資料424 「望之似木鶏矣」(『荘子』外篇 達生第十九より)



        荘 子   外篇 達生第十九より

紀渻子爲王養鬭鷄十日而問鷄已乎曰未也方虚憍而恃氣十日又問曰未也猶應嚮景十日又問曰未也猶疾視而盛氣十日又問曰幾矣鷄雖有鳴者已無變矣望之似木鷄矣其德全矣異鷄無敢應者反走矣

(書き下し文)
 紀渻子(きせいし)、王の爲に鬭鷄(とうけい)を養ふ。十日(とをか)にして問ふ、鷄(にはとり)已(すで)にするか、と。曰(いは)く、未(いま)だし。方(まさ)に虚憍(きよけう)にして氣を恃(たの)む、と。十日にして又問ふ。曰く、未だし。猶ほ嚮景(きやうえい)に應ず、と。十日にして又問ふ。曰く、未だし。猶ほ疾視(しつし)して氣を盛んにす、と。十日にして又問ふ。曰く、幾(ちか)し。鷄鳴く者有りと雖(いへど)も、已(すで)に變ずること無し。之(これ)を望むに木鷄(ぼくけい)に似たり。其の德全(まつた)し。異鷄(いけい)敢(あへ)て應ずる者無く、反(かへ)りて走る、と。 


  (注) 1.   上記の本文は新釈漢文大系8『荘子 下』(遠藤哲夫・市川安司著、明治書院・昭和42年3月25日初版発行、昭和45年9月15日7版発行)によりました。ただし、本文に付けてある返り点・句読点は、省略しました。    
    2.  上記の新釈漢文大系8『荘子 下』には、書き下し文・通釈・語釈・余説があります。     
    3.  上の書き下し文は、新釈漢文大系8『荘子 下』と新釈漢文大系22『列子』のものを参考に、引用者が書き下しました。                   
    4. 新釈漢文大系8『荘子 下』の語釈から、少し引かせていただきます。
 〇「為王」経典釈文の司馬注は「王」を「斉王」とする。列子の黄帝篇には「王」を「周宣王」に作る。 
 〇「鶏已乎」は、「鶏(けい)已(すで)にするか」と読んで、その語釈に、「鶏已に用う可きかの意。列子は「鶏可闘已乎」に作る。一説に「已」は可の字の誤りと」と出ています。(引用者注:新釈漢文大系22『列子』(小林信明著、明治書院・昭和42年5月25日初版発行、昭和46年5月25日8版発行)では、「雞可鬭己乎」を「雞(にはとり)鬭(たたか)はしむ可(べ)きや」と読んで、「鶏は闘わせることができるようになったか」と訳してあります。)
 〇「応嚮景」の「嚮」は鷄の声、「景」はその姿をいう。 「反走矣」の「走」は逃走。逃げ出すこと。列子には「矣」を「耳」に作る。(同書、517頁参照)
   
    5.   「木鶏」という言葉は、69連勝を続けていた横綱双葉山が、昭和14年1月15日、春場所の4日目の国技館で安藝ノ海の外掛けに敗れたときに、「イマダ モッケイタリエズ フタバ」という電報を打ったことで、特に有名です。双葉山は、かつて安岡正篤氏から『列子』『荘子』の木鶏の話を聞き、深く心に留め、木鶏たらんと努力していたということです。

  なお、この双葉山と木鶏の話については、資料425 「列子「望之似木鶏矣」」の注に少し詳しく記述してありますので、ぜひ参照してください。
     
 漢文では「ぼくけい」と「木」を漢音で読むようですが、私たちは普通「もっけい(もくけい)」と、「木」を呉音で読んでいます。(木:ボク(漢音)、モク(呉音))
   
    6.  『安岡正篤「一日一言」』というサイトに「名横綱双葉山と木鶏の逸話」が出ていましたが、今は本を買わないと見られなくなりました。    
    7.  木鶏・木雞(もっけい)=〔荘子達生〕木製のにわとり。強さを外に表さない最強の闘鶏をたとえる。(『広辞苑』第6版による。)    
    8.  フリー百科事典『ウィキペディア』「双葉山定次」の項があり、彼が「われ、いまだ木鶏たりえず」と言ったことについても触れてあります。    
    9.  〇資料425に「列子「望之似木鶏矣」」(『列子』黄帝第二 第二十章)があります。殆んど同じ文章ですが、いくらか異なっている部分があります。
 〇資料433に「力士規七則」があります。
 〇資料434に「双葉山69連勝前後の星取表」があります。
 〇資料413に「横綱双葉山肖像誌(妙法寺境内の日蓮聖人像台座裏の刻文)」があります。
   
           





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