資料413 横綱双葉山肖像誌(妙法寺境内の日蓮聖人像台座裏の刻文)
         


                   
横綱双葉山肖像誌
                       

 

 

  横綱双葉山肖像誌

 

 

   横綱双葉山略歴

力士双葉山ノ業績ハ真ニ角界古今唯一ノ光輝 

 

 

誕 生 明治四十五年

タリ是レ其人格ノ寡黙謹直剛健ニシテ修業ノ 

 

 

生 地 大分縣天津村

鍛練亦不屈不撓ノ致ス所而シテ之ヲ一貫スル

 

 

本 名 穐吉定次

妙法歸信ノ成果ナリト謂フベシ時恰モ躍進日

 

 

入 角 昭和元年

本ノ非常時ニ方リ立正安國祈願ノ為妙徳寺關

 

 

    身長五尺七寸

係ノ人人其境内ニ宗祖ノ尊像ヲ建設シ又當代

 

 

    体重廿二貫余

一流ノ画伯永田春水自筆奉納ニ係ル横綱双葉

 

 

初土俵 昭和二年五月

山ノ肖像ヲ刻シ以テ是ニ附設セントシ予ニ其

 

 

入 幕 同 七年春

誌ヲ請フ予固ヨリ妙法信者ニテ又力道ヲ愛ス

 

 

小 結 同 十年一月  

昭和十二年二月十五日双葉山ヲ誘ヒ共ニ當山

 

 

關 脇 同十一年五月  

ニ參詣角界素志達成祈願ヲ日英師ニ請ヒシ者

 

 

大 關 同十二年一月 

何ゾ之ヲ辭スルヲ得ン嗚呼同力士今ヤ連勝ノ

 

 

横 綱 同十三年一月  

覇業古今ニ冠絶シ其信念亦愈深ク國運隆昌ヲ

 

 

全 勝 五場所六十六回

禱ルト共ニ報恩謝徳ノ志益切ナルモノアリ誌

 

 

現 在 二十七歳

者即感激ノ詠嘆ト随喜ト交迫リ決然筆ヲ執ル

 

 

    身長五尺九寸

靈肉相通以テ世ノ亀鑑タリ

 

 

    体重三十四貫余

昭和十三年十月吉日北峽學人 弓野國之介

 

 

 

 

 



     (注) 1. この「横綱双葉山肖像誌(妙法寺境内の日蓮聖人像台座裏の刻文)」のある妙徳
          寺は、水戸市加倉井町にあります。
         2. 本文にあるように、日蓮聖人像の台座の下に横綱双葉山の肖像が線刻で描かれ
          てあり、台座の裏にこの「横綱双葉山肖像誌」があります。
         3. 双葉山が妙徳寺に参詣したのは、昭和12年2月15日だと言いますから、双葉山が
          前年の春1月から27連勝を続けていた最中のことだということになります。双葉山はこ
          のあとも連勝を続け、昭和14年春場所の4日目に安藝ノ海に敗れるまで69連勝という
          前人未到の大記録を打ちたてることになるわけです。
         4. 本文の改行は、刻文の通りにしてあります。
            なお、本文中の「愈
」「益」「交」の繰り返し符号「(実際には平仮名の「こ」を縦に潰
          
したような形の繰り返し符号)は、縦書きの文字の右下隅にくっ付けて書いてあって、「愈
           「益
」「交」でそれぞれ1字分のスペースとして書かれています。
            また、本文及び略歴中の「吉」、略歴中の「回」は、実際にはそれぞれ「土+口」
            「面-一ノ」となっていますが、ここでは普通の字体に直してあります。
         5. 本文の最後に「弓野國之介」とありますが、著書『加倉井砂山』には、「國之介」では
          なく、「弓野國之助」となっています。
         6. 妙徳寺(みょうとくじ)=鎌倉時代の永仁元年(1293)、加倉井領主・波木井実氏
                
(はきい・さねうじ)が、日蓮聖人の弟子、中老僧の日高上人(にっこうしょうにん)
                開祖として、母妙徳尼の菩提を弔うために創建した日蓮宗の寺。山号は、
                隠井山高在院
(かくらいさん・こうざいいん)。水戸市加倉井町にある。応永4年
                (1397)、江戸氏・佐竹氏の乱の兵火によって焼失し、同12年(1405)、
                現在地に移転して再建された。旧寺跡には、妙徳尼の墳墓がある。なお、
                境内に双葉山らの寄進した日蓮聖人像が建っている。

                次に、
妙徳寺本堂向かって右手にある「宗祖七百遠忌記念」の石碑から、一部を引用させていた
                 だきます。
                   當山は常陸最初の法華道場として 又日蓮大聖人常陸乃湯の御靈跡として 永々実に七百
                  余年栄枯盛衰現在に至る(引用者注:昭和五十六年十一月現在。以下、同じ) 抑も當山は太
                  田乗明殿の所領にして身延 波木井實長公の三男弥三郎實氏公が城趾たり 時恰も建治二
                  年宗祖の御尊命により 中老僧 日髙上人が百座百講を務め弘法せられた旧跡也 實氏公は  
                   日髙上人並母妙徳尼のため一宇を建立し宗祖御真筆大曼陀羅を御安置教宣の地となす 時
                  に宗祖大聖人御年五十五歳 実に今より七百五年以前のこと也  後母妙徳尼公寂するや 永
                  仁元年三月慈母の為一寺を創し隠井山髙在院妙徳寺と号す 爾来ここに創立以来六百八十八
                  年 應永四年江戸氏 佐竹氏の乱に焼失 應永十二年現在の諸堂が再建されてより五百七十
                  六年 ……(以下、略) 
                    南無宗祖日蓮大聖人滅後第七百遠忌報恩謝徳
                            昭和五十六年十一月二十九日                當山五十五卋日誠
         7. 宗門史跡 妙徳寺 のホームページに、「双葉山定次と妙徳寺」のページがあります。
         8. フリー百科事典『ウィキペディア』に、「双葉山定次」の項があります。 

         9. 双葉山(ふたばやま)=第35代横綱。大分県生れ。本名、穐吉(あきよし)定次。
                優勝12回、69連勝を達成。引退後、年寄時津風を襲名、日本相撲協
                会理事長。(1912-1968)        (『広辞苑』第6版による。)
         10. 国立国会図書館の『近代日本人の肖像』に、「双葉山定次」が出ています。画像を
          クリックすると、拡大画像が見られます。
          11. 資料425に「望之似木鶏矣」(『列子』黄帝第二 第二十章)があります。
             資料424に「望之似木鶏矣」(『荘子』外篇 達生第十九より)があります。
             資料433に「力士規七則」があります。
             資料434に「双葉山69連勝前後の星取表」があります。







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