資料350 森鴎外の短歌「舞扇」  


 

 

         舞 扇              森 鷗 外

 

 

 

永遠(えいゑん)の鼓(つみ)ひびきぬくろがねの壁みな靡(なび)きわれ去るひとり

舞扇
(まひあふぎ)おきて手にとる小さかづき臙脂(ゑんじ)を印(いん)す麥わらの管(くだ)

鐵の管
(くだ)露に光る夜(よ)積みあげし石の隙間(すきま)にこほろぎの啼く

麓田
(ふもとだ)に樋(ひ)は水まかすわが胸に紅玉(こうぎよく)の管(くだ)戀の酒引く

殺羽根
(そぎはね)の管(くだ)にをさめて白鳩(しらはと)の足に結(ゆ)ふべき小(ちひさ)き文(ふみ)

(にく)き家(いへ)に火の管(くだ)わたし燒くといふ物語きき君をおもひぬ

火に入りしことありとだに思はれぬ鋼
(はがね)や君が忍(しの)べる心

しら玉の淸き杯
(さかづき)くちびるにあつる刹那に毒を滴(てき)すや

天地
(あめつち)を籠(こ)めたる霧の白濁(はくだく)の中(なか)に一點(てん)赤き唇(くちびる)

うつせみの世にわすられの白衾
(しろぶすま)かづきてしばし目ふたぎてあり

文机
(ふづくゑ)の塵うちはらひ紙のべて物まだ書かぬ白きを愛でぬ

夢の火の火屑
(ほくづ)ちりぼふここちして重(おも)き空氣に喘(あへ)ぎてありぬ

市びとのはたけし足の毛一
(ひと)すぢ後(のち)の紀念(かたみ)に拔きてくぐりぬ

荒駒の白しと選
(え)られ繋がれて神の厩(うまや)に老いぬるあはれ

おもひでの白き水鳥
(みづどり)わが渡るかぐろき波の上(うへ)を飛び過ぐ

野のゆふべ白衣
(びやくえ)の少女手つなぎて大いなる輪をつくり舞ふ靄

むかし神の積みかさねつる千億の白き女人
(によにん)の身のなれる富士

(はね)しろき天使(てんし)冬きぬひややかに動かぬすがた大いなるかな

(ばう)衣裳(いしやう)みな眞白なる修道女(しゆだうめ)が手に持つ經(きやう)の黑皮表紙(くろかはべうし)

波を切るかの白鳥
(しらとり)の鉛直(えんちよく)に立てたる首の動かざる見よ

月の夜の塔よりぞ見し家むらの黑きを縫へる白き町々
(まちまち)

富士が嶺
(ね)のいただき見れば水無月(みなづき)の望(もち)の日消えず聖(せい)なる白さ

小き影うつる見ませと開く目の黑き瞳に魅
(み)せらる我は

血の色の星の影さす入海
(いりうみ)に黑き帆の舟つと入り來たる

 
                     
(明治41年1月1日『明星』)
 
  

 

 

 

(注)1. 上記の「舞扇」24首は、『鷗外選集 第10巻』(岩波書店、1979年8月22日第1刷
       発行)
所収の本文によりました。
     2. 「舞扇」の初出は、明治41年(
1908)1月1日発行の雑誌『明星』です。
     3. 上記本文の読み仮名は、『鷗外選集 第10巻』の本文の通りにしてあります。
      ただし、振り仮名の「まちまち」には平仮名の「く」を縱に伸ばした形の繰り返し符
      号が用いてありますが、これを普通の平仮名に直しました。また、『鷗外選集』に
      は常用漢字が用いてありますが、これを旧漢字に改めました。
     4. 資料349に「森鴎外の短歌「一刹那」」があります。
     5.
資料351に「森鴎外の短歌「潮の音」」があります。
     6. 資料347に「森鴎外の短歌「我百首」」があります。
      

 

 

 

 


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