(注) | 1. |
上記の「流人の話(『翁草』巻117「雑話」より)」の本文は、国立国会図書館の『近代デジタルライブラリー』所収の『校訂 翁草
第十二』によりました。 この『校訂 翁草
第十二』は、神澤貞幹・編、五車樓書店・明治38,39年発行のものです。「流人の話」は、『翁草』巻百十七の「雜話」に入っています。発行年は、『校訂
翁草』首巻の奥付に明治39年5月27日発行、『校訂
翁草』巻二十の奥付に明治38年12月31日発行とあります。他の巻には奥付がついていないようです。 『国立国会図書館デジタルコレクション』所収の『校訂 翁草 第十二』「流人の話」は、画像で見ることができます。 『国立国会図書館デジタルコレクション』 → 『校訂 翁草 第十二』(32-33/89) |
|||
〇翁草(おきなぐさ)=随筆。神沢杜口 かんざわとこう(1710-1795)著。初めの100巻は1772年(安永一)成立、後に100巻を追加。1905年(明治38)刊。鎌倉~江戸時代の伝説・奇事・異聞を諸書から抜書きし、著者の見聞を記録。(『広辞苑』第7版による。) | |||||
2. | この「流人の話」は、森鷗外がこれを元に「高瀬舟」を書いたことで知られています。鷗外に自作解説「高瀬舟縁起」があります。 | ||||
3. | 「高瀬舟」「高瀬舟縁起」は、青空文庫で読むことができます。 『青空文庫』 →「高瀬舟」(旧字・旧仮名) →「高瀬舟」(新字・新仮名) →「高瀬舟縁起」(旧字・旧仮名) →「高瀬舟縁起」(新字・新仮名) |
||||
4. | 本文中に、「いたづらに遊び暮し冥加なき上に」とありますが、この「冥加なし(冥加なき)」は、「なし」が意味を失い、「冥加なり」を強めた言い方に転じて、「冥加に余る」「ありがたい」の意味、と辞書にあります(『広辞苑』第6版)。 | ||||
5. | 〇高瀬舟(たかせぶね)=森鷗外の短編小説。1916年(大正5年)「中央公論」に発表。弟殺しの罪で遠島に処せられ、高瀬舟を舟で下る喜助の心情を叙して、知足の境地や安楽死の問題などに触れた作品。 〇高瀬舟(たかせぶね)=古代から近世まで広く各地の河川で用いられた、舳(へさき)が高く上がり底が平らな小型の箱型運送船。近世、利根川水系で用いられた高瀬舟のみは大形で別格。(以上、『広辞苑』第6版による。) |
||||
6. | 『千葉大学人文研究』第35号(2006年3月発行)に、滝藤満義教授の「「高瀬舟」―語り手のスタンス」という論文が掲載されています。 → 滝藤満義「「高瀬舟」─語り手のスタンス」(pdf ファイルです。) |
||||
7. | 『北海道教育大学学術リポジトリ』に、西原千博教授の「『高瀬舟』試解─相対的、あるいは相対化─」(『札幌国語研究』第17号:北海道教育大学国語国文学会、2012年発行
所収)という論文が掲載されています。 → 西原千博「『高瀬舟』試解─相対的、あるいは相対化─」 |
||||
8. |
『共立女子短期大学看護学科紀要』第6号(2011年)に、齋藤美喜・齋藤勝氏の「「高瀬舟」の現代的解釈(1)─文学・法学・看護の視点から安楽死の検討─」という論文が掲載されています。 「齋藤美喜・齋藤勝「「高瀬舟」の現代的解釈(1)─文学・法学・看護の視点から安楽死の検討─」」を検索して、pdfファイルをダウンロードしてから見ます。 |
||||
9. | 日本ペンクラブの『電子文藝館』に、磯貝勝太郎氏の「歴史小説の種本(たねほん)」が出ています。 『日本ペンクラブ』→『電子文藝館』→「歴史小説の種本(たねほん)」 |
||||
10. |
フリー百科事典『ウィキペディア』に、「森鷗外」「高瀬舟」の項があります。 フリー百科事典『ウィキペディア』 →「森鴎外」 →「高瀬舟」(小説) |
||||
11. | 次に、上の本文を自分なりに読みやすく書き直してみます(句点を用い、読点を適当に補ったりしています。お気づきの点を教えていただければ幸いです。〕 流人の話(『翁草』巻百十七「雜話」より) 流人(るにん)を大阪へ渡さるに、高瀬より船にて、町奉行(まちぶぎやう)の同心これを守護して下(くだ)る事なり。凡(およ)そ流人は前にも記す如く、賊の類(たぐひ)は希(まれ)にして、多くは親妻子もてる平人(へいにん)の辜(つみ)に遇へるなり。罪科(ざいくわ)決して島へ遣はさるる節、牢屋敷に於(おい)て、親戚の者を出呼(すいこ)し引き合せて、暇乞(いとまご)ひをさせらるる定法(ぢやうはふ)なり。故に親戚長別して舊里(ふるさと)を出づる道途(かどで)なれば、己(おの)がどち、船中にて夜と倶(とも)に越方行末(こしかたゆくすゑ)の事を悔いて愁涙(しうるい)悲嘆して、かきくどくを、守護の同心終夜聞くにつけ、哀傷(あいしやう)起こり、心を痛ましむる事なるに、或る時一人の流人、公命を承ると、否(いな)、世に嬉しげに、船へ乘りてもいささか愁へる色見えず。守護の同心是(これ)を見て、卑賤の者ながらよく覺悟せりと感心して、船中にて彼(か)の者に對して稱嘆(しようたん)するに、彼云はく、「常に僅(わづ)かの營みに、渇々(かつがつ)粥(かゆ)を啜(すす)りて、露命をつなぎしに、此の御吟味(ごぎんみ)に逢ひ候うてより、久々(ひさびさ)在牢の内、結構なる御養ひを戴(いただ)き、いたづらに遊び暮し冥加(みやうが)なき上に、剩(あまつさ)へ此の度(たび)鳥目(てうもく)二百文を下され 流人に鳥目二百銅づゝ賜はる事、古來より定例(じやうれい)なり て、島へ遣はさる事、如何(いか)なる果報にて此(か)くの如くなりや。是(こ)れ迄二百文の錢をかため持たる事、生涯に覺え申さず。加程(かほど)過分の元手(もとで)之(こ)れ有り候へば、たとへ鬼有る島なりとも、一つ身の凌ぎはいか樣(やう)にも出來申すべく候ふ。素(もと)より妻子親類とてもなく、苦しき世をわたり兼ね候へば、都に名殘は更になく候ふ」とて、悦ぶ事限りなし、此の者、西陣髙機(たかはた)の空引(そらびき)に傭(やと)はれありきし者なるが、其の罪蹟(ざいせき)は、兄弟の者、同じく其の日を過ごし兼ね、貧困に迫りて自害をしかかり、死に兼ね居(ゐ)けるを、此の者見付けて、迚(とて)も助かるまじき體(てい)なれば、苦痛をさせんよりはと、手傳ひて殺しぬる其の科(とが)に仍(よ)り、島へ遣はさるるなりけらし。其の所行(しよぎやう)もとも惡心なく、下愚(かぐ)の者の辨(わきま)へなき仕業(しわざ)なる事、吟味の上にて、明白なりしまま死罪一等を宥(なだ)められしものなりとぞ。彼(か)の守護の同心の物語なり。 * 疑問点 (1)「公命を承ると、否(いな)、」と、「承ると」の次に読点を付けましたが、これでよろしいか。 (2)「此の御吟味(ごぎんみ)に逢ひ候うてより、」の「候うてより」は、「候ひてより」としたほうがよろしいか。 (3)「其の所行(しよぎやう)もとも惡心なく、」の「もとも」は、「もともと」とあるべきところなのか、「最も」の意なのか。 (2014年2月27日) |