資料74 二宮翁夜話 (巻之一) [ 旧字・旧仮名 ]                トップページ(目次)

 

 

     二宮翁夜話 巻之一              福住正兄筆記  
 

  翁曰夫誠(まこと)の道(みち)は、學(まな)ばずしておのづから知り、習(なら)はずしておのづから覺(おぼ)へ、書籍(しよじやく)もなく記録(きろく)もなく、師匠(ししやう)もなく、而して人々自得(じとく)して、忘(わす)れず、是(これ)ぞ誠(まこと)の道(みち)の本體(ほんたい)なる、 渇(かつ)して飲(の)み飢(うゑ)て食(くら)ひ、勞(つか)れていねさめて起(お)く、皆(みな)此類(このるゐ)なり、古歌(こか)に水鳥(みづとり)のゆくもかへるも跡(あと)たえてされども道(みち)は忘(わす)れざりけりといへるが如(ごと)し、夫(それ)記録(きろく)もなく、書籍(しよじやく)もなく、學(まな)ばず習(なら)はずして、明(あき)らかなる道(みち)にあらざれば誠(まこと)の道(みち)にあらざるなり、夫(それ)我敎(わがをしへ)は書籍(しよじやく)を尊(たふと)まず、故(ゆゑ)に天地(てんち)を以(もつ)て經文(きやうもん)とす、予(よ)が歌(うた)に、音(おと)もなくかもなく常(つね)に天地(あめつち)は書(か)かざる經(きやう)をくりかへしつ ゝとよめり、 此(かく)のごとく日々、繰返(くりかへ)し繰返してしめさるゝ、天地の經文に誠の道は明(あき)らかなり、掛(か)る尊(たふと)き天地の經文を外(ほか)にして、書籍の上に道を求(もとむ)る、學者輩(がくしやはい)の論説(ろんせつ)は取(と)らざるなり、能々(よくよく)目を開(ひらき)て、天地の經文を拝見(はいけん)し、之(これ)を誠(まこと)にするの道(みち)を尋(たづ)ぬべきなり、夫世界横(よこ)の平(たいら)は水面(すいめん)を至(いた)れりとす、竪(たて)の直(すぐ)は、垂針(さげぶり)を至れりとす、凡の如き萬古動(うご)かぬ物あればこそ、地球の測量(そくりやう)も出來るなれ、 是を外にして測量(そくりやう)の術(じゆつ)あらむや、 暦道(れきどう)の表(ひよう)を立(た)てゝ景(かげ)を測(はか)るの法、 算術(さんじゆつ)の九々の如き、 皆自然の規(のり)にして萬古不易(ふえき)の物なり、此物によりてこそ、天文も考(かんが)ふべく 暦法をも算すべけれ、此物を外にせばいかなる智者(ちしや)といへども、 術を施(ほどこ)すに方なからん、 夫我道(わがみち)も又然(しか)り、天言(もの)いはず而して、四時行(おこな)はれ百物成る處の、 不書の經文、不言(ふげん)の敎戒則(すなはち)米を蒔(ま)けば、米がはえ麥(むぎ)を蒔(ま)けば麥の實法(みの)るが如き萬古不易の道理により誠(まこと)の道に基きて、之を誠にするの勤(つとめ)をなすべきなり 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




薪をたきへらすほど…底本は「薪をたきへらすなど」。思想大系本によって改めた。




裸體…「裸」は、底本「身+果」

 

   翁曰夫世界(せかい)は、旋轉(せんてん)してやまず、寒(かん)往(ゆ)けば暑(しよ)來り、暑往けば寒來り、夜明れば晝となり、晝になれば夜となり、 又萬物生(しやう)ずれば滅し、滅すれば生ず、譬(たと)へば錢(ぜに)を遣(や)れば品(しな)が來り品を遣れば錢が來るに同(おな)じ、寝(ね)ても覺(さめ)ても、居(ゐ)ても歩行(あるい)ても昨日は今日になり今日は明日になる、 田畑も海山も皆その通(とほ)り、 爰(こゝ)にて薪をたきへらすほどは、山林にて生木(せいぼく)し、爰で喰(くひ)へらす丈の穀物は、田畑にて生育(せいいく)す、野菜(やさい)にても、魚類にても、 世の中にて減(へ)るほどは、 田畑河海山林にて、生育(せいいく)し、 生(うま)れたる子は、時々刻々(こくこく)年がより、築(つき)たる堤(つゝみ)は時々刻々に崩(くづ)れ、掘(ほり)たる堀(ほり)は日々夜々に埋(うづま)り、葺たる屋根は、日々夜々に腐(くさ)る、是(これ)即(すなはち)天理(てんり)の常(つね)なり、然(しか)るに人道は、是と異(こと)なり、 如何(いかん)となれば、風雨定めなく、寒暑往來(わうらい)する此世界に、毛羽なく鱗介(りんかい)なく、裸體(はだか)にて生れ出(いで)、家(いへ)がなければ雨露(あめつゆ)が凌(しの)がれず、衣服(いふく)がなければ寒暑が凌がれず、 爰(こゝ)に於(おい)て、人道と云物(もの)を立て、米(こめ)を善(ぜん)とし、莠(はくさ)を惡(あく)とし、家(いへ)を造(つく)るを善とし、破(やぶ)るを惡とす、皆人の爲(ため)に立(たて)たる道なり、依(よつ)て人道と云、天理より見る時(とき)は善惡はなし、其證には、天理に任(まか)する時は、皆荒地(あれち)となりて、開闢(かいびやく)のむかしに歸るなり、如何となれば、是則天理自然(しぜん)の道(みち)なればなり、 夫天に善惡なし故に、稻(いね)と莠(はくさ)とを分(わか)たず、種(たね)ある者は皆生育(せいいく)せしめ、生氣(せいき)ある者は皆發生(はつせい)せしむ、 人道はその天理に順(したがふ)といへども、其内に各區別(くべつ)をなし、稗(ひえ)(はくさ)を惡とし、米麥を善(ぜん)とするが如き、皆人身に便利(べんり)なるを善とし、不便(ふべん)なるを惡となす、爰(こゝ)に到(いたり)ては天理と異(こと)なり、如何となれば人道は人の立る處(ところ)なればなり、 人道は譬(たとへ)ば料理(りやうり)物の如く、 三倍酢(ばいす)の如く、 歴代(れきだい)の聖主(せいしゆ)賢臣(けんしん)料理し鹽梅 (あんばい)して拵(こし)らへたる物なり、 されば、ともすれば、破(やぶ)れんとす故に政(まつりごと)を立(たて)、敎(をしへ)を立、刑(けい)法を定(さだ)め、禮(れい)法を制(せい)し、やかましくうるさく、世話(せわ)をやきて、 漸(やうや)く人道は立なり、然(しかる)を天理自然の道と思ふは、大なる誤(あやまり)なり、能(よく)思ふべし

 

 

 三  翁曰夫人道は譬(たとへ)ば、水車(みづぐるま)の如し、其形(そのかたち)半分は水流(すいりう)に順(したが)ひ、半分は水流に逆ふて輪廻す、丸に水中に入れば廻らずして流(なが)るべし、又水を離(はな)るれば廻る事あるべからず、夫佛家(ぶつか)に所謂(いはゆる)知識(ちしき)の如く、世を離(はな)れ欲を捨(すて)たるは、譬(たとへ)ば水車の水を離(はな)れたるが如し、又凡俗の敎義(きやうぎ)も聞(きか)ず義務(ぎむ)もしらず私欲(しよく)一偏(へん)に著(ちやく)するは、水車を丸に水中に沈(しづ)めたるが如し、共に社會(しやくわい)の用をなさず、 故に人道は中庸(ちうよう)を尊(たふと)む、水車の中庸は、宜(よろし)き程(ほど)に水中に入て、半分は水に順(したが)ひ、半分は、流水に逆昇りて、運轉(うんてん)滯(とゞこふ)らざるにあり、人の道もその如く天理に順ひて、種(たね)を蒔(ま)き、天理に逆(さか)ふて艸を取(と)り、欲(よく)に隨(したがひ)て家業を勵み、欲(よく)を制(せい)して義務(ぎむ)を思ふべきなり

 

 

 

 四  翁曰夫人道は人造なり、されば自然に行(おこな)はるゝ處の天理とは格別なり、 天理とは春(はる)は生じ秋(あき)は枯(か)れ、 火は燥(かわ)けるに付(つ)き、 水は卑(ひくき)に流(なが)る、晝夜(ちうや)運動(うんどう)して萬古易(かは)らざる是(これ)なり、人道は日々夜々人力を盡(つく)し、保護(ほご)して成(な)る、故に天道の自然に任(まか)すれば、忽に廢(すた)れて行(おこな)はれず、故に人道は、情欲(じやうよく)の儘(まゝ)にする時は、立ざるなり、譬(たとへ)ば漫々(まんまん)たる海上道なきが如きも、船道(ふなみち)を定(さだ)め是(これ)によらざれば、岩(いは)にふるゝなり、 道路(だうろ)も同じく、己(おの)が思ふ儘(まゝ)にゆく時は突當(つきあた)り、言語(げんご)も同じく、思ふまゝに言葉(ことば)を發(はつ)する時は、忽(たちまち)争(あらそひ)を生ずるなり、是に仍(より)て人道は、欲(よく)を押(おさ)へ情(じやう)を制(せい)し勤(つと)め勤めて成(な)る物なり、夫美食美服(びしよくびふく)を欲(ほつ)するは天性の自然、是をため是を忍びて家産(かさん)の分内(ぶんない)に隨(したが)はしむ、 身體(しんたい)の安逸(あんいつ)奢侈(しやし)を願(ねが)ふも又同じ、 好(この)む處の酒(さけ)を控へ、安逸(あんいつ)を戒(いまし)め、欲する處(ところ)の美食美服を押(おさ)へ、分限の内を省(はぶい)て有餘(ゆうよ)を生じ、他に讓(ゆづ)り向來に讓(ゆづ)るべし、是を人道といふなり

 

 

 

 五  翁曰夫、人の賤(いやし)む處(ところ)の畜道(ちくだう)は天理自然の道なり、尊(たふと)む處の人道は、天理に順(したが)ふといへども又作爲(さくゐ)の道にして自然にあらず、 如何となれば、雨にはぬれ日には照られ風には吹(ふか)れ、春(はる)は靑艸(あをくさ)を喰(くら)ひ秋は木の實(み)を喰ひ、有れば飽(あく)まで喰ひ無き時は喰ずに居る、是自然の道にあらずして何ぞ、 居宅を作りて風雨を凌(しの)ぎ、藏(くら)を作(つくり)て米粟を貯(たくは)へ、衣服(いふく)を製(せい)して寒暑を障(さゝ)へ四時共に米を喰ふが如(ごと)き、是作爲の道にあらずして何ぞ、自然の道にあらざる明かなり、夫自然の道は、萬古廢(すた)れず、作爲の道は怠れば廢(すた)る、然るに其人作の道を誤(あやまつ)て、天理自然の道と思(おも)ふが故に、願(ねが)ふ事成らず思ふ事叶はず、終(つひ)に我世は憂世(うきよ)なりなどゝいふに至る、夫人道は荒(くわう)々たる原野の内、土地肥饒(ひじやう)にして艸木茂生ずる處を田畑となし、是には草の生ぜぬ樣(やう)にと願(ねが)ひ、土性瘠薄(せきはく)にして、艸木繁茂(はんも)せざる地を秣場(まぐさば)となして、 此處(こゝ)には艸の繁茂(はんも)せん事を願ふが如し、是を以て、人道は作爲の道にして、自然の道にあらず、遠く隔(へだゝ)りたる所の理を見るべきなり

 

 

 

六  翁曰、天理と人道との差別(さべつ)を、能(よく)辨別(べんべつ)する人少し、夫人身あれば欲あるは則(すなはち)天理なり、田畑へ草の生ずるに同じ、堤(つゝみ)は崩(くづ)れ堀(ほり)は埋(うづま)り橋(はし)は朽(くち)る是則天理なり、然れば、人道は私欲(しよく)を制するを道とし、田畑の草をさるを道とし、 堤(つゝみ)は築立(つきたて)堀(ほり)はさらひ、橋(はし)は掛替(かけかへ)るを以て、道とす、此の如く、天理と人道とは、格別(かくべつ)の物なるが故に、天理は萬古變(へん)ぜず、人道は一日怠(おこた)れば忽(たちま)ちに廢(はい)す、されば人道は勤(つとむ)るを以て尊(たふと)しとし、自然に任ずるを尊(たふと)ばず、夫人道の勤(つと)むべきは、己(おのれ)に克(かつ)の敎(をしへ)なり、己(おのれ)は私欲(しよく)なり、私欲は田畑に譬(たとふ)れば草なり、克(か)つとは、此田畑に生ずる草を取捨(とりすつ)るを云、己に克つは、 我心の田畑に生ずる草をけづり捨(すて)とり捨て、我心の米麥を、繁茂(はんも)さする勤(つとめ)なり、是を人道といふ、論語に己に克て禮(れい)に復(かへ)るとあるは此(つとめ)なり

 

 

 

七 翁常に曰、人界に居て家根のもるを坐視(ざし)し、道路の破損(はそん)を傍観(ばうくわん)し、橋(はし)の朽(くち)たるをも憂(うれへ)ざる者は、則人道の罪人(ざいにん)なり     

 

 

 

八   翁曰世の中に誠(まこと)の大道は只一筋(すじ)なり、 神(しん)といひ 儒(じゆ)といひ佛といふ、皆同じく大道に入るべき入口の名なり、或は天台(てんだい)といひ、眞言(しんごん)といひ、法華(ほつけ)といひ禪(ぜん)と云も、同じく入口の小路の名なり、 夫何の敎(をしへ)何の宗旨(しうし)といふが如きは譬(たとへ)ば爰(こに清水あり此水にて藍(あい)を解(と)きて染(そむ)るを、紺(こん)やと云ひ、 此水にて紫(むらさき)をときて染(そむ)るを、 紫(むらさき)やといふが如し、其元は一つの清水なり、紫屋にては我紫の妙なる事、天下の反物(たんもの)染る物として、紫ならざるはなしとほこり、 紺屋にては我藍の德たる、洪大無邊(こうだいむへん)なり故に一度此瓶(かめ)に入れば、物として紺とならざるはなしと云が如し、夫が爲に染(そめ)られたる紺や宗の人は我が宗の藍より外に、有難(ありがたき)物はなしと思ひ、紫宗の者は、我宗の紫ほど尊(たふと)き物はなしと云に同じ、是皆所謂(いはゆる)三界城内を、躊躇(ちうちよ)して出る事あたはざる者なり、夫紫(むらさき)も藍(あい)も、大地に打こぼす時は、又元の如く、紫も藍も皆脱(だつ)して、本然の清水に歸るなり、そのごとく神儒佛を初(はじめ)、心學(しんがく)性學(せいがく)等枚擧(まいきよ)に暇(いとま)あらざるも、皆大道の入口の名なり、此入口幾箇(いくつ)あるも至る處は必一の誠(まこと)の道なり、是を別々に道ありと思(おも)ふは迷ひなり、別々なりと敎(おしふ)るは邪説(じやせつ)なり、譬(たとへ)ば不士山に登(のぼ)るが如し、先達に依て吉田より登るあり、須走(すばしり)より登るあり、須(す)山より登るあり といへども、其登る處の絶頂(ぜつちやう)に至れば一つなり、斯の如くならざれば眞(しん)の大道と云べからず、されども誠の道に導(みちび)くと云て、誠の道に至らず、 無益(むえき)の枝道に引入るを、是を、邪敎と云、誠の道に入らんとして、邪説に欺(あざむか)れて、枝道に入り、又自ら迷(まよ)ひて邪路に陷(おちい)るも、世(よ)の中少(すくな)からず、愼まずばあるべからず        

 

 

 

   越後(ゑちご)国の産(もの)にて、笠(かさ)井龜藏(かめざう)と云者あり、故ありて翁の僕(ぼく)たり、翁諭(さと)して曰、 汝(なんぢ)は越後の産なり、越後は上國と聞けり、 如何(いか)なれば上國を去(さり)て、他國に來れるや、龜藏曰、上國にあらず、田畑高價(かうか)にして、田德少し、江戸は大都會(くわい)なれば、金を得(う)る容易(たやす)からんと思ふて江戸に出づと、 翁曰汝過(あやま)てり、 夫越後は土地沃饒(よくじやう)なるが故に、食物多し、食物多きが故に、人員多し、人員多きが故に、田畑高價(かうか)なり、田畑高價なるが故に、薄利(はくり)なり、然るを田德少しと云ふ、少きにあらず田德の多きなり、田德多く、土德(どとく)尊きが故に田畑高價なるを下國と見て生國を捨、他邦に流浪するは、大なる過(あやま)ちなり、  過ちとしらば速(すみやか)に、その過ちを改(あらた)めて、歸國(きこく)すべし、越後にひとしき上國は、他に少(すくな)し、然るを下國と見しは過ちなり、是を今日、暑氣(しよき)の時節(じせつ)に譬(たと)へば、蚯蚓(みゝず)土中の炎熱(えんねつ)に堪兼(たへかね)て、土中甚(はなはだ)熱(あつ)し、土中の外に出なば涼(すゞ)しき處(ところ)あるべし、土中に居るは愚なりと考(かんが)へ、地上に出て照り付られ、死(し)するに同じ、夫蚯蚓は土中に居るべき性質(せいしつ)にして土中に居るが天の分なり、 然れば何程熱(あつ)しとも、外を願(ねが)はず、我本性に隨(したが)ひ、土中に潛(ひそ)みさへすれば無事安穩(あんのん)なるに、 心得違(ちが)ひして、地上に出たるが運(うん)のつき、迷(まよひ)より禍(わざはひ)を招きしなり、 夫汝もその如く、越後の上國に生れ、 田德少し、 江戸に出なば、 金を得る事いと易(やす)からんと、思ひ違ひ、自國を捨たるが迷の元にして、みづから災(わざはひ)を招きしなり、 然れば、今日過ちを改(あらた)めて速(すみやか)に國に歸(かへ)り、小を積(つ)んで大をなすの道を、勤(つとむ)るの外あるべからず、心誠(まこと)に爰(こゝ)に至(いた)らば、おのづから、安堵(あんど)の地を得る必定なり、 猶(なほ)て江戸に流浪(るらう)せば、詰(つま)りは蚯蚓(みゝず)の、土中をはなれて地上に出たると同じかるべし、 能此理を悟(さと)り過を悔(く)ひ能改(あらた)めて、安堵の地を求(もと)めよ、 然らざれば今千金を與(あた)ふるとも、無益なるべし、我言ふ所必ず違(たが)はじ           

 

 

 

 一〇   翁曰親(おや)の子における、農(のう)の田畑に於る、我道に同じ、 親(おや)の子を育(そだつ)る無頼(ぶらい)となるといへども、養育料(やういくりやう)を如何(いかん)せん、農の田を作る、凶歳(きやうさい)なれば、肥代(こやしだい)も仕付料も皆損(そん)なり、夫此道を行はんと欲(ほつ)する者は此理を辨(わきま)ふべし、吾始(はじめ)て、小田原より下野(しもつけ)の物井の陣屋(ぢんや)に至る、己が家を潰(つぶ)して、四千石の興復(こうふく)一途に身を委(ゆだ)ねたり、是則此道理に基(もとづ)けるなり、 夫釋(しやく)氏は、生者必滅(せうしやひつめつ)の理を悟(さと)り、 此理を擴充(かくじう)して自ら家を捨(すて)、妻子を捨て、今日の如き道を弘(ひろ)めたり、只此一理を悟るのみ、夫人、生れ出たる以上は死する事のあるは必定なり、長生といへども、百年を越(こゆ)るは稀(まれ)なり、限(かぎ)りのしれたる事なり、 夭(わかじに)と云も壽(ながいき)と云も、 實は毛弗の論(ろん)なり、譬(たとへ)ば蠟燭(ろうそく)に大中小あるに同(おな)じ、 大蠟(ろう)といへども、火の付たる以上は、四時間か五時間なるべし、 然れば人と生れ出たるうへは、必ず死する物と覺悟(かくご)する時は、一日活(いき)れば則一日の儲(まうけ)、一年活(いき)れば一年の益なり、故に本來我身もなき物、我家もなき物と覺悟(かくご)すれば跡は百事百般皆儲(まうけ)なり、予が歌に、かりの身を元のあるじに貸渡し民安かれと願ふ此身ぞ、 夫此世は、 我人ともに僅(わづか)の間の假の世なれば、 此身は、かりの身なる事明(あき)らかなり、 元のあるじとは天を云、このかりの身を我身と思(おも)はず生涯(しやうがい)一途(づ)に、世のため人のためのみを思ひ國のため天下の爲(ため)に、益(えき)ある事のみを勤(つと)め、一人たりとも一家たりとも一村たりとも、困窮(こんきう)を免(まぬか)れ富有(ふゆう)になり、土地(とち)開(ひら)け道(みち)橋(はし)整(とゝの)ひ安穩(あんのん)に渡世(とせい)の出來(でき)るやうにと、夫のみを日々の勤(つとめ)とし、朝夕(あさゆふ)願(ねが)ひ祈(いの)りて、おこたらざる我此身である、といふ心にてよめる也、是(これ)我(われ)畢生(ひつせい)の覺悟(かくご)なり、我道(わがみち)を行はんと思(おも)ふ者(もの)はしらずんばあるべからず    
      * 
生者必滅(せうしやひつめつ) 
                             = 「
せうしやひつめつ」 は, 普通しょうじゃひつめつ」と濁って読んでいる。   
        
 * 毛弗 = わずかな違い。 

 

 

 

 一一  儒學者(じゆがくしや)あり曰、孟子(まうし)は易(やす)し中庸(ちうよう)は難(かた)しと、翁曰予(われ)文字上の事はしらずといへども、 是を實地正業に移(うつ)して考(かんが)ふる時は、孟子は難(かた)し中庸(よう)は易(やす)し、いかんとなれば、夫孟子の時道行れず、異端(いたん)の説(せつ)盛(さか)んなり、 故に其辯明を勤(つと)めて道を開(ひらき)しのみ、故に仁義を説(とい)て仁義に遠(とほ)し、卿等(けいら)孟子を易(やす)しとし孟子を好むは、己が心に合ふが故なり、 卿等(けいら)が學問するの心、仁義を行んが爲に學ぶにあらず、道(みち)を踏(ふま)んが爲に修行せしにあらず、 只書物上の議論(ぎろん)に勝(かち)さへすれば、夫にて學問の道は足(た)れりとせり、議論(ぎろん)達(たつ)者にして人を言伏(いひふ)すれば、夫にて儒者の勤(つと)めは立と思へり、夫聖人の道、豈(あに)然る物ならんや、聖(せい)人の道は仁を勤(つとむ)るにあり、五倫五常を行ふにあり、何ぞ辯(べん)を以て人に勝(か)つを道とせんや、 人を言伏(いひふ)するを以て勤(つとめ)とせんや、 孟子は則(すなはち)是(これ)なり、此の如きを聖(せい)人の道とする時(とき)は甚(はなは)だ難(なん)道なり、容易になし難(がた)し、故に孟子は難しといふなり、夫中庸は通常(つうじやう)平易の道にして、 一歩より二歩三歩とゆくが如く、近きより遠きに及び卑(ひくき)より高(たか)きに登(のぼ)り、小より大に至(いた)るの道にして、誠に行ひ易し、 譬(たと)へば百石の身代の者、勤儉を勤め、五十石にて暮し、五十石を讓(ゆづ)りて、國益を勤(つとむ)るは、誠に行ひ易し、愚夫愚婦にも出來ざる事なし、此道を行へば、學ばずして、仁なり義なり忠なり孝なり、 神の道聖人の道、 一擧にして行はるべし、至て行ひ易き道なり、 故に中庸といひしなり、予人に敎(をし)ふるに、吾道は分限を守るを以て本とし、分内を讓るを以て仁となすと敎(をし)ゆ、豈(あに)中庸にして行ひ易き道にあらずや    

 

 

   

 一二     翁曰道の行はるゝや難(かた)し、道の行れざるや久し、その才ありといへども、その力(ちから)なき時は行はれず、其才その力ありといへども、其德なければ又行れず、其德ありといへども、その位なき時は又行れず、然れども是は是大道を國天下に行ふの事なり、 その難き勿論(もちろん)なり、 然れば何ぞ此人なきを憂(うれ)へんや何ぞ其位(くらゐ)なきを憂(うれへ)んや、茄子(なす)をならするは茄子作り能(よく)すべし、馬(うま)を肥(こや)すは馬士(まご)能すべし、一家を齊(とゝの)ふるは亭主(ていしゆ)能すべし、 或(あるひ)は兄弟親戚(しんせき)相結(むす)んで行ひ、或は朋友(ほうゆう)同志相結んで行ふべし、人々此道を盡(つく)し、家々此道を行ひ、村々此道を行はゞ、豈(あに)國家興復せざる事あらんや      

 

 

 

一三   翁曰、世の中に事なしといへども、變(へん)なき事あたはず、是恐るべきの第一なり、 變(へん)ありといへども、是を補(おぎな)ふの道あれば、變なきが如し、變(へん)ありて是を補ふ事あたはざれば、大變(へん)に至る、古語に三年の貯蓄(たくはへ)なければ、國にあらずと云り、兵隊ありといへども、武具軍(ぐん)用備(そなは)らざればすべきやうなし、只國のみにあらず、家も又然り、夫萬(よろづ)の事有餘(ゆうよ)無(なけ)れば、必差支(さしつか)へ出來て家を保(たも)つ事能はず、然るをいはんや、國天下をや、人は云ふ我が敎(をしへ)、儉約(けんやく)を專(もつぱ)らにすと、儉約を專らとするにあらず、變に備(そなへ)んが爲なり、人は云ふ我道、積財(せきざい)を勤むと、積財を勤るにあらず、世を救(すく)ひ世を開(ひら)かんが爲なり、古語に飲食を薄(うす)うして、孝を鬼神(きじん)に致(いた)し、衣服(いふく)を惡(あし)うして、美(び)を黻冕(ふつべん)に致し、宮室(きうしつ)を卑(いやしう)して、力を溝洫(こういき<ママ>)に盡すと、 能々此理を玩味(ぐわんみ)せば、吝(りん)か儉(けん)か辯を待たずして明かなるべし  
     * 黻冕(ふつべん)=礼服の、ひざかけとかんむり。   * 溝洫(こういき)=「こういき」と
    あるが、漢和辞典によれば、「こうきょく」である。田間のみぞ。<ママ>は引用者が
         付けたもの。  ここに「古語」とあるのは、 『論語』(泰伯篇)にある孔子の言葉。

 

 

 

一四 翁曰、大事をなさんと欲(ほつ)せば、小(ちい)さなる事を、怠(おこた)らず勤むべし、小積(つも)りて大となればなり、凡小人の常、大なる事を欲して、小(ちい)さなる事を怠(おこた)り、出來難(がた)き事を憂(うれ)ひて、 出來易(やす)き事を勤めず、夫故、終に大なる事をなす事あたはず、 夫大は小の積(つ)んで大となる事を知らぬ故なり、 譬(たとへ)ば 百萬石の米と雖(いへど)も、粒(つぶ)の大なるにあらず、萬町の田を耕(たがや)すも、其業(わざ)は一鍬(くは)づゝの功にあり、千里の道も一歩づゝ歩みて至(いた)る、山を作(つく)るも一と簣(もつこ)の土(つち)よりなる事を明かに辨へて、勵精(れいせい)小(ちい))さなる事を勤めば、 大なる事必なるべし、 小さなる事を忽(ゆるがせ)にする者、大なる事は必(かならず)出來ぬものなり   

 

 

 

一五   翁曰萬巻の書物ありといへども、無學(むがく)の者に詮(せん)なし、隣家(りんか)に金貸(かねか)しありといへども、我(われ)に借(か)る力(ちから)なきを如何せん、向(むか)ひに米屋ありといへども、錢(ぜに)なければ買ふ事はならぬなり、されば書物を讀(よま)んと思(おも)はゞ、いろはより習ひ初むべし、家(いへ)を興(おこ)さんと思はゞ小より積初(つみはじ)むべし、此外に術はあらざるなり   

 

 

 

 一六    翁曰多く稼(かせ)いで、錢(ぜに)を少く遣(つか)ひ、多く薪(たきぎ)を取(とつ)て焚(た)く事は少くする、是を富國の大本、富國の達(たつ)道といふ、然(しか)るを世の人是を吝嗇(りんしよく)といひ、又強欲(ごうよく)と云、是心得違(ちが)ひなり、夫人道は自然に反して、勤(つと)めて立つ處の道なれば貯蓄(ちよちく)を尊(たつと)ぶが故なり、夫貯蓄は今年の物を來年に讓(ゆづ)る、一つの讓(じやう)道なり、親の身代を子に讓るも、則貯蓄の法に基(もと)ひするものなり、人道は言ひもてゆけば貯蓄(ちよちく)の一法のみ、故に是を富國の大本、富國の達道と云なり   

 

 

 

一七  翁曰、米は多く藏につんで少しづゝ炊(た)き、薪(たきぎ)は多く小屋に積(つ)んで焚(た)く事は成る丈少くし、衣服は着らるゝやうに拵(こし)らへて、なる丈、着(き)ずして仕舞(しま)ひおくこそ家を富すの術なれ、則國家經濟(けいざい)の根元なり、天下を富有にするの大道も、其實この外にはあらぬなり        

 

 

 

一八  翁宇津氏の邸内(ていない)に寓す、邸内稻荷(いなり)社の祭禮(まつり)に大神樂(だいかぐら)來りて、建物(たてもの)の戯藝(ぎげい)をせり、翁是を見て曰、凡事此術(じゆつ)の如くなさば百事、成らざる事あらざるべし、  其場に出るや少しも噪(さわ)がず、 先體を定めて、兩眼を見澄(みすま)して、棹(さほ)の先に注(ちう)し、脇目(わきめ)も觸(ふ)らず、一心に見詰(みつ)め、器械(きかい)の動搖(どうえう)を、心と腰(こし)に受(う)け、手は笛を吹き扇(あふぎ)を取て舞ひ足は三番叟(ばさう)の拍子(ひやうし)を蹈(ふむ)といへども、  其ゆがみを見留(みとめ)て、腰(こし)にて差引す、其術(じゆつ)至れり盡(つく)せり、手は舞ふといへども、手のみにして體に及ばず、足(あし)は蹈(ふむ)といへども、足のみにして腰(こし)に及ばず、舞(ま)ふも躍(をど)るも兩眼は急度(きつと)見詰め、心を鎭(しづ)め、體(たい)を定めたる事、大學(がく)論語(ろんご)の眞理、聖人の祕訣(ひけつ)、此一曲の中に備(そなは)れり、然るを之を見る者、聖人の道と懸隔(けんかく)すと見て、此大神樂(かぐら)の術(じゆつ)を賤(いや)しむ、儒生(じゆせい)の如き、何ぞ國家の用に立(たゝ)んや、嗚呼(あゝ)術は恐(おそ)るべし、綱渡(つなわた)りが綱の上に起臥して落ざるも又、之(これ)に同じ、能思ふべき事なり 

 

 

 

一九   翁曰、松明(たいまつ)盡(つき)て、手に火の近付時は速(すみやか)に捨(すつ)べし、火事あり危(あやう)き時は荷物は捨(すて)て逃(にげ)出べし、大風にて船くつがへらんとせば、上荷を刎(はぬ)べし、甚(はなはだ)しき時は帆柱(ほばしら)をも伐るべし、此理を知らざるを至愚といふ    

 

 

 

 二〇  川久保民次郎と云者あり、翁の親戚(しんせき)なれども、貧(ひん)にして翁の僕(ぼく)たり國に歸(かへ)らんとして暇(いとま)を乞(こ)ふ、翁曰、夫空腹(くうふく)なる時、他にゆきて一飯(ぱん)をたまはれ、予庭(には)をはかんと云とも、決して一飯を振舞(ふるま)ふ者あるべからず、空腹をこらへて、まづ庭をはかば或(あるひ)は一飯にありつく事あるべし、是(これ)己を捨(すて)て人に隨(したが)ふの道(みち)にして、百事行はれ難(がた)き時に、立至(いた)るも行はるべき道なり、 我若年(じやくねん)初(はじめ)て家を持し時、一枚の鍬(くわ)損(そん)じたり、隣家(りんか)に行て鍬(くわ)をかし呉(くれ)よといふ、隣翁曰、今此畑を耕(たがや)し菜(な)を蒔(ま)かんとする處なり、蒔終(まきをは)らざれば貸し難しといへり、我家に歸(かへ)るも別に爲(な)すべき業(わざ)なし、予此畑を耕して進(しん)ずべしと云て耕し、菜の種(たね)を出されよ、序(ついで)に蒔(まき)て進ぜんと云て、耕し且蒔て、後に鍬をかりし事あり、隣翁曰、鍬に限(かぎ)らず何(なに)にても差支(さしつかへ)の事あらば、遠慮(ゑんりよ)なく申されよ、必(かならず)用達(ようたつ)べしといへる事ありき、斯(かく)の如(ごと)くすれば、百事差支(さしつかへ)なきものなり、汝(なんじ)國に歸(かへ)り、新(あらた)に一家を持たば、必(かならず)此心得あるべし、夫汝未だ壯年なり、 終夜(よもすがら)いねざるも障(さは)りなかるべし、 夜々寝(ね)る暇(ひま)を勵(はげま)し、勤(つとめ)て、草鞋(わらじ)一足或は二足を作り、 明日開拓場に持出し、草鞋の切れ破(やぶ)れたる者に、與(あたへ)んに、受(うく)る人禮せずといへども、 元寝(ね)る暇(ひま)にて作りたるなれば其分なり、禮(れい)を云人あれば、夫丈(それだ)けの德(とく)なり、又一錢半錢を以て應(おう)ずる者あれば是又夫丈(それだけ)の益(えき)なり、能此理を感銘(かんめい)し、連日(れんじつ)おこたらずば、何ぞ志の貫(つらぬ)かざる理あらんや、何事か成ざるの理あらんや、われ幼少(ようせう)の時の勤(つとめ)此外にあらず、肝(きも)に銘(めい)じて忘(わす)るべからず、又損料(そんりやう)を出して、差支(さしつかへ)の物品を用辨するを甚(はなはだ)損なりと云人あれどしからず、夫は事足る人の上の事なり、新(あらた)に一家を持(も)つ時は百事差支へあり、皆損料にて用辨すべし、世に損料ほど辨理(べんり)なる物はなし且(かつ)安き物はなし、決して損料を高き物、損なる物とおもふ事なかれ

 

 

 

二一  年若きもの數名居れり、翁諭(さと)して曰、世の中の人を見よ、一錢(せん)の柿(かき)を買(か)ふにも、 二錢の梨子(なし)を買(か)ふにも、 眞頭(しんとう)の 眞直(まつすぐ)なる 瑕(きづ)のなきを撰(え)りて取るにあらずや、又茶碗(ちやわん)を一つ買ふにも、色の好き形(かたち)の宜(よ)きを撰(え)り撫(なで)て見、 鳴(なら)して音を聞き、撰りに撰りてとるなり、世人皆然り、柿(かき)や梨子(なし)は買(か)ふといへども、惡(あ)しくば捨(すて)て可なり、夫さへも此の如し、 然れば人に撰(えらば)れて、聟(むこ)となり嫁(よめ)となる者、或は仕官(しくわん)して立身を願(ねが)ふ者、己が身に瑕(きづ)ありては人の取らぬは勿論の事、その瑕(きづ)多き身を以て、上に得られねば、上に眼(め)のないなどゝ、上を惡(あし)くいひ、人を咎(とがむ)るは大なる間違(まちが)ひなり、 みづからかへり見よ、必おのが身に瑕(きづ)ある故なるべし、  夫人身の瑕とは何ぞ譬(たとへ)ば酒が好だとか、酒の上が惡ひとか、放蕩(はうとう)だとか、 勝負(しやうぶ)事が好きだとか、 惰弱(だじやく)だとか、無藝(むげい)だとか、何か一つ二つの瑕(きづ)あるべし、買手(かひて)のなき勿論(もちろん)なり、是を、柿梨子に譬(たとふ)れば眞頭(しんとう)が曲(まが)りて澁(しぶ)そふに見ゆるに同じ、されば人の買(かは)ぬも無理(むり)ならず、能勘考すべきなり、古語に内に誠(まこと)あれば、必外に顕(あら)はるゝとあり、瑕(きづ)なくして眞頭の眞直(まつすぐ)なる柿の賣れぬと云事、あるべからず、夫何ほど艸深(ぶか)き中にても、薯蕷(やまいも)があれば、人が直(すぐ)に見付て捨(すて)てはおかず、又泥深き水中に潛伏(せんぷく)する、鰻(うなぎ)鰌(どぜう)も、必人の見付て捕(とら)へる世の中なり、されば内に誠有て、外にあらはれぬ道理あるべからず、此道理を能心得、身に瑕(きづ)のなき樣に心がくべし   

 

 

 

二二  翁曰、 山芋掘(いもほり)は、山芋の蔓(つる)を見て、芋の善惡(よしあし)を知り、 鰻(うなぎ)つりは、泥土の樣子を見て、鰻(うなぎ)の居る居らざるを知り、 良農(りやうのう)は草の色を見て、土の肥痩瘠(こへやせ)を知る、みな同じ、所謂(いはゆる)至誠(しせい)神の如しと云物にして、永年刻苦經驗(けいけん)して、發明するものなり、技藝(ぎげい)に此事多し、侮(あなど)るべからず  

 

 

 

二三   翁多田某に謂て曰、我(われ)東照(とうせう)神君の御遺訓(いくん)と云物を見しに、曰我敵國(てきこく)に生れて、只父祖の仇を報ぜん事の願(ねが)ひのみなりき、祐譽(ゆうよ)が敎(をしへ)に依(より)て、國を安(やす)んじ民を救(すく)ふの、天理なる事を知てより、今日に至(いた)れり、子孫長く此志(このこゝろざし)を繼(つ)ぐべし、若相背(そむ)くに於(おい)ては、我(わが)子孫にあらず、民は是國(くに)の本なればなりとあり、然(しかれ)ば其許(そのもと)が、遺言(ゆいごん)すべき處は、我過(あやまち)て新金銀引替御用を勤(つと)め、自然増長して驕奢(けうしや)に流(なが)れ御用の種金(たねきん)を遣(つか)ひ込み大借に陷(おちい)り、身代破滅(はめつ)に及(およ)ぶべき處(ところ)、報德(ほうとく)の方法に因(よつ)て、莫大(ばくだい)の恩惠(おんけい)を受け、 此の如く安穩(あんのん)に相續する事を得たり、此報恩には、子孫代々驕奢(けうしや)安逸(あんいつ)を嚴(げん)に禁(きん)じ節儉(せつけん)を盡(つく)し身代の半(なかば)を推讓(おしゆづ)り、世益を心掛け、貧(ひん)を救(すく)ひ、村里を富(とま)す事を、勤(つと)むべし、若此遺言(ゆいごん)に背(そむ)く者は、子孫たりといへども、子孫にあらざる故、 速(すみやか)に放逐(はうちく)すべし、 婿嫁(むこよめ)は速に離縁(りえん)すべし、我家株(かかぶ)田畑は、本來報德方法の物なればなりと子孫に遺物(ゆいごん)せば、神君の思召(おぼしめし)と同一にして、孝なり忠なり仁なり義なり、其子孫德川氏の、二代公三代公の如く、その遺言を守らば、其功業(こうげふ)量(はか)るべからず、汝(なんぢ)が家の繁昌(はんじやう)長久も、又限(かぎ)りあるべからず、能々思考(しかう)せよ

 

 

 

二四  翁曰、農(のう)にても商(しやう)にても、富家(ふか)の子弟は、業(げふ)として勤(つと)むべき事なし、貧家の者は活計(くわつけい)の爲に、勤(つと)めざるを得ず、且富(とみ)を願(ねがふ)が故に、自ら勉強(べんきやう)す、富家の子弟は、譬(たとへ)ば山の絶頂(ぜつてう)に居るが如く、登(のぼ)るべき處なく、前後(ぜんご)左右皆眼下(がんか)なり、是に依て分外の願を起(おこ)し、士の眞似(まね)をし、大名の眞似をし、増長(ぞうちやう)に増長して、終(つい)に滅亡(めつばう)す、天下の富者皆然り、 爰(こに長く富貴を維持(いぢ)し、富貴を保(たも)つべきは、只我道推讓(すいじやう)の敎(をしへ)あるのみ、富家の子弟、此推讓の道を蹈(ふま)ざれば、千百萬の金ありといへども、馬糞茸(ばふんだけ)と何ぞ異(ことな)らん、夫馬糞茸は季候に依て生じ、幾程(いくほど)もなく腐廢(ふはい)し、世上の用にならず、只徒(いたづ)らに生じて、徒らに滅(めつ)するのみ、世に富家と呼(よ)ばるゝ者にして、如斯なる、豈(あに)惜(お)しき事ならずや

 

 

 

二五  翁曰、百事決定(けつぢやう)と注意(ちうい)とを肝要(かんえう)とす、如何となれば、何事によらず、百事決定と注意とによりて、事はなる物なり、小事たりといへども、決定する事なく、注意する事なければ、百事悉(ことごと)く破(やぶ)る、夫一年は十二ヶ月也、然して月々に米實法(みの)るにあらず、只初冬一ヶ月のみ米實法りて、十二月米を喰(くら)ふは、人々しか決定して、しか注意するによる、是によりて是を見れば、二年に一度、三年に一度實法るとも、人々其通り決定して注意せば、決して差支(さしつかへ)あるべからず、 凡物の不足は、皆覺悟(かくご)せざる處に出るなり、されば人々平日の暮(くら)し方、大凡此位の事にすれば、年末に至て餘(あま)るべしとか、不足すべしとか、しれざる事はなかるべし、是に心付ず、うかうかと暮して、大晦日に至り始て驚(おどろ)くは、愚(ぐ)の至(いた)り不注意の極(きはまり)なり、ある飯焚(めしたき)女が曰、一日に一度づゝ米櫃(びつ)の米をかき平均(なら)して見る時は、米の俄(にはか)に不足すると云事、決してなしといへり、是飯焚(めしたき)女のよき注意なり、此米櫃(びつ)をならして見るは、則ち一家の店卸(たなおろ)しにおなじ、能々決定して注意すべし  

 

 

 

二六   翁曰、善惡(ぜんあく)の論(ろん)甚(はなはだ)むづかし、本來を論ずれば、善も無し惡もなし、善と云て分つ故に、惡と云物出來るなり、元人身の私(わたくし)より成れる物にて、人道上の物なり、故に人なければ善惡なし、人ありて後に善惡はある也、故に人は荒蕪(あれち)を開くを善とし、田畑を荒すを惡となせども、猪鹿(いしか)の方にては、 開拓(かいたく)を惡とし荒(あら)すを善とするなるべし、 世法盗(ぬすみ)を惡とすれども、盗中間にては、盗を善とし是を制する者を惡とするならん、然(しか)れば、如何なる物是善ぞ、如何なる物是惡ぞ此理明辯(めいべん)し難(がた)し、此理の尤(もつとも)見安きは遠近なり、遠近と云も善惡(ぜんあく)と云も理は同(おな)じ、譬(たとへ)ば杭(くひ)二本を作り一本には遠(とほし)と記(しる)し一本には近(ちかし)と記(しる)し、此二本を渡して此杭を汝(なんじ)が身より、遠き所(ところ)と近き所と、二所に立べしと云付る時は、速(すみやか)に分(わか)る也、予が歌に「見渡(わた)せば遠き近きはなかりけりおのれおのれが住處(すみか)にぞある」と此歌(うた)善(よ)きもあしきもなかりけりといふ時は、人身に切(せつ)なる故に分らず、遠近は人身に切ならざるが故によく分る也、工事に曲直を望(のぞ)むも、餘(あま)り目に近過(ちかすぎ)る時は見えぬ物也、さりとて遠過ても又、眼力及ばぬ物なり、 古語に遠山(とほきやま)木なし、遠海(とほきうみ)波なし、といへるが如し、故に我身(わがみ)に疎(うと)き遠近に移(うつ)して諭(さと)す也、夫遠近は己が居處(ゐどころ)定りて後に遠近ある也、居處定らざれば遠近必なし、大坂遠(とほ)しといはゞ、關東(くわんとう)の人なるべし、關東(くわんとう)遠しといはゞ、上方の人なるべし、禍福(くわふく)吉凶是非得失皆に同じ、禍福も一つなり、善惡(ぜんあく)も一つなり、得失も一つ也、元一つなる物の半(なかば)を善とすれば、其半は必惡也、然るに其半に惡なからむ事を願ふ、是成難(なりがた)き事を願(ねが)ふなり、夫人生れたるを喜(よろこ)べば死の悲(かな)しみは隨(したがつ)て離(はな)れず、咲(さき)たる花の必ちるに同じ、生じたる草の必枯(か)るるにおなじ、 涅槃經(ねはんぎやう)に此譬(たとへ)あり、 或人の家に容貌(かほかたち)美麗(うるはしく)端正(たんせい)なる婦人入り來る、主人如何(いか)なる御人ぞと問、婦人答(こたへ)て曰我は功德(くどく)天なり、我至る所、吉祥福德(きちじやうふくとく)無量(むりやう)なり、主人悦(よろこ)んで請(しよう)じ入る、 婦人曰我に隨從(ずゐじう)の婦一人あり、必跡(あと)より來る是をも請ずべしと、主人諾(だく)す、時に一女來る、容貌(かほかたち)醜陋(しうろう)にして至て見惡(にく)し、如何なる人ぞと問、此女答て曰、我は黑闇天(こくあんてん)なり、我至る處、不詳<ママ>災害(さいがい)ある無限(むげん)なりと、 主人是を聞大に怒(いか)り、速(すみやか)に歸(かへ)り去(さ)れといへば此女曰、 前に來れる功德(くどく)天は我姉(あね)なり、暫(しばら)くも離(はなる)る事あたはず、 姉を止めば我をも止(とゞ)めよ、我をいださば姉をも出せと云、 主人暫(しばら)く考(かんが)へて、二人ともに出しやりければ、二人連れ立て出行きけり、と云事ありと聞けり、是生者必滅(ひつめつ)會者定離(ぢやうり)の譬(たとへ)なり、死生は勿論禍福吉凶、損益得失(そんえきとくしつ)皆同じ、元禍と福と同體にして一圓なり、吉と凶と兄弟にして一圓也、百事皆同じ、只今も其通り、通勤(つうきん)する時は、近くてよいといひ、火事だと云と遠くてよかりしと云也、是を以てしるべし
    *
不詳<ママ><ママ>は引用者が付けたものです。

 

 

 

 

二七 禍福(くわふく)二つあるにあらず、元來一つなり、近く譬(たと)ふれば、庖丁(はうてう)を以て茄子を切り、大根を切る時は、福なり、 若指(ゆび)を切る時は禍(わざはひ)なり、只柄を持て物を切ると、誤(あやまつ)て指(ゆび)を切るとの違(たがひ)のみ、夫柄(え)のみありて刃無ければ、庖丁にあらず、刃ありて柄無ければ、又用をなさず、柄あり刃ありて庖丁なり、柄あり刃あるは庖丁の常(つね)なり、然して指を切る時は禍とし、菜を切る時は福とす、されば禍福と云も、私物にあらずや、水もまた然(しか)り、畦(あぜ)を立て引(ひけ)ば田地を肥(こや)して福なり、畦なくして引ときは、肥(こへ)土流れて田地やせ、其禍(わざはひ)たるや云べからず、只畦(あぜ)有と畦なきとの違のみ、元同一水にして、畦(あぜ)あれば福(さいはひ)となり畦なければ禍(わざはひ)となる、富(とみ)は人の欲する處なり、然りといへども、己が爲にするときは禍是に隨(したが)ひ、世の爲にする時は福是に隨ふ、財寶も又然り、積(つん)で散ずれば福となり、積で散ぜざれば禍となる、是人々知らずんばあるべからざる道理なり

 

 

 

二八  翁曰何事にも變通(へんつう)といふ事あり、しらずんばあるべからず、則權(けん)道なり、夫難(かた)きを先にするは、聖人(せいじん)の敎(をしへ)なれども、是は先仕事を先にして、而して後に賃金(ちんきん)を取れと云が如き敎なり、爰に農家(のうか)病人等ありて、耕(たがやし)耘(くさぎり)手後(おく)れなどの時、艸多き處を先にするは世上の常(つね)なれど、右樣の時に限りて、草少く至て手易(やす)き畑より手入して、至て草多き處は、最後(さいご)にすべし、是尤(もつとも)大切の事なり、至て草多く手重(ておも)の處を、先にする時は、大に手間(てま)取れ、其間に草少き畑も、皆一面草になりて、何(いづ)れも手後(ておく)れになる物なれば、草多く手重(ておも)き畑は、五畝や八畝は荒すとも儘(まゝ)よと覺悟(かくご)して暫(しばら)く捨置(すておき)、草少く手輕(てがる)なる處より片付(かたづく)べし、しかせずして手重(ておも)き處に掛(かゝ)り、時日を費(つひや)す時は、僅(わづか)の畝歩の爲に、總體の田畑、順(じゆん)々手入れ後れて、大なる損となるなり、國家を興復(こうふく)するも又此理なり、しらずんばあるべからず、又山林を開拓するに、大なる木の根は、其儘(まゝ)差置て、廻りを切り開くべし、而して三四年を經れば、木の根自(おのづか)ら朽(くち)て力を入ずして取るゝなり、是を開拓(かいたく)の時一時に掘取(ほりと)らんとする時は勞(らう)して功(こう)少(すくな)し、百事その如し、村里を興復(こうふく)せんとすれば、必抗(かう)する者あり、是を處する又此理なり、決(けつ)して拘(かゝは)るべからず障(さわ)るべからず、度外に置(おき)てわが勤を勵(はげ)むべし

 

 

 

二九 翁曰今日は則冬至なり、夜の長(なが)き則天命なり、夜の長きを憂(うれ)ひて、短(みじか)くせんと欲(ほつ)すとも、如何ともすべなし、 是を天と云、而して此行燈(あんどん)の皿に、油の一杯ある、是も又天命なり、此一皿の油、此夜の長(ながき)を照(てら)すにたらず、是又如何ともすべからず、共に天命なれども、人事を以て、燈心(とうしん)を細(ほそ)くする時は、夜半にして消(きゆ)べき燈(ともしび)も、曉(あかつき)に達すべし、是人事の盡(つく)さゞるべからざる所以なり、譬(たとへ)ば伊勢詣(まうで)する者東京(えど)より伊勢まで、まづ百里として路用拾圓なれば、上下廿日として、一日五十錢に當る、是則天命なり、然るを一日に六十錢づゝ遣(つか)ふ時は、二円の不足を生ず、之を四十錢づゝ遣ふ時は貳圓の有餘を生ず、是人事を以て天命を伸縮(しんしゆく)すべき道理の譬(たとへ)也、夫此世界は自轉運動(じてんうんどう)の世界(せかい)なれば、決(けつ)して一所に止らず、 人事の勤惰(きんだ)に仍て、天命も伸縮(しんしゆく)すべし、たとへば今朝焚(たく)べき薪(たきぎ)なきは、是天命なれども、明朝取來れば則(すなはち)あり、今水桶(おけ)に水の無きも、則差當(さしあたり)て天命なり、されども汲(くみ)來れば則あり、百事此道理なり

 

 

 

三〇  翁常陸(ひたち)國靑木村のために、力を盡(つく)されし事は、予が兄大澤勇助が、烏(からす)山藩(はん)の菅谷某と謀(はか)りて、起草し、小田某に托(たく)し、漢文(かんぶん)にせし、靑木村興復起事(こうふくきじ)の通りなれば、今贅(ぜい)せず、扨(さて)年を經(へ)て翁其近村灰塚村(はいつかむら)の、興復方法を扱(あつかは)れし時、靑木村、舊年の報恩の爲にとて、冥加(みやうが)人足と唱(とな)へ、毎戸(まいこ)一人づゝ、無賃(むちん)にて勤(つと)む、翁是を檢(けん)して、後に曰、今日來り勤(つとむ)る處の人夫、過半二三男(なん)の輩(ともがら)にして、我往年厚(あつ)く撫育(ぶいく)せし者にあらず、是表(おもて)に報恩(ほうおん)の道を餝(かざ)るといへども、内情(ないじやう)如何(いかん)を知るべからず、されば我此冥加人足を出せしを悦(よろこ)ばずと、靑木村地頭(ぢとう)の用人某(それがし)、是を聞(きゝ)て我能(よく)説諭(せつゆ)せんと云、翁是を止(とゞ)めて曰、是道にあらず、縱令(たとひ)内情(ないじやう)如何(いか)にありとも、彼(かれ)舊恩を報(むく)いん爲とて、無(む)賃にて數十人の人夫を出せり、内情の如何を置(おい)て、稱(しよう)せずばあるべからず、且薄(うすき)に應(おう)ずるには厚(あつき)を以てすべし、是則道なりとて人夫を招(まね)き、舊恩の冥加(みやうが)として、遠路(えんろ)出來り、無賃にて我業を助(たす)くる、其奇特(きとく)を懇(こんこん)賞し、且(かつ)謝(しや)し過分の賃銀を投與(とうよ)して、歸村を命ぜらる、 一日を隔(へだて)て村民老若を分たず、皆未明より出來て、終日休せずして働(はたら)き賃錢を辭(じ)して去る、翁又金若干(そこばく)を贈(おく)られたり

 

 

 

三一  翁曰一言を聞ても人の勤惰(きんだ)は分る者なり、東京(えど)は水さへ錢が出ると云は、懶惰(らんだ)者なり、水を賣(うり)ても錢が取れるといふは勉強(べんきやう)人なり、夜は未だ九時なるに十時だと云者は、寝(ね)たがる奴(やつ)なり、未だ九時前也と云は、勉強心のある奴(やつ)なり、すべての事、下に目を付け、下に比較(ひかく)する者は、必下り向の懶惰(らんだ)者なり、たとへば碁(ご)を打て遊(あそ)ぶは酒を飲(のむ)よりよろし、酒を呑むは博奕よりよろしと云が如し、上に目を付け上に比較(ひかく)する者は、必上り向なり、古語に、一言以て知とし一言以て不知とすとあり、うべなるかな

 

 

 

三二  翁曰聖人(せいじん)も聖人にならむとて、聖人になりたるにはあらず、日々夜々天理に隨(したが)ひ人道を盡(つく)して行ふを、他より稱(しよう)して聖人といひしなり、堯舜(ぎやうしゆん)も一心不亂に、親(おや)に仕へ人を憐(あはれ)み、國の爲に盡(つく)せしのみ、然(しか)るを他より其德を稱して、聖人といへるなり、諺(ことわざ)に聖人々々といふは、誰(た)が事と思ひしにおらが隣(となり)の丘(きう)が事かといへる事あり、 誠(まこと)にさる事なり、 我昔(むかし)鳩(はと)ヶ谷驛(えき)を過(すぎ)し時、同驛にて不士講に名高き、三志と云者あれば尋(たづね)しに、三志といひては誰(たれ)もしるものなし、能々問尋(たづね)しかば、夫は横(よこ)町の手習師匠(てならひしせう)の庄兵衛が事なるべし、といひし事ありき、是におなじ

 

 

 

三三 下舘(だて)侯の寶藏(ほうざう)火災(くわさい)ありて、重寶(ぢゆうほう)天國(あまくに)の劍(つるぎ)燒(や)けたり、官吏城下の富商中村某(それがし)に謂(いつ)て曰、如斯(かく)(や)けたりといへども、當家第一の寶物なり、能研(と)ぎて白鞘(さや)にし、藏に納(おさ)め置(おか)んと評議(ひやうぎ)せり如何(いかん)、中村某燒(やけ)たる劍(けん)を見て曰、尤の論(ろん)なれど無益なり、例令(たとひ)此劍(けん)燒(やけ)ずとも、如此細(ほそ)し、何の用にか立ん、然る上に如此たるを、今研ぎて何の用にかせん、此儘(このまゝ)にて仕舞置(しまひおく)べしと云り、 翁聲(こゑ)を勵(はげま)して曰、 汝(なんぢ)大家の子孫に産(うま)れ、祖先(そせん)の餘光に因(よ)りて、格式(かくしき)を賜(たまは)り、 人の上に立ちて、人に敬(けい)せらるる、汝(なんぢ)にして、右樣の事を申すは、大なる過ちなり、汝が人に敬(けい)せらるゝは、太平の恩澤(おんたく)なり、今は太平なり、何ぞ劍の用に立と立(たざるとを論ずる時ならんや、夫汝(なんぢ)自ら省(かへ)り見よ、汝が身用に立つ者と思ふか、汝はこの天國の燒劍(やけみ)と同(おな)じく、實は用に立つ者にあらず、只先祖の積德(せきとく)と、家柄(いへがら)と格式(かくしき)とに仍て、用立(たつ)者の如くに見え、人にも敬せらるゝなり、燒身(やけみ)にても細身(ほそみ)にても重寶と尊(たふと)むは、太平の恩澤(おんたく)此劍(けん)の幸福(かうふく)なり、汝を中村氏と、人々敬(けい)するは、是又太平の恩德と先祖の餘蔭(よいん)なり、用立(たつ)用立(たゝ)ざるを論(ろん)ぜば、汝が如きは捨(すて)て可なり、假令(たとひ)用立(たゝ)ずとも、 當家御先祖の重寶(ぢゆうほう)、古代の遺物(ゐぶつ)、是を大切にするは、太平の今日至當(したう)の理なり、我は此劍(けん)の爲に云にあらず、汝(なんぢ)がために云なり、能々沈思(ちんし)せよ、往時水府(すゐふ)公、寺社の梵鐘(つりがね)を取上げて、大砲に鑄替(いか)へ玉ひし事あり、 予此時にも、御處置(しよち)惡(あし)きにはあらねども、未だ太平なれば甚(はなはだ)早し、太平には鐘や手水鉢(てうづばち)を鑄(い)て、社寺に納(おさ)めて、太平を祈(いの)らすべし、 事あらば速(すみやか)に取て大砲となす、誰(たれ)か異議(いぎ)を云ん、 社寺ともに悦(よろこ)んで捧(さ)ぐべし、 斯(かく)して國は保(たも)つべきなり、若(もし)敵(てき)を見て大砲を造(つく)る、所謂(いはゆる)盗(ぬすびと)を捕(とら)へて繩(なわ)を索(な)ふが如しと云んか、然りといへども尋常(じんじやう)の敵(てき)を防(ふせ)ぐべき備(そな)へは、今日足(た)れり、其敵(てき)の容易(ようい)ならざるを見て、我領内(わがりやうない)の鐘(かね)を取て、大砲に鑄(い)る何ぞ遲(おそ)からんや、 此時日もなき程ならば、大砲ありといへども、必防(ふせ)ぐ事あたはざるべし、と云し事ありき、何ぞ太平の時に、亂世の如き論(ろん)を出(いだ)さんや、斯の如く用立ざる燒身をも寶とす、況(いはん)や用立べき劍に於てをや、然らば自然宜敷劍(けん)も出來(いでき)たらん、されば能(よく)研ぎあげて白鞘(しらさや)にし、元の如く、腹紗(ふくさ)に包(つゝ)み二重の箱(はこ)に納(おさ)めて、重寶とすべし、是汝に帶刀(たいとう)を許(ゆる)し格式(かくしき)を與ふるに同じ、能々心得べしと、中村某叩頭(こうとう)して謝(しや)す、時九月なり、翌朝(よくてう)中村氏發句(ほつく)を作りて或人に示す、其句「じりじりと照りつけられて實法(みの)る秋」と、ある人是を翁に呈(てい)す翁見て悦喜(えつき)限(かぎ)りなし、曰我昨夜中村を敎戒(けうかい)す、定めて不快(ふくわい)の念あらんか、怒氣(どき)内心に滿(みた)んかと、ひそかに案じたり、然れども家柄と大家とに懼(おそ)れ、おもねる者のみなれば、しらずしらず増長して、終に家を保つ事覺束(おぼつか)なしと思ひたれば、止むを得ず嚴(げん)に敎戒(けうかい)せるなり、然るに怒氣(どき)を貯(たくは)へず、 不快の念(ねん)もなく、 虚心(きよしん)平氣(へいき)に此句を作る、 其器量(きりやう)按外にして、大度見えたり、此家の主人たるに耻(はぢ)ず此家の維持(いぢ)疑(うたが)ひなし、古語に我(われ)を非(ひ)として當(あた)る者は我師也とあり、 且大禹(たいう)は善言を拜すともあり、汝等(なんぢら)も肝銘(かんめい)せよ、夫富家(ふか)の主人は、何を言ても、御尤(ごもつとも)御尤と錆付(さびつく)者のみにて、礪(と)に出合て研(と)ぎ磨(みが)かるゝ事なき故(ゆゑ)慢心(まんしん)生ずるなり、 譬(たとへ)ば、 爰(こに正宗(まさむね)の刀(かたな)ありといへども、 研(と)ぐ事なく磨(みが)く事なく、錆付(さびつく)物とのみ一處におかば、忽(たちまち)腐(くさ)れて、紙(かみ)も切れざるに至るべし、其如く、三味線(さみせん)引や、太鼓持(たいこもち)などゝのみ交(まじは)り居(ゐ)て、夫も御尤、是も御尤と、こび諂(へつら)ふを悦んで明(あか)し暮(くら)し、爭友(そうゆう)一人のなきは、豈(あに)あやふからざらんや  

 



 

三四  翁高野某を諭(さと)して曰、物(もの)各(おのおの)命(めい)あり數(すう)あり、猛火(もうくわ)の近づくべからざるも、薪(たきぎ)盡(つき)れば火(ひ)は隨(したがつ)てきゆるなり、矢玉の勢(いきほひ)、あたる處必破(やぶ)り必殺(ころ)すも、弓勢(きゆうせい)つき、藥力(やくりよく)盡(つき)れば叢(くさむら)の間に落(お)ちて、人に拾(ひろ)はるゝにいたる、人も其の如し、おのれが勢(いきほひ)、世に行はるゝとも、己(おのれ)が力(ちから)と思ふべからず、親(おや)先祖(せんぞ)より傳(つた)へ受けたる位禄(いろく)の力(ちから)と、拜命(はいめい)したる官職(くわんしよく)の威光(いくわう)とによるが故なり、夫れ先祖傳來(せんぞでんらい)の位禄(いろく)の力(ちから)か、職の威光がなければ、いかなる人も、弓勢(きゆうせい)の盡(つき)たる矢(や)、藥力(やくりよく)の盡(つき)たる鐵炮(てつぱう)玉に異(こと)ならず、草間に落(おち)て、人に愚弄(ぐろう)さるゝに至るべし、思はずばあるべからず

 

 

 

三五  同氏は、相馬領(そうまりやう)内衆(しう)に抽(ぬき)んでゝ、仕法發業(ほつげふ)を懇願(こんぐわん)せし人なり、仍(よつ)て同氏預(あづか)りの、成田坪田二村に開業(かいげふ)なり、仕法を行ふ僅(わづか)に一年にして、分度(ぶんど)外の米、四百拾俵を産出(うみいだ)せり、同氏藏(くら)を建(たて)て收(をさ)め貯(たくは)へ、凶歳(きやうさい)の備(そな)へにせんとす、翁曰村里の興復(こうふく)を謀(はか)る者は、米金を藏に收(をさむ)るを尊(たふと)まず、此米金を村里の爲に、遣ひ拂(はら)ふを以て專務(せんむ)とするなり、此遣(つか)ひ方の巧拙(こうせつ)に依(よつ)て、興復に遲速(ちそく)を生ず、尤(もつとも)大切なり、凶荒(きやうかう)豫備(よび)は仕法成就(じやうじゆ)の時の事なり、今卿(きみ)が預(あづか)りの、村里の仕法、昨年發業(ほつげふ)なり、是より一村興復(こうふく)、永世安穩(あんのん)の規模(きぼ)を立べきなり、先づ是こそ、此村に取(とつ)て急務(きうむ)の事業(じげふ)なれと云ふ事を、能々(よくよく)協議(きやうぎ)して開拓なり、道路橋梁(きやうりやう)なり、窮民撫育(きうみんぶいく)なり、尤務(つと)むべきの急(きう)を先にし、又村里のために、利益(りえき)多(おほ)き事に着手し、害(がい)ある事を除(のぞ)くの方法に、遣(つか)ひ拂ふべし、急務(きうむ)の事皆(みな)すまば、山林を仕立(したつ)るもよろし、土性轉換(てんくわん)もよろし、非常飢疫(ひじやうきえき)の豫備(よび)尤(もつと)もよろし、卿等(きみら)能々思考すべし

 

 

 

三六 某氏事をなして、過(すぐ)るの癖(へき)あり、翁諭(さと)して曰、凡(およそ)物毎(ごと)に度(ど)と云事あり、飯(めし)を炊(た)くも料理(りやうり)をするも、皆宜(よろ)しき程(ほど)こそ肝要(かんえう)なれ、我方法も又同じ、世話(せわ)をやかねば行(おこなは)れざるは、勿論(もちろん)なれども、世話もやき過(すぎ)ると、 又人に厭(いと)はれ、如何(いかに)して宜(よろ)しきや分(わか)らず、 先づ捨(すて)おくべしなどゝ、云に至るものなり、古人の句に「さき過(すぎ)て是さへいやし梅の花」とあり、云得(え)て妙なり、百事過(すぎ)たるは及ばざるにおとれり、心得べき事なり

 

 

 

三七  浦賀の人、飯高六藏、多辯(べん)の癖(くせ)あり、暇(いとま)を乞(こ)ふて國(くに)に歸(かへ)らんとす、翁諭(さと)して云、汝(なんぢ)國(くに)歸(かへ)らば決して人に説(と)く事を止(とゞ)めよ人に説く事を止めて、おのれが心にて、己が心に異見(いけん)せよ、己が心にて己が心に異見(いけん)するは、柯(か)を取(とつ)て、柯(か)を伐(き)るよりも近(ちか)し、元(もと)己が心なればなり、夫れ異見する心は、汝(なんぢ)が道心(だうしん)なり、異見せらるゝ心は、汝が人心なり、寝(ね)ても覺(さめ)ても坐(ざ)しても歩行(あるい)ても、 離(はな)るゝ事なき故、行住坐臥(ぎやうじうざぐわ)油斷(ゆだん)なく異見(いけん)すべし、 若(もし)己酒(さけ)を好(この)まば、多く飲(の)む事を止めよと異見すべし、 速(すみやか)に止(や)めばよし、止めざる時(とき)は幾度(いくたび)も異見せよ、其外(そのほか)驕奢(きやうしや)の念(ねん)起(おこ)る時も、安逸(あんいつ)の欲(よく)起る時も皆(みな)同じ、百事此の如くみづから戒(いまし)めば、是(これ)無上(むじやう)の工夫(くふう)なり、 此工夫を積(つ)んで、 己が身修(をさま)り家齊(との)ひなば、是己が心、己が心の異見(いけん)を聞(き)しなり、此時(このとき)に至(いた)らば人汝(なんぢ)が説(せつ)を聞く者あるべし、己修(をさまつ)て人に及(およ)ぶが故(ゆへ)なり、己が心にて己が心を戒(いま)しめ、己聞ずば必人に説く事なかれ、且つ汝(なんぢ)家に歸(かへ)らば、商法に從事(じうじ)するならん、土地柄(がら)といひ、累代(るいだい)の家業といひ至當(したう)なり、去(さり)ながら、汝(なんぢ)賣買(ばいばい)をなすとも必金を設(まうけ)んなどゝ思ふべからず、只(たゞ)商道(しやうだう)の本意を勤(つと)めよ、 商(しやう)人たる者、商道の本意を忘(わす)るゝ時は、 眼前(がんぜん)は利を得(う)るとも詰(つま)り滅亡(めつぼう)を招(まね)くべし、能(よく)商道の本意を守(まも)りて勉強(べんきやう)せば、財寶(ざいほう)は求(もとめ)ずして集(あつま)り、富榮(ふえい)繁昌(はんじやう)量(はか)るべからず、必(かなら)ず忘(わす)るゝ事なかれ

 

 

 

三八  嘉永五年正月、翁おのが家の温泉(おんせん)に入浴(よく)せらるゝ事數(すう)日、予が兄大澤精精一、翁に隨(したがつ)て入浴す、 翁湯桁(ゆげた)にゐまして諭(さと)して曰、夫世の中汝等(なんぢら)が如き富者(ふしや)にして、皆(みな)足(た)る事を知らず、飽(あ)くまでも利を貪(むさぼ)り、不足を唱(とな)ふるは、大人(だいにん)のこの湯船(ゆぶね)の中に立て、屈(か)まずして、湯(ゆ)を肩(かた)に掛(か)けて、湯船はなはだ淺(あさ)し、 膝(ひざ)にだも滿(み)たずと、 罵(のし)るが如し、若(もし)湯(ゆ)をして望(のぞみ)に任(まか)せば、小人(せうにん)童子(どうじ)の如きは、入浴(よく)する事あたはざるべし、是(これ)湯船(ゆぶね)の淺(あさ)きにはあらずして、己(おのれ)が屈(かまざるの過(あやまち)なり、能(よく)此過(あやまち)を知りて屈(かまば、湯(ゆ)忽(たちまち)肩(かた)に滿(みち)て、おのづから十分ならん、何ぞ他に求(もとむ)る事をせん、世間(せけん)富者(ふしや)の不足を唱(となふ)る、何ぞ是に異(ことな)らん、夫れ分限(ぶんげん)を守(まも)らざれば、千萬石といへども不足なり、一度(たび)過分(くわぶん)の誤(あやまり)を悟(さと)りて分度(ぶんど)を守(まも)らば、有餘(いうよ)おのづから有て、人を救(すく)ふに餘(あまり)あらん、夫湯船は大人(だいにん)は屈(かんで肩(かた)につき、小人(せうにん)は立て肩(かた)につくを、中庸(よう)とす、百石の者は、五十石に屈(かんで、五十石の有餘(いうよ)を讓(ゆづ)り、千石の者は、五百石に屈んで、五百石の有餘を讓る、是を中庸と云べし、 若(もし) 一郷(きやう)の内一人、 此道を蹈(ふ)む者あらば、人々皆(みな)分(ぶん)を越(こゆ)るの誤(あやまり)を悟(さと)らん、人々皆(みな)此誤(あやまり)を悟(さと)り、分度(ぶんど)を守りて、克(よく)讓(ゆづ)らば、一郷(きやう)富榮(ふえい)にして、和順(わじゆん)ならん事(こと)疑(うたが)ひなし、古語に一家仁なれば、一國仁に興(おこ)るといへり、能思ふべき事なり、夫れ仁は人道の極(きよく)なり、儒者(じゆしや)の説(せつ)甚(はなは)だむづかしくして、用をなさず、 近(ちか)く譬(たとふ)れば、此湯船の湯の如し、是を手にて己(おのれ)が方に掻けば、湯我(わ)が方に來るが如くなれども、皆向(むか)ふの方へ流(なが)れ歸(かへ)るなり、是を向(むか)ふの方へ押(お)す時(とき)は、湯向ふの方へ行(ゆ)くが如くなれども、又我方へ流(なが)れ歸る、少(すこし)く押(お)せば少(すこし)く歸(かへ)り、強(つよ)く押(お)せば強(つよ)く歸(かへ)る、是天理なり、 夫仁(じん)と云義(ぎ)と云は、向(むかふ)押(お)す時(とき)の名なり、我(わが)方へ掻(か)く時は不仁(ふじん)となり、不義(ぎ)となる、愼(つゝし)まざるべけんや、古語に、己(おのれ)に克(かつ)て禮(れい)に復(かへ)れば、天下仁に歸(き)す、仁をなす己による、人によらんやとあり、己とは、手の我方(わがかた)へ向(む)く時(とき)の名なり、禮とは我手を、先の方に向くる時の名なり、我方へ向けては、仁(じん)を説(と)くも義(ぎ)を演(のぶ)るも、皆(みな)無益(むえき)なり、能思ふべし、夫(それ)人體(じんたい)の組立(くみたて)を見よ、人の手は、我方(わがかた)へ向きて、 我爲に辨利(べんり)に出來(でき)たれども、又向ふの方へも向き、向ふへ押(お)すべく出來(でき)たり、是人道の元(もと)なり、鳥獸(とりけもの)の手は、是に反(はん)して、只我方(わがかた)へ向きて、我に辨利なるのみ、されば人たる者は、他(た)の爲(ため)に押(お)すの道(みち)あり、然(しか)るを我が身の方に手を向け、我爲に取(と)る事而已(のみ)を勤(つと)めて、先(さき)の方に手を向(む)けて、他(た)の爲に押(お)す事を忘(わす)るゝは、人にして人にあらず、則(すなはち)禽獸(きんじう)なり豈(あに)耻(はづ)かしからざらんや、只耻(はづ)かしきのみならず、天理に違(たが)ふが故に終(つひ)に滅亡(めつぼう)す、 故に我常(つね)に奪(うば)ふに益(えき)なく讓(ゆづ)るに益(えき)あり、讓るに益あり奪ふに益なし、是天理なりと敎ふ、能々玩味(ぐわんみ)すべし

 

 

 

 

 

 

 

二宮翁夜話 巻之一  終

 

 

 

   

(注)1. 本文は、福住正兄筆記・佐々井信太郎校訂、岩波文庫版『二宮翁夜話』 
    
(1933年6月25日第1刷発行・1941年12月15日第13刷改版発行・2004年2月24日第20刷発
      行)
によりました。
    2. 岩波書店刊『日本思想大系52 二宮尊徳・大原幽學』(1973年5月30日第1刷
     発行、
『二宮翁夜話』の校注者は、奈良本辰也氏。によった本文が、資料31にあ
    ります。 
   3. 引用に当たって、踊り字(繰返し符号)は、「々」及び「ゝ(ヽ)」「ゞ(ヾ)」の
         他はすべて普通の仮名に改めました。
   4. 本文のルビは、( )に入れて文中に示しました。
       5. 『二宮翁夜話』は巻之五までありますが、ここには巻之一のみを収録しまし
     た。
   6. 宇都宮大学附属図書館所蔵の「二宮尊徳関係資料一覧」が、同図書館の
     ホームページで見られます。
    7. 小田原市のホームページに、栢山にある「小田原市尊徳記念館」の案内
     ページがあります。 
       8. 「GAIA」 というホームページに二宮尊徳翁についてのページがあり、尊徳
     翁を理解する上でたいへん参考になります。また、『報徳記』を原文で読むこと
     もできます。

 

           

 


 

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