資料633  「先春梅記」のこと


「先春梅記」のこと

9代藩主徳川斉昭の祖父・6代治保(はるもり)が、寛政3年(1791)、城下黒羽根町にあった岡崎蘇衛門の邸の珍しい梅の木を見て漢詩を作ったことがあります。その事蹟が人々に知られることなく失われてしまうことを恐れたその後その地に住むことになった児玉匡忠が、まだ藩主の就任前であった斉昭に頼んで書いてもらったのが「先春梅記」です。その「先春梅記」において、斉昭はこの梅の木を「先春梅」と名づけました。文政10年(1827)にその文章を刻んだ「先春梅記」の碑が建てられました。
その「先春梅記碑」は、残念ながら大正7年の水戸の大火によって、梅の木とともに失われてしまったのだそうです。梅の木と碑が大正7年まであったというのですから、梅の木と碑の写真がどこかに残っているのではないかと思うのですが、どういうわけかそれが見つかりません。
令和4年(2022)になって、この碑の拓本がある人から弘道館に寄贈されました。それによって、「先春梅記碑」がどういう形のものであったかが分かりました。
この「先春梅記」と「先春梅記碑」のことを少し調べてみました。「水戸烈公詩歌文集」には、編註者・蔭山秋穂氏による「先春梅記」の書き下し文が付いていて参考になります。
「先春梅記」の概略については、資料629「先春梅記碑」の碑文 をご覧ください。

資料629「先春梅記碑」の碑文 碑文あり
資料630「先春梅記」(『景山文詩集』による) 碑文あり
資料631「先春梅記」(『景山遺稿』による) 碑文あり
資料635「先春梅」(瀧興治著『水戸名勝誌』による) 碑文あり
資料639   先春梅記碑(『茨城百科全書』による)
資料634「先春梅を看る」(遅塚金太郎(麗水)著『山水供養』より) 
資料
637 先春梅(『茨城県の農家副業 続々編』による)
資料638 遅塚麗水著「紅梅白梅」(雑誌『新公論』大正7年2月号)による)
資料640 先春梅のこと(前田香径著『水戸を語る』より)
資料636 先春梅先春梅(『増補改訂 茨城大観』より)
資料632「先春梅記」(『水戸烈公詩歌文集』による)
 碑文あり・書き下し文あり

〇 明治44年に発行された『茨城百科全書』に、「先春梅記碑」のことが出ていることに気がつきました。(2023年4月4日)

〇 大正2年に発行された『山水供養』にも、「先春梅」のことが出ています。これも国立国会図書館デジタルコレクションに入っています。
(2023年4月6日)
 
〇『水戸名勝誌』(瀧興治・著作兼発行、台水書院 明治36年3月1日発行、同39年3月5日再版、同44年3月5日三版)にも、「先春梅」のことが取り上げられていて、ここに碑文が引用してあります。
(2023年4月7日)

資料637 先春梅(『茨城県の農家副業 続々編』による)があります。
これは、茨城県農会が大正6年に発行したものです。ここに、文公が詩を作ったこと、烈公が碑を建てたことなどが出ています。
(2023年4月7日)

資料636 先春梅(『増補改訂 茨城大観』より)があります。
昭和11年に発行されたこの本には、黒羽根町には先春梅の名木もあったが、今は枯死した、とあります。
(2023年4月7日)

    * * * * *

「先春梅記碑」の拓本公開についての弘道館の記事が、次に出ています。ここに「先春梅記」の拓本の写真が出ています。
 → 弘道館─偕楽園開園180年記念「先春梅記」拓本を初公開します


「先春梅記」碑の拓本の写真
『顎鬚仙人残日録』(あごひげせんにんざんじつろく)というブログにも、長山家から弘道館に寄贈された「先春梅記」の拓本の写真が出ていますので、ご覧ください。
 →『顎鬚仙人残日録』 →「偕楽園開設180年と斉昭公の書」



   






         トップページへ