室長室A1001 文学クイズ


     
文 学 ク イ ズ  

 

○ 次の問いに答えてください。

   《お断り》 問題は独断と偏見に基づいて作られているので、できないからといって
          落胆する必要は全くありません。

                            

問1.次は、誰の何という作品の冒頭でしょうか。
  (1) 其日は朝から雨だつた。
  (2) 或日の暮方の事である。
  (3) 私(わたくし)は其人(そのひと)を常に先生と呼んでゐた。
  (4) それらの夏の日々、一面に薄(すすき)の生ひ茂つた草原の中で、お前が立つ
      たまま熱心に絵を描いてゐると、私はいつもその傍らの一本の白樺の木陰に身を
      横たへてゐたものだつた。
  (5) 尾形信吾は少し眉を寄せ、少し口をあけて、なにか考へてゐる風だつた。他人
      には、考へてゐると見えないかもしれぬ。悲しんでゐるやうに見える。
  (6) 越後の春日(かすが)を経て今津へ出る道を、珍らしい旅人の一群が歩いてゐ
      る。母は三十歳を踰(こ)えたばかりの女で、二人の子供を連れてゐる。
  (7) 烈しい西風が目に見えぬ大きな塊をごうつと打ちつけては又ごうつと打ちつけて
      皆痩こけた落葉木の林を一日苛(いぢ)め通した。 
  (8) 「ではみなさんは、さういふふうに川だと云はれたり、乳の流れたあとだと云はれ
      たりしてゐた、このぼんやりと白いものがほんたうは何かご承知ですか。」先生は、
      黒板に吊した大きな黒い星座の図の、上から下へ白くけぶった銀河帯のやうなと
      ころを指しながら、みんなに問をかけました。
  (9) 野島が初めて杉子に会つたのは帝劇の二階の正面の廊下だつた。
  (10) 朝、食堂でスウプを一さじ、すつと吸つてお母さまが、「あ。」と幽かな叫び声を
      お挙げになつた。

              
           《問1(1)~(10) の答え》

  (11) この春、僕はまへから一種の憧れをもつてゐた馬酔木(あしび)の花を大和路
      のいたるところで見ることができた。  
  (12) 羅馬(ロオマ)に往きしことある人はピアツツア・バルベリイニを知りたるべし。
  (13) 私は自分の仕事を神聖なものにしようとしてゐた。ねぢ曲らうとする自分の心
      をひつぱたいて、出来るだけ伸び伸びした真直な明るい世界に出て、そこに自分
      の芸術の宮殿を築き上げようと藻掻いてゐた。  
  (14) フラテ(犬の名)は急に駆け出して、蹄(ひづめ)鍛冶屋の横に折れる岐路のと
      ころで、私を待つてゐる。この犬は非常に賢い犬で、私の年来の友達であるが、
      私の妻などは勿論大多数の人間などよりよほど賢い、と私は信じてゐる。
  (15) 家を取り壊した庭の中に、白い花をつけた杏の樹がただ一本立つてゐる。
      復活祭の近づいた春寒い風が河岸から吹く度びに枝枝が慄へつつ弁を落してい
      く。パッシイからセイヌ河を登って来た蒸気船が、芽を吹き立てたプラターンの幹
      の間から物憂げな汽罐の音を響かせて来る。城砦のやうな厚い石の欄壁に肘を
      ついて、さきから、河の水面を見降ろしてゐた久慈は石の冷たさに手首に鳥肌が
      立つて来た。
  (16)  私は頰を打たれた。分隊長は早口に、ほぼ次のようにいった。
      「馬鹿やろ。帰れっていわれて、黙って帰って来る奴があるか。帰るところがあ
      りませんって、がんばるんだよ。そうすりゃ病院でも何とかしてくれるんだ。中隊
      にゃお前みてえな肺病やみを、飼っとく余裕はねえ。(以下略)」
  (17) えたいの知れない不吉な塊が私の心を始終圧へつけてゐた。
  (18) 今より六七年前、私は或地方に英語と数学の教師を為て居たことが御座いま
      す。其町に城山といふのがあつて大木暗く繁つた山で余り高くはないが甚だ風
      景に富で居ましたゆゑ私は散歩がてら何時も此山に登りました。
  (19) 或春の日暮です。
  (20) 私が自分に祖父のある事を知つたのは、私の母が産後の病気で死に、その後
      二月程経つて、不意に祖父が私の前に現はれて来た、その時であつた。私の六
      歳(むつつ)の時であつた。

 
                         《問1(11)~(20)の答え》

  (21) 隴西(ろうせい)の李徴は博学才頴(さいえい)、天宝の末年、若くして名を虎
      榜(こばう)に連ね、ついで江南尉に補せられたが、性、狷介(けんかい)、自ら
      恃(たの)む所頗る厚く、賤吏に甘んずるを潔しとしなかつた。
  (22) 木曽路はすべて山の中である。
  (23) 人間  (地上をあゆみつゝ)わしは産れた。そして太陽の光を浴び、大気を呼
      吸して生きてゐる。ほんとに私は生きてゐる。見よ。あのいゝ色の弓なりの空を。
      そしてわしのこの素足がしつかりと踏みしめてゐる黒土を。生えしげる草木、飛び
      廻る禽獣、さては女のめでたさ、子供の愛らしさ、あゝわしは生きたい生きたい。
      ……
  (24)   どっどど どどうど どどうど どどう
         青いくるみも吹きとばせ
         すっぱいくゎりんも吹きとばせ
         どっどど どどうど どどうど どどう

       谷川の岸に小さな学校がありました。
       教室はたった一つでしたが生徒は三年生がないだけで、あとは一年から六年
       までみんなありました。運動場もテニスコートのくらゐでしたが、すぐうしろは栗の
       木のあるきれいな草の山でしたし運動場の隅にはごぼごぼつめたい水を噴(ふ)
       く岩穴もあったのです。
  (25) 晩秋のある午後のこと、みなりの立派なひとりの老人が、ゆっくり往来を下りて
      いった。散歩のかえりと見えて、流行おくれの締め金つきの靴は埃にまみれてお
      り、金の握りのついた長い籐のステッキを小脇にかかえている。過ぎ去った青春
      をそっくりそのままやどしているように見え、雪のような白髪といちじるしい対照を
      なしている黒い眼で、彼は静かにあたりを見まわしたり、また、夕日をあびて眼の
      まえに霞んでみえる町を見おろしたりした。
  (26) 蓮華寺(れんげじ)では下宿を兼ねた。
  (27) ラ・マンチャ県のある村、名は思いだしたくない村に、それほど前のことでもな
      く、槍(やり)かけに槍、古びた楯(たて)、ひょろひょろ馬に、はしっこい猟犬(か
      りいぬ)をそろえた、型どおりの郷士(ごうし)が住んでいた。
  (28) 石炭をば早や積み果てつ。中等室の卓のほとりはいと静にて、熾熱燈(しねつ
      とう)の光の晴れがましきも徒(いたづら)なり。今宵は夜毎にこゝに集ひ来る骨
      牌(かるた)仲間も「ホテル」に宿りて、舟に残れるは余一人のみなれば。
  (29) 年をとってくると、(もちろん病気ではなくて、)どうにも眠くてうつらうつらする
      ことがある。そんな時には、まるで田園風景の中に動く牛の群でも見るように、
      時のたつのがものうく思われるものだ。
  (30) 幸福な家庭はどれも似たものだが、不幸な家庭はいずれもそれぞれに不幸な
      ものである。
  (31) 四里の道は長かつた。其間に青縞(あをじま)の市の立つ羽生(はにふ)の町
      があつた。田圃にはげんげが咲き豪家の垣(かきね)からは八重桜が散りこぼれ
      た。赤い蹴出を出した田舎の姐(ねえ)さんがをりをり通つた。
  (32) 「こいさん、頼むわ。───」


                         《問1(21)~(32)の答え》

問2.夏目漱石の小説『三四郎』の主人公「三四郎」の姓は何ですか。
問3.「東海の小島の磯の白砂に」の、下の句を答えてください。
問4.樋口一葉の本名は何ですか。
問5.夏目漱石の本名は?
問6.森鷗外の本名は?
問7.三島由紀夫の本名は?
問8.「葛の花 踏みしだかれて、色あたらし。この山道を行きし人あり」の短歌で知られる
      歌人釈迢空の本名は? ふりがなを付けて答えてください。
問9.世阿弥の有名な言葉「初心忘るべからず」の出典は何でしょうか。
問10.芥川賞の第一回受賞作品は、誰の何という作品ですか。 


                         《問2~問10 の答え》

問11.小松左京の小説『日本沈没』で、沈没の最後になる場所は何県でしょうか。できれ
      ばその地名まで答えてください。
問12.次の文は、誰が書いたのでしょうか。

    「……生れてから今日まで、自分は何をしてゐるか。始終何物かに策(むち)うたれ
    駆られてゐるやうに学問といふことに齷齪してゐる。これは自分に或る働きが出来る
    やうに、自分を為上げるのだと思つてゐる。其目的は幾分か達せられるかも知れない。
    併し自分のしてゐる事は、役者が舞台へ出て或る役を勤めてゐるに過ぎないやうに感
    ぜられる。その勤めてゐる役の背後(うしろ)に、別に何物かが存在してゐなくてはな
    らないやうに感ぜられる。策(むち)うたれ駆られてばかりゐる為めに、その何物かが
    覚醒する暇がないやうに感ぜられる。勉強する子供から、勉強する学校生徒、勉強す
    る官吏、勉強する留学生といふのが、皆その役である。赤く黒く塗られてゐる顔をいつ
    か洗つて、一寸舞台から降りて、静かに自分といふものを考へて見たい、背後(うしろ)
    の何物かの面目を覗いて見たいと思ひ思ひしながら、舞台監督の鞭を背中に受けて、
    役から役を勤め続けてゐる。此役が即ち生だとは考へられない。背後(うしろ)にある
    或る物が真の生ではあるまいかと思はれる。併しその或る物は目を醒まさう醒まさうと
    思ひながら、又してはうとうとして眠つてしまふ。……」

問13.「うの花のにほふ垣根に、時鳥(ほととぎす)早もきなきて、忍音(しのびね)もらす
      夏は来ぬ。」という歌の作詞者は、誰ですか。
問14.志賀直哉が、山の手線の電車と接触して怪我をしたことがあります。そのとき、彼
      が後養生(あとようじょう)に出かけた温泉は (1)何県の、(2)何という温泉
      でしたか。
問15.『若きウェルテルの悩み』のウェルテルが好んで着たのは、何色の燕尾服と、何色の
      チョッキだったでしょうか。
問16.「非人情」という考えを示した漱石の小説は何ですか。
問17.于武陵の「勸酒」という詩「勸君金屈巵 滿酌不須辭 花發多風雨 人生足別離」を、
      
コノサカヅキヲ受ケテクレ 
      ドウゾナミナミツガシテオクレ 
      ハナニアラシノタ トヘモアルゾ  
      「サヨナラ」ダケガ人生ダ

   と訳した作家は誰でしょうか。

問18.次は、誰の何という小説の一節でしょうか。
     広い武蔵野が既にその南端になつて尽きるところ、それが漸くに山国の地勢に
       入らうとする変化──言はば山国からの微かな余情を湛へたエピロオグであり、
       やがて大きな野原への波打つプロロオグででもあるこれ等の小さな丘は、目のと
       どくかぎり、此処にも起伏して、それが形造るつまらぬ風景の間を縫うて、一筋の
       平坦な街道が東から西へ、また別の街道が北から南へ通じて居るあたりに、その
       道に沿うて一つの草深い農村があり、幾つかの卑下(へりくだ)つた草屋根があつ
       た。

問19.次の文頭の空所を補ってください。
    〇〇〇〇は江戸を西に距(さ)る三十里、甲州裏街道が甲斐の国東山梨郡(ひがし
   やまなしごほり)萩原村に入つて、その最も高く険しきところ、上下八里に跨がる難
   所がそれです。
   標高六千四百尺、昔、貴き聖(ひじり)が、この嶺(みね)の頂きに立つて、東に落つ
   る水も清かれ、西に落つる水も清かれと祈つて、菩薩の像を埋(う)めて置いた、そ
   れから東に落つる水は多摩川となり、西に流るるは笛吹川となり、いづれも流れの
   末永く人を湿(うる)ほし田を実(みの)らすと申し伝へられてあります。
問20.「ふらんすへ行きたしと思へども / ふらんすはあまりに遠し / せめては新しき背
   広をきて/ きままなる旅にいでてみん。」と歌ったのは誰ですか。


                         《問11~問20 の答え》

問21.「ふるさとは遠きにありて思ふもの / そして悲しくうたふもの」と歌ったのは?
問22.「そんなにもあなたはレモンを待つてゐた / かなしく白くあかるい死の床に」と歌
   われた「あなた」とは、誰のことですか。
問23.「からまつの林を過ぎて、 / からまつをしみじみと見き。 / からまつはさびしかり
   けり。 / たびゆくはさびしかりけり。」と歌ったのは誰ですか。
問24.三好達治の2行の詩「雪」の最初の行は「太郎を眠らせ、太郎の屋根に雪ふりつ
   む。」です。次の行を答えてください。
問25.「美しい花がある、『花』の美しさというようなものはない」と言ったのは誰ですか。
問26.「私の耳は貝のから / 海の響をなつかしむ」と歌ったフランスの詩人の名は?
問27.   
山のあなたの空遠く
       「幸」住むと人のいふ。
       噫
(ああ)、われひとと尋(と)めゆきて
       涙さしぐみかへりきぬ。
       山のあなたになほ遠く
       「幸」住むと人のいふ。

    この詩の作者は誰ですか。そして、訳者は?
問28.「東(ひむがし)の野に炎(かぎろひ)の立つ見えてかへりみすれば月かたぶきぬ」
   という歌の作者は?
問29.「菜の花や月は東に日は西に」という俳句の作者は?
問30.「人間は、努力する限り、迷うものだ」というのは、戯曲『ファウスト』に出てくる言葉
   ですが、『ファウスト』の作者は誰ですか。

              
           《問21~問30 の答え》

問31.「あはれ花びらながれ / をみなごに花びらながれ / をみなごしめやかに語らひあ
   ゆみ / うららかの跫音空にながれ……」と歌ったのは誰ですか。
問32.「見るべきほどの事は見つ」と言って、乳母子(めのとご)とともに入水した平家の
   武将は誰ですか。
問33.「だから清(きよ)の墓は小日向(こびなた)の養源寺にある」で終わっている小説
   は、何ですか。
問34.「災難に逢(あふ)時節には災難に逢がよく候。死ぬ時節には死ぬがよく候。是は
   これ災難をのがるゝ妙法にて候。」というのは、誰の言葉ですか。
問35.「遠山に日の当りたる枯野かな」は、誰の句ですか。
問36.「啄木鳥や落葉を急ぐ牧の木々」の作者は?
問37.「うすべにに葉はいちはやく萌えいでて咲かむとすなり山桜花」の歌の作者は?

問38. 「大連よ。アカシアの芳烈な花々に満ち溢れた六月の植民地よ。緑山の頂きには
   海風が舞い、高台の上では巨大な病院が健康な眠りを貪り、荷揚げ波止場は支那
   語の叫喚に包まれ、酒場の地下室からはロシア語の合唱が聞こえ、そうして、鋪装
   道路の両側につつましく並んだ小綺麗な洋館の窓蔭では、黄色い皮膚をした知識
   人が、畳の上でドイツ語を読んでいる。
     かつて、この港の棧橋の上に立って、僕の少年らしい魂は、遠い行く末を美しく
   夢みたのだった。」
    こうした文章を書き残して、数え年20歳で夭折した旧制一高生は、誰ですか。
問39.次のような短い4行詩で、生への懐疑や人生の蹉跌・苦悶、望みや憧れを歌った
   11世紀のペルシャの詩人は、誰ですか。   
       この永遠の旅路を人はただ歩み去るばかり、
       帰って来て謎をあかしてくれる人はない。
       気をつけてこのはたごやに忘れものをするな、
       出て行ったが最後二度と再び帰っては来れない。
問40.「ねがはくは花のしたにて春死なんそのきさらぎの望月の頃」と歌ったのは誰
   ですか。

                         
《問31~問40 の答え》

問41. 「横笛今は心を定め、ほとほとと門(かど)を音づるれども答なし。玉を延(の)べた
   らん如き繊腕(ほそうで)痲(しび)るゝばかりに打敲(うちたゝ)けども応ぜん気はひ
   も見えず。実(げ)に仏者は行(おこなひ)の半(なかば)には、王侯の召(めし)にも
   応ぜずとかや、我ながら心なかりしと、暫し門下に彳(たゝず)みて、鈴の音の絶えし
   を待ちて復(ふたゝ)び門(かど)を敲けば、内には主(あるじ)の声として、「世を隔て
   たる此庵(このいほ)は、夜陰に訪はるゝ覚(おぼえ)なし、恐らく門(かど)違(ちが
   ひ)にて候はんか。」横笛潜めし声に力を入れて、「大方ならぬ由あればこそ、夜陰
   に御業(おんげふ)を驚かし参らせしなれ。(以下略)」
     これは、誰の、何という小説の一節でしょうか。
問42. 「丁度彼等の真上、空の極めて高い所を一羽の鳶が悠々と輪を画いてゐた。その
   胡麻粒ほどに小さく見える姿を暫く見上げてゐた甘蠅(かんよう)が、やがて、見えざ
   る矢を無形の弓につがへ、満月の如くに引絞つてひようと放てば、見よ。鳶は羽ばた
   きもせず中空から石の如くに落ちて来るではないか。
    紀昌は慄然とした。今にして始めて芸道の深淵を覗き得た心地であつた。」
     これは、誰の何という小説の一節ですか。
問43.「明方の風物の変化は非常に早かつた。少時(しばらく)して、彼が振返つて見た時
   には山頂の彼方から湧上るやうに橙色(だいだいいろ)の曙光が昇つて来た。それが
   見る見る濃くなり、やがて又褪(あせ)はじめると、四辺(あたり)は急に明るくなつて来
   た。萱(かや)は平地のものに較べ、短く、その所々に大きな山独活(やまうど)が立つ
   てゐた。彼方(あつち)にも此方(こつち)にも、花をつけた山独活が一本づつ、遠くの
   方まで所々に立つてゐるのが見えた。その他、女郎花、吾亦紅、萱草(くわんざう)、
   松虫草なども萱に混つて咲いてゐた。小鳥が啼きながら、投げた石のやうに弧を描い
   てその上を飛んで、又萱の中に潜込(もぐりこ)んだ。」
     この文章の作者は誰でしょうか。
問44.「雲こそ我が墓標
     落暉よ碑銘をかざれ」
    これは、誰の、何という小説に出てくる言葉でしょうか。
問45.滝廉太郎の曲で有名な、武島羽衣作詞の「花」の冒頭「春のうららの隅田川、のぼ
    りくだりの船人」の「が」を、どう理解していますか。
     (1)主格助詞  (2)連体格助詞  (3)終助詞
問46.次の下線部を、どう読んでいますか。
     (1) 国境のトンネルを抜けると雪国であった。(川端康成『雪国』冒頭)
          ア こっきょう   イ くにざかい
     (2) 願はくは花のにて春死なむそのきさらぎの望月の頃 (西行)
          ア した      イ もと  
     (3) 鬼怒川を夜ふけてわたす水棹の遠くきこえて秋たけにけり (長塚節)
          ア みなさお    イ みずさお
問47.次の歌や俳句の作者は、誰でしょうか。
     (1) いざ行かむ行きてまだ見ぬ山を見むこのさびしさに君は耐ふるや
     (2) 小夜深
(さよふけ)にさきて散るとふ稗草(ひえくさ)のひそやかにして秋さりぬらむ
     (3) この山はたださうさうと音すなり松に松の風椎に椎の風 
     (4) 信濃路はいつ春にならん夕づく日入りてしまらく黄なる空のいろ
     (5) 叩かれて昼の蚊を吐く木魚かな
     (6) 咳をしても一人
     (7) 生きかはり死にかはりして打つ田かな
     (8) 学問のさびしさに堪へ炭をつぐ
     (9) 分け入つても分け入つても青い山
     (10) 桐一葉日当りながら落ちにけり
     (11) いくたびも雪の深さを尋ねけり
     (12) 有る程の菊抛げ入れよ棺の中
問48.次の文の作者は誰ですか。
     フェータルなものだと若し聞いたら自分はどうだつたらう。その自分は一寸想像
    出来ない。自分は弱つたらう。然し普段考へてゐる程、死の恐怖に自分は襲はれ
    なかつたらうといふ気がする。そしてさういはれても尚、自分は助からうと思ひ、何
    かしら努力をしたらうといふ気がする。それは鼠の場合と、さう変らないものだつた
    に相違ない。で、又それが今来たらどうかと思つて見て、猶且、余り変らない自分
    であらうと思ふと「あるがまま」で、気分で希ふ所が、さう実際に直ぐは影響はしな
    いものに相違ない、しかも両方が本統で、影響した場合は、それでよく、しない場
    合でも、それでいいのだと思つた。それは仕方のない事だ。
問49.次の文章の出典は?
     道は人気がなかった。野菜を都へ運んでいた農夫も明かにまだ車に馬を附ける
    ところまで行っていなかった。山の方まで国道に敷詰めてある板石から旅人が足
    に著けている木の皮の履物の音が静かな中に響いていた。
     やがて太陽は山の峡間から昇ったが、忽ち不思議な光景が使徒の眼を捉えた。
    見ると金色の球が上へ上へと昇らずに、高みから降りて来て道の上を転がった。
     そこでペテロは立止まって云った。
      『その明るいものが見えるか、こっちへ近づいて来る。……』
      『何も見えません。』とナザリウスは答えた。
     暫くして使徒は掌で眼を覆って叫んだ。
      『誰か人の姿が太陽の光の中をこっちへ来る。』
     二人の耳にはしかし僅かな足音も聞えなかった。あたりは全く静かであった。ナ
    ザリウスに見えたのはただ、遠くで樹々が誰かに揺られているように慄えている
    ことだけで、光は次第に広く平原に注いでいた。
     ナザリウスは使徒を見て驚いた。
      『ラビ。どうなさいました。』と不安そうに云った。
     ペテロの手からは旅行の杖が地面に落ち、眼は動かずに前の方を眺め、口は開
    いたままで顔には驚きと喜びと恍惚がありありと見えた。突然跪いて前の方に手を
    伸ばし、その口から叫声が発した。
    『おおクリスト……クリスト』

                                   《問41~ の答え》
                                      
(つづく) 
    
                                             
        
前のページへ  室長室目次へ
       『小さな資料室』のトップページ(目次)へ