(注) | 1. |
上の詩は、『初等科国語 七』文部省(昭和17年2月21日発行・昭和18年1月31日翻刻発行)
[『複刻国定教科書(国民学校期)』ほるぷ出版刊(昭和57年2月1日)]によりました。 下の詩は、『小学国語読本 尋常科用 巻九』(昭和12年12月15日修正発行 ・昭和13年1月30日翻刻発行) [『国定国語教科書 第4期』秋元書房刊(1970年4月復刻)]によりました。 |
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2. | 詩中のルビは、( )に入れて示しました。『初等科国語 七』には、第3節の「天地」にルビはついていませんが、音数の関係から「あめつち」と読みます。(『小学国語読本』には、「あめつち」と振り仮名がついています。) | ||||
3. | この詩の作者の名前は、教科書には出ていません。 『レファレンス協同データベース』に、「「初等科国語七」に掲載されている「晴れ間」という題の詩について、作者が知りたい」という質問と回答が出ていて参考になりますので、ご覧ください。 |
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4. |
「絵で見る国定教科書の変遷」という北海道教育大学附属図書館のホームページによれば、『初等科国語 七』の教科書は、国民学校6年生(前期用)の教科書です。 『広島大学図書館 教科書コレクション画像データベース』で、『初等科国語 七』(著作兼発行者:文部省、東京書籍株式会社・昭和17年(1942)12月21日発行、昭和18年(1943)2月28日翻刻発行)が、画像で見られます。 |
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5. |
この詩は、上に掲げたように、既に『小学国語読本 尋常科用 巻九』(文部省編)にも、「第十五 晴間」として出ています。 『広島大学図書館 教科書コレクション画像データベース』で、『小学国語読本 尋常科用 巻九』(著作兼発行者:文部省、東京書籍株式会社・昭和15年(1940)10月2日修正発行、昭和15年(1940)11月5日翻刻発行)が、画像で見られます。 この教科書は、昭和8年(1933)~昭和15年(1940)まで使用された国定教科書だと、北海道教育大学附属図書館の「絵で見る国定教科書の変遷」にありました。 |
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6. | 『終戦前後2年間の新聞切り抜き帳』というホームページの中に収めてあった、「大日本帝国時代の教育」(戦時中の国語教科書)というページで、国民学校5年生・6年生用の国語教材の大部分が見られ、いろいろ参考になる記事が見られたのですが、削除されてしまったようで、残念ながら今は見られないようです。(2006.12.23) | ||||
7. | 資料199に『初等科国語 七』、資料210に『初等科国語 八』を用意しました。5年生用の『初等科国語 五』・『初等科国語 六』もあります。どうぞご利用下さい。(2007.9.3) | ||||
8. |
『初等科音楽 四』文部省(昭和17年12月31日発行・昭和18年1月31日翻刻発行)に載っている「晴れ間」は、次のような表記になっています。 ア. 第1節の「白雲を通す日影に」の下に、読点がない。これは、他の節の句読点の付け方を見ると、付け忘れであろうと思われます。(あるいは、印刷上の関係で落ちたものか?) イ. 各節4行で、それぞれ3行目と4行目が1字下げになっている。 さみだれの晴れ間うれしく、 野に立てば野はかがやきて、 白雲を通す日影に はや夏の暑さをおぼゆ。 行く水は少しにごれど、 せせらぎの音もまさりて、 よろこびを歌ふがごとく、 行くわれを迎ふるごとし。 田園のつづく限りは、 植ゑわたす早苗(さなへ)のみどり。 山遠く心はるばる、 天地の大いなるかな。 ふと見れば、道のほとりに、 つつましき姿を見せて、 濃きるりの色あざやかに、 咲くものは露草の花。 |
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9. |
なお、国民学校の『ヨミカタ 二』の教科書に、「西ハ 夕ヤケ 赤イクモ、 / 東ハ マルイ オ月サマ。
/ カウリャン カッテ ヒロイナア、
/ ドッチヲ見テモ ヒロイナア。」という歌が、満州からの手紙の中の引用という形で載っています。(資料106『ヨミカタ 二』の「西ハ
夕ヤケ」参照) 「カウリャン カッテ ヒロイナア」(こうりゃん 刈って 広いなあ)という句を覚えておられる方も、多いことでしょう。(なお、検索しやすいように 「こうりゃん かって ひろいなあ」「こうりゃん 刈って ひろいなあ」「コウリャン かって ひろいなあ」「コウリャン 刈って ひろいなあ」「コウリャン 刈って 広いなあ」という形でもあげておきます。) |
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10. | 資料103に、「国民学校期「国語教科書」総目録(総目次)」があります。 | ||||
11. | 「ヨミカタ 一」の本文(全文)が資料105に、「ヨミカタ 二」の本文(全文)が資料106にあります。 |