(注) | 1. |
上記「新瓦」の本文は、早稲田大学図書館・古典籍総合データベースの『東里遺稿』によりました。 この『東里遺稿』は、慶応元年(1865)、下毛佐埜 柳圃堂・煉霞堂の刊行によるものです。 → 早稲田大学図書館・古典籍総合データベース →『東里遺稿』 |
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2. |
「新瓦」の「瓦」(が)について。 「瓦」(が)とは、糸を撚るために用いる道具で、女の子の玩具にもなった、と図録『中根東里展─「芳子」と門人たち─』(佐野市郷土博物館、令和元年10月5日発行)に、図入りで説明が出ています。 また、「新瓦」の訓読の注に、この「瓦」は、『詩経』の小雅に出ている「斯干(しかん)」という詩によったもので、「土器製の糸巻きのことで、女子に持たせるおもちゃとした。新瓦は、それに対する新たな女子の玩具の意。つまらないものである瓦を新製したとの謂いでもあり、東里の謙遜の意を込めている」とあります。詳しくは図録を参照してください。(図録の「新瓦」の校注は、名古屋大学大学院教授の塩村耕先生によるものです。) |
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3. | 『東里遺稿』は、ネット上では、上記の早稲田大学図書館・古典籍総合データベースのほか、次のところでも見ることができます。 →『東里遺稿』 | ||||
4. | 文中のの漢字は、島根県立大学の‟e漢字” を利用させていただきました。 | ||||
5. | 佐野市郷土博物館発行の図録『中根東里展─「芳子」と門人たち─』に掲載されている『新瓦』の本文によって、本文の次の3か所に触れておきます。 (1)「咨汝芳子吾聞之君子樂不忘憂……」の段落にある「令汝所記於嫗爲多」の「令」は、「今」の誤刻。 (2)「咨汝芳子吾欲汝之讀書也」の段落にある「井上通内史桃其三人則吾忘之矣」は、「井上通内史桃其餘三人則吾忘之矣」の「餘」が脱落したものとして「餘」を補う。 (3)終わり近くの段落「享保辛亥余在江都」の終わりのほうにある「謙能成仁仁又能謙」は、「謙能成仁仁又能成謙」の「成」が脱落したものとして「成」を補う。 (4)最後の段落「樵者利山魚者便水」の「魚」は、「漁」の誤刻。 |
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6. | ここに掲載した「新瓦」の「佐與者常州水戸城東吉沼邑人伊平太之妻也伊平太貧與妻並耕」の段落の終わり近くにある「吏素聞其賢也不忍責之更具其事以言于官」の「具」は、「目」の下に「大」と書いてある字です。 また、ここの「伊平太貧」の「伊平太」は、原文には「伊平大」とあるのを引用者が改めてあります。 |
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7. |
注1と4で触れた、図録『中根東里展─「芳子」と門人たち─』(佐野市郷土博物館、令和元年10月5日発行)が出ていて、そこに名古屋大学大学院の塩村耕教授による『新瓦』の原文・訓読・校注・現代語訳が掲載されていて大変参考になります。 なお、図録の『新瓦』の底本は、佐野市郷土博物館保管(個人蔵寄託本)の初版初刻本『東里先生遺稿』所収本を用いた、と図録の凡例にあります。 第70回企画展『中根東里展─「芳子」と門人たち─』の再開について この図録は、令和元年10月5日(土)から11月24日(日)までの予定で佐野市郷土博物館で開かれた、同博物館第70回企画展の際に発行されたものです。 ただ、会期は台風19号の影響で10月20日から臨時休館となり、企画展はそのまま中止になった由です。そのため、企画展は今年の10月から再度開催を予定しているそうです。その期間等詳しくは、佐野市郷土博物館のホームページでご確認ください。 → 佐野市郷土博物館 → 第70回企画展『中根東里展─「芳子」と門人たち─』 |
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8. | 資料444 中根東里『新瓦』についてのメモ があります。 | ||||
9. |
『佐野学』というサイトに、佐野学講座「中根東里を読むことの現代的意義:時代を超えてひびくことば」(名古屋大学大学院人文学研究科教授・塩村耕氏による講演の紹介記事)があります。 佐野学 → 佐野学講座「中根東里を読むことの現代的意義:時代を 超えてひびくことば」 |
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10. |
磯田道史著『無私の日本人』(文藝春秋、2012年10月25日初版第1刷発行)に、穀田屋十三郎、大田垣蓮月とともに、中根東里が取り上げられています。 なお、『文藝春秋』2010年(平成22年)2月号から、磯田道史氏による「新代表的日本人」の連載が始まり、その第1回として中根東里が取り上げられ、東里については4月号まで3回にわたって連載されています。 |
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11. | 『黒船写真館』というブログに「浦賀に眠る陽明学者 中根東里」というページがあって参考になります。 | ||||
12. |
『豆の育種のマメな話』(北海道と南米大陸に夢を描いた育種家の落ち穂拾い)というブログに、「下田生まれの儒者、清貧に生きた天才詩文家「中根東里」」という記事があり、中根東里の経歴が簡潔にまとめてあって参考になります。 *「写真術の開祖「下岡蓮杖」」の次に、「「中根東里」と伊豆気質」があり、 その次に「下田生まれの儒者、清貧に生きた天才詩文家「中根東里」」があ ります。 (2016年10月7日) |
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13. | 『ウィキペディア』に、「中根東里」の項があります。 | ||||
14. |
資料439に
中根東里の「壁書」があります。 資料437に「中根東里「学則」」があります。 資料438に「中根東里の経歴(『下田の栞』による)」があります。 資料441に「〔中根東里〕竹皮履先生と壁書(『通俗教育 逸話文庫』巻の三より)」 があります。 資料442に「中根東里(『先哲叢談 後篇』より)」があります。 資料445に「中根東里(『日本陽明学派之哲学』より)」があります。 資料443に「中根東里(『近古伊豆人物志』より)」があります。 資料446に「中根東里(『日本陽明学派之哲学』より・傍点部分を表記)」があり ます。 |
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