資料18 長塚節『土』(一)



 

   土         長塚 節
 

 

 

        

 

 

 烈しい西風が目に見えぬ大きな塊(かたまり)をごうつと打ちつけては又ごうつと打ちつけて皆痩(やせ)こけた落葉木(らくえふぼく)の林を一日苛(いぢ)め通した。木の枝は時々ひうひうと悲痛の響(ひゞき)を立てて泣いた。短い冬の日はもう落ちかけて黄色な光を放射しつつ目叩(またゝ)いた。さうして西風はどうかするとぱつたり止んで終(しま)つたかと思ふ程靜かになつた。泥を拗切(ちぎ)つて投げたやうな雲が不規則に林の上に凝然(ぢつ)とひつついて居て空はまだ騷がしいことを示して居る。それで時々は思ひ出したやうに、木の枝がざわざわと鳴る。世間が俄(にはか)に心ぼそくなつた。
 お品は復た天秤
(てんびん)を卸(おろ)した。お品は竹の短い天秤の先へ木の枝で拵(こしら)へた小さな鍵の手をぶらさげてそれで手桶の柄(え)を引つ懸けて居た。お品は百姓の隙間(すきま)には村から豆腐を仕入れて出ては二三ヶ村(そん)を歩いて來るのが例である。手桶で持ち出すだけのことだから資本(もとで)も要(いら)ない代(かはり)には儲(まうけ)も薄いのであるが、それでも百姓ばかりして居るよりも日毎に目に見えた小遣錢が取れるのでもう暫くさうして居た。手桶一提(ひとさげ)の豆腐ではいつもの處をぐるりと廻れば屹度(きつと)なくなつた。還りには豆腐の壞れで幾らか白くなつた水を棄てて天秤は輕くなるのである。お品は何時(いつ)でも日のあるうちに夜なべに繩に綯(な)ふ藁(わら)へ水を掛けて置いたり、落葉を攫(さら)つて見たりそこらここらと手を動かすことを止めなかつた。天性(ね)が丈夫なのでお品は仕事を苦しいと思つたことはなかつた。
 それが此日
(このひ)は自分でも酷く厭(いや)であつたが、冬至が來るから蒟蒻(こんにやく)の仕入をしなくちや成らないといつて無理に出たのであつた。冬至といふと俄商人(にはかあきうど)がぞくぞくと出來るので急いで一遍歩かないと、其(その)俄商人に先(せん)を越されて畢(しま)ふのでお品はどうしても凝然(ぢつ)としては居られなかつた。蒟蒻は村には無いので、仕入れをするのには田圃(たんぼ)を越えたり林を通つたりして遠くへ行かねばならぬ。それでお品は其途中で商(あきなひ)をしようと思つて此の日も豆腐を擔いで出た。生憎(あいにく)夜から冴え切つて居た空には烈しい西風が立つて、それに逆(さから)つて行(ゆ)くお品は自分で酷く足下(あしもと)のふらつくのを感じた。ぞくぞくと身體(からだ)が冷えた。さうして豆腐を出す度(たび)に水へ手を刺込(さしこ)むのが、慄へるやうに身に染みた。かさかさに乾燥(かわ)いた手が水へつける度(たび)に赤くなつた。皸(ひゞ)がぴりぴりと痛んだ。懇意なそこここでお品は落葉を一燻(ひとく)べ焚いて貰つては手を翳(かざ)して漸(やつ)と暖まつた。蒟蒻を仕入れて出た時はそんなこんなで暇をとつて何時(いつ)になく遲かつた。お品は林を幾つも過ぎて自分の村へ急いだが、疲れもしたけれど懶(ものう)いやうな心地(こゝろもち)がして幾度(いくたび)か路傍(みちばた)へ荷を卸(おろ)しては休みつつ來たのである。
 お品は手桶の柄
(え)へ横たへた竹の天秤へ身を投げ懸けてどかりと膝を折つた。ぐつたり成つたお品はそれでなくても不見目(みじめ)な姿が更に檢束(しどけ)なく亂れた。西風の餘波(なごり)がお品の後(うしろ)から吹いた。さうして西風は後(うしろ)で括(くゝ)つた穢い手拭の端を捲(まく)つて、油の切れた埃(ほこり)だらけの赤い髪の毛を扱(こ)きあげるやうにして其(その)(あか)だらけの首筋を剥出(むきだし)にさせて居る。夫(それ)と共に林の雜木はまだ持前の騷ぎを止(や)めないで、路傍(みちばた)の梢がずつと撓(しな)つてお品の上からそれを覗かうとすると、後(うしろ)からも後(うしろ)からも林の梢が一齊に首を出す。さうして暫くしては又一齊(せい)に後(うしろ)へぐつと戻つて身體を横に動搖(ゆすぶり)ながら笑ひ私語(さゞめ)くやうにざわざわと鳴る。
 お品は身體に變態を來
(きた)したことを意識すると共に恐怖心を懷(いだ)き始めた。三四日(か)どうもなかつたのだから大丈夫だとは思つて見ても、恁(か)う凝然(ぢつ)として居ると遠くの方へ滅入つて畢(しま)ふ樣な心持がして、不斷から幾らか逆上性(のぼせしやう)でもあるのだがさう思ふと耳が鳴るやうで世間が却(かへつ)て靜かに成つて畢(しま)つたやうに思はれた。不圖(ふと)氣が付いた時お品ははきはきとして天秤を擔(かつ)いだ。林が竭(つ)きて田圃が見え出した。田圃を越せば村で、自分の家は田圃のとりつきである。靑い煙がすつと騰(のぼ)つて居る。お品は二人の子供を思つて心が跳つた。林の外(はづ)れから田圃へおりる處は僅かに五六間であるが、勾配の峻(けは)しい坂でそれが雨のある度(たび)にそこらの水を聚(あつ)めて田圃へ落す口に成つて居るので自然に土が抉(えぐ)られて深い窪(くぼみ)が形(かたちづく)られて居る。お品は天秤を斜(なゝめ)に横へ向けて、右の手を前の手桶の柄(え)へ左の手を後(うしろ)の手桶の柄へ懸けて注意しつつおりた。それでも殆んど手桶一杯に成り相(さう)な蒟蒻の重量(おもみ)は少しふらつく足を危(あやう)く保(たも)たしめた。やつと人の行き違ふだけの狹い田圃をお品はそろそろと運んで行く。お品は白茶けた程古く成つた股引(もゝひき)へそれでも先の方だけ繼ぎ足した足袋(たび)を穿(は)いて居る。大きな藁草履(わらざうり)は固めたやうに霜解(しもどけ)の泥がくつついて、それがぼたぼたと足の運びを更に鈍くして居る。狹く連(つらな)つて居る田を竪(たて)に用水の堀がある。二三株比較的大きな榛(はん)の木の立つて居る處に僅(わづか)一枚板の橋が斜(なゝめ)に架けてある。お品は橋の袂(たもと)で一寸(ちよつと)立ち止つた。さうして近づいた自分の家を見た。村落(むら)は臺地に在るのでお品の家の後(うしろ)は直(すぐ)に斜に田圃へずり落ち相(さう)な林である。楢(なら)や雜木の間に短い竹が交つて居る。いい加減大きくなつた楢の木は皆葉が落ち盡(つく)して居るので、其小枝を透(とほ)して凹(くぼ)んだ棟(やのむね)が見える。白い羽の鷄が五六羽、がりがりと爪で土を搔(か)つ掃(ぱ)いては嘴(くちばし)でそこを啄(つゝ)いて又がりがりと土を搔つ掃いては餘念もなく夕方の飼料(ゑさ)を求めつつ田圃から林へ還りつつある。お品は非常な注意を以て斜な橋を渡つた。四足目(よあしめ)にはもう田圃の土に立つた。其の時は日は疾(とう)に沒して見渡す限り、田から林から世間は唯(たゞ)黄褐色(くわうかつしよく)に光つてさうしてまだ明るかつた。お品は田圃からあがる前に天秤を卸して左へ曲つた。自分の家の林と田との間には人の足趾(あしあと)だけの小徑(こみち)がつけてある。お品は其小徑と林との境界(さかひ)を劃(しき)つて居る牛胡頽子(うしぐみ)の側(そば)に立(たつ)た。鷄の爪の趾(あと)が其處(そこ)の新らしい土を搔き散らしてあつた。お品は土を手で聚(あつ)めて草履の底でそくそくとならした。お品の姿が庭に見えた時には西風は忘れたやうに止んで居て、庭先の栗の木にぶつ懸けた大根(だいこ)の乾(から)びた葉も動かなかつた。白い鷄はお品の足もとへちよろちよろと駈けて來て何か欲し相(さう)にけろつと見上げた。お品は平常(いつも)のやうに鷄抔(など)へ構つては居られなかつた。お品は戸口に天秤を卸して突然
「おつう」と喚
(よ)んだ。
「おつかあか」と直
(すぐ)におつぎの返辭が威勢よく聞えた。それと同時に竈(かまど)の火がひらひらと赤くお品の目に映つた。朝から雨戸は開けないので内はうす闇(くら)くなつて居る。外の光を見て居たお品の目には直ぐにはおつぎの姿も見えなかつたのである。戸口からではおつぎの身體は竈の火を掩(おほ)うて居た。返辭すると共に身體を捩(ねぢ)つたので其(その)赤い火が見えたのである。
 おつぎの脊
(せ)に居た與吉はお品の聲を聞きつけると
「まんまんま」と兩手を出して下
(お)りようとする。お品はおつぎが帶を解いてる間に壁際の麥藁俵(むぎわらだわら)の側(そば)へ蒟蒻の手桶を二つ並べた。與吉はお袋の懷(ふところ)に抱(だ)かれて碌(ろく)に出もしない乳房を探つた。お品は竈の前へ腰を掛けた。白い鷄は掛梯子(かけばしご)の代(かはり)に掛けてある荒繩でぐるぐる捲(まき)にした竹の幹へ各自(てんで)に爪を引つ掛けて兩方の羽を擴げて身體の平均を保ちながら慌てたやうに塒(ねぐら)へあがつた。さうして靑い煙の中に凝然(ぢつ)として目を閉ぢて居る。
 お品は家に歸つて幾らか暖まつたがそれでも一日冷えた所爲
(せい)かぞくぞくするのが止まなかつた。さうして後(のち)に近所で風呂を貰つてゆつくり暖まつたら心持も癒(なほ)るだらうと思つた。竈には小さな鍋(なべ)が懸(かゝ)つて居る。汁は蓋(ふた)を漂はすやうにしてぐらぐらと煮立つて居る。外もいつかとつぷり闇(くら)くなつた。おつぎは竈の下から火のついてる麁朶(そだ)を一つとつて手ランプを點(つ)けて上(あが)り框(がまち)の柱へ懸けた。お品はおつぎが單衣(ひとへ)へ半纏(はんてん)を引つ掛けた儘であるのを見た。平常(いつも)ならそんなことはないのだが自分が酷くぞくぞくとして心地(こゝろもち)が惡いのでつい氣になつて
「おつう、そんな姿
(なり)で汝(わり)や寒かねぇか」と聞いた。それから手拭の下から見えるおつぎのあどけない顔を凝然(ぢつ)と見た。
「寒かあんめぇな」おぎは事もなげにいつた。與吉は懷
(ふところ)の中で頻りにせがんで居る。お品は平常(いつも)のやうでなく何も買つて來なかつたので、ふと困つた。
「おつう、そこらに砂糖はなかつたつけぇ」お品はいつた。おつぎは默つて草履を脱棄
(ぬぎす)てて座敷へ駈けあがつて、戸棚から小さな古い新聞紙の袋を探し出して、自分の手の平へ少し砂糖をつまみ出して
「そらそら」といひながら、手を出して待つて居る與吉へ遣
(や)つた。おつぎは砂糖の附いた自分の手を嘗めた。與吉は其(その)砂糖をお袋の懷へこぼしながら危な相(さう)につまんでは口へ入れる。砂糖が竭(つ)きた時與吉は其(その)べとついた手をお袋の口のあたりへ出した。お品は與吉の兩手を攫(つかま)へて舐(ねぶ)つてやつた。お品は鍋の蓋(ふた)をとつて麁朶(そだ)の焰を翳(かざ)しながら
「こりや芋か何でぇ」と聞いた。
「うむ、少し芋足して暖
(あつた)め返(けえ)したんだ」
「おまんまは冷たかねぇけ」
「それから雜炊
(おぢや)でも拵(こせ)ぇべと思つてたのょ」
 お品は熱い物なら身體が暖まるだらうと思ひながら、自分は酷く懶
(ものう)いので何でもおつぎにさせて居た。おつぎは粘り氣のない麥の勝つたぽろぽろな飯(めし)を鍋へ入れた。お品は麁朶(そだ)を一燻(く)べ突つこんだ。おつぎは鍋を卸して茶釜を懸けた。ほうつと白く蒸氣(ゆげ)の立つ鍋の中をお玉杓子で二三度搔き立てておつぎは又蓋(ふた)をした。おつぎは戸棚から膳を出して上(あが)(がまち)へ置いた。柱に點(つ)けてある手ランプの光が屆かぬのでおつぎは手探りでして居る。お品は左手に抱いた與吉の口へ箸の先で少しづつ含ませながら雜炊をたべた。お品は芋を三つ四つ箸へ立てて與吉へ持たせた。與吉は芋を口へ持つていつて直ぐに熱いというて泣いた。お品は與吉の頰をふうふうと吹いてそれから芋を自分の口で噛んでやつた。お品の茶碗は恁(か)うして冷えた。おつぎは冷たくなつた時鍋のと換(かへ)てやつた。お品は欲しくもない雜炊を三杯までたべた。幾らか腹の中の暖かくなつたのを感じた。さうして漸(やうや)く水離れのした茶釜の湯を汲んで飲んだ。おつぎは庭先の井戸端へ出て鍋へ一杯釣瓶(つるべ)の水をあけた、おつぎが戻った時
「おつう、今夜でなくつてもぇぇや」とお品はいつた。おつぎは默つて俵
(たわら)の側(そば)の手桶へ手を掛けて
「此
(これ)へも水入(せえ)て置かなくつちやなんめぇ」
「さうすればぇぇが大變
(てえへん)だらぇぇぞ」
 お品がいひ切らぬうちにおつぎは庭へ出た。直ぐに洗つた鍋と手桶を持つて暗い庭先からぼんやり戸口へ姿を見せた。閾
(しきゐ)へ一寸(ちよつと)手桶を置いてお品と顔を見合せた。手桶の水は半分で兩方の蒟蒻へ水が乘つた。
 お品は三人連
(づれ)で東隣(ひがしどなり)へ風呂を貰ひに行つた。東隣といふのは大きな一構(ひとかまへ)で蔚然(うつぜん)たる森に包まれて居る。
 外は闇である。隣の森の杉がぞつくりと冴えた空へ突つ込んで居る。お品の家は以前から此の森の爲めに日が餘程南へ廻つてからでなければ庭へ光の射すことはなかつた。お品の家族は何處
(どこ)までも日蔭者(ひかげもの)であつた。それが後(のち)に成つてから方々に陸地測量部の三角測量臺が建てられて其上に小さな旗がひらひらと閃(ひらめ)くやうに成つてから其(その)森が見通しに障(さは)るといふので三四本丈(だけ)伐らせられた。杉の大木は西へ倒したのでづしんとそこらを恐ろしく搖(ゆる)がしてお品の庭へ横たはつた。枝は挫(くじ)けて其先(そのさき)が庭の土をさくつた。それでも隣では其木の始末をつける時にそこらへ散らばつた小枝や其他(そのた)の屑物はお品の家へ與へたので思ひ掛けない薪(まき)が出來たのと、も一つは幾らでも東が隙(す)いたのとで、隣では自分の腕を斬られたやうだと惜しんだにも拘らずお品の家では竊(ひそか)に悦んだのであつた。それからといふものはどんな姿(なり)にも日が朝から射すやうになつた。それでも有繋(さすが)に森はあたりを威壓して夜になると殊に聳然(すつくり)として小さなお品の家は地べたへ蹂(ふみ)つけられたやうに見えた。
 お品は闇の中へ消えた。さうして隣の戸口に現はれた。隣の雇人
(やとひにん)は夜なべの繩を綯(な)つて居た。板の間の端へ胡坐(あぐら)を搔いて足で抑へた繩の端へ藁を繼ぎ足し繼ぎ足ししてちよりちよりと額(ひたひ)の上まで揉(も)み擧(あげ)ては右の手を臀(しり)へ廻してくつと繩を後(うしろ)へ扱(こ)く。繩は其度(そのたび)に土間へ落ちる。お品は板の間に小さくなつて居た。軈(やが)て藁が竭(つ)きると雇人は各自(てんで)に其繩を足から手へ引つ掛けて迅速に數(かず)を計つては土間から手繰(たぐ)り上げながら、繼(つな)がつた儘一房(ばう)づつに括(くゝ)つた。やがて彼等は板の間の藁屑を土間へ掃きおろしてそれから交代に風呂へ這入(はひ)つた。お品はそれを見ながら默つて待つて居た。お品は此處(こゝ)へ來ると恁(か)ういふ遠慮をしなければならぬので、少しは遠くても風呂は外(ほか)へ貰ひに行くのであつたが其晩はどこにも風呂が立たなかつた。お品は二三軒そつちこつちと歩いて見てから隣の門を潜(くゞ)つたのであつた。雇人は大釜(おほがま)の下にぽつぽと火を焚いてあたつて居る。風呂から出ても彼等は茹(ゆだ)つたやうな赤い腿(もゝ)を出して火の側(そば)へ寄つた。
「どうだね、一燻
(ひとく)べあたつたらようがせう、今直(すぐ)に明くから」と雇人がいつてくれてもお品は臀(しり)から冷えるのを我慢して凝然(ぢつ)と辛棒(しんぼう)して居た。懷(ふところ)で眠つた與吉を騷がすまいとしては足の痺(しび)れるので幾度か身體をもぢもぢ動かした。漸く風呂の明いた時はお品は待遠(まちどほ)であつたので前後の考(かんがへ)もなく急いで衣物(きもの)をとつた。與吉は幸ひにぐつたりと成つてお袋の懷から離れるのも知らないのでおつぎが小さな手で抱いた。お品は段々と身體が暖まるに連れて始めて蘇生(いきかへ)つたやうに恍惚(うつとり)とした。いつまでも沈んで居たいやうな心持がした。與吉が泣きはせぬかと心付いた時碌(ろく)に洗ひもしないで出て畢(しま)つた。それでも顔がつやつやとして髪の生際(はえぎは)が拭(ぬぐ)つても拭つても汗ばんだ。さうしてしみじみと快かつた。お品は衣物(きもの)を引つ掛けると直ぐと與吉を内懷(うちぶところ)へ入れた。お品の後(あと)へは下女が這入(はひ)つたので、おつぎは其間(そのあひだ)待たねばならなかつた。おつぎが出た時はお品の身體は冷め掛けて居た。お品は自分が後(あと)ではひればよかつたにと後悔した。
 お品が自分の股引
(もゝひき)と足袋(たび)とをおつぎに提(さ)げさせて歸つた時は月は竊(ひそか)に隣の森の輪郭をはつきりとさせて其森の隙間(すきま)が殊に明るく光つて居た。世間がしみじみと冷えて居た。お品は薄い垢じみた蒲団へくるまると、身體が又ぞくぞくとして膝がしらが氷つたやうに成つて居たのを知つた。

 

 

 

    (注) 1. 本文は、春陽堂版『長塚節全集 第一巻』(昭和4年6月28日発行)に
         より、最初の「一」のみを掲載しました。
        2. 同全集の巻末記には、『土』は長塚節32歳のときの創作で、明治43年
         6月から同年12月にわたって東京朝日新聞に連載されたこと、これが朝日
         新聞に連載されるに至ったのは、夏目漱石、池辺三山の配慮によるところ
         が大きかったこと、この『土』の草稿は最初自宅で書かれたが、中ごろから
         村の小学校の図書室の一部を借り受けて、児童用の腰掛けに腰かけて執
         筆されたこと、校正には斎藤茂吉らが当たったこと、また、校正には菊判本・
         縮刷本・東京朝日新聞切り抜きの三つを参照したこと、などが記されていま
         す。
        3. 原文のルビは、( )に入れて示しました。また、原文のルビは総ルビですが、
         ここでは必要と思われるものだけに読みを示し、他は省略しました。 
 
        4. 『常総市』のホームページに、『長塚節の紹介』のページがあります。
  
            →  長塚節について             
              →  「長塚節の生家」           
               →  「長塚節歌碑一覧」   
              → 地域交流センター館内案内(6階展示室、長塚節関係)
       
         (「小説『土』執筆ゆかりの部屋の復元」についての紹介もあります。)              
         5. 以前、中日新聞のホームページに「文学館への招待」というコーナーがあり、そこに
          「97 長塚節資料室(茨城県石下町)」のページがありましたが、今は「文学館への招
          待」というコーナーはないようです。
         6. 電子図書館「青空文庫」で、『土』の全文(夏目漱石の「『土』に就て」も)を読むこと
          ができます。
         7.
『国立国会図書館デジタルコレクション』で、長塚節著『土』(春陽堂、明治45年5月
         19日発行)、『長塚節全集 第1巻(土)』(春陽堂、大正15年9月22日発行)を画像で見
         る(読む)ことができます。 


 


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