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(注) |
1. |
上記の「新論」巻下の本文は、『日本思想大系
53 水戸学』(今井宇三郎・瀬谷義彦・尾藤正英、校注。岩波書店、1973年4月28日第1刷発行)によりました。 凡例に、「本文・頭注・補注の作成は、今井・瀬谷・尾藤の三人が方針を打合せ、密接に協力して進めたが、原稿の作成については、(略)「新論」は三者が(略)分担した」とあります。 |
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2. |
「凡例」によれば、底本は安政4年刊、玉山堂蔵板本、上下2冊の由です。(校合本は、宮内庁書陵部所蔵正志斎自筆稿本、上下2冊。刊年不明木活字本、無名氏題、1冊。刊年不明木活字本、無名居士題、1冊。) |
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3. |
日本思想大系本には、「新論」の訓読文が載せてあり、巻末に原文(漢文)が掲載されています。凡例に、「底本に施されている訓点をそのまま翻刻した。訓読文において底本の訓み方に従わなかった場合も、原文は底本どおりとした。ただし、明らかな脱落とみなされるものは、これを補った」とあります。ここに「訓点」とあるのは、普通に言う「返り点・送り仮名」のことではなく、「返り点と読点」のことを言っています。 |
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4. |
ここでは、返り点を省いた読点のみの本文を掲げることにしました。できれば返り点を付けた本文を掲載したいものだと思っています。
なお、返り点の付いた版本の本文を、早稲田大学の『古典籍総合データベース』で、画像で見ることができます。この本は、『日本思想大系 53 水戸学』が底本としたものと同じ系統の本だと思われます。 → 『古典籍総合データベース』
→ 会沢安『新論』(巻之上下) → 会沢安『新論』(巻之上)
また、『国立国会図書館デジタルコレクション』でも、昭和14年に明治書院から発行された活字版の『新論』(会沢安著、岡村利平校註)を見ることができます。
『国立国会図書館デジタルコレクション』
→ 会沢安著、岡村利平校註『新論』 |
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5. |
日本思想大系本の凡例に、「漢字は原則として新字体および通行の字体を使用し」たとありますが、ここでは、一部を除いて漢字を旧漢字に直してあることをお断りしておきます。
なお、本文中の所どころにある空所は、いわゆる闕字(昔、高貴な人の名前などを書く時、敬ってその上を一字か二字あけたこと)です。 |
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6. |
本文の文字の注を、思想体系本の書き下し文の頭注から付けておきます。
自筆本=「宮内庁書陵部所蔵正志斎自筆稿本、上下二冊」 木活甲本=「刊年不明木活字本、無名氏題、一冊」 木活乙本=「刊年不明木活字本、無名居士題、一冊」
1) 「守禦」: 「騃子」(がいし)は、自筆本「稚子」・木活乙本「孩子」に作る。
2) 「守禦」: 「隨闕修理」の「闕」は、令の原文は「閑」。民に閑暇あるとき、の意。 3) 「守禦」: 「有禁金銀薄者」の「薄」は、箔と同じ。木活甲乙本は「箔」。
4) 「守禦」: 「又禁内庭自中宮以下」の「中宮」は、底本「官」、他本により訂。
5) 巻末: 「會澤安識」は、自筆本は「會澤安書」として墨消し、木活甲本は「無名氏」、木活乙本は「無名居士題」とし、玉山堂本に至ってこのように明記した。
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7. |
『日本思想大系
53 水戸学』の本文(訓読文)には、校注者(瀬谷義彦氏)の頭注があって、参考になります。 なお、同書巻末の解説(瀬谷義彦氏)によれば、「「新論」は水戸藩の学者会沢正志斎の代表的著作であるばかりでなく、水戸学の経典として重要視された文献である。門人寺門謹の「会沢先生行実」に「一生の精力半(なかば)は此の書に在り」と記されているように、正志斎のこれ以後の数多い著作論考は、漢籍を除くほかは、すべてこの「新論」の敷衍または補遺として意義をもつといっても過言ではない」ということです。(同書、481頁)
また、「幽谷の教育と指導のもとで、自己の学問形成に努めてきた正志斎に、大きな衝撃を与え、「新論」の述作を促したものは、文政7年(1824)5月、水戸領大津浜に異人12名が上陸した事件である。その時、正志斎は臨時の筆談役に任命され、十数里の道を急行して直接異人と筆談した」とあります。(同書、482頁) また、「この「新論」は、一般世人に示すためのものでなく、当時の水戸藩主斉脩(なりのぶ)に上呈するために述作されたものであることは、その内容からもうかがえる。当時彰考館総裁であった幽谷が、正志斎に宛てた書簡によって、詳しくその間の事情を知ることができる」ともあります。(同書、483頁)
詳しくは、同書を参照してください。 |
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8. |
『角川日本史辞典 第二版』(高柳光寿・竹内理三編、昭和41年12月20日初版発行、昭和49年12月25日第二版初版発行)には、次のようにあります。
新論(しんろん)=2巻。後期水戸学の代表的著作。会沢安著。1825(文政8)に脱稿、藩主に献上したが、論旨が過激であるとして公刊を禁止された。しかしその後門人たちの間で次々と伝写され、幕末の尊攘思想の先駆ともいうべき影響力をもった。国体・形勢・虜情・守禦・長計の5項から成る。〔思想全集・水戸学大系〕 |
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9. |
資料426に「会沢正志斎『新論』巻上(読点のみの本文)」があります。
資料136に「会沢安(正志斎)『及門遺範』」があります。 |
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10. |
〇会沢正志斎(あいざわ・せいしさい)=江戸後期の儒学者。名は安(やすし)。水戸藩士。藤田幽谷に学ぶ。彰考館総裁・弘道館総教。著「新論」で尊王攘夷を唱え、幕末期の政治運動に大きな影響を与えた。(1782~1863)(『広辞苑』第6版にる)
〇会沢正志斎(あいざわ・せいしさい)=(1782~1863)幕末の儒学者。水戸藩士。名は安(やすし)。藤田幽谷に学びその思想を祖述・発展させた。彰考館総裁。藤田東湖とともに藩の尊攘運動を指導。著「新論」「迪彙篇」など。(『大辞林』第二版による) |
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11. |
『幕末維新館』というサイトの「幕末人物名鑑」の中に、会沢正志斎が取り上げてあります。
『幕末維新館』 → 幕末人物名鑑 → あ → 会沢正志斎 |
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『維新の散歩道』というサイトの「明治維新人物名鑑」の中にも、会沢正志斎が出ていて参考になります。 『維新の散歩道』
→ 明治維新人物名鑑 → 「会沢正志斎」をクリック → 会沢正志斎 (お断り) 現在は見られないようです。 |
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『[偉人録] 郷土の偉人を学ぶ』というブログに、「会沢正志斎・茨城の偉人」のページがあります。 |
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高須芳次郎著『水戸学徒列伝 水戸学入門』(誠文堂新光社、昭和16年4月20日第一刷発行)の「水戸学主要文献解題」に、「新論」について次のような解題が出ています。
○新論(會澤正志著)二巻 明治維新の經典として、第一位を占めるべき名著と云はれてゐる。(一)國體(二)形勢(三)虜情(四)守禦(五)長計の五つに分つて、當面の急務を論じ、暢達・流麗の文章を以て、巧みに日本國體の尊嚴を明かにしてゐる。そして日本の皇室におかせられては、忠孝一本の旨を重んぜられ、文武を尊重し、國民の幸福を旨とせられる所以を力説した。それから世界の大勢を説き歐米が日本侵略の野心を抱くことを指摘して、國民の反省を促してゐる。かくして正志は、富國強兵の道を説き、祭政一致の精神により、國民を敎化すべき方法を論じた。その云ふところ、當時としては可なり大膽だが、よく急所に觸れ、明治維新を促す原動力となつたのである。(同書、208頁) |
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慶應義塾大学メディアセンター(図書館)に、会沢正志斎(安)著『新論』(安政4年刊)、安政5年正月・松平慶永(春嶽)自筆書入本があるそうです。 → 会沢正志斎(安)著『新論』(安政4年、玉山堂刊)、安政5年正月・松平慶永(春嶽)自筆書入本 |
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慶應義塾大学グーグル図書館プロジェクトで、グーグルブックに入っている、文政8年跋(文政乙酉季春 無名居士題)の『新論』(會澤恒藏著)を、画像で見ることができます。 → 『新論』(會澤恒藏著)文政8年跋(Google ブックス) |
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「京都大学附属図書館 維新資料画像データベース」の「維新資料人名解説データ」に、会沢正志斎の解説が出ています。 → 会沢正志斎
なお、この「維新資料画像データベース」で、会沢正志斎の、水戸藩郡奉行・川瀬七郎右衛門あての書簡を見ることができます。 → 会沢正志斎の、水戸藩郡奉行・川瀬七郎右衛門あて書簡 |
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18. |
現代語訳の「新論」
中央公論新社発行の中公バックス『日本の名著
29』(藤田東湖/会沢正志斎/藤田幽谷)〔1984年5月17日初版発行〕に、現代語訳の「新論」が入っています。 → 『日本の名著』29(藤田東湖/会沢正志斎/藤田幽谷) (この本は、嘗て中央公論社から、『日本の名著 29』(藤田東湖)として昭和49年1月15日初版発行で出版されたものです。) |
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