新埔尋常小学校が昭和16年に新埔国民学校となったときの校長先生は、早野富次先生であったことが分かりました。 早野先生は、昭和13年に麻生寛一校長先生のあとを受けて新埔尋常小学校の校長として赴任され、昭和17年に豆田光夫校長先生と交代されました。 私は昭和16年から豆田光夫先生が校長先生だったと思っていましたが、そうではなかったのでした。 また、昭和16年に国民学校が誕生したときの先生も、早野校長先生以下、砂田正晴先生、澤田キヨ先生だったことが分かりました。 私が入学したときの担任の先生は、澤田先生であったことは覚えていましたが、今回、先生のお名前がキヨとおっしゃることが分かったのです。砂田先生のことは、残念ながら全く記憶にありません。翌昭和17年には、豆田校長先生以下、杉山信夫先生、小田トシ先生となってしまいましたから、きっと砂田先生には教わらなかったのでしょう。 2年生のときは、担任が小田先生になったと思われます。新埔国民学校は「初等科二学級」ということですから、一人の先生が三学年分を担任されたのでしょう。なにしろ、1学年が数人という小さな学校でしたから。 新埔国民学校の校長先生は、初めから豆田光夫先生だと思っていたのですが、実は初代は早野富次先生であったことが分かりましたので、ここに訂正しておきます。 |