京はわが先づ車よりおり立ちて古本(ふるほん)あさり日をくらす街(まち) 識れりける文屋(ふみや)のあるじ氣狂(きくる)ひて電車のみ見てあれば甲斐なし 夕靄(ゆふもや)は宇治をつつみぬ兒(ちご)あまた並居(なみゐ)る如き茶の木を消して 木津過ぎて網棚(あみだな)の物おろしつつ窓より覗く奈良のともし火 奈良山(ならやま)の常磐木(ときはぎ)はよし秋の風木の間木の間を縫ひて吹くなり 奈良人(ならびと)は秋の寂しさ見せじとや社(やしろ)も寺も丹塗(にぬり)にはせし 蔦かづら絡(から)む築泥(ついぢ)の崩口(くえくち)の土もかわきていさぎよき奈良 猿の來(こ)し官舍の裏(うら)の大杉は折れて迹なし常なき世なり 正倉院 勅封(ちよくふう)の笋(たかんな)の皮切りほどく鋏の音の寒きあかつき 夢の國燃ゆべきものの燃えぬ國木の校倉(あぜくら)のとはに立つ國 戸あくれば朝日さすなり一とせを素絹(そけん)の下(した)に寢つる器(うつは)に 唐櫃(からびつ)の蓋(ふた)とれば立つ絁(あしぎぬ)の塵もなかなかなつかしきかな 見るごとにあらたなる節ありといふ古文書(こもんじよ)生ける人にかも似る 少女をば奉行の妾(せふ)に遣りぬとか客(かく)よ默(もだ)あれあはれ忠友(たゞとも) 戀を知る沒日(いりひ)の國の主(ぬし)の世に寫しつる經(きやう)今も殘れり はやぶさの目して胡粉(ごふん)の註を讀む大矢透(おほやとほる)が芒(すゝき)なす髮 み倉守(も)るわが目の前をまじり行く心ある人心なき人 主(ぬし)は誰ぞ聖武のみかど光明子(くわうみやうし)帽(ばう)だにぬがで見られんものか 三毒におぼるる民等法(のり)の手に國をゆだねし王を笑ふや 蒙古王來(き)ぬとは聞けど冠(かがふり)のふさはしからむ顔は見ざりき 晴るる日はみ倉守るわれ傘さして巡りてぞ見る雨の寺寺 とこしへに奈良は汚さんものぞ無き雨さへ沙に沁みて消ゆれば 黄金(わうごん)の像は眩(まばゆ)し古寺(ふるでら)は外(と)に立ちてこそ見るべかりけれ 東大寺 別莊の南大門の東西(とうざい)に立つを憎むは狹しわが胸 盧舍那佛(るしやなぶつ)仰ぎて見ればあまたたび繼がれし首の安げなるかな 大鐘(おほがね)をヤンキイ衝(つ)けりその音はをかしかれども大きなる音 興福寺慈恩會 いまだ消えぬ初度(しよど)の案内(あない)の續松(ついまつ)の火屑(ほくづ)を踏みて金堂(こんだう)に入る 觀音の千手(せんじゆ)と我とむかひ居て購讀(こうどく)が焚(た)く香(かう)に咽(むせ)びぬ
本尊をかくす畫像の尉遲基(うつちき)は我れよりわかく死にける男 梵唄(ぼんばい)は絶間絶間に谺響(こだま)してともし火暗き堂の寒さよ なかなかにをかしかりけり闇のうちに散華(さんげ)の花の色の見えぬも 番論議(ばんろんぎ)拙きもよしいちはやき小さき僧をめでてありなむ 元興寺址 いにしへの飛鳥(あすか)の寺を富人(とむひと)の買はむ日までと薄(すすき)領せり 落つる日に尾花匂へりさすらへる貴人(うまびと)たちの光のごとく なつかしき十輪院は靑き鳥子等のたづぬる老人(おいびと)の庭 般若寺 般若寺は端(はし)ぢかき寺仇(あだ)の手をのがれわびけむ皇子(みこ)しおもほゆ 新藥師寺 殊勝なり喇叭の音に寢起(ねおき)する新藥師寺の古き佛等(ほとけら) 大安寺 大安寺今めく堂を見に來(こ)しは餓鬼のしりへにぬかづく戀か 白毫寺 白毫(びやくがう)の寺かがやかし痴人(しれびと)の買ひていにける塔の礎(いしずゑ) 踊る影障子にうつり三味線の鳴る家の外(と)に鹿ぞ啼くなる 醉ひしれて羽織かづきて匍ひよりて鹿に衝かれて果てにけるはや 春日(かすが)なる武甕椎(たけみかづち)の御神(おんかみ)に飼はるるしかも常の鹿なり 旅にして聞けばいたまし大臣(おとど)原獸(けもの)にあらぬ人に衝かると 宣傳(せんでん)は人を醉はする強(し)ひがたり同じ事のみくり返しつつ ひたすらに普通選擧の兩刃(もろは)をや奇(く)しき劍とたふとびけらし 曉(さと)らじな汝(な)が偶像の平等(びやうどう)にささげむ牲(にへ)は自由なりとは 富むといひ貧しといふも三毒の上に立てたるけぢめならずや 貪慾(どんよく)のさけびはここに帝王のあまた眠れる土をとよもす なかなかに定政(さだまさ)賢(さか)しいにしへの奈良の都を紙の上に建つ 現實の車たちまち我を率(ゐ)て夢の都をはためき出でぬ (大正11年1月1日『明星』)
|