資料411 源義経「腰越状」(『義経物語』による)
腰 越 狀 源 義 經
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みなもとのよしつねつつしんで申いしゆは御だいくわんのその一にゑらばれちよくせんの御つかひとしててうてきをかたぶけるいたひきうせんのげいをあらはしくわひけいのちじよくをきよむちうしやうにおこなはるべきところにおもひのほかこくうのざんげむによつてばくたひのくんこうをもだせらるよしつねをかしなくして御かんきをかうふるあひだかさねてこうるいをなすつらつらことの心をあんずるにらうやくくちににがしちうげんみゝにさかふせんげんなりこれによつてざんしやのじつふをたゞされずかまくら中に入られざるあひだそいをのぶるにあたはずいたづらにすじつををくるこのときにあたりてかうがんをはいしたてまつらずむばながくしゆくうんのきはまるところにあらずやはた又ぜんぜのこうゐんかかなしきかなやこのでうばうふさいたんし給ずはたれの人かぐいのひたんを申ひらかんいづれのともがらかあひれんをたれられんやことあたらしき申じやうしゆつくわひににたりといへどもよしつねしんていはつふをぶもにうけていくばくのじせつをへずこかうのとの御たがいのあひだみなしごとなりてはゝのくわひちうにいだかれやまとのくにうだのこほりれうもんのまきにおもむきしよりこのかた一日へんしもあんどのおもひにぢうせずかひなきいのちばかりはぞんずといへどもきやうとのけいくわひなんぎのあひだしよこくにるぎやうし身をざいざいしよしよにかくしへんどをんごくをすみかとしどみん百しやうにぶくしせらるしかるをかうけいたちまちにじゆんじゆくしてへいけの一ぞくついたうのためにしやうらくせしめててあはせに木そよしなかをちうりくのゝちへいけをせめかたぶけんためにあるときはがゞとあるがんぜきにむかひこまにむちうちかたきのためいのちのほろびん事をかへりみずあるときはまんまんとあるかいしやうにふうはのなんをしのぎ身をかいていにしづめむ事をなげかずかばねをけいげいのあぎとにさらすしかのみならずかつちうをまくらとしきうせんをげいとするほんいしかしながらばうこんのいきどをりをやすめたてまつりねんらいのしゆくばうをとげむとせしかばたじなしあまつさへよし經五ゐのぜうになるでうたうけのめむぼくきたいのぢうしよくなに事かこれにしかんやしかりといへどもいまうれへふかくなげきせつなりをのづからぶつ神の御たすけにあらざらんほかはいかでかしうそをたつせんこれによつてしよじしよしやのごわうほうゐんのうらをもつてやしんをさしはさまざるむねにつほんごくちうの大小のじんきみやうだうをうけおとろかしたてまつりてすつうのきしやうもんをかきしんずといへどもなをもつてゆうめむなしわが國はしんこくなり神はひれいをうけ給はずたのむところたにあらずひとへにきでんくわうだいの御じひをあふぐびんぎをうかゞひてかうぶんにたつせしめひけいをめぐらされあやまりなきむねにいうせられはうめんにあづからはしやくぜんのよけいかもんにおよびながくゑいぐわをしそんにつたへねんらいのしうびをひらき一ごのあんねいをえん事しよしにつくさずしかしなからせいりやくせしめ候よし經きようくわうつしんで申げんりやく二ねん五月日よし經大ぜんの大ぶ殿 |
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(注) 1. この「源義経「腰越状」(『義経物語』による)」の本文は、『國學院大學デジタル・ミュー |