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(注) |
1. |
上に示した『中等國語一』の教科書(『中等國語一[前]』に当たると思われるもの)は、昭和21年4月に戦後初めて旧制中学校に入学した生徒たちが使用した教科書です。 |
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2. |
この年は、まだ新制中学校が発足していませんでした。翌昭和22年4月に新制中学校が発足して、昭和16年にできた国民学校に入学した生徒たちが新制中学の1年生になりましたので、昭和21年に中学に入った彼らは最後の旧制中学生だということになります。
この年の教科書は、新聞紙のように印刷された用紙を、生徒各自が切りそろえて、自分で綴じて使った教科書です。(この時期の教科書について、『北海道教育大学附属図書館』のホームページにある「第Ⅱ期北海道教育資料収集整備計画書」に、「墨塗り教科書に続き昭和21年度に使用された文部省著作の暫定教科書は、タブロイド版の極めて粗悪な新聞用紙に印刷され、大部分が製本されていない折りたたみ式で、殆どの教科が数冊の分冊で発行され、「折りたたみ教科書」とか「分冊仮綴じ教科書」と称されている」とあります。) |
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3. |
この昭和21年3月17日発行・同日翻刻発行の『中等國語一』の教科書には、薄い表紙(いわゆる扉に当たるもの)の裏側の目録の下に「奥付」が付いていて、そこに「APPROVED BY MINISTRY OF EDUCATION (DATE Mar. 13, 1946)」と、線で囲んで3行に書いた文字があって、時代を示しています。 |
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4. |
表紙裏側の目録の下の奥付から、発行日その他を引いておきます。
『中等國語一』 昭和21年3月17日發行 同日飜刻發行。
[昭和21年3月17日 文部省檢査濟]
著作權所有 著作兼發行者 文部省。 飜刻發行者 中等學校敎科書株式會社。 印刷者 大日本印刷株式會社。
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5. |
この年度の1年用の国語教科書には、この他に『中等國語一[中]』(昭和21年6月28日発行)と『中等國語一[後]』(昭和21年8月6日発行)があります。
したがって、上記の『中等國語一』は、本来は『中等國語一[前]』とあるべきものかと思われます。 |
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6. |
ここに引いた『中等國語一』の教科書(昭和21年度に旧制中学に入学した生徒が使った国語教科書)は、翌昭和22年には、この年に発足した新制中学用にきちんとした表紙のついた、別の内容のものが発行されたので、わずか1年でその役目を終えたことになるものと思われます。その意味でも、今となっては貴重な資料といえるのではないでしょうか。(新制中学用の国語教科書の総目録(目次)は、資料219にあります。)
なお、この『中等國語一』を使用した生徒たちが使った『中等國語一[中]』『中等國語一[後]』の目録(目次)を、次にあげておきます。(教材に錯簡・脱落のある恐れもあります。お気づきの点がありましたら、ぜひお知らせ下さい。)
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『中等國語一[中]』(昭和21年6月28日発行 同日翻刻発行)
文法篇 [口語]
一 國語 二 音聲と文字 三 文と文節 四 文節と單語 五 自立語で活用の有るもの 六 自立語で活用の無いもの(一) 七 自立語で活用の無いもの(二) 八 附属語で活用の有るもの 九 附属語で活用の無いもの 十 品詞分類 十一 口語動詞の活用(一) 十二 口語動詞の活用(二) 十三 口語動詞の活用(三) 十四 口語形容詞の活用 十五 口語形容動詞の活用 附表
漢文篇
一 律詩二首 二 眞爲善者 三 眞爲學問者 四 鏡 五 七言絶句二題 六 德與財 七 常與變 八 薊與馬之事 九 外盛則内衰 十 五言絶句二題 十一 述懷 十二 膏梁子弟 十三 地動與潮雞
一 律詩二首(藤田幽谷「暮春 柳堤晩歸」「丙午早春 過柳堤」) 二 眞爲善者(尾藤二洲『冬讀書餘』巻之二) 三 眞爲學問者(西山拙齋『閒牕瑣言』) 四 鏡(『十八史略』巻五 唐太宗文武皇帝) 五 七言絶句二題(頼杏坪「江都客裡雜詩」、高千里「山亭夏日」) 六 德與財(中村蘭林『閒窓雜録』巻之二) 七 常與變(五井蘭洲) 八 薊與馬之事 九 外盛則内衰 十 五言絶句二題 十一 述懷 十二 膏梁子弟(安積艮齋『南柯餘論』巻之下) 十三 地動與潮雞(安積艮齋『南柯餘論』巻之上)
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『中等國語一[後]』(昭和21年8月6日発行 同日翻刻発行)
國文篇
一 最低にして最高の道 二 私設大使 三 測量生活 四 尊德先生の幼時 五 俳句への道 六 一門の花 七 姫路城 八 すゝきの穗 九 湖畔の冬 十 創始者の苦心 十一 言葉の遣ひ方
一 最低にして最高の道(高村光太郎の詩) 二 私設大使(山本勇三(有三)の文。『心に太陽を持て』所収の「一日本人」による) 三 測量生活(武藤勝彦の文) 四 尊德先生の幼時(富田高慶『報徳記』による文) 五 俳句への道(富安謙次(風生)の文) 六 一門の花(平家物語「故郷の花」「青山の琵琶」) 七 姫路城 八 すゝきの穗(良寛の歌4首。大隈言道の歌3首。橘曙覧の歌7首) 九 湖畔の冬(久保田俊彦(島木赤彦)の文) 十 創始者の苦心(『蘭学事始』より) 十一 言葉の遣ひ方(玉井幸助の文)
「二 私設大使」の内容は、──1921 年6月のある日、パリのバスティーユ広場でのこと。荷物を山のように積んだ荷馬車を引いていた馬が、大きなお腹を見せて倒れてしまった。暑さで疲れていた上に、舗道に水がまいてあったために、蹄(ひづめ)を滑らせて転倒してしまったのである。馬は何とかして立ち上がろうともがいたが、そして御者を始め周りの人々も何とかして馬を立たせようとしたが、鉄の蹄が舗道に滑るだけで、立ち上がることができない。その時、顔の黄色い背の低い一人の紳士が出て来て、自分の上着をぬいで馬の足元に敷いた。そして、手綱を持って大きな掛け声をかけると、馬はぶるっと胴震いをして立ち上がった。上着が滑り止めになったのである。紳士は上着を拾い上げて泥を払うと、御者のお礼に「ノン、ノン」と軽く答えて、どこへともなく姿を消してしまった。この出来事はパリの新聞ばかりでなく、イギリスの新聞にも掲載された。この日本人の名前は、いまだに分からない。こういう人こそ、立派な私設大使と言うべきである。 |
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7. |
〇『雲萍雑志』(うんぴょうざっし)=随筆。4巻。著者は柳沢淇園(きえん)といわれるが不詳。1843年(天保14)刊。和漢混淆(こんこう)文で、志士・仁人の言行を掲げ、勧善懲悪を示した書。
〇柳沢淇園(やなぎさわ・きえん)=江戸中期の文人・画家。名は里恭。字は公美。柳里恭と称す。大和郡山藩の家老。儒学・詩文・仏典・本草・書画・篆刻(てんこく)など16芸に通じたという。中でも絵画は精密濃彩な花鳥画にすぐれ、南画の興隆にも力があった。著「ひとりね」。(1704-1758)(以上、『広辞苑』第6版による。) |
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8. |
『中等國語
一』掲載の「涼み臺」の本文が、資料216にあります。
『中等國語 一[中]』の漢文篇の「律詩二首」が、資料214の注の欄にあります。
『中等國語 一[後]』の「最低にして最高の道」の本文が資料221にあります。
『中等國語 一[後]』の「湖畔の冬」の本文が、資料220にあります。
『中等國語一[後]』掲載の「尊德先生の幼時」の本文が、資料214にあります。
『中等國語二(2)』掲載の「クラーク先生」の本文が、資料212にあります。
『中等國語二(2)』掲載の「意味の変遷」の本文が、資料215にあります。
『中等國語三(2)』掲載の「芭蕉の名句」の本文が、資料213にあります。
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