資料77 二宮翁夜話(巻之四)

                   
           
        
二宮翁夜話  巻之四     福住正兄筆記

 

一三四 翁曰、論語に曰、信なれば則民任(ニン)ずと、児(コ)の母に於る、己(おのレ)何程に大切と思ふ物にても、疑(ウタガ)はずして母には預(アヅ)くる物なり、是母の信、児に通ずればなり、予が先君に於る又同じ、予が桜(サクラ)町仕法の委任(イニン)は、心組(グミ)の次第一々申立るに及ばず、年々の出納計算(ケイサン)するに及ばず、十ヶ年の間任(マカ)せ置者也とあり、是予が身を委(ユダ)ねて、桜町に来りし所以(ユヘン)なり、扨此地に来り、如何にせんと熟考(ジユクカウ)するに、皇国開闢(カイビヤク)の昔、外国より資本を借りて、開きしにあらず、皇国は、皇国の徳沢にて、開たるに相違なき事を、発明したれば、本藩(ハン)の下附金を謝絶(シヤゼツ)し、近郷富家に借用を頼まず、此四千石の地の外をば、海外と見做(ナ)し、吾(わレ)神代の古に、豊葦原(トヨアシハラ)へ天降(クダ)りしと決心し、皇国は皇国の徳沢にて開く道こそ、天照大御神の足跡なれと思ひ定めて、一途に開闢(ビヤク)元始の大道に拠(ヨ)りて、勉強(ベンキヤウ)せしなり、夫開闢の昔、芦原に一人天降りしと覚悟する時は、流水に潔身(ミソギ)せし如く、潔(イサギヨ)き事限りなし、何事をなすにも此覚悟を極むれば、依頼(イライ)心なく、卑怯卑劣(ヒキヨウヒレツ)の心なく、何を見ても、浦山敷(しキ)事なく、心中清浄なるが故に、願ひとして成就せずと云事なきの場に至るなり、この覚悟、事を成すの大本なり、我悟道の極意なり、此覚悟定まれば、衰(スイ)村を起すも、廃(ハイ)家を興(オコ)すもいと易(ヤス)し、只此覚悟一つのみ
一三五 翁曰、惰(ダ)風極り、汚俗(ウゾク)深染(シンセン)の村里を新にするは、いとも難き業なり、如何となれば、法戒む可からず、令行はる可からず、教施す可からず、之をして精励(セイレイ)に趣(オモム)かしめ、之をして義に向はしむる、豈難からずや、予昔桜町陣屋に来る、配下の村々至惰(ダ)至汚(ウ)、如何共すべき様なし、之に依て、予深夜或は未明、村里を巡行す、惰を戒(イマシム)るにあらず、朝寝を戒るにあらず、可否を問はず、勤惰(キンダ)を言はず、只自(ミづから)の勤として、寒暑風雨といへども怠らず、一二月にして、初て足音を聞て驚(オドロ)く者あり、又足跡を見て怪(アヤシ)む者あり、又現に逢ふ者あり、是より相共に戒心を生じ、畏心を抱(イダ)き、数月にして、夜遊博奕(バクエキ)闘争(トウソウ)等の如きは勿論、夫妻の間、奴僕(ヌボク)の交、叱咤(シツタ)の声(コヘ)無きに至れり、諺(コトハザ)に、権平種を蒔(マ)けば烏(カラス)之(コレ))を掘(ホ)る、三度に一度は追ずばなるまい、と云り、是鄙俚(ヒリ)戯言(ギゲン)といへ共、有職の人知らずば有る可からず、夫烏(カラス)の田甫を荒(アラ)すは、烏の罪(ツミ)にあらず、田甫を守る者追(オハ)ざるの過(アヤマチ)なり、政道を犯す者の有るも、官之を追ざるの過(アヤマチ)なり、之を追ふの道も、又権兵衛が追ふを以て勤として、捕(トラフ)るを以て本意とせざるが如く、あり度物なり、此戯(ギ)言政事の本意に適(カナ)へり、鄙俚(ヒリ)の言といへ共、心得ずば有るべからず
一三六 翁又曰、凡田畑の荒るゝ其罪を惰農(ダノウ)に帰(キ)し、人口の減ずるは、産子を育(ソダ)てざるの悪弊に帰するは、普通の論なれ共、如何に愚民なればとて、殊更(コトサラ)田畑を荒(アラ)して、自(ミづから)困窮を招(マネ)く者あらんや、人禽獣(キンジユウ)にあらず、豈(アニ)親子の情なからんや、然るに産子を育てざるは、食乏(トボ)しくして、生育の遂難(トゲガタ)きを以てなり、能其情実を察すれば、憫然(ビンゼン)是より甚きはあらず、其元は、賦税(フゼイ)重きに堪(タヘ)ざるが故に、田畑を捨(ステ)て作(ツク)らざると、民政(ミンセイ)届(トヾ)かずして堤防(テイバウ)溝洫(カウイキ)道橋破壊(ハヱ)して、耕作出来難きと、博奕(バクヱキ)盛(サカ)んに行れ風俗頽廃(タイハイ)し、人心失せ果て、耕作せざるとの三なり、夫耕作せざるが故に、食物減(ゲン)ず、食物減ずるが故に、人口減ずるなり、食あれば民集(アツマ)り、食無ければ民散(サン)ず、古語に、重(おもン)ずる処は民食葬祭(ソウサイ)とあり、尤重んずべきは民の米櫃(ビツ)なり、譬(タトヘ)ば此坐に蠅(ハヘ)を集(アツメ)んとするに、何程捕(トラ)へ来りて放(ハナ)つ共追集(オヒアツム)るとも、決して集るべからず、然るに食物を置時は、心を用ひずして忽(タチマチ)に集るなり、之を追払(オヒハラ)ふ共決して逃(ニ)げ去らざる事眼前なり、されば聖語に、食を足すとあり、重んづべきは人民の米櫃なり、汝等又己が米櫃の大切なる事を忘るゝ事勿れ
一三七 或来り訪(ト)ふ、翁曰、某の家は無事なりや、曰、某の父稼穡(カシヨク)に勤労する事、村内無比なり、故に作益多く豊(ユタカ)に経営(イトナミ)来りしに、其子悪(アシ)き事はなしといへ共、稼穡を勤(ツト)めず、耕耘培養(バイヤウ)行届かず、只蒔ては刈取のみ、好き肥(コヤ)しを用ふるは損(ソン)なりなど云て、田畑を肥すの益たるを知らず、故に父死して、僅(ハツカ)に四五年なるに、上田も下田となり、上畑も下畑となりて、作益なく、今日は経営(イトナミ)にも差閊(ツカヘ)る様になれりと、翁左右を顧(カヘリ)みて曰、卿等聞けりや、是農民一家の事なれ共、自然の大道理にして、天下国家の興廃(コウハイ)存亡も又同じ、肥を以て作物を作ると、財(ザイ)を散(サン)じて領民を撫育(ブイク)し、民政に力を尽(ツク)すとの違(チガ)ひのみ、夫国の廃亡(ハイバウ)するは民政の届(トヾ)かざるにあり、民政届かざるの村里は、堤防溝洫(カウイキ)先(まヅ)破損し、道路橋梁次に破壊(ハエ)し、野橋作場道等は通路なきに至るなり、堤防溝洫破損すれば、川付(ツキ)の田畑は先(マヅ)荒蕪す、用悪水路破壊すれば、高田卑(ヒク)田は耕作すべからず、道路悪しければ牛馬通ぜず、肥料行届かず、精農の者といへども、力を尽すに困却し、之が為に耕作するといへ共作益なし、故に人家手遠(ドホ)、不便の地は捨(ステ)て耕(タガヤサ)ざるに至る、耕さゞるが故に、食物減ず、食物減ずるが故に、人民離散(リサン)する也、人民離散して、田畑荒るれば租税(ソゼイ)の減(ゲン)ずるは眼前ならずや、租税減ずれば、諸侯窮(キウ)するは当然(ゼン)の事なり、前の農家の興廃と少しも違ふ事なし、卿等心を用ひよ、譬(タトヘ)ば上国の田畑は温泉の如し、下国の田畑は、冷水の如し、上国の田地は耕耘行届かざれども、作益ある事温泉の自然に温なるが如し、下国の田畑は冷水を温湯にするが如くなれば、人力を尽せば作益ありといへども、人力を尽さゞれば、作益なし、下国辺境人民離散し、田畑荒蕪するは是が為なり
一三八 翁曰、江川県令問て曰、卿桜町を治る数年にして、年来の悪習一洗し、人民精励に赴(オモム)き、田野開け民聚(アツマ)ると聞けり、感服(カンブク)の至り也、予、支配所の為に、心を労(ロウ)する事久し、然て少も効(シルシ)を得ず、卿如何なる術かあると、予答て曰、君には君の御威光(イコウ)あれば、事を為す甚(はなはダ)安し、臣素より無能無術、然といへども、御威光にても理解にても、行れざる処の、茄子(ナス)をならせ、大根を太(フト)らする事業を、慥(タシカ)に心得居る故、此理を法として、只勤めて怠(オコタ)らざるのみ、夫草野一変すれば米となる、米一変すれば飯となる、此飯には、無心の鶏犬といへ共、走り集り、尾を振れといへば尾を振り、廻れといへば廻り、吠(ホヘ)よといへば吠ゆ、鶏犬の無心なるすら此の如し、臣只此理を推して、下に及ぼし至誠を尽せるのみ、別に術(ジユツ)あるにはあらず、と答ふ、是より予が年来実地に執行ひし事を談話する事六七日なり、能倦まずして聴れたり、定めて支配所の為に、尽されたるなるべし
一三九 翁曰、我が道は至誠と実行のみ、故に鳥獣(テウジウ)虫(チウ)魚草木にも皆及ぼすべし、況(イハン)や人に於るをや、故に才智弁舌(ベンゼツ)を尊(タフト)まず、才智弁舌は、人には説くべしといへ共、鳥獣草木を説く可からず、鳥獣は心あり、或は欺(アザム)くべしといへ共、草木をば欺く可からず、夫我道は至誠と実行となるが故に、米麦蔬菜(ソサイ)瓜茄子にても、蘭(ラン)菊(キク)にても、皆是を繁栄(ハンエイ)せしむるなり、仮令(タトヒ)知謀(チバウ)孔明を欺(アザム)き、弁舌(ベンゼツ)蘇(ソ)長(テフ)を欺くといへ共、弁舌を振(フルツ)て草木を栄(サカ)えしむる事は出来ざるべし、故に才智弁舌を尊まず、至誠と実行を尊ぶなり、古語に、至誠神の如しと云といへ共、至誠は則神と云も、不可なかるべきなり、凡世の中は智あるも学あるも、至誠と実行とにあらざれば事は成らぬ物と知るべし
一四〇 翁曰、朝夕に善を思ふといへども、善事を為さゞれば、善人と云ふべからざるは、昼夜に悪を思ふといへども、悪を為さゞれば、悪人と云べからざるが如し、故に人は、悟道治心の修行などに暇(イトマ)を費さんよりは、小善事なりとも身に行ふを尊(タフト)しとす、善心発(オコ)らば速(スミヤカ)に是を事業に表(アラハ)すべし、親(オヤ)ある者は親を敬養(ケイヤウ)すべし、子弟ある者は子弟を教育(イク)すべし、飢(ウヘ)人を見て哀(アハレ)と思はゞ速(スミヤカ)に食を与(アタ)ふべし、悪(アシ)き事仕たり、われ過(アヤマ)てりと心付とも、改めざれば詮(セン)なし、飢(ウヱ)人を見て哀と思ふとも、食を与(アタ)へざれば功なし、故に我道は実地実行を尊ぶ、夫世の中の事は実行にあらざれば、事はならざる物なればなり、譬ば菜虫の小なる、是を求(モトム)るに得(ウ)べからず、然共菜を作れば求ずして自ら生ず、孑孒(ボウフリ)の小なる、是を求るに得べからず、桶(オケ)に水を溜(タ)めおけば自ら生ず、今此席(セキ)に蠅(ハヘ)を集めんとすとも、決して集らず、捕(トラ)へ来りて放(ハナ)つとも、皆飛さる、然るに飯粒を置時は集(アツ)めずして集(アツマ)るなり、能々此道理を弁へて、実地実行を励むべし
一四一 翁曰、凡物、根元たる者は、必卑(イヤシ)き物なり、卑しとて、根元を軽視(ケイシ)するは過(アヤマリ)なり、夫家屋の如き、土台(ドダイ)ありて後に、床も書院もあるが如し、土台は家の元なり、是民は国の元なる証なり、扨諸職業中、又農を以て元とす、如何となれば、自(ミづから)作て食ひ、自(ミづから)織(オリ)て着(キ)るの道を勤(ツトム)ればなり、此道は、一国悉(コトゴト)く是をなして、差閊(サシツカヘ)無きの事業なればなり、然る大本の業の賤(イヤシ)きは、根元たるが故なり、凡物を置くに、最初に置し物、必下になり、後に置たる物、必上になる道理にして、是則農民は、国の大本たるが故に賤きなり、凡(およソ)事天下一同に之を為して、閊(ツカヘ)なき業こそ大本なれ、夫(そレ)官員の顕貴なるも、全国皆官員とならば如何、必立可からず、兵士の貴重なるも、国民悉く兵士とならば、同く立可からず、工は欠く可からざるの職業なりといへ共、全国皆工ならば、必(かならズ)立可からず、商となるも又同じ、然るに農は、大本なるを以て、全国の人民皆農となるも、閊(ツカヘ)なく立行く可し、然れば農は万業の大本たる事、是に於て明了なり、此理を究(キハ)めば、千古の惑(マド)ひ破(ヤ)ぶれ、大本定りて、末業自(ヲのづか)ら知るべきなり、故に天下一般是をなして、閊(ツカヘ)あるを末業とし、閊なきを本業とす、公明の論ならずや、然れば農は本なり、厚(アツ)くせずば有可からず、養(ヤシナ)はずば有可からず、其元を厚くし、其本を養へば、其末は自(オのづから)繁栄(ハンエイ)せん事疑(ウタガ)ひなし、扨枝葉とて猥(ミダリ)に折る可からずと雖(イヘ)共、其の本根衰ふる時は、枝葉を伐捨て根を肥すぞ、培養の法なる
一四二 翁曰、創業(ソウギヤウ)は難し、守るは安しと、守るの安きは論なしといへども、満(ミチ)たる身代を、平穏(オン)に維持(イヂ)するも又難き業なり、譬(タトヘ)ば器(ウツハ)に水を満(ミチ)て、之を平に持て居れと、命ずるがごとし、器は無心なるが故に、傾(カタム)く事はあらねど、持つ人の手が労(ツカ)るゝか、空腹(クウフク)になるか、必(かならズ)永く平に持て居る事は、出来ざるに同じ、扨此満(マン)を維持(イヂ)するは、至誠と推譲の道にありといへ共、心(ここロ)正平ならざれば、之を行ふに至て、手違(チガ)ひを生じ、折角の至誠推譲も水泡に帰する事あるなり、大学に、心忿懥(フンチ)する所、恐懼(ク)する所、好楽する処、憂患(イウクワン)する処あれば、則其正を得ず、と云り、実に然るなり、能心得べし、能研(ミガ)きたる鏡(カヾミ)も、中凹(クボ)き時は顔痩(ヤセ)て見へ、中凸(タカ)き時は顔太(フト)りて見ゆる也、鏡面平ならざれば、能研(ト)ぎたる鏡も其詮(セン)なく、顔ゆがみて見ゆるに同じ、心(ここロ)正平ならざれば、見るも聞くも考(カンガ)へも、皆ゆがむべし、慎(ツヽシ)まずばあるべからず
一四三 世の中刃物を取り遣りするに、刃の方を我が方へ向け、柄(エ)の方を先の方にして出すは、是道徳の本意なり、此意を能押弘めば、道徳は全かるべし、人々此の如くならば、天下平かなるべし、夫刃先を我方にして先方に向ざるは、其心、万一誤(アヤマリ)ある時、我身には疵(キヅ)を付る共、他に疵を付ざらんとの心なり、万事此の如く心得て我身上をば損す共、他の身上には損は掛(カケ)じ、我が名誉(メイヨ)は損する共、他の名誉には疵を付じと云精神なれば、道徳の本体全しと云べし、是より先(さキ)は此心を押広むるのみ
一四四 翁曰、人の身代は大凡数ある物なり、譬(タトヘ)ば鉢植(ハチウヘ)の松の如し、鉢の大小に依て、松にも大小あり、緑(ミドリ)を延(ノビ)次第にする時は、忽(タチマチ)枯気付く物なり、年々に緑(ミドリ)をつみ、枝をすかしてこそ美(ウルハ)しく栄(サカ)ゆるなれ、是心得べき事なり、此理をしらず、春は遊山に緑を延し、秋は月見に緑を延ばし、斯の如く、拠(ヨリドコロ)なき交際(コウサイ)と云ては枝を出し、親類の付合と云ては梢(コズヘ)を出し、分外に延び過ぎ、枝葉次第に殖(フ)へゆくを、伐捨(ステ)ざる時は、身代の松の根、漸々(ゼンゼン)に衰(オトロ)へて、枯れ果(ハ)つべし、されば其鉢(ハチ)に応じたる枝葉を残し、不相応の枝葉をば年々伐すかすべし、尤肝要(カンヨウ)の事なり
一四五 翁曰、樹木を植(ウヘ)るに、根を伐る時は、必枝葉(エダハ)をも切捨(スツ)べし、根少くして水を吸ふ力少なければ、枯るゝ物なり、大に枝葉を伐すかして、根の力に応ずべし、然せざれば枯るゝなり、譬(タトヘ)ば人の身代稼(カセ)ぎ人が欠け家株(カカブ)の減(ゲン)ずるは、植替(ウヘカ)へたる樹(キ)の、根少くして水を吸(スヒ)上る力の減じたるなり、此時は仕法を立て、大に暮し方を縮(チヾ)めざるを得ず、稼(カセ)ぎ人少き時大に暮せば、身代日々減少して、終(ツイ)に滅(メツ)亡に至る、根少くして枝葉多き木の、終に枯るゝに同じ、如何とも仕方なき物なり、暑中といへ共、木の枝を大方伐捨(キリステ)、葉を残らずはさみ取りて、幹(ミキ)を菰(コモ)にて包みて植え、時々此菰に水をそゝぐ時は、枯れざる物なり、人の身代も此理なり、心を用ふべし
一四六 翁曰、樹木老木となれば、枝葉美(ウルハ)しからず、痿縮(イシユク)して衰(オトロ)ふる物なり、此時大に枝葉を伐すかせば、来春は枝葉瑞(ミヅ)々敷、美しく出る物なり、人々の身代も是に同じ、初て家を興(オコ)す人は、自(オのづから)常人と異なれば、百石の身代にて五十石に暮すも、人の許すべけれど、其子孫となれば、百石は百石丈(だケ)、二百石は二百石(だケ)の事に、交際(コウサイ)をせざれば、家内も奴婢(ヌヒ)も他人も承知せざる物なり、故に終に不足を生ず、不足を生じて、分限を引去る事を知らざれば、必滅(メツ)亡す、是自然の勢(イキホヒ)、免(マヌカ)れざる処なり、故に予常に推譲(スイジヤウ)の道を教ゆ、推譲の道は百石の身代の者、五十石にて暮しを立て、五十石を譲るを云、此推譲の法は我教第一の法にして、則家産維持(イジ)且(かツ)漸次(ゼンジ)増殖の法方なり、家産を永遠に維持すべき道は、此外になし
一四七 大和田山城、楠公の旗(ハタ)の文也とて、左の文を写(ウツ)し来りて真偽(シンギ)如何と問ふ 

 

 


    楠     非  は 理に勝つ事あたはず
    公        理    は 法に勝つ事あたはず
    旗        法   は 権に勝つ事あたはず
    文          権  は 天に勝つ事あたはず
               天  は 明らかに して私なし

翁曰、理法権(ケン)と云事は、世に云事なり、非理法権(ケン)天と云るは珍(メヅラ)し、世の中は此文の通り也、如何なる権力者も、天には決して、勝つ事出来ぬなり、譬(タトヘ)ば理ありとて頼(タノ)むに足らず、権に押(オ)さるゝ事あり、且(かツ)理を曲ても法は立つべし、権(ケン)を以て法をも圧(アツ)すべし、然といへ共、天あるを如何せん、俗歌に「箱根八里は馬でも越すが馬で越されぬ大井川」と云り、其如く人と人との上は、智力にても、弁舌にても、威権(イケン)にても通らば通るべけれど、天あるを如何せん、智力にても、弁舌にても、威権にても、決して通る事の出来ぬは天なり、此理を仏には無門関(クワン)と云り、故に平氏も源氏も長久せず、織田(オダ)氏も豊臣(トヨトミ)氏も二代と続(ツヾカ)ざるなり、されば恐(オソ)るべきは天なり、勤むべきは事天の行ひなり、世の強欲(ガウヨク)者、此理を知らず、何処(イヅコ)迄も際限(サイゲン)なく、身代を大にせんとして、智(チ)を振(フル)ひ腕(ウデ)を振ふといへども、種々の手違ひ起りて進む事能はず、又権謀(ケンボウ)威力を頼(タノ)んで専(モツパ)ら利を計(ハカ)るも、同じく失敗のみありて、志を遂る事能はざる、皆天あるが故なり、故に大学には、止る処を知れ、と教(オシ)へたり、止る処を知れば、漸(ゼン)々進むの理あり、止る処を知らざれば、必退歩(タイホ)を免れず、漸々退歩すれば終(ツイ)に滅亡(メツボウ)すべきなり、且(かツ)天は明かにして私なしと云り、私なければ誠なり、中庸(チウヨウ)に、誠なれば明らかなり、明らかなれば誠なり、誠は天の道なり、之を誠にするは人の道なり、とあり、之を誠にするとは、私を去るを云、則己(オのれ)に克(カ)つなり、六かしき事はあらじ、其理よく聞えたり、其真偽(シンギ)に至ては予が知る処にあらず
一四八 或問ふ、「春は花秋は紅葉と夢(ユメ)うつゝ寝(ネ)ても醒(サメ)ても有明の月」とは如何なる意なるや、翁曰、是は色則是空々則是色、と云る心を詠(ヨメ)るなり、夫色とは肉眼に見ゆる物を云、天地間森羅(シンラ)万象(ゾウ)是なり、空とは肉眼に見えざる物を云、所謂玄の又玄と云へるも是なり、世界は循環(ジユンクワン)変化(ヘンカ)の理にして、空は色を顕(アラハ)し、色は空に帰す、皆循環の為に変化せざるを得ざる、是天道なり、夫今は野も山も真青(マアオ)なれども、春になれば、梅が咲き桃(モヽ)桜(サクラ)咲き、爛漫(ランマン)馥郁(フクイク)たり、夫も見る間に散失(チリウ)せ、秋になれば、麓(フモト)は染ぬ、峰も紅葉しぬ、実に錦繡(キンシヨウ)をも欺(アザ)むけりと詠(ナガ)むるも、一夜木枯(コガラシ)吹けば、見る影もなくちり果(ハツ)るなり、人も又同く、子供は育(ソダ)ち、若年は老年になり、老人は死す、死すれば又産(ウマ)れて、新陳交代する世の中なり、さりとて悟(サト)りたる為に、花の咲(サク)にあらず、迷ひたるが為に、紅葉の散(チ)るにあらず、悟りたる為に、産るゝにあらず、迷ひたる為に、死するにもあらず、悟ても迷ても、寒(サム)い時は寒く、暑(アツ)い時は暑く、死ぬ者は死し、生るゝ者は生れて、少しも関係(クワンケイ)なければ、是を「ねても覚(サメ)ても在明の月」と詠るなり、別意あるにあらず、只悟道と云物も、敢(アヘ)て益なきものなる事を、よめるなり
一四九 神儒仏の書、数万巻あり、それを研究(ケンキウ)するも、深山に入り坐禅(ザゼン)するも、其道を上り極(キハム)る時は、世を救(スク)ひ、世を益するの外に道は有べからず、若(もシ)有といへば、邪道なるべし、正道は必世を益するの一つなり、縦令(タトヒ)学問するも、道を学ぶも、此処に到らざれば、葎(ムグラ)蓬(ヨモギ)の徒(イタヅラ)にはい広がりたるが如く、人世に用無き物なり、人世に用無き物は、尊(タフト)ぶにたらず、広(ヒロ)がれば広がる程、世の害なり、幾年の後か、聖君出て、此の如き無用の書は焼捨(ヤキステ)る事もなしといふべからず、焼捨る事なきも、荒蕪を開くが如く、無用なる葎(ムグラ)蓬(ヨモギ)を刈捨て、有用の道の広まる、時節もなしと云べからず、兎も角も、人世に益なき書は見るべからず、自他に益なき事は為すべからず、光陰は矢の如し、人生は六十年といへども、幼老の時あり、疾病あり、事故あり、事を為すの日は至て少ければ、無用の事はなす勿れ
一五〇 青柳又左衛門曰、越後の国に、弘法大師の法力に依て、水油地中より湧(ワ)き出、今に到て絶(タ)えずと、翁曰、奇は奇なりといへ共、只其一所のみ、尊ぶに足らず、我道は夫と異(コト)にして、尤奇(キ)也、何国にても、荒地を起(オコ)して菜種(ナタネ)を蒔、其実法を得て、是を油(アブラ)屋に送(オク)れば、種一斗にて、油二升は急度出て、永代絶へず、是皇国固有天祖伝来の大道にして、肉食妻帯(サイタイ)暖衣飽食(ダンイホウシヨク)し、智愚(チグ)賢不肖(ケンフシヤウ)を分たず、天下の人をして、皆行はしむべし、是開闢(カイビヤク)以来相伝の大道にして、日月の照明ある限り、此世界有ん限り、間違ひなく行るゝ道なり、されば大師の法に勝れる、万々ならずや、且(かツ)我道又大奇特(キドク)あり、一銭の財なくして、四海の困窮を救(スク)ひ、普(アマネ)く施(ホドコ)し海内を富饒(フニヨウ)にして猶余(アマリ)あるの法なり、其方法只分度を定るの一のみ、予是を相馬、細川、烏(カラス)山、下館(ダテ)等の諸藩(ハン)に伝(ツタ)ふ、然といへ共、是は諸侯大家にあらざれば、行ふべからざるの術なり、此外に又術(ジユツ)あり、原野を変(ヘン)じて田畑となし、貧村を変じて福村となすの術なり、又愚夫愚婦をして、皆為さしむ可き術あり、山家に居て海魚を釣(ツ)り、海浜(ヒン)に居て深山の薪(タキヾ)を取り、草原より米麦を出し、争(アラソハ)ずして必勝(カ)つの術なり、只一人をして、能せしむるのみにあらず、智愚を分たず、天下の人をして皆能せしむ、如何にも妙術にあらずや、能学んで国に帰り、能勤めよ、
一五一  翁又曰、杣(ソマ)が深山に入て木を伐(キ)るは、材木が好(ス)きにて伐るにはあらず、炭焼(スミヤキ)が炭を焼くも、炭が好きにて焼くにはあらず、夫杣も炭(スミ)やきも、其職業(シヨクギヤウ)さへ勉強(ベンキヨウ)すれば、白米も自然に山に登(ノボ)り、海の魚も里の野菜も、酒も油も皆自(オのづか)ら山に登るなり、奇々妙々の世の中といふべきなり
一五二 翁曰、世界、人は勿論、禽獣虫魚草木に至るまで、凡天地の間に、生々する物は、皆天の分身と云べし、何となれば孑孒(ボウフリ)にても蜉蝣(ブユウ)にても草木にても、天地造化の力をからずして、人力を以て生育せしむる事は、出来ざればなり、而て人は其長たり、故に万物の霊と云、其長たるの証は、禽獣虫魚草木を、我が勝手に支配し、生殺して何方よりも咎(トガメ)なし、人の威力は広太なり、されど本来は、人と禽獣(キンジウ)と草木と何ぞ分たん、皆天の分身なるが故に、仏道にては、悉皆成仏と説り、我国は神国なり、悉皆成神と云べし、然るを世の人、生(いキ)て居る時は人にして、死して仏と成ると思ふは違(タガ)へり、生て仏なるが故に、死て仏なるべし、生て人にして、死して仏となる理あるべからず、生(いキ)て鯖(サバ)の魚が死して鰹節(カツオブシ)となるの理なし、林にある時は松にして伐て杉となる木なし、されば生前仏にて、死して仏と成り、生前神にして、死して神なり、世に人の死せしを祭て、神とするあり、是又生前神なるが故に神となるなり、此理明白にあらずや、神と云、仏と云名は異(コト)也といへども、実は同じ、国異なるが故に名異なるのみ、予此心をよめる歌に「世の中は草木もともに神にこそ死して命のありかをぞしれ」「世の中は草木もともに生如来死して命の有かをぞしれ」、呵々
一五三 翁曰、儒に循環(ジユンカン)と云ひ、仏に輪転(リンテン)と云ふ、則天理なり、循環とは、春は秋になり暑は寒に成り、盛は衰に移(ウツ)り富は貧に移るを云、輪転と云も又同じ、而て仏道は輪転を脱(ダツ)して、安楽国に往生せん事を願ひ、儒は天命を畏(オソ)れ天に事(ツカ)へて泰山の安を願ふなり、予が教ふる所は貧を富にし衰(スイ)を盛(セイ)にし、而て循環輪転を脱(ダツ)して、富盛の地に住せしむるの道なり、夫菓木今年大に実法れば、翌年は必実法らざる物なり、是を世に年切りと云、是循環輪転の理にして然るなり、是を人為を以て、年切りなしに毎年ならするには、枝を伐すかし、又莟(ツボミ)の時につみとりて花を減(ヘラ)し、数度肥を用ふれば、年切りなくして毎年同様に実法る物なり、人の身代に盛衰(セイスイ)貧富あるは、則年切りなり、親は勉強(ベンキヨウ)なれど子は遊惰(ユウダ)とか、親は節倹(セツケン)なれど子は驕奢(ケフシヤ)とか、二代三代と続(ツヾ)かざるは、所謂(イハユル)年切りにして循環輪転なり、此年切なからん事を願はゞ、菓木の法に俲(ナラ)ひて、予が推譲の道を勤むべし
一五四 翁曰、人の心よりは、最上無類清浄と思ふ米も、其米の心よりは、糞(フン)水を最上無類の好き物と思ふなるべし、是も又循環の理なり
一五五 或曰、女大学は、貝原氏の著なりといへど、女子を圧(アツ)する甚(はなはダ)過(すギ)たるにあらずや、翁曰、然らず、女大学は婦女子の教訓(ケウクン)、至れり尽(ツク)せり、婦道の至宝(シホウ)と云べし、斯の如くなる時は、女子の立つべき道なきが如しといへ共、是女子の教訓書なるが故なり、婦女子たる者、能此理を知らば、斉(トヽノ)はざる家はあらじ、舜(シユン)の瞽瞍(コソウ)に仕へしは、則子たる者の道の極(キヨク)にして、同一の理なり、然といへ共、若(もシ)男子にして女大学を読(ヨ)み、婦道はかゝる物と思ふは以の外の過(あやまチ)なり、女大学は女子の教訓にして、貞操(テイソウ)心を鍛練(タンレン)するための書なり、夫鉄(テツ)も能々鍛練せざれば、折れず曲(マガ)らざるの刀とならざるが如し、総(スベ)て教訓は皆然り、されば、男子の読(ヨム)べき物にあらず、誤解(ゴカイ)する事勿れ、世に此心得違(チガ)ひ往々あり、夫教(オシヘ)は各々異(コト)なり、論語を見ても知らるべし、君には君の教あり、民には民の教あり、親には親、子には子の教あり、君は民の教を学(マナ)ぶ事勿れ、民は君の教を学ぶなかれ、親も又然り、子も又然り、君民親子夫婦兄弟皆然り、君は仁愛(アイ)を講(コウ)明すべし、民は忠順を道とすべし、親は慈愛(ジアイ)、子は孝行、各々己が道を違へざれば、天下泰平なり、之に反すれば乱なり、男子にして、女大学を読む事勿れと云は、是が為なり、譬(タトヘ)ば教訓は病に処(シヨ)する藥方の如し、其病に依て施(ホドコ)す物なればなり 
一五六 翁の家に親しく出入する某なる者の家、嫁(ヨメ)と姑(シウト)と中悪しゝ、一日其姑来て、嫁の不善を並べ喋(テウ)々せり、翁曰、是因縁(インエン)にして是非なし、堪忍(クワンニン)するの外に道なし、夫共に其方若き時、姑を大切にせざりし報(ムクイ)にはあらずや、兎(ト)に角(カク)嫁の非を数(カゾ)へて益(エキ)なし、自(ミづか)ら省(カヘリ)みて堪忍すべしと、いともつれなく言放(ハナ)ちて帰(カヘ)さる、翁曰、是善道なり、斯の如く言聞す時は、姑必省(カヘリミ)る処ありて、向来の治り、幾分か宜しからん、掛(カヽ)る時に坐(ザ)なりの事を言て共共に嫁を悪(アシ)く云時は、姑(シウト)弥(イヨ)々嫁(ヨメ)と中悪敷なる者なり、惣(スベ)て是等の事、父子の中を破(ヤブ)り嫁姑の親(シタシ)みを奪(ウバ)ふに至る物なり、心得ずばあるべからず
一五七 翁曰、「郭公鳴つる方をながむれば只有明の月ぞ残(ノコ)れる」、此歌の心は、譬(タトヘ)ば鎌倉(カマクラ)の繁花(ハンクワ)なりしも、今は只跡(アト)のみ残りて物淋(サビ)しき在様(アリサマ)なりと、感慨(クワンガイ)の心をよめる也、只鎌倉のみにはあらず、人々の家も又然り、今日は家(イヘ)蔵(クラ)建並(タテナラ)べて人多く住み賑(ニギ)はしきも、一朝行違へば、身代限(カギ)りとなり、屋敷のみ残るに至る、恐れざるべけんや、慎(ツヽシ)まざる可けんや、惣(スベ)て人造物は、事ある時は皆亡びて、残る物は天造物のみぞ、と云心を含(フクミ)て詠めるなり、能味ひて其深意を知るべし
一五八 翁曰、凡万物皆一ッにては、相続は出来ぬものなり、夫父母なくして生ずる物は草木なり、草木は空中に半分幹(カン)枝を発(ハツ)し、地中に半分根をさして生育すればなり、地を離(ハナ)れて相続する物は、男女二ッを結(ムス)び合せて倫(リン)をなす、則網(アミ)の目の如し、夫網は糸二筋(スジ)を寄ては結(ムス)び、寄(ヨセ)ては結びして網(アミ)となる、人倫も其如く、男と女とを結び合せて、相続する物なり、只人のみならず、動物皆然り、地を離れて相続する物は、一粒の種、二ッに割(ワ)れ、其中より芽(メ)を生ず、一粒の内陰陽あるが如し、且(かツ)天の火気を受け、地の水気を得て、地に根をさし、空に枝葉を発して生育す、則天地を父母とするなり、世人草木の地中に根をさして、空中に育する事をば知るといへ共、空中に枝葉を発して、土中に根を育する事を知らず、空中に枝葉を発するも、土中に根を張るも一理ならずや
一五九 翁曰、世上一般、貧富苦楽と云ひ、躁(サワ)げ共、世上は大海の如くなれば、是非なし、只水を泳(オヨ)ぐ術(ジユツ)の上手と下手とのみ、舟を以て用便する水も、溺死(デキシ)する水も水に替りはあらず、時によりて風に順(ジユン)風あり逆(ギヤク)風あり、海の荒(アラ)き時あり穏(オダヤカ)なる時あるのみ、されば溺死(デキシ)を免かるゝは、泳ぎの術一つなり、世の海を穏(オダヤカ)に渡るの術は、勤と倹と譲の三つのみ
一六〇 翁曰、凡世の中は陰(イン)々と重(カサナ)りても立ず、陽(ヤウ)々と重るも又同じ、陰陽々々と並(ナラ)び行るゝを定則とす、譬(タトヘ)ば寒暑昼夜水火男女あるが如し、人の歩行も、右一歩左一歩、尺蠖(シヤクトリ)虫も、屈(カヾミ)ては伸(ノ)び屈ては伸び、蛇(ヘビ)も、左へ曲(マガ)り右に曲りて、※ 此の如くに行なり、畳(タヽミ)の表(オモテ)や莚(ムシロ)の如きも、下へ入ては上に出、上に出ては下に入り、麻布(アサヌノ)の麁(アラ)きも羽二重の細(コマカ)なるも皆同じ、天理なるが故なり
      
(注) 上の ※ の所に 160段の挿画 が入ります。(底本は縦書きなので、図も
          縦になっています。)


一六一 翁曰、火を制(セイ)する物は水なり、陽(ヤウ)を保(タモ)つ物は陰(イン)なり、世に富者あるは貧者あるが為なり、此貧富の道理は、則寒暑昼夜陰陽水火男女、皆相持合て相続するに同じ、則循環の道理なり
一六二 翁曰、飲食店に登りて、人に酒食を振舞(フルマ)ふとも、払(ハラ)ひがなければ、馳走(チソウ)せしとは云可らず、不義の財(ザイ)を以てせば、日々三牲(セイ)の養(ヤシナヒ)を用ふといへ共、何ぞ孝行とせん、禹(ウ)王の飲食を薄(ウス)うし衣服を悪(アシ)うし、と云るが如く、出所が慥(タシカ)ならざれば孝行にはあらぬなり、或人の発句に「和らかにたけよことしの手作麦」、是能其情を尽(ツク)せり、和らかにと云一言に孝心顕(アラハ)れ、一家和睦(ワボク)の姿(スガタ)も能見えたり、手作麦と云るに親を安ずるの意言外にあふる、よき発句なるべし
一六三 翁曰、世の中大も小も限(カギ)りなし、浦賀港(ウラガミナト)にては米を数(カゾ)ふるに、大船にて一艘(ソウ)二艘と云ひ、蔵前にては三蔵(クラ)四蔵と云なり、実に俵(タハラ)米は数を為ざるが如し、然れ共、其米大粒なるにあらず、通常の米なり、其粒を数(カゾ)ふれば一升の粒六七万有べし、されば一握(ニギ)りの米も、其数は無量と云て可なり、まして其米穀の功徳に於てをや、春種を下してより、稲生じ風雨寒暑を凌(シノ)ぎて、花咲き実のり、又こきおろして、搗(ツ)き上げ白米となすまで、此丹精容易(ヨフイ)ならず実に粒々辛苦なり、其粒々辛苦の米粒を日々無量に食して命を継(ツ)ぐ、其功徳、又無量ならずや、能思ふべし、故に人は小々の行を積(ツ)むを尊(タフト)むなり、予が日課(クワ)繩索(ナハナイ)の方法の如きは、人々疑(ウタガ)はずして勤るに進む、是小を積て大を為せばなり、一房の繩(ナワ)にても、一銭の金にても、乞食に施(ホドコ)すの類(ルイ)にあらず、実に平等利益の正業にして、国家興復の手本なり、大なる事は人の耳(ミヽ)を驚(オドロカ)すのみにして、人々及ばずとして、退(シリゾ)けば詮(セン)無き物なり、縦令(タトヒ)退かざるも、成功は遂(ト)げ難(ガタ)き物なり、今爰(コヽ)に数万金の富者ありといへ共、必其祖其先一鍬の功よりして、小を積(ツ)んで富を致せしに相違なし、大船の帆柱、永代の橋(ハシ)杭(クヒ)などの如き、大木といへども一粒の木の実より生じ、幾百年の星霜を経て寒暑風雨の艱難を凌ぎ、日々夜々に精気(セイキ)を運(ハコ)んで長育せし物なり、而て昔の木の実のみ長育するにあらず、今の木の実といへ共、又大木となる疑(ウタガ)ひなし、昔の木の実今の大木、今の木の実後世の大木なる事を、能々弁(ワキマ)へて、大を羨(ウラヤ)まず小を恥(ハヂ)ず、速(スミヤカ)ならん事を欲せず、日夜怠(オコタ)らず勤るを肝要とす、「むかし蒔(マ)く木の実大木と成にけり今蒔く木の実後の大木ぞ」
一六四 或人、一飯に米一勺づゝを減(ゲン)ずれば、一日に三勺、一月に九合、一年に一斗余、百人にて十一石、万人にて百十石なり、此計算を人民に諭(サト)して富国の基(モトヒ)を立んと云り、翁曰、此教諭、凶歳の時には宜しといへ共、平年此の如き事は、云ふ事勿れ、何となれば凶歳には食物を殖(フヤ)す可らず、平年には一反に一斗づゝ取増(マ)せば、一町に一石、十町に十石、百町に百石、万町に万石なり、富国の道は、農を勧(スヽ)めて米穀(コク)を取増すにあり、何ぞ減食の事を云んや、夫下等人民は平日の食十分ならざるが故に、十分に食(ク)ひたしと思ふこそ常の念慮(リヨ)なれ、故に飯の盛(モリ)方の少きすら快(コヽロヨ)からず思ふ物なり、さるに一飯に一勺づゝ少く喰へなどゝ云事は、聞も忌(イマ)々しく思ふなるべし、仏家の施餓鬼供養(セガキクヤウ)に、ホドナンパンナムサマダと繰返(クリカヘ)し繰返し唱(トナ)ふるは、十分に食ひ玉へ沢山に食ひ玉へ、と云事なりと聞けり、されば施餓鬼(セガキ)の功徳は、十分に食へと云ふにあり、下等の人民を諭(サト)さんには、十分に喰て十分に働(ハタラ)け、沢山喰て骨限(ホネカギ)り稼(カセ)げと諭(サト)し、土地を開き米穀を取増し、物産の繁殖(ハンシヨク)する事を勤(ツト)むべし、夫労力を増(マ)せば土地開け物産繁殖す、物産繁殖すれば商も工も随て繁栄す、是国を富すの本意なり、人或は云ん、土地を開くも開くべき地なしと、予が目を以て見る時は、何国も皆半開なり、人は耕作仕付あれば皆田畑とすれ共、湿(シツ)地乾(カン)地、不平の地麁悪(ソアク)の地、皆未(いまダ)田畑と云可らず、全国を平均(キン)して、今三回も開発なさゞれば、真の田畑とは云べからず、今日の田畑は只耕作差支なく出来るのみなり
一六五 翁曰、凡事を成さんと欲せば、始に其終を詳(ツマビラカ)にすべし、譬(タトヘ)ば木を伐(キ)るが如き、未(いまダ)だ伐らぬ前に、木の倒(タフ)るゝ処を、詳に定めざれば、倒れんとする時に臨(ノゾ)んで、如何共仕方無し、故に、予印旛沼(インバヌマ)を見分する時も、仕上げ見分をも、一度にせんと云て、如何なる異変にても、失敗なき方法を工夫せり、相馬侯、興国の方法依頼(イライ)の時も、着手より以前に百八十年の収納を調(シラ)べて、分度の基礎(キソ)を立たり、是(こレ)荒地開拓、出来上りたる時の用心なり、我方法は分度を定むるを以て本とす、此分度を確乎(クワツコ)と立て、之を守る事厳(ゲン)なれば、荒地何程あるも借財何程あるも、何をか懼(オソ)れ何をか患へん、我(わガ)富国安民の法は、分度を定むるの一ッなればなり、夫皇国は、皇国丈(だケ)にて限れり、此外へ広(ヒロ)くする事は決してならず、然れば十石は十石、百石は百石、其分を守るの外に道はなし、百石を二百石に増し、千石を二千石に増す事は、一家にて相談はすべけれ共、一村一同に為る事は、決して出来ざるなり、是安きに似て甚(はなはダ)難事なり、故に分度を守るを我道の第一とす、能此理を明にして、分を守れば、誠に安穏(アンオン)にして、杉の実を取り、苗を仕立、山に植て、其成木を待て楽(タノシ)む事を得る也、分度を守らざれば先祖より譲(ユヅ)られし大木の林を、一時に伐払(キリハラヒ)ても、間に合ぬ様に成行く事、眼前(ガンゼン)なり、分度を越(コ)ゆるの過(アヤマチ)恐るべし、財産ある者は、一年の衣食、是にて足ると云処を定めて、分度として多少を論ぜず、分外を譲(ユヅ)り、世の為をして年を積(ツ)まば、其功徳無量なるべし、釈氏(シヤクシ)は世を救(スク)はんが為に、国家をも妻子をも捨(ステ)たり、世を救ふに志あらば、何ぞ我分度外を、譲る事のならざらんや
一六六 翁曰、某の村の富農に怜悧(レイリ)なる一子あり東京(エド)聖堂(セイドウ)に入れて、修(シユ)行させんとて、父子同道し来りて、暇(イトマ)を告(ツ)ぐ、予之を諭(サト)すに意を尽(ツク)せり、曰、夫は善き事なり、然といへども、汝(ナンヂ)が家は富農にして、多く田畑を所持すと聞けり、されば農家には尊き株なり、其家株を尊く思ひ、祖先の高恩を有難く心得、道を学(マナ)んで、近郷村々の人民を教(オシ)へ導(ミチビ)き、此土地を盛(サカ)んにして、国恩に報いん為に、修行に出るならば、誠(マコト)に宜(ヨロ)しといへ共、祖先伝来の家株を農家なりと賤(イヤ)しみ、六かしき文字を学んで只世に誇(ホコラ)んとの心ならば、大なる間違ひなるべし、夫農家には農家の勤あり、富者には富者の勤あり、農家たる者は何程大家たりといへども、農事を能心得ずば有べからず、富者は何程の富者にても、勤倹して余財を譲(ユヅ)り、郷里を富し、土地を美にし、国恩に報(ハウ)ぜずばあるべからず、此農家の道と富者の道とを、勤るが為にする学問なれば、誠に宜しといへ共、若(モシ)然らず、先祖の大恩を忘(ワス)れ、農業は拙(ツタナ)し、農家は賤(イヤ)しと思ふ心にて学問せば、学問益々(マスマス)放(ハウ)心の助けとなりて、汝が家は滅亡(メツボウ)せん事、疑(ウタガ)ひなし、今日の決心汝が家の存亡(ソンボウ)に掛(カヽ)れり、迂闊(ウクワツ)に聞く事勿れ、予が云処決して違はじ、汝一生涯学問する共、掛る道理を発明する事は必出来まじ、又此の如く教戒する者も、必有るまじ、聖堂に積(ツ)みてある万巻の書よりも、予が此一言の教訓の方、尊(タフト)かるべし、予が言を用れば、汝が家は安全なり、用ひざる時は、汝が家の滅(メツ)亡眼前にあり、然れば、用ひばよし、用ふる事能ずば二度予が家に来る事勿れ、予は此地の廃(ハイ)亡を、興復(コウフク)せんが為に来て居る者なれば、滅(メツ)亡などの事は、聞も忌々し、必来る事勿れと戒(イマシ)めしに、用ふる事能はずして、東京(エド)に出たり、修行未(いマ)だ成(ナ)らざるに、田畑は皆他の所有となり、終(ツイ)に子は医(イ)者となり、親は手習師匠をして、今日を凌(シノ)ぐに至れりと聞けり、痛(イタマ)しからずや、世間此類の心得違(チガ)ひ往々あり、予が其時の口ずさみに「ぶんぶんと障子(セウジ)にあぶの飛(トブ)みれば明るき方へ迷(マヨ)ふなりけり」といへる事ありき、痛(イタマ)しからずや
一六七 門人某、若年の過ちにて、所持品を質(シチ)に入れ遣(ツカ)ひ捨(スて)て退塾(タイジユク)せり、某の兄なる者、再(ふたたビ)入塾(ジユク)を願ひ、金を出し、質(シチ)入品を受戻(ウケモド)して本人に渡さんとす、翁曰、質を受るは其分なりといへ共、彼は富家の子なり、生涯質入れなどの事は、為可き者にあらず、不束(フツヽカ)至極といへ共、心得違(チガヒ)なれば是非なし、今改んと思はゞ、質入品は打捨て可なり、一日も質屋の手に掛りし衣服は、身に付じと云位の精神を立ざれば、生涯の事覚束(オボツカ)なし、過(アヤマチ)と知らば速(スミヤカ)に改め、悪(ア)しと思はゞ速に去るべし、穢(キタナキ)物手に付けば、速に洗ひ去るは世の常なり、何ぞ質入したる衣服を、受戻して、着用せんや、過(アヤマツ)て質を入れ、改めて受戻すは困窮家子弟の事なり、彼は忝(カタジケナク)も富貴の大徳を、生れ得てある大切の身なり、君子は固(カタ)く窮(キウ)すとある通り、小遣(ヅカ)ひがなくば、遣はずに居り、只生れ得たる大徳を守りて失はざれば、必富家の婿(ムコ)と成て、安穏(アンノン)なるべし、此の如き大徳を、生れ得て有りながら、自(ミづから)此の大徳を捨、此大徳を失(ウシナ)ふ時は、再(フタヽビ)取返す事出来ざる也、然る時は芸(ゲイ)を以て活計(クワツケイ)を立るか、自(ミづから)稼(カセ)がざれば、生活の道なきに至るべし、長芋すら腐(クサ)れかゝりたるを、囲(カコ)ふには、未(いまダ)腐(クサ)れぬ処より切捨ざれば、腐(クサ)り止らず、されば質に入たる衣類は、再(ふたゝビ)身に附じと云精神を振起(フリオコ)し、生れ得たる富貴の徳を失はざる勤こそ大切なれ、悪友に貸したる金も、又同く打捨べし、返さんと云とも、取る事勿れ、猶又貸すとも、悪友の縁(エン)を絶(タ)ち、悪友に近付ぬを専務(センム)とすべし、是能心得べき事なり、彼が如きは身分をさへ謹(ツヽシン)で、生れ得たる徳を失はざれば、生涯安穏にして、財宝は自然集(アツマ)り、随分他の窮(キウ)をも救(スク)ふべき大徳、生れながら備(ソナハ)る者なり、能此理を諭(サト)して誤(アヤマ)らしむる事勿れ
一六八 翁曰、山谷は寒気(カンキ)に閉(トヂ)て、雪降(フ)り氷れども、柳(ヤナギ)の一芽(メ)開き初る時は、山々の雪も谷々の氷も皆夫迄なり、又秋に至り、桐(キリ)の一葉落初(ヲチソム)る時は、天下の青葉は又夫迄なり、夫世界は自転(ジテン)して止ず、故に時に逢(ア)ふ者は育(ソダ)ち、時に逢(アハ)ざる物は枯(カ)るゝなり、午前は東向の家は照(テ)れ共、西向きの家は蔭(カゲ)り、午后は西に向く物は日を受け、東に向く物は蔭(カゲ)るなり、此理を知らざる者惑(マド)ふて、我不運なりといひ、世は末になれりなどゝ歎(ナゲ)くは誤(アヤマリ)なり、今爰(コヽ)に幾万金の負債(フサイ)あり共、何万町の荒蕪地あり共、賢君有て此道に寄る時は憂(ウレフ)るに足らず、豈喜ばしからずや、縦令(タトヒ)何百万金の貯蓄(チヨチク)あり、何万町の領地あり共、暴(バウ)君ありて、道を踏(フマ)ず、是も不足彼も不足と驕奢(ケウシヤ)慢心(マンシン)、増長に増長せば消滅(シヨウメツ)せん事、秋葉の嵐に散乱するが如し、恐れざるべけんや、予が歌に「奥山は冬気に閉(ト)ぢて雪ふれどほころびにけり前の川柳」
一六九 翁曰、仏に悟道の論あり、面白しといへ共、人道をば害する事あり、則(すなはチ)生者必滅(メツ)会(ヱ)者定離(リ)の類(ルイ)なり、其本源を顕(アラハ)して云が故なり、悟道は譬(タトヘ)ば、草の根は此の如き物ぞと、一々顕(アラ)はして、人に見するが如し、理は然といへども、之を実地に行ふ時は皆枯るゝなり、儒(ジユ)道は草の根の事は言ず、草の根は見ずして可なる物と定め、根あるが為に生育する物なれば、根こそ大切なれ、培養(バイヤウ)こそ大切なれと教るが如し、夫松の木の青々と見ゆるも、桜(サクラ)の花の美(ウルハ)しく匂ふも、土中に根あるが故なり、蓮花の馥郁(フクイク)たるも、花菖蒲の美麗(ビレイ)なるも、泥中に根をさし居ればなり、質屋の蔵の立派(パ)なるは、質を置く貧人の多きなり、大名の城の広大なるは、領分に人民多きなり、松の根を伐(キ)れば、直に緑(ミドリ)の先が弱(ヨハ)り、二三日立(たテ)ば、枝葉皆凋(シボ)む、民窮すれば君も窮し、民富めば君も富む、明々了々、毫末も疑(ウタガ)ひなき道理なり
一七〇 翁、某の寺に詣(ケイ)す、灌(クワン)仏会あり、翁曰、天上天下唯我(ユイガ)独尊(ドクソン)と云事を、俠客(ケウカク)者流など、広言を吐(ハイ)て、天下広(ヒロ)しといへ共、我に如(シ)く者なしなど云と同く、釈氏の自慢(ジマン)と思ふ者あり、是誤(アヤマリ)なり、是は釈氏のみならず、世界皆、我も人も、唯此、我(わレ)こそ、天上にも、天下にも尊(タフト)き者なれ、我に勝(マサ)りて尊き物は、必無きぞと云、教訓の言葉なり、然ば則銘々各々、此我身が天地間に上無き尊き物ぞ、如何となれば、天地間我なければ、物無きが如くなればなり、されば銘々各々皆、天上天下唯我独尊なり、犬も独尊なり、鷹(タカ)も独尊也、猫(ネコ)も杓子(シヤクシ)も独尊と云て可なる物なり
一七一 翁曰、仏道の伝来祖々厳密(ゲンミツ)なり、然といへ共、古と今と表裏の違(タガ)ひあり、古の仏者は鉄鉢(テツバチ)一つを以て、世を送れり、今の仏者は日々厚味に飽(ア)けり、古の仏者は、糞雑(フンゾウ)衣とて、人の捨たる破れ切を、緘(ト)ぢ合せて体を覆(オホ)ふ、今の仏者は常に綾羅錦繡(リヤウラキンシヨウ)を纏(マト)へり、古の仏者は、山林岩穴、常に草坐せり、今の仏者は、常に高堂に安坐す、是皆遺教(ユイケウ)等に説(ト)く所と天地雲泥の違ひに非ずや、然といへども、是自然の勢なり、何となれば、遺教に田宅を安置(アンチ)する事を得ずとあり、而て上朱印地を賜(タマ)ふ、財宝を遠離(エンリ)する事、火坑を避(サク)るが如くせよとも、又蓄積(チクセキ)する事勿れともあり、而て世人、競(キソ)ふて財物を寄附す、また好(ヨシ)みを、貴人に結(ムス)ぶ事を得ずと、而て貴人自(ミづから)随従(ズイジウ)して、弟子と称す、譬(タトヘ)ば大河流水の突(ツキ)当る処には砂石集(アツマ)らずして、水の当らざる処に集るが如し、是又自然の勢なり
一七二 或曰、恵心僧都の伝記に曰、今の世の仏者達の申さるる仏道が誠の仏道ならば、仏道ほど世に悪き物はあるまじ、といはれし事見えたり、面白き言葉にあらずや、翁曰、誠に名言なり、只仏道のみにあらず、儒道も神道も又同じかるべし、今時の儒者達の行はるゝ処が、誠の儒道ならば、世に儒道ほどつまらぬ物はあるまじ、今時の神道者達の申さるゝ神道が、誠の神道ならば、神道ほど無用の物はあるまじ、と予も思ふなり、夫神道は天地開闢(カイビヤク)の大道にして、豊蘆(トヨアシ)原を瑞穂(ミヅホ)の国、安国と治め給ひし、道なる事、弁を待ずして明なり、豈(アニ)当世巫祝(フシク)者流、神札を配(クバリ)て、米銭を乞ふ者等の、知る処ならんや、川柳に「神道者身にぼろぼろを纏(マト)ひ居り」と云り、今の世の神道者、貧困に窮(キウ)する事斯の如し、是真の神道を知らざるが故なり、夫神道は、豊芦(トヨアシ)原を瑞穂(ミヅホ)の国とし、漂(タヾヨ)へる国を安国と固(カタメ)成す道なり、然る大道を知る者、決して貧窮に陥(オチイ)るの理なし、是神道の何物たるを知らざるの証なり、歎(ナゲカ)はしき事ならずや
一七三 翁曰、庭訓往来に、注文に載(ノセ)られずといへども進じ申処なり、と書るは、能人情を尽せる文なり、百事斯の如く有度ものなり、「馳(ハセ)馬に鞭(ムチ)打て出る田植かな」、馳せ馬は注文なり、注文に載(ノセ)られずといへ共、鞭打(ムチウツ)処なり、「影膳(カゲゼン)に蠅(ハヘ)追(オ)ふ妻のみさをかな」、影膳は注文の内なり、注文になしといへ共、蠅(ハヘ)追(オ)ふ処なり、進で忠を尽(ツク)すは注文なり、退て過(アヤマチ)を補(オギナ)ふは注文に載られずといへ共、勤る処なり、幾(ヤフヤ)く諌(イサ)む迄は注文の内なり、敬して違(タガ)はず労して怨(ウラミ)ずは、注文に載られずといへ共、尽す処也、菊花を贈るは注文なり、注文になしといへ共、根を付けて進ずる処なり、凡事斯の如くせば、志の貫(ツラヌ)かざる、事のならざる事、あるべからず、是に至て、孝弟の至は、神明に通じ、西より東より南より北より、思として、服せざる事なしと云に至るなり
一七四 家僕芋種(イモダネ)を埋(ウヅ)めて、其上に芋種と記せし、木札を立たり、翁曰、卿等大道は文字の上にある物と思ひ、文字のみを研究(ケンキウ)して、学問と思へるは違(タガヘ)り、文字は道を伝(ツタ)ふる器械(キカイ)にして、道にはあらず、然るを書物を読(ヨミ)て道と思ふは過(アヤマ)ちならずや、道は書物にあらずして、行ひにあるなり、今彼の処に立たる木札の文字を見るべし、此札の文字によりて、芋種を掘出し、畑に植て作ればこそ食物となれ、道も同く目印の書物によりて、道を求めて身に行ふて、初て道を得るなり、然らざれば、学問と云ふべからず、只本読みのみ
一七五 翁曰、方今の憂(ウレヒ)は村里の困窮にして、人気の悪敷なり、此人気を直さんとするには、困窮を救(スク)はざれば免(マヌカ)るる事能はず、之を救ふに財を施与(セヨ)する時は、財力及ばざる物なり、故に無利足金貸附の法を立たり、此法は実に恵(メグン)で費(ツイ)えざるの道也、此法に一年の酬謝(シウシヤ)金を附するの法をも設(マフ)けたり、是は恵(メグン)で費(ツイ)えざる上に又欲して貪(ムサボ)らざるの法也、実に貸借両全の道と云べし
一七六 翁曰、経済(ケイザイ)に天下の経済あり、一国一藩(パン)の経済あり、一家又同じ、各々異にして、同日の論にあらず、何となれば、博奕(バクエキ)をなすも娼妓(シヤウギ)屋をなすも、一家一身上に取ては、皆経済と思ふなるべし、然れ共政府是を禁じ、猥(ミダリ)に許さゞるは、国家に害(ガイ)あればなり、此の如きは、経済とは云べからず、眼前一己の利益のみを見て、後世の如何を見ず、他の為をも顧(カヘリミ)ざるものなればなり、諸藩にても、駅宿に娼妓を許して、藩中と領中の者、是に戯(タハム)るるを厳禁(ゲンキン)す、是一藩の経済なり、此の如くせざれば、我が大切なる一藩と、領中の風儀を害すればなり、米沢藩にては、年(トシ)少(スコ)し凶なれば、酒造を半に減(ゲン)じ、大に凶なれば、厳禁(ゲンキン)にし、且(かツ)他邦より輸(ユ)入をも許さず、大豆違作なれば、豆腐(タウフ)をも禁(キン)ずと聞けり、是自国の金を、他に出さゞるの策(サク)にして、則一国の経済なり、夫天下の経済は此の如くならずして、公明正大ならずばあるべからず、大学に、国は利を以て利とせず、義を以て利となす、とあり、是をこそ、国家経済の格言と云べけれ、農商一家の経済にも、必此意を忘るゝ事勿れ、世間富有者たるものしらずばあるべからず
一七七 翁曰、万国共開闢(ビヤク)の初に、人類ある事なし、幾千歳の後初て人あり、而て人道あり、夫禽獣は欲する物を見れば、直に取りて喰ふ、取れる丈(ダケ)の物をば憚(ハヾカ)らず取て、譲(ユヅ)ると云ふ事を知らず、草木も又然り、根の張(ハ)らるゝ丈(ダケ)の地、何方迄も根を張て憚(ハヾカ)らず、是(こレ)彼(かレ)が道とする処也、人にして斯の如くなれば、則盗賊( トウゾク)なり、人は然らず、米を欲すれば田を作て取り、豆腐(トウフ)を欲すれば銭を遣(ヤ)りて取る、禽獣(キンジユウ)の直に取るとは異(コト)なり、夫人道は天道とは異にして、譲道より立つ物なり、譲とは、今年の物を来年に譲り、親は子の為に譲るより成る道なり、天道には譲道なし、人道は、人の便宜を計りて立し物なれば、動(ヤヽ)ともすれば、奪(ダツ)心を生ず、鳥獣は誤(アヤマツ)ても、譲心の生ずる事なし、是人畜の別なり、田畑は一年耕さゞれば、荒蕪となる、荒蕪地は、百年経るも自然田畑となる事なきに同じ、人道は自然にあらず、作為の物なるが故に、人倫用弁する所の物品は、作りたる物にあらざるなし、故に、人道は作る事を勤るを善とし、破(ヤブ)るを悪とす、百事自然に任(マカ)すれば皆廃(スタ)る、是を廃(スタ)れぬ様に勤るを人道とす、人の用ふる衣服の類(ルイ)、家屋に用ふる四角なる柱、薄(ウス)き板の類、其他白米搗麦(ツキムギ)味噌(ミソ)醤油(シヨウユ)の類、自然に田畑山林に生育せんや、仍て人道は勤めて作るを尊び、自然に任(マカ)せて廃(スタ)るを悪む、夫虎豹(コヒヤウ)の如きは論なし、熊猪の如き、木を倒(タフ)し根を穿(ウガ)ち、強き事言べからず、其労力も又云べからず、而て、終身労して安堵の地を得る事能はざるは、譲(ユヅ)る事を知らず、生涯己が為のみなるが故に、労して功なきなり、縦令(タトヒ)人といへども、譲の道を知らず、勤めざれば、安堵(アンド)の地を得ざる事、禽獣(キンジユウ)に同じ、仍て人たる者は、智恵は無くとも、力は弱(ヨハ)くとも、今年の物を来年に譲(ユヅ)り、子孫に譲り、他に譲るの道を知りて、能行はゞ、其功必成るべし、其上に又恩に報(ムク)うの心掛けあり、是又知らずば有べからず、勤めずば有べからざるの道なり
一七八 翁曰、交際(カウサイ)は人道の必用なれど、世人交際の道を知らず、交際の道は碁(ゴ)将棋(シヤウギ)の道に法(ノリ)とるをよしとす、夫将棋の道は強(ツヨ)き者駒(コマ)を落して、先の人の力と相応する程にしてさす也、甚(ハナハダ)しき違ひに至ては、腹(ハラ)金とか又歩三兵と云までに外(ハズ)す也、是交際上必用の理なり、己(オのれ)富、且(かツ)才芸あり学問ありて、先の人貧ならば、富を外(ハヅ)すべし、先の人不才ならば、才を外すべし、無芸ならば、芸を外すべし、不学ならば、学をはづすべし、是将棋を指すの法なり、此の如くせざれば、交際は出来ぬなり、己(オのれ)貧にして不才、且無芸(ムゲイ)無学(ムガク)ならば、碁を打が如く心得べし、先の人富て才あり、且学あり芸(ゲイ)あらば、幾目(イクモク)も置(オキ)て交際すべし、是碁(ゴ)の道なり、此理独(ヒトリ)、碁将棋の道にあらず、人と人と相(アイ)対(タイ)する時の道も、此理に随ふべし
一七九 翁又曰、礼法は人界(ジンカイ)の筋(スジ)道なり、人界に筋道あるは、譬(タトヘ)ば碁盤(ゴバン)将棋盤(シヤウギバン)に筋あるが如し、人は人界に立たる、筋道によらざれば、人の道は立ず、碁も将棋も其盤面(バンメン)の筋道によればこそ、其術(ジユツ)も行れ、勝敗(カチマケ)も付なれ、此盤(バン)面の筋道に
よらざれば、小児の碁将棋を弄(モテアソ)ぶが如く、碁も碁にならず、将棋も将棋にならぬ也、故に人倫は礼法を尊ぶべし
一八〇 翁曰、汝(ナンジ)輩能々思考せよ、恩を受けて報いざる事多かるべし、徳を受て報(ハウ)ぜざる事少からざるべし、徳を報う事を知らざる者は、後来の栄(サカ)えのみを願ひて、本(モト)を捨(スツ)るが故に、自然に幸福を失(ウシナ)ふ、能徳を報う者は、後来の栄えを後にして、前の丹精を思ふが故に、自然幸福を受て、富貴其身を放(ハナ)れず、夫報徳は百行の長、万善の先と云べし、能其根元を押極めて見よ、身体(シンタイ)の根元は父母の生育にあり、父母の根元は祖父母の丹誠(タンセイ)にあり、祖父母の根元は其父母の丹誠にあり、斯の如く極(キハム)る時は、天地の命令に帰(キ)す、されば天地は大父母なり、故に、元の父母と云り、予が歌に「きのふより知らぬあしたのなつかしや元の父母ましませばこそ」、夫(そレ)我(わレ)も人も、一日も命(いのチ)長かれと願ふ心、惜(オ)しひほしひの念、天下皆同じ、何となれば明日も明後日も、日輪(リン)出玉ひて、万世替(カハ)らじと思へばなり、若明日より日輪出ずと定まらば、如何にするや、此時は一切の私心執着(シウヂヤク)、惜(オ)しひほしひも有べからず、されば天恩の有難き事は、誠に顕然(ケンゼン)なるべし、能思考せよ
一八一 翁曰、自然に行るゝ是天理なり、天理に随(シタガ)ふといへ共、又人為を以て行ふを人道と云、人体の柔弱(ジウジヤク)なる、雨風雪霜寒暑昼夜、循環(ジユンクワン)不止の世界に生れて、羽毛鱗介(リンカイ)の堅(カタ)めなく、飲食一日も欠(カク)べからずして、爪(ツメ)牙(キバ)の利なし、故に身の為に便利なる道を立ざれば、身を安ずる事能はず、さればこそ、此道を尊(タツト)んで、其本原天に出づと云ひ、天性と云ひ、善とし美とし大とするなれ、此道の廃(スタ)れざらん事を願へばなり、老子其隙(スキ)を見て、道の道とすべきは常の道にあらず、などゝ云るは無理ならず、然りといへ共、此身体を保(タモ)つが為、余義なきを如何せん、身、米を喰ひ衣を着し家に居り、而て此言を主張するは、又老子輩の失と云べし、或曰、然ば仏言も失と云べき歟、翁曰、仏は生といへば滅と云ひ、有と説けば無と説き、色則是空(シキソクゼイクウ)と云ひ、空則是色と云り、老荘の意とは異なり
一八二 翁曰、天道は自然(シゼン)なり、人道は天道に随(シタガ)ふといへ共、又人為なり、人道を尽(ツク)して天道に任すべし、人為を忽(ユルガセ)にして、天道を恨る事勿れ、夫庭前の落葉は天道なり、無心にして日々夜々に積(ツモ)る、是を払はざるは人道に非ず、払へども又落る、之に心を煩(ワヅラハ)し、之に心を労し、一葉落れば、箒(ハヽキ)を取て立が如き、是塵芥(チリアクタ)の為に、役(ヤク)せらるゝなり、愚と云べし、木の葉の落るは天道なり、人道を以て、毎朝一度は払ふべし、又落るとも捨置て、無心の落葉に役せらるゝ事勿れ、又人道を忽(ユルガセ)にして積り次第にする事勿れ、是人道なり、愚人といへども悪人といへども、能教ふべし、教て聞ざるも、是に心を労する事勿れ、聞ぬとて捨る事なく、幾度も教ふべし、教て用ひざるも憤(イキドフ)る事勿れ、聞かずとて捨るは不仁なり、用ぬとて憤るは不智なり、不仁不智は徳者の恐るゝ処なり、仁智二つ心掛て、我が徳を全ふすべし
一八三 某の寺に、廿四孝図の屏風(ビヤウブ)あり、翁曰、夫聖(セイ)門は中庸を尊ぶ、然るに此廿四孝と云者皆中庸ならず、只王裒、朱寿昌等、数名のみ奇もなく異もなし、其他は奇なり異なり、虎の前に号(ナキ)しかば、害を免るゝに至ては我之を知らず、論語孝を説く処と、懸隔(ケンカク)を覚う、夫孝は親の心を以て心とし、親の心を安ずるにあり、子たる者平常の身持心掛慥ならば、縦令(タトヒ)遠国に奉公し、父母を問ふ事なしといへ共、某の藩にて褒賞(ホウシヨウ)を受けし者ありと聞時は、其父母我子ならんと悦(ヨロコ)び、又罪科(ツミトガ)を受し者ありと聞時は、必我子にあらじと苦慮(クリヨ)せざる様なれば、孝と云べし、又同く罪科に陥(オチイ)りし者ありと聞時は、我子ならんかと苦慮し、褒賞の者ありと聞時は、我子にあらじと、悦ばぬ様ならんには、日に月に行通ひて、安否を問ふ共、不孝とす、古語に、親に事る者は、上に居て驕(オゴ)らず、下に居て乱(ミダ)れず、醜(シウ)に在て争(アラソ)はずと云ひ、又違ふ事なしとも、又其病を是(こレ)患(ウレ)ふとも云り、親子の情見るべし、世間親たる者の深情は、子の為に無病長寿、立身出世を願ふの外、決して余念なき物なり、されば子たる者は、其親の心を以て心として親を安(やすン)ずるこそ、至孝なるべけれ、上に居て驕(オゴ)らざるも、下と成て乱れざるも、常の事なれど醜(シウ)に在て争(アラソ)はずと云へるに、心を付べし、醜俗に交る時は、如何に堪忍するとも、忍(シノ)び難き事多かるべきに、此場に於て争はぬは、実に至孝と云ふべきなり
一八四 翁曰、人の子たる者甚(はなはダ)不孝なりといへども、若他人其親を譏(ソシ)る時は必(かならズ)怒(イカ)るものなり、是父子の道天性なるが故に怒るなり、詩に曰く、汝の祖を思ふ事無からんや、と云り、うべなり
一八五 翁曰、深く悪習に染みし者を、善に移(ウツ)らしむるは、甚(はなはダ)難し、或は恵(メグ)み或は諭(サト)す、一旦は改る事ありといへ共、又元の悪習に帰るものなり、是如何共すべなし、幾度も是を恵み教ふべし、悪習の者を善に導(ミチビ)くは、譬(タトヘ)ば渋柿(シブガキ)の台木(ダイキ)に甘(アマ)柿を接穂(ツギホ)にしたるが如し、やゝともすれば台芽(メ)の持前(モチマヘ)発生して継穂の善を害(ガイ)す、故に継穂をせし者、心を付て、台芽(ダイメ)を掻(カ)き取るが如く厚(アツ)く心を用ふべきなり、若怠(オコタ)れば台芽の為に、継穂の方は枯れ失せべし、予が預(アヅカ)りの地に、此者数名あり、我此数名の為に心力を尽(ツク)せる甚(はなはダ)勤たり、二三子是を察せよ
一八六 翁曰、富人小道具を好む者は、大事は成し得ぬ物なり、貧人履(ハキ)物足袋(タビ)等を飾(カザ)る者は立身は出来ぬものなり、又人の多く集り雑踏(ザツトウ)する処には、好き履(ハキ)物をはく事勿れ、よき履物は紛失する事あり、悪きをはきて紛失したる時は尋(タヅネ)ずして、更(サラ)に買求めて履(ハ)きて帰るべし、混雑(コンザツ)の中にて、是を尋ねて人を煩(ワヅラハ)すは、麁悪(ソアク)なる履(ハキ)物をはきたるよりも見苦し
一八七 翁曰、聖人中を尊ぶ、而て其中と云ものは、物毎にして異なり、或は其物の中に中あるあり、物指(モノサシ)の類是なり、或は片寄(カタヨリ)て中あるあり、権衡(ハカリ)の垂針(オモリ)の平是なり、熱(アツカ)らず冷(ヒヤヽカ)ならざるは温湯の中、甘からず辛からざるは味の中、損なく徳なきは取り遣りの中、盗(ヌス)人は盗むを誉(ホ)め、世人は盗むを咎(トガ)むる如きは、共に中にあらず、盗まず盗まれざるを中と云べし、此理明白なり、而て忠孝は、他と我と相対して、而て生ずる道なり、親なければ孝を為さんと欲するとも為べからず、君なければ忠をなさんと欲するとも、為す事能はず、故に片よらざれば、至孝至忠とは言難(イヒガタ)し、君の方に片より極りて至忠なり、親の方に偏倚(ヘンイ)極(キハマ)りて至孝なり、片よるは尽すを云なり、大舜(シユン)の瞽瞍(コソウ)に於る、楠公の南朝に於る、実に偏倚(ヘンイ)の極なり、至れり尽せりと云べし、此の如くなれば、鳥黐(モチ)にて塵(チリ)を取るが如く、天下の父母たる者君たる者に合せて合ざる事なし、忠孝の道は爰に至て中庸なり、若忠孝をして、中分中位にせば、何ぞ忠と云ん、何ぞ孝と云ん、君と親との為には、百石は百石、五十石は五十石、尽さゞれば至れりと云べからず、若百石は五十石にして、中なりと云が如きは、過(アヤマチ)の甚しきものなり、何となれば、君臣にて一円なるが故なり、親子にて一円なるが故なり、夫君と云時は必臣あり、親と云時は必子あり、子なければ親と云べからず、君なければ臣と云べからず、故に君も半なり、臣も半なり、親も半なり、子も半なり、故に偏倚(ヘンイ)の極を以て、是を至れりと云、左図を見て悟(サト)るべし

   偏倚(ヘンイ)極りて至孝至忠なり(図)







二宮翁夜話 巻之四 終

 


 

 (注)1.本文は、岩波書店刊『日本思想大系52 二宮尊徳・大原幽學』(1973年5月
      30日第1刷発行)
によりました。(『二宮翁夜話』の校注者は、奈良本辰也氏。)
     2.凡例によれば、底本は、神奈川県立文化資料館所蔵の木版本(明治17-
     20年出版)
で、読点はほぼ底本どおりとし多少の訂正を施した、とあります。
   3. 引用に当たって、踊り字(繰返し符号)は、「々」及び「ゝ(ヽ)」「ゞ(ヾ)」
    の他はすべて普通の仮名に改めました。
   4. 本文の片仮名のルビは、( )に入れて文中に示しました。
     「自(オのづから)」「我(わガ)」のように、( )内の仮名に平仮名と片仮名が
    あるのは、底本には片仮名の「オ」「ガ」だけがルビとして示されていて、平仮
    名の「のづから」「わ」は、引用者が補ったもの、という意味です。
   5. 『二宮翁夜話』(巻之一は資料31にあります。
        『二宮翁夜話』(巻之二は資料75にあります。
        『二宮翁夜話』(巻之三は資料76にあります。
       『二宮翁夜話』(巻之五は資料78にあります。
   6.岩波文庫版の『二宮翁夜話』を底本にした「巻之一」の本文が、資料74
    
にあります。
   7.宇都宮大学附属図書館所蔵の「二宮尊徳関係資料一覧」 が、同図書
    館のホームページで見られます。
    8.小田原市のホームページに、栢山にある「小田原市尊徳記念館」の案内
    ページがあります。 
      9. 二宮町のホームページに、「二宮尊徳資料館」のページがあります。
   10. 「GAIA」 というホームページに二宮尊徳翁についてのページがあり、
    尊徳翁を理解する上でたいへん参考になります。ぜひご覧ください。
          「GAIA」 の「日記」のページの中に、『報徳要典』(舟越石治、昭和9年
    1月1日発行、非売品)を底本にした「二宮翁夜話」が収めてあり、そこで
    本文と口語訳とを読むことができます。
      また、『報徳記』を原文と口語訳で読むこともできます。
   

 

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