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(注) |
1. |
この大島正健(おおしま・まさたけ)「クラーク先生」は、文部省・昭和22年9月8日 発行、同日翻刻発行の『中等國語 二(2)』(著作権所有 著作兼発行者 文部省。翻刻 発行者 中等学校教科書株式会社。 印刷者 大日本印刷株式会社。 発行所 中等学校教科書株 式会社)によりました。 |
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2. |
本文の中に、新字体と旧字体の漢字が交じっていますが、これは教科書の原文通りにしてあるものです。
旧字体の漢字には、次のようなものがあります。 「將」「條」「敎」「廣」「轉」「黑」「乘」「國」「嚴」「來」「靑」「驗」「盡」「爲」「德」「神」「淨」「聽」「拂」「晝」「價」「精」「氣」「稻」「聯」「戰」「從」など。
なお原文は、しんにゅう(しんにょう)も、すべて点二つの正字の形になっています。 |
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3. |
平仮名の「く」を縦に伸ばした形の繰り返し符号は、普通の文字に直してあます(「廣い廣い」「われわれ」「かくかく」「おいおい」「たびたび」「おのおの」「なかなか」「思い思い」「いよいよ」など)。
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4. |
『中等國語 二(2)』の教科書は、昭和21年に戦後初めて旧制中学校に入学した生徒たちが、中学2年生の時に使用した教科書です。
この年(昭和22年)、新制中学校が新たに発足して、昭和16年にできた国民学校に1年生に入学した生徒たちが、新制中学の1年生になりました。
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5. |
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『中等國語 二(2)』の目次(目録)を次にあげておきます。
一 クラーク先生(大島正健) 二 国際婦人会議に出席して(石垣綾子) 三 学級日記 四 少年の日の思い出(ヘルマン‐ヘッセ 高橋健二訳) 五 万葉秀歌(斎藤茂吉) 六 意味の変遷(藤岡勝二) 七 砂丘(下村健二)
序でに、『中等國語 二(3)』『中等國語 二(4)』の目次(目録)もあげておきます。(『中等國語 二(1)』は、未見です。)
○ 『中等國語 二(3)』(昭和22年12月27日発行 同日翻刻発行。印刷者 二葉印刷株式会社。その他は(2)に同じ。)
一 自分は太陽の子である(福士幸次郎) 二 音と文字(宮城道雄「雨の念佛」より。内田百間「凸凹道」より。) 三 希望 四 鬼にこぶ取らるること(宇治拾遺物語) 五 夜中の音樂(百田宗治、「兒童」第1巻第4号より) 六 地藏の話(長與善郎「菜種圃」より) 七 ひさかたの(古今集より9首) 八 木の根(和辻哲郎「偶像再興」より) 九 ひとりの力(京谷大助「アメリカに学ぶ」より)
○
『中等國語 二(4)』
一 南船北馬 二 詩 五首 三 李白と杜甫 四 小話四題(坂井德三編訳「支那イソップ物語」より。「戰國策」「列子」「晏子春秋」「新序」) 五 神話と傳説(松村武雄「支那神話傳説集」より) 六 詩 五首 七 桃花源の記 八 たゆまざる努力 九 秋風五丈原 十 孔子と子路 十一 孔子とそのことば |
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6. |
クラーク(William Smith Clark)=アメリカの教育家。北海道開拓使に招聘されて1876年(明治9)来日。新設の札幌農学校教頭に就任し、そのキリスト教信仰に基づく訓育は内村鑑三・新渡戸稲造らの学生に深い感化を及ぼした。「少年よ大志をいだけ」の語は有名。(1826-1886)(『広辞苑』第6版による。)
大島正健については、『コトバンク』に、『朝日日本歴史人物事典』他に出ている「大島正健」の詳しい記述が出ています。
『コトバンク』
→「大島正健」 |
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7. |
大島正健著、大島正満・大島智夫補訂『クラーク先生とその弟子たち』(新地書房1991年2月1日第1刷発行)に、教科書掲載部分が、より詳しく書かれています。(同書は、昭和12年初版、昭和22年補訂再版、昭和33年補訂3版、そして1991年(平成3年)発行のこれが、改訂増補版にあたるものの由です。) |
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8. |
クラーク先生の写真は、『クラーク先生とその弟子たち』の巻頭に掲載してあるものから利用させていただきました。 |
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9. |
上記の『クラーク先生とその弟子たち』の「補訂再版の序」に、補訂者の大島正満氏が、次のように書いておられます。
「過般文部省図書局長から、病床にあった父が口述した昔語りを私がとりまとめた『クラーク先生とその弟子たち』の一節が、中等国語教科書第二巻に採録されることになった旨の通知に接したので、自然の成り行きとは申せ真の民主主義に活きたクラーク先生の教育精神が、新生日本を背負って立つ青少年の間に深く滲み通るのは、まことに結構なことであると思い、その旨を札幌の宮部先生にお伝えした。(略)初版に記された誤を正し、前に書き漏らした事項を追加し、国語教科書を教授される方々の参考資料にしようかと考えていたところへ、新教出版社を経営していられた長崎次郎氏が、北海道大学農学部出身の故をもって、本書の再版を引き受けたいと申し出られた。(下略) 昭和二十二年盛夏」 |
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10. |
『クラーク先生とその弟子たち』の序のあとに、石橋湛山の「個人主義の精髄─クラーク先生と大島正健先生─」という文章が掲載されています。その中で石橋氏は、
「……甲府市の山梨県立尋常中学校(後の県立甲府中学校)に入学した。/ところで私は中学に入ってから大に悪童振りを発揮して二度まで落第した。(中略)ところがこのように二回落第の憂き目を見たおかげで、私は自分の一生を支配する影響を受けた大島正健校長にめぐりあった。何という幸運であったろう。もし順調に五年で卒業していたらいうまでもなく御目にかかれなかったし、六年で卒業しても大島先生を逸したのである。だからなまけるのがよいというわけではないが、世の中は塞翁の馬で、如何なる偶然があるかわからぬという感を強く抱く。/大島校長はクラーク先生の直弟子中鉄中の錚々たる者で、からだこそ小さかったが、ものごとにこだわらず、意気の盛んな豪傑肌の人であった。思うにかような性格も大いにクラーク先生の感化によったものであろう。私はこの大島校長からしばしばクラーク先生の話を聞かされ感銘深きものがあったが、人の魂を救う真の教師とはかくあるものかと感動した。私が今日あるのも大島校長を通してクラーク先生に私淑し得た結果である。」 と書いておられます。 |
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11. |
山梨県立甲府第一高等学校のホームページを見ると、校是が三つあるうちの一つが “Boys, be ambitious!” となっており、次のように書かれています。 (TOPページの「学校要覧」→「校是」)
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Boys, be ambitious!
Boys, be ambitious! Be ambitious not for money or for selfish
aggrandizement, not for that evanescent thing that men call fame. But be ambitious for the attainment of all that a man ought to be. |
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札幌農学校でクラーク博士の教えを受けた本校七代校長、大島正健先生から伝えられたもので「いや高きのぞみをもちて」と、校歌の中にも唱われている。
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12. |
フリー百科事典『ウィキペディア』に「ウィリアム・スミス・クラーク」、「大島正健」の項が、それぞれあって参考になります。
フリー百科事典『ウィキペディア』
→「ウィリアム・スミス・クラーク」
→「大島正健」 |
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13. |
北海道大学附属図書館のサイトに、秋月俊幸氏の「“Boys, be ambitious!”について」(「北海道大学図書館報『楡蔭』No.29」に掲載されたもの)があります。 |
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14. |
同じ北海道大学附属図書館のサイトの『北方関係資料総合目録(北方資料データベース)』の中に、大島正健氏の複数の肖像写真があります。その中の1枚(大島正健氏の肖像写真)を示しておきます。
『北海道大学附属図書館』のTOPページの左下の「北方資料データベース」 をクリック
→ 「北方関係資料総合目録」で「大島正健」 と入力して検索
→ 「大島正健」の複数のデータ |
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15. |
『北海道デジタル図鑑』というサイトの中にも、大島正健氏の肖像写真が収められています。(「拡大画像はこちら」をクリックすると、拡大画像が見られます。)
『北海道デジタル図鑑』のTOPページで「キーワード検索」に「大島正健」 と入力して検索
→ 2つある「大島正健」のどちらかをクリック
→ 大島正健のページ |
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16. |
大島正健氏の国語学関係の著作を、『うわずら文庫』で、映像で見る(読む)ことができます。
『うわづら文庫』
→ 国語学論文集・大島正健集 |
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