資料60 鉄軒友部伸吉墓碑銘(碑陰記)



          
鉄軒友部伸吉墓碑銘(碑陰記)

 

居士名確字伸吉幼稱新吉号鉄軒又介洞友部氏家世仕水戸藩祖考事歴
詳于其碑文安政三年先考坐党錮罷職是歳七月生於水戸妣立原氏幼好 
讀書學家庭十一歳入弘道館人以爲異數明治元年先考殉難族戚死者三
十餘人家籍沒焉居士潜匿佛寺纔免既而 皇政維新再見天日尋遊東京
十三年四月流寓仙台明年 車駕東巡代知縣松平某草賀表稱 旨爾後
其文稍售遂移家焉十九年二月應奥羽新聞社聘統理編輯二十五年奉母
氏遊松島浴遠刈田温泉居士年十三遭家難備嘗艱苦至此纔得小康一家
団欒三十二年去仙台浪遊四方數年既歸鎖門謝客以詩文自娯居士同胞
四人皆先歿娶山田氏有二子曰泉嗣曰寿夭蓋家門多艱如是加之性狷介
不與俗苟合因此百事皆左潦倒終身云今茲庚戌十二月立石於水戸先塋
之次自誌其経歴且遺命家人命終之日令藏柩於其下
明治四十三年十二月         鉄軒居士自題
                  友人高島張書

 先考草是文未及建石今茲大正六年三月朔病歿享年六十有二今請九
 峯高島先生書之從其遺志也     男泉藏謹識
                       仙台佐藤源平刻



 

      (注) 1.表に「鉄軒友部伸吉墓」、裏に上記の文章が彫られています。
        2.碑陰の本文は、全11行、1行30字になっています。
          最後に付け足した2行の文は、初めの1字を下げて29字と12字です。
        3.改行は、碑陰の通りにしてあります。闕字も、碑文の通りです。
          漢字もできるだけ原文に合わせてあります。
        4.上記の友部伸吉の墓は、水戸市六反田の六地蔵寺にあります。
        5.鉄軒友部伸吉は、立原翠軒と杏所について書かれた『立原両先生』
         
(大正4年刊)の著者とされる人物です。
            『立原両先生』=無名居士著、友部鉄軒校訂。大正4年、仙台で刊行。
                      内容は、立原翠軒伝・立原杏所伝。
        6.上記の『立原両先生』については、前田香径著『立原翠軒』
(昭和38年6月
            25日、立原善重発行・限定版1,000部)
に詳しい解説があります。
        7.資料147に「立原翠軒墓誌」が、資料149に「立原杏所墓碑銘」があります。

 

 


           
           
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