資料214 高田高慶「尊徳先生の幼時」(文部省『中等国語一[後]』より)





 

        尊德先生の幼時         高 田 高 慶 

 

 


 先生、姓は平、名は尊德、通稱金次郎、その先、曽我氏に出づ。二宮はその氏なり。同じく二宮と稱する者、相模國(さがみのくに)栢山(かやま)村に總べて八戸あり。皆その氏族なりといふ。父は二宮利右衛門、母は曽我別所村、川窪(かはくぼ)某の女なり。祖父銀右衛門、常に節儉を守り、家業に力を盡くし、頗る富有を致せり。父利右衛門の世に至り、邑人皆これを善人と稱す。民の求めに應じて、或は施し、或は賑貸し、數年にして家産を減じ、積財悉く散じ、衰貧既に極まる。然りといへども、その貧苦に安んじ、敢へて昔日施貸の報を思はず。この時に當つて、先生生まる。實に、天明七年七月二十三日なり。次子を三郎左衛門、末を富次郎といふ。父母貧困のうちに三男子を養育し、その艱苦、言語の盡くすべきにあらず。
 寛政三年、先生五歳、酒匂川
(さかわがは)洪水し、大口の堤を破り、數箇村流亡す。この時、利右衛門の田圃、一畝も殘らず悉く石河原となる。もとより赤貧、加ふるにこの水害に罹り、艱難いよいよ迫り、三子を養ふに心力を勞すること限りなし。先生終身、言この事に及べば、必ず涕泣して、父母の大恩無量なることを言ふ。聞く者皆これがために涙を流せり。
 某年、父病に罹り、極貧にして藥餌の料に當つべき物なし。止むを得ず、田地をひさぎて、金貳兩を得たり。利右衛門、疾治して歎じて曰く、「貧富は時にして免れがたしといへども、田地は祖先の田地なり。わが治病のためにこれを減ずること、豈不孝の罪を免れんや。然りといへども、醫藥、その價を謝せずんばあるべからず。」と、大息して醫に行き、貳兩を出し、その勞を謝す。醫師某、眉をひそめて曰く、「子の家極めて貧なり。何を以つてかこの價を得たる。」利右衛門答へて曰く、「まことに予が赤貧なる、子の言の如し。家貧なるがために治療の恩を謝せずんば、何を以つてか世に立たんや。子、これを問ふに實を以つて告げずんば、子の意もまた安からざらん。貧困極まれりといへども、未だ些少の田地あり、これをひさぎて以つて謝せり。子、勞することなかれ。」醫師、愀然
(しうぜん)として涙を流して曰く、「予、子の謝を得ずといへども飢渇に及ばず。子、家田を失ひて一旦の義を立て、後日何を以つて妻子を養はん。予、子の病を治め、却つてその艱苦を増すを見るに忍びんや。速かにその金を以つて田地を償ひ、予に報ずるを以つて勞することなかれ。」利右衛門許さず。醫曰く、「子、辭することなかれ。貧富は車の如し。子、今貧なりといへども、いづくんぞ富時なきを知らん。もし家富むの時に至り、この謝をなさば、予も快くこれを受けん。何の子細かあらんや。」と。
 ここに於いて、利右衛門大いに感じ、三拜してその言に從ひ、強ひてその半金を以つて謝とし、その半金を持ちて歸る。先生、父病後の歩行を案じ、その歸路の遲きを憂ひ、門に出でてこれを待つ。利右衛門、醫の義言を喜び、兩手を舞
(ぶ)して歩行す。先生迎へて曰く、「何の故に、喜び給ふことかくの如くなるや。」父曰く、「醫の慈言かくの如し。われ汝らを養育することを得たり。これを以つて喜びに堪へず。」と。
 父、酒を好めり。先生、幼にして草鞋
(わらぢ)を作り、日々一合の酒を求めて、夜々これをすゝむ。父、その孝志を喜ぶこと限りなし。
 寛政十二年、先生十四、父利右衛門大いに病みて、日々に衰弱す。母子これを歎き、晝夜看病怠らず。家産を盡くしてその治を求め、鬼神に祈りて誠精を盡くせり。然れども、命なるかな、遂に同年九月二十六日歿す。母子の悲歎慟哭
(どうこく)甚だしく、邑人皆これがために涕泣せり。母、三子を養育するに、艱難いよいよ極まれり。母、先生に言つて曰く、「汝と三郎左衛門とは、われ、いかやうにも養ひ遂げん。末子までは力に及ばず。三子共に養はんとせば、皆共に飢ゑんのみ。」と。
 こゝに於いて、末子を携へ、縁者某に行きて慈愛を請ふ。某、その託を受けて、これを養ふ。母、喜びて家に歸り、二子に告げて共に艱苦を凌がんとす。然るに、母寢ねて、徹夜寢ぬること能はず。毎夜、流涕枕をうるほす。先生怪しみて問うて曰く、「毎夜寢ね給はず、何の故なるや。」母曰く、「末子を縁家に託せしより、わが乳張り、痛苦のために寢ぬること能はず。數日を經ばこの憂ひなからん。汝、勞することなかれ。」と。言終らざるに、涙潸々
(さんさん)たり。先生、その慈愛の深きを察し、泣いて曰く、「前には母君の命に從ひ、末子を他に託せり。案ずるに、赤子一人ありとも、何ほどの艱苦を増さん。明日より、それがし山に行き薪を伐り、これをひさぎて末子の養をなさん。速かにかれをもどし給へ。」と。母この言を聞き、大いに喜び、「汝、しか言ふはまことに幸ひなり。今より直ちにかの家に到り、もどし來たらん。」と、速かに起ちて行かんとす。先生、これを止(とゞ)めて曰く、「夜、今、子(ね)に及べり。夜明けなば、予行きて抱き來たらん。夜半の往返は止り給ふべし。」母曰く、「汝、幼若、なほ末弟を養はんと言ふ。夜半の往返、何を以つていとはんや。」と、袖を拂つて隣村の縁家に到り、旨趣を告げて、末子を抱き家に歸り、母子四人、共に喜ぶこと限りなし。
 これより、鶏鳴に起きて遠山に到り、或は柴を刈り、或は薪を伐りてこれをひさぎ、夜は繩をなひ、草鞋を作り、寸陰を惜しみ、身を勞し、心を盡くして母の心を安んじ、二弟を養ふことにのみ苦勞せり。而して、採薪の往返にも大學の書を懷にし、途中、歩みながらこれを誦して少しも怠らず。これ、先生聖賢の道を學ぶの初めなり。道路、高音にこれを誦讀するが故に、人々怪しみ、狂兒を以つてこれを目する者あり。
 酒匂川、その源富嶽のもとより流出し、數十里を經、小田原に到りて海に達す。急流激波、洪水ごとに砂石を流し、堤防を破り、やゝもすれば田面
(たのも)を押し流し、民家を毀つに至る。年々、川除け堤の土功止まず。故に邑民毎戸一人づつを出して、この役に當らしむ。先生、年十二よりこの役に出で、以つて勤む。然れども、年幼にして、力一人の役に當るに足らず。天を仰ぎ歎じて曰く、「われ、力足らずして、一家の勤めに當るに足らず。願はくは、速かに成人ならしめ給へ。」と。又、家に歸りて思へらく、「人わが孤にして貧なるを憐恕し、一人の役に當つといへども、わが心に於いて何ぞ安んずることを得んや。徒らに力の不足を憂ふるも詮なし。他の勞を以つてこれを補はずんばあるべからず。」と。こゝに於いて、夜半に至るまで草鞋を作り、翌未明、人に先立ちてその場に到り、人々に言つて曰く、「予、若年にして一人の役に足らず、他の力を借りてこれを勤む。その恩を報ずるの道を求むれども得ず。寸志なりといへども、草鞋を作りて持ち來たれり。日々わが力の不足を補ふ人に答へん。」と言ふ。衆人、その志の常ならざるを賞し、これを愛し、その草鞋を受けて、その力を助く。役夫休めども休まず、終日孳々(しし)として勤む。この故に、幼年なりといへども、土石を運ぶこと、却つて衆人の右に出づ。人皆これに感ず。  
 

 

 

 

 

 

 

 

         (注)   1.  この富田高慶「尊徳先生の幼時」は、文部省・昭和21年8月6日発行、同日
          翻刻発行の『中等國語一[後]』
(著作権所有 著作兼発行者 文部省。翻刻発行者 中等学
             校教科書株式会社。 印刷者 明和印刷株式会社。 発行所 中等学校教科書株式会社)
によりま
          した。
         2. 本文中の漢字は、旧漢字が使われています。
          3. 平仮名の「く」を縦に伸ばした形の繰り返し符号は、普通の文字に直してありま
          す(「いよいよ」)。 
         4. 『中等國語一[後]』の教科書は、昭和21年に戦後初めて旧制中学校に入学し
          た生徒たちが使用した教科書です。
           この年は、まだ新制中学校が発足していませんでした。(新制中学校が発足す
          るのは、翌昭和22年のことです。)
         5. 『中等國語一[後]』の目次(目録)を次にあげておきます。
           目録  國文篇
            一 最低にして最高の道(詩・高村光太郎)  二 私設大使(山本勇造) 
            三 測量生活(武藤勝彦)    四 尊徳先生の幼時(富田高慶) 
            五 俳句への道(富安謙次)  六 一門の花(
平家物語 故郷の花・靑山の琵琶)
             
七 姫路城  八 すゝきの穗(良寛4首、大隈言道3首、橘曙覧7首)
            九 湖畔の冬(久保田俊彦の文)   十 創始者の苦心(蘭学事始)
            十一 言葉の遣ひ方(玉井幸助)          
                漢文篇 
            一 律詩二首(藤田幽谷)   二 眞爲善者(尾藤二洲)
            三 眞爲學問者(西山拙齋)  四 鏡(十八史略)    五 七言絶句二題
            (頼杏坪、高千里)   六 德與財(中村蘭林)  七 常與變(五井蘭洲)
            八~十二(欠頁のため不明)  十三 地動與潮雞(安積艮齋)
 
                6. 資料221に「高村光太郎「最低にして最高の道」(文部省『中等国語[後]』昭和21
          年8月発行より)」があります。

                 7. 参考までに、『中等國語一[後]』の漢文篇の中から、「一 律詩二首(藤田幽谷)」
          を引いておきます。
(訓点は省略しました。)

                  一 律詩二首        藤田幽谷

                   暮春 柳堤晩歸
(五言)   
               徐歩仙陂畔   晩來風景多
                山間煙縹渺   天上月婆娑
                戲折堤中柳   靜觀湖面波
                浮沈人世事   感慨總何如

                   丙午早春 過柳堤
(七言) 
                     
天明六年、時年十三
                長堤十里物華佳 春思試看天際霞
                積雪已消仙子岳 炊煙自湧野人家
                靑松標掛城屏上 嫩柳影浮湖水涯
                閑歩時時回首處 山櫻幾日著新花
                               
(幽谷詩纂)

                  (読みと語注)  仙陂(センバ)    陂は池。
                            畔(ホトリ)
                            戲折(タハムレニヲル)
                            縹渺(ヘウベウ)  ひろくかすかなさま。
                            婆娑(バサ)     ぶらつくさま。
                             何如                  如何 (イカン)に同じ。
                            物華(ブツクワ)   景色。
                            佳(ヨシ)
                            試看(ココロミニミル)
                            已(スデニ)
                            仙子岳(センシガタケ)
                            炊煙自湧(スヰエンオノヅカラワク)
                            野人         田舎の人。
                            標掛(ヘウクワ)   標はこずゑ。
                            嫩柳(ドンリウ)   わかばのやなぎ。
                            湖水涯(コスイノミギハ)
                            回首(カウベヲメグラス)
                            幾日(イクニチカ)
                            著新花(シンクワヲツクル)

         

 

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