資料75 二宮翁夜話(巻之二)

                         

       二宮翁夜話 巻之二               福住正兄筆記



 

三九 翁曰、学問は活用を尊(タフト)ぶ、万巻の書を読(ヨ)むといへ共、活用せざれば用はなさぬものなり、論語に、里は仁をよしとす、撰(エラ)んで仁に居らずんば焉(イヅクン)ぞ智を得ん、とあり、誠に名言なり、然といへども、遊歴人(ユウレキジン)や店借人などならば、撰んで仁の村に居る事も出来べし、されど田畑山林家蔵を所有する何村の何某なる者、如何なる仁義の村があればとて、其村に引越す事出来べきや、さりとて其不仁の村に不快ながら住居ては、智者とは云はれざる勿論なり、扨断然(ダンゼン)不仁の村を捨て、仁義の村に引越す者ありとも我は是を智者とは云ず、書を読(ヨ)んで活用を知らざる愚者と云べし、如何となれば、何村の何某と云るゝ程の者、全戸を他村に引移す事容易にあらず、其費用も莫大なるべし、此莫大の費金を捨(ステ)、住馴(スミナレ)し古郷を捨る、愚にあらずして何ぞ、夫(そレ)人に道あり、道は蛮貊(バンパク)の邦といへども行はるゝ物なれば、如何なる不仁の村里といへ共道の行れざる事あるべからず、自(ミづから)此道を行ひて、不仁の村を仁義の村に為して、先祖代々其処に永住するをこそ、智といふべけれ、此の如くならざれば、決して智者といふべからず、然して其不仁の村を、仁義の村にする、甚(はなはダ)難からず、先(まヅ)自分道を蹈(フン)で、己が家を仁にするにあるなり、己が家仁にならずして、村里を仁にせんとするは、白砂を炊(カシイ)で飯(メシ)にせんとするに同じ、己が家誠に仁になれば、村里仁にならざる事なし、古語に曰、一家仁なれば一国仁に興(オコ)り、一家譲(ユヅリ)あれば一国譲に興(オコ)る、又曰、誠に仁に志せば悪なし、とある通り、決して疑(ウタガ)ひなき物なり、夫爰(コヽ)に竹木など本末入交り、竪横(タテヨコ)に入乱れたるあり、是を一本づゝ本を本にし、末を末にして止ざる時は、終に皆本末揃(ソロ)ひて整然(セイゼン)となるが如し、古語に、直(ナホキ)を挙(アゲ)て諸(モロモロ)の曲(マガ)れるを措(オ)く時はよく曲れる者をして直からしむ、とある通り、善人を挙げ直人を挙て、厚(あつク)賞誉(シヨウヨ)して怠(オコタ)らざる時は必四五ヶ年間を出ずして、整然(セイゼン)たる仁義の村となる事、疑(ウタガ)ひなき物なり、世間の富者、此理に闇(クラ)く書を読んで活用を知らず、我家を仁義にする事を知らず、徒(イタヅ)らに迷(マヨヒ)を取て、村里の不仁なるを悪み村人義を知らず、人気悪し風儀悪しと詈(ノヽシ)り、他方に移(ウツ)らんとする者往々あり、愚と云べし、扨(サテ)村里の人気を一新し風俗を一洗すると云事、尤難(カタ)き事なれども、誠心を以てし、其法方を得れば、左程難(カタ)き事にはあらざるなり、先(まヅ)衰貧(スイヒン)を挽(バン)回し、頽廃(タイハイ)を興復するより手を下し方法の如くして漸次(ゼンジ)、人気風儀を一洗すべし、扨人気風儀を一新なすに機会(キクワイ)あり、譬(タトヘ)ば今爰(コヽ)に戸数一百の邑あり、其中四十戸は衣食不足なく、六十戸は窮乏なれば、一邑其貧を恥(ハヂ)とせず、貧を恥とせざれば租税を納ざるを恥ず、借財を返さゞるを恥ず、夫役を怠(オコタ)るを恥ず、質(シチ)を入るを恥ず、暴(ボウ)を云を恥ず、此の如くなれば、上の法令も里正の権(ケン)も行れず、法令行れざる時は悪行至らざる処なし、何を以て之を導(ミチビカ)ん、爰(コヽ)に到ては法令も教諭(ケウユ)も皆益なきなり、又百戸の中、六十戸は衣食不足なく、四十戸は貧窮なる時は、教(ヲシヘ)ずして自(オのづから)恥を生ず、恥を生ずれば、義心を生ず、義心生ずれば、租税を納めざるを恥ぢ、借財を返さゞるを恥ぢ、夫役を怠るを恥ぢ、質を入るを恥ぢ、暴(ボウ)を云を恥るに至る、爰(コヽ)に至て法令も行れ、教導も行れ、善道に導(ミチビ)くべく、勉強にも趣(オモムカ)しむべし、其機(キ)斯(カク)の如し、譬(タトヘ)ば権衡(ハカリ)の釣合の如し、左重ければ左に傾(カタム)き、右重ければ右に傾(かたむク)くが如く、村内貧多き時は貧に傾き、悪多き時は悪に傾く、故に相共に恥なし、富多き時は富に傾き、善多き時は善に傾く、故に恥を生ずれば義心を生ず、汚俗を一洗し、一村を興復するの業、只此機あるのみ、知らずばあるべからず、如何なる良法仁術と云とも、村中一戸も貧者無からしむるは難しとす、如何となれば、人に勤惰(キンダ)あり強弱(キヤウジヤク)あり智愚あり、家に積善あり不積善あり、加之(シカノミナラズ)前世の宿因もあり、是を如何とも為べからず、此の如きの貧者は、只其時々の不足を補ふて、覆墜(フクツイ)せざらしむるにあり
四〇 翁曰、夫入るは出たる物の帰るなり、来るは押し譲(ユヅ)りたる物の入来るなり、譬(タトヘ)ば、農人田畑の為に尽力し、人糞(コヤシ)を掛け干鰯(ホシカ)を用ひ、作物の為に力を尽せば、秋に至りて実法りを得る事、必多き勿論なり、然るを菜を蒔て、出るとは芽をつみ、枝が出れば枝を切り穂を出せば穂をつみ実がなれば実を取る、此の如くなれば、決して収獲(シウカク)なし、商法も又同じ、己が利欲のみを専として買人の為を思はず、猥(ミダ)りに貪(ムサボ)らば、其店の衰微(スイビ)、眼前なるべし、古語に、人心は惟危(アヤウ)し道心惟微(カスカ)なり、惟精惟一允(マコト)に其中を執(ト)れ、四海困窮せば天禄永く終らん、とあり、是舜(シユン)禹(ウ)天下を授受(ジユジユ)するの心法なり、上として下に取る事多く、下困窮すれば、上の天禄も永く終るとあり、終るにはあらず、天より賜りたるを、天に取上げらるゝなり、其理又明白なり、誠に金言(キンゲン)といふべし、然といへども、儒者(ジユシヤ)の如く講じては、今日上、何の用にもたゝぬ故、今汝等(ナンヂラ)が為に、分り安く読て聞せん、支那(カラ)の咄しと思て、迂闊(ウクワツ)に聞ず、能く肝(キモ)に銘(メイ)ぜよ、人心惟危(アヤウ)し道心惟微(カスカ)なりとは、身勝手にする事は危き物ぞ、他の為にする事は、いやになる物ぞと云事なり、惟精惟一允(マコト)に其中を執(ト)れとは、能精力を尽し、一心堅固に二百石の者は、百石にて暮し、百石の者は、五十石にて暮し、其半分を推譲(オシユヅリ)て、一村の衰(オトロ)へざる様、一村の益々(マスマス)富(ト)み益々栄(サカ)える様に勉強せよ、と云事なり、四海困窮せば、天禄永く終らんとは、一村困窮する時は、田畑を何程持居るとも、決して作徳は取れぬ様になる物ぞ、と云事と心得べし、帝王の咄しなればこそ、四海と云ひ、天禄と云なれ、汝等が為には、四海を一村と読み、天禄は作徳と読べし、能々肝銘せよ
四一 翁曰、吉凶禍福(クワフク)苦楽憂歓(ユウクワン)等は、相対する物なり、如何(イカン)となれば、猫の鼠(ネヅミ)を得る時は楽の極なり、其得られたる鼠は苦の極なり、蛇(ヘビ)の喜極る時は蛙(カヘル)の苦極る、鷹(タカ)の悦極る時は雀(スヾメ)の苦極る、猟師(レウシ)の楽は鳥獣(トリケダモノ)の苦なり、漁師(ギョシ)の楽は魚の苦なり、世界の事皆斯の如し、是は勝(カチ)て喜べば、彼は負(マケ)て憂ふ、是は田地を買て喜べば、彼は田地を売て憂ふ、是は利を得て悦べば、彼は利を失ふて憂ふ、人間世界皆然り、たまたま悟門に入る者あれば、是を厭(イト)ひて山林に隠(カク)れ、世を遁(ノガ)れ世を捨つ、是又世上の用をなさず、其志其行ひ、尊(タフト)きが如くなれども、世の為にならざれば賞するにたらず、予が戯(タハムレ)歌に「ちうちうとなげき苦むこゑきけば鼠(ネヅミ)の地獄(ヂゴク)猫(ネコ)の極楽」、一笑すべし、爰(コヽ)に彼悦んで是も悦ぶの道なかるべからずと考ふるに、天地の道、親子の道、夫婦の道、又農業の道との四ッあり、是(こレ)法則とすべき道なり、能(よク)考ふべし
四二 翁曰、世界の中、法則とすべき物は、天地の道と親子の道と夫婦の道と農業の道との四ッなり、此道は誠に両全完全の物なり、百事此四ッを法とすれば誤(アヤマチ)なし、予が歌に「おのが子を恵(メグ)む心を法(ノリ)とせば学ずとても道に到らん」とよめるは此心なり、夫天は生々の徳を下し、地は之を受けて発生し、親は子を育して、損益を忘れ混(ヒタス)ら生長を楽み、子は育せられて、父母を慕(シタ)ふ、夫婦の間、又相互に相楽んで子孫相続す、農夫勤労して、植物の繁栄を楽み、草木又近欣(キン)々として繁茂す、皆相共に苦情なく、悦喜の情のみ、扨此道に法取(ノツト)る時は、商法は、売て悦び買て悦ぶ様にすべし、売て悦び買て喜ばざるは、道にあらず、買て喜び売て悦ばざるも、道にあらず、貸借の道も亦同じ、借て喜び貸て喜ぶ様にすべし、借て喜び貸て悦ばざるは、道にあらず、貸て悦び借て喜ばざるは、道にあらず、百事此の如し、夫我教は是を法(ノリ)とす、故に天地生々の心を心とし、親子と夫婦との情に基(モトヅ)き、損益を度外に置(オ)き、国民の潤助と土地の興復(コウフク)とを楽むなり、然らざれば能はざる業なり、夫無利息金貸付の道は、元金の増加するを徳とせず、貸付高の増加するを徳とするなり、是利を以て利とせず、義を以て利とするの意なり、元金の増加を喜ぶは利心なり、貸附高の増加を喜ぶは善心なり、元金は終に百円なりといへども、六十年繰返し繰返し貸す時は、其貸附高は一万二千八百五十円となる、而て元金は元の如く百円にして増減なく、国家人民の為に益ある事莫大なり、正に日輪(リン)の万物を生育し万歳を経(フ)れども一ッの日輪なるが如し、古語に、敬(ケイ)する処の物少くして悦ぶ者多し、之を要道と云、とあるに近し、我(わレ)此法を立し所以(ユエン)は、世上にて金銀を貸し催促(サイソク)を尽(ツク)したる後、裁判(サイバン)を願ひ取(ト)れざる時に至て、無利足年賦となすが通常なり、此理を未(いまダ)貸さざる前に見て、此法を立たるなり、されども未(いまダ)足らざる処あるが故に、無利足何年置据貸(オキスヱカ)しと云法をも立たり、此の如く為ざれば、国を興(オコ)し世を潤(ウルホ)すにたらざればなり、凡(およソ)事は成行くべき先を、前に定るにあり、人は生(うまル)れば必死すべき物なり、死すべき物と云事を前に決定すれば、活(イキ)て居る丈(だケ)日々利益なり、是予が道の悟(サトリ)なり、生れ出ては、死のある事を忘るゝ事なかれ、夜が明けなば暮(ク)るゝと云事を忘るゝ事なかれ
四三 翁曰、村里の興復は直を挙(アグ)るにあり、土地の開拓は沃(ヨク)土を挙るにあり、然るに善人は、兎角(トカク)に退(シリゾ)ひて引籠(コモ)る癖(クセ)ある物なり、勤(ツトメ)て引出さゞれば出ず、沃(ヨク)土は必卑(ヒク)く窪(クボ)き処にありて、掘出さゞれば顕(アラハ)れぬ物なり、爰(コヽ)に心付ずして開拓場をならす時は、沃(ヨク)土皆土中に埋(ウヅマ)りて永世顕(アラ)はれず、村里の損、是より大なるはなし、村里を興復する、又同じ理なり、善人を挙て、隠(カク)れざる様にするを勤とすべし、又土地の改良を欲せば、沃(ヨク)土を掘出して田畑に入るべし、村里の興復は、善人を挙(ア)げ出精人を賞誉(シヨウヨ)するにあり、是を賞誉するは、投票(トウヒヤウ)を以て耕作出精にして品行宜しく心掛宜しき者を撰み、無利足金、旋回(センクワヒ)貸附法を行ふべし、此法は譬(タトヘ)ば米を臼(ウス)にて搗(ツク)が如し、杵(キネ)は只臼の正中を搗(ツ)くのみにして、臼の中の米、同一に白米となると同じ道理にて、返済さへ滞(とヾコホ)らざれば、社中一同知らず知らず自然と富実すべし、而て返済の滞(トヾコホ)るは、譬(タトヘ)ば臼の米の返らざるが如し、是此仕法の大患(クワン)なり、臼の米返らざる時は、村搗(ツキ)となりて折れ砕(クダ)くる物なり、此仕法にて返済滞(トヾコホ)る時は、仕法痿靡(イビ)して振(フル)はざる物なり、貸附取扱(アツカ)ひの時、能々注意し説諭(セツユ)すべし
四四 翁曰、世人運(ウン)といふ事に心得違ひあり、譬(タトヘ)ば柿梨子などを籠(カゴ)より打明る時は、自然と上になるあり、下になるあり、上を向くあり、下を向くあり、如
此を運と思へり、運といふ物此の如き物ならば頼(タノ)むにたらず、如何となれば、人事を尽(ツク)してなるにあらずして、偶然(グウゼン)となるなれば、再(フタヽビ)入れ直して明る時はみな前と違(タガ)ふべし、是博奕(バクエキ)の類にして運とは異なり、夫運といふは、運転(ウンテン)の運にして所謂廻り合せといふ物なり、夫運転は世界の運転に基元(キゲン)して、天地に定規あるが故に、積善の家に余慶(ヨケイ)あり、積不善の家に余殃(ヨアウ)あり、幾回(イクタビ)旋転(センテン)するも、此定規に外(ハヅ)れずして廻り合するを云なり、能世の中にある事也、灯燈(テフチン)の火の消たるために、禍(ワザワイ)を免れ、又履(ハキ)物の緒(ヲ)の切れたるが為に、災害を逸(ノガ)るゝ等の事、これ偶(グウ)然にあらず真の運なり、仏に云処の、因応の道理則是なり、儒道に積善の家余慶あり、積不善の家余殃(アウ)あるは天地間の定規、古今に貫きたる格言なれども、仏理によらざれば判然せざるなり、夫仏に三世の説あり、此理は三世を観通せざれば、決して疑(ウタガ)ひなき事あたはず、疑ひの甚(ハナハダ)しき、天を怨み人を恨むに至る、三世を観通すれば、此疑ひなし、雲霧(クモキリ)晴れて、晴天を見るが如く、皆自業自得なる事をしる、故に仏教三世因縁を説く、是儒の及ばざる処なり、今爰(コヽ)に一本の草あり、現在若(ワカ)草なり、其過去を悟れば種なり、其未来を悟れば花咲き実法りなり、茎(クキ)高(タカ)く延びたるは肥(コエ)多き因縁なり、茎(クキ)の短(ミジカ)きは肥のなき応報なり、其理三世をみる時は明白なり、而て世人此因果応報の理を、仏説と云へり、是は書物上の論なり、是を我流儀の不書の経に見る時は、釈氏未(いまダ)此世に生れざる昔より行れし、天地間の真理なり、不書の経とは、予が歌に「声(オト)もなく臭(カ)もなく常に天地は書かざる経を繰返(クリカヘ)しつゝ」と云る、四時行れ、百物成る処の真理を云、此経を見るには、肉眼を閉(ト)ぢ、心眼を開きて見るべし、然らざれば見えず、肉眼に見えざるにはあらねども徹底(テツテイ)せざるを云なり、夫因報の理は、米を蒔けば米が生へ、瓜の蔓(ツル)に茄子(ナス)のならざるの理なり、此理天地開闢(ビヤク)より行れて、今日に至て違(タガ)はず、皇国のみ然るにあらず、万国皆然り、されば天地の真理なる事、弁を待たずして明なり
四五 翁曰、夫天地の真理は、不書の経文にあらざれば、見えざる物なり、此不書の経文を見るには、肉眼を以て、一度見渡して、而て後肉眼を閉(ト)ぢ、心眼を開きて能見るべし、如何なる微細(ビサイ)の理も見えざる事なし、肉眼の見る処は限(カギリ)あり、心眼の見る処は限なければなりと、大島勇助曰、師説実に深遠なり、おこがましけれど、一首を詠(ヨメ)りと云、其歌「眼(メ)を閉(ト)ぢて世界の内を能見れば晦日(ミソカ)の夜にも有明の月」、翁曰、卿が生涯の上作と云べし
四六 加茂社人、梅辻と云神学者東京(エド)に来て、神典竝に天地の功徳、造化の妙用を講ず、翁一夜竊(ヒソカ)に其講談を聞かる、曰、其人となり、弁舌爽(サハヤカ)にして飾(カザリ)なく、立居ふるまひも安らかにして物に関(クワン)せず、実に達人と云べし、其説く処も、大凡尤なり、されども未(いまダ)尽さゞる事のみ多し、彼(かレ)位の事にては、一村は勿論、一家にても衰(オトロ)へたるを興(オコ)す事は出来まじ、如何となれば其説(ト)く所目的立ず、至る処なく専(モツパラ)倹約(ケンヤク)を尊(タフト)んで、謂(イハ)れなく只倹約せよ倹約せよと云て倹約して何にすると云事なく、善を為よと云て其善とする処を説ず、且(かツ)善を為すの方を云ず、其説く処を実行する時は上下の分立ず、上国下国の分ちもなく、此の如く、一般倹約を為たりとも、何の面白き事もなく、国家の為にもならざるなり、其他の諸説は、只論弁の上手なるのみ、夫我(わガ)倹約を尊(タフト)ぶは用ひる処有が為なり、宮室を卑(イヤシウ)し、衣服を悪(アシ)くし、飲食を薄(ウス)うして、資本に用ひ、国家を富実せしめ、万姓を済救(サイキウ)せんが為なり、彼(かレ)が目途なく至る処なく、只倹約せよと云とは大に異なり、誤解(ゴクワイ)する事勿れ
四七 翁曰、遠を謀(ハカ)る者は富み、近きを謀る者は貧(ヒン)す、夫遠(トホキ)を謀る者は、百年の為に松杉の苗を植う、まして春植て、秋実(ミ)のる物に於てをや、故に富有なり、近(ちかキ)を謀(ハカ)る者は、春植えて秋実法(ミノ)る物をも、猶(ナホ)遠しとして植ず、只眼前の利に迷(マヨ)ふて、蒔(マカ)ずして取り、植ずして刈取る事のみに眼をつく、故に貧窮(ヒンキウ)す、夫蒔(マカ)ずして取り、植ずして刈る物は、眼前利あるが如しといへども、一度取る時は、二度刈る事を得ず、蒔て取り、植て刈る者は歳々尽る事なし、故に無尽蔵(ミジンザフ)と云なり、仏に福聚海(フクジユカイ)と云ふも、又同じ
四八 翁某村を巡回せられたる時、惰弱(ダジヤク)にして掃除(ソフヂ)をもせぬ者あり、曰、汚穢(ヲクワイ)を窮(キワム)る、此の如くなれば、汝が家永く貧乏(ビンボウ)神の住所となるべし、貧乏を免(マヌカ)れんと欲せば、先(まヅ)庭(ニハ)の草を取り、家屋を掃除せよ、不潔(ケツ)斯の如くなる時は、又疫病(ヤクビヤフ)神も宿(ヤド)るべし、能心掛けて、貧乏神や疫病神は居られざる様に掃除せよ、家に汚物あれば汚蠅(クソバヘ)の集(アツマ)るが如く、庭に草あれば蛇蝎(ジヤカツ)所を得て住むなり、肉腐(クサ)れて蛆(ウジ)生じ、水腐れて孑孒(ボウフリ)生ず、されば、心身穢(ケガ)れて罪咎(ツミトガ)生じ、家穢(ケガ)れて疾病生ず、恐(オソ)るべしと諭(サト)さる、又一戸家小にして内外清潔(セイケツ)の家あり、翁曰、彼は遊惰(ユウダ)無頼(ブライ)博徒(バクト)の類か、家内を見るに俵なく好(よキ)農機具なし、農家の罪人なるべしと、村吏其明察(サツ)に驚(オドロ)けり
四九 両国橋辺に、敵(カタキ)打あり、勇士なり孝子なりと人々誉(ホ)む、翁曰、復讐(フクシウ)を尊むは、未(いまダ)理を尽さゞる物なり、東照公も敵国(テキコク)に生れ玉へるを以て父祖の讐(アダ)を報ぜんとのみ願(ネガハ)れしを、酉誉(ユウヨ)上人の説法に、復讐の志は、小にして益(エキ)なく、人道にあらざるの理を以てし、国を治め、万民を安(ヤスン)ずるの道の天理にして、大なるの道理を以てす、公始て此理に感(クワン)じ、復讐(フクシウ)の念を捨(ステ)て、国を安んじ、民を救(スク)ふの道に心力を尽(ツク)されたり、是より大業なり、万民塗炭(トタン)の苦を免(マヌカ)る、此道独(ヒトリ)東照宮のみに限らざるなり、凡(ボン)人といへども又同じ、此方より敵(カタキ)を打てば、彼(カレ)よりも亦此恨(ウラミ)を報ぜんとするは必定なり、然る時は怨恨(エンコン)結(ムス)んで解(トク)る時なし、互(タガヒ)に復讐(フクシウ)復讐と、只恨を重ぬるのみ、是則仏に所謂(イハユル)輪廻(リンエ)にて永劫修羅(シユラ)道に落て人道を蹈(フ)む事能(アタ)はじ、愚の至り悲(カナシ)ひ哉、又たまたまは、返り打ちに逢ふもあり、痛(イタマ)しからずや、是(こレ)道に似て、道にあらざるが故なり、されば復讐(フクシウ)は政府に懇願(コングワン)すべし、政府又草を分て、此悪人を尋ねて刑罰(ケイバツ)すべし、仍て自(ミづか)らは、恨に報うに直(ナホキ)を以てすの聖語に随(シタガヒ)て復讐を止め家を修(ヲサ)め、立身出世を謀(ハカ)り、親先祖の名を顕(アラ)はし、世を益(エキ)し人を救(スク)ふの天理を勤(ツトム)るにしかず、是子たる者の道(ミチ)、則人道なり、世の習風は、人道にあらず、修羅(シユラ)道なり、天保の飢饉(キヽン)に、相州大磯(イソ)駅川崎某と云者、乱民に打毀(コハ)されたり、官乱民を捕(トラ)へて禁獄(キンゴク)し、又川崎某をも禁獄する事三年、某憤怒(フンヌ)に堪(タ)へず、上下を怨(ウラ)み、上下に此怨を報ぜんと熱(ネツ)心す、我(わレ)是に教(オシ)ふるに、復讐は人道にあらざるの理を解(ト)き、富者は貧を救(スク)ひ、駅(エキ)内を安ずるの天理なる事を以てせり、某決する事能はず、鎌倉(カマクラ)円覚寺淡海和尚に質(タヾ)して、悔悟(クワイゴ)し決心して、初て復讐の念を断(タ)ち、身代を残(ノコ)らず出して、駅内を救助す、駅内俄然(ガゼン)一和して、某を敬(ケイ)する事父母の如し、官又厚(アツ)く某を賞するに至れり、予只復讐は人道にあらず、世を救ひ世の為を為すの天理なる事を教(ヲシ)へしのみにして、此好結果を得たり、若(モシ)過(アヤマ)ちて、復讐の謀(ハカリゴト)をなさば、如何なる修羅場を造作するや知るべからず、恐れざるべけんや
五〇 翁床(トコ)の傍(カタハラ)に、不動仏の像を掛らる、山内董(タダ)正曰、卿不動を信ずるか、翁曰、予壮年、小田原侯の命を受て、野州物井に来る、人民離散(リサン)土地荒蕪、如何ともすべからず、仍て功の成否に関(クワン)せず、生涯此処を動(ウゴ)かじと決定す、仮令(タトヒ)事故出来、背(セ)に火の燃(モヘ)付が如きに立到るとも、決して動かじと死を以て誓(チカ)ふ、然るに不動尊は、動かざれば尊しと訓(クン)ず、予其名義と、猛(モウ)火背を焚(ヤク)といへども、動ざるの像形を信じ、此像を掛けて、其意を妻子に示(シメ)す、不動仏、何等の功験(コウケン)あるを知らずといへども、予が今日に到るは、不動心の堅固(ケンゴ)一ッにあり、仍て今日も猶此像を掛(カケ)て、妻子に其意を示(シメ)すなり
五一  翁曰、百人一首に「秋の田のかりほの菴(イホ)のとまをあらみ我衣手は露(ツユ)にぬれつゝ」とあり、此御歌を、歌人の講ずるを聞けば、只言葉丈(だケ)にして深(フカ)き意もなきが如し、何事も己(オノレ)が心丈(だケ)ならでは解(カイ)せぬ物なればなるべし、夫春夏は、百種百草芽を出し生い育(ソダ)ち、枝葉繁(シゲ)り栄(サカ)え百花咲満ち、秋冬に至れば、葉落ち実(ミ)熟(ジユク)して、百種百草皆枯(カ)る、則植物の終(オハ)りなり、凡(およソ)事の終りは、奢(オゴ)る者は亡(ホロ)び、悪人は災(ワザワイ)に逢(ア)ひ、盗(ヌスビト)は刑(ケイ)せられ、一生の業果の応報を、草木の熟(ジユク)する秋の田に寄(ヨ)せての御製(セイ)なるべし、とまをあらみとは、政事あらくして行届(トヾ)かざるを、歎(ナゲ)かせ玉ふなり、御慈悲(ジヒ)御憐(アハレ)みの深(フカ)き、言外にあらはれたり、此者は何々に依て獄(ゴク)門に行ふ物なり、我衣手は露にぬれつゝ、此者は火炙(アブ)りに行ふ者也、我衣手は露にぬれつゝ、誰は家事不取締(シマリ)に付蟄(チツ)居申付る、我衣手は露にぬれつゝ、悪事をして刑(ケイ)せらるゝ者も、政事の届(トヾ)かぬ故、奢(オゴリ)に長じて滅(メツ)亡する者も、我教の届かぬ故と、御憐(アハレミ)の御泪(ナミダ)にて、御袖を絞(シボ)らせ玉ふと云歌なり、感銘(クワンメイ)すべし、予始て野州物井に至り、村落を巡回す、人民離散(リサン)して、只家のみ残り、或は立腐(クサ)れとなり、石据(ズヱ)のみ残り、屋敷のみ残り、井戸のみ残り、実に哀(アハ)れはかなき形を見れば、あはれ此家に老人も有つるなるべし、婦女児孫もありしなるべきに、今此の如く萱葎(カヤムグラ)生ひ茂り、狐狸(キツネタヌキ)の住処と変(ヘン)じたりと思へば、実に、我衣手は露にぬれつゝ、の御歌も思ひ合せて、予も袖を絞(シボ)りし也、京極黄門、百首の巻頭に、此御製を載(ノセ)られて、今諸人の知る処となれるは、悦ばしき事なり、感拝すべし
五二 道路の普請(フシン)に人多く出居れり、小荷駄(ニダ)馬驚(オドロ)き噪(サワ)ぎて静(シヅ)まらず、人々立噪(サワ)ぐを、馬士止めて静(シヅカ)に静にと云て手拭(ヌグヒ)にて馬の目を隠(カク)し、額(ヒタヒ)より面を撫(ナ)でたり、馬静(シヅマ)りて過行く、 翁曰、馬士のする処、誠に宜(ヨロ)し、論語に、礼の用は和を尊しとす、小大是に因る、とあるに叶へり、予初(はじメ)野州物井を治(オサメ)しも、此通りなり、噪立(サワタツ)を静(シヅ)むるは、此道理にあり、我(わレ)物井を治し時、金は無利足に貸し、返さゞるも催促(サイソク)せず、無道なるをも敢(アエ)て咎(トガ)めず、年貢も難儀(ナンギ)とあらば免(ユル)すべしと云へり、然といへども、勤労(キンロウ)し糞培(フンバイ)せざれば、米も麦も得られず、いやながらも、勤労すればこそ、芋(イモ)も大根も食ふ事を得るなれ、難儀(ナンギ)と思ふ年貢を出せばこそ、田畑も我物となりて、耕作も出来るなれと、只此理を諭(サト)し、己が分度を定めて、己を尽したるのみ、此の如くすれば、行れざる処なし、草木禽獣(キンジウ)にも行るゝ道理なり、如何となれば、菓物熟(ジユク)して、自然落るを待(マツ)の道理にして、只、我(ガ)の一字を去るのみ、我(わガ)畑へ我植し茄子にても、我(ガ)にてならする事は出来ず、理屈(リクツ)にては必ずならぬ物なり、此時理屈もやめ、我(ガ)を捨て、肥(コヤシ)をすれば、なれと言ずしてなり、実法れと言ずしてみのる、我教は此道理を能しるにあらざれば、行ふべからず
五三  或問、老子に、道の道とすべきは常道にあらず云々、とあるは如何なる意ぞ、翁曰、老子の常と云へるは、天然自然万古不易の物をさして云へる也、聖人の道は、人道を元とす、夫人道は自然に基(モトヅ)くといへ共、自然とは異(コトナ)る物なり、如何となれば、人は米麦を食とす、米麦自然にあらず、田畑に作らざればなき物なり、其田畑と云物、又自然にあらず、人の開拓に依て出来たる物なり、其田を開拓するや、堤を築(キヅ)き川を堰(セ)ぎ、溝(ミゾ)を掘り水を上げ畦(アゼ)を立て、初て水田成る、元自然に基(モトヅ)くといへ共、自然にあらずして、人作なること明かなり、惣(スベ)て人道は斯の如き物なり、故に法律を立(タ)て、規則を定め、礼楽(レイガク)と云刑政(ケイセイ)と云、格(カク)と云式(シキ)と云が如き、煩(ワヅラ)はしき道具を並べ立て、国家の安寧(ネイ)は漸(ヤウヤ)く成る物なり、是米を喰んが為に、堤を築(キヅ)き堰(セキ)を張(ハ)り、溝(ミゾ)を掘(ホ)り畦を立てゝ、田を開くに同じ、是を聖人の道と尊(タフト)むは、米を食んと欲する米喰仲間の人の事なり、老子是を見て、道の道とすべきは常の道にあらず、と云へるは、川の川とすべきは常の川にあらずと云に同じ、夫堤を築き堰を張り、水門を立てゝ引たる川は、人作の川にして、自然の常の川にあらぬ故に、大雨の時は、皆破(ヤブ)るゝ川なりと、天然自然の理を云へるなり、理は理なりといへ共、人道とは大に異なり、人道は、此川は堤を築き、堰(セキ)を張(はリ)て引たる川なれば、年々歳々普請(フシン)手入をして、大洪(コウ)水ありとも、破損(ハソン)のなき様にと力を尽(ツク)し、若流失したる時は、速(スミヤカ)に再興して元の如く、早く修理(シユリ)せよと云を人道とす、元築(ツキ)たる堤(ツヽミ)なれば崩(クヅ)るゝ筈(ハヅ)、開きたる田なれば荒るゝ筈といふは、言ずとも知れたる事なり、彼は自然を道とすれば、夫を悪しと云にはあらねど、人道には大害あり、到底(トウテイ)老子の道は、人は生れたる物なり、死するは当(アタ)り前の事なり、是を歎(ナゲ)くは愚なり、と云へるが如し、人道は夫と異(コト)なり、他人の死を聞ても、扨(サテ)気(キ)の毒(ドク)の事なりと歎(ナゲ)くを道とす、況(イハン)や親子兄弟親戚(シンセキ)に於るをや、是等の理を以て押(オ)して知べきなり   

 

 

 

五四 翁曰、太閤(カウ)の陣法に、敵(テキ)を以て敵を防(フセ)ぎ、敵を以て敵を打つの計(ハカリゴト)ありと、実に良策(サク)なるべし、水防にも、水を以て水を防ぐの法あり、知らずばあるべからず、町田亘(ワタリ)曰、近来富士川に雁がね堤と云を築(キヅ)けり、是其法なるべし、翁曰、実ならば、能(ヨク)水を治るの法を得たる者なり、夫我仕法又然り、荒地は、荒地の力を以て開き、借金は、借金の費(ツイヘ)を以て返済(ヘンサイ)し、金を積(ツム)には、金に積ましむ、教も又然り、仏教にて、此世は僅(ハツカ)の仮の宿、来世こそ大事なれと教(ヲシ)ふ、是又、欲を以て欲を制(セイ)するなり、夫幽(イウ)世の事は、眼に見えざれば、皆想像説(サウゾウセツ)なり、然といへ共、草を以て見る時は、粗(ホヾ)見ゆるなり、今茲(コヽ)に一草あらん、此草に向ひて説法せんに、夫汝(ナンヂ)は現在、草と生れ露(ツユ)を吸(ス)ひ肥(コヤ)しを吸ひ、喜(ヨロコ)び居るといへ共、是は皆迷(マヨ)ひと云物ぞ、夫此世は、春風に催(モヨホ)されて生出たる物にて、実に仮(カリ)の宿ぞ、明朝にも、秋風立(タヽ)ば、花も散り葉も枯れ、風雨の艱難(カンナン)を凌(シノ)ぎて生長せしも、皆無益(ムエキ)なり、此秋風を、無常の風と云、恐(オソ)るべし、早く、此世は仮の宿なる事を悟(サト)りて、一日も早く実(ミ)を結(ムス)び種となりて、火(ヒ)にも焼(ヤ)けざる蔵(クラ)の中に入りて、安心せよ、此世にて肥(コヤシ)を吸(ス)ひ露を吸ひ、葉を出し花を開くは皆迷なり、早く種となり、草の世を捨(ステ)よ、其種となりて、ゆく処に、無量斯々の娯楽(ゴラク)あり、と説くが如し、是欲の制(セイ)し難(ガタ)きを知て、是を制するに欲を以てして勧善懲悪(クワンゼンチヨウアク)の教とせしなり、然るを末世の法師等、此教を以て米金を集(アツム)るの計策をなす、悲(カナ)しからずや
五五 門人某、常に好んで「笛吹ず大
<ママ>鼓(コ)たゝかず獅子舞(シヽマヒ)の跡(アト)足になる胸(ムネ)の安さよ」と云ふ古歌を誦(ジユ)す、翁曰、此歌は、国家経綸(ケイリン)の大才を抱(イダ)き功成り名を遂(ト)げ其業を譲(ユヅリ)て、後に詠吟せば許(ユル)すべし、卿(キミ)が如き是を誦(ジユ)す、甚(はなはダ)宜しからず、卿が如きは、笛を吹き大鼓をたゝき、舞ふ人があればこそ、不肖予輩も跡足となりて、世を経(フ)る事が出来るなれ、辱(カタジケナ)き事なりと云意の歌を吟ずべし、然(しかラ)ざれば道に叶はず、夫人道は親の養育を受けて、子を養育し、師の教を受けて、子弟を教へ、人の世話を受けて、人の世話をする、是人道なり、此歌の意を押極(オシキハム)る時は、其意不受(ジユ)不施(セ)に陥(オチイ)るなり、其人にあらずして此歌を誦するは、国賊(ゾク)と云て可也、論語には、幼にして孫弟(ソンテイ)ならず、長じて述(ノブ)る事なく、老て死(シナ)ざるをさへ賊(ゾク)と云へり、まして況(イハン)や、卿等が此歌を誦するをや、大に道に害(ガイ)あり、夫前足になりて舞ふ者なくば、奚(イヅクン)ぞ跡足なる事を得んや、上に文武百官あり、政道あればこそ、皆安楽に世を渡らるゝなれ、此の如く、国家の恩徳に浴しながら、此の如き寝(ネ)言を言は、恩を忘れたるなり、我今卿が為に此歌を読直(ヨミナホ)して授(サヅ)くべし、向後は此歌を誦(ジユ)されよ、と教訓あり、其歌「笛をふき大鼓たゝきて舞へばこそ不肖の我も跡あしとなれ」
五六 東京深川原木村に、嘉七と云者あり、海辺の寄(ヨ)り洲(ス)を開拓して、成功すれば売(ウ)り、出来上れば売り、常に開拓を以て家業とす、土人原嘉の親方と云へば、知らざる者なし、其開拓の事に付決(ケツ)し難(ガタ)き事あり、翁に実地の見分を乞(コ)ふ、翁一日往て見分せられ、其序(ツイデ)、彼の海岸を見らるゝに、開拓すべき寄り洲、四町五町歩の地は数しらずあり、嘉七曰、寄り洲は自然になるといへ共、又是を寄する方法あり、其地形を見定めて、勢子(セコ)石勢子杭(グヒ)を用ふる時は速(スミヤカ)に寄(ヨ)る物なりと、翁曰、勢子石とは如何なる物ぞ、嘉七曰、其方法云々なり、翁曰、良法なるべし、嘉七又曰、誠(マコト)に寄洲は天然の賜(タマモノ)なりと、翁曰、天然の賜にはあらず、其元人為に出る物なり、嘉七曰、願(ネガハ)くは其説を示し玉へ、翁曰、川に堤防あるが故に、山々の土砂、遠く此処迄流れ来て、寄洲付洲となるなり、川に堤防なき時は、洪水縦横(ジウワウ)に乱流して一処に集(アツマ)らず、故に寄洲も附洲も出来ざるなり、されば其元人為に成るにあらずや、嘉七退く、翁左右を顧(カヘリミ)て曰、嘉七は才子と云べし、かゝる大才あり、今少し志を起し、国家の為を思はゞ、大功成るべきに、開拓屋にて一生を終るは、惜(ヲシ)むべし
   正兄曰、予佐藤信淵氏の著書を見しに、内洋経緯記又勢子石用法図説等あ
   り、今にして是を思へば、嘉七は佐藤氏の門人にはあらざるか、経済要録の
     序に云れし事あり、開き見るべし
五七 三河国吉田の郷士に、高須和十郎と云人あり、舞坂駅(マイサカエキ)と荒井駅の間に湊(ミナト)を造らんと企(クワダ)て、絵図(エヅ)面を持来て、成否を問ふ、翁曰、卿(キミ)が説の如くなれば、顧慮(コリヨ)する処なきが如くなれ共、大洋(ヨウ)の事は測(ハカ)るべからず、往年の地震(シン)にて、象潟(キサカタ)は、変地して景色を失ひ、大坂の天保山は、一夜に出来たりと、皆近年の事なり、かゝる大業は、実地に臨(ノゾ)むといへ共、容易に成否を決す可からず、況(イハン)や絵図面上に於てをや、斯の如き大業を企(クハダツ)るには、万一失敗(シツパイ)ある時は、斯くせんと云、叩堤(ヒカヘツヽミ)の如き工夫あるか、又何様の異変(イヘン)にても、失敗(シツパイ)なき工夫があり度物なり、然らざれば、卿が為に贊成(サンセイ)する者、共に成仏する事なしとも言ひ難(ガタ)かるべし、然る時は、山師の誹(ソシリ)あらん、予先年印旛(インバ)沼、堀割見分の命を蒙(カウム)りし時、何様の変動に遭遇(ソウグウ)しても、決して失敗なき様に工夫せり、たとひ天変はなくとも、水脈(ミヤク)土脈を堀切る時は、必意外の事ある物なり、古語に、事前に定まれば躓(ツマヅカ)ずと、予が異変ある事を前に定めたるは、異変を恐(オソ)れず、異変に躓(ツマヅカ)ざるの仕法なり、是大業をなすの秘事なり、卿又此工夫なくばあるべからず、然らざれば、第一自(ミづから)ら安ぜざるべし、古語に、内に省(カヘリ)みて疚(ヤマ)しからざれば何をか憂(ウレ)ひ何をか懼(ヲソ)れん、とあり、されば天変をも恐れず、地変をも憂ひざる方法の工夫を先にして、大事はなすべきなり
五八 駿河国元吉原村某、柏原の沼水を海岸に切落して、開拓せん事を出願し許可を受く、帰路予が家に一泊し、地図書類を出して、願望(グワンモウ)成就せり、能き金主はあるまじきやと云へり、予曰、なし、然といへ共、思ふ処あり、地図を明朝までと云ひて留め置たり、此時翁、予が家に入浴なり、竊(ヒソカ)に地図を開きて翁に成否を問ふ、翁曰、実地にあらざれば、可否は言べからず、然といへども、云処の如く沼浅く、三面畑ならば、畑にても岡にても、便(タヨリ)よき処より切崩(クヅ)して埋(ウメ)立るを勝(マサ)れりとすべし、此水を海に切落すとも、水思ふ様に引や引(ひカ)ざるや計り難し、又大風雨の時、砂を巻き潮(ウシホ)を湛(タヽ)へまじき物にもあらねば埋立るにしかざるべし、是を埋立るは愚なるが如しといへども、一反埋れば一反出来、二反埋れば二反出来、間違ひもなく跡戻(アトモド)りもなく、手違(チガ)ひもなく、見込違ひもなし、埋立るを上策(サク)とすべし、予又問ふ、埋立る方法如何、曰、実地を見ざれば、今別に工風なし、小車にて押すと、牛車にて引との二ッなり、車道には仮に板を敷(シク)べし、案外にはかゆく物なり、且(かツ)埋地一反なれば、土を取たる跡も、二畝三畝は出来べし、一反手軽きは何程位、手重きも幾許(イクバク)位なるべし、鍬(クワ)下用捨を少し永く願はゞ、熟(ジユク)田を買ふより益多かるべしと、教へらる、予此事を予が工風にして、某に告ぐ、某笑て答へず
五九 弘化元年八月、其筋(スヂ)より日光神領荒地起返し方申付る見込の趣(オモムキ)、取調べ仕法書差出すべしと、翁に命ぜらる、予が兄大沢勇助出府し恐悦を翁に申す、予随(シタガ)へり、翁曰、我(わガ)本願(グワン)は、人々の心の田の荒蕪(クワウブ)を開拓して、天授(ジユ)の善種、仁義礼智を培養(バイヨウ)して、善種を收獲(シウカク)し、又蒔(マキ)返し蒔返して、国家に善種を蒔弘(マキヒロメ)るにあり、然るに此度の命令は、土地の荒蕪の開拓なれば、我(わガ)本願に違(タガ)へるは汝が知る所ならずや、然るを遠く来て、此命あるを賀すは何ぞや、本意に背(ソム)きたる命令なれど、命なれば余儀(ヨギ)なし、及ばずながら、我輩も御手伝ひ致さんと、云はゞ悦ぶべし、然らざれば悦ばず、夫我(わガ)道は、人々の心の荒蕪を開くを本意とす、心の荒蕪一人開くる時は、地の荒蕪は何万町あるも憂(ウレフ)るにたらざるが故なり、汝が村の如き、汝が兄一人の心の開拓の出来たるのみにて、一村速に一新せり、大学に、明徳を明にするにあり、民を新(アラタ)にするにあり、至善に止るにありと、明徳を明にするは心の開拓を云、汝が兄の明徳、少し斗り明になるや直(スグ)に一村の人民新になれり、徳の流行する、置郵(チユウ)して命を伝(ツタ)ふるより速(スミヤカ)也とは此事也、帰国せば早く至善に止まるの法を立て父祖の恩に報ぜよ、是専(セン)務の事なり
六〇 小田原藩にて報徳仕法の儀は、良法には相違無しといへども、故障(コシヨウ)の次第有て、今般畳置(タヽミオ)くと云布達出づ、領民の内、是を憂(ウレ)ひて、翁の許(モト)に来り歎(ナゲ)く者あり、手作の芋(イモ)を持来て呈せり、翁諭(サト)して曰、夫此芋(イモ)の如きは、口腹を養(ヤシナ)ひ、必用の美菜なれば、是を弘く植(うへ)て、其実法(ミノ)りを施(ホドコ)さんと願ふは尤なれども、天運(ウン)冬に向(ムカ)ひ、雪霜降(フ)り、地の氷るを如何せん、強(シヒ)て植(ウヱ)なば凍(イテ)に損(ソン)じ霜に痛(イタ)み、種をも失ふに至るべし、是非もなき事なり、是(こレ)人の口腹を養ふ徳ある美物なるが故に、寒気雪霜を凌ぐ力なし、食料にもならざる麁物は、却(カヘツ)て寒気雪霜にも、痛(イタ)まぬ物なり、是自然の勢(イキホヒ)、如何とも仕方なし、今日は寒気雪中なり、早く芋種(イモタネ)は土中に埋(ウヅ)め、藁(ワラ)にて囲(カコ)ひ、深(フカ)く納めて、来陽雪霜の消(キユ)るを待べし、山谷原野一円、雪降り水氷り寒威烈(ハゲ)しき時は、最早(モハヤ)是切り暖(アタヽカ)には成らぬかと思ふ様なれども、雪消(キ)え氷解けて、草木の芽(メ)ばる時も又必あるべし、其時に至て囲(カコ)ひ置し芋種を取出し、植る時は忽(タチマチ)其種田甫に満て、繁茂(ハンモ)する疑(ウタガ)ひなし、かゝる春陽に逢(ア)ふとも種を納め囲(カコ)はざれば、植殖(ウヘフヤ)す事あたはず、夫農事は春陽立帰(カヘ)り、草木芽(メ)立んとするを見て種を植(ウ)ゑ、秋風吹(ふキ)すさみ草木枯落する時は、未(いまダ)雪霜の降らざるに、芋種は土中に埋めて、此処に埋ると云、心覚(オボ)えをし、深く隠(カク)して来陽を待べし、道の行るる行れざるは天なり、人力を以て如何とも為し難し、此時に至ては、才智も益(エキ)なし、弁舌も益なし、勇あるも又益なし、芋種を土中に埋るにしかず、夫小田原の仕法は、先君の命に依て開き、当君の命に依て畳(タヽ)む、皆是までなり、凡天地間の万物の生滅する、皆天地の令命による、私に生滅するにはあらず、春風に万物生じ、秋風に枯落する、皆天地の命令なり、豈私ならんや、曾子死に臨(ノゾ)んで、予が手を開け、予が足を開け云々、と云り、予も又然り、予が日記を見よ、予が書翰留を見よ、戦々(センセン)競
<ママ>々(キヨウキョウ)深淵(フカキフチ)に臨(ノゾ)むが如く、薄氷(ウスキコホリ)を蹈(フム)が如し、畳置(タヽミオキ)に成て予免(マヌカ)るゝ事を知る哉と云べし、汝等早く帰りて芋種を囲(カコ)ひ置(おキ)、来陽春暖を待て又植弘(ウヱヒロ)むべし、決して心得違ひする事なかれ、慎めや慎めや

 

 

 

六一 下館藩に高木権兵衛と云人あり、報徳信友講、結社成り、発会投票(イレフダ)の時其札に、予は不仕合にて借金も家中第一なり、慥(タシカ)成る事も又第一なり、然といへ共、自分にて自分へは入札為し難し、是に依て鈴木郡助、と書付て入れられし事ありき、年を経(ヘ)て、高木氏は家老職(シヨク)となり、鈴木氏は代官役となれり、翁曰、今日にして、往年入札の事思ひ当れり、自(ミづから)藩(ハン)中第一慥(タシカ)成る者と書たるに恥(ハヂ)ず、又是に依て、鈴木某と書たるにも恥ず、真に意我(イガ)なし、無比の人物と云べし
六二 翁曰、大道は譬(タトヘ)ば水の如し、善く世の中を潤沢(ジユンタク)して滞(トヾコホ)らざる物なり、然る尊き大道も、書(シヨ)に筆(ヒツ)して書物と為す時は、世の中を潤沢(ジユンタク)する事なく、世の中の用に立つ事なし、譬(タトヘ)ば水の氷りたるが如し、元水には相違なしといへども、少しも潤沢せず、水の用はなさぬなり、而て書物の注釈(チウシヤク)と云物は又氷に氷柱(ツラヽ)の下りたるが如く、氷の解(トケ)て又氷柱(ツラヽ)と成しに同じ、世の中を潤沢せず、水の用を為さぬは、矢張(ヤハリ)同様なり、扨此氷となりたる経書を、世上の用に立んには胸(キヨウ)中の温気を以て、能解(トカ)して、元の水として用ひざれば、世の潤沢(ジユンタク)にはならず、実に無益の物なり、氷を解(トカ)すべき温気(ウンキ)胸(キヨウ)中になくして、氷の儘(マヽ)にて用ひて水の用をなすと思ふは愚の至なり、世の中神儒仏の学者有て世の中の用に立(たタ)ぬは是が為なり、能思ふべし、故に我(わガ)教は実行を尊む、夫経文と云ひ経書と云、其経と云は元機(ハタ)の竪糸の事なり、されば、竪(タテ)糸ばかりにては用をなさず、横(ヨコ)に日々実行を織(オリ)込て、初て用をなす物なり、横に実行を織(オ)らず、只竪糸のみにては益(エキ)なき事、弁(ベン)を待たずして明か也
六三 翁曰、夫神道は、開闢(カイビヤク)の大道皇国本源の道なり、豊芦原(トヨアシハラ)を、此の如き瑞穂(ミヅホ)の国安国と治(オサ)めたまひし大道なり、此開国の道、則真の神道なり、我(わガ)神道盛(サカ)んに行れてより後にこそ、儒(ジユ)道も仏道も入り来れるなれ、我神道開闢(カイビヤク)の道未(いまダ)盛んならざるの前に、儒仏の道の入り来るべき道理あるべからず、我(わガ)神道、則開闢の大道先(まヅ)行れ、十分に事足るに随(シタガ)ひてより後、世上に六かしき事も出来るなり、其時にこそ、儒も入用、仏も入用なれ、是誠に疑(ウタガ)ひなき道理なり、譬(タトヘ)ば未(いまダ)嫁(ヨメ)のなき時に夫婦喧嘩(ゲンクワ)あるべからず、未(いまダ)子幼少なるに親子喧嘩(ゲンクワ)あるべからず、嫁(ヨメ)有て後に夫婦喧嘩あり、子生長して後に親子喧嘩あるなり、此時に至てこそ、五倫(リン)五常(ジヤウ)も悟道治心も、入用となるなれ、然るを世人此道理に暗(クラ)く、治国治心の道を以て、本元の道とす、是大なる誤(アヤマリ)なり、夫本元の道は開闢の道なる事明なり、予此迷(マヨ)ひを醒(サマ)さん為に「古道につもる木の葉をかきわけて天照す神の足跡を見ん」とよめり、能味(アヂハ)ふべし、大御神の足跡のある処、真の神道なり、世に神道と云ものは、神主の道にして、神の道にはあらず、甚(はなはだシ)きに至ては、巫祝(フシク)の輩(トモガラ)が、神札を配(クバリ)て米銭を乞ふ者をも神道者と云に至れり、神道と云物、豈(アニ)此の如く、卑(イヤシ)き物ならんや、能思ふべし
六四 綾部の城主九鬼侯、御所蔵の神道の書物十巻、是を見よとて翁に送らる、翁暇なきを以て、封を解き玉はざる事二年、翁一日少しく病あり、予をして此書を開き、病床にて読(ヨマ)しめらる、翁曰、此書の如きは皆神に仕ふる者の道にして、神の道にはあらざるなり、此書の類(ルイ)万巻あるも、国家の用をなさず、夫神道と云物、国家の為、今日上、用なき物ならんや、中庸にも、道は須臾(シバラク)も離(ハナ)るべからず、離るべきは道にあらず、と云り、世上道を説ける書籍、大凡此類(ルイ)なり、此類の書あるも益なく、無きも損(ソン)なきなり、予が歌に「古道に積る木の葉をかき掻(カキ)分けて天照す神のあし跡を見む」とよめり、古道とは皇国固有の大道を云、積(ツモ)る木の葉とは儒仏を始諸子百家の書籍の多きを云、夫皇国固有の大道は、今現に存すれども、儒仏諸子百家の書籍の木の葉の為に蓋(オホハ)れて見えぬなれば、是を見んとするには、此木の葉の如き書籍をかき分けて大御神の御足の跡はいづこにあるぞと、尋(タヅ)ねざれば、真の神道を見る事は出来ざるなり、汝等落積(オチツモ)りたる木の葉に目を付るは、大なる間違(マチガ)ひなり、落積りたる木の葉を掻(カキ)分け捨て、大道を得る事を勤(ツト)めよ、然らざれば、真の大道は、決して得る事はならぬなり 

 

 

 

六五 翁曰、仏書に、光明遍照(コウミヤウヘンジヨウ)十方世界(セカイ)、念仏衆生(ネンブツシユジヨウ)摂取(セツシユ)不捨(シヤ)といへり、光明とは大<ママ>陽の光を云、十方とは東西南北乾(イヌイ)坤(ヒツジサル)巽(タツミ)艮(ウシトラ)の八方に、天地を加(クワ)へて十方と云也、念仏衆生とは、此大陽の徳を念じ慕(シタ)ふ、一切の生物を云、夫天地間に生育する物、有情(ウジヨウ)蠢動(シユンドウ)の物は勿論、無情の草木と雖(イヘドモ)、皆大陽の徳を慕(シタ)ひて、生々を念とす、此念ある物を仏国故に念仏衆生と云也、神国にては念神衆生と読べし、故に此念ある者は洩さず、生育を遂(トゲ)させて捨玉はずと云事にて、大陽の大徳を述し物也、則我天照大神の事也、此の如く大陽の徳は、広(クハウ)大なりといへども、芽(メ)を出さんとする念慮(ネンリヨ)、育(ソダヽ)んとする気力なき物は仕方なし、芽(メ)を出さんとする念慮、育んとする生気ある物なれば、皆是を芽(メ)だたせ、育(ソダ)たせ給ふ、是大陽の大徳なり、夫我無利足金貸附の法は、此大陽の徳に象(カタド)りて、立たるなり、故に如何なる大借といへ共、人情を失(ウシナ)はず利足を滞(トヾコホ)りなく済(スマ)し居る者、又是非とも皆済して他に損失を掛(カケ)じ、と云念慮ある者は、譬(タト)へば、芽を出したい、育ちたいと云生気ある草木に同じければ、此無利子金を貸して引立べし、無利子の金といへども、人情なく利子も済さず、元金をも蹈倒(フミタフ)さんとする者は、既(スデ)に生気なき草木に同じ、所謂(イハユル)縁(ヱン)無き衆生なり、之を如何ともすべからず、捨置(ステオ)くの外に道なきなり
六六 或問て曰、仏経に色則是空(シキソクゼクウ)々則是色といへるは、如何(イカ)なる意ぞ、翁曰、譬(タトヘ)ば二一天作の五、二五十と云に同じ、只其云ひ様の妙なるのみなり、深意あるが如く聞ゆれ共、別に深意あるにあらざるなり、夫天地間の万物、眼(メ)に見ゆる物を色といひ、眼に見えざる物を空ち云へるなり、空といへば何も無きが如く思へ共、既(スデ)に気(キ)あり、気あるが故に直(タヾチ)に色を顕(アラハ)す也、譬(タトヘ)ば氷と水との如し、氷は寒気(カンキ)に依て結(ムス)び暖気(ダンキ)に因て解(ト)く、水は寒に因て死して氷となり、氷は暖気に因て死して元の水に帰す、生ずれば滅(メツ)し、滅すれば生ず、然れば、有常も有常にあらず無常も無常にあらず、此道理を色則是空空則是色と説けるなり
六七 翁、僧弁算(ベンサン)に問ふて曰、仏一代の説法無量なり、然りといへ共、区々の意あるべからず、若一切経蔵に題(ダイ)せん時は如何、弁算対て曰、経に、諸悪莫作(シヨアクマクサ)、衆善奉行、と云り、此二句以て、万巻の一切経を覆(オホ)ふべし、翁曰、然り
六八 翁曰、仏教に極楽(ゴクラク)世界の事を説(ト)きて、赤色には赤光有り、青色には青光ありと云り、極楽といへ共珍(メヅ)らしき事あるにあらず、人皆銘々己が家株田畑は、己に作徳あり、己が商売(シヨウバイ)職業(シヨクギヤウ)は、己に利益あり、己が家屋敷は、己が安宅となり、己が家財は、己が身の用便になり、己が親(オヤ)兄弟は、己が身に親(シタ)しく、己が妻子は、己が身に楽(タノ)しく、又田畑は美(ウルハ)しく米麦百穀(コク)を産出し、山林は繁茂(ハンモ)して良材を出す、是を赤色には赤光あり、青色には青光ありといふなり、此の如くなれば、此土則(スナハチ)極楽(ゴクラク)なり、此極楽を得るの道、各受得たる天禄(テンロク)の分内を守るにあり、若一度天禄の分度を失はゞ、己が家株田畑己が作徳にならず、己が商売己が職業(シヨクギヤウ)己が利益にならず、己が安住すべき家屋敷己が安宅にならず、己が家財己が身の用便にならず、己が妻子親族も己に楽(タノ)しからず、又田畑は荒れて米麦を生ぜず、山林は藤蔦(フヂツタ)にまとはれ野火に焼(ヤ)けて材木を出さず、是を赤色には赤光なし、青色には青光なしといふ、苦患(ククワン)是より大なるはなし、則所謂(イハユル)地獄なり、餓鬼界(ガキカイ)に落るものは、飢(ウヘ)て喰(クラ)はんとすれば食忽(タチマチ)に火となり、渇(カツ)して飲(ノマ)んとすれば水直(タヾチ)に火となると云り、是則人々天より賜(タマ)はり、父祖より請伝(ウケツタ)へたる天禄を利足に取られ賄賂(ワイロ)に費(ツヒヤ)し、己が衣食の足らざるは、何ぞ是に異(コトナ)らん、是苦患の極(キヨク)にあらずや、夫(そレ)我(わガ)仕法は経を読(ヨマ)ず念仏も題目(ダイモク)も唱(トナ)へずして、此苦罪を消滅(シヤウメツ)せしめて極楽を得させ、青色をして青色あらしめ、赤色をして赤色あらしむるの大道なり
六九 翁曰、世界万般皆同く一理なり、予一草を以て万理を究(キハ)む、儒書に、其書始は一理を言ひ、中は散じて万事となり、末復合して一理となる、之(コレ)を放(ハナ)てば則六合に弥(ワタ)り、之を巻けば退(シリゾヒ)て密(ミツ)に蔵(カク)る、其味(アヂハ)ひ窮(キハマ)りなし、とあり、今戯(タハムレ)に、一草を以て之を読(ヨマ)ん、曰、此草始は一種なり、蒔けば発して根葉となり、実法(ミノ)れば合して一種となる、之を蒔植(ウヱ)れば六合に弥(ワタ)り、之を蔵(ヲサム)れば密(ミツ)に蔵(カク)る、之を食すれば其味(アヂハ)ひ窮(キハマ)りなし、又仏語に、本来東西無し、何れの処に南北ある、迷(マヨフ)が故に三界城(ガイジヨウ)、悟(サト)るが故に十方空、とあり、又一草を以て之を読ん、曰、本来根葉なし、何れの処に根葉ある、植るが故に根葉の草、実法るが故に根葉空し、呵々
七〇 或(アルヒト)道を論じて条理無し、翁曰、卿(キミ)が説は悟道と人道と混(コン)ず、悟道を以て論ずるか、人道を以て論ずるか、悟道は人道に混ずべからず、如何(イカン)となれば、人道の是(ゼ)とする処は、悟道に所謂(イハユル)三界城なり、悟道を主張すれば、人道蔑(ベツ)如たり、其相隔(ヘダツ)るや、天地と雲泥とのごとし、故に先其居所(ヰドコ)を定めて、然して後に論ずべし、居所(ヰドコ)定らざれば、目のなき秤(ハカリ)を以て軽重(ケイジユウ)を量(ハカ)るがごとく、終日弁論するといへども、其当否(タウヒ)を知るべからず、夫悟道とは、譬(タトヘ)ば当年は違作ならんと、未(いまダ)耕(タガヤ)さゞるの前に観(クワン)ずるが如きを云、是を人道に用ひて違作なるべき間(アヒダ)、耕作(カフサク)を休(ヤスマ)んと云は、人道にあらず、田畑は開拓(タク)するとも又荒(ア)るゝは自然の道なりと見るは、悟道なり、而て荒るればとて開拓せざるは、人道にあらず、川附の田地洪水あれば流失すると云事を平日に見るは、悟道なり、然して耕(タガヤ)さず肥しせざるは、人道にあらず、夫悟道は只自然の行処を見るのみにして、人道は行当る所まで行くべし、古語に、父母に事る機(ヤフヤ)く諌(イサ)む、志の随はざるをみて、敬(ケイ)して違(タガハ)ず、労(ロウ)して恨(ウラミ)ず、とあり、是人道の至極(シゴク)を尽せり、発句(ホツク)にも「いざゝらば雪見にころぶ所まで」と云り、是又其心なり、故に予常に曰、親(オヤ)の看病(クワンビヨウ)をして、最早(モハヤ)覚束(オボツカ)なしなどゝ見るものは、親子(オヤコ)の至情を尽すことあたはじ、魂(タマシヒ)去り体(タイ)冷(ヒヘ)て後も、未(いまダ)全快あらんかと思ふ者にあらざれば、尽(ツク)すと云べからず、故に悟道と人道とは混合すべからず、悟道は只、自然の行く処を観(クワン)じて、然して勤むる処は、人道にあるなり、夫人倫の道とする処は、仏に所謂(イハユル)三界城裏(ガイジヤウリ)の事なり、十方空を唱(トナフ)る時は、人道は滅(メツ)すべし、知識(チシキ)を尊(タフト)み娼妓(シヨウギ)を賎(イヤ)しむは迷(マヨヒ)なり、左はいへども、如レ此(カクノゴトク)迷はざれば人倫行はれず、迷ふが故に人倫は立なり、故に悟道は人倫に益なし、然といへども、悟道にあらざれば、執着(シウチヤク)を脱(ダツ)する事能(アタ)はず、是悟道の妙なり、人倫は譬(タトヘ)ば繩(ナハ)を索(ナ)ふが如し、よりのかゝるを以てよしとす、悟道は縷(ヨリ)を戻(モド)すが如し、故によりを戻すを以て善とす、人倫は家を造(ツク)るなり、故に丸木を削(ケヅ)りて角とし、曲れるを揉(タメ)て直とし、長を伐りて短とし、短を継(ツギ)て長くし、穴を穿(ウガ)ち溝(ミゾ)を掘り、然して家作を為す、是則迷故三界城内の仕事也、然るを本来なき家なりと破(ヤブ)るは悟道なり、破て捨る故に十方空に帰(キ)するなり、然りといへども、迷と云悟と云は、未(いまダ)徹底(テツテイ)せざる物なり、其本源を極(キハム)れば迷(マヨヒ)悟(サトリ)ともになし、迷といへば悟と言ざる事を得ず、悟といへば迷と言ざる事を得ず、本来迷悟にて一円なり、譬(タトヘ)ば草木の如き、一種よりして、或は根を生じて土中の潤沢(ジユンタク)をすひ、或枝葉を発して大虚(キヨ)の空気を吸(ス)ひ、花を開き実を結ぶ、是を種より見ば迷と云べし、然といへ共、忽(タチマチ)秋風に逢(ア)へば枯果(カレハテ)て本来の種に帰す、種に帰(キ)するといへども、又春陽に逢(ア)へば忽(タチマチ)枝葉花実を発生す、然らば則、種となりたるが迷か草となりたるが迷か、草に成りたるが本体か種になりたるが本体か、是に因て是を観(ミ)るに、生ずるも生ずるにあらず枯るゝも枯るるに非ず、されば、無常も無常にあらず有常も有常にあらず、皆旋転(センテン)不止の世界に住する物なればなり、予が歌に「咲けばちりちれば又さく年毎に詠(ナガ)め尽せぬ花のいろいろ」、一笑すべし
七一 俗儒あり、翁の愛護(アイゴ)を受て儒学(ジユガク)を子弟(シテイ)に教(ヲシ)ふ、一日近村に行て大飲(タイイン)し酔(ヱ)ふて路傍(ロボウ)に臥(フ)し醜体(シウタイ)を極(キハ)めたり、弟子某氏の子、是を見て、翌日より教を受ず、儒生憤(イキドホ)りて、翁に謂て曰、予が所行の不善云までにあらずといへども、予が教る処は聖人(セイジン)の書なり、予が行の不善を見て併(アハ)せて聖人の道を捨るの理あらんや、君説諭(セツユ)して、再び学に就(ツ)かしめよ、と乞ふ、翁曰、君憤(イキドホ)る事なかれ、我譬(タトヘ)を以て是を解(クワイ)せん、爰(コヽ)に米あり、飯(メシ)に炊(カシイ)で糞桶(クソオケ)に入れんに、君是を食はんか、夫元清浄なる米飯(ハン)に疑(ウタガヒ)なし、只糞桶(クソオケ)に入れしのみなり、然るに、人是を食する者なし、是を食するは只犬(イヌ)のみ、君が学文(ガクモン)又是におなじ、元赫(カク)々たる聖人の学なれども、卿(キミ)が糞桶の口より講説(カウセツ)する故に、子弟等聴(キカ)ざる也、其聴(キ)かざるを不理と云べけんや、夫卿は中国の産(サン)と聞けり、誰(タレ)に頼(タノ)まれて此地に来りしぞ、又何の用事ありて来りしや、夫家を出ずして、教を国になすは聖人の道なり、今此処に来りて、予が食客となる、是何故ぞ、口腹を養(ヤシナ)ふのみならば、農商(ノウシヨウ)をなしてたるべし、卿何故に学問をせしや、儒生曰、我過(アヤマ)てり、我(ワレ)只人に勝む事のみを欲(ホツ)して読書(トクシヨ)せるなり、我過てり、と云て謝して去れり
七二 或人論語曾点(ソフテン)の章を問、翁曰、此章は左程に六ヶ敷(シキ)訳(ワ)けにはあるまじ、三子の志余り理屈に過(スギ)たれば、我は点に組(クミ)せんと、一転(テン)したるのみなるべし、三子同く皆、舞雩(ブウ)に風して詠(エイ)じて帰(カヘ)らん、と云はゞ、孔子又一転(テン)して、用を節にして人を愛し、民を使ふに時を以てす、とか、言忠信行篤敬などゝ云なるべし、別に深意あるにはあらず、則前言は是に戯(タハブ)るゝのみの類なるべし
七三 
翁、売卜(バイボク)者の看板(カンバン)に日月を画きたるを見て、曰、彼が看板(カンバン)に日月を画(ヱガ)きたると、仏寺にて金箔(パク)の仏像(ゾウ)を安置すると、同じ思付(オモヒツキ)にて、仏(ブツ)は巧(タクミ)を極め、売卜者は、拙(セツ)を極(キハ)めたり、夫日は丸く赤(アカ)く、三日月は細く白し、夫を其儘(マヽ)に画きたるは正直なりといへ共愚(グ)の至り拙(セツ)の至(イタ)りなり、故に尊けなし、然るに仏氏は是を人体に写(ウツ)し、尤(モツトモ)人の尊(タフト)む処の黄金の光をかりて、其尊きを示(シメ)す、仏氏の工夫の巧妙なる、売卜者の輩(トモガラ)の遠(トホ)く及(オヨ)ばざる処也
七四 予暇(イトマ)を乞(コ)ふて帰国せんとす、翁曰、二三男に生るゝ者、他家の相続(ゾク)人となるは、則天命なり、其身の天命にて、養(ヤウ)家に行き、其養家の身代を多少増殖(ゾウシヨク)し度く願ふは、是人情にして、誰(タレ)にも見ゆる常の道理なり、此外に又一ッ見え難き道理あり、他家を相続すべき道理にて、他家へゆく、往く時は、其家に勤(ツト)むべき業あり、是を勤るは天命通常の事なり、而て其上に、又一段骨(ホネ)を折り、一層(ソウ)心を尽し、養父母を安ずる様(ヤウ)、祖父母の気に違(タガハ)ぬ様にと、心を用ひ力を尽(ツク)す時は、養家に於て、気が安まるとか、能行届くとか、祖父母父母の心に、安心の場が出来て養父母の歓心を得る、是養子たる者の積徳の初なり、夫親を養(ヤシノ)ふは子たる者の常、頑夫(グワンプ)といへども、野人といへども養はざる者なし、其養ふ内に、少しも能父母の安心する様に、気に入る様にと心力を尽(ツク)す時は、父母安心して百事を任(ニン)ずるに至る、是其身の、此上もなき徳なり、養子たる者の積徳(セキトク)の報と云べし、此理凡人には見え難(ガタ)し、是を農業の上に譬(タトフ)れば、米麦雑穀(ザツコク)何にても、肥(コヤシ)は二度為し、草は三度取るとか、凡定りはあれども、其外に一度も多く肥(コヤ)しを持ち、草を去り、一途に作物の栄(サカ)えのみを願ひ、作物の為に尽(ツク)す時は、其培養(バイヤウ)の為に作物思ふ儘(マヽ)に、栄(サカユ)るなり、而して秋熟(ジユク)するに至れば、願はずして、取実俵数多く自(オのづか)ら家を潤(ウルホ)す事、しらずしらず疑(ウタガ)ひなきが如し、此理は人々家産を増殖したく思ふと、同じ道理なれども、心ある者にあらざれば解し難し、是所謂(イハユル)難解(ナンゲ)の理なり
七五 翁又曰、茶師利休が歌に「寒熱(カンネツ)の地獄(ヂゴク)に通(カヨ)ふ茶柄杓(ビシヤク)も心なければ苦(クルシミ)もなし」と云へり、此歌未(いまダ)尽(ツク)さず、如何となれば、其心無心を尊(タフト)ぶといへども、人は無心なるのみにては、国家の用をなさず、夫心とは我心(ガシン)の事なり、只我(ガ)を去りしのみにては、未(いまダ)足らず、我を去て其上に、一心を決定し、毫末も心を動(ウゴカ)さゞるに到らざれば尊むにたらず、故に我(わレ)常に云、此歌未(いまダ)尽さずと、今試(コヽロミ)に詠(ヨ)み直さば「茶柄杓(ビシヤク)の様に心を定めなば湯水の中も苦みはなし」とせば可ならんか、夫人は一心を決定し動(ウゴカ)さゞるを尊むなり、夫富貴安逸(アンイツ)を好(コノ)み貧賤(ヒンセン)勤労(キンロウ)を厭(イト)ふは、凡情の常なり、婿(ムコ)嫁(ヨメ)たる者、養家に居るは、夏火宅に居るが如く、冬寒野に出るが如く、又実家に来る時は、夏氷室(ヒムロ)に入るが如く、冬火宅に寄(ヨ)るが如き思ひなる物なり、此時其身に天命ある事を弁(ワキマ)へ、天命の安(ヤスン)ずべき理を悟(サト)り、養家は我家なりと決定して、心を動(ウゴカ)さざる事、不動尊の像の如く、猛(モウ)火背(セ)を焼(ヤ)くといへども動じと決定し、養家の為に心力を尽す時は、実家へ来らんと欲するとも其暇(イトマ)あらざるべし、斯の如く励(ハゲ)む時は、心力勤労(キンロウ)も苦にはならぬ物なり、是只我(ガ)を去ると、一心の覚悟(カクゴ)決定(ケツジヤウ)の徹底(テツテイ)にあり、夫農夫の、暑寒に田畑を耕(タガヤ)し、風雨に山野を奔走(ホンソウ)する、車力の車を押し、米搗(ツ)きの米を搗くが如き、他の慈眼(ジガン)を以て見る時は、其勤苦云べからず、気の毒(ドク)の至なりといへ共、其身に於ては、兼て決定して、労動に安ずるなれば、苦には思はぬなり、武士の戦場に出で野にふし山にふし、君の馬前に命(イノチ)を捨るも、一心決定すればこそ出来るなれ、されば人は天命を弁(ワキマ)へ天命に安(ヤス)んじ、我を去て一心決定して、動(ウゴ)かざるを尊(タフト)しとす
七六 翁又曰、論語に大舜(シユン)の政治を論じて、己(オのれ)を恭(ウヤウヤシ)くして正く南面するのみ、とあり、汝(ナンヂ)国(クニ)に帰(カヘ)り温泉(ユ)宿(ヤド)を渡世とせば、又己を恭(ウヤウヤシク)して正く温泉宿をするのみと読(ヨン)で、生涯忘(ワス)るゝ事なかれ、此の如くせば利益多からん、箇様(カヤウ)になさば利徳あらんなどゝ、世の流弊(リウヘイ)に流(ナガ)れて、本業の本理を誤(アヤマ)るべからず、己を恭くするとは、己が身の品行を敬(ツヽシ)んで堕(オト)さゞるを云、其上に又業務(ギヤウム)の本理を誤らず、正く温泉宿をするのみ、正く旅籠屋(ハタゴヤ)をするのみと、決定して肝(キモ)に銘(メイ)ぜよ、此道理は人々皆同じ、農家は己を恭くして、正く農業をするのみ、商家は己を恭くして、正く商法をするのみ、工人は己を恭くして、正く工事をするのみ、此の如くなれば必過(アヤマチ)なし、夫南面するのみとは、国政一途に心を傾(カタム)けて、外事を思はず、外事を為さゞるを云なり、只南を向(ムキ)て坐して居る、と云事にあらず、此理深遠(シンエン)なり、能々思考して、能心得よ、身を修るも、家を斉(トヽノフ)るも、国を治るも、此一つにあり、忘るゝ事勿れ、怠(オコタ)る事なかれ

 

 

 


二宮翁夜話 巻之二 終

 

 

(注)1.本文は、岩波書店刊『日本思想大系52 二宮尊徳・大原幽學』(1973年5月
      30日第1刷発行)
によりました。(『二宮翁夜話』の校注者は、奈良本辰也氏。)
   2.凡例によれば、底本は、神奈川県立文化資料館所蔵の木版本(明治17-
     20年出版)
で、読点はほぼ底本どおりとし多少の訂正を施した、とあります。
   3. 引用に当たって、踊り字(繰返し符号)は、「々」及び「ゝ(ヽ)」「ゞ(ヾ)」
        の他はすべて普通の仮名に改めました。
   4. 本文の片仮名のルビは、( )に入れて文中に示しました。
     「我(わガ)」としてあるのは、底本には「ガ」だけがルビとして示されて
    いるという意味です。
   5. 本文「五四」にある「想像説」の「像」の底本の漢字は、「忄」+「曹」です。
   6. 『二宮翁夜話』(巻之一は資料31にあります。
      『二宮翁夜話』(巻之三は資料76にあります。
      『二宮翁夜話』(巻之四は資料77にあります。
       『二宮翁夜話』(巻之五は資料78にあります。  
   7.岩波文庫版の『二宮翁夜話』を底本にした巻之一の本文が、資料74に
    あります。
   8.宇都宮大学附属図書館所蔵の「二宮尊徳関係資料一覧」 が、同図書
    館のホームページで見られます。
    9.小田原市のホームページに、栢山にある「小田原市尊徳記念館」の案内
    ページがあります。 
      10. 二宮町のホームページに、「二宮尊徳資料館」のページがあります。
   11. 「GAIA」 というホームページに二宮尊徳翁についてのページがあり、
    尊徳翁を理解する上でたいへん参考になります。ぜひご覧ください。
          「GAIA」 の「日記」のページの中に、『報徳要典』(舟越石治、昭和9年
    1月1日発行、非売品)を底本にした「二宮翁夜話」が収めてあり、そこで
    本文と口語訳とを読むことができます。
      また、『報徳記』を原文と口語訳で読むこともできます。
   

 

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