資料215 藤岡勝二「意味の変遷」(文部省『中等国語二(2)』より)





 

        意味の変遷          藤 岡 勝 二  

 

 


 語は社会人の間に使われるものでありますから、同一の、しかも廣い意味の語は、それぞれこれを使う社会により、これを使う所によって、その社会での意味、そのおりの意味に変わります。一定の学校の中で、生徒どうしが、「校長先生」と言えば、その学校の校長さんであって、ほかの、または一般の校長先生ではありません。ある兄弟が語り合って、「おじさん」と言えば、その際は、語の中にはいるべき一定の「おじさん」と、まちがいなく理解せられます。働きの語にしても、くじ引きを始める時に、「さあお引きください。」と言えば、そのくじを引くことに疑いなく、「ねずみが物を引く」意味の引くとは違っています。かように一般の義の語が、臨時にそれぞれ適当な意味に変えられる通りに、社会が違えば、そのようなことが起って來ます。「あぶら」は、床屋の店では、頭髪につけるあぶらであり、天ぷら屋の店では、揚げ物用のあぶらであり、機械を運轉している所では、機械油でありましょう。「かす」は酒を造る所では、「酒かす」でしょう。「うま」が將棋の時と、こびきなどが仕事場でいう時と、意味が違い、「うし」が建築の方では一種のはりの名になっているなど、みな一般の意味が特殊になるのであります。もっとも学術上の書物などでは、一定の意味をもって一定の語を使いますが、日常の生活においてはそれぞれの社会にしたがって、一つの語を、一方一般の意味に使いながら、またその語を、時に應じて、特殊の意味に使ったり、または一般の意味の語を全く特殊の意味にしてしまいます。あの「いも」という語はさつまいも・さといも・やまのいもなど、いも類の通称ですが、所によっては通常さつまいものことになっており、また所によってはやまのいもをいうようです。これらは特殊な用法に移る有樣が見える一例であります。全く特殊の意味になった場合を見るのに、あの「鬼」というのが、兒童の遊戯──おにごっこ──では、恐ろしい「おに」の意味は全くなくて、「捕らえる者」のことになっているごときであります。社会が違い、場合が違うので、特殊の意味ができ、こうして特殊の意味ができるから、同じ姿の語がふえて來るわけです。「かご」は、元來、竹などを編んでこしらえた、物を入れる品を一般に称するのでありますが、そういうこしらえ方で、しかも人が乘る駕籠(かご)ができてからは、物も大いに違い、「かご」という意味も特殊になって、文字まで変わらせたのであります。この「かご」の意味は、特殊になっておりまして、それがために同じ姿の語がふえたわけであります。もとが一つであるところからは、以前の語の應用でありますが、別の意味を持って別なものの名となったところからは、語がふえたといえるのであります。もっとも、物が違えば名称まで変えたくなって、ことさらに変えることもあります。このかごにだんだん竹かご以上のりっぱなものができた時、上等の方を「のりもの」と称したなどは、まさにその例であります。そしてこの「のりもの」という名称にしても、一般にはいずれも「かご」「おかご」といっていました。鳥といえば廣く「鳥類」をさすわけでありますが、「とりがなく」「とり料理」の「とり」、その他干支の「とり」も「にわとり」のことと、すぐに了解されます。これは最も人家に親しいものであるから、特殊なものが一般名でさされるようになったのであります。あの「しゝ」がやはりそうで、古い書物に「獸」という字を「しゝ」と読ませているくらいで、もとは一般に「獸」をさしたのです。「しゝ狩」でも、必ずしも「いのしゝ狩」に限っていません。ところが、「いのしゝ」「しか」のことになり、いっそう縮まって今では「いのしゝ」のことになりました。(「ぼたんにからしゝ」「しゝ舞い」などという「しゝ」はこれとは違います。)
 こういう特殊の意味になる事実は、いずれの國語にも非常にたくさんあります。しかし、ちょうどこの反対に、本來特殊の意味であったのが、一般の意味になる方は、それほど多くありません。例えば、「たま」は飾りにしたりする美しい宝石、ことに「眞珠」の意味であったでしょうが、その「円い」ことが縁になって、およそ円いものはみな「たま」というにいたりました。「塔」は佛敎の方の建築の、一定の樣式で、材料もほゞきまっていたものの称であったが、だんだん廣くなって、高く突っ立っている建築物であれば、中に佛の遺物を納めなくとも塔ということになって來ました。さきに申しました「のりもの」は、そのころかごの一種であったのが、今日ではなんでも「乘用の物」ということになっているのも、この類の例になります。こういうのが一般の方へ意味が移る例なのであります。
 移るといえば、いさゝかでも観念の内容に親しみまたは似通いがあるとすると、形でも色でも大きさでも、作用・位置・運動等でも、いろいろなことを縁にして、語の形はそのまゝにしておいて、意味を変わらせることがあります。これはさきに申した特殊化・一般化という行き方をする間にも起ることでありまして、いわば連想で縁がついて、一方から一方へ移るのであります。「一つ」という語は、星が一つ見える、一つ目小僧、一つ年上など、まさに一箇、一つという数を表わすのでありますが、「何か一つ歌いましょう」というと「不定な一つ」の意味になります。「どうか一つお願い申します」ではちょっとという意味になります。「一箇」ということが、「軽く」思われるので、その軽さが縁になって、かようになるのであります。「目」という語の意味がいろいろになることを申せば、ねこの目、人間の目は本義通りですが、「目がとゞく」「目をつける」は「見る働き」であり、「ひどい目にあう」などは「場合」「機会」「こと」の意で、目で見ることを出会うことにしていうのです。縫い目・継ぎ目・合わせ目などは会う所という縁を取ったのです。網やざるについて、目といえば、「あいている」ということであります。疊の目でも、まずまずあいていることにしてそういいます。碁盤の目などはあいてはいませんが、あいている場合に似ているのであります。──もっともこれらは目の数が二つどころではなくずいぶんたくさんありますけれども、そこは考えないのです──すりばちの目、やすりの目、のこぎりの目などになりますと、いっそう樣子が違ってほんとうの目とはよほど縁が遠くなりますが、やはり「あいている」という考えがかよっている類であります。物差・はかりの目など、刻んだ刻み目も、これにつながった考えです。そうなれば刻んだのでなくても、こまかい筋になっているのも目といえるようになり、木目などが成り立ちます。しばいのかわり目などは、さきに申した「継ぎ目」などと親しく考えられることです。耳は受身のもので、目のようにあいたり、ふさいだり働きませんから、そういろいろにもなりません。織物の耳、なべの耳、半紙の耳は、耳が出ている、くっついたような状態にあるところからいうのでしょう。なべの耳が一番適当なようです。数も合いますし、位置のぐあいもまあよろしいから……。足はからだの「下にあること」したがって上を支えること、歩く働きなどが思いつかれます。そこで、「山の足」は下にあることから思いつき、「机の足」は下でもあり、上を支えるものでもあるのでいいます。「船足」は下であり、また時に、歩く、進むことが考えにはいっています。足をもって直ちに歩くこととする例をいえば、「足が速い」がそうです。蒸し物・たべ物の足の速いのは腐る方へ走るからでしょう。持ちこたえの力が少ない方だけを見ては、たべ物の足が弱いということもあります。形・樣子を採ったものでは、足にできる「たこ」、空にあげるたこ(このたこがやはり形でいっています。)の尾がそうです。飛行機の「羽」は形のほかに位置も、作用もはいっています。大きさについては、小さいことに「豆」が使われます。豆人形・豆本・豆びなといいます。もっと小さくいいたいと、「けしびな」など「けし」を持って來ます。 
 かようにしてずいぶん自由に、語の意味が変わって行きます。しかもこの場合に、必ずしも嚴密に似通っているというようなことがなくても移るので、通常、「茶」といわれている色など、茶の葉の色、茶の木の色、茶をせんじたものの色などと、どこに関係があるのかと思われるようなのが、いくらもあります。ことに物の材料の名を應用すると、よほど自由に行きます。「かね」という語が、鐘にも、昔歯を染めたものにも、貨幣にも使われています。そうして今日の貨幣のように紙を用いていてもまだ「金」といっています。これは材料の名から硬貨の名になり、硬貨は交換通用するものであるという点から、今度はその通用の方が縁になって、紙に及んだのです。こういうふうに、それからそれへとだんだんとつながって行くことも珍しくありません。これは轉々する方の一種として挙げられる例であります。
 さて轉ずる、移る跡を尋ねることははなはだおもしろいことで、「藥」が病をなおす、苦痛をとめる、養いになるということから、何かの効能があることを「藥になる」といい、したがってその反対の、身の害になる方を「毒」といって、必ずしも服用しないものにまで及ぼしています。「そういう本を見るのが毒なのだ」などというのがそれで、したがって、「効能がない」という意味にもわざわいの意味にも「毒」といいます。藥は食物のようには用いないで、少し用いる、ということから、少ないことにいって「藥にしたくもない」「藥にするほど」といいます。また薬は調合したものであるというので、よく材料を調合したものを「藥」といいます。火藥なども内服外用いずれでもありませんが、まあ語の上では藥の中にはいっております。昔は「たま藥」といっていました。
 次に、こういう意味の轉化がことばの上に起って來るにつれて、ことばの品位といいましょうか、位といいましょうか、そういうものにも変動のあることをいいましょう。ともかく社会上での扱いぶりが変わって來ることを見ようと思います。それは例えばあるなかまのことばに今もあるそうですが、相手を「大將」ということのごときものです。大將といえばいうまでもなく大臣・大將の大將で、大した名称でありますが、それよりも安價にしてこれを用いるのです。それで最初いい出した時の心持を考えてみますと、幾分持ちあげた、尊敬を含めたものでしょうが、語の方から見るとまあ位がさがったわけです。昔、下郎なかまに甲州だの、上州だのといったことがあるそうです。これは諸侯國持ちがお互に石州殿・甲州殿などといった、いわばだいぶん上の階級の語であったそうですが、それが下郎の間に用いられたのです。もともとおのおのの産地からそういったのでしょう。後には、産地をさすような語でなくても、同樣に用いて「銀州」「浪州」などもできました。その起りから考えれば、語としては敬語の意がないではありませんが、使用上においてはずいぶんとっぴなやり方であります。きわめて親しい間がらではしまいにはなんともありますまいが、くすぐったそうな、あるいは反対に侮ったような言い方だとも思われます。しかしこうしたことは、どこの言語にもありますし、またこの類の名称以外にもあることで、程度の差こそあれ、そうきばつなこともありません。「かみさま」というのは、もちろん、しかるべき貴人の「北の方」をいったのですが、「かみさん」「おかみさん」とだれにでもいうようになっては、はじめの位は落ちて來ています。上方で「ないぎ」「ないぎさん」「なぎさん」というのも同樣、「内儀」というからには、相当な地位にある人の夫人の称であったのが、さがって來たのです。かっぱつな元氣な人を「いせいがいい人」「げんきな人」というのはあたりまえですが、ずいぶんやり過ぎる人を「げんきな人だ」といい、平凡な人、あまり働きのない人を「おとなしい人」「すなおな人」だと、ていさいよくいっている場合もあります。つまり社交上さしさわりのないように、むしろ引きあげていうのですから、礼儀上よろしいようですが、そうして使用される語のもとの位は、不適当にあげて使われる度が多ければ多いほど、さがって行きます。「おめでたい」だの、「お人よし」だのがもうさがっているのを見ても明らかです。それ故これもまたさきの「大將」などと同じようにさげられている──もっとも場合にもよりますが、さげられているといえます。つまり社交上引きあげた語が語の方ではさがるのであります。なお、意味はもちろんずいぶん高めていうのですが、盛んにこれを使うところでは、ついには敬意も何も衰えてしまって、たゞついていることにしかならないこともあります。今日の手紙の「候」などを考えれば明らかであります。
 こういうふうに意味が衰える、もとの色合いがさめることは程度をいう語に多いもので、上方の「大きにありがとう」でも「おゝきにありがと」「おゝきに」などとしばしばいうようになると、いっこう大きくもなんとも感ぜられなくなります。いわゆるごあいさつにとゞまります。「全く」「眞に」「ほんとうに」でも、やはりだんだん力が減ります。この力の減ったところを補う要求が起りますと、いろいろなことをします。「なんとも申しようのない不都合をいたしまして」を簡單に「ことばに言えない」「なんとも言えぬ」というような、意味の語にして「どうもあいすみません」とか、「どうもみごとだ」などというが、それも衰えると、「とても」ができて、これでまあ言語の養いをつけたのですが、あんまり使ったためにこの語も元氣消耗してもうすたりそうです。「大きに」を「非常に」「すこぶる」「きわめて」「至極」「いたって」などとやってもまだ不足になって、「すてきに」「すばらしい」、もっと行って「すごい」までむちうって來ましたが、それも疲労しているように見えます。一時は「すこぶる非常に」などと重ねてもいいましたが、やはりきゝめが足りなく思われたのであります。「断然」がそこへのぞいて來ました。廣告でも、「特別」だの「破天荒」だの「斬
(ざん)新」「きばつ」「絶対」など、いろいろなことをいい、「超特」などとだいぶん思いきったのですが、これもしびれがきれて「狂乱的」「殺人的」だの、なんだのかんだのと捨身でかゝっていますが、こういうものは使う度数が増せば、平凡になってしまうものです。いずれの國にも「恐ろしく美しい」「恐ろしく高い」などという意味の語がありますが、だれも驚いても恐れてもいません。これでもかこれでもかがつまり落ちめになるようなことになるのが、この類の語の特徴であります。
 なお人間社会の中では、あらわにいいたくないことがあります。一つは社会の風紀上、ていさい上、愼みたい念慮から起るので、それがために、語らねばならぬ、意味は知らせたいが、語の表面には隠していうことになります。即ちはゞかっていうのであります。便所などを称する語がそれでありまして、いずれの國でも遠まわしにいろいろな語をもって表わしています。
 もう一つは人間の常として「死ぬ」ことはいやでありますから、これをあらわにいわないことに努めております。今は「なくなる」は普通ですが、死をはなはだしく忌みかつ恐れた昔には、「果てる」「みまかる」「他界」などいろいろにいいました。有名な斎宮
(いつきのみや)の忌詞(いみことば)では反対に「なおる」とこれをいいました。ほかの民俗の間にもこういうことは、はなはだ多いので、要するに忌むことにも遠まわし、または反対の意味の語が用いられるのです。ことにこれは宗敎や民俗と深い関係がありますから、それを表わすことばとして大いに注意すべきものであります。
 以上意味の変わることについて、おもなことだけを、努めて手ぢかなところで説明いたしました。結びとして申したいのは、意味の変わることと社会の状態の変わることとの関係であります。
 元來、語は社会の人々の思想感情を表わすためのものであり、かつその社会の人々が使って行くものであって、社会によって存在しているものでありますから、社会状態や生活樣式が変われば、語の姿はたとえ同じでも、その意味は変わります。昔いった「くつ」「帶」は、その物の使い方においては同じでありましても、物その物は、あるいは材料に、あるいは樣式に変わりがありますから、したがって精密にはそれに対する観念内容が違うわけです。またこれを表わす語の内容、即ち意味が変わるわけです。この例などは大差のない方ですが、政体制度の変遷から起るものにいたっては大いに違います。故にそこを注意する必要があります。
 次に、今は諸階級が入り交り、集会が増し、互に競爭し、意見をたゝかわせ、希望も趣味も多種多樣であって、学問も発達し、産業の類もふえ、諸外國との交通も盛んでありますから、語の意味の変わることは以前よりすみやかになることは確実であります。

 

 

 

 

 

 

 

 

    
  (注) 1.  この藤岡勝二「意味の変遷」は、文部省・昭和22年9月8日発行、同日翻刻発行の『中等國語 二(2)』(著作権所有 著作兼発行者 文部省。翻刻発行者 中等学校 教科書株式会社。 印刷者 大日本印刷株式会社。 発行所 中等学校教科書株式会社)によりました。  
    2.  本文の中に、新字体と旧字体の漢字が交じっていますが、これはできるだけ教科書の原文通りにしてあるものです。
 旧字体の漢字には、次のようなものがあります。「廣」「將」「轉」「應」「兒」「樣」「獸」「眞」「乘」「佛」「藥」「敎」「帶」「爭」など。
 なお、原文は しんにゅう(しんにょう)も、すべて点二つの正字の形になっています。
 
    3.  平仮名の「く」を縦に伸ばした形の繰り返し符号は、普通の文字に直してあります(「だんだん」「いろいろ」「もともと」「おのおの」「しばしば」など)。           
    4.  『ことばの講座 第1輯』(音声学協会編、1931年研究社発行)の中に、「意味の変遷(藤岡勝二)」が収められていますが、これと教科書に採られた文章との関係は未確認です。  
    5.  藤岡勝二(ふじおか・かつじ)=言語学者。京都生れ。東大教授。東洋語学を研究、日本語とウラル‐アルタイ語との類似を指摘。訳著「ヴァンドリエス言語学概論」「滿文老」など。(1872-1935)  (『広辞苑』第6版による。)
 
(木+當)の漢字は、“島根県立大学e漢字フォント”を利用させていただきました。
 
    6.  『中等國語 二(2)』の教科書は、昭和21年に戦後初めて旧制中学校に入学した生徒たちが、中学2年生の時に使用した教科書です。
 この年(昭和22年)、新制中学校が新たに発足して、昭和16年にできた国民学校に1年生に入学した生徒たちが、新制中学の1年生になりました。
 
    7.  『中等國語 二(2)』の目次(目録)を次にあげておきます。
  一 クラーク先生(大島正健) 
  二 国際婦人会議に出席して(石垣綾子) 

  三 学級日記   
  四 少年の日の思い出(ヘルマン‐ヘッセ 高橋健二訳) 

  五 万葉秀歌(斎藤茂吉) 
  六 意味の変遷(藤岡勝二)  
  七 砂丘(下村健二)
    
 
    8.  資料212に、「一 クラーク先生」(大島正健)の本文があります。    

    
         
        
              
              
    
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