、村の若い者は、急いで山手へかけ出した。續いて、老人も、女も、子どもも、若者のあとを追ふやうにかけ出した。
 高臺から見おろしてゐる五兵衛の目には、それが蟻
(あり)の歩みのやうにもどかしく思はれた。やつと二十人ほどの若者が、かけあがつて來た。かれらは、すぐ火を消しにかからうとする。五兵衛は、大聲にいつた。
「うつちやつておけ。──大變だ。村中の人に來てもらふんだ。」
 村中の人は、おひおひ集つて來た。五兵衛は、あとからあとからのぼつて來る老幼男女を、一人一人數へた。集つて來た人々は、もえてゐる稻むらと五兵衛の顔とを、代る代る見くらべた。
 その時、五兵衛は、力いつぱいの聲で叫んだ。
「見ろ。やつて來たぞ。」
 たそがれの薄明かりをすかして、五兵衛の指さす方を一同は見た。遠く海の端に、細い、暗い、一筋の線が見えた。その線は、見る見る太くなつた。廣くなつた。非常な速さで押し寄せて來た。
「津波だ。」
と、だれかが叫んだ。海水が、絶壁のやうに目の前にせまつたと思ふと、山がのしかかつて來たやうな重さと、百雷の一時に落ちたやうなとどろきとで、陸にぶつかつた。人々は、われを忘れて後へとびのいた。雲のやうに山手へ突進して來た水煙のほかは、一時何物も見えなかつた。
 人々は、自分らの村の上を荒れくるつて通る、白い、恐しい海を見た。二度三度、村の上を、海は進みまた退いた。
 高臺では、しばらく何の話し聲もなかつた。一同は、波にゑぐり取られてあとかたもなくなつた村を、ただあきれて見おろしてゐた。
 稻むらの火は、風にあふられてまたもえあがり、夕やみに包まれたあたりを明かるくした。始めてわれにかへつた村人は、この火によつて救はれたのだと氣がつくと、ただだまつて、五兵衛の前にひざまづいてしまつた。


    五 朝鮮のゐなか

     秋
 秋の空は、實に高い。さうして色が深い。紺
(こんじやう)の大空には、晝の月がうつすらと出て、日は西へ傾きかけてゐる。もろこしの葉を、かさかさと秋風がゆする。
 秋の日をまともに受けた駐在
(ちゆうざい)所の庭で、一郎と貞童(ていどう)が遊んでゐる。貞童が、萩(はぎ)のはうきでとんぼを追ひかけると、とんぼはすいとそれて、豆畠の方へ飛んで行つてしまつた。
「とんぼ、とんぼ、
 あつちへ行けば地獄
(ぢごく)
 こつちへ来れば極楽
(ごくらく)。」
貞童が歌ふと、一郎は、
「反對だ。きみ、とんぼを取るんだらう。」
「うん、取るんだ。」
「では、こつちへ來れば地獄ぢやないか。」
「さういはないと取れないよ。」
二人は笑ひながら、豆畠の方へ走つて行く。豆が、かさかさと音をたてる。
 どの家も、オンドルをたきだしたと見えて、紫色の煙が村中にただよつてゐる。その煙の中に、ぽかりぽかり、わら屋根が浮いて見える。まだ西日を受けてゐる屋根に、干してあるたうがらしが眞赤だ。高くのびたポプラや、茂つたアカシヤは、あざやかな黄色。櫻も紅葉して、みんな赤い夕日を受けてゐる。
 一郎と貞童は、とんぼ取りをやめて歸つて來た。
「生かしておかうや。」
貞童は、豆の葉の柄で作つた虫かごに、とんぼを入れた。
「動かないよ。」
二人はじつととんぼを見てゐる。市場歸りの朝鮮馬が、けたたましく鳴いて過ぎる。夕べの光をかすかに殘した大空を、雁
(がん)の群が渡つてゐる。
「雁、雁、わたれ。
 大きな雁はさきに、
 小さな雁はあとに、
 仲よくわたれ。」
一郎と貞童が、空に向かつて歌つた。

     冬の夜
 夜になつても薄悗ざ。その空に、星がいつぱいこほりついたやうにして、またたいてゐる。井戸端のうるしの木が、ぬうつと立つてゐる。

 ぽこん、ぽこんといふ音が通つて行く。水汲みに來た女の頭の上の水がめが、ゆれて鳴る音だ。寒さが骨身にしみて、しいんとする。
 オンドル部屋の中では、薄暗いランプの火が、心細くゆれてゐる。おぢいさんが、孫を寢つかせようとして話をしてゐる。
「この村に、古いけやきの木があるだらう。おばけが、あのけやきにゐた。」
「それがどうしたの。」
「そばを通る子どもに、いたづらをした。」
「どうして、いたづらをしたの。」
「いたづらずきのおばけだからさ。」
「どんないたづらをしたの。」
おぢいさんは、口をむにやむにやさせて、なかなか答へない。ふくろふの鳴く聲が聞える。
 別な部屋では、息子を相手に、父がかますを織つてゐる。
「これが五枚めだつたな。」
「はい、五枚めです。」
「どうだ、六枚織れるか。」
「織りませう、おとうさん。」
息子が元氣に答へる。話しながらも、二人の手が器用に動く。そばでは、母が、娘を相手にきぬたを打つてゐる。
「これだけ、たたいてしまはう。」
母が棒を取つて、とんとひやうしを取つた。とんからとんから、調子のよい音が流れ出した。



    六 月の世界

     望遠鏡で見た月
「きみ、今夜うちへ來ないか。」
學校の門を出ると、正男くんがぼくにかういつた。
「どうして。」
「にいさんが天體望遠鏡を作つたんだ。」
「ほう。」
「月がすばらしいよ。よかつたら見に來たまへ。」
 夕方、まだ明かるい空に、半月が光り始めた。おかあさんにさういつて、夕飯がすむとすぐ出かけた。
 行つてみると、正男くんのうちでは、もう縁先に望遠鏡をすゑつけて、にいさんと正男くんが、代る代る觀測をしてゐる。長さ一メートルばかりの望遠鏡が、三脚
(きやく)の上にのつてゐる。
「りつぱな望遠鏡ですね。」
と、ぼくがにいさんにいふと、正男くんは、
「これでにいさんのお手製なんだ。見たまへ、筒
(つつ)はボール紙だらう。三脚は、やつときのふできあがつた。ぼくも、ずゐぶん手傳つたよ。」
「レンズは。」
「買つたのさ。レンズは、だいぶ上等なんだ。」
正男くんは、さも自分で買つたやうな口振りでいふ。にいさんは、初めからにこにこしながらだまつてゐた。
「さあ、きみものぞいてごらん。」
と、正男くんにいはれて、ぼくは望遠鏡に目を近寄せた。
 望遠鏡の圓い視野に、月がくつきりと浮き出して見える。それは肉眼で見るのとすつかり感じが違つて、今に露でもしたたりさうな、なまなましい、あざやかな美しさである。
「きれいだなあ。」
ぼくが思はず叫ぶと、正男くんが、
「きれいだらう。」
とあひづちを打つやうにいふ。だが、よく見ると、月の表面は決してなめらかではない。一面にざらざらしたやうな感じである。殊に、半月のかけた部分に近く、蜂
(はち)の巣(す)を思はせるやうなでこぼこが、目立つて見える。
「月の顔には、ずゐぶんあばたがあるね。」
と、ぼくがいつたので、にいさんも正男くんも、笑つた。
 それからも、三人代る代るのぞきながら、にいさんからおもしろい説明を聞いた。
     
にいさんの説明
 
あのあばたのやうに見えるのは、大部分が火山で、穴は噴火(ふんくわ)口です。こんな小さな望遠鏡でさへ、はつきり見えるのですから、噴火口は、非常に大きなものだといふことが考へられます。いちばん大きなのは、直徑が二百キロもあるといはれてゐます。かうした火山は、どれもこれもけはしくて、低いのでも三百メートル、高いのになると、八千メートル──富士山の二倍以上もあるのがあります。もちろん、月は地球と違つて、とつくの昔、すつかり冷えてしまつた天體ですから、火山といつても、みんな死火山ですがね。
 それから、よく見なさい。月の中に薄遒ぁ大きな斑點
(はんてん)のやうなものがあるでせう。あれは海といはれる部分ですが、月には水が一しづくもありませんから、海といふより、平原といつた方がよいかも知れません。たぶん、昔、このたくさんな火山からふき出した熔岩(ようがん)が、流れて固まつたものでせう。
 月には水がないといひましたが、水ばかりか空氣もないのです。したがつて、雲や、雨や、あらしや、さういつた、この地球上に見られる氣象現象は、一つもありません。月は、いつも湘靴覆里任后この望遠鏡で見てもわかるやうに、月のどこ一つくもつたところがないのが、その證據
(しようこ)です。しかも、空氣も水もないとすると、地球上のやうに、太陽から來る光や熱を調節するものがないから、月の世界では、晝はこげつくやうな暑さ、夜はその反對に、ひどい寒さであらうと思はれます。
 まだおもしろいことがあります。かりに、私たちが月の世界へ行つたとすると、そのけしきはどんなものでせう。今もいふやうに、光を調節するものがないから、太陽に照らされた部分は、目が痛いほど光つて見えるでせうが、陰になる部分は、きつと眞遒妨えるに違ひない。ごつごつした火山が、到るところにそびえて、それが眞遒並膓に突つ立つてゐるとしたら、どんなに恐しいけしきでせう。もちろん、草も木もありませんよ。その代り、一つうらやましいと思ふのは、月から見た地球の美觀です。地球の直徑は、月の約四倍ありますから、夜、月から地球を見るとすると、われわれが常に見る月の四倍ぐらゐな地球が、天にかかつて見えるわけです。
 かういふふうに、月の世界は、いはばまつたく恐しい死の世界ですが、それでゐて、昔から月ほどやさしい、平和な氣持を與へてくれるものはありません。その愬鬚ぁ△靴澆犬澆反討靴瓩觚が、われわれに大きな慰めを與へるからです。殊に日本では、昔から月と文學が、まつたく離れられないものになつてゐます。ごらんなさい、歌でも、俳句でも、詩でも、月に關するものがどんなに
多いか。月の世界に都があつて、そこで天人が舞つてゐるなどは、實に美しい想像ですね。今日私たちは、それが死の世界であると知つても、やはり月がなかつたらさびしい。峯の月、大海原の月、椰子(やし)の木かげの月、さういふものがないとしたら、ほとんど生きがひがないと思ふでせう。月は、永久に人間の心の友であり、慰めであります。


      七 柿の色

 かま場より出でし喜三右衛門(きさゑもん)は、しばし縁先にやすらひぬ。
 日は、やや西に傾けり。仰げば庭前の柿の梢は、大空に墨繪をゑがき、すずなりの赤き實、夕日を浴びて、さながら珊瑚珠
(さんごじゆ)のかがやくに似たり。この美しさに、しばし見とれたる喜三右衛門は、ふと何思ひけん、
「おお、それよ。」
とつぶやきて、直ちにまたかま場へ引き返しぬ。
 その日より、喜三右衛門は、赤色の燒きつけに熱中し始めたり。されど、めざす色はたやすく現るべくもあらず、いたづらに燒きてはくだき、くだきては燒き、はてはただばう然として、歎息するばかりなり。
 苦心は、それのみにあらざりき。研究に費す金はしだいにかさみ、しかも工夫に心をうばはれては、おのづから家業もおろそかならざるを得ず。やがて、その日の生計も立ちがたく、弟子たちこの師を見かぎり去りて、手助けをする者一人もなし。人はこの樣を見て、たはけとあざけり、氣違ひとののしる。されど、喜三右衛門は、動かざること山のごとく、一念ただ夕日に映ゆる柿の色を求めて止まざりき。
 かくて數年は過ぎたり。ある日の夕べ、あわただしくかま場より走り出でたるかれは、
「たき木、たき木。」
と叫びつつ、手當りしだいに物を運びて、かまの火にことごとく投じたり。
 その夜、喜三右衛門は、かまのかたはらを離れざりき。鷄の聲を聞きては、はや心も心にあらず。かまの周圍を、ぐるぐるとめぐり歩きぬ。
 夜は、やうやく明けはなれたり。胸ををどらせつつ、やをらかまを開かんとすれば、今しも朝日、はなやかにさし出でて、かま場を照らせり。
 一つまた一つ、血走る眼に見つめつつ、かまより皿を取り出しゐたるかれは、やがて「おお。」と力ある聲に叫びて、立ちあがりぬ。
 ああ、多年の苦心は、つひに報いられたり。かれは、一枚の皿を兩手にささげて、しばしかま場にこをどりしぬ。
 喜三右衛門は、やがて名を柿右衛門と改めたり。
 柿右衛門は、今より三百餘年前、肥前の有田
(ありた)に出でし陶工なり。かれは、その後いよいよ研究を重ね、工夫を積みて、つひに柿右衛門風と呼ばるる、郵なる陶器を製作するにいたれり。その作品は、ひとりわが國にもてはやさるるのみならず、遠く海外にも傳はりて、名工のほまれはなはだ高し。


    八 初冬二題

     ゆず

  今年も、隣りのゆずが黄ばんだ。
  かんとさえた冬空、
  太陽が、まぶしく仰がれる。

  かさこそと、
  竹竿であの木の梢をつついてゐた
  隣りのをぢさんは、今ゐない。
  からたちの垣根越しに、ふとほほ笑んで、
 「あげようか。」と、投げてくれた
  をぢさんは、よい人だつた。
  あの時、ざくつとおや指を皮に突き立てたら、
  しゆつと、しぶきがほとばしつて、
  爪
(つめ)を黄いろく染めたものだつた。

  なつかしいゆずのかをり、
  わたしは、じつと梢を仰ぎ見た、
  今は部隊長になつて、
  戰地へ行つてゐるをぢさんを思ひながら。

     朝飯

  新づけの白菜、
  何といふみづみづしさであらう。
  かめば、さくさくと齒切れよく、
  朝の氣分を新たにする。

  父も、母も、兄も、妹も、
  だまつて箸を動かしてゐる。
  そろつて健康に働く家族の、
  樂しい朝飯だと思へば、
  あたたかい御飯の湯氣が、
  幸福に、私たちの顔を打つ。

  明けて行く朝、
  窓ガラス越しに、林が遒ぁ
  からからと、どこかで荷車の音。
  白い御飯から、
  あたたかいみそ汁から、
  ほかほかと、立ちのぼる湯氣を見つめながら、
  私は、さくさくと白菜をかむ。



    九 十二月八日

 昭和十六年のこの日こそ、われわれ日本人が、永久に忘れることのできない日である。
 この朝、私は、ラジオのいつもと違つた聲を聞いた。さうして、
「帝國陸海軍は、本八日未明、西太平洋において、米英軍と戰鬪状態に入
 れり。」
といふ臨時の知らせを聞いて、はつとした。
 私は、學校へ急ぎながらも、胸は大波のやうにゆれてゐた。勇ましいやうな、ほこらしいやうな、それでゐて、底の底には、何か不安な氣持があることを知つて、
「いつ、米英の飛行機が飛んで來るかも知れないのに、こんなことでどう
 するか。」
と、自分で自分を勵ました。
 朝禮の時間に、校長先生から、戰爭の始つたことについてお話があつた。
「東亞におけるわが國の地位を認めず、どこまでも横車を押し通さうとし
 た米國、及び英國に對して、日本は敢然と立ちあがつたのです。いよい
 よ、來るものが來たのです。私たちは、もうとつくに、覺悟がきまつて
 ゐたはずです。」
 初冬の澄みきつた日ざしが、運動場を照らし、窓を通して骸爾砲気傾んでゐた。
 四時間めに、みんなは講堂へ集つた。さうして、その後のやうすをラジオで聞いた。
「ハワイ空襲。」とか、「英砲艦撃沈。」とか、「米砲艦捕獲
(ほくわく)。」とか、矢つぎ早の勝報である。みんな、胸にこみあげるうれしさを押さへながら、熱心に聞き入った。
 お晝過ぎには、おそれ多くも今日おくだしになつた宣戰の大詔が、ラジオを通して奉讀された。君が代の奏樂ののち、うやうやしく奉讀されるのを、私たちは、かしこまつて聞いた。
 おことばの一言一句も、聞きもらすまいとした。そのうちに、私は、目も、心も、熱くなつて行くのを感じた。
 「天佑
(テンイウ)ヲ保有シ萬世一系ノ皇祚(クワウソ)ヲ踐(フ)メル大日本帝國天皇」と仰せられる國がらの尊さ。この天皇の御ためなればこそ、われわれ國民は、命をささげ奉るのである。さう思つたとたん、私は、もう何もいらないと思つた。さうして、心の底にあつた不安は、まるで雲のやうに消え去つてしまつた。
「皇祚皇宗ノ神靈上ニ在リ。」
と仰せられてゐる。私は、神武天皇の昔、高倉下
(たかくらじ)が神劒を奉り、金のとびが御弓の先に止つたことを思つた。天照大神が、瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)にくだしたまうた神勅を思つた。神樣が、この國土をお生みになつたことを考へた。
 さうだ。私たち國民は、天皇陛下の大命を奉じて、今こそ新しい國生みのみわざに、はせ參じてゐるのである。勇ましい皇軍はもとより、國民全體が、一つの火の丸となつて進む時である。私たち少國民も、この光榮ある大きな時代に生きてゐるのである。
 私は、すつかり明かるい心になつて、學校から歸つた。
 うちでも、母は、ラジオの前で戰況に聞き入つてゐた。
「おかあさん、私は、今日ほんたうに日本の國のえらいことがわかりまし
 た。」
といふと、母も、
「ありがたいおことばを聞いて、まるで天
(あめ)の岩戸があけたやうな氣
 がしますね。さあ、私たちも、しつかりしませうよ。」
といつて、目に涙をためながら、じつと私を見つめた。



    十 不沈艦の最期(さいご) 

     一
 十二月九日の晝過ぎである。
 飛行基地の兵舎では、各攻撃隊の指揮
(しき)官たちが、しきりに作戰をねつてゐる。シンガポール軍港にゐる英國東洋艦隊旗艦プリンス‐オブ‐ウェールズと、戰艦レパルスを、どうしても撃滅しなければならぬ。だが、敵は軍港深くたてこもつて、出港するけはひがない。いつそのこと、こつちから出かけて行つて、軍港内の主力艦をたたきつけるか。さうだ、明日こそ──
 この時であつた。哨戒
(せうかい)中のわが潛水艦から、「敵艦發見。」の第一電が來た。一同、思はず總立ちとなつた。
「各部隊、直ちに出發用意。」
の命令が、八方へ飛ぶ。
 いよいよ出發といふ時は、日沒までわづか一時間餘りしかなかつたが、各部隊は、こをどりして基地を飛び立つた。
 のぼつても、のぼつても、雲である。時々、その切れめから海が見える。わが輸送船が、南下して行くのが見えた。雲はますますこくなり、雲の下では、ものすごくスコールがあばれてゐる。めざす地點に來て、雨をついて雲の下へ出てみたが、敵艦の影はなく、やがて夕やみがたちこめて、何物も見ることができなくなつた。
「引き返せ。」の命令が出た。むちゆうで飛んで來たのが、歸りとなると足が重い。妙に、つかれたやうな、腹立たしいやうな氣持でいつぱいであつた。
     二
 十日三時四十分、待ちに待つたわが潛水艦から、「敵艦發見。」の第二電が來た。今日こそはと、だれの目にも、固い決意がひらめく。整備員は、燃料
(ねんれう)積み込みに大わらはである。
 全員整列。ほんのりと夜のとばりが明けて行かうとする基地で、出撃の訓示をする司令官の目は、ぎらぎらと光つてゐる。
「千載一遇
(せんざいいちぐう)の好機である。全力をつくせ。」
「はい、死んで歸ります。」
訓示に答へるやうに、全員のまなざしがかういつてゐる。死といふものが、この時ほど容易で、當然に思はれたことはなかつた。
 今日も雲が多い。まづ偵察
(ていさつ)機隊が出發し、八時を過ぎて、大編隊は、數隊に分れて次々に南へ飛び立つた。
 進むに從つて空は明かるく、眼下に點々と、白い斷雲
(だんうん)がかかる。
 何時間か飛んで、まさしく潛水艦の報告した地點まで來たには來たが、どこにも敵艦らしいものは見えない。ただ、悗こじ兇、はてしなく續くだけである。止むなく反轉する。
     三
「敵主力艦見ユ。北緯四度、東經百三度五十五分。」
まさしく。わが偵察機の報告である。
 反轉しつつあつたわが隊は、この報をとらへて一路機首を北へ向け、めざすクワンタン東方八十キロメートルの洋上へ、まつしぐら。
 續いて、第二報があつた。
「敵主力ハ、驅逐
(クチク)艦三隻ヨリ成ル直衛ヲ配ス。」
機内に、どつと喜びの聲があがる。搭乘
(たふじよう)員の目は一つになつて、海の上へ燒きつくやうに注がれる。
 おお、見よ。英國が最新鋭をほこるプリンス‐オブ‐ウェールズを一番艦に、レパルスがこれに續き、驅逐艦三隻が先行してゐるではないか。各艦のけたてる眞白な波が、くつきりと目にしみる。
     四
 十二時四十五分、
「突つ込め。」
の命令である。高度をさげて行くと、敵艦は、いつせいに防空砲火を撃ち出す。すきまもなく炸裂
(さくれつ)する砲彈を縫(ぬ)つて、たちまち爆彈を投下した。大型爆彈が、レパルスに吸い込まれるやうに落下すると思ふと、みごとに後部甲板(かんぱん)に命中する。こげ茶色の煙とともに、火焔(かえん)がぱつともえあがつた。
 われわれ爆撃機隊は、更に大きく彈幕の中をめぐつて、二度めの爆撃に移る。と、この時、わが雷撃機の第一隊が敢然と現れた。
 雷撃機隊は、たちまち二隊に分れた。一隊は右からウェールズへ他の一隊は左からレパルスへ襲ひかかる。
 防空砲火は、必死である。ざあつ、ざあつと、スコールのやうに、彈丸の幕が行く手をさへぎる。炸裂する彈の破片が、海上一面にしぶきを立ててゐる。
 まことに死の突撃である。だが、わが機は、まるで演習でもするやうに落ち着いて、極めて正確に次々と襲ひかかつた。
 一番機が海面すれすれにおりて發射した魚雷が、みごとにウェールズに命中して、胴體から、マストの二倍ほどある水柱があがつた。と見るまに、機は艦橋をすれすれに飛び越えながら、激しい掃射を浴びせかける。
 レパルスへ襲ひかかつた一番機の魚雷も、命中する。
 兩戰艦は、ちやうど大きな鯨
(くぢら)がもりを食(く)つてあばれるやうにもがきながら、大きく針路(しんろ)を變へた。ウェールズは右へ、レパルスは左へ。
 すかさず、二番機・三番機が、二艦の針路をねらつて、それぞれ右から左から魚雷を發射した。
 ウェールズを襲つた二番機が、魚雷を放つてその右舷前方にさしかかつた時、機はぱつと赤い火を吐きながら、火だるまになつて自爆した。それと同時に、魚雷はウェールズの舷側で、みごとに大きな水柱と火焔をあげた。
     五
 第二・第三の魚雷機隊が、次々に現れて攻撃にかかる。深手を負つたウェールズは、見る見る傾き始めた。四十五度まで傾いて、あはや沈むと思ふとたん、ふしぎにもむくむくと起き直つた。さすがに、不沈をほこるだけのねばりがあると思はせる。
 レパルスは、速力がぐつと落ちてウェールズの後方、二千五百メートルの海上にある。艦はすでに火災を起してゐたが、砲火はほとんど衰へない。襲ひかかるわが一機が、火だるまになる。その自爆と同時に、魚雷がレパルスに命中する。續いてまた一機、これも自爆と命中といつしよである。それを見るたび、
「おのれ。」
と、一時に怒りがこみあげる。しかし、それも直ちに消えて、
「ああ、りつぱだ。りつぱな最期だ。」
といふ感じに變る。直立して、この勇士に別れを告げた。
 高角砲の目もくらむやうな光の中で、レパルスの水兵が甲板に倒れてゐる姿が、はつきり見えた。わが爆撃機隊の掃射を避けるやうに右手で顔をおほつてゐる兵もあつた。
 大きくめぐつてふり返ると、やがてレパルスの最期が來た。一つ大きくゆれたと見る瞬間
(しゆんかん)、もくもくと遽譴鰥未靴燭世韻如海中に沈沒した。
「やつたぞ。やつたぞ。二番艦が、レパルスが、沈んだぞ。」
機内總立ちになり、「萬歳。」を連呼する。この歡喜を胸いつぱいにいだきながら、われわれ爆撃機隊は、引きあげて行つた。
     六
 わが偵察機は、なほも大空をめぐりながら、旗艦ウェールズの最期を見とどけた。
 プリンス‐オブ‐ウェールズは、中央と艦尾から煙を吐きながら、八ノットぐらゐの速力で走つてゐた。船體は、ぐつと左へ傾いてゐる。そのすぐあとから、驅逐艦がついて行く。まもなくウェールズの速力は急に落ちて、ほとんど停止したかと思はれた。驅逐艦が寄りそふやうに、傾いたウェールズにぴたりと横着けになつた。そのとたんウェールズから爆發の一大音響が起り、火焔が太く、大きく立ちあがつた。續いてもう一度爆發するとともに、不沈艦は、船尾からするするとマライの海へのまれて行つた。
 あたり一面油の海に、南の太陽が、きらきらと光つてゐた。
     七
 基地へ歸ると、司令は泣いてゐた。大任を果したわれわれ搭乘員も泣いた。地上勤務の者も泣きながら走り寄つて、われわれの手をにぎつた。押さへきれない、あらしのやうな感動が、全員の胸を走りまはるのであつた。
 それから三日め、われわれの一隊は、もう一度あの戰場の上空を飛んだ。直下には、何事もなかつたやうに、悗で汎がかがやいてゐた。この波頭へ向けて、大きな花束を落した。
「敵ながら、最後まで戰ひぬいた數千の靈よ。靜かに眠れ。」
といふ、われわれの心やりであつた。



    
十一 世界一の織機

「機ばかりいじつてゐて、をかしなやつだ。男のくせに。」 
豐田
(とよだ)佐吉は、村の人々から、かういつてあざけられた。佐吉は、父の大工の仕事を助けて働いてゐたが、ひまさへあれば、織機のことを調べ續けてゐたのである。
「いよいよ、あれは氣違ひだ。」
 村中にこんなうはさがひろがると、父も、だまつてはゐなかつた。
「おまへは大工のせがれだ。ほかのことを考へないで、みつしり仕事をや
 つてくれ。」
とさとしたが、佐吉のもえるやうな研究熱は、どうすることもできなかつた。父は、とうとう佐吉をよその大工の家にあづけてしまつた。
 この間に立つて、佐吉を勵ましたり、慰めたりしてくれたのは、母であつた。佐吉は、「今にきつと成功してみせます。しばらくお許しください。」と、心の中で深く兩親にわびた。
 佐吉の考へは、かうであつた。人間の衣食住といふものは、みんな大切なものであるから、布を織る仕事も、決してゆるがせにしてはおかれない。今のやうな仕方では、みんながきつと困る時が來るに違ひない。それには、どうしても、織機をもつともつと進歩させなければならないといふのである。
 佐吉が、最初目をつけたのは、布を織る時、たて糸の間を縫つて行くよこ糸であつた。よこ糸は、杼
(ひ)によつて、右から左、左から右へと往復するのであるが、これを人の手によらず、機械の力で動かすやうに工夫したかつた。機械で動かせば、もつと早く往復するやうな仕組みになるだらう。更に進んでは、ひとりでに、布がずんずん織られて行くやうにもなるであらう。次から次へと、佐吉の考へは高まつて行つたが、わづか小學校を出ただけのかれには、ややもすれば、手のとどきさうもない空想になりがちであつた。
 たまたま、そのころ東京に博覧會が開かれた。佐吉は上京して、目をかがやかしながら、その機械館へ毎日通つた。銀色に光つたたくさんの機械は、まるで生き物のやうに動いてゐた。かれは、その郵な機械を見て感心するとともに、何ともいへない肩身のせまい思ひがした。機械は、どれ一つとして、わが日本製のものでなかつたからである。
「こんなことでいいのか。日本の將來をどうするのだ。」
 佐吉は、もうじつとしてゐられなくなつた。
 せめて自分のめざしてゐる織機を仕あげて、いつかは、外國を見返してやらうと固く決心した。
 それからは、ほとんど晝も夜もなかつた。設計圖を引いては、組み立てた。組み立てては、それを動かしてみた。だが、思ふやうに動くものは、なかなか生まれて來なかつた。佐吉は、一軒の納屋に閉ぢこもつて、一心に考へぬき、これならといふ一臺の織機を作りあげたが、これもまんまと失敗であつた。世間からは、ますます笑はれて、だれ一人相手にさへしなくなる。貧しさは、ひしひしと身にせまつて來る。しかし、佐吉は、「このくらゐのことで弱るものか。」と、新しい勇氣をふるつて立ちあがつた。
 鐵材を使ふことができなかつたために、すべて木材によつて、こまかなところまで作り直して行つた。今までの失敗の原因を、みんな取り除いて、面目を一新した設計圖ができあがつた。さつそく、その組み立てに取りかかり、苦心の末、やつと思ひ通りの織機ができあがつた。驗してみると、はたしてよく動いた。
 この織機を、村の人々の前で、試運轉する日がやつて來た。郢海里笋Δ暴犬弔真佑燭舛蓮布をみごとに織つて行くふしぎな機械に目を見張つた。
「よくやつた。えらいものだ。」
 みんなは、かういつてほめたたへた。この日、佐吉の織機を操つて、りつぱに布を織つてみせた人こそ、佐吉の母であつた。明治二十三年、佐吉が二十四歳のことである。
 翌年、特許を得た。豐田式人力織機は、盛んに國内に使用されるやうになつた。しかも、かれはこれに滿足せず、すぐ動力機械の製造にとりかかつた。人の力から、機械の力に移すといふ、多年の夢
(ゆめ)を實現しようといふのである。そこで、更に七年間の工夫が續けられ、みごと佐吉の自動織機が完成された。これが、日本における自動織機の始祖である。
 明治三十八年は、佐吉にとつて忘れることのできない年である。そのころ、わが國で使はれてゐた外國製の自動織機と、左吉の自動織機と、どちらがすぐれてゐるかを驗すことになつたのが、この年であつた。いはば、日本と外國との腕比べである。英國製のものを五十臺、米國製のものを十臺、佐吉のものを五十臺すゑつけて、一年にわたる嚴しい比較試驗が行はれた。だが、その結果は、惜しいことに佐吉の負けであつた。かれは、愛機の敗因を根氣よく調べ、更に新しい工夫をこらして行つた。
 それから四年め、再び外國製のものと腕比べをする日が來た。努力はつひに報いられた。何千本といふたて糸のうち、一本でも切れると織機はおのづから止り、よこ糸がなくなれば、新しい杼が代つてとび出して行くなど、まことに簡にして巧みなものであつた。機械の取扱ひがたやすく、故障が少く、絶えず正確に動くことにおいて、佐吉のものに及ぶものはなかつた。
 押しも押されもしない「世界一の織機」といふ光榮が、かれの上にかがやいた。この自動織機の出現によつて、日本は、あつぱれ綿布工業國として、世界に乘り出すやうになつた。
 何千臺といふ自動織機が勢ぞろひをして、いつせいに活動し、すばらしい速さで織り出す光景は、見るからに壯觀である。流れ出る綿布を見てゐると、あたかも豐田佐吉の愛國的熱情が、ほとばしつてゐるやうにさへ感じられる。



     
十二 水師營

 明治三十八年一月五日午前十一時──この時刻を以つて、わが攻圍軍司令官乃木
(のぎ)大將と、敵の司令官ステッセル將軍とが會見することになつた。
 會見所は、旅順から北西四キロばかりの地點、水師營の一民屋である。附近の家屋といふ家屋は、兩軍の砲彈のために、影も形もなくなつてゐた。この一民屋だけが殘つてゐたのは、日本軍がここを占領してから、直ちに野戰病院として使用し、屋根に大きな赤十字旗をひるがへしてゐたからである。
 前日、壁に殘つてゐる彈のあとを、ともかくも新聞紙で張り、會見室に當てられた部屋には、大きな机を用意し、眞白な布を掛けた。
 下見分をした乃木將軍は、陣中にふさはしい會見所の情景にほほ笑んだが、壁に張つてある新聞紙に、ふと目を注いで、
「あの新聞紙を、白くぬつておくやうに。」
といつた。新聞紙は、露軍敗北の記事で滿たされてゐたからである。
 さきに一月一日、ステッセル將軍は、わが激しい攻撃に守備しきれなくなつて、つひに旅順開城を申し出て來た。乃木將軍はこの旨を大本營に打電し、翌日、兩軍代表は、旅順開城の談判をすましたのであつた。
 その夜、山縣
(やまがた)參謀(さんぼう)總長から、次のやうな電報があつた。
「敵將ステッセルより開城の申し出でをなしたるおもむき伏奏せしとこ
 ろ、陛下には、將官ステッセルが祖國のために盡くしたる勳功
(くんこ
  う)
をよみしたまひ、武士の名譽を保持せしむることを望ませらる。右
 つつしんで傳達す。」
 そこで三日、乃木將軍は、津野田
(つのだ)參謀に命じて、この聖旨を傳達することにした。命じられた津野田參謀は、二名の部下をつれて、ステッセル將軍のところへ行つた。
 ステッセル將軍は、副官にいひつけて、軍刀と、帽子と、手袋とを持つて來させ、身支度を整へてから不動の姿勢を取つた。津野田參謀が、御沙汰書
(ごさたしよ)を讀みあげると、副官は、これをロシヤ語に譯して傳達した。
 ありがたく拜受したステッセル將軍は、
「日本の天皇陛下より、このやうなもつたいないおことばをいただき、こ
 の上もない光榮であります。どうぞ、乃木大將にお願ひして、陛下に厚
 く御禮を申しあげてください。」
といつて、うやうやしく擧手の禮をした。乃木將軍が、
 たむかひしかたきも今日は大君の惠みの露にうるほひにけり
とよんだのは、この時である。
 四日に、乃木將軍は、ステッセル將軍に、ぶだう酒や、鷄や、白菜などを送りとどけた。長い間籠城
(ろうじやう)してゐた將士たちに、このおくり物がどれほど喜ばれたことか。
 會見の當日は、霜
(しも)が深かつたが、朝からよく召譴討陲拭
 十一時十分前に、ステッセル將軍が會見所に着いた。白あし毛の馬に、遒ぐ
(くら)を置いて乘つてゐた。その後に、水色の外套(ぐわいたう)を着た將校が四騎續いて來た。
 土塀
(どべい)で圍まれた會見所に入り、片すみに生えてゐたなつめの木に、その馬をつないだ。
 まもなく、乃木將軍も、數名の幕僚
(ばくれう)とともに到着した。
 乃木將軍は、遒両綯紊貿鬚離坤椒鵝胸には、金鵄勳章
(きんしくんしやう)が掛けられてあつた。靜かに手をさしのべると、ステッセル將軍は、その手を堅くにぎつた。思へば、しのぎをけづつて戰ひぬいた兩將軍である。
 乃木將軍が、
「祖國のために戰つては來たが、今開城に當つて閣下と會見することは、
 喜びにたへません。」
とあいさつすると、ステッセル將軍は、
「私も、十一箇月の間旅順を守りましたが、つひに開城することになり、
 ここに閣下と親しくおあひするのは、まことに喜ばしい次第です。」
と答へた。一應の儀禮がすむと、一同は机を取り圍んで着席した。
 ステッセル將軍が、
「私のいちばん感じたことは、日本の軍人が實に勇ましいことです。殊に
 工兵隊が自分の任務を果すまでは、決して持ち場を離れないえらさに、
 すつかり感心しました。」
といふと、乃木將軍は、
「いや、ねばり強いのは、ロシヤ兵です。あれほど守り續けた辛抱
(しんば
 う)
強さには、敬服のほかありません。」
といふ。
「しかし、日本軍の二十八サンチの砲彈には、弱りました。」
「あまり旅順の守りが堅いので、あんなものを引つぱり出したのです。」
「さすがの要塞
(えうさい)も、あの砲彈にはかなひませんでした。コンド
 ラテンコ少將も、あれで戰死をしたのです。」
 コンドラテンコ少將は、ロシヤ兵から父のやうにしたはれてゐた將軍で、その日もロシヤ皇帝の旨を奉じて、部下の將士を集めて、激勵してゐたさなかであつた。
「それに、日本軍の砲撃の仕方が、初めと終りとでは、ずゐぶん變つて來
 ましたね。變つたといふよりは、すばらしい進歩を示しました。たぶ
 ん、攻城砲兵司令官が代つたのでせう。」
「いいえ、代つてはゐません。初めから終りまで、同じ司令官でした。」
「同じ人ですか。短期間にあれほど進むとは、實にえらい。さすがは日本
 人です。」
「わが二十八サンチにも驚かれたでせうが、海の魚雷が、山上から泳いで
 來るのには、面くらひましたよ。」
 うちとけた兩將軍の話が、次から次へと續いた。やがてステッセル將軍は、口調を改めて、
「承りますと、閣下のお子樣が、二人とも戰死なさつたさうですが、おき
 のどくでなりません。深くお察しいたします。」
とていねいに悔みをのべた。
「ありがたうございます。長男は南山で、次男は二百三高地で、それぞれ
 戰死をしました。祖國のために働くことができて、私も滿足ですが、あ
 の子どもたちも、さぞ喜んで地下に眠つてゐることでせう。」
と、乃木將軍はおだやかに語つた。
「閣下は、最愛のお子樣を二人とも失はれて、平氣でいらつしやる。それ
 どころか、かへつて滿足してゐられる。閣下は、實にりつぱな方です。
 私などの遠く及ぶところではありません。」 
 それからステッセル將軍は、次のやうなことを申し出た。
「私は、馬がすきで、旅順に四頭の馬を飼つてゐます。今日乘つてまゐり
 ました馬も、その中の一頭で、すぐれたアラビヤ馬です。ついては、今
 日の記念に、閣下にさしあげたいと思ひます。お受けくだされば光榮に
 存じます。」
乃木將軍は答へた。
「閣下の御厚意を感謝いたします。ただ、軍馬も武器の一つですから、私
 がすぐいただくわけにはいきません。一應軍で受け取つて、その上、正
 式の手續きをしてからいただきませう。」
「閣下は、私から物をお受けになるのが、おいやなのでせうか。それと
 も、馬がおきらひなのでせうか。」
「いやいや、決してそんなことはありません。私も、馬は大すきです。さ
 きに日
(につしん)戰爭の時、乘つてゐた馬が彈でたふれ、大變かはいさ
 うに思つたことがあります。今度も、やはり愛馬が彈で戰死しました。
 閣下から馬をいただけば、いつまでも愛養いたしたいと思ひます。」
「あ、さうですか。よくわかりました。」
「ときに、ロシヤ軍の戰死者の墓は、あちこちに散在してゐるやうです
 が、あれはなるべく一箇所に集めて墓標を立て、わかることなら、將士
 の氏名や、生まれ故郷も書いておきたいと思ひますが、それについて何
 か御希望はありませんか。」
「戰死者のことまで、深いお情をいただきまして、お禮のことばもありま
 せん。ただ、先ほども申しましたが、コンドラテンコ少將の墓は、どう
 か保存していただきたいと思ひます。」
「承知しました。」
 やがて用意された晝食が運ばれた。戰陣料理のとぼしいものではあつたが、みんなの談笑で食事はにぎはつた。
 食後、會見室から中庭へ出て、記念の寫眞を取つた。
 別れようとした時、ステッセル將軍は愛馬にまたがり、はや足をさせたり、かけ足をさせたりして見せたが、中庭がせまいので、思ふやうには行かなかつた。
 やがて、兩將軍は、堅く手をにぎつて、なごりを惜しみながら別れを告げた。


 
    十三 元日や

 元日や一系の天子不二
(ふじ)の山      鳴 雪(めいせつ)

 
雪殘る頂一つ國ざかひ             子 規(しき)

 
島々に灯(ひ)をともしけり春の海      子 規

 赤い椿白い椿と落ちにけり        碧梧桐
(へきごとう)

 もらひ來る茶わんの中の金魚かな     鳴 雪

 たたかれて晝の蚊
(か)を吐く木魚かな    漱 石(そうせき)

 山門をぎいととざすや秋の暮       子 規



    
十四 源氏と平家
 
     宇治
(うぢ)川の先陣
 ころは、正月二十日餘りのことなれば、比良
(ひら)の高嶺(たかね)の雪も消え、谷々の氷打ち解けて、川水折ふしかさ増したり。白波みなぎり瀬(せ)は高鳴りて、さか巻く水も速かりけり。夜はすでに明け行けど、川霧(かはぎり)深く立ちこめて、馬の毛も甲の色もさだかならず。
 大將軍九郎義經
(よしつね)、川端に打ち出で、水のおもてを見渡して、人々の心を見んとや思ひけん、
「水の引くをば待つべきか。いかにせん。」
といへば、畠山の次郎重忠
(しげただ)、生年二十一になりけるが進み出で、
「この川、近江
(あふみ)の湖(みづうみ)の末にて候へば、待つとも待つとも
 水ひまじ。重忠、まづ瀬ぶみ仕らん。」
とて、五百騎ひしひしとくつわを並ぶ。
 ここに平等
(びやうどう)院のうしとら、橘(たちばな)の小島が崎(さき)より、武者二騎、引つ駈(か)け引つ駈け出で來たり。一騎は梶原(かぢはら)の源太景季(かげすゑ)、一騎は佐々木の四郎高綱(たかつな)なり。人目には何とも見えざりけれど、内々先を爭ひけん、梶原は、佐々木に四五間ばかり進みたり。佐々木、
「いかに梶原殿、この川は西國一の大川ぞや。馬の腹帶の延びて見え候
 ぞ。しめたまへ。」
といひければ、梶原、腹帶解いて引きしむる。佐々木、その間につとはせぬいて、川へさつと打ち入れたり。梶原も續いて入る。梶原、
「いかに佐々木殿。水の底には大綱あるらん。心得たまへ。」
といひければ、佐々木、刀を拔いて馬の足にかかりたる大綱どもを、ふつふつと打ち切り打ち切り、宇治川速しといへども、生食
(いけずき)といふ日本一の馬に乘りたれば、眞一文字にさつと渡り、向かふの岸に打ちあげたり。梶原が乘りたる磨墨(するすみ)は、川中より押し流され、はるかの下より打ちあげたり。
 佐々木、あぶみふんばり立ちあがり、大音聲あげて、
「宇多
(うだ)天皇九代の後胤(こういん)、近江の國の住人、佐々木の四郎高
 綱、宇治川の先陣ぞや。」
と名のりたり。
 畠山、五百餘騎にて打ち渡る。向かふの岸より敵の放つ矢に、畠山、馬の額を射られ、馬はねあがれば、弓杖ついており立ちたり。岩波さつと押しかかれども、畠山ものともせず、水の底をくぐりて、向かふの岸に着きにけり。打ちあがらんとするところに、後よりむづと引くものあり。「たぞ。」と問へば、「重親
(しげちか)。」と答ふ。
「大串
(おほぐし)か。」
「さん候。あまりに水が速うて、馬をば川中より押し流され、これまでた
 どり着きて候。」
と申す。畠山、
「汝がやうなる者は、いつも重忠にこそ助けられんずれ。」
といふまま、大串をつかんで岸の上へ投げあげたり。
 投げあげられて立ち上がり、太刀を拔いて額に當て、大音聲あげて、
「武蔵
(むさし)の國の住人、大串の次郎重親、宇治川のかち渡りの先陣ぞ
 や。」
と名のりたり。敵もみかたもこれを聞きて、一度にどつとぞ笑ひける。
    
     敦盛
(あつもり)の最期
 さるほどに、熊谷
(くまがい)の次郎直實(なほざね)は、「一の谷の軍破れ、平家のきんだち、助け船に乘らんとて、みぎはの方へ落ち行くらん。あつぱれ、よき大將に組まん。」と思ひ、細道にかかりて、みぎはの方へ急ぎ行く。
 かかるところに、もえぎにほひの甲着て、黄金作りの太刀をはき、連錢あし毛の馬に乘りたる武者一騎、沖なる船をめがけて、海へさつと打ち入れ、泳がせけり。熊谷、
「あれはいかに。よき大將とこそ見まゐらせ候へ。敵に後を見せたまふ
 な。返させたまへ、返させたまへ。」
と、扇
(あふぎ)をあげてさし招く。
 招かれて取つて返し、みぎはに打ちあがらんとするところに、熊谷、波打際にてむずと組んで、馬よりどうと落ち、取つて押さへて首を取らんと、かぶとをあふのけて見れば、わが子小次郎が年ごろにて十六七ばかり、花のごとき少年なり。熊谷、
「そもそも、いかなる人にておはすらん。名のらせたまへ。助けまゐらせ
 ん。」
と申せば、
「まづかういふ汝はたぞ。」
「ものの數には候はねど、武蔵の國の住人、熊谷の次郎直實。」
と名のる。
「さては汝のためにはよき相手ぞ。名のらずとも首を取つて人に問へ。見
 知りたる者もあるべし。」
といふ。熊谷、
「あつぱれ、大將かな。この人一人助け奉りたりとも、勝つべき軍に負く
 ることあらじ。助けまゐらせん。」
とて、後をかへりみければ、土肥・梶原五十騎ばかり出で來たり。
 熊谷、はらはらと涙を流して、
「あれ、ごらん候へ。いかにもして助けまゐらせんと思へども、みかたの
 軍兵滿ち滿ちて、よものがし候はじ。同じくは直實が手にかけ奉つて、
 のちのとぶらひをも仕らん。」
と申せば、
「ただ、いかやうにも。とくとく首を取れ。」
とぞいひける。
 熊谷、あまりにいとほしく思ひけれど、さてもあるべきことならねば、泣く泣く首を打ちにけり。首を包まんとて、ひたたれを解きて見れば、錦の袋に入れたる笛を腰に指しゐたり。
「あないとほし。このあかつき、城の内にて管絃
(くわんげん)したまひつる
 は、この人々にておはしけり。やさしかりける人々かな。」
ちて、これを取つて大將義經の見參に入れたれば、見る人涙を流しけり。
 のちに聞けば、平の經盛
(つねもり)の子、敦盛とて、生年十七にぞなりにける。    

    
能登守喝(のとのかみのりつね)
 さるほどに、源平のつはもの、壇
(だん)の浦(うら)にて攻め戰ふ。
 能登守喝瓦蓮∈Fを最期とや思ひけん、赤地の錦のひたたれに、唐綾
(からあや)をどしの甲着て、鍬形打つたるかぶとの緒(を)をしめ、いか物作りの太刀をはき、重籐(しげどう)の弓持つて、敵を散々に射れば、源氏のものども多くは手を負ひ、射殺さる。矢も皆盡きければ、大太刀、大長刀(おほなぎなた)を左右に持つて、散々になぎ倒す。
 新中納言知盛
(しんちゆうなごんとももり)これを見て、喝瓦里發箸忙伴圓鯲て、
「いたく罪
(つみ)作りたまふな。それらはよき敵かは。」
といへば、喝粥
「さては、大將に組めとや。」
とて、敵の船を飛んでまはる。されども義經を見知らざれば、甲かぶとのよき武者を、義經かと目をかけてかけまはる。
 義經、目にたつさまはしたれども、かれこれ行きちがへて、喝瓦冒箸泙擦此されども、いかにしたりけん、義經の船に乘り當り、あはやとばかり飛んでかかれば、義經、長刀をわきにかいはさみ、みかたの船の二丈ばかり離れたるに、ゆらりと飛び移る。
 喝粥∩瓩錣兇砲呂とりけん、續いても飛び得ず。今はかうと思ひ定め、太刀・長刀も海へ投げ、かぶとも脱いで海へ捨てたり。甲の袖、草ずりもかなぐり捨て、胴ばかり着て、大手をひろげて船の屋形に立ち出で、大音聲あげて、
「源氏の方にわれと思はん者あらば、喝漢箸鵑農犬永瓩蠅砲擦茵4鵑
 や、寄れ。」
といひけれども、寄る者一人もなかりけり。
 ここに土佐の國の住人、安藝
(あき)の太郎實光(さねみつ)とて、およそ二三十人が力ある大力の者、おのれにおとらぬ家來一人ともなひたり。弟の次郎も、すぐれたるつはものなり。かれら三人寄り合ひて、
「能登殿いかに強くおはすとも、何ほどのことかあるべき。たとへ鬼神な
 りとも、われら三人がつかみかからば、などか勝たざるべき。」
とて、小舟に乘り、喝瓦料イ吠造戮鳶り移り、太刀先そろへて一時に打つてかかる。
 喝瓦海譴鮓て、まづ眞先に進みたる安藝の太郎が家來を、どうとけて海へ落す。續いてかかる安藝の太郎を、左のわきにさしはさみ、弟の次郎を、右のわきに取つてはさみ、一しめしめて、
「いざ、おのれら、死出の旅の供せよ。」
とて、生年二十六にて、海へつつとぞ入りにける。



    十五 漢字の音と訓

 私たちは、毎日、本や、新聞や、雜誌
(ざつし)を讀んでゐます。時には綴り方や、手紙を書きます。かうして讀んだり書いたりする文章は、漢字とかなで書き表されます。
 かなは、だいたいきまつた音で讀みますが、漢字にはいろいろな讀み方があります。例へば、「國民學校」の「國」「民」といふ漢字は、「こく」「みん」と讀むほかに、「くに」「たみ」とも讀みます。「こく」「みん」といふ讀み方は、漢字本來の發音で、これを漢字の音といひます。「くに」「たみ」は、漢字の訓と呼ばれるものですが、これこそわが國の昔からのことばで、それを漢字に當てて讀んだものです。
「國」「民」「年」「島」など、そのほか大部分の漢字は一つの音で讀みますが、「木刀」「木目」の「木」は、「ぼく」とも、「もく」とも讀みます。また、「銀行」「行列」の「行」は、「かう」「ぎやう」などと讀み、「宮城」「神宮」「宮内省」の「宮」は、「きゆう」「ぐう」「く」などいろいろの音で讀みます。これは、もともと支那各地で、いろいろな音が行はれてゐたのが、自然わが國へもはいつて、それぞれの讀みならはしとなつたのです。
「國」「民」「靴」「杖」などの訓は、一つですが、「生まれる」「生える」「生きる」「生る」のやうに、「生」を「うまれる」「はえる」「いきる」「なる」と、いろいろに讀みます。これは、「うまれる」「はえる」「いきる」「なる」といつたわが國のことばを、漢字の「生」に當てて讀んだもので、それらの讀み方が、自然「生」の字の訓となつたのです。このやうに、訓にも、音のやうに二つ以上ある場合があります。
 音と訓を持つた漢字を、二字以上組み合はせて、ことばが書き表された場合には、どの漢字もすべて音で讀むか、または訓で讀むのが普通です。「先生」「遠足」「飛行機」「高射砲」などは、音ばかりで讀む例で、「神樣」「笑顔」「物干竿」などは、訓ばかりで讀む場合です。
 ところで「山川」「父母」のやうに、「さんせん」「ふぼ」、あるひは「やまかは」「ちちはは」と、音でも訓でも讀める場合があります。また、ことばによつては、「重箱」「記念日」のやうに、上を音、下を訓で讀んだり、「手本」「道順」のやうに、上を訓、下を音で讀んだりする場合も、まれにはあります。
 漢字には、このやうに音と訓があり、中には、音訓にいろいろ種類があつて、意味の違ひや、文のおもしろみを出してゐるのです。漢字を音で讀むか訓で讀むか、どの音で讀み、どの訓で讀むかは、すべて、讀みならはしによつてきまるのです。殊に、人の姓名や、地名などには、おのおの特別な讀み方があります。
 私たちが漢字を讀む時には、このやうにいろいろな漢字の音と訓とに注意して、その場合に應じた、正しい讀み方をするやうにしなければなりません。



    
十六 塗り物の話

「工場を見せていただきたいのですが。」
「さあ、どうぞこちらへおいでください。」
主人に案内された塗り物の工場は、薄暗い土藏の中である。障子をもれて來る窓際の明かりで、職人が、白木の盆
(ぼん)のところどころへ、遒ぁ△笋呂蕕な膏藥(かうやく)のやうなものを、細い竹べらでつめてゐる。
「何をつめてゐるのですか。」
「こくそといふものですよ。米の粉と、おがくづとを、漆
(うるし)でねり
  合はせたもので、木地に、すき間や、きずをなくすために、かうしてつ
 めてゐるのです。」
左手で、盆をくるくるまはしながら、熟練した手早さで、職人は、一つ一つのすき間へ、こくそをつめて行く。
 次の部屋へはいると、こくそをつめた白木の盆がうづ高く積んである。そのかげで、職人の手が動いてゐる。その手は、盆を一枚一枚、はけでさび色に塗つて行く。
「これはさび漆といふものです。さび土と漆と、まぜ合はせて作つたもの
 です。さび土は、その土地特有のもので、これがなかなか塗り物には大
 切なものです。」
職人は、話しながらも、仕事の手はちつともゆるめない。
 急な階段をのぼつて二階へ行くと、そこにも、だまつて塗り物を塗つてゐる人たちがゐた。
 この人たちは、下塗りのできた盆の内側へ、遒ぜ燭鯏匹弔胴圓。さうして、時々、くじやくの羽で穗先を作つた細い筆で、漆にまじつたごみを取つてゐる。
「下塗りは下の部屋でしますが、中塗りと上塗りは、二階の方がいいので
 す。塗り物には、ほこりが禁物ですから。」
主人の話は、中塗りのことになる。
「下塗りができあがると、その上へ、このやうに中塗りをします。盆のや
 うに簡單なものでも、表と裏と同時に塗ることはできません。まづ、こ
 のやうに内側を塗つて、それを乾かしてから外側を塗るのです。なかな
 か手數のかかる仕事です。」
さういへば、そばに積まれた中塗りの盆は、内側ばかりが塗つてあつて、外側はまださび色のままである。
「このまま自然に乾かすのですか。」
「いや、さうたやすくはいきません。この室
(むろ)の中をごらんなさ
 い。」
といひながら、主人は戸を開いた。上下二段にわかれた戸だなで、中にはわくが仕掛けてある。
「このわくへ、塗つた物をはさみます。わくは心棒で支へ、時計仕掛で靜
 かに回轉させながら、漆がまんべんなく行き渡るやうにして乾かしま
 す。この時計仕掛が發明されない前は、夜中でも起きて、心棒を手でま
 はさなければならなかつたのです。」
なるほど、室の横側には、重い分銅
(ふんどう)のついた仕掛があつて、時計が時を刻むのと同じやうに、目に見えないくらゐゆつくりした動きで、わくが回轉してゐる。
「漆はよく天氣を知つてゐて、雨か召は、その乾き具合ですぐわかるほ
 どです。漆が乾く時には水分を吸収しますが、乾いてしまつたら水分を
 受けつけません。乾かさうと思へば、半日ぐらゐでも乾きますが、早く
 乾かし過ぎると、あとでちぢんで、しわができたり、干割れがしたりし
 ます。だから、夏でも冬でも、できるだけ温度と濕度
(しつど)に變りの
 ない土藏が選ばれ、更に、室の中で乾かす必要があるのです。」  
 主人の話に感心しながら、上塗りの部屋へはいる。
 下塗りと中塗りができた上へ、上漆をかけて最後の仕あげをする仕方は、中塗りと同樣
(どうやう)で、ここでも同じやうな工程がくり返されてゐる。
「これで一通り工場の御案内は終りました。これから、製品陳列
(ちんれつ)
 
室で、できあがつた品物を見ていただきたいと思ひます。」
 さて、みなさん。私は陳列室へはいつて、いろいろな塗り物の並んでゐるのを見ましたが、みなさんの周圍には、どんな塗り物があるか氣をつけてごらんなさい。さうして、それらが一つ一つ、このやうにしてできあがつたのだといふことを、よく考へてください。



    十七 ばらの芽

                 正 岡 子 規
(しき)

 くれなゐの二尺のびたるばらの芽の針やはらかに春雨
 の降る

 松の葉の葉ごとにむすぶ白露のおきてはこぼれこぼれ
 てはおく

                 島 木 赤 彦
(あかひこ)
 
 雪降れば山よりくだる小鳥多し障子のそとにひねもす
 聞ゆ  

                 若 山 牧 水
(ぼくすゐ)

 
土ぼこりうづまき立つや十あまり荷馬車すぎ行く夏草
 の野路に

                 伊 藤 左 千 夫
(いとうさちを)

  
汽車の來る重き力の地ひびきに家鳴(やな)りとよもす
 秋の晝すぎ

 おとろへし蠅
(はへ)の一つが力なく障子にはひて日は
 しづかなり

 國こぞり心ひとつとふるひ立ついくさの前に火も水も
 なし


       十八 敵前上陸

 わが輸送船團は
、マライ半島のコタバルをめざして進んで行つた。
 折惡しく月明かりだつたので、海岸を防備する敵軍は、いち早く
わが船團の近づくのを感知した。上陸開始後、まもなく海岸一帶の敵陣から、雨のやうな猛射を浴びせて來る。
 爆彈をかかへた敵の飛行機は、輸送船團の頭上から襲ひかかつた。轟然
(ぐわうぜん)、天地をゆするやうな音響とともに、遽譴賄靴卜ちのぼつた。わが輸送船の一隻が、敵彈のため火を發したのであつた。
 兵士は、銃を持つたまま、みんな水中へをどり込んだ。敵の戰鬪機の群が、海面すれすれに、惡魔
(あくま)のやうな翼をひるがへして、掃射する。護衛の驅逐艦からも、輸送船からも、波間に浮かぶ舟艇からも、兵士が齒を食(く)ひしばつて應戰する。一機また一機、遒ね磴ぱつと紅の火焔(くわえん)を吐いて、まつさかさまに海中へ突つ込んで行く。
 海岸からの敵の銃砲火は、ますます烈しさを加へて來た。泳いでゐる兵士の鐵かぶとが、沈むかと思ふとまた浮かぶ。さうして、口から鼻から、白い水を吐き出す。輸送船からは、船員たちが、銃をはなせと聲をかぎりに叫び續ける。しかし海岸へ泳ぎ着いた兵士で、だれ一人銃をはなした者はなかつた。
 海岸へたどり着くと、目の前に屋根形に張られた鐵條網が、行く手をさへぎつてゐる。その後には、とげのある鐵線が張りめぐらされ、更にその後には、屋根型の鐵條網が、嚴重に設けられてゐる。そこから五十メートルほど後の方には、帶のやうな塹壕
(ざんがう)と、椰子(やし)の木かげに見えがくれする灰色のトーチカ築かれてゐて、あらしのやうに撃ちまくつて來る。
 ぬれねずみの姿で海岸へはひあがつた兵士の身を、かくす物は何一つない。彈丸の夕立の中で、波打際に突つ伏したまま、兵士は身動きもしない。かれらは、兩手をそろへて海岸の砂をほつた。そのくぼみに頭をかくし、肩をかくし、全身を埋めた。砂の上には、銃劒だけが殘つてゐる。兵士は、もぐらのやうに全身を砂に埋めて、十センチ、二十センチと進んで行く。ぎらぎらと太陽の光を反射させながら、鐵かぶとが銃劒を引きずつて動いて行く。砂の上を、ひとりでにすべつて行く、ふしぎな銃劒である。
 鐵條網が、手のとどくところにせまつた。突然、網を切るはさみを持つてゐる兵士が一人、むつくりと起きあがつて、敵陣へ突進する。そのとたん、天地にとどろくやうな爆音といつしよに、砂煙が、あたりを、おほひ包んだ。
「地雷だ、氣をつけろ。」
部隊長のするどい叫びが傳はつた。その聲の終らないうちに、またしても、續けざまに二つの轟音がとどろいた。ものすごい砂つぶてが、うつ伏した兵士たちの全身をなぐりつけた。
「その場を動くな。」
部隊長の太い聲だ。
 兵士は、はさみを手に手に持つて、次々に鐵條網へいどみかかつた。この瞬間
(しゆんかん)であつた。一つ、二つ、三つと、鐵條網の向かふ側に、砂を盛りあげながら、もぐらのやうに進む皇軍の鐵かぶとの列が見られた。兵士たちは、鐵條網の下をほつて、もぐつて、くぐり拔けたのだ。兵士たちは、砂の底で、砂といつしよに堅く銃身をにぎりしめた。
「ダーン。」と音をたてて、敵の砲彈が兵士の目の前で炸裂
(さくれつ)し、あたり一面に、砂ぼこりがたちこめた。兵士は、「わあつ。」とときの聲をあげ、砂をけ立てて、いつせいに立ちあがつた。
 突撃だ。第一線の鐵條網を破つてからは、とげのある鐵條網も、屋根型の鐵條網も、まるで枯れ木のやうにもろかつた。砂にまみれ、血にまみれて突き進む皇軍將士の前には、塹壕も、トーチカも、敵兵も、何もなかつた。    


    十九 病院船

     星の夜
 病室の患者
(くわんじや)は、よく寝靜まつてゐます。だまつて椅子(いす)に腰をおろしてゐると、機關の響きと震動が、からだに傳はつて來ます。
 少し氣分が惡いので、水で顔を洗つてから、病室の中をまはりました。毛布を脱いでゐる人に、そつと掛けてあげる。いびきをたててゐる人、齒ぎしりをしてゐる人、さうした人々の目をさますまいと、氣をつけて靜かに歩いてゐるのですが、そばへ行くと、ぱつちり目をあける人があつて、時々はつとします。
 熱の高い患者の氷が解けてゐるので、冷藏庫から氷を持つて來て、みかんの小箱の中でくだきました。三本足の錐
(きり)であつたのが、二本は折れて一本足になつてゐるので、なかなかくだけません。患者が目をさましさうなので、私は、箱をかかへて甲板(かんぱん)へ出ました。
 深夜の空には、ちりばめたやうに星がかがやいて、船は、遒ぜ
(うるし)を流したやうな海原をけつて進んでゐます。強い潮風が一時に吹きつけて來て、氣分の惡いのも、眠いのも、さらつて行つてしまひました。
     おかあさん
 船は、かなりひどく搖れだしました。今まで、船よひに苦しんだことのなかつた私は、船の勤めは話に聞くほど苦しいものでないと思つてゐましたが、今度は、いよいよやつて來たやうです。でも、これくらゐの波に負けるものかと、ともすればころがりさうになるからだを、はめ板や、手すりにつかまつて支へながら、働きました。患者は半數ぐらゐよつて、ところどころに置いてある吸ひがら入れに、吐く音が聞えます。機關の響きのほかに、船腹に當る波の音がものすごく聞え、船内は、何だかさうざうしく、落ち着かなくなつて來ました。よつてはならないと、絶えず思ひ續けて胸をなでおろしてゐないと、つひ患者といつしよになつて、吐いてしまひさうです。 
 夕方になると、海はますますしけて來て、波や風の音が、惡魔
(あくま)の叫びのやうに、氣味惡くなつて來ました。重い患者には、船の動搖が禁物です。收容する時には、さほどとも思はなかつた一人の患者が、船が搖れだしてから急に惡くなつて、全身に冷汗が流れ、目のまはりに遒いげができて、目の光もにぶくなつてしまひました。私は、注射をして脈に注意してゐましたが、やがて呼吸が不正になり、脈がかすかになつたので、軍醫殿に知らせました。
 軍醫殿は、すぐ來られましたが、患者はもう口をきく力もありません。ふいてもふいても、全身から汗がにじみ出ます。おほひかぶさつて來る遒いげでも、拂ひのけようとするやうにもがいてゐるのが、患者の何でもない身振りにも、うかがはれます。ひとしきり、重い靜けさが續きましたが、やがて、
「おかあさん。」
と、かすかな叫びが聞かれました。滿身の力をこめて、出したことばでありませう。それと同時に、全身の氣力は、なくなつてしまひました。
 何萬の敵をものともせず、戰ひぬいたこの勇士の頭に、最後にひらめいたのが、二十何年いつくしみ育ててくれた、尊い母の姿であつたのでせう

     あらし  
 宵番(よひばん)の人が起しに來た聲を聞いて、早く白衣に着かへて、病室へ行かなければと思ひながら、どんなにもがいても、どうしたことか、からだがききません。海は、ますます荒れてゐるやうです。よろめきながら、やうやくのびあがつて、衣紋掛から白衣を取りはづすと、またへなへなと、寝床に、からだがたたまつてしまひました。靴下は、横になつたままで、どうにかはきました。
「しつかりしろ。しつかりしろ。」
と、だれかが耳もとでささやくやうですが、だれもゐるのではありません。とたんに、私の頭の中には、病室で苦しんでゐる患者の顔が浮かんで來ました。
「さうだ。これくらゐのことで──かぎりある身の力ためさん。」
私のからだは、すつくと立ちあがつて、白衣を着てゐました。
 内地に着きさへすれば、完全な治療をする病院が、この勇士の患者たちを待つてゐる。それまでの間、どうとでもして看護の手を盡くし、無事に送り屆けてあげなければ──かう思つた私は、もう船の動搖にもよろめかない足取りで、病室へ向かつてゐました。


    二十 ひとさしの舞

     一
 高松の城主羶綵ー
(むねはる)は、急いで天守閣へのぼつた。
 見渡すと、廣い城下町のたんぼへ、濁流
(だくりう)がものすごい勢で流れ込んで來る。
「とうとう、水攻めにするつもりだな。」
 この水ならば、平地に築かれた高松城が水びたしになるのも、間はあるまい。押し寄せて來る波を見ながら、宗治は、主家毛利輝元
(てるもと)を案じた。この城が落ちれば、羽柴秀吉(はしばひでよし)の軍は、直ちに毛利方を攻めるに違ひない。
 主家を守るべき七城のうち、六城がすでに落ちてしまつた今、せめてこの城だけでも、持ちこたへなければならないと思つた。
 宗治は、城下にたてこもつてゐる五千の生命をも考へた。自分と生死を共にするといつてゐるとはいへ、この水で見殺しにすることはできない。中には、女も子どももゐる。このまま、じつとしてはゐられないと思つた。
 軍勢には、ちつとも驚かない宗治も、この水勢には、はたと困つてしまつた。
     二
 さきに、羽柴秀吉と軍を交へるにあたり、輝元のをぢ小早川老
(たかかげ)は、七城の城主を集めて、
「この際、秀吉にくみして身を立てようと思ふ者があつたら、すぐに行く
 がよい。どうだ。」
とたづねたことがあつた。その時、七人の城主は、いづれも、
「これは意外のおことば。私どもは、一命をささげて國境を守る決心でご
 ざいます。」
と誓つた。老覆牢遒鵑如△修譴召貪瓩鱧个悗拭宗治は、
「この刀は、國境の固め。かなはぬ時は、城を枕に討死せよといふお心と
 思ひます。」
と、きつぱりといつた。
 更に秀吉から、備中
(びつちゆう)・備後(びんご)の二箇國を與へるから、みかたになつてくれないかとすすめられた時、宗治が、
「だれが二君に仕へるものか。」
と、しかりつけるやうにいつたこともあつた。
 かうした宗治の態度に、秀吉はいよいよ怒つて、軍勢をさし向けたのであるが、智勇すぐれた城主、これに從ふ五千の將士、たやすくは落ちるはずがなかつた。
 すると、秀吉に、高松城水攻めの計を申し出た者があつたので、秀吉はさつそくこれを用ひ、みづから堤防工事の指圖をした。夜を日に繼いでの仕事に、さしもの大堤防も日ならずしてできあがつた。
 折から降り續く梅雨のために、城近くを流れてゐる足守
(あもり)川は、長良(ながら)川の水を集めてあふれるばかりであつた。それを一氣に流し込んだのであるから、城の周圍のたんぼは、たちまち湖のやうになつた。
     三
 毛利方は、高松城の危いことを知り、二萬の援軍を送つてよこした。兩軍は、足守川をさしはさんで對陣した。
 その間にも、水かさはずんずん増して、城の石垣はすでに水に沒した。援軍から使者が來て、
「一時、秀吉の軍に降り、時機を待て。」
といふことであつたが、そんなことに應じるやうな宗治ではない。宗治は、あくまでも戰ひぬく決心であつた。
 そこへ、織田信長
(おだのぶなが)が三萬五千の大軍を引きつれて、攻めて來るといふ知らせがあつた。輝元はこれを聞き、和睦(わぼく)をして宗治らを救はうと思つた。安國寺の僧惠瓊(ゑけい)を招き、秀吉方にその意を傳へた。和睦の條件として、毛利方の領地、備中・備後・美作(みまさか)・因幡(いなば)・伯耆(はうき)の五箇國をゆづらうと申し出た。
 秀吉は、承知しなかつた。すると意外にも、信長は本能(ほんのう)寺の變にあつた。これには、さすがの秀吉も驚いた。さうして惠瓊に、
「もし今日中に和睦するなら、城兵の命は、宗治の首に代へて助けよ
  う。」
といつた。
 宗治はこれを聞いて、
「自分一人が承知すれば、主家は安全、五千の命は助る。」
と思つた。
「よろしい。明日、私の首を進ぜよう。」
と宗治は答へた。
     四
 宗治には、向井治嘉
(はるよし)といふ老臣があつた。その日の夕方、使者を以つて、
「申しあげたいことがあります。恐れ入りますが、ぜひおいでを。」
といつて來た。宗治がたづねて行くと、治嘉は喜んで迎へながら、かういつた。
「明日御切腹なさる由、定めて秀吉方から檢使が參るでございませう。ど
 うぞ、りつぱに最期をおかざりください。私は、お先に切腹をいたしま
 した。決してむづかしいものではございません。」
腹巻を取ると、治嘉の腹は、眞一文字にかき切られてゐた。
「かたじけない。おまへには、決して犬死をさせないぞ。」
といつて、涙ながらに介錯
(かいしやく)をしてやつた。
 その夜、宗治は髮を結ひ直した。靜かに筆を取つて、城中のあと始末を一々書き記した。
     五
 いつのまにか、夜は明けはなれてゐた。
 身を罎瓠∋僂鮴気靴申ーは、巳
(み)の刻を期して、城をあとに、秀吉の本陣へ向かつて舟をこぎ出した。五人の部下が、これに從つた。
 向かふからも、檢使の舟がやつて來た。
 二さうの舟は、靜かに近づいて、滿々とたたへた水の上に、舷
(ふなばた)を並べた。
「お役目ごくらうでした。」
「時をたがへずおいでになり、御殊勝に存じます。」
 宗治と檢使とは、ことばずくなに挨拶
(あいさつ)を取りかはした。
「長い籠城
(ろうじやう)に、さぞお氣づかれのことでせう。せめてものお慰
 みと思ひまして。」
といつて、檢使は、酒さかなを宗治に供へた。
「これはこれは、思ひがけないお志。ゑんりよなくいただきませう。」
主從六人、心おきなく酒もりをした。やがて宗治は、
「この世のなごりに、ひとさし舞ひませう。」
といひながら、立ちあがつた。さうして、おもむろに誓願寺
(せいぐわんじ)の曲舞(くせまひ)を歌つて、舞ひ始めた。五人も、これに和した。美しくも、嚴かな舞ひ納めであつた。
 舞が終ると、
 浮世をば今こそわたれもののふの名を高松の苔
(こけ)にのこして
と辭世の歌を殘して、みごとに切腹をした。五人の者も、皆そのあとを追つた。
 檢使は、宗治の首を持ち歸つた。秀吉は、それを上座にすゑて、「あつぱれ武士の手本。」といつてほめそやした。





   儉 硯 筆 鉛 異 啓 慰 致 察 郊 僚 幼
   救 沒 非 速 紫 紅 織 縁 測 視 眼 殊
   象 陰 慰 想 像 墨 研 究 費 周 陶 巧
   菜 箸 健 康 態 臨 認 敢 襲 宣 詔 言
   系 宗 靈 榮 基 滅 輸 示 好 容 易 編
   緯 鋭 掃 衰 避 歡 吉 縫 覽 因 翌 比
   較 努 簡 旨 判 譽 聖 擧 閣 期 悔 存
   墓 希 椿 漢 省 普 姓 塗 藏 熟 禁 單
   乾 收 程 猛 驅 逐 艇 埋 庫 搖 醫 療
   看 屆 交 境 智 湖 件 檢 髮 辭
 



 

 

    附 録


    一 土とともに

    
ひでり
 今年は、ひでりだ。張
(ちやう)は、うらめしさうに天を仰いだ。もう、何度雨ごひをしたか知れない。けれども、雨雲一つ浮かんでは來なかつた。
「この村に、きつと不信心者がゐるんだ。」
「だれだ。」
「だれだ。」 
農夫たちは、口々にそんなことをいつた。
 畠の土が、ぽこぽこに乾ききつてゐる。黄色な土が、すつかり白つぽくなつた。せと物のやうに固くなり、ひびがはいつた。
 花をつけようとした麥が、そのまま枯れて、見えるかぎりの麥畠は、しらがになつた。
 たべる物が、だんだんなくなつて來る。大事にしまつておいた倉
(くら)の物も、あと、いくらもなくなつてしまつた。
「張さん、何か惠んでください。うちの子どもが、うゑてゐます。」
 張は、自分の二人の息子のことを思ひ、倉には、ほとんど物のないことも思つた。それでも、張は、倉から麥粉を出して來た。
「ありがたうございます。これで、子どもたちは、生き延びませう。」
 井戸の水も、かれて來る。
「おとうさん、どこかへ行きませう。」
二人の子どもは、かういつてせがんだ。けれども、張はだまつてゐた。
「おとうさん、御飯のあるところへ行きませう。」
「──」
「おかあさんも、いつしよに行きませうね。」
 張は、突然大きな聲でどなつた。
「どこへ行かうといふのだ。干ぼしになつても、ここを離れることはできな
 い。」
     
大水
 ある年は、雨續きであつた。來る日も、來る日も、ざんざん降つた。
「これでは大水だな。」
 張は、遠くを流れてゐる川の音に、耳をすました。
 一たび、この川があふれたが最後、ここらあたりは、海のやうになつてしまふ。畠はもちろんのこと、家でも、土塀
(どべい)でも、樹木(じゆもく)でも、廟(べう)でも、みんな水びたしになつて、くづれてしまふのだ。
「水には、かなはない。立ちのかう。」
 張は、夜具をかつぎ、手に麥粉と塩をさげ、妻は、なべや、やくわんや、布ぎれなどを持つた。二人の子どもは、茶わんや、紙や、油や、マッチを持つた。
「もう、こんなところには來ないね。おとうさん。」
「おとうさん、わたしも、こんなところはいやだよ。」
「何をいつてゐる。水さへ引けば、すぐここへもどつて來るのだ。」
 水を逃げて行く農夫の群が、あちらにも、こちらにも、雨に打たれて動いてゐた。
     
いなご
「おお、今年こそは豐年だ。」
 張は、よく實のりかけた麥畠を見渡しながら、「何年ぶりかで、倉がいつぱいになるな。」と思つた。
 張は、子どもたちと約束した物を、ふと思ひ出した。たこがあつた。笛があつた。なつめの砂糖づけもあつた。
 こんなことを思ひながら、地平線を見た。すると、にはかに遒け世わいて來た。それが、みるみる近づいて來る。
 雲ではなかつた。
「いなごだ、いなごの大群だ。」
「おうい、おうい。いなごだぞう。」
「いなごだぞう。」
 農夫たちは、はうきを持つたり、たいまつを持つたりしたまま、うはのそらで、天を見てゐるばかりである。
 いなごの群は、雨のやうに、ざあつと畠に降つた。作物は、ひとたまりもなく、むざんに食ひ荒されてしまつた。
     
明月
 五風十雨、今年は、何とありがたい年であつたらう。粟(あは)も、大豆も、かうりやんも、これ以上實のれないといふほど、ゆたかにみのつた。
 今日は夜明けから、張の家では、麥刈をやつてゐた。いくら汗が流れても、樂しい汗であつた。いくら、腰や腕がつかれても、こころよいつかれであつた。
「これで、もう大丈夫。こんどこそ安心。」
長い麥の一うねを刈りあげるたびに、こんなひとりごとをいつた。子どもたちとの約束が、果せると思つただけでも、張はうれしくてならなかつた。
 仲秋
(ちゆうしう)明月の夕暮である。
 畠から大きな月が出て來た。
 庭へ出した机の上に、梨
(なし)やぶだうを供へた。
 紅
(べに)をつけたお菓子もかざつた。
 らふそくには、火がともつた。風のない靜かな月の出である。二人の子どもは、笛を合はせて吹いてゐる。
 張は、しみじみと幸福にひたつた。



         
 二 愛路少年隊

 交通(かうつう)路は、ちやうど、人間でいへば血管(けつくわん)のやうなものである。もし、血管に少しでもさしさはりがあれば、からだの働きも望めないやうに、交通路に故障が起れば、國の活動は、たちまちとどこほることになる。殊に支那のやうに、廣くて大きな國では、交通路が何よりも大切である。
 交通路には、鐵道があり、自動車道路があり、水路があつて、北支那だけでも、これらの延長は、約二萬六千キロにもなるといはれる。更に、中支那・南支那のものを合はせたら、實におびただしい數字にのぼるであらう。
 この長い長い交通路を、りつぱに整へ、安全に保
(たも)つことができないうちは、支那の活動も、發達も望めない。北支那に愛路村(そん)といふ地域(ちいき)が設けられたわけも、ここにある。
 愛路村といふのは、交通路を愛し、これを守る村のことで、道の兩側おのおの十キロ以内のところを、これに當ててゐる。愛路村に住んでゐる愬は、愛路愬隊を組織
(そしき)し、女子は婦女隊を組織し、少年たちは、愛路少年隊を組織してゐるのである。
 愛路少年隊には、十一歳から十七歳までの少年がゐて、みんな元氣のよい顔に、國防色の制服を着て、樫
(かし)の棒をかつぎながら堂々と行進する。かうした訓練を受けたのち、少年たちは、それぞれの任務を帶びて、受持の場所につく。
 あれほど廣い支那のことであるから、今でも日本の眞意がわからないで、いつ心得違ひのらんばう者が、現れないともかぎらないからである。
 愛路少年隊には、次のやうな美談がある。
 ある少年が、鐵道のこはれてゐるのを見つけた。急いで本隊に報告しようと思つて走つて行くと、向かふから列車が進んで來る。このままにしておけば、列車は、ひつくりかへるばかりだ。少年は、線路の上に二王立ちになり、持ち合はせてゐた布を振つて、やつと列車を少年の寸前で止めた。
 ある少年は、自動車道路の見張りを受け持つてゐたが、急病で寝込んでしまつた。といつて、その任務は、しばらくも捨てておくことができない。
 そこで、少年の老父が、これに代つて見張りに出かけた。折惡しくあらしになつて來た。
 がけを曲らうとした時、烈しい風が吹いて來て、父親を深い谷あひに落してしまつた。かうして、父親は、少年の身代りとなつた。
 楊
(やう)といふ少年がゐた。ある夜、これも鐵道線路がこはされてゐるのを發見し、地だんだふんでくやしがつた。かれは、すぐその惡者がどこから來たか、どこへ逃げて行つたか、何名來たか、それらを調べ始めた。惡者といつても、村の良民と違つた着物を着てゐるわけでもなければ、ことばが變つてゐるわけでもない。これをさがし出すのは、非常に困難であり、みんなは、何の手がかりもないこの調査を、打ち切らうといひ出した。楊少年は、「自分の村に起つたことだ。どうしてもさがし出さなければならない。」といつて、止めなかつた。
 ある日の夕方、かれは村の墓地を通つてゐた。すると、そこにかくれてゐたあやしい者が、三人現れた。楊少年は、てつきりこれだと思つた。急いで報告しようと決心し、いつさんに走り出した。すると、三人もあとを追ひかけた。追ひつけないと思つた一人が、いきなり手投げ爆彈を投げつけた。爆彈は、大きな音をたてて破裂
(はれつ)し、その破片が、楊少年の肩や背にあたつた。少年は、氣を失つた。惡者たちは、そのままどこかへ姿をかくしてしまつた。
 この物音に驚いて、村の人たちがかけつけてみると、楊少年が倒れてゐる。さつそく病院へかつぎ込んで、みんなで介抱
(かいはう)したが、その夜は、ただ眠り續けてゐるばかりであつた。
 あくる朝になつて、始めて目をさました。楊少年は、苦しい息の下から、
「惡者が三人、あの墓地に──」
と叫ぶやうにいつた。さうして、またすやすやと眠りだした。まもなく、楊少年は、また何かいはうとして口を動かしてゐる。耳を寄せて聞くと、
「ニッポン、バンザイ。」
といつてゐる。それつきり、少年の息は絶えてしまつた。


 
 
      三 胡同(こどう)風景

 北京
(ぺきん)の町には、胡同が網の目のやうに通じてゐる。胡同といふのは、小路(こうぢ)のことである。
 どこの家も、高い土塀
(どべい)を立てめぐらしてゐるので、小路は、おのづから高い土塀續きになつてゐる。あまり道幅もない兩側の土塀の上から、ゑんじゆの枝や、楊(やなぎ)の木や、ねむの枝などが、ずつと延び出してゐる。いはば、胡同は一本の管になつて、どこからどこまでも、つながつてゐる感じである。
 一見、何の曲もないやうなこの胡同ではあるが、ここに住んでゐる子どもたちにとつては、かけがへのない樂しい遊び場所であり、大きくなつてからのなつかしい思ひ出となる天地である。
 冬は冬で、風當りの少ない胡同の廣場に、子どもたちがたむろして、日だまりを樂しみ、夏は夏で、ひんやりとした土塀の日かげを選んで、風の通り道で遊んでゐる。
 遊ぶといつても、別におもちやや繪本などを持つて、遊ぶわけではない。その邊を走つたり、地べたに尻
(しり)もちをついて、穴をほつたり、土で團子のやうなものをこしらへたり、遠くの方から響いて來るいろいろな物音に、耳を傾けたりしてゐるのである。
 物音には、いろいろなものがある。まづ、物賣りが鳴らして來る鳴り物の音がおもしろい。
 床屋が通る。客の腰掛ける朱塗
(しゆぬ)りの椅子(いす)や、洗面(せんめん)器や、道具を入れた、これも朱塗りの箱を、てんびん棒でかついでやつて來る。片手には、大きな毛拔きのやうなものを持ち、片手には鐵棒をにぎつてゐて、時々、毛拔きを鐵棒で勢よくしごく。すると、「ビューン。」とあとを引くやうな響きがする。その「ビューン。」がはたと止ると、そこでは、どこかの子どもが、もう頭をつるつるにそられてゐるのである。
 糸屋が來る。荷車を引きながら、ゆつくり歩いて來る。でんでんだいこのやうな、ブリキのつづみを鳴らしてやつて來る。「チャカチャン、チャカチャン。」と、輕やかな、はずむやうな音をたてる。すると、どこからともなく女の人たちが集つて來て、糸屋さんを取り巻く。黄色や、紅白の糸たばがくりひろげられて、しばらくは話がにぎやかに續く。
 いかけ屋が來る。これも、いろいろな道具を入れた荷をかついでゐる。前の荷の上に、小さなどらをぶらさげておき、その兩側に分銅
(ふんどう)をつるしておく。歩いて行くと荷が搖れて、自然に分銅がどらに當る。「ボーン。」と、かはいらしい音をたてる。
 どらにも大小さまざまがあつて、音色も違ふし、同じ大きさのどらでも、その打ち方によつて音が違ふ。「あの音は、おもちや屋さんだ。」「今のはあめ屋さんだ。」と、それぞれすぐわかる。
 その中で、いちばんさわがしくて、大きな音をたてるのは、猿まはしのどらであらう。「ジャン、ジャン、ジャン。」と、激しくたたいておいて、手のひらで、どらを急に押さへるので、「ジャン、ジャン、ジャッ。」といふやうに聞える。これを聞きつけて、子どもが大勢集る。まるく輪になつたその中で、猿がさまざまな藝
(げい)をする。三國志(さんごくし)とか、西遊記(さいいうき)といつた支那の昔物語をやるつもりなのだが、猿は途中で、きよとんとして止めてしまつたり、とんでもない別のことを演じたりする。それが、見てゐる人にはかへつておもしろく、笑ひ聲が絶えない。猿まはしは、猿を使つたり、せりふをいつたり、はやしを入れたりしなければならないので、なかなかいそがしい。
 子どもの見ものでは、このほかに影繪がある。日暮れ時の胡同の廣場などに、影繪の舞臺
(ぶたい)をこしらへて、そこで人形をあやつる。ほのぼのとした影が搖れながら動くのは、子ども心を引きつけて止まない。思はず夜のふけるのも知らないで、見とれてしまふ。ふと氣がついて、子どもたちは、あわてて家にもどつて行つたりする。
 鳴り物を使はないで、呼び聲でやつて來る者もゐる。
 まんぢゆう屋がさうだ。朝早く大きな聲で叫びながら、ふれ歩いて來る。やつと目がさめたころ、遠いところを通るその聲を聞くのは、夢
(ゆめ)の中の聲のやうに思はれる。
 春は、苗賣りがやつて來る。
 夏は、金魚賣りがやつて來る。「さあさあ、金魚をお買ひなさい。大きな金魚に、小さな金魚。」こんなことをいつて通る。
 アイスクリーム賣りがやつて來る。「おいしい、おいしいアイスクリーム。にほひも砂糖もおほまけだ。」と歌ふ。
 秋には、なつめ賣りもやつて來る。ぶだう賣りもやつて來る。
 たとへ鳴りものであらうと、呼び聲であらうと、管のやうな胡同には、それがふしぎなほどよく響き渡る。
 このやうに、いろいろな物音が響くが、何といつてもいちばん耳に親しいものは、水を運ぶ一輪車の音であらう。水に不便
(ふべん)な北京城内では、一軒(けん)一軒、水を運んで行かなければならない。大きな水槽(すゐさう)をのせた一輪車が、「キリキリ、リリリ。」ときしみながら、かん高い響きをたてる。だから、車の動いてゐる間、絶え間なく「キリキリ、リリリ。」が響く。夏の日には、この音が涼味(りやうみ)をさそひ、冬の日は、いかにもさむざむとした氣持を起させる。
 夜の胡同は眞暗なので、それこそ鼻をつままれてもわからないほどである。それだけに、空が美しい。月が出てゐれば、出てゐたで美しく、星の夜であれば、また更に美しい。悗澆かつた明かるい夜空に、南京
(なんきん)玉のやうな星がばらまかれて、一つ一つが、かがやいてゐる。
 胡同に面した家々の門には、聯
(れん)が書かれてある。めでたい文句であつたり、詩の一節であつたりするが、いづれもりつぱな文字で書かれてある。小さな子どもは、繪も字もわからないころから、この門柱の聯を眺めてゐる。ただ美しいかざりのやうな氣持で眺めてゐる。それが、だんだん大きくなつて文字であることがわかり、その文字の意味がわかつて來ると、いつそうその聯の美しさが心に刻まれて來る。隣りの家の聯がわかるやうになり、向かふの家の聯もわかるやうになつて行く。
 正月には、門の戸びらに、眞赤な紙にめでたい文字を書いた春聯が張りつけられる。子どもたちは、その新鮮なかざりに正月氣分を味はふ。
 春になると、鳩笛
(はとぶえ)が天から響いて來て、胡同をにぎははせる。鳩笛といふのは、鳩に笛を結びつけて飛ばすのである。飛ぶと、風を受けてその笛が鳴る。笛には大小があるから、鳩が群になつて飛んで來ると、笛の音がいろいろに鳴つて、それこそ天上の音樂である。中庭のあんずが咲いて、花びらが胡同へちらちらと降つて來るのも、このころである。
 楊
(やなぎ)のわたが、どこからともなくたくさん舞つて來る。小さな光つたわたが、土塀の片すみにたまる。ふはふはとまるくなつて、風が吹いて來ると、ころころところがり出す。子どもたちは、それをつかまうとして追ひかける。
 大通を、豚
(ぶた)がぞろぞろと歩いて行く。その鳴き聲が胡同に響いて來る。
 あひるが、「があがあ。」とさわいで行く。
 花嫁行列のラッパの音が、どこかで響く。子どもたちは、またそちらの方へ走つて行く。
 胡同は、子どもたちを育ててくれる母のふところのやうなものである。子どもたちは、この自然の美しさにひたり、人情の温かさを吸つて、おほらかにのびて行く。

 

 


 

 

      (注) 1. 『初等科國語 六』の教科書は、昭和18年7月12日発行、昭和18年8月29日翻刻
        発行。著作兼発行者 文部省。発行所 日本書籍株式会社。
          これは、『複刻 国定教科書(国民学校期)』(ほるぷ出版刊、昭和57年2月1日)に
        よりました。原本所蔵は、信濃教育博物館です。

        2.  
教科書巻末(「附録」の前)の漢字表の漢字には、「 儉(7) 硯(7) 筆(7) ……」の
        ように、漢字の下に頁数が表記されていますが、ここでは省略しました。
          なお、教科書本文の挿絵や写真も、省略しました。
       3. 『初等科國語 六』の教科書は、国民学校5年生後期用の教科書です。
       4. 「十 不沈艦の最期」と「十八 敵前上陸」の本文中の「焔」の漢字は、正字が表記で
        きないので、新字体で代用しました。
       5.  資料154に 『初等科國語 一』の本文(全文) があります。
           資料156に 『初等科國語 二』の本文(全文) があります。
   
           資料179に 『初等科國語 三』の本文(全文) があります。
 
             資料186に 『初等科國語 四』の本文(全文)があります。
               資料189に 『初等科國語 五』の本文(全文) があります。
            資料199に 『初等科國語 七』の本文(全文) があります。
                     資料210に 『初等科國語 八』の本文(全文) があります。 



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