資料46 岩間 ・愛宕山の「篤胤歌碑」について


    
岩間 ・愛宕山の「篤胤歌碑」について

            平成13年(2001年)1月、笠間市(旧・西茨城郡岩間町)泉の愛宕山山頂にある愛宕神社
     への、通称 ヒャッカギと呼ばれる 315段の石段の登り口左側 (山頂へ向かう車道の右側)に、
     「篤胤歌碑」が建てられました。
      「篤胤歌碑」は、平田篤胤著『仙境異聞 』所収の篤胤の歌5首を、書家飯野白廷氏の揮毫
     により刻した碑です。碑の建立者名は記載されていませんが、地元の有志の方たちによって
     建てられたとのことです。
      碑の文面を次に記します。振り仮名は(  )に入れて示しました。改行は、すべて碑面の通
     りです。 なお、「仙童寅吉」とあるのは、岩波文庫の本文では「車屋寅吉」となっています。


         

                
篤  胤  歌  碑

         寅吉にはなむけと詠
(よ)みたる歌と
         其の端言
(はしことば)は左に挙ぐるがごとし
         仙童寅吉が山人の道を修行に
         山に入るに詠みておくる

        寅吉が山にし入らば幽世
(かくりよ)
         知らえぬ道を誰にか問はむ 

        いく度も千里の山よありかよひ
        言
(こと)をしへてよ寅吉の子や 

        神習ふわが万齢
(よろづよ)を祈りたべと
        山人たちに言伝
(ことづて)をせよ

        万齢を祈り給はむ礼代
(いやしろ)
        我が身のほどに月ごとにせむ

        神の道に惜しくこそあれ然
(さ)もなくば
        さしも命のをしけくもなし
      
              かく記しよみ聞かせてぞ与へたりける


   [碑陰]     篤胤
(あつたね)歌碑の由来

        江戸時代末期の国学者 平田篤胤は安永五年
        西暦一七七六年 出羽国久保田現在の秋田に
        出生 二十歳で江戸に出奔 その後 平田学
        を樹立し 幽界の研究に没頭しているときに
        岩間山で修行中の天狗小僧寅吉に出会う
        その聞き書きが文化五年西暦一八〇八年刊行
        の「仙境異聞
(せんきょういぶん)」という書物である
        この書が出版されるや天狗の棲む霊界岩間山
        が江戸市中の評判となる
        岩間山は修験者の道場であり愛宕宮の鎮座す
        る神域である
        十三天狗の修行の様子が詳細に知られ 愛宕
        信仰が広まり天狗の山として畏敬され参詣者
        でにぎわうのはこの頃からである
        篤胤歌碑の五首は 寅吉が山に帰るに当たり
        天狗宛の手紙を託す時に詠んだものである
        二十一世紀初頭を寿ぎ歌碑を建立し天狗の山
        の由来をここに記す
           平成十三年一月吉辰 建之

              本文揮毫 白廷 飯野小八郎
            

     


   
【歌碑への道順】  岩間駅から歌碑までの道順を示しておきます。
       駅前を真っすぐ西に400mほど行くと、国道355号線に出ます。そこはT字路になってい
     ます。そこを左折すると、道路は左にカーブして信号のある十字路があります。国道に出
     てから300mほどのところです。そこを右折すると、そこから愛宕神社への道路である「あ
     たご天狗通り」が始まっています。道路は、すべて舗装された車道です。(駅前から国道
     355号線に出る手前に、左斜め前に入る道があり、そこを行っても、「あたご天狗通り」の
     入口へ真っすぐ出ることができます。この方が少し近道です。)
       その「あたご天狗通り」を1.2 ㎞進むと、左から来る道路と合流します。そこを右に進み、
     急なカーブを左右に繰り返しながら1
.5 ㎞ほど登ると、やや平坦になった道路の右手に、
     傾斜の急な石の階段が現れ、上の方に、階段の途中にある鳥居が見えます。
       歌碑は、石段の登り口のすぐ左手に建っています。道路の左手に、道路から少し低く
     なって、10台ほど駐車できる駐車場があります。

   【愛宕神社への道順】  歌碑のあるところの石段は315段あり、石も古く、かなり急なので、
     途中に手すりが用意されてはいますが、そこから愛宕神社へ向かうのは、年配者や足
     に自信のない人は遠慮したほうがよいでしょう。
      年配者や足に自信のない人や家族連れの人は、そこからほんの少し先100mほど行っ
     たところに広い駐車場があり、そこに見晴らしのいい展望デッキがあり、トイレもあります
     ので、そこまで行って、休憩してから神社に向かうとよいでしょう。
       神社へは、山頂に向かう道路の右手の、木々の間の道を入ると、比較的緩やかな傾斜
     の階段がありますので、そこを登っていきます。
       こちらの石段は、226段登ると神社の境内に出ます。前の石段に比べれば傾斜が緩やか
     で、石もしっかりしていますから、ゆっくり時間をかけて登れば、年配者や足に自信のない
     人や家族連れにも、登れます。境内に出てから右手正面にまわると、神社はすぐ目の前で
     す。石段23段を登って、お参りします。愛宕神社では、神社右手にある社務所で、お札や
     お守りなどを授けてもらうことができます。

   【愛宕神社について】  愛宕山の山頂にあるこの愛宕神社は、日本三大火防神社の一つとし
     て知られ、大同元年(806年)の創建と伝えられる歴史ある神社です。
       愛宕神社の裏にある階段を登っていくと、飯綱神社があります。飯綱神社の裏には、愛
     宕山に住んでいたという十三天狗を祀った「十三天狗の祠
(ほこら)」と呼ばれる石の祠(ほこ
          ら)
があります。
         ◎愛宕神社由来記
       愛宕神社は日本火防三山の一たる常陸国笠間市泉愛宕山頂に鎮座し御祭神は伊邪
       丹大神、火具土命、火結命、水波女命、埴山比売命、の五柱の大神を祀る。
       人皇五十一代平城天皇大同元年八月二十三日の創建にして歴代皇室の尊崇殊の外
       厚く、徳川幕府は御朱印地三石を献せられ宍戸城主宍戸四郎氏朝以来代々供田料を
       献納、又土浦の藩主土屋但馬守数直は本社を特に祈願所と定め毎年供進使を遣して
       幣帛料を献せられる等、近隣近国の藩主の崇敬厚く特に火防の主神として神威赫々
       霊験顕著なるを以て県内は勿論近県よりの参詣する崇敬者夥しく四季絶える事があ
       りません。
(これは「御神符」が入っていた紙袋に記載してあった由来記です。2013年1月3日)
                                    *      *       *      *      *    
       なお、愛宕山には、このほか天狗の修行の地といわれる石尊
(せきそん)などがあり、
     天狗伝説の残る山として、近年「あたご天狗の森」が整備され、山頂近くに、見晴らしの
     いい大駐車場や、町が管理運営しているログハウスの宿泊施設「スカイロッジ」が造られ
     るなど、四季を通じて楽しめる場所となっています。
      (岩間町は、平成18年3月19日、町村合併で笠間市となり、岩間町という町名が消失
       してしまったようです。)   
                          → 笠間市のホームページの「あたご天狗の森」
      山の好きな人には、岩間駅から愛宕山、難台山、吾国山を経て、水戸線の福原駅に
     至る登山コースがあります。所要時間約6時間の、健脚コースです。

            

 

 (注) 1. 歌碑は、長方形の台座の上に、縦128.4cm、横264.0cm、厚さ64.5cmの
      南アフリカ産の黒御影石(ラステンバーグ)を、2つの支え石を置いて載せた形の、
      衝立型のものです。
      2. 歌碑の最初の歌の「知らえぬ道を誰にか問はむ」の「誰」は、古文なので文語で
        「たれ」と清音に読みます。蛇足ながら、若い人のために補っておきます。 
      3. 歌碑に刻された和歌5首を収めた平田篤胤『仙境異聞』(上)一之巻が、資料43
        にあります。
        4. 平田篤胤『仙境異聞』(上)二之巻が資料109にあります。
       平田篤胤『仙境異聞』(上)三之巻が資料330にあります。
       平田篤胤『仙境異聞』(下)一之巻が資料331にあります。
       平田篤胤『仙境異聞』(下)二之巻が資料332にあります。

       5. 国土地理院の地図閲覧サービス『ウオッ地図』による愛宕山周辺の地形図
        見られます。(2万5千分の1の地形図です。)

 

 

 

 

 

 

 



 
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