資料440 中根東里(『尋常小学修身口授書』巻の三より)
 
 
 

 

     廿七。 中根東里。

 
中根貞右衞門は、一つの名を東里といひ、伊豆の國下田の人なり。生れつき親孝行にて、父母を大切にし、近所近邊の人、感心せぬ者はなかりき。
 東里の父は、至て酒好きにて、お客に往けば、いつも酒に醉ひて家に歸ること晩し。東里、父の歸りを氣遣ひ、物凄き田舎路を恐れもせず、遠方まで迎へに出づること屢あり。ある夏の夜、いつもの如く迎へに出でければ、父は、いつもよりも飲み過ごしたりと見え、人の見堺もなくなりて、頻に東里を罵り、其の儘路の傍に倒れて、ぐうぐう寢入りぬ。
 東里は、扶けて家に歸らんと思ひ、色々骨折りたれども、起きざれば、走りて家に歸り、母の心配せんことを氣遣ひて、「お父樣は、今晩さきへお泊りで御座いますが、お客が多くつて、蚊帳が足りないさうで御座いますから、内の蚊帳を持つて參ります。さうして、私も一晩泊つて參ります」といひ置き、蚊帳を提へて、再び元の所へ行き、漸くの事にて、木の枝に蚊帳を吊り、夜中父を看護し、醉の醒めたる頃、扶けて家に歸れり。東里此の時、十一二歳なりきといふ。其の親を思ふ心の深きこと、誠に感心せり。
 東里十三歳の時、父を喪ひ、母に事へて、相變らず孝行なりき。母、東里を寺に入れて、坊主になし、なき父の爲に經を讀ませんとす。東里、母の命に從ひ、坊主になりて、毎日經を讀み、母の心を慰めつ。其の後、江戸に來て、ある寺に入り、頻に佛書を勉強したるが、自分は、出家よりも、學者になりたしと思ひき。されども母の命なれば、氣儘に止むる譯にもゆかずして、其のまゝに日を送れり。
 細井廣澤といふ先生、東里が、親孝行にて、又よく勉強することを知りて、大層可愛がり、寺の方丈に話して、自分の家に引取り、支那の書を勉強せしむ。東里程なく故郷に歸り、出家を止めて、學者になりたしといふことを願ひ、母の許しを得て、還俗せり。
 それより一生懸命に勉強して、遂に大先生となり、後の世に至るまでも、其の名を知らるゝ程になりたり。親孝行といひ、勉強といひ、實に感心なる人といふべし。
  
  復習
 (一)東里が、父を看護したる話を爲せ。
 (二)細井廣澤は、何故東里を可愛がりたるか。

 

 

  (注) 1.  上記の「中根東里(『尋常小学修身口授書』巻の三より)」は、『国立国会図書館デジタルコレクション』所収の『尋常小学修身口授書』巻の三(那珂通世・秋山四郎編、明治26年12月27日・共益商社書店発売)によりました。
 
『国立国会図書館デジタルコレクション』
  → 『尋常小学修身口授書』巻の三
(47~48/84)
   
    2.  広島大学図書館『教科書コレクションデータベース』で、『尋常小学修身口授書』巻の三が画像で見られます。ただし、ダウンロードする必要があるようです。
 広島大学図書館『教科書コレクションデータベース』

   → 『尋常小学修身口授書』巻の三
   
    3.  佐野市のホームページに、佐野市指定文化財「中根東里学則版木」のページがあります。
  
佐野市ホームページ 
   
→ くらしの情報
   
→ 文化・伝統
   
→ 佐野市指定文化財「中根東里学則版木」
   
    4.  図録 『中根東里展─「芳子」と門人たち─』(佐野市郷土博物館、令和元年10月5日発行)が出ていて、中根東里について詳しく知ることができます。(2020年5月28日付記)
 図録 『中根東里展─「芳子」と門人たち─』
    目次
    ごあいさつ  プロローグ
    第1章 中根東里の生涯
    第2章 中根東里書簡集
    第3章 菅神廟碑
    第4章 学則
    第5章 新瓦
    第6章 知松庵記・壁書
    中根東里関係略年譜
    参考文献一覧
    展示資料所蔵等一覧
    あとがき
   
    5.  磯田道史著『無私の日本人』(文藝春秋、2012年10月25日初版第1刷発行)に、穀田屋十三郎、大田垣蓮月とともに、中根東里が取り上げられています。
 なお、『文藝春秋』2010年(平成22年)2月号から、磯田道史氏による「新代表的日本人」の連載が始まり、その第1回として中根東里が取り上げられ、東里については4月号まで3回にわたって連載されています。
   
    6.  『黒船写真館』というブログに「浦賀に眠る陽明学者 中根東里」というページがあり、人物の紹介があって参考になります。    
    7.  『豆の育種のマメな話』(北海道と南米大陸に夢を描いた育種家の落ち穂拾い)というブログに、「下生まれの儒者、清貧に生きた天才詩文家「中根東里」」という記事があり、中根東里の経歴が簡潔にまとめてあって参考になります。   
 *「写真術の開祖
「下岡蓮杖」」の次に、「「中根東里」と伊豆気質」があり、その次に「下田生まれの儒者、清貧に生きた天才詩文家「中根東里」」があります。(2016年10月7日)
   
    8.  資料437に「中根東里「学則」」があります。
 資料439に「中根東里の「壁書」」があります。
 資料438に「中根東里の経歴(『下田の栞』による)」があります。
 資料441に「〔中根東里〕竹皮履先生と壁書(『通俗教育 逸話文庫』巻の三より)」があります。
 資料442に「中根東里(『先哲叢談 後篇』より)」があります。
 資料443に「中根東里(『近古伊豆人物志』より)」があります。
 資料445に「中根東里(『日本陽明学派之哲学』より)」があります。 
 資料446に「中根東里(『日本陽明学派之哲学』より・傍点部分を表記)」があります。 
 資料590に「中根東里「新瓦」」があります。 
   

 
  
             
       
    
 
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