資料349 森鴎外の短歌「一刹那」  


 

 

         一 刹 那              森 鷗 外

 

 

 

一刹那(いつせつな)千もとの杉のおほ幹(みき)とふもとの湖(うみ)と見する稻妻

旅やかた人を可笑
(をか)しと卓(しよく)のもとわが足踏みし憎き足かな

草藉
(し)きて臥すわが脈(みやく)は方(はう)十里寢ねたる森の中心(ちゆうしん)に搏(う)

大床
(おほゆか)もとどろに仇(あだ)の足(あし)のおと迫(せま)るとおぼえ心おそれぬ

夜の森の刻
(きざ)めるごとき輪廓(りんくわく)のうへにまたたく白(しろ)がねの星

くしび一つ秘めごと一つ世にあれと森わけ入らで踵
(くびす)めぐらす

萬人
(まんにん)の肩(かた)すりてゆく白晝(はくちゆう)の大路(おほぢ)さびしく足は疲れぬ

死の騎士
(きし)は森にさやらす拗人(すねびと)の深山(みやま)の家に闖然(ちんぜん)と入る

わが足はかくこそ立てれ重力
(ぢうりよく)のあらむかぎりを私(わたくし)しつつ

火の影をひたとまもりて歩み出づる森ゆ我
(あ)を呼ぶ前(さき)の世の友

しめりたる土を足踏み闇に立つ墓より墓に手觸
(てふ)れて行きぬ

あはつけき沓
(くつ)に飽ける目塗下駄(ぬりげた)の素足(すあし)に醒めぬ春雨の窓

羅馬なるぺとろの椅子に汝
(なれ)居らば足(あし)吸ひにゆくわれ猶太(ゆでや)びと

森ひとつ隔てて君と我とあり苅らむやうなき荊蕀
(けいきよく)の森

(らう)をゆく中(なか)の一人(ひとり)の足のおとふと聞きわきて我をいぶかる

(だ)かれゆく丈(たけ)なる髮のなびくかな足疾(あしと)き駒の鬣(たつがみ)とともに


かるららの山に切
(き)らせし白石(しらいし)の段(だん)を踏ませむ足とささやく

(けもの)追ふせこ森に入るわきもこが寢くたれ髮にわが指(および)入る

不靈
(ふれい)の子(こ)うしろゆ呼べばかへりみず入りぬ人啖(く)ふ鬼すむ森に

足裏
(あなうら)の魚の目いはく大空に冲(のぼ)りのぼりて星になる見よ

な誇
(ほこ)りそ汝(なれ)みやこびと煙突(えんとつ)の森に家居し炭を食(は)む人

 
                   
(明治40年10月1日『明星』)
 


 

 

 

(注)1. 上記の「一刹那」21首は、『鷗外選集 第10巻』(岩波書店、1979年8月22日
       第1刷発行)
所収の本文によりました。
     2. 「一刹那」の初出は、明治40年(
1907)10月1日発行の雑誌『明星』です。
     3. 上記本文の読み仮名は、『鷗外選集 第10巻』の本文の通りにしてあります。
     4. 資料350に「森鴎外の短歌「舞扇」」があります。

     5. 資料351に「森鴎外の短歌「潮の音」」があります。
     6. 資料347に「森鴎外の短歌「我百首」」があります。
      

 

 

 

 


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