資料433 力士規七則 



        力士規七則


一、我等幸に万物の霊長たる人間と生れ、万邦無比の皇国に臣民たり。敬んで臣子の本
 分を全うすべし。
二、相撲は国技なり。国史と共に生成し、国運と共に消長す。力士たる者当に日本精神
 を体現し、風俗の淳美を粋養すべし。
三、力士の大成は最も師友の切磋琢磨に待つ。深く師恩友益を念うて、報謝の志を忘る
 べからず。
四、斯の道は須臾も懈怠あるべからず。由来光陰は過ぎ易く、人生は老い易し。須く時
 に及んで勉励すべし。
五、人にして礼節なきは禽獣に侔し。力士は古来礼節を以て聞ゆ。謹んで斯道の美徳を
 失ふこと勿れ。
六、力士は質実剛健を旨とし、軽佻浮華を忌む。宜しく卓然として時流に拘らず、堂々
 たる風格を発揮すべし。
七、居常健康に留意し、酒色を慎み、澹泊身を持し、荒怠相戒め、以て長く大成せんこ
 とを期すべし。


  (注) 1.  上記の「力士規七則」の本文は、時津風定次著『相撲求道録』(黎明書房、昭和31年8月30日初版発行)によりました。    
    2.  『相撲求道録』によれば、この 「力士規七則」は、双葉山が「双葉山道場」を創設したとき(引用者注:昭和16年)に、安岡正篤氏が吉田松陰の「士規七則」に倣って作ってくださったものだそうです。「先生をわずらわして親しく板額に揮毫していただき、それを道場にかかげました。わたしども一同は毎朝これを朗誦して、それからいかにも清々しい気分で稽古にとりかかったものです。それは言わずかたらずのうちに、わたくしどもの心構えにふかく影響するところがあったと信じます」とあります。(同書、168~169頁)
   
    3.  吉田松陰の「士規七則」 (『吉田松陰.COM』による。)

披繙冊子。嘉言如林。躍躍迫人。顧人不讀。即讀不行。苟讀而行之。則雖千萬世不可得盡。噫復何言。雖然有所知矣。不能不言。人之至情也。古人言諸古。今我言諸今。亦詎傷焉。作士規七則。
一、凡生爲人。宜知人所以異於禽獸。蓋人有五倫。而君臣父子爲最大。故人之所以爲人忠孝爲本。
一、凡生皇國。宜知吾所以尊於宇内。蓋皇朝萬葉一統。邦國士大夫世襲祿位。人君養民。以續祖業。臣民忠君。以繼父志。君臣一體。忠孝一致。唯吾國爲然。
一、士道莫大於義。義因勇行。勇因義長。
一、士賢以質實不欺爲要。以巧詐文過爲耻。光明正大。皆由是出。
一、人不通古今。不師聖賢。則鄙夫耳。讀書尚友。君子之事。
一、成德達材。師恩友益居多焉。故君子愼交遊。
一、死而後已四字。言簡而義廣。堅忍果決。確乎不可拔者。舍是無術也。
右士規七則。約爲三端。曰立志以爲萬事之源。選交以輔仁義之行。讀書以稽聖賢之訓。士苟有得於此。亦可以爲成人矣。 

「士規七則」の書き下し文は、『吉田松陰.COM』に注付きで出ていますのでご覧ください。
 →『吉田松陰.COM』「士規七則」
   
    4. 『歴史 年代ゴロ合わせ暗記というサイトにも、「士規七則」の原文と現代語訳が出ています。    
    5.  資料425に「望之似木鶏矣」(『列子』黄帝第二 第二十章)があります。
 資料424に「望之似木鶏矣」(『荘子』外篇 達生第十九より)があります。
 資料434に「双葉山69連勝前後の星取表」があります。
 資料413に「横綱双葉山肖像誌(妙法寺境内の日蓮聖人像台座裏の刻文)」があります。       
   







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