資料458 旌正之碑(「会沢先生墓表」・会沢正志斎墓表)の書き下し文
旌正之碑 (書き下し文)
|
會澤先生墓表 青山延光撰。甥・矢島義容書。曽孫・善建つ。 |
|
(注) 1.上記の「旌正之碑(「会沢先生墓表」・会沢正志斎墓表)」の書き下し文は、『水戸の
漢詩文 三集』(前川捷三著、茨城大学教育学部国語教育講座・平成12年3月発行)、
及び鈴木健夫・田代辰雄
編著『碑文双書(一)茨城県内版(漢文編)
碑文・墓碑銘集』(平
成20年7月21日発行)を参考にして書き下しました。
2. 「旌正之碑」の本文は、資料457「旌正之碑(「会沢先生墓表」・会沢正志斎墓表)」
に出ています。
3.
会沢正志斎のお墓は、水戸市千波町の本法寺にあります。しかし、ここは墓地だけ
で、お寺の建物はありません。県道50号線(旧国道6号線)の道路西側にある「会沢正
志斎の墓」の標識に従って入り、墓地に着いて左側に少し進んだところに、正志斎の
お墓があります。
4. 前川捷三先生の『水戸の漢詩文』や、『茨城県大百科事典』、『漢字源』、『旺文社漢
和辞典』、『広辞苑』などを参照して、語句の注を少しつけておきます。 (お気づきの点を
教えていただけるとありがたいです。)
*旌正……「旌」は、漢音:セイ、呉音:ショウ。〔動詞〕あらわす。功績や善行を褒めて明らかにする。
表彰する。〔名詞〕はた。鮮やかな色の鳥の羽をつけたはたじるし。(昔は兵卒を元気づけて進める
ために用いた。のち、使節の持つはたじるしのこと。)前川先生の『水戸の漢詩文』の頭注に「旌正」
は、正しさを表彰する、とあります。
*青山延光(あおやま・のぶみつ)……水戸藩の儒者・
青山延于(拙斎)の子。号は佩弦斎。文化4年(1807)~明治4年(1871)。 (→
ウィキペディア
「青山延光」) *徙常陸……「徙」は、音、シ。訓、うつる(移る)。 *諸澤村……現在の常陸大宮
市諸沢。常陸大宮市に編入される前は、那珂郡山方町諸沢。 *考、妣……考(コウ)は、亡き父。
妣(ヒ)は、亡き母。 *翹楚(ギョウソ)……多くの人の中で特にすぐれている人。「翹」は、特にすぐ
れた人。「楚」は、特にたけの高い木。 *高第……勤務成績優秀な官吏。成績優秀な人。ここは、
成績優秀なこと。 *警敏……敏感である。ずばぬけて賢い。
*萬状……さまざまな状態。
*心喪……喪服を着ないで、心の中で喪に服すること。
*侍讀……天子や皇太子に書物を講義
すること。ここは、高位の人に書物を講義すること。 *諳夷……「諳」(アン)は、江戸時代のイギ
リスの呼び名であった「諳厄利亜(アンゲリア)」のこと。「夷」は、夷狄」。 *大津村……現在の
北茨城市大津。文政7年(1824年)5月28日、2隻の小舟に分乗した異国人12人が、本船を離
れ水戸領大津浜に上陸した。この時、会沢正志斎と飛田逸民の二人が、筆談によって取り調べを
行った。
*攘夷之令……文政8年に出された「異国船打払令」(無二念打払令ともいう)」のこと。
天保13年(1842年)に廃止された。
*哀公……水戸藩8代藩主徳川斉脩(なりのぶ)。斉昭の
兄。
*不豫……天子や身分の高い人の病気。
*継嗣未定……8代斉脩に子がなかったため、
後継ぎを誰にするかについて、財政難の折から幕府との関係を考慮して将軍家から養子を迎えよ
うとする門閥派と、あくまで水戸家の血統と人物の面から斉昭を推す一派との間に対立があった
が、結局、斉脩の遺言状が発見されて斉昭が藩主となった。(『茨城県大百科事典』による。)
*恟懼(キョウク)……恐れる。恐れおののく。
*藤斌卿(トウヒンケイ)……藤田東湖のこと。
「斌卿」は、東湖の字(あざな)。 *烈公……徳川斉昭。 *咨詢(シジュン)……上の者が下
の者に公の問題について意見を求め相談する。「諮問」(咨問)に同じ。 *言路(ゲンロ)……
臣下が、上に対して進言するみち。 *讜直(トウチョク)……正しいこと。正直。「讜」は、道理に
合った正しいことば。『水戸の漢詩文』には、「正しい意見や人」とある。 *啓沃(ケイヨク)……
臣下が、思っていることを君主に述べること。 *居多(キョタ)……多きに居(お)る。大部分を占
める。 *致仕(チシ)……官職をやめる。「致」は、役を返上して役人をやめる、の意。「仕」は、
役人として仕えること。 *屛居(ヘイキョ)……世間から身を遠ざけて家にこもる。正志斎が、
斉昭の雪冤運動で幕府から蟄居を命ぜられたことをいう。 *逼邊(ヘンにセマる)……
辺境に迫る。
*今公……第10代水戸藩藩主徳川慶篤。順公。 *温恭公……第13代将軍
徳川家定の諡(おくりな)。 *優勞(ユウロウ)……手厚くねぎらうこと。 *仁者壽……
仁者は壽(いのちなが)し。仁徳が身についている人は、長生きする。『論語』雍也篇の言葉。
*先塋(センエイ)……先祖の墓。 *適……ゆく。とつぐ。 *少時……「少」は、わかい。
少(わか)き時。 *弱齡(ジャクレイ)……年が若いこと。 *升斗之禄(ショウトのロク)
……わずかな俸禄。 *勢要之門……権勢があって要路にいる人の家。 *泊如(ハクジョ)
……心が平静で無欲なさま。 *異日(イジツ)……後日。 *經世(ケイセイ)……世の中を
治めること。 *継述……前人のあとを継いで述べる。継承祖述。 *焚膏継晷(フンコウ
ケイキ)……「膏(あぶら)を焚いて、晷(ひ)に継(つ)ぐ」。夜、灯油を焚いて読書し、日に継ぐ、
の意。昼も夜も、熱心に励むこと。韓愈の「進学解」に、「焚膏油以継晷」とある。「晷」は、ひか
げ。日の光。ここは、日の光の意。
*簡冊(カンサク)……書物。昔、文字を書くのに用いた
竹のふだ。転じて、手紙・書物のこと。
*著之簡冊者……前川先生の『水戸の漢詩文』に
よって、上の書き下し文ではこの「者」を「もの」と読まずに、助詞「は」として読んであります。
「之を簡冊に著はすは、」 *上公……同じく『水戸の漢詩文』の頭注には、「上公は未詳、
慶喜か」とあります。
*寵榮(チョウエイ)……君主の恩寵を受けて栄えること。
5. 会沢正志斎(あいざわ・せいしさい)=江戸後期の儒学者。名は安(やすし)。水戸藩士。
藤田幽谷に学ぶ。彰考館総裁・弘道館総教。著「新論」で尊王攘夷を唱え、
幕末期の政治運動に大きな影響を与えた。(1782~1863)
(『広辞苑』第6版による)
会沢正志斎(あいざわ・せいしさい)=(1782~1863)幕末の儒学者。水戸藩士。名は
安(やすし)。藤田幽谷に学びその思想を祖述・発展させた。彰考館総裁。藤田
東湖とともに藩の尊攘運動を指導。著「新論」「迪彙篇」など。
(『大辞林』第二版による)
6. 資料136に「会沢安(正志斎)『及門遺範』」があります。
資料175に「会沢正志斎「時務策」」があります。
資料426に「会沢正志斎『新論』巻上(読点のみの本文)」があります。
資料427に「会沢正志斎『新論』巻下(読点のみの本文)」があります。
7.
『幕末維新館』というサイトの「幕末人物名鑑」の中に、会沢正志斎が取り上げてあり
ます。
(
『幕末維新館』 → 幕末人物名鑑 → あ → 会沢正志斎
)
8.
『[偉人録] 郷土の偉人を学ぶ』というブログに、「会沢正志斎・茨城の偉人」のページ
があります。
トップページ(目次)へ