資料458 旌正之碑(「会沢先生墓表」・会沢正志斎墓表)の書き下し文
         



            
旌正之碑 (書き下し文)  
                  

 

  會澤先生墓表 青山延光撰。甥・矢島義容書。曽孫・善建つ。
先生、諱
(いみな)は安、字(あざな)は伯民、恒蔵と稱す。會澤氏。其の先は駿河の人、常陸に徙(うつ)り、世(よよ)久慈郡諸澤村に居(を)る。仕宦する者有るも、亦た甚しくは顯(あらは)れず。考、諱(いみな)は恭敬、廉吏を以て聞こゆ。妣(ひ)は根本氏。近世本藩の人物、享和・文化を盛と為(な)して、幽谷藤先生は之(これ)が翹楚(げうそ)たり。先生は即ち其の髙第(かうだい)の弟子なり。幼きより警敏、學を好む。寛政中、彰考館寫字生と為(な)る。享和二秊(にねん)、始めて留付に班し、江戸に遷る。文化元年、考、大坂に終はり、妣は江戸に終はる。相距(へだ)たること僅かに四旬。先生、東西に奔走し、艱苦萬状にして善く古禮を執り、心喪すること三年。是の歳、歩士(かち)に班せられ、尋(つ)いで命ぜられて諸公子に侍讀す。時に烈公、冣(もつと)も幼し。五秊(ごねん)、歩士(かち)と為り、小十人(こじふにん)に轉ず。文政中、馬廻(うままはり)に遷り、水戸に還る。諳夷(あんい)、航海して大津村に至り、陸に登り彷徨す。先生命を受け、往きて筆語するも、夷敢へて實を吐かず。先生詰問し、夷屈服す。數歳にして進物番(しんもつばん)と為る。其の後、幕府攘夷の令有り。先生、『新論』を著し、之(これ)を哀公に獻ず。幽谷先生沒するに及び、揔裁の軄を攝し、尋(つ)いで病を以て軄を辭し教授と爲(な)る。哀公不豫(ふよ)、継嗣未だ定まらず、人心恟懼(きようく)す。先生、藤斌卿(とうひんけい)等と江戸に赴き、建白する所有り。已(すで)にして哀公薨じ、烈公襲封(しふほう)す。先生乃(すなは)ち水戸に還る。天保の初め、烈公擢(ぬき)んでて郡奉行(こほりぶぎやう)と為し、召見(せうけん)咨詢(しじゆん)す。明年、通事(つうじ)に班せられ、調役(しらべやく)と爲る。是の冬、彰考館摠裁に轉ず。公の國に就くに及び、甞(かつ)て先生の居に臨む。時に公、言路(げんろ)を開廣(かいくわう)し、讜直(たうちよく)を容納し、先生啓沃(けいよく)すること居多(きよた)なり。公、将(まさ)に弘道館を設けんとし、先生に訪ふに古今の制度を以てす。十一年、小姓頭(こしやうがしら)に進み、弘道館揔教(そうけう)と為る。已にして、烈公致仕し、國事一變す。先生致仕し、憩齋(けいさい)と稱す。幾(いくばく)も無くして中町に屛居(へいきよ)し、四秊(よねん)にして家に還る。其の後、夷狄(いてき)邊に逼(せま)り、幕府防禦を議するに方(あた)り、烈公を召して參畫せしむ。今公、先生の忠懇を思ひ、再び命じて教授を掌(つかど)らしむ。時に天下の士、爭つて邊備の策論を作(な)すも、先生則ち二十年前に既に之を獻ぜり。安政二秊、再び小姓頭(こしやうがしら)摠教(そうけう)と爲る。是の歳、大将軍温恭公、諸藩の老儒を召見(せうけん)し、先生與(あづか)る。時に、年七十四。今公、大いに悦ぶ。命じて新番頭(しんばんがしら)に班せしめ、賜ふに名刀を以てす。烈公、手書を賜ひて曰(いは)く、「今日の光榮、之を前日の幽囚に比すれば、一(いつ)に何ぞ懸絶せる。卿、其れ實學を倡導し、今日の恩に負(そむ)く勿(なか)れ」と。四年、今公、鹿島神及び孔子を弘道館に祀(まつ)り、館制を創立し、銀絹を賜ひ、之を勞(ねぎら)ふ。五秊(ごねん)、老いを以て軄を辭す。公、優勞して許さず。前後、秩(ちつ)を増し、二百五十石に至る。文久二年、公、先生の老健を嘉(よみ)し、「仁者は壽(いのちなが)し」の三字を磁盃(じはい)に親書し、之を賜ふ。是の歳、馬廻頭上に班せらる。三秊(さんねん)癸亥七月十四日、病を以て家に終はる。享年八十二。千波原(せんばはら)の先塋(せんえい)に葬る。小林氏を娶(めと)り、三男を生む。伯仲は夭す。叔・璋、歩士頭(かちがしら)と為る。六女、一(いつ)は村田正興に適(とつ)ぎ、一は秋山興に適ぎ、一は海保芳卿に適ぐ。餘は皆夭す。先生少(わか)き時、幽谷先生之を稱して曰く、「之(こ)の子弱齡にして、頗(すこぶ)る慷慨、氣節有り。書を讀み劒を學び、升斗(しようと)の禄に汲汲とせず。然るに、其の父久しく小官に困(くる)しみ、多口にして薄俸。時人、書生、仕を求むるに迂なるを以て、屢(しばしば)(かれ)に説くに勢要(せいえう)の門に奔走するを以てす。而(しか)るに、渠(かれ)は耳聞こえざるが若(ごと)し。自(みづか)ら泊如(はくじよ)を守ること、亦た竒(き)とすべし」と。是れ其の期する所は、盖(けだ)し遠大に在り。而(しかう)して異日能く其の學を傳ふる者、果たして先生なり。幽谷先生、志は經世(けいせい)に在り。著述に遑(いとま)あらず。晩年始めて之を書に筆(ひつ)せんと欲するも、不幸にして沒す。子・斌卿(ひんけい)、才氣超邁、固(もと)より能く継述するも、亦た中道にして沒す。先生深く之を悲しみ、遂に力を著述に專(もつぱ)らにす。焚膏継晷(ふんかうけいき)、未だ甞て懈怠(けたい)せず。盖(けだ)し、幽谷先生の豪邁(がうまい)に非(あら)ざれば、以て其の源を闡(ひら)く無し。先生の篤學に非ざれば、以て其の業(わざ)を恢(ひろ)むる無し。顧(かへりみ)るに、其の自(みづか)ら任ずる所以(ゆゑん)の者は、著述に在らずして竟(つひ)に之を簡冊(かんさく)に著はすは、盖し已(や)むを得ざるなり。豈に其れ本志ならんや。然(しか)るに、其の書は則(すなは)ち天下に滿つ。安(いづく)んぞ其の言の異日に行はれざるを知らんや。
碑文、刻既に成り、上公題字を親書して、以て之を賜ふ。謹んで之を掲
(かか)げ、寵榮(ちようえい)を紀す。

 



      (注) 1.上記の「旌正之碑(「会沢先生墓表」・会沢正志斎墓表)」の書き下し文は、『水戸の
          漢詩文 三集』(前川捷三著、茨城大学教育学部国語教育講座・平成12年3月発行)、
          及び鈴木健夫・田代辰雄 編著『
碑文双書(一)茨城県内版(漢文編) 碑文・墓碑銘集』(平
          成20年7月21日発行)を参考にして書き下しました。
         2. 「旌正之碑」の本文は、資料457「旌正之碑(「会沢先生墓表」・会沢正志斎墓表)」
          に出ています。
         3. 会沢正志斎のお墓は、水戸市千波町の本法寺にあります。しかし、ここは墓地だけ
          で、お寺の建物はありません。県道50号線
(旧国道6号線)の道路西側にある「会沢正
          志斎の墓」の標識に従って入り、墓地に着いて左側に少し進んだところに、正志斎の
          お墓があります。
         4. 前川捷三先生の『水戸の漢詩文』や、『茨城県大百科事典』、『漢字源』、『旺文社漢
          和辞典』、『広辞苑』などを参照して、語句の注を少しつけておきます。 
(お気づきの点を
            教えていただけるとありがたいです。)

            *
旌正……「旌」は、漢音:セイ、呉音:ショウ。〔動詞〕あらわす。功績や善行を褒めて明らかにする。
            表彰する。〔名詞〕はた。鮮やかな色の鳥の羽をつけたはたじるし。(昔は兵卒を元気づけて進める
            ために用いた。のち、使節の持つはたじるしのこと。)前川先生の『水戸の漢詩文』の頭注に「旌正」
            は、正しさを表彰する、とあります。        *青山延光(あおやま・のぶみつ)……水戸藩の儒者・
            青山延于(拙斎)の子。号は佩弦斎。文化4年(1807)~明治4年(1871)。 (→ ウィキペディア
             「青山延光」)  *徙常陸……「徙」は、音、シ。訓、うつる(移る)。 *諸澤村……現在の常陸大宮
            市諸沢。常陸大宮市に編入される前は、那珂郡山方町諸沢。    *考、妣……考(コウ)は、亡き父。
            妣(ヒ)は、亡き母。 *翹楚(ギョウソ)……多くの人の中で特にすぐれている人。「翹」は、特にすぐ
            れた人。「楚」は、特にたけの高い木。  *高第……勤務成績優秀な官吏。成績優秀な人。ここは、
            成績優秀なこと。  *警敏……敏感である。ずばぬけて賢い。    *萬状……さまざまな状態。   
            *心喪……喪服を着ないで、心の中で喪に服すること。    *侍讀……天子や皇太子に書物を講義
            すること。ここは、高位の人に書物を講義すること。     *諳夷……「諳」(アン)は、江戸時代のイギ
            リスの呼び名であった「諳厄利亜(アンゲリア)」のこと。「夷」は、夷狄」。   *大津村……現在の
            北茨城市大津。文政7年(1824年)5月28日、2隻の小舟に分乗した異国人12人が、本船を離
            れ水戸領大津浜に上陸した。この時、会沢正志斎と飛田逸民の二人が、筆談によって取り調べを
            行った。  *攘夷之令……文政8年に出された「異国船打払令」(無二念打払令ともいう)」のこと。
            天保13年(1842年)に廃止された。  *哀公……水戸藩8代藩主徳川斉脩(なりのぶ)。斉昭の
             兄。   *不豫……天子や身分の高い人の病気。  *継嗣未定……8代斉脩に子がなかったため、
            後継ぎを誰にするかについて、財政難の折から幕府との関係を考慮して将軍家から養子を迎えよ
            うとする門閥派と、あくまで水戸家の血統と人物の面から斉昭を推す一派との間に対立があった
            が、結局、斉脩の遺言状が発見されて斉昭が藩主となった。(『茨城県大百科事典』による。)  
            *恟懼(キョウク)……恐れる。恐れおののく。     *藤斌卿(トウヒンケイ)……藤田東湖のこと。
            「斌卿」は、東湖の字(あざな)。  *烈公……徳川斉昭。  *咨詢(シジュン)……上の者が下
            の者に公の問題について意見を求め相談する。「諮問」(咨問)に同じ。  *言路(ゲンロ)……
            臣下が、上に対して進言するみち。  *讜直(トウチョク)……正しいこと。正直。「讜」は、道理に
            合った正しいことば。『水戸の漢詩文』には、「正しい意見や人」とある。  *啓沃(ケイヨク)……
            臣下が、思っていることを君主に述べること。 *居多(キョタ)……多きに居(お)る。大部分を占
            める。  *致仕(チシ)……官職をやめる。「致」は、役を返上して役人をやめる、の意。「仕」は、
            役人として仕えること。   *屛居(ヘイキョ)……世間から身を遠ざけて家にこもる。正志斎が、
            斉昭の雪冤運動で幕府から蟄居を命ぜられたことをいう。     *逼邊(ヘンにセマる)……
            辺境に迫る。  *今公……第10代水戸藩藩主徳川慶篤。順公。 *温恭公……第13代将軍
            徳川家定の諡(おくりな)。   *優勞(ユウロウ)……手厚くねぎらうこと。  *仁者壽……
            仁者は壽(いのちなが)し。仁徳が身についている人は、長生きする。『論語』雍也篇の言葉。  
            *先塋(センエイ)……先祖の墓。  *適……ゆく。とつぐ。  *少時……「少」は、わかい。
            少(わか)き時。   *弱齡(ジャクレイ)……年が若いこと。  *升斗之禄(ショウトのロク)
            ……わずかな俸禄。  *勢要之門……権勢があって要路にいる人の家。 *泊如(ハクジョ)
            ……心が平静で無欲なさま。 *異日(イジツ)……後日。  *經世(ケイセイ)……世の中を
            治めること。  *継述……前人のあとを継いで述べる。継承祖述。   *焚膏継晷(フンコウ
            ケイキ)……「膏(あぶら)を焚いて、晷(ひ)に継(つ)ぐ」。夜、灯油を焚いて読書し、日に継ぐ、
            の意。昼も夜も、熱心に励むこと。韓愈の「進学解」に、「焚膏油以継晷」とある。「晷」は、ひか
            げ。日の光。ここは、日の光の意。     *簡冊(カンサク)……書物。昔、文字を書くのに用いた
            竹のふだ。転じて、手紙・書物のこと。      *著之簡冊者……前川先生の『水戸の漢詩文』に
            よって、上の書き下し文ではこの「者」を「もの」と読まずに、助詞「は」として読んであります。
            「之を簡冊に著はす、」  *上公……同じく『水戸の漢詩文』の頭注には、「上公は未詳、
            慶喜か」とあります。   *寵榮(チョウエイ)……君主の恩寵を受けて栄えること。

         5. 会沢正志斎(あいざわ・せいしさい)=江戸後期の儒学者。名は安
(やすし)。水戸藩士。
                藤田幽谷に学ぶ。彰考館総裁・弘道館総教。著「新論」で尊王攘夷を唱え、
                幕末期の政治運動に大きな影響を与えた。(1782~1863)
                                                 
(『広辞苑』第6版による)
           会沢正志斎(あいざわ・せいしさい)=(1782~1863)幕末の儒学者。水戸藩士。名は
               安
(やすし)。藤田幽谷に学びその思想を祖述・発展させた。彰考館総裁。藤田
               東湖とともに藩の尊攘運動を指導。著「新論」「迪彙篇」など。
                                               
  (『大辞林』第二版による)
          6
. 資料136に「会沢安(正志斎)『及門遺範』」があります。
           資料175に「会沢正志斎「時務策」」があります。
           資料426に「会沢正志斎『新論』巻上(読点のみの本文)」があります。
           資料427に「会沢正志斎『新論』巻下(読点のみの本文)」があります。
         7. 『幕末維新館』というサイトの「幕末人物名鑑」の中に、会沢正志斎が取り上げてあり
          ます。
 ( 『幕末維新館』 → 幕末人物名鑑 → あ → 会沢正志斎 ) 
         8. 『[偉人録] 郷土の偉人を学ぶ』というブログに、「会沢正志斎・茨城の偉人」のページ
          があります。







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