資料437 中根東里「学則」

        

 

      學  則

聖人之學。爲仁而已矣。仁者、天地萬物一體之心也。而義禮智信皆在其中矣。葢天下之物。其差等雖無窮。然莫弗得天地之性。以爲其性得天地之氣。以爲其氣。此之謂一體。是故自我父子兄弟。以至於天下後世之人。皆吾骨肉也。日月雨露、山川草木。鳥獸魚鼈。無一物而非我也。則吾不忍之心。自不能已矣。是故己欲立而立人。己欲達而達人。己所不欲無施諸人。人之善惡。若己有之、先天下之憂而憂。後天下之樂而樂。是之謂仁。是之謂天地萬物一體之心。其自然有厚薄者義也。譬影之參差。非日月之所私焉。禮其節文也。智其明覺也。信其眞實也。是心之德。其盛若此。但爲人欲所蔽。而不知其所謂一體者安在也。營々汲々。唯一己之名利是圖甚者視其一家骨肉之親。無異於仇讎。况他人乎、鳥獸草木乎。然而心之本體。則自若也。其感於物也。輙戚々焉如痛孺子之入井。閔觳觫之牛之類是已。况於吾父子兄弟。其能恝然乎。譬如雖雲霧四塞然日月之明。則無以異。纔有罅隙。輙能照焉。聖人之學。豈有他哉。勝夫人欲。以盡是心而已矣。葢合内外。以平物我而已矣。此之謂爲仁。此之謂好學。於戯。其廣大而簡易若是矣。彼以文辭爲學者。陋矣。求義於外惑矣。吾懼學之日遠於仁也。於是乎言。
 丁巳冬 中根若思書于下毛之泥月菴。

  (注)図録『中根東里展─「芳子」と門人たち─』(佐野市郷土博物館、令和元年10月5日発行)所収の「学則」本文(訓読・校注 塩村耕 名古屋大学大学院教授)によれば、上記の本文には次の3か所に脱字がある由です。
 (1)譬影之參差 → 譬影之參差
 (2)况他人乎、鳥獸草木乎 → 况他人乎、鳥獸草木乎
 (3)
求義於外惑矣  求義於外惑矣
 この図録掲載の「学則」は、
佐野市郷土博物館蔵の版木によるものだそうです。
 なお、図録には、版木を手拓し反転させて復元した「学則版木による復元画面」が掲載されています。
(2020年5月28日付記)

 

 


 

  (注) 1.  上記の中根東里「學則」の本文は、『国立国会図書館デジタルコレクション』所収の高瀬武次郎著『日本之陽明學』(鉄華書院、明治31年12月15日発行)によりました。
  
『国立国会図書館デジタルコレクション』
    → 『日本之陽明學』本論第六 中根東里(73/160)
   
    2.   江戸中期の儒者・陽明学者であった中根東里(1694~1765)の「學則」は、東里が元文2 (1737)年に、現在の佐野市の植野の泥月庵で、弟子を教育するために作ったもので、陽明学の大本を明らかにしたものだそうです。    
    3.  佐野市のホームページに、佐野市指定文化財「中根東里学則版木」のページがあります。
  
佐野市ホームページ
    
→ くらしの情報
    → 文化・伝統
    → 佐野市指定文化財「中根東里学則版木」
   
    4.  図録 『中根東里展─「芳子」と門人たち─』(佐野市郷土博物館、令和元年10月5日発行)が出ていて、中根東里について詳しく知ることができます。(2020年5月28日付記)
 図録 『中根東里展─「芳子」と門人たち─』
    目次
    ごあいさつ  プロローグ
    第1章 中根東里の生涯
    第2章 中根東里書簡集
    第3章 菅神廟碑
    第4章 学則
    第5章 新瓦
    第6章 知松庵記・壁書
    中根東里関係略年譜
    参考文献一覧
    展示資料所蔵等一覧
    あとがき
   
    5.   『黒船写真館』というブログに「浦賀に眠る陽明学者 中根東里」というページがあり、人物の紹介があって参考になります。    
    6.  次に、中根東里の「學則」を書き下しておきます。  

      學  則
聖人の學は、仁を爲すのみ。仁は、天地萬物一體の心なり。而
(しかう)して義禮智信、皆その中(うち)に在り。葢(けだ)し天下の物、その差等、窮(きはま)りなしと雖(いへど)も、然(しか)れども、天地の性を得ざるはなし。以てその性と爲し、天地の氣を得て、以てその氣と爲す。此れを之れ一體と謂ふ。是(こ)の故に我が父子兄弟より、以て天下後世の人に至るまで、皆吾が骨肉なり。日月雨露、山川草木、鳥獸魚鼈、一物として我に非(あら)ざるはなし。則ち、吾が忍びざるの心、自(おのづか)ら已(や)む能(あた)はず。是(こ)の故に、己(おのれ)立たんと欲して人を立て、己(おのれ)達せんと欲して人を達す。己の欲せざる所は、諸(これ)を人に施すことなかれ。人の善惡は、己(おのれ)(これ)を有するがごとく、天下の憂ひに先だちて憂ひ、天下の樂しみに後れて樂しむ。是(これ)を之(こ)れ仁と謂ふ。是を之れ天地萬物一體の心と謂ふ。それ自然に厚薄あるは、義なり。譬(たと)へば影の參差(しんし)は、日月の私(わたくし)する所に非ず。禮は、その節文なり。智は、その明覺なり。信は、その眞實なり。是れ、心の德、その盛んなること此(か)くのごとし。但(ただ)し、人欲の蔽(おほ)ふ所と爲(な)つて、その所謂(いはゆる)一體は安(いづ)くに在るかを知らざるなり。營々汲々として、唯一(ゆいいつ)(おのれ)の名利(みやうり)を是れ圖(はか)る甚しき者は、その一家骨肉の親(しん)を視ること、仇讎(きうしう)に異なることなし。况(いは)んや他人をや、鳥獸草木をや。然(しか)り而(しかう)して、心の本體は則ち自若(じじやく)たり。その物に感ずるや、輙(すなは)ち戚々焉(せきせきえん)として、孺子(じゆし)の井に入るを痛み、觳觫(こくそく)の牛を閔(あは)れむが如きの類、是れのみ。况んや吾が父子兄弟に於て、それ能く恝然(けいぜん)たらんや。譬へば雲霧四塞(しそく)すと雖(いへど)も、然(しか)も日月の明は、則ち以て異なることなきが如し。纔(わづ)かに罅隙(かげき)あらば、輙(すなは)ち能く照らす。聖人の學、豈(あ)に他(た)有らんや。夫(か)の人欲に勝つて、以て是(こ)の心を盡くすのみ。葢(けだ)し、内外を合し、以て物我(ぶつが)を平らかにするのみ。此れを之れ、仁を爲すと謂ふ。此れを之れ、學を好むと謂ふ。於戯(ああ)、その廣大にして簡易なること、是(か)くのごとし。彼(か)の文辭を以て學と爲す者は、陋(ろう)なり。義を外に求むるは、惑へり。吾、學の日に仁に遠ざかるを懼(おそ)るるなり。是(ここ)に於てか言ふ。
丁巳の冬 中根若思
(じやくし)、下毛(しもつけ)の泥月菴(でいげつあん)に書す。

   
    7.  磯田道史著『無私の日本人』(文藝春秋、2012年10月25日初版第1刷発行)に、穀田屋十三郎、大田垣蓮月とともに、中根東里が取り上げられています。
 なお、『文藝春秋』2010年(平成22年)2月号から、磯田道史氏による「新代表的日本人」の連載が始まり、その第1回として中根東里が取り上げられ、東里については4月号まで3回にわたって連載されています。
   
    8.  資料438に『下田の栞』(下田己酉倶楽部、大正3年8月31日発行)に掲載されている中根東里の紹介文があります。
   → 資料438 中根東里の経歴(『下田の栞』による)

  なお、この紹介文は、本文に付記してあるように、主として井上哲次郎著『日本陽明学派之哲学』(冨山房、明治33年10月13日発行)によったもので、この『日本陽明学派之哲学』、、『国立国会図書館デジタルコレクション』ることができます。
 
  『国立国会図書館デジタルコレクション』 
    → 
井上哲次郎著『日本陽明学派之哲学』
   
    9.   『豆の育種のマメな話』(北海道と南米大陸に夢を描いた育種家の落ち穂拾い)というブログに、「下生まれの儒者、清貧に生きた天才詩文家「中根東里」」という記事があり、中根東里の経歴が簡潔にまとめてあって参考になります。   
 *「写真術の開祖
「下岡蓮杖」」の次に、「「中根東里」と伊豆気質」があり、その次に「下田生まれの儒者、清貧に生きた天才詩文家「中根東里」」があります。(2016年10月7日)
   
    10.  資料439に「中根東里の「壁書」」があります。
 資料440に「中根東里(『尋常小学修身口授書』巻の三より)」があります。
 資料441に「〔中根東里〕竹皮履先生と壁書(『通俗教育 逸話文庫』巻の三より)」があります。
 資料442に「中根東里(『先哲叢談 後篇』より)」があります。
 資料443に「中根東里(『近古伊豆人物志』より)」があります。
 資料445に「中根東里(『日本陽明学派之哲学』より)」があります。 
 資料446に「中根東里(『日本陽明学派之哲学』より・傍点部分を表記)」があります。 
   

       
       

             



                                       
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