大正2年に発行された遅塚金太郎(麗水)著『山水供養』の中に、「先春梅」とその碑に触れた部分がありますので、それを引いておきます。
なお、この文章は後に『新公論』(大正7年の2月号・第33巻第2号)という雑誌に文章を書き改めて掲載されています。
→ 資料638 遅塚麗水著「紅梅白梅」(雑誌『新公論』大正7年2月号)による)
(注) | 1. |
本文は、『国立国会図書館デジタルコレクション』所収の遅塚金太郎(麗水)著『山水供養』(春陽堂、大正2年5月22日発行)によりました。 『国立国会図書館デジタルコレクション』→『山水供養』 (「梅と碑碣」は58/132、「先春梅」の記事は61/132にあります。) |
|||
2. | 原文は総ルビになっていますが、ここでは必要と思う個所だけに振り仮名を付けて、後は省略しました。 | ||||
3. |
語句の注をつけておきます。
∇ 故栗田寛先生の嗣勤(つとむ)氏=ここに「勤(つとむ)」とありますが、「勤(いそし)」と読むのが正しいようです。 ∇ 行く行く=原文は、「行く」の次に、平仮名の「く」を縦に伸ばした形の繰り返し符号が使われています。 ∇ 戸川残花=本名、安宅(やすいえ)。詩人・評論家、牧師。江戸時代末期の旗本で、明治時代の文学者。1874年(明治7年)にキリスト教の洗礼を受けて牧師となる。残花という名で明治から大正にかけて文壇で活躍した。また、1901年(明治34年)日本女子大学の創立に参画し、国文科教授となる。著書に『幕末小史』『海舟先生』がある。(1855・安政2年~1924・大正13年) ∇ 東道の人=主人となって客をもてなしたり、案内をする人。東道の主人。 ∇ 文禄年=天正の後、慶長の前の年号。1592~1596。 ∇ 義公數々(しばしば)此の花を觀たる=徳川光圀がこの「先春梅」の樹を見たということは、知りませんでした。このことがどこかに出ているでしょうか。 ∇ 丈人(じょうじん)=長老を敬っていう語。 |
||||