資料632 先春梅記(『水戸烈公詩歌文集』による)
先春梅記
(『水戸烈公詩歌文集』による)
先春梅記
兒玉匡忠園中。有古梅一株。樹圍丈餘。髙三丈。枝葉縱横。根幹輪囷。冰姿玉骨。老而逾奇。花紅白班色。及花時。清香馥郁遠襲人。徃歳 先君文公在藩也賞遊吟詠。時爲寛政三年己亥正月十有一日矣。匡忠之宅。其父匡次所賜。而岡崎朝堅舊宅也。相傳此樹佐竹氏之舊物。而不知換主幾許。歳月荏苒。物在人亡。 文公之賞遊。在朝堅父朝能時。至今三十有七年。匡忠慨然恐其久而事湮滅。請予記其事。將以刻石傳之不朽。予大嘉其志。且也 文公休憩。遺愛所存。不可無言。遂應其請。名之曰先春梅。且記其梗概以與之。係以銘曰。
色秀衆樹。 香掩群芳。 高標逈絶。 老幹屈強。 一經風詠。 漸換星霜。 遺愛長存。 千秋彌章。
兒玉匡忠の園中、古梅一株あり。樹圍丈餘、髙さ三丈、枝葉縱横、根幹輪囷、冰姿玉骨、老いて逾奇に、花は紅白色を班ち、花時に及び、清香馥郁遠く人を襲ふ。往歳 先君文公の藩に在るや賞遊吟詠せり。時に寛政三年己亥正月十有一日と爲す。匡忠の宅は、其の父匡次の賜はる所、而して岡崎朝堅の舊宅なり。相傳ふ此の樹は佐竹氏の舊物にして、主を換ふること幾許なるを知らずと。歳月荏苒、物在りて人亡し。文公の賞遊は、朝堅の父朝能の時に在り、今に至りて三十有七年なり。匡忠慨然其の久しくして事の湮滅するを恐れ、予に其の事を記さんことを請ひ、將に以て石に刻して之を不朽に傳へんとす。予大に其の志を嘉し、且また文公休憩、遺愛の存する所、言なかるべからず。遂に其に請に應じ、之に名づけて先春梅と曰ふ。且つ其の梗概を記して之に與へ、係るに銘を以てす曰く、
色は衆樹に秀で、香は群芳を掩ふ。高標逈絶、老幹屈強、一たび風詠を經、漸く星霜を換ふ。 遺愛長に存し、千秋彌〃章なり。
兒玉匡忠。水藩臣にして城下南町に住す。
文公。水藩主第六世。諱は治保、字は子安、舜山と號す。權中納言
從三位。第五世良公の長子にして、母は俊祥院夫人。太政大臣一
條兼香公の女。實は所生榊原氏にて夫人に子養せらる。明和三年
襲封、文化二年薨ず。享年五十五。
岡崎朝堅。水藩の重臣。
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