資料347 森鴎外の短歌「我百首」  


 

 

        我 百 首            森 鷗 外

 

 

 

斑駒(ぶちごま)の骸(むくろ)をはたと抛ちぬ Olympos なる神のまとゐに

もろ神のゑらぎ遊ぶに釣り込まれ白き齒見せつ Nazareth の子も

(あめ)の華石の上に降(ふ)る陣痛(ぢんつう)の斷えては續く獸(けもの)めく聲

小き釋迦摩掲陀の國に惡を作
(な)す人あるごとに靑き糞(ふん)する

我は唯この菴沒羅菓
(あんむらくわ)に於いてのみ自在を得ると丸呑にする

年禮の山なす文
(ふみ)を見てゆけど麻姑のせうそこ終にあらざる

憶ひ起す天に昇る日籠
(こ)の内にけたたましくも孔雀の鳴きし

此星に來て栖みしよりさいはひに新聞記者もおとづれぬかな

或る朝け翼を伸べて目にあまる穢を掩ふ大き白鳥

雪のあと東京といふ大沼の上に雨ふる鼠色の日

突き立ちて御濠
(みほり)の岸の霧ごめに枯柳切る絆纏の人

大池の鴨のむら鳥朝日さす岸に上りて一列
(つら)にゐる

日の反射店の陶物
(すゑもの)、看板の金字、車のめぐる輻(や)にあり

惑星は軌道を走る我
(われ)生きてひとり欠し伸せんために

重き言
(こと)やうやう出でぬ吊橋を渡らむとして卸すがごとく

空中に放ちし征箭
(そや)の黑星に中りしゆゑに神を畏るる

脈のかず汝達
(なむたち)喘ぐ老人(おいびと)に同じと藥師(くすし)云へど信ぜず

「友ひとり敢ておん身に紹介す。」「かかる樂器に觸れむ我手か。」

綴ぶみに金の薄
(はく)してあらぬ名を貼(お)したる如し或人見れば

寡慾なり火鉢の縁に立ておきて煖まりたる紙巻をのむ

おのがじし靡ける花を切り揃へ束
(たば)に作りぬ兵卒のごと

一夜をば石の上にも寢ざらんやいで世の人の讀む書
(しよ)を讀まむ

(もだ)あるに若かずとおもへど批評家の餓ゑんを恐れたまさかに書く

あまりにも五風十雨の序
(ついで)ある國に生れし人とおもひぬ

伽羅は來て伽羅の香
(か)、檀は檀の香(か)を立つべきわれは一星(せい)の火

すきとほり眞赤に強くさて甘き Niscioree の酒二人が中は

今來ぬと呼べばくるりとこち向きぬ囘轉椅子に掛けたるままに

うまいより呼び醒まされし人のごと圓き目をあき我を見つむる

何事ぞあたら「若さ」の黄金を無縁の民に投げて過ぎ行く

君に問ふその脣の紅はわが眉間なる皺を熨
(の)す火か

いにしへゆもてはやす徑寸
(わたりすん)といふ珠二つまで君もたり目に

舟ばたに首
(かうべ)を俯して掌(たなぞこ)の大さの海を見るがごとき目

彼人はわが目のうちに身を投げて死に給ひけむ來まさずなりぬ

君が胸の火元あやふし刻々に拍子木打ちて廻らせ給へ

我と
(われ)いふ大海の波汝(なれ)といふ動かぬ岸を打てども打てども

接吻の指より口へ僂
(かゞな)へて三とせになりぬ吝(やぶさか)なりき

搔い撫でば火花散るべき黑髮の繩に我身は縛られてあり

散歩着の控鈕の孔に挿す料に摘ませ給はん花か我身は

顔の火はいよよ燃ゆなり花束の中に埋
(うづ)みて冷やすとすれど

護謨をもて消したるままの文
(ふみ)くるるむくつけ人と返ししてけり

爪を嵌む。「何の曲をか彈
(ひ)き給ふ。」「あらず汝(な)が目を引き搔かむとす。」

み心はいまだおちゐず蜂去りてコスモスの莖ゆらめく如く

まゐらするおん古里の雛棚にこの Tanagra の人形
(にんぎやう)一つ

(こ)のうちに汝(なれ)(さち)ありや鶯よ戀の牢(ひとや)に我は幸あり

わが魂
(たま)は人に逢はんと拔け出でて壁の間をくねりて入りぬ

善惡の岸をうしろに神通の帆掛けて走る戀の海原

好し我を心ゆくまで責め給へ打たるるための木魚の如く

厭かれんが早きか厭くが早きかと爭ふ隙や戀といふもの

(ほ)の尖の黶子(はゝくそ)一つひろごりて面に滿ちぬ戀のさめ際

うまいするやがて逃げ出づ美しき女
(をみな)なれども齒ぎしりすれば

Messalina に似たる女
(をみな)に憐を乞はせなばさぞ快からむ

(と)き爪に汝(な)が膚こそ破れぬれ鎖(くさり)取る我が力弛みて

氷なすわが目の光泣き泣きていねし女
(をみな)の項を穿つ


貌花のしをれんときに人を引くくさはひにとて學び給ふや

美しき限集ひし宴會の女獅子
(めじし)なりける君か、かくても

心の目しひたるを選れ汝
(なれ)まこと金剛不壞の戀を求めば

(な)が笑顔いよいよ匀ひ我胸の悔の腫ものいよいようづく

此戀を猶續けんは大詰の後なる幕を書かんが如し

彼人を娶らんよりは寧我
(われ)日和も雨もなき國にあらむ

慰めの詞も人の骨を刺す日とは知らずや默
(もだ)あり給へ

富む人の病のゆゑに白かねの匙をぬすみて行くに似る戀

鬪はぬ女夫
(めを)こそなけれ舌もてし拳をもてし靈(れい)をもてする

處女
(しよぢよ)はげにきよらなるものまだ售(う)れぬ荒物店の箒(はゝき)のごとく

觸れざりし人の皮もて飲まざりし酒を盛るべき囊を縫はむ

黑檀の臂の紅蓮の掌に銀盤擎げ酒を侑むる

「時」の外
(と)の御座(みくら)にいます大君の謦咳(しはぶき)に耳傾けてをり

註文すわが心臟を盛る料に焰に堪へむ白金
(はくきん)の壺

(つた)なしや課役(えだち)する人寐酒飲むおなじくはわれ朝から飲まむ

怯れたる男子なりけり Absinthe したたか飲みて拳銃を取る

ことわりをのみぞ説きける金乞へば貸さで戀ふると云へば靡かで

世の中の金の限を皆遣りてやぶさか人の驚く顔見む

大多數まが事にのみ起立する會議の場
(には)に唯列(なら)び居(を)

をりをりは四大假合
(けがふ)の六尺を眞直に竪てて譴責を受く

勳章は時々
(じじ)の恐怖に代へたると日々(ひび)の消化に代へたるとあり

とこしへに饑ゑてあるなり千人の乞兒に米を施しつつも

輕忽
(きやうこつ)のわざをき人よ己(し)がために我が書かざりし役を勤むる

「愚」の壇に犠牲
(いけにへ)ささげ過分なる報を得つと喜びてあり

火の消えし灰の窪みにすべり落ちて一寸法師目を睜りをり

寫眞とる。一つ目小僧こはしちふ。鳩など出だす。いよよこはしちふ。

まじの符を、あなや、そこには貼
(お)さざりき櫺子(れんじ)を覗く女(おみな)の化性

(ふみ)の上に寸ばかりなる女(おみな)來てわが讀みて行く字の上にゐる

夢なるを知りたるゆゑに其夢の醒めむを恐れ胸さわぎする

かかる日をなどうなだれて行き給ふ櫻は土
(つち)に咲きてはあらず

仰ぎ見て思ふところあり蹇
(あしなへ)の春に向ひて開ける窓を

何一つよくは見ざりき生
(せい)を踏むわが足あまり健(すくやか)なれば

世の中を駈けめぐり尋ね逢ひぬれど喘止まねば物の言はれぬ

十字鍬買ひて歸りぬいづくにか埋
(う)もれてあらむ寶を掘ると

狂ほしき考浮ぶ夜の町にふと燃え出づる火事のごとくに

魔女われを老人
(おいびと)にして髯長き侏儒のまとゐの眞中(まなか)に落す

我足の跡かとぞ思ふ世々を歴て踏み窪めたる石のきざはし

圓壟の凝りたる波と見ゆる野に夢に生れて夢に死ぬる民

舟は遠く遠く走れどマトロスは只爐一つをめぐりてありき

をさな子の片手して彈
(ひ)くピアノをも聞きていささか樂む我は

Wagner はめでたき作者ささやきの人に聞えぬ曲を作りぬ

彈じつつ頭
(かうべ)を掉れば立てる髮箒(はゝき)の如く天井を掃く

一曲の胸に響きて門を出で猛火のうちを大股に行く

死なむことはいと易かれど我はただ冥府
(よみ)の門守る犬を怖るる

防波堤を踏みて踵を旋さず早や足蹠
(あのうら)は石に觸れねど

省みて恥ぢずや汝
(いまし)詩を作る胸をふたげる穢除くと

我詩皆けしき臟物
(ざうもつ)ならざるはなしと人云ふ或は然らむ


                  
(明治42年5月1日)
 


 

 

 

 

(注)1. 上記の短歌の本文は、『国立国会図書館デジタルコレクション』に収めてある
      詩歌集『沙羅の木』
(阿蘭陀書房、大正4年9月5日発行)所収の「我百首」によりまし
      た。『沙羅の木』は、訳詩・沙羅の木・我百首の3部からなっています。
           → 『国立国会図書館デジタルコレクション』『沙羅の木』
       「我百首」は、『沙羅の木』の 114~131/133 にあります。
       (鷗外は『沙羅の木』の序で、「我百首と題する短詩」と言っています。また、『沙羅の木』の
       扉には、「詩集」とありますから、鷗外としては「我百首」を詩と考えていたのかもしれませ
       ん。短歌も「詩」、という捉え方でしょうか。)

     2. 「我百首
(わがひゃくしゅ)」の初出は、明治42年(1909)5月発行の雑誌「スバル」
      第5号(短歌号)で、鷗外47歳のときのことです。      
     3. 上記本文の読み仮名は、『沙羅の木』の振り仮名(ルビ)を読み仮名としてつけ
      たもので、『沙羅の木』の振り仮名(ルビ)のすべてです。
        なお、5首目の歌に出て来
る「菴沒羅菓」の振り仮名は「あむらくわ」のように
      なっているのですが、引用者の判断で「あんむらくわ」としてあります。
 
     4. 『沙羅の木』巻頭の「『沙羅の木』の序」の終わりに、鷗外は「我百首」について
      次のように書いています。
        
我百首と題する短詩は、長い月日の間に作つたものを集めたのでもなく、又自ら選
         んだのでもない。あれは雜誌昴の原稿として一氣に書いたのである。其頃雜誌あら
         らぎと明星とが參商の如くに相隔たつてゐるのを見て、私は二つのものを接近せし
         めようと思つて、雙方を代表すべき作者を觀潮樓に請待した。此毎月一度の會は大               
         ぶ久しく續いた。我百首を書いたのは、其會の隆盛時代に當つてゐる。これも記念
         と云へば記念であるが、私は今さらこれを活字に付することを憚つた。しかし北原君
         は「どうせ一旦公にせられたものだから、見ようと思ふ人は古い雜誌を捜し出してで
         も見るだらう」と云つた。それもさうである。私だつて強ひて冠を彈き衣を振つて、太
         だ潔
(いさぎよ)きことを求めなくても好い。我百首を存ずる所以である。
      5. 『鷗外選集 第11巻』(岩波書店、1979年8月22日第1刷発行)巻末の「解
       説 
詩人としての鷗外─『於母影』『うた日記』『沙羅の木』短歌連作─」で、小堀桂
       一郎氏は「我百首」について、これ
は連作といつても、必ずしも配列の順を
       追って読む必要のないものだとした上で、
次のように述べておられます。
          これらの歌は畢竟作者の内部の心象風景の象徴的表現であるといふ点で「海のを
         みな」の延長上に考へてよいものではあるが、作者の意図から言へば、「明星」に拠
         る新詩社の浪漫的・主情的詩想と伊藤左千夫一派の「アララギ」が見せてゐる写実
         的な歌風とを相近づけ、そこに両者を融合した新しい詩風を創出しようと試みたもの、
         と言ふべきもののやうである。従つてその新しさといふのは、詩人の内心からの発想
         を尊びながらも、情に流されることなく、主知的に、輪廓のはつきりした形象性を構成
         する──、つまり思想的内容の濃い、象徴詩の如きものを目指してゐた、とも言ふこ
         とができるだらう。「我百首」を発表してから五箇月ほど経て四十二年の十月に鷗外
         はR・M・リルケの戯曲『家常茶飯』を雑誌「太陽」に訳載し、同時にその解題として
         対話体のエッセイ「現代思想」を同じ号に書いてゐるが、その中で〈先頃我百首の中
         で、少しリルケの心持で作つて見ようとした処が、ひどく人に馬鹿にせられましたよ〉
         と述べてゐるところがある。この〈リルケの心持で作つた〉といふのが具体的に何れ
         の作を指すのかは分明でなく、前記の富士川英郎氏の「詩集『沙羅の木』について」
         の中には四首ほどそれらしいものの指摘はあるが、富士川氏も、リルケの心持とい
         つてもそれは表面にはつきりと出たものではないことを言はれ、むしろ「我百首」全
         篇がドイツ近代の象徴詩の息吹を呼吸しつつ成つた短詩なのであるといふ意味の
         ことを述べてゐる。ただもう一点だけ指摘しておいてもよいと思はれるのは、「我百
         首」が表現上の工夫に於て或いはリリエンクローン風の外光派的印象主義の色彩
         感覚を取入れ、デーメルやクラブント風の物語性を加味し、リルケやホーフマンスタ
         ールに見られる様な比喩や象徴的表現の新奇・繊巧を誇る、といつた手法の他に、
         詩的形象及びそれを支へてゐる語彙の点でも著しくその世界を拡大してゐる、とい
         つた事実がある。即ち「釈迦」「摩掲陀国」「菴没羅菓」「伽羅」「金剛不壊」「四大仮
         合」などは仏教的形象の語彙であり、僅か一語だが「麻姑」は『神仙伝』中の仙女
         だから道教的色彩の強いものと言へよう。これらの語彙はそれを以て構成される形
         象が神話的起源のものであることを既に暗示するものだが、実際に第一首は〈斑駒
         の骸をはたと抛ちぬ〉といふのだから、例の「古事記」に出てくる須佐之男命の逆剝
         の天つ罪を歌つてゐるのだらうと思はれた次の瞬間に〈Olymposなる神のまとゐに〉
         といふ下の句が出る。まさに奇想天外の連想の進展である。この種の西洋と東洋、
         古代と現代、壮大な宇宙的想像と微視的な日常現実の直写といつた組合せ・取合
         せの妙は「我百首」全体に亙つてみられる顕著な特徴である。(後略)   
                                           (同書、318~320頁)
        
詳しくは、同書の「解説」を参照してください。      
        
なお、引用文中に「前記の富士川英郎氏の「詩集『沙羅の木』について」と
      あるのは、昭和32年に同氏が発表された論文で、同氏の『西東詩話
─日独文
     
化交渉史の側面(1974年5月、玉川大学出版部刊。現在絶版)に収録されている
      そうです。

      6. 資料346に「森鴎外の詩「扣鈕」」があります。
      7. 資料349に「森鴎外の短歌「一刹那」」があります。
      
8. 資料350に「森鴎外の短歌「舞扇」」があります。
      9. 資料25「森鴎外の遺言(余ハ少年ノ時ヨリ……)」があります。
     10. 参考書
      (1) 岡井隆著『鷗外・茂吉・杢太郎
 「テエベス百門」の夕映え(書肆山田、2008年
         10月10日・初版第1刷発行)
に、「我百首」の全注がある由です。
            → 『鷗外・茂吉・杢太郎
 「テエベス百門」の夕映え
      (2) 小平克著『森鷗外「我百首」と「舞姫事件」』
(同時代社、2006年6月25日初
         版発行)
に、「我百首」の解釈と考察がある由です。 
      (3) 『山口国文』15号(1992年)に、宇佐川智美「森鷗外「我百首」ノート」、 
        『山口国文』21号(1998年3月発行)に、宇佐川智美「森鷗外「我百首」
        ノート(3)<四章>(26)首~(34)首」 があります。
 

 

 

 


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