資料486 柳田国男「ヨナタマ(海霊)」(『故郷七十年』より)

 

         

  

     ヨナタマ(海靈)         柳 田 國 男

  
 ヨナタマの話といふのは、魚が人語をしたといふ話の一つで、沖繩だけでなく、こちらでも形を變へてあちこちに傳説として傳はつてゐる。沖繩では昔からシガリナミ(海嘯)の記憶が強いためか、この話が大海嘯
(おほつなみ)に結びついて殘つてゐる。本島にも宮古の離島來間(くるま)にも殘つてゐるが、その中で有名なのは「宮古島舊史」に記録されてゐる話である。
 昔、伊良部島の下地といふ村の者がヨナタマといふ魚を釣つた。この魚は人のやうな顔をもつた魚で、よくものをいふ魚だと傳へられてゐた。漁師はあまり珍しいので、明日まで保存して人々に見せて樂しまうと思ひ、炭火をおこしこれを炙つて乾かしてゐた。ところがその晩おそくなつてから隣家に母親と泊つてゐた子供が、急に大聲で泣き出して、どうしても伊良部村へ歸らうといふ。夜半だからといつて、母親がいろいろとなだめすかしてもいつかうにきかず、ますます泣き叫ぶのだつた。仕方なく、母親は子供を抱いて外に出ると、どうしたことか、子供がしつかりと母親にしがみついてふるへてゐる。母親もどうしたのかと怪しく思つてゐると、遠い沖の方から、
 ヨナタマ、ヨナタマ、どうして歸りが遲いのか
といふ聲が聞えて來た。すると隣家の炭火の上で背中を炙られてゐたヨナタマが、
 今、炭火の上にのせられて半夜も炙り乾かされてゐるのだ。早く迎へをよこしてくれ
と答へてゐる。これをきいて母子は吃驚仰天し、恐ろしくなつて伊良部村に歸つた。翌朝、昨晩の村へ行つて見ると、一夜のうちに大海嘯にのまれて村中跡形もなく洗ひつくされてゐた。母子だけはどういふご利益があつたかその災難を免れたといふ話である。
 ヨナタマの罰を受けて村中が流されてしまつたといふのは、ヨナタマは海靈ですなはち海に神の罰を受けたといふことで、このヨナタマからヨナが海といふ言葉と同じではなからうかと思ふのである。
 布川附近のイナサの風は、利根川の平和な時には船に帆風を與へて、幾艘となく白帆がのぼつてゆくが、春の雪解けのころになると、上州越後の山々に吹きつけて、山の雪をとかし利根川の大水となり下流の人々を脅かしてゐた。かういふ例は他にはないやうに思はれる。そのためか、布川のやうに陸地の方しか知らない農民までがイナサの風を知つてゐたのである。
 日本の文化の移動は、陸地を歩いて北の端まで行つたやうに考へる人もあるが、昔の日本は山が嶮しく陸路の交通は困難であつた。事實日本海側の海上交通は早く開かれて津輕海峽を通り越し、少し太平洋側に出てから、東側を北に上つて來た文化と出會つてゐるのである。このやうな古い日本文化の移動の跡を知るには海岸の研究をしなければならず、それには風の名前から入つてゆくのがよいと私は思つてゐる。

 

 



   (注)  1. 上記の「ヨナタマ(海霊)」の本文は、『定本 柳田國男集別巻第三(新装版)』(筑摩書房・
         昭和46年3月20日第1刷発行、昭和50年5月20日第6刷発行)所収の『故郷七十年』によ
         りました。
        2. 平仮名の「く」を縦に伸ばしたような形の繰り返し符号は、上の文字を繰り返すことによって
         表記してあります(「いろいろ」「ますます」)。
        3. 巻末の「あとがき」に、「「故郷七十年」は、昭和三十三年一月八日から同年九月十四日ま
         で、二百回に亙つて神戸新聞に連載されたものである。神戸新聞社創立六十年記念の為
         に、兵庫県出身の著者が、嘉治隆一氏の慫慂により口述筆記せしめたものである。後、昭和
         三十四年十一月編集をかえて、単行本としてのじぎく文庫より出版された。本書は新聞発表
         当初の体裁を踏襲し、それに未発表の分を拾遺として附加した」とあります。
        3. 柳田国男
(やなきた・くにお)=民俗学者。兵庫県生れ。東大卒。貴族院書記官長を経て
                  朝日新聞に入社。民間にあって民俗学研究を主導。民間伝承の会・民俗学
                  研究所を設立。「遠野物語」「蝸牛考」など著作が多い。文化勲章。(
1875~
                    1962
)                           (『広辞苑』第6版による。) 
         
柳田国男の「柳田」は、「田」を濁らずに「やなぎた」と読ませていることに注意が必要です。
        4. 資料481に、柳田国男「布川のこと」(『故郷七十年』より)があります。
          資料482に、柳田国男「ある神秘な暗示」(『故郷七十年』より)があります。
          資料485に、柳田国男「大利根の白帆」(『故郷七十年』より)があります。
          資料484に、柳田国男「イナサ(東南風)」(『故郷七十年』より)があります。
          資料480に、「柳田国男「不幸なる芸術」」があります。
        5. 兵庫県にある『福崎町立 柳田國男・松岡家記念館』のホームページがあります。  
        6. 青空文庫で、『遠野物語』『木綿以前の事』などを読むことができます。
                 → 『遠野物語』
                 → 『木綿以前の事』

        7. フリー百科事典『ウィキペディア』に、「柳田国男」の項があります。
                  フリー百科事典『ウィキペディア』 → 
柳田国男」
                                   

 

 

 

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