中根東里の「壁書」
一 父母をいとをしみ、兄弟にむつまじきは、身を修むる本なり。
本かたければ末しげし。 一 老を敬ひ、幼をいつくしみ、有德を貴び、無能をあはれむ。 一 忠臣は國あることを知りて、家あることを知らず。孝子は親ある ことを知りて、己れあることを知らず。 一 祖先の祭を愼み、子孫の敎を忽にせず。 一 辭はゆるくして、誠ならむことを願ひ、行は敏くして、厚からん
ことを欲す。 一 善を見ては法とし、不善を見てはいましめとす。 一 怒に難を思へば、悔にいたらず。欲に義を思へば、恥をとらず。 一 儉より奢に移ることは易く、奢より儉に入ることはかたし。 一 樵父は山にとり、漁父は海に浮ぶ。人各々其業を樂むべし。 一 人の過をいはず。我功にほこらず。 一 病は口より入るもの多し。禍は口より出づるもの少からず。 一 施して報を願はず。受けて恩を忘れず。 一 他山の石は玉をみがくべし。憂患のことは心をみがくべし。 一 水を飲んで樂むものあり。錦を衣て憂ふるものあり。 一 出る月を待つべし。散る花を追ふ勿れ。 一 忠言は耳にさからひ、良藥は口に苦し。
中根東里 名は若思、字は敬父、伊豆の人、幼にして僧となる。物徂徠の門に学ぶうち、悟るところあり、遂に還俗す。後、室鳩巣に師事せり。後に王学に転じてより、独り之を講究す。生平赤貧、或は江戸に居り、或は鎌倉に往き、上毛に寓す。明和二年二月七日相模の浦賀に歿す。
引用者注:
(1) ここには、東里の字(あざな)が「敬父」となっていますが、「敬夫」としてあるものもあります。 「敬父」が正しいようにも思えますが、未確認です。 なお、『ふるさと横須賀』(石井昭著)というサイトに、「中根東里『清貧で学問にはげむ』」というページがあり、そこに、顕正寺の墓石には、正面に「東里居士墓」、裏面に「居士姓中根、諱若思、字敬父、亦孫平、伊豆人也」とある、とあります。墓石に「敬父」とあるのであれば、「敬父」を採るべきではないでしょうか。このことについて教えていただければ幸いです。(2012年12月27日)
(2) 「生平」は、「平生」と同じ意味です。 (3)「出る月を待つべし」の「出る」は、「いづる」と読むのでしょうか。「出づる」となっている本文もあります。 |