(注) | 1. | 本文は、本川桂川編著『金石文化の研究 第三集』(金石文化研究会、1951年1月刊)によりました。 ただし、碑文の本文1行目上から9字めの「千」を、関孤圓著『梅と歴史に薫る 水戸の心』(川又書店、昭和45年1月1日発行)、その他の本文によって、「十」と改めました。 | |||
2. | 改行は碑文の通りにしてあります。 本文5行目にある「夫梅之爲物」の「梅」は、碑文には「梅」の原字「某」になっています。なお、本文2行目と3行目の「種」は、「植える」の意味です。 |
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3. | 上掲の関孤圓著『梅と歴史に薫る 水戸の心』所収の「種梅記」とも照合しましたが、碑文の本文5行目上から7字めの「植」が、『梅と歴史に薫る 水戸の心』では「種」になっています。しかし、碑文には「植」となっているように見えます。 | ||||
4. | 「種梅記」の碑は、弘道館の鹿島神社社殿のわきに建っています。高さ約190cmの碑石は、屋根で覆われていますが、かなり損傷しています。弘道館内に「種梅記」の拓本があって、碑の文面が見られる由です。 | ||||
5. | 「種梅記」の碑文の文字数は、初めに「種梅記」の3字、本文は171字、年月撰文者名等が21字で、合計195字となっています。上部に、「種梅記」の篆額の文字があります。 | ||||
6. |
弘道館にある碑の前の立札には、次のような解説が記されています。 種梅記碑 この碑は徳川斉昭(烈公)が天保四年(1833)就藩したとき、領内に梅が少ないことを知り、江戸屋敷の梅の実を集め、水戸に送って育苗し、偕楽園や弘道館、さらに領民の家々まで植えさせた由来を記してあります。また、梅は花を観賞するばかりでなく、その実は戦いのときの副食として役立つので蓄えておくようにといった梅の効用についても述べてあります。 碑文は、烈公の自選で、碑は天保十二年(1841)に建てられたものです。 |
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7. |
次に「種梅記」の書き下し文を示してみます。(読み仮名は、現代仮名遣いで示しました。) 種梅記 予少(わか)きより梅を愛し、庭に數十株を植う。天保癸巳、始めて國に就く。國中に梅樹最も少なし。南上の後、歳毎(としごと)に手づから梅の實を採り、以て國に輸(おく)り、司園の吏(り)をして之(これ)を偕樂園及び近郊の隙地(げきち)に種(う)ゑしむ。今茲(ことし)庚子、再び國に就く。種うる所の者、鬱然として林を成し、華を開き實を結ぶ。適々(たまたま)弘道館の新たに成るに會ひ、乃(すなわ)ち數千株を其の側(かたわら)に植ゑ、又國中の士民に令して家毎に各々數株を植ゑしむ。夫(そ)れ梅の物たる、華は則ち雪を冒(おか)して春に先んじて風騒の友と爲(な)り、實は則ち酸を含んで渇(かわ)きを止(とど)め軍旅の用と爲る。嗚呼、備へ有らば患(うれ)ひ无(な)し。數歳の後、文葩(ぶんぱ)國に布(し)き、軍儲(ぐんちょ)も亦充積すべきなり。孟子云はずや、「七年の病に三年の艾(もぐさ)を求む」と。戒めざるべけんや。聊(いささ)か記して以て後人に示すと云ふ。 天保十一年、歳(とし)庚子に次(やど)る冬十月 景山撰文并びに書及び篆額 (語注) 天保癸巳……天保4(1833)年。 南上………江戸に上(のぼ)ること。 手自………ここでは「てづから」と読んでいますが、「手自(みづか)ら」(てみづから)と読んだほうがいいでしょうか。 庚子………天保11(1840)年。 風騒………詩歌・文章を作ること。また、そのような風雅なおもむき。 文葩………諸橋轍次氏の『大漢和辞典』巻5、591頁に「文葩 ぶんぱ。美しい花。〔德川齊昭、種梅記〕文葩布レ國。」と出ています。 軍儲………戦時のたくわえ。 七年の病に云々……『孟子』離婁上にある言葉。猶七年之病求三年之艾也。(猶ほ七年の病に三年の艾を求むるがごときなり。)七年の長い病に、三年も乾かした艾(もぐさ)を急に求めて灸をすえ、治そうとするようなものだ。すぐの間には合わないことをいう。 |
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8. |
『くろばね商店会』というサイトで、「種梅記碑」の写真が見られます。
『くろばね商店会』TOPページの下方にある『目次』の「写真で見る観光と施設」をクリック → 「弘道館」をクリック → 「○種梅記碑」をクリック → 「種梅記碑」 このサイトでは、弘道館や偕楽園の写真も見られますので、どうぞご覧下さい。 |
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9. | 斉昭が就藩前の文政10年(1827)に書いた「先春梅記」があります。 この碑が水戸の黒羽根町にありましたが、大正7年の火災で消滅してしまいました。最近この碑の拓本が見つかりました(2022年7月)。 この「先春梅記」の本文が、どういう訳か主な記録になく、よく知られていません。 資料633 「先春梅記」のこと 資料629 「先春梅記碑」の碑文 資料630 先春梅記(「景山文詩集」(「景山公御文詩草」)による) 資料631 先春梅記(『景山遺稿』による) 資料632 先春梅記(『水戸烈公詩歌文集』による) |
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