資料221 高村光太郎「最低にして最高の道」(文部省『中等国語一[後]』昭和21年8月発行より)




       最低にして最高の道    
                 
高村光太郎 

  もうよさう。
  ちひさな利慾とちひさな不平と、
  ちひさなぐちとちひさな怒りと、
  さういふうるさいけちなものは、
  あゝ、きれいにもうよさう。
  わたくしごとのいざこざに
  みにくい皺(しわ)を縱によせて
  この世を地獄(ぢごく)に住むのはよさう。
  こそこそと裏から裏へ
  うす汚い企みをやるのはよさう。
  この世の拔け驅けはもうよさう。
  さういふことはともかく忘れて、
  みんなといつしよに大きく生きよう。
  見かけもかけ値もない裸(はだか)のこゝろで
  らくらくと、のびのびと、
  あの空を仰いでわれらは生きよう。
  泣くも笑ふもみんなといつしよに、
  最低にして最高の道を行かう。


  (注) 1.  この高村光太郎「最低にして最高の道」は、昭和21年8月6日発行の文部省教科書『中等國語一[後]』に掲載された詩です。
 筑摩書房版の『高村光太郎全集』(昭和32年10月10日第1刷発行、昭和51年10月10日第2刷発行)の巻末後記には、この詩は、「昭和15年7月10日作。「大きく生きよう」の原題で『家の光』に発表された」とあります。太平洋戦争中の昭和17年(1942)1月に発行された詩集『大いなる日に』に収められました。    
   
    2.  『中等國語一[後]』の教科書は、昭和21年度の1年間だけしか使われませんでした。翌昭和22年には新制中学が発足して、新しい教科書が作られたからです。新しい教科書には、光太郎のこの詩は載りませんでした。    
    3.   本文に用いられている平仮名の「く」を縦に長く伸ばした形の繰り返し符号は、普通の仮名に直してあります。(「こそこそ」「のびのび」)    
    4.   『中等國語 一[後]』掲載の「尊徳先生の幼時」の本文が資料214に、島木赤彦の「湖畔の冬」が資料220にあります。    
    5.  筑摩書房版の『高村光太郎全集』(昭和32年10月10日第1刷発行、昭和51年10月10日)に出ている本文を、次に示しておきます。(全集 298~299頁) 

 
 
   最低にして最高の道      

 もう止さう。
 ちひさな利慾とちひさな不平と、
 ちひさなぐちとちひさな怒りと、
 さういふうるさいけちなものは、
 あゝ、きれいにもう止さう。
 わたくし事のいざこざに
 見にくい皺を縱によせて
 この世を地獄に住むのは止さう。
 こそこそと裏から裏へ
 うす汚い企みをやるのは止さう。
 この世の拔驅けはもう止さう。
 さういふ事はともかく忘れて、
 みんなと一緒に大きく生きよう。
 見かけもかけ値もない裸のこころで
 らくらくと、のびのびと、
 あの空を仰いでわれらは生きよう。
 泣くも笑ふもみんなと一緒に、
 最低にして最高の道をゆかう。   

(補注)詩中の「けち」には、傍点( 、)がついています。
   ここではそれを太字で代用しました。
   
             





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