資料444 中根東里『新瓦』についてのメモ 中根東里の唯一の著書ともいうべき『新瓦』についてのメモを記しておきます。
1.お茶の水女子大学の『TeaPot』(お茶の水大学教育・研究成果コレクション)の中に、石井庄司先生(執筆当時、東京高等師範学校教授)の「「ことば」で育てる」 が収録されています。 → 『TeaPot』の検索欄に「「ことば」で育てる」と入力して検索して、画面を出してください。 本文を読むことができます。 この中で、東里のもとに引き取られた弟・孔昭の幼娘・芳子について、次のように書かれています。
こゝで中根東里先生の「新瓦」のことを申したい。中根東里先生は、伊豆の下田の人で元祿七年に生れ、明和二年、七十二歳で亡くなつた儒者である。今から凡そ百八十年ばかり前の人である。年十三のとき父に先だたれ、母につかえて孝養をつくしていたが、母の命で僧となり、後、江戸に出て徂徠や鳩巢などについて學を修めたが、全く普通の者とは違つていた。かつて鎌倉の鶴岡八幡宮の前で、弟と共に下駄を賣つて生活をしたこともあつた、後には下野國安蘇郡の天明郷に移り開店した。このとき、鎌倉の弟叔德の娘芳子を引取つて世話をした。芳子は僅か三才、先生は五十二歳の獨身者であるが、晝夜心根を傾けて、芳子の養育につくした。「新瓦」は芳子四歳のときに書かれたもので、全く感激の深い書物である。 その中にこういうことが書いてある。芳子が下野へ來るまで、鎌倉で世話になつていた隣のお婆さんがあつた。芳子の母はなくなり、父の叔德はかせぎのために外出することが多いので、隣のお婆さんに賴んだのである。このお婆さんは、父の前では、芳子をよく世話するように見せかけているが、陰では虐待したということが述べてある。證據というのは、三歳になる芳子が下野へ來たときに、幼言葉というものを知らない。みんな大人のような言葉遣であるということを指摘して居られる。例えば幼児は手ということは「テ」といわず「テテ」といい、寢ることは「ネンネ」といい、起きることは「オキオキ」、食物は「ウマウマ」というように重言を使う。また犬は「ワンワン」猫は「ニャーニャー」鼓は「テンテン」尿は「シィシィ」というように声をそのまま具象的に言う。元來幼兒は、こういう愛情のこもつた「ことば」で育てられるものである。ところが今、芳子は隣のお婆さんから愛情を以て世話されなかつたから、こういう幼言葉を知つていないという結論なのである。(「ことば」で育てる:『幼児の教育』(第46巻第4号、日本幼稚園協会(東京女子高等師範学校附属幼稚園内)昭和22年5月30日発行)所収。9-13頁)