資料76 二宮翁夜話(巻之三)
                        


          
二宮翁夜話  巻之三          福住正兄筆記

 

七七 山内董正氏の所蔵に、左図の幅あり、翁曰、此図此説面白しといへ共、満(マン)の字の説、分明ならず、且満を持するの説、又尽(ツク)さず、論語中庸の語気とは少しく懸隔(ケンクワク)を覚う、何の書に有りや、門人曰、願(ネガハ)くは満の字の説、又満を持するの法聞く事を得べしや、翁曰、夫世の中、何を押(オサ)へてか満と云はん、百石を満といへば、五百石八百石あり、千石

      山内氏蔵幅之縮図
  
       孔子観於魯桓公之廟有欹器焉夫子
       問於守廟者曰此謂何器対曰此蓋為
       宥坐之器孔子曰吾聞宥坐之器虚則
       欹中則正満則覆明君以為至誠故常
       置之於坐側顧謂弟子曰試注水焉乃
       注之水中則正満則覆夫子喟然歎曰
       嗚呼夫物悪有満而不覆者哉子路進
       曰敢問持満有道乎子曰聡明睿智守
       之以愚功被天下守之以譲勇力振世
       守之以怯富有四海守之以謙此所謂
       損之又損之之道也

           編者曰此語荀子ノ宥坐篇ニ見ヘタ
             レド少ク異ナリ姑ク蔵幅ニ遵フ

           (お断り……「山内氏蔵幅之縮図」の訓点は、省略しました。)       

  山内氏蔵幅之縮図

を満といへば五千石七千石あり、万石を満といへば五十万石百万石あり、然れば如何なるを押へて満と定めん、是世人の惑(マド)ふ処なり、大凡書籍(シヨジヤク)に云へる処、皆此の如く云可くして、実際には行ひ難(ガタ)き事のみ、故に予は人に教ふるに、百石の者は五十石、千石の者は五百石、惣て其半にて生活を立、其半を譲(ユヅ)るべしと教(ヲシ)ふ、分限に依て其中とする処、各々異なればなり、是、允(マコト)に其中を執(ト)れ、と云へるに基(モトヅ)けるなり、此の如くなれば、各々明白にして迷(マヨヒ)なく疑(ウタガ)ひなし、此の如くに教(ヲシ)えざれば用を成さぬなり、我(わガ)教是を推譲(スイジヤウ)の道と云、則人道の極(キヨク)なり、爰(コヽ)に中なれば正しと云るに叶へり、而て此推譲に次第あり、今年の物を来年に譲(ユヅ)るも譲なり、則貯蓄(チヨチク)を云、子孫に譲るも譲るなり、則家産(カサン)増殖(ゾウシヨク)を云、其他親戚にも朋友にも譲らずばあるべからず、村里にも譲らずばあるべからず、国家にも譲らずばあるべからず、資産(シサン)ある者は確乎(クワツコ)と分度を定め法を立て能譲るべし
七八 翁又曰、世人口には、貧富(ヒンプ)驕倹(キヤウケン)を唱ふるといへども、何を貧と云ひ何を富と云ひ、何を驕と云ひ何を倹と云ふ、理を詳(ツマビラカ)にせず、天下固(モト)より大も限(カギリ)なし小も限なし、十石を貧と云へば、無禄(ロク)の者あり、十石を富といへば百石のものあり、百石を貧といへば五十石の者あり、百石を富といへば千石万石あり、千石を大と思へば世人小旗(ハタ)本といふ、万石を大と思へば世人小大名といふ、然らば、何を認(みトメ)て貧富大小を論ぜん、譬(タトヘ)ば売買の如し、物と価(アタヒ)とを較(クラ)べてこそ、下直高直を論ずべけれ、物のみにして高下を言べからず、価のみにて又高下を論ずべからざるが如し、是世人の惑ふ処なれば、今是を詳(ツマビラカ)に云べし、曰く千石の村戸数一百、一戸十石に当る、是自然の数也、是を貧にあらず富にあらず、大にあらず小にあらず、不偏(ヘン)不倚(イ)の中と云ふべし、此中に足らざるを貧と云、此中を越(コユ)るを富と云、此十石の家九石にて経営(イトナ)むを是を倹といふ、十一石にて暮(クラ)すを是を驕奢(キヨウシヤ)と云、故に予常に曰く、中は増減の源、大小兩名の生ずる処なりと、されば貧富は一村一村の石高平均度(ヘイキンド)を以て定め、驕倹(ケフケン)は一己一己の分限を以て論ずべし、其分限に依ては、朝夕膏粱(カウリヤウ)に飽き錦繡(キンシウ)を纏(マト)ふも、玉堂に起臥するも奢(オゴリ)にあらず、分限に依ては米飯も奢也、茶も烟草(タバコ)も奢也、謾(ミダリ)に驕倹(ケフケン)を論ずる事勿れ
七九 或問、推譲の論、未だ了解する事能はず、一石の身代の者五斗にて暮(クラ)し、五斗を譲(ユヅ)り、十石の者五石にて暮し、五石を譲るは、行ひ難(ガタ)かるべし、如何、翁曰、夫譲は人道なり、今日の物を明日に譲り、今年の物を来年に譲るの道を勤(ツト)めざるは、人にして人にあらず、十銭取て十銭遣ひ、廿銭取て廿銭遣ひ、宵越(ヨヒゴ)しの銭を持(モタ)ぬと云は、鳥獣(トリケモノ)の道にして、人道にあらず、鳥獣には今日の物を明日に譲り、今年の物を来年に譲るの道なし、人は然らず、今日の物を明日に譲り、今年の物を来年に譲り、其上子孫に譲り、他に譲るの道あり、雇人と成て給金を取り、其半を遣ひ其半を向来の為に譲り、或は田畑を買ひ、家を立て、蔵を立るは、子孫へ譲るなり、是世間知らず知らず人々行ふ処、則譲道なり、されば、一石の者五斗譲るも出来難(ガタ)き事にはあらざるべし、如何(イカン)となれば我為の譲なればなり、此譲は教(ヲシヘ)なくして出来安(デキヤス)し、是より上の譲は、教に依らざれば出来難(ガタ)し、是より上の譲(ユヅリ)とは何ぞ、親戚(シンセキ)朋友の為に譲るなり、郷里の為に譲るなり、猶出来難(ガタ)きは、国家の為に譲るなり、此譲も到底(トウテイ)、我が富貴を維持せんが為なれども、眼前他に譲るが故に難きなり、家産ある者は勤めて、家法を定めて、推譲を行ふべし、或問、夫譲は富者の道なり、千石の村戸数百戸あり、一戸十石なり、是貧にあらず富にあらざるの家なれば、譲らざるも其分なり、十一石となれば富者の分に入るが故に、十石五斗を分度と定め、五斗を譲り、廿石の者は同く五石を譲り、三十石の者は十石を譲る事と定めば如何、翁曰、可なり、されど譲りの道は人道なり、人と生るゝ者、譲りの道なくば有べからざるは、論を待ずといへ共、人に寄り家に寄り、老幼多きあり、病人あるあり、厄介あるあれば、毎戸法を立て、厳(ゲン)に行へと云といへ共、行るゝ者にあらず、只富有者に能教へ、有志者に能勧(スヽ)めて行はしむべし、而て此道を勤(ツトム)る者は、富貴(フウキ)栄誉(エイヨ)之に帰し、此道を勤ざる者は、富貴栄誉皆之を去る、少く行へば少く帰し、大に行へば大に帰す、予が言ふ処必違(タガ)はじ、世の富有者に能教へ度(たキ)は此譲道なり、独富者のみにあらず、又金穀(コク)のみにあらず、道も譲らずばあるべからず、畔も譲らずばあるべからず、言も譲らずばあるべからず、功も譲らずばあるべからず、二三子能勤めよ
八〇 翁曰、世人富貴を求めて止る事を知らざるは、凡俗の通病(ツウビヤウ)なり、是を以て、永く富貴を持(タモ)つ事を能(アタ)はず、夫止る処とは何ぞや、曰、日本は日本の人の止る処なり、然ば此国は、此国の人の止る処、其村は其村の人の止る処なり、されば千石の村も、五百石の村も又同じ、海辺の村山谷の村皆然り、千石の村にして家百戸あれば、一戸十石に当る、是天命、正に止るべき処なり、然るを先祖の余蔭(ヨイン)により百石二百石持居るは、有難(アリガタ)き事ならずや、然るに止る処を知らず、際限(サイゲン)なく田畑を買(カ)ひ集(アツ)めん事を願ふは、尤浅間(アサマ)し、譬(タトヘ)ば山の頂(イタヾキ)に登(ノボ)りて猶登らんと欲するが如し、己(オノレ)絶頂に在て、猶下を見ずして、上(ウヘ)而已(ノミ)を見るは、危(アヤウ)し、夫(そレ)絶頂に在て下を見る時は、皆眼下なり、眼下の者は、憐(アハレ)むべく恵むべき道理自(オのづから)あり、然る天命を有する富者にして猶己を利せん事而已を欲せば、下の者如何ぞ貪(ムサボ)らざる事を得んや、若上下互(タガヒ)に利を争(アラソ)はば、奪(ウバ)はざれば飽(アカ)ざるに到らんこと必せり、是禍(ワザハイ)の起るべき元因なり、恐(オソ)るべし、且(かツ)海浜に生れて山林を羨(ウラヤ)み、山家に住して漁業を羨(ウラヤ)む等、尤愚なり、海には海の利あり、山には山の利あり、天命に安じて其外を願ふ事勿れ
八一 矢野定直来りて、僕今日存じ寄(ヨ)らず、結構(ケツカウ)の仰(アフセ)を蒙(カウム)り有難しと云り、翁曰、卿今の一言を忘れざる事、生涯一日の如くならば、益々貴(タフト)く益々繁栄(ハンエイ)せん事疑(ウタガヒ)あらじ、卿が今日の心を以て、分度と定めて土台とし、此土台を蹈違(フミタガ)へず生涯を終(ヲハ)らば、仁なり忠なり孝なり、其成る処計(ハカ)るべからず、大凡人々事就りて、忽ち過(アヤマ)つは結構(ケツカウ)に仰(アフセ)付けられたるを、有(あリ)内の事にして、其結構を土台として、踏(フミ)行ふが故なり、其始の違ひ此の如し、其末千里の違に至る必然なり、人々の身代も又同じ、分限の外に入る物を、分内に入れずして、別に貯(タクハ)へ置(オク)時は、臨時(リンジ)物入不慮(リヨ)の入用などに、差支(サシツカヘ)ると云事は無き物なり、又売買の道も、分外の利益を分外として、分内に入れざれば、分外の損(ソン)失は無かるべし、分外の損と云は、分外の益を分内に入(いル)ればなり、故に我道は分度(ド)を定るを以て、大本とするは、是を以てなり、分度一たび定らば、譲施(ジヤウセ)の徳功、勤(ツトメ)ずして成るべし、卿今日存じ寄らず、結構(ケツカウ)に仰付られ有難しとの一言、生涯忘る事勿れ、是予が卿の為に懇祈(コンキ)する処なり
八二 翁曰、某藩(ソレノハン)某氏老臣たる時、予礼譲謙遜(ケンソン)を勧(スヽム)れども用ひず、後終に退けらる、今や困乏甚くして、今日を凌(シノ)ぐ可からず、夫(そレ)某氏は某藩、衰廃(スイハイ)危(キ)難の時に当て功あり、而して今斯の如く窮(キウ)せり、是只登用せられたる時に、分限の内にせざる過ちのみ、夫官威盛(サカ)んに富有自在の時は礼譲謙遜を尽し、官を退て後は、遊楽(ユウラク)驕奢(ケウシヤ)たるも害なし、然る時は一点(テン)の誹(ソシリ)なく、人其官を妬(ネタ)まず、進んで勤苦(キンク)し、退て遊楽するは、昼勤て夜休息するが如く、進んでは富有に任(マカ)せて遊楽驕奢に耽(フケ)り、退て節倹(セツケン)を勤るは、譬(タトヘ)ば昼休息して夜勤苦するが如し、進で遊楽すれば、人誰(タレ)か是を浦山ざらん、誰か是を妬(ネタマ)ざらん、夫雲助の重荷を負ふは、酒食を恣(ホシイマヽ)にせんが為なり、遊楽驕奢をなさんが為に、国の重職(シヨク)に居るは、雲助等が為る所に遠からず、重職に居る者、雲助の為る処に同くして、能久安を保(タモタ)んや、退けられたるは当然にして、不幸にはあらざるべし
八三 翁又曰、世に忠諫(クワン)と云もの、大凡君の好む処に随(シタガヒ)て甘言を進め、忠言に似せて実は阿諛(アユ)し、己が寵(テウ)を取らんが為に君を損(ソコ)なふ者少からず、主たる者深(フカ)く察(サツ)して是を明にせずんば有可(べカ)らず、某藩(ソレノハン)の老臣某氏曾(カツ)て植木を好で多く持てり、人あり、某氏に語て曰く、何某(ナニガシ)の父植木を好で、多く植置しを、其子漁猟(ギヨリヤウ)のみを好で、植木を愛(アイ)せず、既(スデ)に抜(ヌキ)取て捨(ステ)んとす、予是を惜(ヲシ)んで止たりと、只雑話(ザウワ)の序(ツイデ)に語れり、某氏是を聞て曰く、何某の無情甚(はなはだしイ)かな、夫(そレ)樹(ジユ)木の如き植置(おク)も何の害かあらん、然るを抜て捨るとは如何にも惜き事ならずや、彼(カレ)捨(ステ)ば我拾(ヒロ)はん、汝(ナンヂ)宜しく計(ハカラ)へと、終に己が庭に移す、是何某なりし人、老臣たる人に取入らん為の謀(ハカリゴト)にして、某氏其謀計に落し入られたる也、而て某氏何某をして、忠ある者と称し、信ある者と称す、凡此の如くなれば、節儀の人も、思はず知らず不義に陥(オチイ)るなり、興国安民の法に従事する者恐れざる可けんや
 八四 翁曰、太古交際の道、互(タガヒ)に信義を通ずるに、心力を尽(ツク)し、四体を労(ロウ)して、交を結(ムス)びしなり、如何となれば金銀貨幣(カヘイ)少きが故なり、後世金銀の通用盛んに成りて、交際の上音信贈答(ゾウトウ)皆金銀を用るより、通信自在にして便利極(キハマ)れり、是より賄賂(ワイロ)と云事起り、礼を行ふといひ、信を通ずるといひ、終に賄賂に陥(オチイ)り、是が為に曲直明ならず、法度正からず、信義廃(スタ)れて、賄賂(ワイロ)盛(サカ)んに行はれ、百事賄賂にあらざれば弁ぜざるに至る、予始て、桜町に至る、彼の地の奸(カン)民争(アラソ)ふて我に賄賂す、予塵芥(ヂンカイ)だも受ず、是より善悪邪正判然として信義貞実の者初て顕(アラハ)れたり、尤恐(オソ)るべきは此賄賂なり、卿等誓(チカヒ)て、此物に汚(ケガ)さるゝ事なかれ
八五 伊東発身、斎藤高行、斎藤松蔵、紺野織衛、荒専八等、侍坐す、皆中村藩(ハン)士なり、翁諭(サト)して曰、草を刈らんと欲する者は、草に相談するに及ばず、己が鎌(カマ)を能く研(ト)ぐべし、髭(ヒゲ)を剃(ス)らんと欲する者は、髭(ヒゲ)に相談はいらず、己が剃刀(カミスリ)を能く研(ト)ぐべし、砥(ト)に当りて、刃(ハ)の付ざる刃物が、仕舞置て刃の付し例(タメシ)なし、古語に、教(ヲシフ)るに孝を以てするは、天下の人の父たる者を敬(ケイ)する所以(ユヘン)なり、教るに悌を以てするは、天下の人の兄たる者を敬する所以なり、といへり、教るに鋸(ノコギリ)の目を立るは、天下の木たる物を伐(キ)る所以なり、教るに鎌(カマ)の刃を研(ト)ぐは、天下の草たる物を刈る所以也、鋸(ノコギリ)の目を能立れば天下に伐れざる木なく、鎌の刃を能研げば、天下に刈れざる草なし、故に鋸の目を能立れば、天下の木は伐れたると一般、鎌の刃を能研げば、天下の草は刈れたるに同じ、秤(ハカリ)あれば、天下の物の軽重(ケイジウ)は知れざる事なく、桝(マス)あれば天下の物の数量(スウリヨウ)は知れざる事なし、故に我教の大本、分度を定る事を知らば、天下の荒地は、皆開拓出来たるに同じ、天下の借財は、皆済(カイザイ)成りたるに同じ、是富国の基(キ)本なればなり、予往年貴藩の為に、此基本を確乎(クワクコ)と定む、能守らば其成る処量(ハカ)るべからず、卿等能学んで能勤めよ
八六  翁又曰、爰に物あり、売(ウ)らんと思ふ時は、飾(カザ)らざるを得ず、譬(タトヘ)ば芋大根の如きも、売らんと欲すれば、根を洗(アラ)ひ枯葉を去り、田甫にある時とは其様(サマ)を異にす、是売らんと欲する故なり、卿等此道を学(マナ)ぶとも、此道を以て、世に用ひられ、立身せんと思ふ事なかれ、世に用ひられん事を願(ネガ)ひ、立身出世を願(ネガ)ふ時は、本意に違(タガ)ひ本体を失ふに至り、夫が為に愆(アヤマ)つ者既(スデ)に数名あり、卿等が知る所なり、只能此道を学び得て、自(ミづから)能勤れば、富貴は天より来るなり、決して他に求る事勿れ、偖(サテ)古語に、富貴天にあり、と云へるを、誤解(ゴカイ)して、寝(ネ)て居ても富貴が天より来る物と思ふ者あり、大なる心得違(チガ)ひなり、富貴天に有りとは、己が所行天理に叶ふ時は、求ずして富貴の来るを云なり、誤解(ゴクワイ)する事勿れ、天理に叶ふとは、一刻も間断なく、天道の循環(ジユンクワン)するが如く、日月の運動(ウンドウ)するが如く勤(ツト)めて息(ヤマ)ざるを云なり
八七 翁曰、夫世の中に道を説たる書物、算(カゾ)ふるに暇(イトマ)あらずといへ共、一として癖(ヘキ)なくして全(マツタ)きはあらざる也、如何となれば、釈迦(シヤカ)も孔子も皆人なるが故也、経(ケイ)書といひ、経(キヤウ)文と云も、皆人の書たる物なればなり、故に予は不書の経、則(スナハチ)物言ずして四時行れ百物なる処の、天地の経文に引当て、違(タガ)ひなき物を取て、違(タガ)へるは取らず、故に予が説く処は決して違はず、夫燈皿(トウガイ)に油あらば、火は消(キヘ)ざる物としれ、火消へば油尽(ツキ)たりと知れ、大海に水あらば、地球(チキウ)も日輪(リン)も変動(ヘンドウ)なしと知れ、万一大海の水尽る事あらば、世界は夫までなり、地球も日輪も散乱(サンラン)すべし、其時までは決して違ひなき我大道なり、夫我道は、天地を以て経文とすれば、日輪に光明ある内は行れざる事なく、違ふ事なき大道なり
八八 翁曰、家屋の事を、俗に家船(ヤフネ)又家台船(ヤタイブネ)と云、面白き俗言なり、家をば実に船と心得べし、是を船とする時は、主人は船頭なり、一家の者は皆乗合(ノリア)ひなり、世の中は大海なり、然る時は、此家船に事あるも、又世の大海に事あるも、皆遁(ノガ)れざる事にして、船頭(センドウ)は勿論、此船に乗(ノ)り合たる者は、一心協(キヤウ)力此屋船を維持(イヂ)すべし、扨此屋船を維持するは、楫(カヂ)の取様と、船に穴のあかぬ様にするとの二ッが専務(センム)なり、此二ッによく気を付れば、家船の維持(イジ)疑(ウタガ)ひなし、然るに楫の取様にも、心を用ひず、家船の底(ソコ)に穴があきても、是を塞(フサガ)んともせず、主人は働(ハタラ)かずして酒を呑み、妻は遊芸(ユウゲイ)を楽(タノ)しみ、悴(セガレ)は碁(ゴ)将棋(シヨウギ)に耽(フケ)り、二男は詩(シ)を作り歌(ウタ)を読(ヨ)み、安閑として歳月を送り、終に家船をして沈没(チンボツ)するに至らしむ、歎息(タンソク)の至ならずや、縦令(タトヒ)大穴ならずとも、少しにても穴があきたらば、速(スミヤカ)に乗合一同力を尽(ツク)して、穴を塞(フサ)ぎ、朝夕ともに穴のあかざる様に、能々心を用ゆべし、是此乗合の者の肝要(カンヨウ)の事なり、然るに既(スデ)に、大穴明きて猶、是を塞(フサガ)んともせず、各々己が心の儘(マヽ)に安閑と暮(クラ)し居て、誰(タレ)か塞(フサ)いで呉(ク)れそふな物だと、待て居て済(スム)べきや、助け船をのみ頼(タノ)みにして居て済(スム)べきや、船中の乗合ひ一同、身命をも抛(ナゲウチ)て働(ハタラ)かずば、あるべからざる時なるをや
八九 某村に貧人の若者あり、困窮(コンキウ)甚しといへ共、心掛宜し、曰、我(わガ)貧窮は宿世の因なるべし、是余儀(ヨギ)なき事なり、何卒して、田禄(ロク)を復古し、老父母を安ぜんと云て、昼夜農事を勉強(ベンキヤウ)せり、或人両親の意なりとて、嫁(ヨメ)を迎(ムカヘ)ん事を勧(スヽ)む、某曰、予至愚且無能(ムノウ)無芸(ムゲイ)、金を得るの方を知らず、只農業を勉強(ベンキヨフ)するのみ、仍て考(カンガフ)るに、只妻(ツマ)を持つ事を遅(オソ)くするの外、他に良策(リヨウサク)無しと決定せりと云て、固辞(コジ)す、翁是を聞て曰、善哉(ヨイカナ)其志や、事を為さんと欲する者は勿論、一芸(ゲイ)に志す者といへ共、是を良策とすべし、如何となれば人の生涯(ガイ)は限(カギ)りあり、年月は延(ノバ)す可らず、然ば妻を持(モツ)を遅(オソ)くするの外、益(エキ)を得るの策(サク)はあらざるべし、誠に善き志なり、神君の遺訓(イクン)にも、己が好む処を避(サ)けて、嫌(キラ)ふ処を専ら勤(ツト)むべし、とあり、我(わガ)道は尤(もつとモ)此の如き者を賞(シヨウ)すべし、等閑(ナホザリ)に置く可からず、世話掛たる者心得あるべし、夫世の中好む事を先にすれば、嫌(キラ)ふ処忽(タチマチ)に来る、嫌(キラ)ふ処を先にすれば、好む処求(モトメ)ずして来る、盗(ヌスミ)をなせば追手が来り、物を買(カ)へば代銀を取りに来る、金を借用すれば返済の期が来り、返さゞれば差紙が来る、是眼前の事なり
九〇 門人某、過(アヤマチ)て改る事あたはざるの癖(クセ)あり、且(かツ)多弁(タベン)にして常に過を飾(カザ)る、翁諭(サト)して曰、人誰か過(アヤマチ)なからざらん、過と知らば、己に反求(ハンキウ)して速(スミヤカ)に改る、是道なり、過て改ずして、其過を飾り且(かツ)押張るは、知に似たり勇に似たりといへ共、実は智にあらず勇にあらず、汝は之を知勇と思へども、是は是(こレ)愚且(かツ)不遜(ソン)といふ物にして、君子の悪む処なり、能改めよ、且(かツ)若年の時は言行共に能心を付べし、嗚呼馬鹿な事を為したり、為なければよかりし、言なければよかりし、と云様なる事のなき様に心掛けべし、此事なければ富貴其中にあり、戯(タワムレ)にも偽を云事勿れ、偽言より大害を引起し、一言の過より、大過を引出す事、往々あり、故に古人禍(ワザハイ)は口より出づと云り、人を誹(ソシ)り人を云落(オト)すは不徳なり、仮令(タトヒ)誹(ソシ)りて至当の人物なりとも、人を誹るは宜しからず、人の過を顕(アラハ)すは、悪事なり、虚(キヨ)を実に云ひなし、鷺(サギ)を烏(カラス)と云ひ、針(ハリ)程の事を、棒(ボウ)程に云は大悪なり、人を褒(ホム)るは善なれ共、褒(ホメ)過すは直道にあらず、己が善を人に誇(ホコ)り、我長を人に説(トク)は尤悪し、人の忌嫌(イミキラ)ふ事は、必云事勿れ、自(ミづから)禍の種子を植(ウヘ)るなり、慎(ツヽシ)むべし
九一 翁の歌に「むかしより人の捨(ステ)ざるなき物を拾(ヒロ)ひ集めて民に与(アタ)へん」とあるを、山内董正氏見て、是は人の捨(ステ)たると云べしと云り、翁曰、然る時は人捨ざれば拾(ヒロ)ふ事あたはず、甚狭(セバ)し、且(かツ)捨たるを拾(ヒロ)ふは僧侶(ソウリヨ)の道にして、我道にあらず、古歌に「世の人に欲(ヨク)を捨よと勧(スヽ)めつゝ跡(アト)より拾ふ寺の住職」と云り、呵々、董正氏曰、捨(ステ)ざる無き物とは如何、翁曰、世の中人の捨(ステ)ざる物にして無き物至て多し、挙(アゲ)て数(カゾ)ふ可からず、第一に荒地、第二に借金の雑費(ザツピ)と暇潰(ヒマツブ)し、第三に富人のえ驕奢(キヨウシヤ)、第四に貧人の怠惰(タイダ)等なり、夫荒地の如きは、捨たる物の如くなれども、開かんとする時は、必(かならズ)持主ありて容易(ヨウヒ)に手を付くべからず、是無き物にして、捨たる物にあらず、又借金の利息借替成替の雑費(ザツピ)、又同じ類(ルイ)なり、捨るにあらずして、又無き物なり、其外富者の驕奢(キヨウシヤ)の費(ツイヘ)、貧者の怠惰(タイダ)の費、皆同じ、世の中此の如く、捨るにあらずして廃(スタ)れて、無(ム)に属(ゾク)するもの幾等(イクラ)もあるべし、能(ヨク)拾ひ集めて、国家を興(オコ)す資本とせば、普(アマネ)く済(スク)ふて、猶余あらん、人の捨ざる無き物を、拾ひ集(アツム)るは、我幼年より勤る処の道にして、今日に至る所以なり、則我仕法金の本根なり、能心を用ひて拾ひ集めて世を救ふべし
九二  翁曰、我道は、荒蕪(クワウブ)を開くを以て勤(ツトメ)とす、而て荒蕪に数種あり、田畑実に荒(ア)れたるの荒地あり、又借財嵩(カサ)みて、家禄(カロク)を利足の為に取られ、禄ありて益(エキ)なきに至るあり、是国に取て生地にして、本人に取て荒地なり、又薄(ハク)地麁(ソ)田、年貢高掛(カヽ)り丈(だケ)の取実のみにして、作益なき田地あり、是上の為に生地にして、下の為に荒地なり、又資産(シサン)あり金力ありて、国家の為をなさず、徒(イタヅラ)に驕奢(ケフシヤ)に耽(フケ)り、財産(ザイサン)を費(ツイヤ)すあり、国家に取て尤大なる荒蕪なり、又智あり才ありて、学問もせず、国家の為も思はず、琴棋(キンキ)書画などを弄(ロウ)して、生涯(ガイ)を送(オク)るあり、世の中の為尤惜(ヲシ)むべき荒蕪なり、又身体強壮(キヤウソウ)にして、業を勤(ツト)めず、怠惰(タイダ)博奕(バクエキ)に日を送るあり、是又自他(ジタ)の為に荒蕪なり、此数種の荒蕪の内、心田荒蕪の損(ソン)、国家の為に大なり、次に田畑山林の荒蕪なり、皆勤て起(オコ)さずばあるべからず、此数種の荒蕪を起して、悉(コトゴト)く国家の為に供するを以て、我道の勤とす、「むかしより人の捨ざる無き物を拾集めて民にあたへん」、是予が志なり
九三 翁曰、孝経(コウキヨウ)に、孝弟の至は神明に通じ、四海に光り曁(オヨ)ばざる処なし、又東より西より、南より北より、思て服せざる事なしと、此語俗儒(ゾクジユ)の説何の事とも解(カイ)し難し、今解し易く引下して云はゞ、夫孝は、親恩に報(ムク)うの勤なり、弟は、兄の恩に報うの勤(ツトメ)なり、凡て世の中は、恩の報はずばあるべからざるの道理を能(ヨク)弁知すれば、百事心の儘(マヽ)なる者なり、恩に報うとは、借りたる物には利を添て返して礼をいひ、世話に成た人には能謝儀(シヤギ)をし、買(カ)ひ物の代をば速(スミヤカ)に払(ハラ)ひ、日雇(ヨウ)賃(チン)をば日々払ひ、総(スベ)て恩を受たる事を、能考へて能報(ムク)う時は、世界の物は、実に我物の如く何事も欲する通り、思ふ通りになる、爰(コヽ)に到(イタリ)て、神明に通じ、四海に光り、西より東より、南より北より、思として服(フク)せざる事なしとなるなり、然るに、ある歌に「三度たく飯さへこはしやはらかし思ふまゝにはならぬ世の中」と云り、甚(ハナハダ)違(タガ)へり、是勤(ツトム)る事も知らず働(ハタラ)く事もせず、人の飯(メシ)を貰(モラ)ふて食ふ者などの詠(ヨメ)るなるべし、夫(そレ)此世の中は前に云るが如く、恩(オン)に報(ムク)う事を厚く心得れば、何事も思ふまゝなる物なり、然るを思ふ儘(マヽ)にならぬと云は、代を払(ハラハ)ずして品(シナ)を求(モト)め、蒔(マカ)ずして、米を取らんと欲すればなり、此歌初句を「おのがたく」と直して、我身の事にせば可ならんか
九四 翁曰、子貢曰、紂(チウ)の不善此の如く甚(ハナハダ)しからず、是(コレ)を以て君子は下流に居るを悪(ニク)む、天下の悪(アク)皆帰(キ)す、とあり、下流に居るとは、心の下れる者と共に居るを云、夫紂(チウ)王も天子の友とすべき者、則上流の人をのみ友となし居らば、国を失ひ悪名を得る事も有るまじきに、婦女子佞悪(ネイアク)者のみを友となしたる故に、国亡(ホロ)びて悪是に帰(キ)したり、只紂王のみ然るにあらず、人々皆然り、常に太鼓持(コモチ)や、三味線(ミセン)引などゝのみ交り居らば、忽(タチマ)ち滅(メツ)亡に至るは必定、夫も御尤是も御尤と、錆付(サビツク)者のみと交らば、正宗の名刀といへども腐(クサ)れて用立ざるに至らん、子貢はさすが、聖門(セイモン)の高弟なり、紂の不善此の如く甚しからずといひ、是を以て君子は下流に居る事を悪むと教(オシ)へたり、必紂(チウ)が不善も、後世伝(ツタ)ふるが如く甚しきにはあらざるなるべし、汝等(ナンヂラ)自戒めて下流に居る事なかれ
九五 翁曰、堯(ギヨウ)仁を以て天下を治む、民歌て曰、井を掘て以て飲み、田を耕して以て喰ふ、帝の力何ぞ我に有らんやと、是堯の堯たる所以にして、仁政天下に及んで跡(アト)なきが故なり、子産の如きに至ては、孔子、恵人といへり
九六 翁曰、論語に、孔子に問ふ時、孔子知らずと答(コタ)ふる事しばしばあり、是は知らざるにあらず、教(ヲシ)ふべき場合ひにあらざると、教ふるも益なき時となり、今日金持の家に借用を云込(コム)に、先方にて折悪(ヲリアシ)く金員なしと云に、同じ場合ひなり、知らずと云に大なる味(アヂハ)ひあり、能味ひて其意を解すべし
九七 翁曰、哀公問ふ、年饑(ウヘ)て用足らず是を如何、有若答(コタヘ)て曰、何ぞ徹(テツ)せざるやと、是面白(オモシロ)き道理なり、予常に人を諭(サト)す、一日十銭取て足らずんば、九銭取るべし、九銭取て足らずんば、八銭取るべしと、夫人の身代は多く取れば益々不足を生じ、少く取りても、不足なき物なり、是理外の理なり
九八 翁曰、君子は、食(シヨク)飽(アカ)ん事を求(モトム)る事なく、居(キヨ)安(ヤス)からん事を求る事なし、仕事は骨(ホネ)を折り、無益(ムエキ)の言は云ず、其上に有道に就(ツイ)て正す、余程(ヨホド)誉(ホム)るならんと思ひしに、学(ガク)を好むと云べきのみとあり、聖人の学は厳(ゲン)なる物なり、今日の上にいはゞ、酒は呑ず仕事は稼(カセ)ぎ、無益の事は為さず、是通常の人なり、と云へるが如し
九九 翁曰、儒(ジユ)に大極無極の論(ロン)あれど、思慮(シリヨ)の及ぶを大極と云ひ、思慮の及ばざるを無極と云へるのみ、思慮及ずとて、無と云べからず、遠海(エンカイ)波なし遠山木なしと云へど、無きにあらず、我眼力の及ばざるなり、是に同じ
一〇〇 翁曰、大学に、安じて而て后(ノチ)能慮(オモンパカ)り、慮りて而て后能得(ウ)、とあり、真(マコト)に然るべし、世人は大体苦し紛(マギ)れに、種々の事を思ひ謀(ハカ)る故に、皆成らざるなり、安じて而て后に能慮りて、事を為さば、過(あやまチ)なかるべし、而て后に能得ると云る、真に妙なり
 一〇一 翁曰、才智勝(スグ)れたる者は、大凡道徳に遠(トホ)き物なり、文学あれば申韓(シンカン)を唱(トナ)へ、文学なければ三国志太閤(カウ)記を引く、論語中庸(ヨウ)などには一言も及ばざる物なり、如何となれば、道徳の本理は才智にては解(ゲ)せぬものなればなるべし、此流の人は必行(オコナ)ひ安(ヤス)き中庸(ヨウ)を難(カタ)しと為る物なり、中庸に、賢(ケン)者は之に過(ス)ぐ、とあり、うべなり、凡世人は、太閤記三国誌等の俗書を好(コノ)めども、甚宜(ヨロ)しからず、さらでだに争気(サウキ)盛(サカ)んに、偽(ギ)心萌(キザ)し初る若輩の者に、かゝる書を読(ヨ)ましむるは悪し、世人太閤記三国誌等を能読めば、怜利(レイリ)になるなどゝ云は誤(アヤマリ)なり、心すべし
一〇二 翁曰、仏者も釈迦(シヤカ)が有難(ガタ)く思はれ、儒(ジユ)者も孔子が尊(タフト)く見ゆる内は、能修行すべし、其地位に至る時は、国家を利益し、世を救(スク)ふの外に道なく、世の中に益ある事を勤るの外に道なし、譬(タトヘ)ば山に登(ノボ)るが如し、山の高く見ゆる内は勤(ツト)めて登るべし、登り詰(ツム)れば外に高き山なく、四方共に眼下なるが如し、此場(バ)に至て、仰(アホ)ぎて弥々高きは只天のみなり、此処まで登(ノボ)るを修行と云、天の外に高き物ありと見ゆる内は勤めて登(ノボ)るべし学ぶべし
一〇 翁曰、何程勉強(ベンキヤウ)すといへ共、何程倹約(ケンヤク)すといへ共、歳暮に差支(ツカヘ)る時は、勉強(ベンキヤウ)も勉強にあらず、倹約(ケンヤク)も倹約にあらず、夫先(サキン)ずれば、人を制(セイ)し、後(オク)るれば、人に制せらるといふ事あり、倹約も先(さきン)ぜざれば、用をなさず、後(オク)る時は無益(エキ)なり、世の人此理に暗(クラ)し、譬(タトヘ)ば千円の身代、九百円に減(ヘ)ると、先(まヅ)一年は他借を以て暮す、故に又八百円に減るなり、此時初て倹約して、九百円にて暮す故に、又七百円に減る、又改革(クワイカク)をして、八百円にて暮す、年々此の如くなる故、労(ロウ)して功なく、終(ツイ)に滅(メツ)亡に陥(オチイ)るなり、此時に至て、我(わレ)不運(ウン)なりなどゝ云、不運なるにあらず、後(オク)るゝが故に、借金に制(セイ)せられしなり、只此一挙(キヨ)、先(さきン)ずると後(オク)るゝとの違(タガ)ひにあり、千円の身代にて九百円に減らば、速(スミヤカ)に八百円に引去て暮しを立つべし、八百円に減らば、七百円に引去るべし、之(コレ)ヲ先(さきン)ずると云なり、譬(タトヘ)ば難治(ナンヂ)の腫物(シユモツ)の出来たる時は、手にても足にても断然(ダンゼン)切て捨(スツ)るが如し、姑息(コソク)に流れ因循(インジユン)する時は、終(ツイ)に死に至り悔(クヒ)て及ばざるに至る、恐るべし
一〇四 翁曰、国家の盛衰(セイスイ)存亡は、各々利を争(アラソ)ふの甚(ハナハダ)しきにあり、富者は足る事をしらず、世を救(スク)ふ心なく、有るが上にも願(ネガ)ひ求めて、己が勝手(カツテ)のみを工夫し、天恩も知らず国恩も思はず、貧者は又何をかして、己を利せんと思へ共、工夫あらざれば、村費(ソンピ)の納む可きを滞(トヾコホ)り、作徳の出すべきを出さず、借(カ)りたる者を返(カヘ)さず、貧富共に義(ギ)を忘れ、願(ネガヒ)ても祈(イノリ)ても出来難(ガタ)き工夫(クフフ)のみをして、利を争(アラソ)ひ、其見込の外(ハヅ)れたる時は身代限りと云、大河のうき瀬(セ)に沈(シヅ)むなり、此大河も覚悟して入る時は、溺(オボ)れ死するまでの事はなき故、又浮(ウカ)み出る事も向ふの岸(キシ)へ泳(オヨ)ぎ付事も、あるなれども、覚悟(カクゴ)なくして、此川に陥(オチイ)る者は、再浮(ウカ)み出る事出来ず、身を終(オフ)るなり、愍(アハレ)む可し、我教は世上かゝる悪弊(アクヘイ)を除(ノゾ)きて、安楽の地を得せしむるを勤とす
一〇五 翁曰、天下国家、真の利益(リエキ)と云ものは、尤利の少き処にある物なり、利の多きは、必真利にあらず、家の為土地の為に、利を興(オコ)さんと思ふ時は、能思慮(シリヨ)を尽すべし
一〇六 翁曰、財(ザイ)宝を産(ウミ)出して、利を得るは農工なり、財宝を運転(ウンテン)して、利を得(ウ)るは商人なり、財宝を産出し、運転(ウンテン)する農工商の大道を、勤(ツトメ)ずして而て、富有を願(ネガ)ふは、譬(タトヘ)ば水門を閉(トヂ)て、分水を争(アラソ)ふが如し、智者のする処にあらざるなり、然るに世間智者と呼(ヨバ)るゝ者のする処を見るに、農工商を勤(ツトメ)ずして、只小智(チ)猾(カツ)才を振(フルフ)て、財宝を得んと欲する者多し、誤(アヤマ)れりと云べし、迷(マヨ)へりと云べし
一〇七 翁曰、千円の資(シ)本にて、千円の商法をなす時は、他より見て危(アヤウ)き身代と云なり、千円の身代にて、八百円の商法をする時は、他より見て小なれど堅(カタ)き身代と云、此堅き身代と云はるゝ処に、味(アヂハヒ)あり益(エキ)あるなり、然るを世間百円の元手にて、弐百円の商法をするを、働(ハタラ)き者と云へり、大なる誤謬(ゴビヤウ)と云べし
一〇八 翁曰、常人の情願(ジヤウグワン)は、固(モト)より遂(トグ)べからず、願(ネガヒ)ても叶(カナ)はざる事を願へばなり、常人は皆金銭の少きを憂(ウレ)ひて、只多からん事を願ふ、若金銭をして、人々願ふ処の如く多からしめば、何ぞ砂石と異(コトナ)らんや、斯の如く金銭多くば、草鞋(ハラジ)一足の代、銭一把(ハ)、旅泊一夜の代、銭一背負(セオヒ)なるべし、金銭の多きに過(スグ)るは、不弁利(フベンリ)の到(イタリ)と云べし、常人の願望(グワンマウ)は、斯の如き事多し、願ても叶はず、叶ふて益なき事なり、世の中は金銭の少きこそ、面白けれ
一〇九 翁曰、仏説面白し、今近く譬(タトヘ)を取て云はゞ、豆の前世は草なり、草の前世は豆なり、と云が如し、故に豆粒に向へば、汝は元草の化身なるぞ、疑(ウタガハ)しく思はゞ、汝(ナンヂ)が過去を説て聞せん、汝(ナンヂ)が前世は草にして、某(ソレノ)国某の村某が畑に生れて、雨風を凌ぎ炎暑(エンシヨ)を厭ひ草に覆(オホ)はれ、兄弟を間(マ)引れ、辛苦(シンク)患難(クワンナン)を経て、豆粒となりたる汝なるぞ、此畑主の大恩を忘れず、又此草の恩を能(ヨク)思ひて、早く此豆粒の世を捨て元の草となり、繁茂(ハンモ)せん事を願へ、此豆粒の世は、仮(カリ)の宿りぞ、未来の草の世こそ大事なれと云が如し、又草に向へば汝が前世は種なるぞ、此種の大恩に依て、今草と生れ、枝を発し葉を出し肥を吸(ス)ひ露(ツユ)を受け、花を開くに至れり、此恩を忘(ワス)れず、早く未来の種を願(ネガ)へ、此世は苦の世界にして、風雨寒暑の患(ウレヒ)あり、早く未来の種となり、風雨寒暑を知らず、水火の患もなき土蔵の中に、住する身となれと云が如し、予仏道を知らずといへ共、大凡此の如くなるべし、而て世界の百草、種になれば生ずる萌(キザシ)あり、生れば育つ萌(キザシ)あり、育(ソダ)てば花咲く萌(キザシ)あり、花さけば実を結ぶ萌あり、実(ミ)を結(ムス)べば落る萌あり、落れば又生ずる萌あり、是を不止不転(テン)循環(ジユンクワン)の理と云
一一〇 宮原瀛洲(ヱイシウ)、問曰、一休の歌に「坐禅(ザゼン)する祖師の姿は加茂川にころび流るゝ瓜か茄子か」とあり、歌の意如何、翁曰、是は盆祭済(スミ)て精霊棚(シヨウリヤウダナ)を川に流すを見てよめるなるべし、歌の意は、坐禅する僧を嘲(アザケ)るに似たれども、実は大に誉(ホメ)たるなり、瓜茄子(ナス)の川に流れゆくを見よ、石に当り岩に触(フ)れても、障(サハ)りなく痛(イタ)みなく、沈(シヅ)むといへ共、忽(タチマチ)浮(ウカ)み出で沈(シヅ)む事なし、是を如何なる世の変遷(ヘンセン)に遭遇(ソウグウ)するも、仏者の障(サハ)りなく滞(トヾコホ)りなきを誉(ホメ)て、世上の人の、世変の為に浮瀬(ウキセ)に沈(シヅ)むを賤しめ、且(かツ)此世のみならず、来世の事をも含(フク)ませたるなるべし、夫鎌倉(カマクラ)を見よ、源家も亡び、北条も上杉も亡びて、今跡形(アトカタ)もなけれど、其代に建立せる建長(ケンテフ)円覚(ヱンカク)光明の諸寺は、現に今存在せり、則此意なり、仏は元より世外の物なるが故に、世の海の風波には浮沈せず、と云道理をよめる歌にして別の意あるにはあらざるべし
一一一 翁曰、天に暴(バウ)風雨あり、是を防(フセ)がんが為に、四壁(ヘキ)に大木を植(ウ)え、水勢(セイ)の向ふ堤(ツヽミ)には、牛枠(ワク)に蛇籠(ジヤカゴ)を設け、海岸(ガン)に家あれば、乱杭(ラングイ)に柵(シガラミ)を掛(カ)く、是皆平日は無用の物なれども、暴風雨あらん時の為に、費用を惜(オシマ)ずして修理(シユリ)するなり、夫天地にのみ暴(バウ)風雨あるにあらず、往年大磯駅、其他所々に起りし暴徒乱民は、則土地の暴風雨なり、此暴風雨は必其地の大家に強(ツヨ)く当(アタ)る事、大木に風の強く当るが如し、地方豪家(ガウカ)と呼(ヨバ)るゝ者、此暴徒の防(フセ)ぎを為さゞるは危(アヤウ)からずや、瀛洲(ヱイシウ)問て曰、此予防(ヨバウ)の法方如何、翁曰、平日心掛けて米金を蓄(タクハ)へ、非常災害あらんとする時、是を施与するの外、道なし、敢(アヘ)て問、此予防(ヨバウ)に備(ソナ)ふる金員、其家の分限に依るといへ共、大凡何程位備へて相当なるべきや、翁曰、其家々に取りて第一等の親類一軒の交際費丈(だケ)を、年々此予防(ヨバウ)の為と、別途にして米麦稗(ヒヘ)粟(アハ)等を蓄(タクハ)へ置て、慈善(ジゼン)の心を表(アラハ)さば必免(マヌカ)るべし、然りといへ共、是はこれ暴徒の予防のみ、慈善(ジゼン)に非ず、譬(タトヘ)ば雨天の時、傘(カラカサ)をさし蓑(ミノ)を着(キ)るに同じ、只ぬれざらんが為のみ
一一二 翁曰、暴(バウ)風に倒(タフ)れし松は、雨露(ウロ)入にて既(スデ)に、倒(タフ)れんと為る処の木なり、大風に破(ヤブ)れし籬(マガキ)も、杭(クヒ)朽繩(クチナハ)腐(クサ)れて、将(マサ)に破(ヤブ)れんとする処の籬(マガキ)なり、夫風は平等均(キン)一に吹く物にして、松を倒さんと殊更(コトサラ)に吹にあらず、籬(マガキ)を破(ヤブ)らんと、分て吹に非らねば、風なくとも倒るべきを、風を待て倒れ破れたるなり、天下の事皆然り、鎌倉(カマクラ)の滅(メツ)亡も、室町の亡滅も、人の家の滅却(メツキヤク)も皆同じ
一一三 翁曰、夫此世界咲花は必ちる、散(チ)るといへ共、又来る春は必花さく、春生ずる草は必秋風に枯る、枯るといへ共、又春風に逢(ア)ヘば必生ず、万物皆然り、然れば無常と云も無常に非ず、有常と云も有常に非ず、種(タネ)と見る間に草と変じ、草と見る間に花を開き、花と見る間に実となり、実と見る間に、元の種となる、然れば種と成りたるが本来か、草と成りたるが本来か、是を仏に不止不転の理と云ひ、儒に循環(ジユンカン)の理と云、万物皆この道理に外(ハヅ)るゝ事はあらず
一一四 翁曰、儒に、至善に止るとあり、仏に、諸善奉行と云り、然れども其善と云物、如何なる物ぞと云ふ事、慥(タシカ)ならぬ故に、人々善を為す積(ツモ)りにて、其為す処皆違(タガ)へり、夫元善悪は一円也、盗人(ヌスビト)仲間にては、能盗(ヌス)むを善とし、人を害しても盗(ヌス)みさへすれば善とするなるべし、然に、世法は盗を大悪とす、其懸隔(ケンカク)此の如し、而て天に善悪あらず、善悪は、人道にて立たる物なり、譬(タトヘ)ば草木の如き、何ぞ善悪あらんや、此人体よりして、米を善とし、莠(ハグサ)を悪とす、食物になると、ならざるとを以てなり、天地何ぞ此別ちあらん、夫莠草(ハグサ)は、生るも早く茂(シゲ)るも早し、天地生々の道に随(シタガ)ふ事、速(スミヤカ)なれば、是を善草と云も不可なかるべし、米麦の如き、人力を借りて生ずる物は、天地生々の道に随ふ事、甚(はなはダ)迂闊(ウカツ)なれば、悪草と云も不可なかるべし、然るに只食ふべきと、食ふ可からざるとを以て、善悪(ゼンアク)を分つは、人体より出たる、癖(ヘキ)道にあらずして何ぞ、此理を知らずばあるべからず、夫上下貴賤(キセン)は勿論、貸(カ)す者と借(カ)る者と、売(ウ)る人と買(カ)ふ人と、又人を遣(ツカ)ふ者、人に遣(ツカ)はるゝ者に引当て、能々思考すべし、世の中万般の事皆同じ、彼(カレ)に善なれば是(コレ)に悪(ア)しく、是に悪きは彼によし、生を殺(コロ)して喰(ク)ふ者はよかるべけれど、喰(ク)はるゝ物には甚悪(ア)し、然といへ共、既(スデ)に人体あり、生物を喰はざれば、生を遂(トグ)る事能はざるを如何せん、米麦蔬菜(ソサイ)といへ共、皆生物にあらずや、予此理を尽し「見渡せば遠き近きは無かりけり己(オノレ)々が住処(スミド)にぞある」と詠るなり、され共、是は其理を云るのみ、夫人は米食(コメク)ひ虫なり、此米食虫の仲間にて、立たる道は、衣食住になるべき物を、増殖(ゾウシヨク)するを善とし、此三ッの物を、損害(ソンガイ)するを悪と定む、人道にて云処の善悪は、是を定規とする也、此に基(モトヅ)きて、諸般人の為に便利(ベンリ)なるを善とし、不便利なるを悪と立し物なれば、天道とは格別(カクベツ)なる事論を待(マタ)ず、然といへども、天道に違(タガ)ふにはあらず、天道に順(シタガ)ひつゝ違(タガ)ふ処ある道理を知らしむるのみ
一一五 翁曰、世の中、用をなす材木は、皆四角なり、然といへ共、天、人の為に四角なる木を生ぜず、故に満(マン)天下の山林に、四角なる木なし、又皮もなく骨(ホネ)もなく、鎌鉾(カマボコ)の如く半片(ペン)の如き魚(ウオ)あらば、人の為弁利(ベンリ)なるべけれど、天是を生ぜず、故に、漫々(マンマン)たる大海に、斯の如き魚一尾もあらざるなり、又籾(モミ)もなく糠(ヌカ)もなく、白米の如き米あらば、人世此上もなき益(エキ)なれ共、天是を生ぜず、故に全国(ゼンコク)の田地に、一粒(ツブ)も此米なし、是を以て、天道と人道と異(コトナ)る道理を悟(サト)るべし、又南瓜(カボチヤ)を植(ウヘ)れば必蔓(ツル)あり、米を作れば必藁(ワラ)あり、是又自然の理也、夫糠(ヌカ)と米は、一身同体なり、肉(ニク)と骨(ホネ)も又同じ、肉多き魚(ウオ)は骨(ホネ)も大なり、然るを糠(ヌカ)と骨とを嫌(キラ)ひ、米と肉とを欲(ホツ)するは、人の私心なれば、天に対(タイ)しては申訳(モウシワ)けなかるべし、然といへども、今まで喰(ク)ひたる飯(メシ)も餧(ス)へれば喰ふ事の出来ぬ人体なれば、仕方なし、能々此理(リ)を弁明(ベンメイ)すべし、此理を弁明(ベンメイ)せざれば、我道は了解(リヤウカイ)する事難(カタ)く行ふ事難(カタ)し
一一六 翁曰、「咲ばちりちれば又さき年毎(トシゴト)に詠(ナガ)め尽(ツキ)せぬ花の色々(イロイロ)」、困窮(コンキウ)に陥(オチイ)り、如何ともすべき様(ヤウ)なくて、売(ウリ)出す物品を、安ひ物だと悦(ヨロコ)んで買(カ)ひ、又不運(フウン)極(キハマ)り拠(ヨリドコロ)なく、家を売て裏店(ウラダナ)へ引込めば、表店(オモテダナ)へ出て目出度と悦ぶ者、絶(タヘ)ずある世の中なり、「増減(ゾウゲン)は器(ウツハ)傾(カタム)く水と見よこちらに増(マ)せばあちらへるなり」、物価の騰貴(トウキ)に、大利を得る者あれば、大損(ソン)の者あり、損をして悲(カナ)しむあれば、利を得て悦(ヨロコ)ぶ者あり、苦楽(クラク)存亡(ソンバウ)栄辱(エイジヨク)得失(トクシツ)、こちらが増(マ)すとあちらの減(ヘ)るとの外になし、皆是自他を見る事能はざる半人足の、寄合(ヨリア)ひ仕事なり、「喰へばへり減(ヘ)れば又喰ひいそがしや永き保(タモ)ちのあらぬ此身ぞ」、屋根は銅板(アカヾネイタ)で葺(フ)き、蔵(クラ)は石で築(キヅ)くべけれ共、三度の飯(メシ)を一度に喰ひ置く事は出来ず、やがて寒(サムサ)が来るとて、着物を先に着(キ)て置(オ)くと云事も出来ぬ人身なり、されば長くは生られぬは天命なり、「腹(ハラ)くちく喰(ク)ふてつきひく女子等は仏(ホトケ)にまさる悟(サトリ)なりけり」、我(わガ)腹(ハラ)に食満(ミツ)れば寝(ネ)て居るは、犬猫(イヌネコ)を始(ハジメ)心無き物の常情なり、然るに食事を済ますと、直に明日喰ふべき物を拵(コシ)らへるは、未来の明日の大切なる事を能悟(サト)る故なり、此悟(サトリ)こそ人道必用の悟なれ、此の理を能悟れば、人間は夫にて事足るべし、是(こレ)我教、悟道の極意なり、悟道者流の悟(サト)りは、悟るも悟(サトラ)ざるも、知るも知らざるも、共に害(ガイ)もなし益(エキ)もなし、「我といふ其大元を尋(タヅヌ)れば食ふと着(キ)るとの二つなりけり」、人間世界の事は政事(セイジ)も教法も、皆此二つの安全を計る為のみ、其他は枝葉のみ潤色(ジユンシヨク)のみ
一一七 翁曰、世の中、とかく増減(ゾウゲン)の事に付、さわがしき事多かれど、世上に云増減と云物は、譬(タトヘ)ば水を入たる器(ウツハ)の、彼方(カナタ)此方(コナタ)に傾(カタム)くが如し、彼方増せば此方へり、此方増せば彼方減るのみ、水に於ては増減ある事なし、彼方にて田地を買て悦(ヨロコ)べば、此方に田地を売て歎(ナゲ)く者あり、只、彼方此方の違(タガ)ひあるのみ、本来増減なし、予が歌に「増減は器(ウツハ)傾(カタム)く水と見よ」と云る通り也、夫我道の尊(タフト)む増殖(ゾウシヨク)の道は夫と異也、直(タヾチ)に天地の化育を賛成(サンセイ)するの大道にして、米五合にても、麦一升にても、芋(イモ)一株にても、天つ神の積置(ツミオカ)せらるゝ無尽蔵(ムジンザウ)より、鍬(クハ)鎌(カマ)の鍵(カギ)を以て此世上に取出す大道なり、是を真の増殖(ゾウシヨク)の道と云、尊むべし務(ツト)むべし、「天つ日の恵(メグミ)積置(ツミオク)無尽蔵鍬(クワ)でほり出せ鎌(カマ)でかりとれ」
一一 翁曰、夫日月清明(セイメイ)、風雨(フウウ)順時(ジユンジ)を祈(イノ)るの念は、天下の祈願(キグワン)所の神官僧侶は、忘(ワス)るゝ時多かるべし、入作小作の作徳を頼(タノ)みに、生活(セイクワツ)を立る、賤女(シヅノメ)賤男(シヅノオ)に至ては、苗代(ナハシロ)の時より刈収(カリオサム)る日までは、片時も忘るゝ暇(ヒマ)あるべからず、其情、実に憐(アハレ)むべし、予此情を、歌に述(ノベ)んと思へども、意を尽(ツク)す事あたはず、言葉(コトバ)足(タ)らざれば、聞(キコ)え難(ガタ)からんか、「諸共(モロトモ)に無事(ブジ)をぞ祈(イノ)る年毎(トシゴト)に種(タネ)かす里の賤女(シヅメ)賤(シヅ)の男(オ)」
一一九 翁曰、善因(ゼンイン)には善果(クワ)あり、悪因には悪果を結(ムス)ぶ事は、皆人の知る処なれども、目前に萌(キザ)して、目前に顕(アラハ)るゝ物なれば、人々能恐(オソ)れ能謹(ツヽシ)みて、善種を植(ウ)え悪種を除(ノゾ)くべきなれども、如何せん、今日蒔(マ)く種の結果(ケツクワ)は、目前に萌(キザ)さず、目前に現(アラハ)れずして、十年廿年乃至四十年五十年の後に現(アラハ)るゝ物なるが故に、人々迷(マヨ)ふて懼(オソ)れず、歎(ナゲカ)はしき事ならずや、其上に又前世の宿縁(シユクヱン)あり、如何ともすべからず、是世の人の迷(マヨヒ)の元根なり、然れ共、世の中万般の事物、元因あらざるはなく、結果(ケツクワ)あらざるはなし、一国の治乱(チラン)一家の興廃(コウハイ)、一身の禍福(クワフク)皆然り、恐れ慎(ツヽシ)むで、迷(マヨ)ふ事勿(ナカ)れ    
一二〇 翁曰、方今の世の中は虚(ウソ)にても、差支(サシツカヘ)なきが如くなれども、是は其相手も、又虚(ウソ)なればなり、虚(ウソ)と虚なるが故に、隙(ゲキ)なく滞(トヾコホ)りなし、譬(タトヘ)ば雲助(クモスケ)仲間の突合(ツキアイ)の如し、若虚(ウソ)を以て、実に対(タイ)する時は、直に差支ふべし、譬(タトヘ)ば百枚の紙、一枚とれば知れざるが如しといへ共、九十九枚目に到て不足す、百間の繩(ナハ)を五寸切るも同様、九十九間目に到て、其足らざるを知る、人の身代一日十銭取て、十五銭遣(ツカ)ひ、廿銭取て、廿五銭遣ふ時は、年の暮(クレ)迄はしれずといへども、大卅日に至て、その不足あらはるゝなり、虚の実に対(タイ)すべからざる、此の如し
一二一 翁曰、貧(ヒン)となり富(トミ)となる、偶然(グウゼン)にあらず、富も因(ヨツ)て来る処あり、貧も因て来る処あり、人皆貨財(クワザイ)は富者の処に集ると思へ共然らず、節倹(セツケン)なる処と勉強(ベンキヤウ)する処に集るなり、百円の身代の者、百円にて暮(クラ)す時は、富の来る事なく貧の来る事なし、百円の身代を八十円にて暮し、七十円にて暮(クラ)す時は、富(トミ)是に帰(キ)し財(ザイ)是に集(アツマ)る、百円の身代を百廿円にて暮し、百三拾円にて暮す時は、貧是に来り財是を去る、只分外に進むと、分内に退くとの違ひのみ、或歌に「有といへば有とや人の思ふらむ呼(ヨベ)ば答ふる山彦(ヤマビコ)の声(コエ)」と云る如く、世人今有れ共、其有(あル)原因を知らず、「無といへば無しとや人の思ふらんよべば答ふる山彦の声」にて、世人今なきも其無きもとをしらず、夫(そレ)今有物は今に無くなり、今無きものは今にあり、譬(タトヘ)ば今有し銭のなくなりしは、物を買へば也、今無き銭の今あるは、勤ればなり、繩(ナハ)一房なへば五厘手に入、一日働けば十銭手に入る也、今手に入る十銭も、酒を呑めば直になし、明白疑(ウタガヒ)なき世の中なり、中庸曰、誠なれば則明なり、明なれば則誠なりと、繩一房なへば五厘となり、五厘遣(ヤ)れば繩一房来る、晴天白日の世の中なり
一二二 翁曰、山畑に粟(アハ)稗(ヒエ)実法る時は猪(ヰ)鹿(シカ)小鳥までも出来(イデキタリ)て、是を取食(クラ)ふ、礼もなく法もなく、仁義もなし、己々が腹(ハラ)を養(ヤシナ)ふのみ、粟(アハ)を育(ソダテ)んと肥(コヤシ)をする猪(イ)鹿(シカ)もなく、稗(ヒヘ)を実法(ミノ)らせんと草を取る鳥もなし、人にして礼法なき、何ぞ是と異(コトナ)らむ、予が戯(タハムレ)に詠る歌に「秋来れば山田の稲(イネ)を猪(シヽ)と猿(サル)、人と夜昼争(アラソ)ひにけり」夫検見(ケンミ)に来る地方官は、米を取らんが為なり、検見を受(ウク)る田主も、作徳(サクトク)を取らん為なり、作主は元よりなり、され共、皆仁(ジン)あり義(ギ)あり、法あり礼(レイ)あるが故に、心中には争(アラソ)へ共、乱(ラン)に及ばぬなり、若此三人の内、一人仁義礼法を忘(ワス)れて、私欲を押張(オシハ)らば忽(タチマチ)乱(ミダ)るべし、世界(セカイ)は礼法こそ尊(タフト)けれ
一二三 或問、地獄(ヂゴク)極楽(ゴクラク)と云物実にありや、翁曰、仏者はありといへども、取出して人に示(シメ)す事は出来ず、儒(ジユ)者はなしといへども、又往(ユキ)て見きはめたるにはあらず、ありと云もなしと云も、共に空論(クウロン)のみ、然といへ共、人の死後に生前の果報(クワハウ)はなくて、叶(カナ)はざる道理也、儒(ジユ)者のなしと云は、三世を説ざるに依る、仏は三世を説く也、一つは説ず一ッは説くも、三世は必あり、されば地獄(ヂゴク)極楽(ゴクラク)なしと云べからず、見る事ならざればとて、なしと極むべからず、扨(サテ)地獄極楽はありといへ共、念仏宗(シユウ)にては、念仏を唱(トナ)ふる者は極楽へゆき、唱(トナ)へざる者は地獄(ヂゴク)へおつと、法華宗にては、妙法を唱ふる者は浮(ウカ)み、唱へざる者は沈(シヅ)むと、又甚しきは寺へ金穀(キンコク)を納る者は極楽へゆき、納めざる者は地獄におつと、斯(カク)の如き道理は決(ケツ)してあるべからず、夫元地獄は悪事をなしたる者の、死してやらるゝ処、極楽は善事をなしたる者の、死してゆく処なる事疑(ウタガ)ひなし、夫地獄極楽は勧善懲悪(クワンゼンチヨウアク)の為にある物にして、宗旨(シウシ)の信(シン)不信の為(タメ)にある物にあらざる事明らか也、迷ふべからず疑(ウタガ)ふべからず
一二四 翁曰、鐘(カネ)には鐘の音あり、鼓(ツヾミ)には鼓の音あり、笛(フエ)には笛の音あり、音各異(コト)なりといへども、其音たるや一なり、只其物に触(フ)れて、響(ヒヾ)きの異(コト)なるのみ、是を別々の音に聞くを、仏道にて、迷(マヨヒ)といひ、是を只一音に聞くを、悟(サトリ)と云が如し、されども、是を悉(コトゴト)く別音に聞て、其内をも幾箇(イクツ)にも分ちて聞ざれば、五音六律(リツ)分たざる故、調楽(テウガク)は出来ぬなり、水も朱にすられて赤(アカ)くなり、藍(アイ)に和して青(アヲ)く成るといへ共、地に戻(モド)せば元の清水と成るに同じ、音は空にして打(ウテ)ばひゞき、打(うタ)ざれば止む、音の空に消(キユ)るは、打(ウ)たれたる響(ヒヾキ)の尽(ツキ)たるなり、されば神といひ儒といひ仏と云も、本来は一なり、一の水を酒屋にては酒といひ、酢(ス)屋にては酢と云が如き違(タガ)ひのみ
一二五 翁曰、衣は寒を凌(シノ)ぎ、食は飢(ウヘ)を凌(シノ)ぐのみにてたれる物なり、其外は皆無用の事なり、官服は貴賤を分つ目印にて、男女の服(フク)は只粧(ヨソホ)ひのみ、婦女子の紅白粉(ベニオシロイ)と何ぞ異らむ、紅白粉なくとも婦人あれば、結婚(ケツコン)に支(ツカ)へなし、飢(ウヘ)を凌(シノ)ぐ為の食、寒を凌(シノ)ぐ為の衣は、智愚(チグ)賢不肖(ケンフセウ)を分たず、学者(ガクシヤ)にても無学者にても、悟(サトリ)ても迷(マヨフ)ても、離(ハナ)るゝ事は出来ぬ物なり、是を備(ソノ)ふる道こそ人道の大元、政道の本根なり、予が歌に「飯と汁木綿着物ぞ身を助く其余は我をせむるのみなり」と詠(ヨメ)り、是(こレ)我道の悟門(ゴモン)なり、能々徹底(テツテイ)すべし、予若年より食は飢(ウヘ)を凌(シノ)ぎ、衣は寒を凌で足(タ)れりとせり、只此覚悟(カクゴ)一にして今日に及べり、我道を修行し施行せんと思ふ者は、先(まヅ)能此理を悟るべきなり
一二六 翁某の駅(エキ)の旅舎(ハタゴヤ)に宿泊せらる、床(トコ)に「人常に菜根(サイコン)を咬(カ)み得ば則百事做(ナ)すべし」と書ける幅(フク)あり、翁曰、菜根何の功能ありて、然るかと考(カンガ)ふるに、是は麁(ソ)食になれて、夫を不足に思はざる時は、為す事皆成就すと云事なり、予が歌に「飯と汁木綿着物」とよめるに同じ、能(ヨキ)教訓なり、又傍(カタハラ)に「かくれ沼(ヌま)の藻(モ)にすむ魚も天伝(アマツタ)ふ日の御影(カゲ)にはもれじとぞ思ふ」とかける短冊(タンザク)あり、翁曰、此歌面白(オモシロ)し、夫米は地より生ずる様なれども、元は天より降(フ)るに同じ、大陽日々、天より照(テラ)す処の温気(ウンキ)が、地に入り、其力にて米穀は熟(ジユク)するなり、春分耕(タガヤ)し初むる頃(コロ)より、秋分実法るまでを、尺杖の如く図(ヅ)して見よ、十日照(テ)れば十日丈(だケ)、一月照れば一月丈(だケ)、地に米穀となるべき温気が入りて居る故、仮令(タトヒ)其間に雨天冷気等ありといへども、夫まで照(テ)り込んで居る丈(だケ)は実法るなり、然れ共人力を尽(ツク)さゞれば、実法少きは、耕(タガヤ)し鋤(ス)き掻(カ)きの功多ければ、大陽(タイヤウ)の温気(ウンキ)地に入る事多きが故なり、地上の万物一ッとして、天日の御影にもれたる物はなし、海底の水草すら雨天冷気の年は繁茂せずと云り、左もあるべし、此歌、々人の詠には珍らし
一二七 翁曰、富と貧とは、元遠(トホ)く隔(ヘダ)つ物にあらず、只少しの隔なり、其本源只一ッの心得にあり、貧者は昨日の為に今日勤め、昨年の為に今年勤む、故に終身苦(クルシ)んで其功なし、富者は明日の為に今日勤め、来年の為に今年勤め、安楽自在にして、成す事成就せずと云事なし、然るを世の人、今日飲む酒無き時は、借りて飲(ノ)み、今日食ふ米なき時は、又借りて食ふ、是貧窮すべき元因なり、今日薪を取て、明朝飯(メシ)を炊(タ)き、今夜繩(ナハ)を索(ナ)ふて、明日籬(マガキ)を結(ムス)ばゞ、安心にして、差支へなし、然るを貧者の仕方は、明日取る薪(タキヾ)にて、今夕の飯を炊んとし、明夜索(ナ)ふ繩を以て、今日籬(マガキ)を結ばんとするが如し、故に苦んで功成らず、故に予常に曰、貧者草を刈らんとする時、鎌(カマ)なし、之を隣(トナリ)に借(カ)りて、草を刈る常の事なり、是貧窮を免るゝ事能(アタ)はざるの元因なり、鎌(カマ)なくば先(まヅ)日雇取りを為すべし、此賃銭を以て、鎌を買ひ求(モト)め、然る後に草を刈るべし、此道は則開闢元始の大道に基(モトヅ)く物なるが故に、卑怯(ヒキヨウ)卑劣(ヒレツ)の心なし、是神代の古、豊芦原(トヨアシハラ)に天降(アマクダ)りし時の、神の御心なり、故に此心ある者は、富貴を得、此心無き者は、富貴を得る事能はず
一二八 翁曰、我が教(オシヘ)は、徳を以て徳に報(ムク)うの道なり、天地の徳より、君の徳、親の徳、祖先の徳、其蒙(カウム)る処人々皆広太也、之に報うに我が徳行を以てするを云、君恩には忠、親恩には孝の類、之を徳行と云、扨此徳行を立んとするには、先(まヅ)己々が天禄の分を明かにして、之を守るを先とす、故に予は入門の初めに、分限を取調(シラ)べて能弁へさするなり、如何となれば、大凡富家の子孫は、我家の財産は何程ありや、知らぬ者多ければなり、論語に、師(シ)冕(ベン)見ゆ、皆坐す、子の曰、某は斯(コヽ)にありと、師(シ)冕(ベン)出づ、子張問て曰、師と言ふの道か、子の曰、然り、固より師を助るの道なり、とあり、予が人を教ふる、先分限を明細に調(シラ)べ、汝が家株田畑何町何反歩、此作益金何円、内借金の利子何程を引、残何程なり、是汝(ナンヂ)が暮(クラ)すべき、一年の天禄なり、此外に取る処なく、入る処なし、此内にて勤倹(キンケン)を尽(ツク)して、暮(クラ)しを立(たテ)、何程か余財を譲(ユヅ)る事を勤むべし、是道なり、是汝(ナンヂ)が天命にして、汝が天禄なりと、皆此の如く教ふるなり、是又心盲の者を助るの道なり、夫入るを計(ハカ)りて天分を定め、音信贈答も、義理も礼義も、皆此内にて為すべし、出来ざれば、皆止むべし、或は之を吝嗇(リンシヨク)と云者あり共、夫(そレ)は言ふ方の誤(アヤマリ)なれば、意とする事勿れ、何となれば此外に取る処なく、入る物なければなり、されば義理も交際も出来ざれば為さゞるが、則礼なり義なり道なり、此理を能々弁へて、惑(マド)ふ事勿れ、是徳行を立る初なり、己が分度立ざれば徳行は立ざる物と知るべし
一二九 翁曰、人生尊(タフト)ぶべき物は、天禄を第一とす、故に武士は天禄の為に、一命を抛(ナゲウ)つなり、天下の政事も神儒仏の教も、其実(ソノジツ)衣食住の三つの事のみ、黎民(レイミン)飢(ウヘ)ず寒(コヾ)えざるを王道(ワウダウ)とす、故に人たる者は、慎(ツヽシ)んで天禄を守らずばあるべからず、固く天禄を守る時は、困窮艱難の患なし、仮初(カリソメ)にも、我が天禄を賤(イヤシ)むの心出る時は、困窮艱難忽(タチマチ)に至る、夫(そレ)天禄の尊き事は云迄もなし、日々の衣食住其他、履(ハ)き物笠(カラカサ)傘(カサ)よりして鼻(ハナ)をかむ紙迄も、皆天禄分内の物なり、嫁(ヨメ)は他家より来る者といへ共、云もてゆけば、天禄の中より来ると云んも違(タガ)へるにあらず、然に我此方法は、天禄なき者に天禄を授け、天禄の破(ヤブレ)んとするを補(オギナ)ひ、天禄の衰(オトロ)へたるを盛(サカ)んに為し、且(かツ)天禄を分外に増殖し、天禄を永遠に維持(イヂ)するの教なれば、尊き事論を俟(マタ)ず、古語に、血気ある者、尊信せざる事なし、といへるは、我道の事なり
一三〇 翁曰、某藩士某(それがシ)、東京(エド)詰にて、顕職(ケンシヨク)を勤めたり、一朝退勤の命あり、帰国せんとす、予往て暇(イトマ)を告げ、且(かツ)曰、卿が是迄の驕奢(ケフシヤ)、実に意外の事なりといへども、職務(シヨクム)なれば、是非無し、今帰国せんとす、是迄用ふる処の、衣類諸道具等は皆分不相応の品なり、是を持帰る時は、卿が驕奢退かず、妻子厄介も同く奢侈(シヤシ)止らざるべし、然る時は卿が家、財政の為に滅(メツ)亡に至らん、恐(オソ)れざるべけんや、刀は折れず曲(マガ)らざる利刀の、外飾(ガイシヨク)なきを残(ノコ)し、其他は衣類諸道具、一切是迄用ひし物品は残らず、親戚(シンセキ)朋友懇意(コンイ)出入の者等に、形見として悉(コトゴト)く与(アタ)へ、不断着(フダンギ)寝巻(ネマキ)の儘(マヽ)にて、只妻子而已を具(グ)して、帰国して、一品も国に持行(ゆク)事勿れ、是奢侈を退(シリゾ)け、驕意(ケウイ)を断(タ)つの秘伝也、然らざれば、妻子厄介迄染(シミ)込んだる奢侈決して退かず、卿が家終に亡びん事鏡(カヾミ)に掛(カケ)て見るが如し、迷ふ勿れと懇(コン)々教えたれど、某(それがシ)用ふる事能はず、一品も残(ノコ)さず船(フネ)に積(ツ)みて持帰り、此物品を売り売り生活を立(たテ)、終(ツイ)に売尽(ウリツク)して、言可らざるの困窮に陥(オチイ)り果(ハテ)たり、歎ずべし、是分限を忘れ、驕奢に馴(ナ)れて、天をも恐れず人をも憚(ハヾカ)らざるの過(あやまチ)なり、我驕奢、誠に分に過ぎたりと心付ば、同藩(ハン)に対しても、憚(ハヾカ)らずば有べからず、是驕奢に馴(ナ)れて自(ミづから)驕奢としらざるが故なり、歎(タン)ずべし
一三一 高野丹吾帰国せんとす、翁曰、伊勢の国鳥羽(トバ)の湊(ミナト)より、相模(サガミ)国浦賀の湊(ミナト)までの間に、大風雨の時、船の掛(カヽ)るべき湊は、只伊豆国の下田湊のみ、故に燈(トウ)明台(ダイ)あり、大風雨の時は、この燈台(トウダイ)の明りを目的(メアテ)として、往来の船は下田湊に入るなり、此脇(ワキ)に妻良子浦(メラコウラ)と云処あり、岸巌(ガンガン)高く大岩多く、船路なき処なり、此辺に悪民有て風雨の夜、此処の岸上に焚(タ)きて、下田の燈台(トウダイ)と、見違(チガ)ふ様にしければ、難風を凌(シノ)がんと、燈台(トウダイ)を見当に走(ハシ)り来る船、燈台の火と見紛(ミマガ)ひ入り来る勢ひに、大岩に当り破船すること数度なり、この破船の積荷物品を奪(ウバ)ひ、取隠(カク)し置て分配せし事、度々有りし由、終(ツイ)には発覚(ハツカク)し皆刑(ケイ)せられたりと聞けり、己(オノレ)が聊(イサヽカ)の欲(ヨク)心の為に、船を破り人命を損じ、物品(ブツピン)を流失(リウシツ)せしむ、悪(アシ)き仕業(シワザ)ならずや、我仕法にも又是に似(ニ)たる事あり、烏山(カラスヤマ)の燈台(トウダイ)は菅谷氏なり、細川家の燈台は中村氏なるに、二氏の精神(セイシン)半途に変(ヘン)じ、前の居処と違(タガ)へるが為に、二藩(ハン)の仕法目的(モクテキ)を失(ウシナ)ひ今困難(コンナン)に陥(オチイ)れり、仮初(カリソメ)にも、人の師表(シヒヤウ)たらん者、恐(オソ)れざるべけんや、慎(ツヽシ)まざるべけんや、貴藩(キハン)の如きは、草野氏池田氏の如き、大燈明上にあれば、安心なりといへども、卿も又成田坪田二村の為には大燈明なり、万一心を動(ウゴ)かし、居処を移(ウツ)すが如き事あらば、二村の仕法の破(ヤブ)れん事、船の岩に当れるが如し、されば二村の盛衰(セイスイ)安危(アンキ)、卿が一身にあり、能々感銘(クワンメイ)せらるべし、二村の為卿が為、此上もなき大事なり、卿能く此決心を定め、不動仏の、猛火背(セ)を焼(ヤ)くといへども、動(ウゴ)かざる如くならば、二村の成業に於ては袋(ノウ)中の物を探(サグ)るよりも安(ヤス)し、卿が心さへ動(ウゴ)かざれば、村民は卿を目的(メアテ)となし、船頭の船路を見て、おも柁(カヂ)取柁(カヂ)と呼が如く、驕奢(ケウシヤ)に流れぬ様(ヤウ)おも柁(カヂ)と呼で直し、遊惰(ユウダ)に流ぬ様取り柁(カヂ)と呼で漕(コ)ぐのみ、然る時は興国(コウコク)安民(アンミン)の宝船(タカラブネ)、卿が所有の成田丸坪田丸は、成就の岸に、安着せん事疑(ウタガ)ひなし、此時君公の御悦びは如何計(バカ)りぞや、草野池田の二氏の満足も如何計ならんや、勤めよや勤めよや
一三二 高野氏旅粧(タビヨソホヒ)成りて暇(イトマ)を乞ふ、翁曰、卿に安全の守を授(サズケ)ん、則予が詠る「飯と汁木綿着物は身を助く其余は我をせむるのみなり」の歌なり、歌拙(ツタナ)しとて軽視(ケイシ)する事勿れ、身の安全を願(ネガ)はゞ此歌を守るべし、一朝変(ヘン)ある時に、我(わガ)身方と成る物は、飯と汁木綿着物の外になし、是は鳥獣の羽毛と同く何方迄も身方なり、此外の物は、皆我身の敵(テキ)と知るべし、此外の物、内に入るは敵(テキ)の内に入るが如し、恐れて除(ノゾ)き去るべし、是式(コレシキ)の事は、是位の事はと云つゝ、自(ミづから)許す処より人は過(アヤマ)つ物なり、初は害なしといへ共、年を経る間に思はず知らず、いつか敵(テキ)と成て、悔(クユ)る共及ばざる場合ひに立至(タチイタ)る事あり、夫此位の事はと自(ミづから)許(ユル)す処の物は、猪(ヰ)鹿(シカ)の足跡(アシアト)の如く、隠(カク)す事能(アタ)はず、終に我足跡の為に猪鹿の猟師(リヤウシ)に得らるゝに同じ、此物内に無き時は、暴君(バウクン)も汚吏(オリ)も、如何共する事能はず、進んで我仕法を行ふ者、慎まずばあるべからず、必(カナラズ)忘(ワス)るゝ事勿れ、高野氏叩頭(コウトウ)して謝(シヤ)す、波多八郎傍(カタハラ)にあり、曰、古歌に「かばかりの事は浮世(ウキヨ)の習ひぞとゆるす心のはてぞ悲(カナ)しき」と云るあり、教戒によりて思ひ出たり、予も感銘(カンメイ)せり、と云ひ生涯忘れじと誓(チカ)ふ
一三三 翁曰、人の神魂に就(ツキ)て、生ずる心を真心と云、則道心なり、身体に就(ツイ)て生ずるを私心と云、則人心なり、人心は譬(タトヘ)ば、田畑に生ずる莠草の如し、勤(ツトメ)て耘(クサギ)り去るべし、然せざれば、作物を害するが如く、道心を荒(アラ)す物なり、勤て私心の草を耘(クサギ)り、米麦を培養(バイヤウ)するが如く、工夫を用ひ、仁義礼智の徳性(トクセイ)を養(ヤシナ)ひ育(ソダ)つ可し、是身を修(オサ)め家を斉(トヽノ)ふるの勤なり 
 

二宮翁夜話  巻之三  終

 

 

 

 

 
 
 (注)1.本文は、岩波書店刊『日本思想大系52 二宮尊徳・大原幽學』(1973年5月
      30日第1刷発行)
によりました。(『二宮翁夜話』の校注者は、奈良本辰也氏。)
     2.凡例によれば、底本は、神奈川県立文化資料館所蔵の木版本(明治17-
     20年出版)
で、読点はほぼ底本どおりとし多少の訂正を施した、とあります。
    3. 引用に当たって、踊り字(繰返し符号)は、「々」及び「ゝ(ヽ)」「ゞ(ヾ)」
    の他はすべて普通の仮名に改めました。
    4. 本文の片仮名のルビは、( )に入れて文中に示しました。
     「我(わガ)」のように、( )内の仮名に平仮名と片仮名があるのは、底本
    には片仮名の「ガ」だけがルビとして示されていて、平仮名の「わ」は、引用
    者が補ったもの、という意味です。
    5. 『二宮翁夜話』(巻之一は資料31にあります。
      『二宮翁夜話』(巻之二は資料75にあります。 
      『二宮翁夜話』(巻之四は資料77にあります。
       『二宮翁夜話』(巻之五は資料78にあります。
    6.岩波文庫版の『二宮翁夜話』を底本にした「巻之一」の本文が、資料74
    
にあります。
    7.宇都宮大学附属図書館所蔵の「二宮尊徳関係資料一覧」 が、同図書
    館のホームページで見られます。
     8.小田原市のホームページに、栢山にある「小田原市尊徳記念館」の案内
    ページがあります。 
         9. 二宮町のホームページに、「二宮尊徳資料館」のページがあります。
        10. 「GAIA」 というホームページに二宮尊徳翁についてのページがあり、
    尊徳翁を理解する上でたいへん参考になります。ぜひご覧ください。
          「GAIA」 の「日記」のページの中に、『報徳要典』(舟越石治、昭和9年
    1月1日発行、非売品)を底本にした「二宮翁夜話」が収めてあり、そこで
    本文と口語訳とを読むことができます。
      また、『報徳記』を原文と口語訳で読むこともできます。
      11. 本文中の「山内氏蔵幅之縮図」の漢文に、返り点と句読点を補い、
     次に書き下し文を示しておきます。  

 

孔子観於魯桓公之廟、有欹器焉。夫子問於守廟者曰、此謂何器。対曰、此蓋為宥坐之器。孔子曰、吾聞宥坐之器、虚則欹、中則正、満則覆。明君以為至誠、故常置之於坐側。顧謂弟子曰、試注水焉。乃注之水。中則正、満則覆。夫子喟然歎曰、嗚呼、夫物悪有満而不覆者哉。子路進曰、敢問、持満有道乎。子曰、聡明睿智、守之以愚、功被天下、守之以譲、勇力振世、守之以怯、富有四海、守之以謙。此所謂損之又損之之道也。    

 

 


(書き下し文)
孔子魯の桓公の廟を観るに、欹器
(きき)有り。夫子(ふうし)廟を守る者に問ひて曰く、此(これ)を何の器(き)と謂ふか、と。対(こた)へて曰(いわ)く、此れ蓋(けだ)し宥坐(ゆうざ)の器と為(な)す、と。孔子曰く、吾聞く、宥坐の器は、虚(きょ)なれば則ち欹(かたむ)き、中(ちゅう)なれば則ち正しく、満つれば則ち覆(くつがえ)る。明君以て至誠と為し、故に常に之(これ)を坐の側(かたわら)に置く、と。顧みて弟子(ていし)に謂ひて曰く、試みに水を注げ、と。乃(すなわ)ち之に水を注ぐ。中なれば則ち正しく、満つれば則ち覆る。夫子喟然(きぜん)として歎じて曰く、嗚呼(ああ)、夫(そ)れ物悪(いず)くんぞ満ちて覆らざる者有らんや、と。子路進みて曰く、敢へて問ふ、満を持(じ)するに道有りや、と。子曰く、聡明睿智なるは、之を守るに愚(ぐ)を以てし、功(こう)天下に被(こうむ)るは、之を守るに譲(じょう)を以てし、勇力(ゆうりょく)世に振るふは、之を守るに怯(きょう)を以てし、富(とみ)四海を有(たも)つは、之を守るに謙(けん)を以てす。此れ所謂(いわゆる)之を損じ又之を損ずるの道なり、と。
       

 

 

 

 

 

        トップページ(目次)  この資料の初めへ    前の資料へ   次の資料へ