資料487 柳田国男「藤村の詩「椰子の実」」(『故郷七十年拾遺』より)

 

         

  

     藤村の詩「椰子の實」     柳 田 國 男

  
 僕が二十一の頃だつたか、まだ親が生きてゐるうちぢやなかつたかと思ふ。少し身體を惡くして三河に行つて、渥美半島の突つ端の伊良湖崎に一ヶ月靜養してゐたことがある。
 海岸を散歩すると、椰子の實が流れて來るのを見附けることがある。暴風のあつた翌朝など殊にそれが多い。椰子の實と、それから藻玉
(もだま)といつて、長さ一尺五寸も二尺もある大きな豆が一つの鞘に繋つて漂着して居る。シナ人がよく人間は指から老人になるものだといつて、指先きでいぢり廻して、老衰を防ぐ方法にするが、あれが藻玉の一つなわけだ。それが伊良湖岬へ、南の海の果てから流れて來る。殊に椰子の流れて來るのは實に嬉しかつた。一つは壞れて流れて來たが、一つの方はそのまま完全な姿で流れついて來た。
 東京へ歸つてから、そのころ島崎藤村が近所に住んでたものだから、歸つて來るなり直ぐ私はその話をした。そしたら「君、その話を僕に呉れ給へよ、誰にも云はずに呉れ給へ」といふことになつた。明治二十八年か九年か、一寸はつきりしないが、まが大學に居るころだつた。するとそれが、非常に吟じ易い歌になつて、島崎君の新體詩といふと、必ずそれが人の口の端に上るといふやうなことになつてしまつた。
 この間も若山牧水の一番好いお弟子の大悟法
(だいごぼふ)君といふのがやつて來て、「あんたが藤村に話してやつたつて本當ですか」と聞くものだから、初めてこの昔話を發表したわけであつた。
 牧水も椰子の實の歌を二つ作つて居る。日向の都井
(とゐ)岬といつて日向の一番南の突端の海岸で、牧水が椰子の歌を作つたことがあるから、その記念のため、碑を立てさせてくれといふことを、門人達が宮崎の近所の人たちに賴んださうである。ところがそこの新聞記者の中に反對する者があつて、「あんな所に椰子の實なんか流れて來やしませんよ、そんな歌の碑を立てたら却つて歌の價値が下がりますよ」といつたといふ。大悟法君が悔しがつて自分で都井岬へ行つて見たところ、何とそこの茶店に椰子の實がズーッと並んでゐたので、「こんなに流れつくのかい」と聞いたら、「ええ、いつでも」なんて云つたといふわけ。
 それで大悟法君、宮崎の新聞記者に欺されたといつて悔やしがつて居た。藤村の傳記を見ても判るやうに、三河の伊良湖岬へ行つた氣遣ひはないのに、どうして彼は「そをとりて胸にあつれば」などといふ椰子の實の歌ができたのかと、不思議に思ふ人も多からう。全くのフィクションによるもので、今だから云ふが眞相はこんな風なものだつた。もう島崎君も死んで何年にもなるから話しておいてもよからう。この間も發表して放送の席を賑はしたことである。何にしてもこれは古い話である。

 

 



  (注) 1.  上記の柳田国男「藤村の詩「椰子の実」」の本文は、『定本 柳田國男集別巻第三(新装版)』(筑摩書房・昭和46年3月20日第1刷発行、昭和50年5月20日第6刷発行)所収の『故郷七十年拾遺』によりました。          
    2.  巻末の「あとがき」に、「「故郷七十年」は、昭和三十三年一月八日から同年九月十四日まで、二百回に亙つて神戸新聞に連載されたものである。神戸新聞社創立六十年記念の為に、兵庫県出身の著者が、嘉治隆一氏の慫慂により口述筆記せしめたものである。後、昭和三十四年十一月編集をかえて、単行本としてのじぎく文庫より出版された。本書は新聞発表当初の体裁を踏襲し、それに未発表の分を拾遺として附加した」とあります。    
    3.  〇柳田国男(やなきた・くにお)=民俗学者。兵庫県生れ。東大卒。貴族院書記官長を経て朝日新聞に入社。民間にあって民俗学研究を主導。民間伝承の会・民俗学研究所を設立。「遠野物語」「蝸牛考」など著作が多い。文化勲章。(1875~1962)
  柳田国男の「柳田」は、「田」を濁らずに「やなぎた」と読ませていることに注意が必要です。            

 
 〇若山牧水(わかやま・ぼくすい)=歌人。本名、繁。宮崎県生れ。早大卒。尾上柴舟門下。平易純情な浪漫的作風で、旅と酒の歌が多い。歌誌「創作」を主宰。歌集「海の声」「別離」「路上」など。(1885-1928)
      (以上、『広辞苑』第6版による。)
 
   
4.  “NHK for School”というサイトに、「第19回 文語詩「椰子の実」」があります。
    5.  柳田国男関係の次の資料があります。
 資料289 島崎藤村「椰子の実」
 資料481 柳田国男「布川のこと」(『故郷七十年』より)
 資料482 柳田国男「ある神秘な暗示」(『故郷七十年』より)
 資料485 柳田国男「大利根の白帆」(『故郷七十年』より)
 資料484 柳田国男「イナサ(東南風)」(『故郷七十年』より)
 資料486 柳田国男「ヨナタマ(海霊)」(『故郷七十年』より)
 資料480 柳田国男「不幸なる芸術」
   
    6.  兵庫県にある『福崎町立 柳田國男・松岡家記念館』のホームページがあります。            
    7.  青空文庫で、『遠野物語』『木綿以前の事』などを読むことができます。
    → 『遠野物語』
    → 『木綿以前の事』

       
   
    8.  フリー百科事典『ウィキペディア』に、「柳田国男」の項があります。
  フリー百科事典『ウィキペディア』
    → 
柳田国男
   

   
           
       
       



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