資料637 先春梅(『茨城県の農家副業 続々編』による)



      先 春 梅 『茨城県の農家副業 続々編』第十章  水戸の梅  より


二 沿革
水戸の梅を以て名あるは、好文亭園及び弘道館苑に梅樹あるを以てなり。是等の梅樹は單に烈公の時に栽培せられて今に保好せらるゝものなれば、之か沿革として何等記載すべきものなきは當然なり。されど烈公以前に水戸と梅とは多少の因縁ありしが如し。多數の梅樹を移植せし歴史こそなけれ、義公並に義公の再生と稱せられし文公は共に梅花を愛せしなり。烈公がかの兩園に許多の梅樹を栽培せしは主として軍用に供するが爲めなりしも、亦其の半面に於ては兩公の梅に對する精神を實現したりと觀るも蓋し不可なきに似たり。そもそも義公が梅花を愛好せしことは驚くばかりにて「花ほとゝぎす月雪」と四時の風情の妙なるもさる事ながら「梅花のいよやかなる有樣」に及ぶべくもあらずとなして梅花を激賞し、ある時さる人の家の梅樹を見て屢々之を請ひ受けんと望みしも遂に其の應諾を得ざりしが、一夜雨強く降りける時偶かの人の門前を通行し、ふと之を獲んとの心を起し人知れず抜き取りて持ち歸り自庭に移植して日となく夜となく愛玩せしといふ。文公の梅を愛好せしことも蓋し天性に出でたり。黒羽根町岡崎蘇衛門の後園に古梅樹あるを聞かれ、寛政三年正月十一日特に駕を枉げさせて詩を賦せられけり。後年烈公茲に碑を建てられて其の事を記されたり。先春梅とて其の名高きは此の梅のことなり。(以下、略す)


  (注) 1. この本文は『茨城県の農家副業 続々編』(茨城県農会  大正6年12月17日発行)によりました。
茨城県の農家副業 続々編』は国立国会図書館のデジタルコレクションに入っています。ここに、黒羽根町の「先春梅」のことが出ています。

 → 国立国会図書館のデジタルコレクション
  → 茨城県の農家副業 続々編75~76/93 (本文135~136頁)

   
    2. 初めのほうに出ている「之か沿革として」の「か」は原文のママです。    
     3. 文中に出ている、義公がある家の梅樹を人知れず抜き取って持ち帰ったということは、義公自身が「梅花記」に書いています。
 → 資料626 徳川光圀「梅花記」(安藤為章撰『年山紀文』による)
   






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