資料332 仙境異聞(下) 仙童寅吉物語二之巻


                 

 
         仙境異聞(下) 仙童寅吉物語之巻    平田篤胤筆記考按


 


   問ふて云はく、「山人天狗なども、夜になりて寝るか」
寅吉云はく、「尋常の人と同じ様に寝るなり。我々は云ふも更なり、師は寝らるれば十日、二十日も覚めず、高いびきにてねらるゝなり」        
   問ふて云はく、「山人天狗などは、夜にも眼の見ゆる物なるか」
寅吉云はく、「
見ゆるなり。我々と云へども師の徳によりては見ゆることあり」
   問ふて云はく、「山人も夢を見る事あるべきか」
寅吉云はく、「我が師などはいかに有らむ知らず。我々は
夢を見る事、此方に在りしにかはることなし」
   問ふて云はく、「人に夢を見せ、また夢にて誨(さと)し言(ごと)する事もなる
 物か」

寅吉云はく、「神通自在なる故に、
夢を見する法もありと聞きたり。但し其の法は人の夢枕に立つこと故に、誨す方にても誨さむと思ふから苦しく、誨さるゝ人も甚だ苦患(くげん)なる事なりとぞ」
 問ふて云はく、「山人の方へ何ぞ頼みたき事、尋ねたき事などの有る時に、高
 き所に上りて彼方に向かひ言ひたらむに、届くべきか」

寅吉云はく、「尋常に物言ふ如く云ひては、いかほど大きなる声にても、届く事なし。神に祈願をする如く祈りいへば届くなり」

  問ふて云はく、「先へ祈願の通りたる事は、いかにして知るべき」
寅吉云はく、「聞き受けたる事は其の事をかなへ、また夢想にても
誨すべし」
 問ふて云はく、「其の方に何ぞ尋ね度きことの有らむ時に、山に入りて対面し
 尋ねたく思ふを、然る事はなるまじきか」

寅吉云はく、「それは叶はぬ事にはべり。しか自由に逢はるゝ事にては、彼の境この境の差別の立たざる故なり」
 問ふて云はく、「そちにも穢れたる火は知らるゝか」
寅吉云はく、「随分に
知らるゝなり」
 問ふて云はく、「いかにして知らるゝぞ」

寅吉云はく、「おき火ともし火ともに穢れたる火は色黄黒く勢ひなく、又は燃え立つさま荒く、飛びはねもするなり。燭火は障子を一重おきて見れば、殊によく
知らるゝなり」
 問ふて云はく、「山人天狗などの境に、女人はなきか」
寅吉云はく、「余の山は知らず、岩間山、筑波山などは、女人禁断の山なる故に決して女なし。女の汚れにふれたる人の登山するをば、怪我をさせ、突き落しもするなり」
 問ふて云はく、「然(さ)やうの事は師みづからするか、其の方などもするか」
寅吉云はく、「師のみづから手を下すことも有れど、多くは属
(つ)き従ふ者ども師命をうけて、遠くより足を挙げて蹴る状(さま)をなし、また手を伸ばし突き落す状をすれば、倒れもし落ちもするなり」
 問ふて云はく、「山上りせる人の引きさかれなどしたる事を、時々聞くことあ
 り。然る甚だしき事もありや」

寅吉云はく、「山人にも天狗にも邪あり正あり、猛烈なるあり温和なるあり。猛烈なる天狗また山人には、然る甚だしき所為をなす事も有るなり」
 問ふて云はく、「彼の境に男色の事はなきか」
寅吉云はく、「他山の事は知らず、我が山などには然やうの事は決して無きなり」
  此の事は、予みづから問ふことを得ずて、門人守屋稲雄に命じて、寅吉がう
  ち解けたる程に密かに問はしめたるなり。然
(さ)るは世に天狗に誘はれたり
  と云ふもの、多くは童子なるは、もし僧どもの化したる天狗等が、在世の悪
  性なほ止まずて其の用に伴ふには非じかと、日頃思へればなり。

 問ふて云はく、「天狗また妖怪は
の声を恐るゝ物と聞きたり。然る事も有り
 や」

寅吉云はく、「天狗は雞
の声を恐るゝ事なし。夜になりて人に禍難をなす種々の妖物あり。其等はが鳴けば夜が明くる故に、恐るゝと云ふことなり。さての事を問ひ給へるに就きて思ひ出でたり。彼の鳥はいと奇(あや)しきなり。常に人家の庭に畜(やしな)はれ居ては、飛ぶことの下手なる様に思はるれど、彼の鳥ほど高く大空に飛び翔る鳥はなし。飛ぶ状も中々余鳥の及ぶ所に非ず、美しく緩やかにして、速く限りもなく飛び昇るを度々見たり。いつも雌雄にて飛ぶなり。甚(いと)奇しくて、師に問へば、『太神宮の御許へ参るなり』と言はれたり」
 問ふて云はく、「彼の境にても、病み煩ふこと有りや」

寅吉云はく、「我が師などは病み
煩ふことなし。属き従ふ者といへども腹痛、腫物、摺りむき、切り疵などにて煩ふこともあり。腹痛には丸薬を用ひ、腫物をば爪を長く生やして居る故に爪にてむしり、膿の有りたけ掻き出だして、木の葉、草の葉は更なり、土にても何にても有るにまかせて貼るなり。切り疵、摺りむきなども、右のごとし。また嘗めて癒すことも有り。また咒禁して癒すことも有るなり」
 問ふて云はく、「其の丸薬は何々ぞ。また外によき薬方は知らざるか」
寅吉云はく、「
丸薬は山の赤土と狐の茶袋とをよき程に合せて、飯糊にて丸(まろ)がし、丹にても箔にても衣とす。虫腹(むしばら)一切の薬なり。またたじまの実と艾(よもぎ)の葉と外に何にても、百種の草を煎じ出して、滓を去り煉りつめて、痰、癪、虫腹痛などに用ひてよく功をなすなり。火、熱湯に焼かれたるは蛤貝の白焼と、ひゝな草の白焼とを貼りてよく癒るものなり。又火傷に胡蘿菔(にんじん)の屎を養はず作れるを、荒土を去りたるばかりにて洗はず、細根をとれざる様に縄もて纏ひて、陰干しとなしたるを煎じ出し、水の如く冷して其の中に焼け所をひたせば、其の水湯の如くなり、痛み忽ちに止みて跡もつかず癒るものなり。また杉の葉の芽とめしを入れてすりて、たつぷりと貼れば熱くなるを、取りかへしすれば痛み止むなり。足のつめたくなき薬は、とふがらしと山椒の粉を水にときて引く。なほ薬方は思ひ出でたらむ時に、教へ申すべし」
 問ふて云はく、「彼の境に別に養生の法はなきか」
寅吉云はく、「常の行状、やがて養生の法なる故に別に養生の法といふはなし」

 問ふて云はく、「唐土の仙人ども、長生不死の薬とて種々の丹薬を煉る法あり。
 山人にも然る丹薬を煉り用ふる事はなきか」

寅吉云はく、「
然やうの丹薬煉るを見たる事なし。但し師の常に用ひらるゝ薬あり。其の法は柚の実を去りて幾箇にても、上酒にて火を強からず柔ならず煮るときは、煮とけてとろりとなる。其の時に滓を去りて、干し生姜の粉と太白の砂糖を入れてまた煉りつめて、塗り板に水を引きて親指のはら程におとし、冷たく堅まれる時にへぎ取りて、壺にたくはへて常に用ひらるゝなり。此は胸腹をすかし、痰を治する薬なりとぞ。またたじまの実と艾の葉と外に何にても百種の草を煎じ出して、滓を去り煉りつめて、痰、癪、虫腹痛などに用ひてよく功をなすなり」
 
問ふて云はく、「山住ひのことなれば、山嵐の瘴気とて、山気また霧露の悪気
 に当たることも有るべし。其を防ぐ薬は知らざるか。また毒消しの薬は無きか」

寅吉云はく、「梅の実を酸気なき様に、黒焼きにして
(梅干しにてもよろし)酒にて用ひ、又総身に吹きかくれば
山嵐の気に中(あた)ることなし。毒消しの薬には田植ごろの稲の根を、土を洗ひて蓋をしていぶせば、蓋に霜たまるなり。其を取りて黒餅米の黒焼き(餅米なくばただもちにてもよし)と等分に合せ、食中(あた)り、毒消しに用ひて妙なり」
 問ふて云はく、「かつて山人に伴はれたる者の言をきけるに、山谷などに霧こ
 もれる時に、指にて空に字をかきて何やらむ咒文を唱へたれば、晴れたる由を
 語れり。然
(さ)る事もあるか」
寅吉云はく、「実に
然る事あり。其は入らんと思ふ山谷に向きて九字をきり、何と云ふやらむ知らねども咒文を唱ふれば晴るゝなり。また咒文を唱へ、白紙を細小(こまか)に切りて、雪を降らす如くまき散らして払ふ事もあり」
 問ふて云はく、「山人たちも酒を呑むことありや」
寅吉云はく、「常は酒を呑むこと無けれど、正月二日
(蟇目の式あり)にばかり呑むなり。然れど酔ふほどは呑まず。昆布を肴にて土器につぎ、少しばかり呑む真似をするなり」
 問ふて云はく、「節分に豆をまき、赤鰯柊をさし、正月に松を立て、しめをか
 ざり、五月菖蒲をふくなどの事はなきか」

寅吉云はく、「正月別に松は立てねど、生ひたる松の木に、何によらず供物して、拝し祈ることあり。此れにつきて思ふに、人は日々に松の木に寿命を祈りたらむには、長からむと思ふなり」
 此の時己れ思ひ付きて、タラの木に虫歯を癒さむことを祈りてしるし有るよし
 をいへば、傍らの人また鳶に虫歯の願をかけ、油揚げを与ふれば直るよしをい
 ひけるに、
寅吉云はく、「立木、魚虫、鳥獣、何にても一心に祈れば験あり。不動観音をはじめ、なき仏に祈りてさへもしるしあり。犬の屎にても同じことなり。されど真の神をさし置きてそんなものに祈るは悪し」
 問ふて云はく、「正月より始めて年中に定まれる神祭はなきか。また七月精霊
 を祭る事ななきか」

寅吉云はく、「年中に定まれる祭といふは、大晦日より正月年の神を祭り、二月初午に田植の神事あり。田の神になる人ミヅラに髪をゆふ。油揚げの供物をそなふ。三月三日に伊邪那岐
(いざなぎ)、伊邪那美命(いざなみのみこと)を祭る、これ雛祭のわざなり。五月五日ごろに素戔嗚尊(すさのおのみこと)を祭るのみにて、七月に霊祭(たままつり)することもなし。(精霊祭のときくしをさす。)」
 問ふて云はく、「其の祭をする神前に、神饌米、神酒などを供ふる事はなきか。
 外に供物はなきか」
寅吉云はく、「供物は何もなし。ただ水ばかりなり」
 予が神前に釣りたる鉄鈴を見て、「此方の鈴は真の鈴なり」といふ故に、「山
 人の方の鈴は鉄か」と問ひしかば、
寅吉云はく、「真鍮のもあれど、鉄の鈴が上古の状なりと云ふことなり」

 問ふて云はく、「神前にて鈴を振ることありや。また神前につりてもありや」

寅吉云はく、「
神前にはつり置かず、手に持ちて振るのみなり。但し此方の人は小指の方に持てども、彼方にては親指の方に持つなり。さて音のとぎれぬ様に振るなり。鈴をふれば土がふえ、人がふえるといふ事なり」
 問ふて云はく、「其の外に、神前にて用ふる鳴物はなきか」
寅吉云はく、「神前に鰐口をつりてあるのみなり。形は此方のにかはる事なし」
 問ふて云はく、「神前にて印を結ぶこと有りや」
寅吉云はく、「彼方の神道は両部なる故に、神前にても印を結ぶ。すなはち山伏の行ふ護身法の印なり」
 問ふて云はく、「両部ならば、神前にて護摩をも焼(た)くべし。木はヌルデに
 は非ざるか」
寅吉云はく、「余の木をも用ふれども、ヌルデを第一に用ふるなり」
 問ふて云はく、「神前に鏡を立てゝ有りや。また常に鏡を所持するか。また鏡
 をもて、魔を恐れしむる事は無きか」
寅吉云はく、「鏡は大切に斎
(いつ)き持ちて、魔除けにも用ふる事あるなり」
 
問ふて云はく、「いか様にして魔を除くることぞ」
寅吉云はく、「彼方の鏡は紐付きなる故に、其の紐を持ちて額にさし上げ、吾が後ろへ光のうつる様に、吾が目にも見ゆる様にするなり。魔は後ろより来ればなり。凡て魔は前に見えても、後ろに居るものなり」

 問ふて云はく、「外に魔を除くる仕方はなきか」
(寅吉云はく、桃、梅、柊のスアヒを合
  せ雞冠石を入れて魔をよける事有り。)

寅吉云はく、「夜の旅、また魔所といふ伝ふる所などに行く時は、何にても、女の身に付けたる物を所持すれば、魔物も害をなさず。櫛にても、笄にてもよろし。また家を出る時に、女の股をくぐりぬけて出づれば、決して魔の害に逢はざるものと聞きたり」
 問ふて云はく、「かねて聞きたるに、妖物の障礙をなすと思ふ時に、立ちて股
 をひろげて、頭を垂れ股より後ろを見れば、妖物を見現はすものと聞きたり。
 然る事は知らざるか」

寅吉云はく、「山にても魔物の正体を見
現はすには、此のわざほど手近き事はなしと聞きたり」
 問ふて云はく、「十種の神宝の咒文、中臣祓(なかとみのはらえ)、六根清浄祓、三
 種祓、トホカミヱミタメなども唱ふるか」

寅吉云はく、「右何れも
唱ふるなり。但しトホカミヱミタメを唱ふることは卜相の時のみなり」
 屋代翁の許へ行きたりし時、いはゆる舎利を出だして、「此れを知れりや」と
 問はるれば、
寅吉云はく、「此れは舎利といふて仏物なり。天竺の海浜にあり。また唐土にも日本にもあり。子をふやす物なり」
 世にいはゆる雷斧の小さくて、婦人の衣を仕立てるに、袖形をつくる箆の如き
 形なるを出だして、「此はいかに」と
問はるれば、
寅吉云はく、「此は名をば知らねど、彼方にも有る物なり。座をくみて行をする時に、咽の乾けば嘗
(な)める用の物なり。時に依りて目方に軽重あり。幾通りもあり。山より掘り出づることあり。又海よりも上がるものなり」
 また独鈷
(とっこ)の、[闕]図かゝる状なるを出して、此はいかに、山にても用ふ
 る事ありや」と
問はるれば、
寅吉云はく、「此は独鈷にて、彼方のは心を図の如く剣鋒
(けんぽう)に作りて刺し通し、まはりの爪にて抓(つま)む様に作る。此れも座をくみて行をする時に、魔の妨害をなすを除くる物にて、大指を隠して、[闕]図かくの如く持ち、妖魔の妨げをなす時に厳しく握れば、[闕]図かくの如く開くを、突付けて鋒(さき)を通し、いさゝか握りを緩めて引倒す物なり」

 問ふて云はく、「
独鈷を握るに、親指を隠すことは如何なる故ぞ」
寅吉云はく、「すべて拳を握るには親指を隠すべき事なり。印を結ぶにも、常にも親指を隠して居るべきなり。妖魔のたぐひ害を為さずと云ふことなり」
 己れかねて持ちたる、矢根石を出だして、「此れを知れりや。此れを用ふるこ
 とは無きか」と問へば、
寅吉云はく、「此は神の矢の根といふ物にて、神の軍
(いくさ)を為給ふ時の箭(や)の根なりとは聞きたれど、彼の境にては用ふる事なし」

 また己れが所持のいはゆる石剣の左に図せる如きを見せて、「此を知りたりや」
 と
問へば、
寅吉云はく、「彼方にても用ふる物にて、是れよりは太く長し。行の時に右手に握り、柄を膝に立て、鋒を肩にかつぎ、妖魔の障礙をなす時に打ち払ふ物なり。但し此れには性のよき石と性の柔なると種々あり。此の石剣はもと木にて作れるが、石に化れるなるべし。甚だ性のつよき石剣は鋒の欠けたるも延ぶる物なり」
 さて見する程の物ども、何によらず鼻にあてゝかぐ故に、其の由を問へば、
寅吉云はく、「石にても金にても香りのなき物はなし。たとへ香りのせざる物も、性のつよき弱きは鼻に吸へば心下に応ふる状にて分別せらるゝ物なり」
 屋代翁の秘蔵に、妊玉とて珍しき小玉二箇あり。其は大きさ妖玉という小玉の図
(原径二分)これ程
 にて、平らみあり。中に穴あきて緒を通すべし。色は茄子の皮の如し。一箇は
 いさゝか小さきが、色は白くて形は替はることなく、穴あきたり。共に光輝い
 と美なり。元は茄子色の玉のみ得られたるが、白玉は一昨年産まれたる子玉な
 りとぞ。さて虫眼鏡をもて見るに、親玉の穴に赤玉を妊みてあり。其の赤玉に
 も、いまだ産まれざるにいと小さく穴あきて有り。いと奇
(あや)しく珍しき玉
 なり。此を見せて、「いかに見知りたるか」と問はるれば、
寅吉甚く感じて云はく、「斯くばかり珍しき玉は、遂に見たる事なし。真に宝物なり」
 また己が持ちたる、石笛を吹き聞かせて、「此は知りたるか」と問へば、
寅吉云はく、「ただに穴明きて、ブウブウとなる石は、いくらも見た事あれど、斯くばかり形の具はりて、鳴る音のうるはしきは、見たることなし」
 と云ひて甚だ悦び頻りに吹きならす故に、「此はいかにして出来たる物か知ら
 ずや」と問へば、とつおきつ久しく考へて、はたと手を打ちて、
寅吉云はく、「漸々に思ひ出でたり。何処にてか有りけむ、いと高き山の峰に生ひたる樹の根の顕はれたるに、刺し込みたる如く、かゝる石の付きて在りしを見たる事あり。然れば木の根に土の千万年付き堅まりたるが、此くの如く化れる物と見えたり。然るにても此の石は形いとよく備はりたるは、然も非ざるか。石質を見るに久しく海に入りて在りし物なるべし。さて石はもと無き物にて土の堅まりたる物と思はる。其の故は、土の石に化りかゝりたるが海辺に幾等もあるなり」

 問ふて云はく、「この石笛を持ち来たるとき、供に連れたる者これを取落した
 るに、下なる石にうち当たりて欠け落つべき程のひびきを付けたり。人々『終
 には欠けて離るべし』と惜しみけるに、高橋安左衛門といふ者日ごろ口早き男
 なるが、『此の石終には欠け落つべく見ゆ。師の学業成就すべくは此の瑕
(きず)
 
いえ付くべし』と云へるが、己が心にかゝりていかで此の瑕をなほしたく思ひ
 て、もと下総国海上郡小浜村の八幡宮より賜はれる物なれば、其の方に向かひ
 て『此の瑕なほし給へ』と朝ごとに祈りしかば、其の験やらむ癒え付きて今は
 瑕とも見えぬ様に成れる故に、人に其の事をいへども、元のひびきを見ざる人
 は信ぜざるも有り。石のひびきの癒え付くと云ふことも有るか知らずや」

寅吉云はく、「かゝる性のつよき石は、欠け落ちだにせねば、癒え付くものなり。心を付けて見れば、此の辺にも堅石の色異なる筋を引きたるがあり。其れみな自然と癒え付きたるなり。また石をつぐ法もあり。また石を作る法もあり」
 
問ふて云はく、「石をつぐ法はいかに。此方にても付くべきか」
寅吉云はく、「何の造作もなき事なり。へな
(埴)土に鉄粉を交へて、ひつたりとつぎ合せ、滝の源など水の烈しく流るゝ処に、物にさはらぬ様にして、半年か一年も置けばいえ付くものなり。然して付かざる大なる疵は、すべてに泥を塗りて滝の流れに置くときは、遂につぎ合ふものなり。滝ならずとも付くなり」

 問ふて云はく、「それは彼の境の山人たちが為てこそ付くべけれ、此方の人が
 為てはいかが有らむ」

寅吉云はく、「こちらにても付きそうな物なり。試み給ふべし」
 予が蔵したる、禹余粮壺
(うよりょうつぼ)を見せて、「此を知れりや」と問へば、
 「此は海辺にても山にても折々見る物なれど、心を付けざる故に何物と云ふこと
 を知らず」といふ故に、「此は禹余粮壺と云ふ物にて自然に出来たる物なるが、
 中に禹余粮とて米粒の如くにて、土とも非ぬやわらかなる物ありて、痢病に用
 ひて功を為す薬なり」と云へば、例の如く鼻にあてゝかぎて、傍らの者に「釘
 を一本給はれ」といふ。すなはち与へたれば、壺にやゝ久しく摺りあてゝ少し
 く粉の落ちたるへ、釘をかざして粉を吸はせ、「此は磁石の気ある物なり」と
 いふ故に、予云はく、「実に然
(しか)なり。此の壺に清水を入れ、五七日おき
 て鉄醤
(かね)に用ふるによく染まる物なり。それ故俗に鉄醤壺(かねつぼ)とも、
 おはぐろ壺ともいふ」と云ひしかば、「然
(さ)も有るべし」と、天地の妙を甚
 く感じて、磁石の性をよく知りたりげに云ふ故に、「磁石はいかなる理りにて
 鉄を吸ふならむ」と問へば、
寅吉
云はく、「鉄の性は物を吸ひよせるもの故に、磁石はその性気の凝りて石と化れるなるべし。然(しか)思ふ故は「この大地の心は鉄にて、北の方には其の気凝りて磁石山の出来てある故に、磁石の虫が同気相応じて、北へ向かふ」と師に聞きたり」
 といひて、磁石針の製法は如此々々
(かくかく)といふに、少かも違ふ事無き故に、
 「山人たちの飛行にも磁石を用ふること有りや」と問へば、

寅吉云はく、「常に所持して用ふること有り。但し日本にて製れる磁石針は、遠きから国に行きては、向かふのあちこちに成ることあり。合点行かざる事なり」
 といふ故に、「其の国はいと寒き国には非ざりしか。国の風俗はいか様なりし
 ぞ」と問へば、
寅吉云はく、「人なき山上にて磁石を試みたる故に、国の風俗は元より人物の有無をも知らねども、殊の外に寒く、昼も夜の如く闇き国にて有りしなり」
 と云ふ故に、予考へて万国図を出し、□□□の国辺を指して、「汝が磁石を試
 したるは此の辺にても有るべし。其は磁石の変りたるに非ず。磁石は元より北
 極の所へのみ向かふ故に、この□□□国などは日本とは北極を中におきて対ひ
 たれば、彼の国へ行きて日本の南にあたる事のみを思ひて、北極を隔てたる事
 に心付かでは、然
(しか)思ふべき事なり」と云へば、いたく悦びける。此の時
 ふと思ひ付きて、試みに「須弥山
(しゅみせん)を見たるか」と問へば、
寅吉云はく、「『須弥山といふ山ありと書物に記しては有れど、実はなき事にて、大かた此の国土から天までをかけて仮りにいふた物であらむ』と師の説なり。然も有るべく思ふことは、八万由旬
(ゆじゅん)の高さと云へば、根ばりは其の一倍も二倍も無くては立ちて居ぬ理りなれば、頂上は見えずとも、麓の見えぬ事は有るまじき理りなるに、師に伴はれて星のむらむら見ゆる大空へも昇りて見たれど、何処まで行きても見えず。我が師にさへ見えねばこそ、無き物ぞと言はるゝなれば、須弥山といふは誰かよいかげんに云ふたる事と思ひ決めたり。其れに就きてかねて思ふに、この大地は何でも丸き物で有らうと思はる。其の故は西へ西へと行けば東へ来ればなり。また大地の成るはじめを思ふに、丸く潮のこごつた様な物でありし所へ、国々が成りたでは無いかと思はるゝ。其の故は大空に昇りて見れば、国よりは海が多く有り。また高山の峰などに、蠣殻をはじめ貝殻がいくらも有ればなり。さて大地は円き物とは思ひ決めたれど、海川の水の溢れず、また丸き物のまはりに国ありて人の住まひ居る理りは知られず」
  と云ふ故に、予云はく、「大地は元より円き物なる故に、地球ともいふ球の字
 はマリと訓む字にて大空に球を突き上げたる如くにて有り。然るに海川の水の
 溢れず、まはりに人の住み居る理りは此くの如し」と、かねて古史伝に記しお
 ける考へを読み聞かせたれば、甚だ悦びたり。また此の時試みに、「極楽地獄
 を見たりや」と問へば、
寅吉笑ひて云はく、「『極楽地獄といふは、愚なる者を威
(おど)す為に、後人の作言したるなり」と師説なり。殊に極楽は十万億土にあるといへば、地つづきと聞こゆるに、師に伴はれて大空に昇り遠き国々までも行きて見たるに、何ど見ても大地は円き物にて、くるりと廻りても十万億土はありそもなし」

 問ふて云はく、「師のをりをり、戎の国々まで廻り行かるゝは、何の用ありて
 行かるゝ事ぞ」

寅吉云はく、「
何の用事をとゝのふるか知らず」
 
問ふて云はく、「戎の国々の人と師と応対する事ありや」
寅吉云はく、「何処の国
に行きても、其の国々の人物となり、其の国々の言葉をつかひて応対せらるゝなり。総じて言葉の異なる国にても、其の音声の色を考ふれば悟らるゝと云ふことなり。其は人のみならず、鳥獣の鳴き声にて其の心をも悟られ、虫の囀りにて其の情も悟らるゝ由なり」
 問ふて云はく、「文化十一年十二月廿七日節分の事なるが、池
端の正慶寺に
 て仕ひたる十四歳の童子、是れより前にしばしば異人に伴はれたる事ありしが、
 此の日近所へ糊を買ふとて出でたるに、いつも伴ふ異人あひて童子に云ひける
 は、『汝寺に奉公すること勿れと禁
(いまし)めたるに何とて寺に奉公せしぞ。
 今より参りて其の由を御わび申せ』といふ。童子云ひけるは、『然らば糊をか
 ひて寺におきて行くばし』といふに、異人云はく、『糊を買はずとも銭を此の
 店におきなば此より寺へ届くべし。疾く我と伴ひ行け』といふゆゑに、童子そ
 の言に従ひて伴はれたるに、空を翔りて一息に筑紫の筥崎八幡宮まで至りたる
 に、宮の豆蒔きにて、豆と封守を蒔きたるを拾ひ、其れより又やゝ暫く空をか
 けり、幾里ありとも知らぬ石の屛をつきたる如き上に至りて、『此はもろこし
 に名高き万里の長城なり。いさゝか遠途なれど、此を汝に見せむと思ひて此方
 をかけたり』と語りて、其れよりまた遥かに空をかけりて行けば、甚だ寒く、
 日輪常に見えて天目
(てんもく)ほどに見ゆる所なり、いと美麗に壮厳したる、
 城郭の如き域に至りぬ。斯くて童子其の域内を見るに、人物みな日本の人にて、
 諸商人の店もならび立ちて此の国に替ることなく、通用の金銀も小判、小粒、
 南鐐、丁銀など、皆此の国のに替る事なく、ただ銭のみは仙台銭のやうに見え
 しとぞ。さて彼の異人案内して殿に上れば、玉簾を垂れて貴人五人居給へるが、
 老ひたるも若きも有れどみな日本の人々にて、天子の御装束の如きを著せられ
 たり。御前に出づれば、『汝この方に止まるや古郷に帰りたきや』と問ひ給ふ。
 童子古郷に帰りたき由を申せば、伴ひたる異人すゝめて、『然ないひそ。此方
 に止まれ』といふ時に、貴人たちの云はく、『心に応ぜずば強
(あなが)ちに留
 むる事無用なり。四五日置きて送り帰すべし』とて、種々菓子など賜ふにみな
 日本の菓子に替ること無し。貴人たちの言に、我々と同等の人々八人あるが中
 に三人は日本に住まるゝを、我等は思ふ由ありて此処に住するよし、宣
(のたま)
 
ひけるとぞ。さて寄合部屋の様なる所に下りたれば、近頃伴はれ来て止まる人
 々と見えて、いと多く居たり。四五日逗留のうちに見れば、其の人々に日々に
 鉄を丸めたる璽の如き物を、真赤に焼きたるを持ち来て、咒文を唱へつゝ一人
 々々に、身体のこらず推しあつるに、熱き状にも見えず。また大なる釜に熱湯
 を沸かして、咒文を唱へつゝ大勢を入れて蓋をなして煮るに、これも更に熱き
 状にも見えず。これ日々の事なり。さて翌年の正月元日に人の来て童子に云ひ
 けらく、『上に御客ありて其の方がことを宣へば、明日は返さるべし』といふ。
 二日の昼ごろに、また貴人たちの前に召し出され、『今日日本に帰すべし』と
 て、異人を六人呼び出し、其処々々の用事ども調へつゝ此の者を送り帰すべき
 由を命ぜられ、高座の前に金か真鍮か知らず、大なる玉の上に磁石の針の如き
 ねぢ廻す物の付きたるを、命を受けて行く人々の赴くべき方へ向けて授けたま
 へるに、即空に伴ひ上りたり。此の器は空行の術の未熟なるを仕ふ時に用ふる
 器なりとぞ。さて東北の方なる其処々々の用事を調へて、日本の空に来たり江
 戸に入らむとする頃に、しきりに寒かりし故に其の由をいひしかば、『深川霊
 巌寺に火災あり。彼方にて待つべし』とて、彼の寺の空に彳
(たたず)むと思ふ
 程に火災起こりしかば、其の火にあたりたり。これ夜明けの事なり。其れより
 伴ひて朝五
時に、飯田町中坂なる稲荷社の末社の金毘羅神の屋根にさし置き
 て、『近所に汝の叔父あれば程なく迎ひに来るべし』とて、異人たちは去りに
 けり。斯くて所の者ども、童子が金毘羅神の屋根に居るを見て抱きおろし、叔
 父に告げたるに、童子二三日は夢中の如くにて在りしが、覚めて後に問へば、
 右の事どもを語りけるとぞ。殊に奇なるは、髪月代ともに今すり結ひたりと見
 えしかば、其の由を問ふに、『彼方に日本橋辺の何某といふ髪結ひの住み居る
 に頼みて、今朝結ひたるなり』と云ひしとぞ。
(此の事は倉橋与四郎ぬしの聞記(ききお
  ぼ)
えて、語られしを挙げたるなり。彼のぬしの説に、『千里の長城より深く、日の天目程に見えて、常
  に見ゆる所に入りたるを思ふに、彼の域は韃靼の奥地、シベリヤの奥なるべし。焼けたる鉄を額にあて、
  熱湯にて煮るなどは、謂ゆる三熱の苦とは、此れを云へるにや』と云はれたり。然も有るべくや。)

 の方師に伴はれて、然る域に至れる事はなきや」
寅吉云はく、「池端の正慶寺は、我も暫く居たる寺ゆゑに、此の事はかの寺にて聞きたり。我はいまだ然る域に行きたる事なし。然れど千里の長城か何か知らねども、誠に千里も有らむと思ふほど砂山の如く見ゆる高土手の有る処は、空より見下ろしたる事あり」
 問ふて云はく、「未熟なる者を飛行せしむる時に用ふると云ふ、金色したる玉
 を見たる事は無きか。鉄丸を焼きて額にあつること、釜に入れて煮る事などは
 いかに」

寅吉云はく、「飛行せしむる玉は見たる事なし。
鉄丸を焼きて額にあつる事もなし。釜に入れて煮ることは、熱湯の行に似たる事なり」
 
問ふて云はく、「右の童子の物語に、伴ひたる異人空にて深川の霊巌寺に火災
 を起こしたるといひ、予て聞きたる物語にも、下総国笹川村なる須波
(諏訪)
 の社木を、天明年中の頃、同国銚子の観音堂を建つる材木に売りたるが、其の
 冬木取
(きどり)も既に成りて近き内に造り建てむと催すころ、常陸国石手村の
 半兵衛と云ふ者銚子に商ふ穀物、薪など積みたる舟に乗りて、銚子の川辺に舟
 泊りして在りける夜に、髪長く眼ざし恐ろしき異人両人何処よりともなく来た
 れるが、思ひがけず行き逢ひたりげに挨拶して舟に入りたり。半兵衛伏しなが
 ら息をつめて見居たるに、異人どもまづ船に積みたる薪を抜きとりて忽ちに火
 を燃やしてあたりけるが、一人の云はく、『そこは何処に行き給ふぞ』と問へ
 ば、答へて、『我は中国辺にしかじかの用ありて行くなり。そこは何所に』と
 問ふに、一人が云はく、『笹川の須波社の神木をもて観音堂を建つること、不
 埒の事なる故に焼き払ふべき由、命を受けて向かふなり』と。なほ種々の物語
 して別れける。半兵衛は身の毛よだちて聞き居たるが、其の明くる朝に、観音
 堂の普請場より火出でて材木残らず焼亡しけるとぞ。
(此の事は右須波社の神主五十嵐
  対馬の物語なり。)
また近ごろ江戸神田三河町なる幸慶といふ仏師、神がくしにな
 りて、十日ばかりに、西国三十三所の観音を始め、名所古跡をめぐりて帰れり。
 然るに或夜、火の見櫓の鐘をうつ音をきくと等しく、『此は小日向音羽
(おとわ)
 
の安養山還国寺の火災なり』と云ふ。人々その由を問へば、『今かの西国を伴
 ひ巡りし異人来たりて、「今夜は面白き事見すべし」といふ故に、「何事を為
 給ふ」と問ひしかば、「還国寺の僧身持善からぬ故に焼くなり」と云ひて今出
 られたり』と云ひけるとぞ。其の方の師も火災を行ふ事ありしや」
寅吉云はく、「実に然る事あり。師と共に大空の寒き所を通る時に、寒ければ此の先に火にあつべき所ありとて、其の所に至り、纔(わず)かに烟管(きせる)の火皿の火ほど空より落せば、家一軒、または二三軒、十軒、或は一村も火災あり。其の時空にていざあたれとてあたる事なり。師の心の如くなる山人計りはなき故に、あちを焼けば又こちをも焼くなり。其の焼く家所はみな心善からぬ人の家、または汚れたる家所など、何ぞ心に応(かな)はざる所を焼くなり。況(ま)して神は社木を切ることを悪み給ふ故に、社木にて建てたるはいつか一度は焼かるゝなり」
 問ふて云はく、「其の火は何処より、いかにして出すことぞ。常に火打、火縄
 など持ち居るか」

寅吉笑ひて云はく、「燧
(ひうち)や火縄を用ふるやうな事はなし。胸また脇下など、体中いづこよりも出す。総じて人の体には火みちて有る故に、通(つう)を得たる上にては体内何処よりもつまみ出すなり」
 問ふて云はく、「天狗甚右衛門と云ふ者、□年ばかり神隠しになりて此のごろ
 帰り来たれるが、剣術師谷川源左衛門に語りて、『山人及び天狗の類ひに邪正
 強弱さまざまあるが、共に世の悪行不浄の罰を掌る物ぞ』と云へる由なり。実
 に然る物にや」

寅吉云はく、「実に
然る事なり。師の身内より火を出だして、家所を焼くなども、やがて罰を行ふなり」
 問ふて云はく、「然様に各々罰を掌る事は、何れの命によりて行ふことぞ」
寅吉云はく、「何よりの命なるか知らず。大かた神々の命令を受け伝へ来て
行ふわざなるべし」
 問ふて云はく、「大空より此の国土を見たる状はいかに」

寅吉云はく、「やゝ飛び上がりて見れば、海川、野山、人の往
(ゆ)き来(か)ふ状まで見えて、夥しく広く丸く見ゆるが、漸々に上りのぼりて見れば、段々に海川、野山の状も見えず、むらむらとうす青く網目を引き延(は)へたる様に見ゆるを、なほ上るまゝに段々小さくなりて、星のある辺まで昇りて国土を見れば、光りて月よりは余程大きく見ゆる物なり」

 問ふて云はく、「
星のある所まで行きたらむには、月の状をも見たるか」
寅吉云はく、「月の状は近くに寄るほど段々大きになり、寒気身を刺すごとく厳しくて、近くは寄り難く思ゆるを、強ひて弐町ほどに見ゆる所まで至りて見たるに、又思ひの外暖かなるものなり。さてまづ光りて見ゆる所は国土の海の如くにて、泥の交じりたる様に見ゆ。俗に兎の餅つきて居ると云ふ所に、二つ三つ穴あきて有り。然れど余程離れて見たる故に、正しく其の体を知らず」
 爰
(ここ)に予云ひけらく、「月の光る所は、国土の海の如しと云ふこと、西洋
 人の考へたる説もありて、然る事に覚ゆれども、兎の餅つきて居る如く見ゆる
 所に、穴あきて有りしと云ふこと心得がたし。彼所
(かしこ)はこの国土の岳の
 如く聞こゆるをや」と云へば、
寅吉笑ひて云はく、「あなたの説は、書物に見えたる事をもて宣ふ故に違ふなり。我は書物は知らず、近く見て申す事なり。尤も師も岳なりとは云はれつれど、近寄りて見れば正しく穴二つ三つ有りて、其の穴より月の後ろなる星の見えたりしなり。然れば穴ある事疑ひなし」

 問ふて云はく、「星はいかなる物と云ふこと見知りたるか」

寅吉云はく、「星は国土より見ては、細かなるが多く並びてあると見ゆれど、大空に昇りて見ればいつも明るき故に、此の土より見たる程に光りては見えざれど、段々にしたゝか大きく、四方上下に何百里とも知らず、遠く離れて夥しくあるが、大地も其の中に交じりて、何れ其れとも見別けがたし。爰に心得がたき事は、『星のいかなる物ぞと云ふことを見たし』と師に言ひしかば、『見すべし』とて此の土より見て殊に大きく見ゆる星を目ざして連れ上がりしが、近くに寄るほど大きくぼうと為たる気に見えたる、其の中を通り抜けたる事あり。通りぬけて遠く先へ行きて顧り見れば、本の如く星にて有りしなり。然れば星は気の凝りたる物かと思はるゝなり」
(朱書)(またかの俗に銀漢(あまのがわ)といふ物はただ白くおぼろおぼろと見えて少し水気ありて中にいと微さき星のしたゝか見ゆるものなり。)
 予また此の説を心得がたく、其の席に佐藤信淵も在りしかば、「そこは天地間
 の理
(ことわ)りに精しければ此の事を弁へよ」と云ふに、信淵弁を作りて云は
 く、「星の体は其の質この地球と同じくして、重濁の物の凝結せるなり。然れ
 ば貫透すべからざること、地球の貫透して通行すべからざるが如し。かつ其の
 光輝あるも自発するに非ず日輪の遍照を受けて光明あるなり。然れども其の質
 の地球と同物なるを以て、地球に准へて此れを推し究むるに、地球は日輪の既
 に没する後も、地平下十八度の処に至るまでの間は地上なほ薄明あり。又その
 未だ出ざるの前も、地平下十八度の処に至れば地上既に明を発す。此の理り何
 となれば、大地球の外、大凡五六百里の程はいはゆる風際にて、風際は悉く半
 水半気なる故に、其の水気に日輪の遍照を被るをもて光輝を発す。こゝを以て
 日輪の出前没後、およそ五刻ほどは薄明あるなり。此れに因りて此れを推せば、
 大地を距たること数万里にして暗処より此れを顧見れば、地球もまた一箇の明
 星なることを知る。彼の諸星もまた大地と質を同じくする物なれば、此れもま
 た地球の如く、星外周囲に数百里の半水部分ありて、日輪の遍照を受けて光輝
 有るべければ、寅吉若しくは師に伴はれて、その半水部分を通行せるか。然れ
 ども大虚空中、すべて日輪の遍照の光被せむ限りは、星を見ることを得べから
 ざるなり。仮令
(たとい)よく見る事を得るとも白昼の月の如くにて、遠くより
 見れば星なりといへども、近づくに及びては我が大地と異なる事なくして其の
 光を見るに因
(いわれ)なし。凡て諸星は暗夜に非ざれば、其の光を現はす事な
 し。我が大地の暗夜は地上より見れば、広大なるが如くなれども、全く空より
 して此れを観れば、地影の及ぶ所は僅かに月輪の在る処に届くに過ぎず。山人
 たちもし大地を飛去りて星の在る辺に至らむには、何れの処も白昼にて、我が
 大地といへども其の在る所を失ふに至るべし。近くは金星か或は水星、火星等
 の、日陰なる暗夜の処に至るに及びて、始めて地球星の光輝および其の他の諸
 星をも見る事を得べきのみ。然れば星の実体を透通せるとしては、理に於て信
 じ難し。然れども寅吉が言悉く真実無妄にして、道理に符合せざる事無ければ、
 此の言に於ても妄とは誣
(そし)りがたし。必ず金星、水星、火星などの日陰な
 る闇夜の処に至りて、其の蒙気を透通したるを、星の実体を透通せると思ひ、
 また其処より地球の諸星と同じく光るを見たるにぞ有るべき。又若しくは列子
 がいはゆる西極の幻人の如く、杉山々人の神通広大にして実に入れども碍
(さえ)
 
ぎられざるか。是れまた我が徒の得て知る所に非ざるなり。問ふて曰く、大虚
 空は、いつも明ならむに、星の光りて見ゆべき様なし。いかが」
寅吉云はく、「此土より、昼は星を見ること能はざるをもて、然は疑ひ給ふなれど、[闕]
 問ふて云はく、「日輪はいかなる質と云ふこと、見知りたるか」
寅吉云はく、「
日輪は近く寄らむとするに、焼ける如くにて寄られず。然れども日眼鏡にて見たるよりは遥かに勝りてよく見ゆる所まで昇りて見たるに、炎々たる中に電の如くひらめき飛びて闇く見ゆる故に、何(いか)なる質と云ふことは知らねども、何か一物より炎の燃え出づる如く見ゆ。又試みに手火を燭して見るに、日の近くにてはさらに光なく、火焔見るがまにまに日に吸ひよせらるゝ如く、忽ちに上りつくる物なり。また其の処によりて日を半月の如くに見る事も多く、又小さく見る所もあり。夜国の事をホツクのチウといふ、日は団子ほどに見えたり。日の見えぬ国もあり。地にいくつも穴を掘りて光らす。人は鼻高く口大きく、親指二本あり」(鉄云はく、ホツクのチウとは北国(極カ)ノ中と云ふことか、如何。)
 問ふて云はく、「日月ともに、神々の住み給ふ国なりといふ説を、山人たちに
 聞かざるか」
寅吉云はく、「然やうの説は、聞きたることなし」
 問ふて云はく、「美成曰く、『寅吉は三十三天を見たるに、第一天青くそれより五色の次第にて、下もまた青しといへる』よし、誠に然りや」
寅吉苦笑ひして云はく、「三十三天といふ事は妄説なる由、かねて師に聞き置きたれば、然は言はず。美成ぬしの方にて物語のついでに、『虚空に上りて見るに青くも赤くも黄色にも見ゆる物なり。其処に唾を吐きて見るに然る色に見ゆる物なり』と云ひしかば、傍らに仏書ずきの人ありて、『それこそ三十三天なり』と云へりしを、美成ぬし己が言と聞きあやまりて平児代答にしか記されたるなり」(空中青赤黄の三色をあらはすこと西洋人考へありとぞ。)
 問ふて云はく、「熒惑星を近く見れば、白き星にて二つあり。日の光に先立ち
 てひかる是れすなはち摩利支天なりと云へるよし、誠に然るや」
寅吉云はく、「これも違へり。日の光に依りて白く見ゆる星二つあり。これを世には摩利支天といふと云ひしを、聞き誤れるなり。我は熒惑星といふ名をだに知らざるなり。世の人は摩利支天といふは有る物と思ひ居れども、実は無き物に名を付けたるなり。其の故は摩利支天法を行へば、三四日過ぎると其の法力にて空に其の紋現はるれども、雉子の羽をはける萩の矢を桑の弓もて射る時は、忽ちに消え失せるものなり。実に摩利支天が、ある神にて仏者の云ふ如く尊き由あらむには、魔除けの弓矢に射らるべき由なし。試みむとおぼさば行ひて見せ申すべし」
 問ふて云はく、「大虚空を飛行せし時に、迦陵頻伽鳥を見たる由を語れりと聞
 きたり。其の状はいかに有りしぞ」
寅吉云はく、「『何といふ鳥か知らねども、遠き戎国にて、白き大鳥の羽がひに手のあるが、其の鳴声をきけば簫に似たりし』と語れるに、かの仏ずきなる人の『それは人面には非ざりしか』と問へる故に、『然らず』と答へしかど、『其は疑ひもなく頻伽鳥なり』とて、強ひて名を付けて、『寅吉は頻伽鳥を見たりとの事なり』と人々に語れる故に、平児代答に誤りて其の名をもて記されしなり。総じてかゝる事より間違ひが出で来たるなり。見たる我だに何といふ鳥かと云へるに、見もせぬ人が名の知れざる物に名を付けるといふは宜からぬ事なり」
 眼鏡の玉を日に向けて、板に文字を焼き、文字書きたる紙の字を焼きなどして、
 「此は不思議なる物にて白き紙は焼けず、墨の所ばかり焼くるなり」と云ふ故
 に、「それは外国の人もする事なるが、まづは為まじき事なり」と云へば、
寅吉云はく、「彼の境にては守り札、符字など尊き物をば、天日に焼きて用ふるに甚だ験あり。笏にほりたる太兆を空中にて天日もてやき卜ふ。すべて天日の火も今此に用ふ火も本は同物にて、石にも木にも金にも火は含み有るなれども、皆天日の火の分かりたる物なり。其れに就きて雷の夏鳴るわけは、夏は天火が厚く濃く虚空にみちてある所へ雲立騰るときは、雲は水気なる故に火気これが為めに狹められ、水気に包まるゝ故に雷となるなり。雲はみな水なり。細かにぽちぽちしたる水粒なり。さて水気に包まれたる火気の、走りてもれ出でたるが稲妻なり。偖(さて)また雷をあしき物と心得て、恐れ嫌がる人おほく有れども、雷がなくては万の物も出来ず、人もへる大切の物なり」
 問ふて云はく、「雷獣とて雷の鳴るときに雲中をかけり、雷と共に落つる獣あ
 り。此の物を知れるか」
寅吉云はく、「彼の獣は日光、大山、筑波山など其の外の山々に住みて、毛色も虎毛なるあり、狢(むじな)の如きあり、黒き有り、また稀には白きあり。其の猛く荒き物なるが、如何なる故か炎天の雲を好み、雷鳴するに乗じて雲中を飛行し、雷の降る勢ひに飛び損なふにや、雷と共に落つる物なり。高みに昇り見れば雲雷ともに下に見ゆる故に、雷の鳴る状、また雷獣の飛行する状も見えて面白き物なり。白き雷獣の落ちたる所に、雷屎といふがあり。此は何物と云ふことを知らず」
 問ふて云はく、「竜は見たる事有りや」
寅吉云はく、「通り物など云ふ程の大竜の生(正)体を、其の儘に見たる事はなし。濃き黒雲の長くなりたる状にて、火燃え出でなどして太き尾を下げたる如き状をば度々見たること有り。此も高みより見たるに、世には竜は天上すといへども、雲のなき大空まで昇りたるを見たる事なし。さて彼方に在りしとき危き目に逢ひたる事ありき。其の故は、とある河端に小石ひろひて遊び居たるに、真虫(蝮)よりは小さく腹赤き小蛇、いづこよりか出で来たりて我が指を嘗めるを、何とするらむいと奇しと暫く見居たるに、漸々に呑み入れて河に引きこまむとする故に、憎くなりて頭をとらへ両手にて其の口を引きさきて、河に投げ入れしかば、忽ちに逆浪たちて水を巻上げ、雨を降らして恐ろしき状になれる故に、足早に逃げ帰りて其の由を語りしかば、人々『それは竜なり』と云へりき。此に就きて何処か知らねど遠き戎国に行きたるとき、田や谷間などに、大なるは弐尺ばかり、小なるは蜥蜴(とかげ)位にて、角は無けれど絵に書きたる竜の如き物あり。ちよろちよろと這ひて多く在りしが、何か探ぬる状にて、前足にて土をかき散らす様にせるが、其処より豆粒ほどの白き玉の如き物出でたり。其の物われて霧となり、忽ちに闇くなれる故に、気味わろく其処を立退きしが、此は何と云ふ物か知らず」
 問ふて云はく、「雲に紫、赤、青、黒などの色ある理りを知れるか」
寅吉云はく、「赤は日の映じて赤きなり。黒は雲のこきなり。其の外の雲は、いかにして種々の色をなすか知らず」
 問ふて云はく、「地震する理りを聞きたりや」
寅吉云はく、「地震する理りは聞きたることなし。されど大地の下に大鯰ありて、身を振りて国土を崩さむとするを、鹿嶋の神の要石(かなめいし)を、その頭に突き立て給へる故に、国土の崩るゝばかりの地震はせずと云ふ事は、妄説なる由は聞きたり」
 問ふて云はく、「潮のさし引きする由を聞きたりや」
寅吉云はく、「此の事も聞きたることなし。然れど熟々(よくよく)考ふれば、昼夜をりをりに国の浮沈する由ありて、其れに依ることにやと思はるゝなり」
 問ふて云はく、「世に丑寅の方を鬼門とて、重き祟りのある方とし、また金神
 の祟りと云ふことも有り。此の外にも種々方祟りの説を云ふ者あり。彼方にて
 も此の沙汰ありや」
寅吉云はく、「鬼門金神の方は争ひがたき由は聞きたれど、余(ほか)に方祟りのことは余りいはず。『凡て人の方から色々に名をつけて祭る故に、妖魔その処に住みて祟りを為すものぞ』と師説なり」
 問ふて云はく、「人相、墨色、剣相、家相などの事は聞かざるか」
寅吉云はく、「いまだ聞かず。但し人相は書物が入(要)らず、知り易きものなり。其の故は人は七情によりて種々顔色の変るもの故に、それに本づきて深く考へ入れば、其の時々の情は勿論その内心の善悪までも知らるゝとぞ。墨色も書物は入らず、譬へば一の字をかゝしめて、其の墨色の濃き薄き、筆のかすりなどに符蝶(牒)を付けて、易卜に合するまでの事なりとぞ。剣相のことは未だ聞かず。家相は軍陣の立てかたより割り出したるわざにて、此れも易卜に合せたる物なりとぞ」
 問ふて云はく、「彼方にて常に用ふる卜ひかたはいかに」
寅吉云はく、「易卜も有れども用ふる事なく、常に行ふ卜法に我が知りたるも種々あり。まづ二つ一つと決すべき事に行ふ一法あり。又卜(うらない)を頼む人の姓名を書きたる紙を逆(さかさま)に焼きて、其の焼くる状を見て卜ふ一術あり。又しばし目をとぢて、其の時見えたる色をもて形色を卜ふ一法あり。また卜を頼む人に字をかゝしめ、其の文字の墨色を見て吉凶を卜ふ事あり。また両手を懐にして脇下の毛をぬきて卜ふ一術あり。また糸卜とて績麻(いとあさ)の先を人にもたしめて、其の本を我が耳にあてゝ卜ふ一術もあり。其の外に異なる卜ひかた数々ありて悉くは述べがたし。○易は過ぎ去つた事を見るものなり。当時の事を見るには心易(しんえき)がよし」
 問ふて云はく、「江戸神田鍛冶町に天狗庄五郎といふ者、今も現在なり。此の
 者若かりし時異人に誘はれて二三年も帰らざりしが、帰りて後に咒禁祈祷など
 よく験
(しるし)あるが中に、卜のわざは得手なりしが、其の卜の状は天目に水
 を入れて両手にて目八分にさゝげ、卜を頼む人を向かふにすゑて其の顔をつら
 つら見、また捧げたる水を見て卜ふに中
(あた)らざる事無かりしが、色欲に淫
 して後に其の術ども皆きかずなりしといふ。斯くの如き卜法は知らざるや」
寅吉云はく、「山人によりて各々種々の卜法あれば、其の法も何処の山人にか習ひたるなるべし。我はいまだ見知らざる卜法なり。但しそれに似よりたる鏡卜といふ卜法あり」
 問ふて云はく、「其の卜法はいかに為て行ふぞ」
寅吉云はく、「其の法はよき古鏡を二面両手に持ちて、まづ卜相(うらない)する人の面相をよく視て当時の事を知り、右手なる鏡に其の顔をうつして来年の事を知り、右手の鏡にうつれる顔を左手なる鏡にうつして三年目の事を知る。人相の卜法にこれほどよき法は無けれど、我いまだ委しくは知らず」
 問ふて云はく、「口寄せ、いちこと云ふものゝ業はいかに」
寅吉云はく、「あれは犬神法といふ邪法なり。われ山に在りし時、同友二人に伴はれて見廻りけるに、或家にていちこを招き、老若男女四五十人集まり、口よせして色々尋ね泣き居たり。我等三人その辺に居て見るに、いちこの腰元に何やらむ大切にする箱ある故に、我『それを見たき物ぞ』といひしかば、喧嘩をおこして騒ぎに箱をこはして中を見せむと、喧嘩を興させたるに、互ひにうち合ひ抓(つか)み合ひける騒動に、彼の箱を蹈み摧(くだ)きぬ。其の時中より、犬頭の骸骨ころび出でて、其の下あごを蹈み欠きたり。さて喧嘩しづまりて後に亭主その頭を見つけて、『如何してかゝる汚き物のこゝに有りしやらむ』とて、外に蹴飛ばしたり。其の時いちこが泣きたること甚だし。泣き居たるぢゝばゝは恐れて逃げ、若き者どもの泣き居たるが、抓み合ひて事こはしたる状まことに面白かりしなり。さて此の後に、『いちこが犬の頭を持ちたるは何の故ぞ』と尋ねしかば、『彼の法は犬神法といふ法にて、白き犬の大なる、しかも甚だ強きを捕らへて、土に穴を掘り、其の頭ばかりを出して、其の鼻先を三尺ばかり放(はな)して飯魚など多くつみ置きて香をかがしめ、頻りに食ひたがるを食はせず数日おけば、犬の身体の勢気みな頭に上りて、眼鼻より血を流しなどするを見すまし、「我に仕へてよく事を教へなば神に祭りて日々にかゝる食を与へむ」といひ含めて、其の頭を切り落し、人に知らせず四辻に埋めて、百日余り人に蹈ましめて掘り出だし、箱に封じて日々に祭れば、口寄せのときに、犬の霊人々の家に行きて様子を嗅ぎ出だし告ぐる故に、いちこが口走ると聞く人が頻りに悲しく、信仰になりて泣くなり』と聞きたり。泣くことは天下の不吉なるに、市子(いちこ)と云ふものはとかく人を泣かするから、真に不吉なる物なり」
 問ふて云はく、「犬神法は天竺の法か、此の国の法か。何人の為始めたるとい
 ふことぞ。又四国にも犬神遣ひと云ふがあるよし、同法なるべきか」

寅吉云はく、「犬神法はもと何処の法と云ふ事、また為始めたる人の事もきかず。四国のも犬神遣ひといへども、オホサキ狐といふ物を使ふときゝたり」
 問ふて云はく、「泣くことは、天下の不吉なりとは、いかなる事ぞ」
寅吉云はく、「小児は是非なけれど、大人は泣くまじき物といふ事なり。其の故は神たち泣き声をきゝ給へば耳をふさぎ給ふ故に、天下の不吉となるとて正しき山人は殊の外に嫌ふなり。女はまだしもなれど、男はなるたけ泣くものにてなしと師の教へなり」
 外法のこと[                        
      ]小嶋氏にて一夜ずしを賜へる時に、あるじ「此はわろき鮓
(すし)ぞ」と
 挨拶せられしかば、「わろきと云ふことは云はぬものにて侍る」といふ故に、
 其の由を問へば、

寅吉云はく、「わろきと云ふ事は成るたけ云はぬ物なり。殊にわろき天気などいふ事は宜からず。よくふる天気など云ふべき事と師の教へなり」
 また或人、結喉(けつこう)の事を云ふとて、咽仏(のどぼとけ)といひしをきゝて、
寅吉云はく、「俗の人は咽の骨を咽仏といへども、我が山にては咽神と云ふなり。米の事もぼさつといへども、『神と云ふがよし』と師は云はれたり」
 といふを聞きて傍らに在りし或人、「咽仏、ぼさつなどは俗のいひなれ故にき
 ゝ苦しからねど、咽神といひ米を神と云ふ事は、をかしく聞こゆ」といひしか
 ば、

寅吉云はく、「それ宜からぬ心なり。よき言はいひいひして、世人のをかしがらぬほど、いひゝろめるがよろしきなり」
 問ふて云はく、「彼の境にも忌詞(いみことば)とて病むを休むといひ、泣くを潮
 垂
(しおた)る、死ぬを直り、墓を土塊(つちくれ)、血を汗、仏(ほとけ)を中子(な
  かご)
、僧を髪長(かみなが)、堂をあらゝぎなどよき詞に替へて云ふことは無き
 か」
寅吉云はく、「然やうの事あるかも知らねど、気がつかず」
 問ふて云はく、「其の方の師は不動法、陀祇(荼吉)尼天(だきにてん)法、聖天
 
(しょうてん)法、摩利支天法、飯綱(いづな)法など、其の外仏道より出たる種々
 の法を修せらるゝ事はなきか」
寅吉云はく、「師も此等の中なる法を修する事もあれど、実は無き物に名をつけて観音、不動、摩利支天などと称せる物ゆゑに、快(こころよ)からぬ法どもなり。況(ま)して、陀祇尼天、飯綱、聖天などの法は、天狗、狐、妖魔の類ひを祭りて役(つか)ふ法ゆゑに、実は行ふべき事に非ずと常に示さるゝ事なり」
 問ふて云はく、「実は行ふべき法に非ずと示しつゝ師も其の法どもを修せらる
 ゝ事、心得がたし」
寅吉勃然として云はく、「陀祇尼天法、飯綱法は狐、天狗などを役ふ法ゆゑに、我が師などは修することなし。唯聖天法は時々行はるゝ事あり。其の故は、聖天は世の障礙をなす物故に、一名を障礙神ともいひて妖魔の首領なる故に、障礙をさせじと其の法を修するなり。世の修験者などの利の為に行ふ法とは大きに異なり。然るは師の本行は偏(ひとえ)に善事を修して、天下泰平、万民繁栄を祈り、遂に真の神となる行故に神道を本と立てたり。然れども世の並に仏道より出でたる法をも修し、両部を用ひて神壇の外にいはゆる須弥壇をもかまへ、仏法ざまの祈りを為ても、世にも我が行にも障礙あらせじとなり。されど世の人々此の国の神ならぬかやうの物を多く信仰して、其を専らと祈り祭る故に、神を麁末(そまつ)にすること始まりて、神には威霊のなき様に成りたりと折々言はるゝ事なり」
 問ふて云はく、「世の修験者など利の為に行ふといふ聖天法の状はいかに」
寅吉云はく、「いはゆる浴油の法なり。まづ聖天といふ物のさまは、象の服物を著たるにて、甚だ妖(あや)しく男女抱き相ひたる交合の銅像なり。それ故に歓喜天といふとぞ。然るに其の像を油煮(だ)きにして強ひたる祈りをなし、供物の団子には験者の指より活血を出してそゝぎ入れ、また小麦粉をもて聖天の像を作り、此れをも油煮きに為て団子と共に食へば、聖天と一体になりて願望成就するといふ法なり。験者の験徳卓(すぐ)れたるには、聖天かならず物言ふとぞ。かゝる悪法なる故に、行ふ人々しばしの幸ひは得れども、遂には身の禍害となること皆人の知れるが如し」(○アミダの体に針生えたること)
 この後寅吉が人の頼みに依りて寄り祈祷と云ふわざをするを聞けば、いはゆる
 六根清浄の祓詞を読み、十一面観音の真言を唱へて寄り本尊とする故に、事畢
 
(おわ)りて後に、「先ごろ『観音と云ふも無き物なるが像を造りて名を負はせ
 たるなり』と言へるに非ずや。然るに其を寄り本尊に立てゝ祈ること心得がた
 し。また然る無き物の寄り来たる事も有るはいかに」と問へば、
寅吉云はく、「すべて寄り祈祷を行ふ訣は、人の心に是れはいかに有らむと弁へがたき事のある時に、神に問ふて知らむとするわざなれば、神をよせて伺ひを立つるが本なれども、神を寄せるは恐れ多き事故に、世間の祈祷者、また我等も両部めかしき不動、観音、摩利支天などを寄り本尊に立つるなり。然れども此等は、右云ふ如く、実は無き物に名をつけて像を設けたる物ゆゑに、寄り来たることなく、世に種々うろつき居る霊鬼妖物などが寄り来たりて験(しるし)を現はす事ぞと師に聞きたり。これ実に然も有るべく思ふ由は、我この法をもと人に習へるに非ず、或時戯れに寄り人を立て、暫く祈祷の真似して、取留めなき言どもを色々唱へて在りけるに、何やらむ寄り付きて其の験ありし故に、驚きて師に其の由を問ひしかば右の如く示されしなり。是れより後は其の意を得て此の祈祷を行ひ、世人なみに観音、不動、摩利支天など、何によらず両部めける物の真言を唱へて祈りを為すに、十度に七度は何やらむ寄り来たりて験ある故に、たとへ妖鬼の寄り来たるにもあれ、病人などの事を、『此の病癒ゆべくは寄り人の持ちたる幣を左に上げたまへ、癒ゆまじくは右に上げたまへ』など祈るに、其の言の如く験あれば、人の為ともなる故に、人が頼めば行ふ事なり」
 余きゝ畢りて其の説を誉めて、古史伝に記せる「久延毘古神
(くえびこのかみ)
 足は行かねども天下の事を悉く知る」といふ条の説を読み聞かせたるに、甚
(い
  た)
く悦びて「此れにて寄り祈祷の験(しるし)ある理りをいよいよ慥(たし)かに
 思ひ決めたり」と云へりき。○また此の後に彼此
(あちこち)より頼まれたる咒禁
 祈祷などの多かるに、其を行はむとはせず、徒
(いたずら)に遊び戯れ居るを、余
 傍らより「とく行ひてよ」と云へど、唯
(いら)へのみして「蜜柑よ椎の実よ」と
 ねだり、頼みの事どもは「明日にせむ、明後日にせむ」など云ふにぞ、「其の由
 いかに」と問へば、
寅吉云はく、「加持咒禁など世の人は甚だ好む事なれど、我は然(さ)しも心にすゝまざる故に遊びたくなるなり」
 と云ふ故に、また其の由を問へば、
寅吉進みよりて云はく、「加持咒禁など随分に験ある事も多くは両部の法にて、正しく思はるゝが少なき故に、我が心に応(かな)はず、然れども是れまでは人の頼み故に是非なく行ひしなり。よし人が頼むとも、自分の心に応はざる事を行ふは心宜からず。病には薬を用ふるほど宜しき事はなきに、加持咒禁などを先とするは愚かなる事なり。良き医者にかゝり薬を飲むことを第一にして、其の薬の験ある様にと神々に祈るべき事なり。加持咒禁にをりをり験ある事は、行ふ人の一念と受くる人の信仰とによる事のごとく思はるれど、此れも世に多かる鬼物の与ふる験かと思はるゝ成り。其の故は或田舎人の胸やくるとて苦しみけるに、我戯れに加持する真似をなし、胸に竜吐水(りゅうどすい)をかき、其の傍らに知れざる様に十人火けしと書きたれば、即座に癒えたる事ありしなり」
 此のとき余云ひけらく、「加持咒禁の法ども多くは両部めける故に、心に応は
 ずと云ふこと、薬を飲みて其の験のある様にと神に祈るべき事と云へるなどは、
 実に然
(さ)る説(こと)なれど、病には薬を第一にしてと云ふこと甘心せず。其
 の故は其の方も知らむ、神代巻にも大己貴命
(おおなむちのみこと)、少彦名命(すく
  なひこなのみこと)
と二神にて咒禁と薬の事とを始め給へる由見えて、上代には咒禁
 が第一にて有りしなり。然れば今伝はる咒禁どもには仏法のわざも交じりたれ
 ど、其は択び捨て上代の正しき咒禁を探ねて、其を第一とし薬を次にするぞ真
 の道なる」と云へば、甘心しけるに、後にまた屋代翁も此の説に及びて、「我
 はたとへ両部の法なりとも咒禁を第一にして、薬を次にせまほしく思ふなり。
 其の故は咒禁は両部にても用ひて身に害をなさず、薬は用ひ過ちて人に害を為
 すこと多ければ、古人も、『薬せざれば中医にあたる』とは言へるなり」と云
 はれしかば、寅吉ますます感伏したりき。○或人戯れて、寅吉に謂ひけらく、
 「我は此の世に住み侘びたれば、山人に成りたくと思ふを、山に帰るときいかで
 我をも伴ひ給へ」と云へば、
寅吉真と思ひ、居直りて云はく、「それは以ての外なる事なり。神を置きては世に人ほど貴き物はなきに、山人天狗などの境界をきゝて羨ましく思ふは、心得の宜からぬなり。人は此の世に住みて、此の世の人のあたり前の事を務めて終るが真の道なり。山人天狗などは自由自在がなると云ふばかり、山人には日々に種々の行ありて苦しく、天狗にも種々の苦しみあり。それ故に彼の境にても、人間といふ物は楽な物ぞと常に羨み居るなり。此方にては彼方を羨み、彼方にては此方を羨む、これ皆その道に入りて見ざる故の事なれど、人と生まれたからには、人の道を守りて外を願ふまじき事なり。我が師を始め山人となり天狗と成れる人々は、何か因縁ありて成れる物なるべく、我とても小児(こども)にてありし時よりの事を思ひつづけ、また願ひもせずして彼の境に伴はれたるなどを思へば、何か定まれる因縁ありげに思はれ、我が身で我が身の事すら知られず、今日にも明日にも迎ひが来るやら、此の儘こちに居る事やら其れも知れず、夫れ故に時々こゝらの事を思ひつづけては、かく成れるも善き事か悪しき事か分からぬから、身の毛の立つやうに恐ろしく思ふ事もあり。夢のやうにも有るが、とてもかく成れる上は天道様の御さしづ次第、また師匠の心次第と打ち任せて居るなり。然るに好みて成りたがるは、入(要)らざる事なり。夫れよりは人間相応の勤めを第一にし、身の行ひを正しくして、死後には神になる様に心を堅むるが肝要なり。此の事に限らず、一体外を願ふといふは宜からぬ事なり。序(ついで)なる故申すが、世に仏法を信仰して其の身の貴き事を思はず、卑しき仏に成りたがるも外を願ふなり。此の国は仏国に非ず神国にて、我も人も貴き神の末なれば、何でも神に成らむと心掛くべき事なり。それは社々に祭りて在る神々にも、本は人なりしも多く、神は尊く仏は卑しきことは、今の世にも貴き人また卓れたる人をば某(なに)大明神とかいふて、神に祭る事は有れど、某仏といふて祭ると云ふことなきを以ても知るべし。然るに仏に成りたがる人のあるは、山人天狗になりたがると同じ事にて心得わろし。坊主が戒名付けたればとて、天竺の仏の末でないから仏には成らず、神の末なる故に善くも悪しくも神となるなり。其は桃の実より桃の木が生え、梅の実より梅の木の生ずる理りに同じ。然れば人は生涯の善念を立てとほして、善神となるが道なり。但し世に最期の一念によりて、善悪の生を引くと云ふなれども、生涯の一念を通さねば、生を引くといふ程に最期の一念も通らぬ物なり。生涯の一念のかために依りて、神にも何にも成らるゝ物ぞと師に聞きたり。事は何でも成就せまいと云ふことを思ふべからず、何でも成就すると心得てものすべし。何でも自分で、思ひつめてすれば、出来ぬことなしとぞ」
 また或人、「そこの師杉山々人は、誠に神通自在にして、道徳も又類ひなく聞
 こゆれば、其の宮を構へて祭らむと思ふを、いかで霊代
(たましろ)の幣を切り
 て、得させ給へ」と云へば、
寅吉云はく、「それは必ず無用に致さるべし。其の故は我が師は思ふ旨ありと見えて、深く其の徳を包み、身を隠して山人となり、人に拝まれ祭らるゝ事はかつて好まれず。下山の時に、『尋常の人には岩間山にて称する名のみ云ひて、志の切なる人なりとも双岳、古呂明といふ号までは云ふとも実名はいふ事勿れ』と、堅く誡められたり。其の故にや不測にも山に在りし時は正に知りたりし師の実名を、今いかに考へても思ひ出でられず。ただ某王(なにのみこ)とかいひて、兄弟ともに三千歳余りの人と云ふことばかりを慥(たし)かに覚えたり。かく古き人ゆゑに軍(いくさ)のありし時分の事、頼光、義経などの事をも、此の頃のことの様にをりをり言ひ出でらるゝ事あり。さて此れは我が了簡なるが、師の祭りを好まれざる事は、常に世人の仏を尊み、天狗を祈り、または鳥獣木石など何ぞ聊(いささ)か不思議なる事あれば祭る事を歎きて、かゝる物を崇むる故にそれに心移りて神を麁略にするなり。もし崇むべき事ありとも、其の時々祭り、また祟らぬ様に和めもして、祭り過ぎぬやう、祠なども数々作らぬ様にしたき物ぞと言はれしを思へば、我を拝み祭りたらむも、神を麁略にする端となるべき事を思ひてにや。又天狗を信仰するも宜からず。況して鳥獣木石などを祭ると、直ちに邪天狗、妖魔、種々の鬼物がよりて願を見(あら)はす、縁切り榎、首絞め榎など云ふが、みな物のよりて験を見ずるなり。鰯の頭も信心からといふ如く、藁人形を祈りても忽ちに鬼物がより来たる、実にいやな事なるが、人は知らず、悪魔は然る事あれかしと常に伺ひ居るなり。験を得さへすれば善き事と人は思へど、正しき神のおはし坐(ま)すに、其をさし置き、悪魔を尊み拝むことは、やがて魔縁となる事を弁へざる浅猿(あさま)しき事なり」
 また或人、「神は尊く仏は卑しき謂(いわ)れはいかに」と問へば、
寅吉云はく、「神は尊く仏の卑しき物なることは、人に問はずとも各々心に考へて知られそうな事なり。この世間の有り状をつらつら観れば、此の天地がまづ不測なるを始め、四季行きかはり、雨降り風吹き、人を始め木草鳥獣種々の物ありて、木草に春は花咲き、秋は実がなり、其の外色々様々の事のあるは皆神の御わざなり。然れば此の天地も神の造り給へる物なる事明らかなり。仏は釈迦が始めにて、神よりは大きに後の人なりと師に聞きたり。然れば釈迦も神の御徳にて生まれたるには違ひなし。神が本にて仏は末なる証拠を近く言はば、旱(ひでり)がつづき霖(ながあめ)がつづきても、神に祈りて雨を乞ひ晴るゝを願ふに祥あるは、雨風旱霖ともに神の掌ること灼(いちじる)しく、雨風旱霖などみな神の御所為なる上は、此の天地を始め人も鳥獣も何もかも、神の御徳によりて成りたる物には違ひなし。坊主山伏が仏経を読みて雨や旱を祈りもすれど、仏前にて経を読みたる計りにては雨一粒も降らすことなし、是非神降しをして祈る事なり。是れを以て神の尊く仏の卑しき事を知るべし。殊に仏道で宜からぬ事は、男女の道を絶ちたるがわるし。魚虫鳥獣に至るまで此の道のなきはなし。然るに世の人がみな仏道のとほりに成りては、人が絶えて仕舞ふから、神々の人をふやさむと成さるゝ御心に違ふなり。仏道はかく無理なる邪(よこしま)さの道ゆゑに、坊主たち立派な顔つきをして居るけれども、内々を見れば、男色女犯をもせず、肴も食はずに居るは百人に一人もなきなり。仏道を邪さの道と云ふては腹を立つ人も有るべけれど、神国の道の立ちて居るに傍らから横に這入れる道ゆゑに、やつぱり邪道魔道なり。いかで我は十四五度ばかりも高き人に生まれ来て、仏道みな亡びて神道ばかりになるを見たきと思ふ心願なり。十四五度生まれ来たらむには、千年立つべし。其の内に亡びそうな事なり」
 こゝに己れ難じて云はく、「神は尊く仏の卑しき由も然
(さ)る説(こと)に聞こ
 え、仏道で男女の道を絶えたるが道に非ずといふも聞こえたり。然るに其の方
 の師も山人とはいへど同じ人間にて、男女の交はりなきはいかに。此は仏道を
 用ふるに似たり。また十四五度も生まれ来る内には、仏法亡びそうな物といふ
 事も心得がたし。然様に自由に生まれ替はらるゝ物には非じ」
寅吉云はく、「我が師を始め山人の男女の交はり無き事は、山人の仕来りの法にて、此の道あるときは自在の術を得ず、長命もならぬ故に絶(た)ちたる物と云ふ人もあれば、其の故なるか。人にして人の道を絶ちたるは、かの因縁による事と見えたり。然れども日々に土がふえ人がふえるやうにと、神前にて鈴をふり祈るを思へば、仏法に依りたる事には非ず。外に深き謂(いわ)れある事と覚ゆるなり。さて十四五度生まれ替はる事は、かの生涯の一念を立てとほして生を引くによる事なり。仏法の今の有り状にては、決して亡ぶる時節あるべからずと見ゆれど、天地自然の道ならで人の作れる道は、終には亡ぶる時節の来るものぞと聞きたり」
 問ふて云はく、「瘧神(おこりがみ)、疫病神、貧乏神、疱瘡神、首絞神、火車な
 ど云ふ種々の物ありて、世人に禍ひを蒙らしむ。此等はいかにして出で来たる
 物ぞ、と云ふことを師に聞きたる事はなきか」
寅吉云はく、「此等はみな人霊の成りたるにて、世に在りし時より心のをさめ方宜からぬが、其の群々(むれむれ)に入ると云ふことなり。凡て妖魔は云ふに及ばず、然る鬼物ども世の人を一人も多く我が群々に引き入れて、同類をふやさむと、各々透き間もなく伺ふなり。其れに就きても、人はいさゝかも曲れる心を思ふまじき物なり。たとへ徳行の善人なりとも邪(よこしま)に曲れる心をしばしも思へば、日比(ひごろ)の徳行も水の泡と消えて其の悪念消ゆる事なく、やがて妖魔に引込まるゝ縁となる物ぞと云ふことなり。此れを思ふにも、気の毒なるは極楽へ行かう行かうと思ひ居る人々なり。死むで見ると極楽はなき故に、狼狽(うろた)へて居る。其の内に悪魔や其の外の妖物に目を闇(くら)まされて、心ならずも其の部類に引き入れらるゝ、誠に哀れなる事なり」
 また或人謂ひけらく、「そこは神道を尊み、仏道を卑しく邪なる事にいへども、
 神は然しも仏を悪
(きら)ひ給はぬと見えて、かく世に弘まり、神社には大かた
 僧の仕へぬがなく、あまつさへに神の本地は仏なりといふ説も出で来て、神前
 にて仏経を誦み上げ護摩など焼
(た)くをも、其の儘に捨て置き給ふなり。此の
 弁はいかに」
寅吉云はく、「誠に御説の如く、今の有り状を見れば、神たちは仏道を然しも悪ひ給はぬ様に見え、余りに御心の善すぎるやうにて技痒(はがゆ)く思はれ、何とてしたゝかに荒びて仏状の汚れを退け給はぬ事かと腹立たしけれど、熟々(よくよく)思へば神は大朴に坐しまして然しも御構ひなく、唯々御持前の功のみを成して鎮まり給ふと見えたり」
 或日人々が己が許に集まりて、四方八方
(よもやま)の物語りしける序に、或博識
 ぶりする人の噂になりて、「彼の人の言に、神道はいと小さき道ぞといひて、
 然しもなき学事をいと猛き事に云ひ誇れるは、慢心なる人ぞ」など語り合ひけ
 るに、

寅吉云はく、「すべて学問といふものは、魔道に引込まるゝ事にてまづは宜からぬ事なり。其の故は学問するほど善き事は無かれども、真の道理の至極まで学び至る人はなく、大概は生学問をして、書物を沢山に知りて居る事を鼻にかけて、書物を知らぬ人を見下し、神はなき物じやの、仙人天狗はなき物じやの、怪しき事はないの、然やうの道理はない事じやなど云ひて我意を張るが、これみな生学問の高慢にて心狹き故なり。書物に記して有る事にも、直に見ては違ひて居る事はいくらもあり。一体高慢なる人は心狹くて、遂には悪魔天狗に引込まれて責めさへなまるゝ人なり。彼方にて聞きたる咄なるが、何とか云ふ大鳥が己れほど大きなる物は有るまじと思ひて出かけ、飛び草臥(くたび)れたる故に、下に見ゆる穴に入りて羽を休めたれば、其の穴がくしやみを為て、何奴なれば我が鼻に入りて休むぞと云はれて、胆を潰したと云ふことなり。人ほど貴き物は無けれど、我より下の物を見れば段々卑しく劣れるが有りて、幾百段あるか知れず。顕微鏡にて見ても知るべし。蠅は小さき物ぞと思ふに、蠅に羽虫がたかりて有り。然れば其の羽虫にまた羽虫のたかりあるかも知らず。其の如く、上にもまた段々に幾百段か、尊き勝れたる物の有るべく、此の天地も何も、何とか申す神の腹内なるかも知れず。其の故は人の腹内にも色々な虫のあるを以ても知るべし。然れば高慢と云ふものは、大空が何処に止まると云ふ事までを知りて、自由にする程の器量が無くては云へぬ事なり。凡て慢心高ぶりほど宜からぬ事はなし。魔道に引き入れらるゝ縁なればなり。それ故に顔の美しき人、また諸芸の達人、金もち長者なども慢心おごりの心ある故に、多くは魔道に入る。坊主は大かた賤しき者より出でて、位高くなり人に敬はるゝ故に、みな高ぶりの心ありて大抵は魔道に入るなり。殊に金持ちのあるが上にも慾を深く金を集めて、世の為に遣ふ事をせざるは、神の悪み給ふ事と聞きたり。金持ちが一所に金を集むる故に、貧乏人が多くなる。世人が各々某々に暑からず寒からず、食ふて着て住まるゝ程に用意して、欲を深くせぬと世が平らかに行くなり。金持ちが金をしたゝかに集めて、此は我が物ぞと心得て居れども、能く思へば自分の物とては何もなく、悉く天下様の物なり。金銀も天下様より、通用なさるゝ世の宝、その外、食物も着物も天下様の地に出で来たる物なり。家も天下様の地にあり。其の身さへに天下様の地に生まれて天下様の御人なれば、我が身とは云はれず。金銀や何かを沢山に持ちても、死ぬときに持ちては行かれず。然るに此の事の弁へなく、めつたに欲を深くして物持ち金持ちとなりたがる人は、死しても其の心うせず、人の物を集めて欲しがる鬼物となるとぞ。此れやがて魔道に入りたるなり」

                                     
               『仙境異聞』(下)仙童寅吉物語 二之巻 終         
         
『仙境異聞』完
                                                                 

 

  
  (注) 1.  資料331「平田篤胤『仙境異聞』 (下)仙童寅吉物語一之巻」に続く、「『仙境異聞』 (下)仙童寅吉物語二之巻」で、これが『仙境異聞』の最後の巻です。(2010年6月2日入力完了)
 『仙境異聞』(上)一之巻」が、資料43にあります。
 『仙境異聞』(上)二之巻が、資料109にあります。
 『仙境異聞』(上)三之巻が、資料330にあります。
 『仙境異聞』(下)仙童寅吉物語 一之巻が、資料331にあります。
 
    2.  本文は、岩波文庫 『仙境異聞 ・勝五郎再生記聞』(子安宣邦 ・校注、2000年1月14日第1刷発行) によりました。
 ただし、(上)の一之巻・二之巻・三之巻・ (下)仙童寅吉物語一之巻と同様、本文中の会話等を示す鉤括弧(「 」『 』)は、読みやすさを考慮して引用者が付けたもので、文庫の本文には付いていません。その関係で、鉤括弧(「 」『 』)内の読点を句点に改めたり、会話文末の読点を省いたりしたところがあることを、お断りしておきます。
 また、「
『仙境異聞』(下)仙童寅吉物語 二之巻 終」「『仙境異聞』完」も引用者が付けたもので、文庫の本文には付いていません。
 
    3.  文庫には校注者・子安宣邦氏による後注が付いていて、読むうえで大変参考になります。
 また、巻末に解説(『仙境異聞』─江戸社会と異界の情報)もあります。    
 
    4.  掲載本文の「ブウブウ」「西へ西へ」「をりをり」「おぼろおぼろ」などの繰り返し部分は、文庫本文では「く」を縦に長く伸ばした形の踊り字になっています(文庫本文は勿論縦書きです)  
    5.  岩波文庫の底本は、『平田篤胤全集』第八巻(内外書籍、昭和8年刊)所収の平田家蔵本の由です。  
    6.  岩波文庫 『仙境異聞 ・勝五郎再生記聞』の校注者・子安宣邦氏の『子安宣邦のホームページ』があります。  
         

  




      
                      
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