資料363 宮本武蔵「独行道」

     
  
    
 
       
獨 行 道           宮本武藏
 

 

一、世々の道をそむく事なし
一、身にたのしみをたくます
一、よろつに依怙の心なし
一、身をあさく思世をふかく思ふ
一、一生の間よくしん思わす
一、我事におゐて後悔をせす
一、善惡に他をねたむ心なし
一、いつれの道にもわかれをかなします
一、自他共にうらみかこつ心なし
一、れんほの道思ひよるこゝろなし
一、物毎にすきこのむ事なし
一、私宅におゐてのそむ心なし
一、身ひとつに美食をこのます
一、末々代物なる古き道具を所持せす
一、わか身にいたり物いみする事なし
一、兵具は各別よの道具たしなます
一、道におゐては死をいとわす思ふ
一、老身に財寶所領もちゆる心なし
一、佛神は貴し佛神をたのます
一、身を捨ても名利は捨てす
一、常に兵法の道をはなれす

  正保弐年
   五月十二日 新免武藏
            玄信〔花押〕
    寺尾孫之丞殿

 

 

       
      
  (注) 1.  上記の「獨行道」の本文は、熊本県立美術館のホームページ所収の熊本県立美術館蔵・紙本墨書『獨行道(宮本武藏)』に拠り、他の資料を参考にして記載しました。(検索する時は「独行道」で検索してください。)
 
熊本県立美術館 
  → 「紙本墨書『独行道(宮本武蔵)』
  →  紙本墨書『独行道(宮本武藏)』(拡大画像)

 
 お断り: 現在、 紙本墨書『独行道(宮本武藏)』(拡大画像)は見られないようです。各自の器具で拡大してご覧ください。

 主な参考資料は次の通りです。
 (1)W
IKISOURCE 「獨行道」 
 (2)
紫藤誠也「宮本武蔵之『独行道』」(『語文研究』第24号、昭和42年10月25日・九州大学国語国文学会発行)
 (3)宮本武蔵遺蹟顕彰会編『宮本武藏』(金港堂書籍株式会社、明治42年4月27日発行)
 (4)『普及版 宮本武藏名品集成』(細川護貞監修・丸岡宗男編、講談社・昭和59年4月15日第1刷発行)
 (5)講談社学術文庫『五輪書』(鎌田茂雄著、昭和61年5月10日第1刷発行・昭和63年8月20日第6刷発行)  
 
 
なお、普通の表記に直した「獨行道」の本文が、注5にあります。  
   
    2.  本文中の「一、末々代物なる古き道具を所持せす」の「物」は、よく判読できないところですが、普通 「物」と読んでいるところなので、ここでもそれに従いました。    
    3.  この熊本県立美術館蔵・紙本墨書『獨行道(宮本武藏)』は、武蔵の自筆によるものとされています。制作年は、正保2年(1645年)です。フリー百科事典『ウィキペディア』によれば、「獨行道」は、「死の7日前、正保2年(1645年)5月12日に弟子の寺尾孫之允(丞)に兵法書『五輪書』とともに与えたとされている」そうです。
   
フリー百科事典『ウィキペディア』
    → 「独行道」
   
4.  宮本武蔵(みやもと・むさし)=江戸初期の剣客。名は玄信。二天と号。播磨(一説に美作)生れという。武道修業のため諸国を遍歴して二刀流を案出し、二天一流の祖。佐々木巌流との試合が名高い。晩年は熊本に住み、水墨画もよくした。著「五輪書」。(1584?-1645)(『広辞苑』第6版による。)
    5.  上記の「獨行道(二十一箇條)」を普通の表記に書き改めたものを次に示します。(解釈を誤って いるものがあるかもしれませんので、ご注意ください。2011年2月24日)  
   
   
    

        獨行道 (二十一箇條)

 

 

一、世々の道を背く事なし。
一、身に樂しみを巧まず。
一、萬
(よろづ)に依怙(えこ)の心なし。
一、身を淺く思ひ、世を深く思ふ。
一、一生の間、慾心思はず。
一、我が事に於て後悔をせず。
 (「我、事に於て後悔をせず」か?)
一、善惡に他を妬む心なし。
一、いづれの道にも別れを悲しまず。
一、自他共に恨み託
(かこ)つ心なし。
一、戀慕の道、思ひ寄る心なし。
一、物毎に數寄好む事なし。 
(「物毎」は「物事」か? 「數寄」は「好き」か?)
一、私宅に於て望む心なし。
一、身ひとつに美食を好まず。
一、末々代物なる古き道具を所持せず。 
(「末々代物」は「末代物」と同意か?)
一、わが身に至り、物忌みする事なし。
一、兵具は格別、餘の道具嗜
(たしな)まず。
一、道に於ては死を厭はず思ふ。
一、老身に財寶所領、用ゆる心なし。
一、佛神は貴し、佛神を頼まず。
一、身を捨てても名利は捨てず。
一、常に兵法の道を離れず。

  正保弐年
   五月十二日 新免武藏
            玄信〔花押〕
    寺尾孫之丞殿

 

    6.  宮本武蔵遺蹟顕彰会編『宮本武藏』(金港堂書籍株式会社、明治42年4月27日発行)には、この「獨行道」が十九条の形で挙げられています。

 
この人嘗て獨行道と稱し、自戒の文十九條を自署して云く、世々の道に背くことなし(一) 萬づ依怙の心なし(二) 身に樂をたくまず(三) 一生の間欲心なし(四) 我事に於て後悔せず(五) 善惡につき他を妬まず(六) 何の道にも別を悲しまず(七) 自他ともに恨みかこつ心なし(八) 戀慕の思なし(九) 物事に數奇好みなし(十) 居宅に望なし(十一) 身一つに美食を好まず(十二) 舊き道具を所持せず(十三) 我身にとり物を忌むことなし(十四) 兵具は格別、餘の道具たしなまず(十五) 道にあたつて死を厭はず(十六) 老後財寶所領に心なし(十七) 神佛を尊み神佛を頼まず(十八) 心常に兵法の道を離れず(十九)    
 武藏は素より劍道の達人にして、劍客を以て世に名ある人なり、然れどもこの自戒の文を味はゞその心いかに潔く、いかに強く、いかに名利を厭ひ、いかに貪慾を惡みしかを知るべし「寒流滯
月澄如鏡」とは武藏自から好みて常に書きたりといへり、この人の心またかくの如きものありしならむ、嗚呼武藏は一の劍客のみにはあらざりしなり、近世の偉丈夫なりしなり」云々(同書、6~7頁)

 この宮本武蔵遺蹟顕彰会編『宮本武藏』の本文は、『国立国会図書館デジタルコレクション』所収の画像に拠りました。
 『国立国会図書館デジタルコレクション』
    → 『宮本武蔵』  (27/153

 付記:この『宮本武藏』の「獨行道」十九条について、紫藤誠也氏は「宮本武蔵の『独行道』」(『語文研究』第24号)の中で、「巻頭に武蔵真筆の『獨行道』の写真(これは現存する真筆の二十一条である)をかかげながら、本文中には、「この人嘗て独行道と称し、自戒の文十九条を自署して云く(下略)」と述べ、十九条目をあげ、やはり第四条と第二十条とを省略した上に、真筆の条句の順序をかえたり、各条の辞句を著しく改めておられる」と書いておられます。
 十九条の「獨行道」は、『二天記』に出ているとされ、二十一条の「獨行道」のうち、「身をあさく思世をふかく思ふ」「身を捨ても名利はすてず」の二条を削除してある由ですが、私は『二天記』の本文をまだ確認しておりません。(2011年3月5日)
   
    7.  『普及版 宮本武藏名品集成』(細川護貞監修・丸岡宗男編、講談社・昭和59年4月15日第1刷発行)に掲載されている二十一条の「獨行道」を次に挙げておきます(漢字は常用漢字字体になっているのを、引用者が旧漢字に改めてあります)    
  

              獨行道 

 

 

一、世々の道をそむく事なし
一、身にたのしみをたくまず
一、よろづに依怙の心なし
一、身をあさく思世をふかく思ふ
一、一生の間よくしん思はず
一、我事において後悔をせず 
(「おいて」は「おゐて」では?)
一、善惡に他をねたむ心なし
一、いづれの道にもわかれをかなしまず
一、自他共にうらみかこつ心なし
一、れんぼの道思ひよるこゝろなし
一、物毎にすきこのむ事なし
一、私宅におゐてのぞむ心なし
一、身ひとつに美食をこのまず
一、末々代物なる古き道具を所持せず
一、わが身にいたり物いみする事なし
一、兵具は格別よの道具たしなまず
一、道におゐては死をいとはず思ふ
一、老身に財寶所領もちゆる心なし
一、佛神は貴し佛神をたのまず
一、身を捨ても名利は捨てず
一、常に兵法の道をはなれず

  正保二年
   五月十二日 新免武藏
               玄信(花押)
    寺尾孫之丞殿

 

           









                                  トップページ(目次)