資料104 雑誌『志らぎく』第1巻第1号について



              雑誌『志らぎく』第一巻第一号について


『志らぎく』第一巻第一号

 明治38年(1905年)9月、茨城県稲敷郡長戸村大字塗戸から、短歌を主とした文芸雑誌『志らぎく』が発行されました。
 第一巻第一号の奥付によれば、発行日は明治38年9月30日、編集兼発行者は宮本長之助、印刷所は東京市神田区美土代町2丁目1番地の三秀舎、発行所は長戸村大字塗戸の白菊社、となっています。
 『志らぎく』のこの第一巻第一号は、表紙裏に「本號要目」があり、次の頁の上半分に佐々木信綱氏の歌集『思ひ草』の広告、下半分に佐々木信綱・印東昌綱両氏の合著『美文韻文 そなれ松』の広告(いずれも竹柏会)が出ています。(佐佐木信綱氏の「佐佐木」を「佐々木」としてあるのは、信綱氏が「佐佐木」と書くようになられて、まだ間がないせいでしょうか。)
 次の頁には「三號課題」(十月九日〆切、楷書にて明瞭に)として、「和歌選者 大橋文之先生、俳句選者 岸上香摘先生 時雨。霜。眼白。濁酒」とあり、その後に「文章。漢詩。和歌。俳句等。課題外の投稿も亦歡迎す。選者。草間臥雲先生。岡野糸川先生其他諸名家」とあります。

        
 
        『志らぎく』第1巻第1号表紙
         (クリックすると拡大写真になります)
 
    この表紙は、発行年月日・号数を除いて第2号・第3号と同じものです。
    そして第2号・第3号の「本號要目」には、「表紙・平福百穗」となっています。
    (平福百穂については、下部にある 注6 をご覧下さい。)



その次の頁に、「シラキク 第壹巻第壹号 發行の辭」として、次の3首の短歌が載せられています。



    シラキク  第壹巻 第壹号

      發行の辭
  
   わがやどの葎をいでて志るひとに
        見てよとおくる庭のきくかな
   つくろはぬしづがかきねの白菊は
        おのづからなる花さきにけり
   露しもの色ぞまことにうつるならん
        いよいよ白し志らぎくのはな



「発行の辞」の次のページには、次のような胃腸薬の1頁広告が出ています。


     伊能忠敬翁や伊能頴則翁を出して
     有名なる佐原より出る胃病の妙藥
        小川の胃病丸
   廣告は致し候ても敢て天下の文士諸君を胃弱なりと申
   すには無御座候我等はたゞ商人なるが故に廣告致すの
   に御座候あしからずおぼしめし被下度候
    五錢のも十錢五十錢壹圓のも御座候
        雜誌しらぎくのいづる村   宮 本 商 店


 『志らぎく』の発行者宮本長之助は、田舎の商店主だったのです。昭和50年に発行された『茨城の文学史』によれば、宮本長之助は<「心の華」(引用者注:現在の「心の花」)の社友で短歌を主に、広く文学を愛し、文芸誌「志らぎく」をその生地稲敷郡長戸村(現河内村)から発行して地方の文学発展に尽くしている。「志らぎく」には野口雨情なども執筆した。>(筆者・平輪光三氏)とあります。(文中に「長戸村(現河内村)」とありますが、「河内村」というのは何かの間違いだと思われます。長之助の故郷「長戸村塗戸」は、昭和29年3月20日に龍ヶ崎町その他と合併して「龍ケ崎市塗戸町」となった筈だからです。)
 その後分かった長之助の生没年月日その他を記しておきます。(2009年10月8日)

 ※ 宮本長之助 明治18年(1885年)3月15日、父・丑松、母・もとの長男
   として茨城県稲敷郡長戸村大字塗戸2055番地の1に生まれる。明治
   36年(1903年)、同じ塗戸の湯原武吉の長女・かつと結婚。自宅で
   雑貨商を営むかたわら、短歌・俳句などをつくり、一時、短歌結社
   竹柏会(「心の花」)に加わる。明治38年(1905年)、文学雑誌
   『志らぎく』を発行。昭和29年(1954年)10月5日没。享年69(数
   えで70歳)。


ところで、雑誌には先に触れたように、表紙裏に「本號要目」が付いていますが、主要な項目だけでなく、すべての内容を題名・作者名・(内容)の順に記しておくと、次のようになります。


   新學年         廣瀬 尾山     (散 文)
   我行道         佐々(ママ)木信綱 (短歌34首)
   朝市          印東 昌綱     (短歌16首)
   田園雜咏        高橋 刀畔     (短歌48首)
   白蛇物語        東  白蘋     (物 語)
   白菊          魏   舒*     (七言絶句)* 魏野が正しいか。 
   愛の小瓶        河原 芳子     (詩)
   雜咏          曲流舎糸川     (俳句15句)
   草鞋一日        田來居月堤     (俳句15句)
   秋の歌の中を      小泉 成純     (短歌7首、鳴雪の句註)
   尾張より        三浦 義住     (返信、短歌2首付)
   ほぎごと        水橋 康子     (4行詩)
   月のひかり       諸   家     (短歌11首、俳句7句)
   秋の聲         稻 の 里人     (短歌4首)
   菊をめづる    岐阜 服部 準二     (散 文)
   吾が姉      常陸 漁   士     (散 文)
   兵營より友に(第一信) 常陸 濱郎     (散 文)
   茸狩に誘ふ文   大阪 田口 たけ子    (散 文)
   菊見に人を招ぐ文 秋田 田村 たみ子    (散 文)
   笹舟          穗波庵 主人    (長歌と諸家の短歌)
   榊山魚貫傳       横田  對山    (漢 文)
   榊山魚貫翁逸事     川村  忠雄    (散 文)
   佐々(ママ)木信綱の短歌4首、高橋刀畔の短歌1首
   秋の歌の中を      榊山  魚貫    (短歌10首)


    ※ 上記の2か所の「佐々(ママ)木」の(ママ) は、引用者の付したものです。
      なお、佐佐木信綱氏が「佐々木」を「佐佐木」と表記するようになったこと
      について、
     (1)「青空文庫読書新聞ちへいせん」の中の「文学館あちらこちら」の
       「第13回 佐佐木信綱記念館」には、「明治36年の上海旅行の際、名刺
       に“々”が印刷できなかったことから“佐佐木”姓を用いるようにな
       った。」とあります。
      (お断り)「青空文庫読書新聞」は、現在公開を一時停止しているそうです。 
                           (2011年4月10日)
     (2)また、新潮社の「小説新潮・小駒勝美の漢字こぼれ話」vol.28<「々」
       の不思議(2)>の中に、「「々」を使わない「佐佐木」派の中で代表的
       なのが歌人・国文学者の佐佐木信綱、佐佐木治綱、佐佐木幸綱の一家です。
       この家の姓も元は「佐々木」と書いたそうですが、佐佐木信綱が中国に
       行ったとき、中国には「々」の字がないことを知り、それ以来姓を「佐
       佐木」と改めたそうです」とあります。
      (お断り)「小説新潮・小駒勝美の漢字こぼれ話」は、現在リンク切れに
           なっているようですので、リンクを外してあります。
                           (2007年10月27日付記)




胃腸薬の1頁広告「小川の胃病丸」の次に、廣瀬尾山の「新學年」があります。


           新 學 年
                          廣瀬 尾山 

 六旬の休暇まさに終りて、新學年に入らんとする候は正にこれ牽牛花の蔓籬にやつれて、蝉の聲梢に皺枯るゝ秋の始なり。
 一葉散る柳の風に送られて村境の橋上に男子立志出郷關學若不成死不還を歌ひつつ雙親の許をかしまだち、遙に東京に遊學せんとする少年もあらん。郷に歸りて歡を父母の膝下に奉ぜし者も、靑潭に垂れし綸をたちきり、山水にさすらひし笠簑をなげうち、學窓の靑燈に親しまんと上り來るもあらん。
 あはれ此等の少年諸君よ、此時に當り心を靜にして思ひ見よ、學校に上りてより幾歳月を過ししか、果してその間に恥かしからぬ進歩をなしたるか如何、また思ひ見よ、父兄に及ぼしし煩累は如何ばかりなりしぞ、果してそれだけの成功ありしか如何と、若それ反覆精細に彼を思ひ之をおもはば、或は悵然悲む一きこともあらん。或は憮然歎ずべきこともあらん。是に於てか氣阻み、神惕れ、膽落ち、志失し、難を知つて進まず、危きを覺りて退かむと欲することもあらん。されど落膽喪心懦々として退縮するは大丈夫のなす所ならず。唯宜しく既往の恥づべきを恥ぢ悔ゆべきを悔い悲しむべきを悲しみ嘆くべきを嘆きて、ゆめ未來に悔ゆることなかれ、恥づることなきやうに勉めよ。
 今や夏逝きて秋來り、新凉郊墟に入れり、諸君豈それ勉めずして可ならんや
  なにとなく植しか菊のしろき哉   巴 丈
  白菊の目にたてて見る塵もなし   芭 蕉
  おきな草二百十日もつつがなし   蔦 雫
  菊咲て今日までの世話忘れけり   千 代

     …………………………………


次に、「我行道」と題して、佐佐木信綱先生の短歌が34首掲げてあります。


          我 行 道
                 佐々木信綱
      うとうとと火鉢によりて眠ります
             父の面わの老ませるかな
      にぎはしき村の祭の中過ぎて
             悲しくなりぬわがひとり旅
      粟畑の粟の穗ひくくうなだれて
             小雨さびしき畑の中道
      何を求め何を願ふと膝折らむ
             我此鋤は神のものなり
      秋風にふきおくられてあけがたの
             並木のかげを我ひとり行く
      草刈のうたふひな唄おもしろし
             誰より誰につたへ來にけむ
       山の上にたちて我見る夕づく日
             明日の夕日はたれ眺むらむ
      馬市によき馬かひてかへるさの
             野路おもしろき鈴蟲のこゑ
      川をちの津の宮あたり燈火の
             一つうごきて夜風つめたき
      かや山の夕日ななめに影おちて
             ほじろ山がら空にむれたつ
      安らけき夢よりさめて門川の
             有明の月に口そそぐかな
      遠々し津輕のはてにうらぶれて
             荒海さむき秋の雲みる
      水の國いたこあがたの秋風に
             芦間がくれの舟うたのこゑ
      舟人がおもひなげなる笑ひ聲
             乘れる身さびし秋のくれ方
      たへかねて夜深き空を仰ぎみれば
             み空の星の光つめたき
      假初の人のなさけの身にしみて
             うれしきにはた泪こぼるる
      月淸み酒たづさへて音なへば
             とざさぬ門に萩が花ちる
      今日の今宵たれかわが上忍ぶらむ
             ふるさととほしあきの夜の月
      堤ゆく人かげ一人また一人
             狹霧晴れゆく川そひのみち
      舟窓の浪の音さむき雨の夜を
             湊賑はし燈火の影
      川隈の竹村がくれゆく水の
             水音寒しあひる聲して
      ささやかに流るる水の音ならで
             外に音なし天地のうち
      よむ書に慰みつるはしばしにて
             又しづみゆく我心かな
      菊の花薰るまがきに耳たれて
             兎、經きく山寺の庭
      徒らにいでゆあふれて秋深き
             山の上の宿人影もなし
      默然と僧物いはず禅房の
             燈火さむし芭蕉葉の雨
      秋の色梧桐に老て蓬生の
             庭しづかなり鈴虫のこゑ
      牛かひて庭鳥かひて諸共に
             われも住まばや君が山里
      夕づく日せとの水田に影おちて
             老しあるじがしはぶきの聲
      露ありて花ほほゑみぬ愛なくて
             人の此世はとはに冷たき
      月淸く虫の音滿てる廣野原
             そぞろに神の御名となへたり
      夢の如狹霧たちこむる夕野邊に
             何は思はず君をしぞ思ふ
      磯山の月ひややかに海鳴りて
             千里まさご路物かげもなし
      いたづらに語らずいはず一すじの
             我行く道をわれはゆかばや


 その次に印東昌綱氏の「朝市」が16首掲載されています。


       朝  市
                  印 東 昌 綱

      稻つみし車三つ四つ四つ五つ
              鎭守のをかの夕ぐれのみち
      君にわれさきだちたらば君が來む
              よみの長路に菊植ゑてまたむ
      乳しぼる小屋のともし火きらめきて
              明方さむし庭とりのこゑ
      二つあひて一つになりし蓮葉の
              露のふたたび離れずもがな
      よわよわし大丈夫我と思へども
              今日の別れのやらん方なき
      今更に身のか弱きぞかこたるる
              かからざりせばかかるべしやと
      うけつぎし木挽が業に安んじて
              山を出ぬ人むしろ幸あり
      杉多き山にうまれて杉きりて
              その下かげにくちん宿世か
      此夕べあやしく落る涙かな
              昨日の事はわすれたる身に
      ゆくりなく耳に入りたる友の上
             世の誣ひごとにあれよとぞ思ふ
      秋雨のふる夜さびしき旅の窓に
              君がたましひ白菊の花
      心やや安きにかへる夕べかな
              心がかりの文をいだして
      桐油きし旅人ひとり又一人
              橋の上寒し夕ぐれの雨
      はたはたと鳩の一むれおりたちて
              曉さむき神のひろ前
      おりたちて汲む人たえし山の井の
              水ひややかに萩の花ちる
      朝市に急ぐ車のひとしきり
              とほりをはりして庭鳥の鳴く


 次に、高橋刀畔氏の「田園雜咏」が48首あります。

      岩の上に根這ふ蘇鐡の若葉して
             小庭(さには)をくらくなりにけるかな
      鳳凰の尾に似し瑞葉ひろごりて
             たてるも雄々し庭の蘇鐡は
      若葉して瑞々しくもなりにけり
             岩の蘇鐡は庭の王(きみ)かも
      十年一度二十年一度咲くといふ
             蘇鐡の花の今年咲きにけり
      蚊遣して書よみ居れはほととぎす
             帛裂くか如鳴きて過きゆく
      はろはろととめ來し君にもてなしの
             何はなけれと冷し瓜かな
      涌きいつる脊戸のしみつに冷しおきて
             君にすすむる眞桑瓜かな
      うつふける仰くそむけるしなはあれと
             いつれやさしき姫百合の花
      うち連れて犬若あたりゆくらむか
             歌作る君うつしゑの君
           (寺田櫻井の二君銚子に遊び頻りに吾を招くに)
      あらかねもとけなむ夏の眞日盛り
             いも脊うちつれ田の草採るも
      なつかしき松原越しに海見えて
             網ほす蜑の家ところところ
      船宿の標の旗に風見えて
             ゆふべすすしき刀寧の川岸
      空の海のいさごと散れる星さへに
             その名著るきは稀らなりけり
      人の世のさだめなきにも似たるかな
             大空翔くる雲のいろいろ
      はたはたと叩く水鷄にさまされて
             短夜一よいねかてにする
      古へのほりものたくみ靈(たま)こめて
             彫りし鑿」の香今にかぐはし
      上總の海九十九里か濱の地曳網
             あみひく蜑のうらやすげなる
      ささかにの張りたるあみにつつまれて
             赤きあきつの羽?きもだえる
      蠣鮑帆立貝おきなめし
             蜑が屋根這ふ藻鹽たく煙
      いなたきのやまひ養ふ旅やかに
             雨のつれつれおもひ草よむ
      時くれは刈りとられけり此春は
             雲雀の床となりし麥生の
      うつつなき乳子のゑかほを見る時は
             世のわつらひも暫しわするる
      あぢさゐの花かけにして歌よむか
             繪筆とるらむかひさし髮の君
      我思ふ人かあらぬか繪日傘の
             うしろ姿のなつかしきかな
      戞々と時を刻みてゆく針の
             休むときなき我ものおもひ
      長き日を繪筆もとらす歌もよまず
             枕を友の身そ憂かりける
      よやし君風に折るゝもほこ杉の
             眞直にたちて或世は經なむ
      あき人に擔はれてゆく朝顔の
             あすは誰家に咲かむとすらむ
      營みし軒の蛛蜘のいゆふ風に
             やふれむとして殘るあやふし
      時ならぬ花めつらしと大君の
             御感にいりし夏菊の花(吉野を見て)
      高く飛ひひきく舞ひ來てうなゐ子が
             招く袂に寄るほたるかな
      浮葉巻葉白蓮紅蓮さまさまの
             露ふきみだす朝あらしかな
      打水にすすしき庭を見おろして
             採る盃に月のうかべる
      さりけなき空に見ゆれと船人は
             ゆふ立すると笘ふきいそく
      緋に白に瑠璃紺靑ときそひつつ
             見る目あかれぬ朝かほの花
      咲き競ふ色をし見れは朝かほは
             露のひぬ間のなかめともなし
      畑つもののみのりかにかく先ついつる
             里の樋の上のゆふすすみかな
      見るかうちに黑雲おこり神なりて
             天地もとよむ雨すさましき
      あす死ぬる我身としらで聲限り
             ちからの限り鳴く蝉あはれ
      乳子を負ひて夕餉の膳をととのへて
             脊を待ついもかおもやつれたる
      幼子は床の寫真を指して
             ととさま早く歸れとそいふ
      かけ膳をうつしゑの前にささけつつ
             平和(やはらぎ)の日を指をりて待つ
      道遠し我ゆく道は遠けれと
             いつかは遂につかでやむべき
      永き日を額の汗にかへてえたる
             ゆふ餉の膳のゑひ心地かな
      朝たちのわらんじかろくふみしめて
             のほりゆくての山をしそ思ふ
      たそがれを我世になしてひもとける
             花のゆふかほにほひあふるる
      なかき日をままことあそび餘念なき
             蝶子花子の末さきくあれ
      早稻田なほ苅るに時あり秋蠶飼ひて
             いもか晴衣の料をとらばや

      ……何か就筆可仕筈に候へ共九月初旬の發行に
      ては到底間に合不申誠に遺憾に候間ほんの責塞
      きに近詠數十首差上申候間可然得取計被下度候
      次號には何か美文一編寄稿可仕候………………
      ……………………………高 橋 刀 畔

   引用者注:上記の歌の表記に用いた「」の漢字は、
                     “島根県立大学e漢字フォント”を使用させていただきました。



        白 蛇 物 語
                 東  白 蘋
  秋光宮本君、頻りに書を寄せて、僕の稿を徴せらる。宮本君は數年來
  の交友也。僕の之に應ぜざるは義にそむく。筆を把つて紙にむと雖
  も、蕪器駑才、いまだ思はしきものを作る能はず。苦吟又苦吟、空しく
  一物をも得ずして即ち已む。舊稿を寄する、之れに基づく、然れども是
  れ豈に僕の本意ならむや。是れ豈に僕の本意ならむや。次號には屹度何
  か書いて此埋合はせを爲すべし。
          いばらき社樓上         白 蘋 生
うき事の胸にわだかまれるを拂はばやとて杜康氏を呼ぶ。芳烈の氣、琥珀色なせる上より起り來りて、呑まざるに既に醉ひぬ。うとうととして不圖こそまどろみけれ。七月、風薰る白日(まひる)なり
俄かに怪しき風ざわざわと立ちて、異なる臭ひの鼻をつきてめぐりめぐるを覺ゆ。眼を開けば、傍への椎の木より逆落しに下れる白色の蛇(くちなわ)あり、小(ち)さき舌舐(したな)めずりて一心にわれを視てありき。
驚きて身を避けんとすれば、蛇は矢よりも早く吾が上に飛び下りて、待ち給へ、待ち給へといふ。
蛇にして人語を解す、不思議ならざるを得んや──。吾れ思へらく、是れ神の御使ひならむと、氣を沈めて忝しく禮(いや)ほどこせば蛇は幾たびか大空仰ぎて何事をか呪ふらし森嚴の態、容易に近づくべからず。
しばらくの後、彼れは躍れり、三度まで。而して曰く、われは是れ創世記にあらはれたるサタンの裔 なれど、ヱホバが給賜はれる分外のめぐみを蒙りて天上に召遷すされたるものなり、命ぜられて人の子の戀を司どりつれど、受けつぎたるサタンの遺血(ちしほ)は今にわれを去らざりけむ、ともすれば嫉妬(ねたみ)のむらむらと湧きて、人の子が涙濺ぎての切なる願ひも冷やかなる笑みを以て報ひ、紫よと乞ふをわれは黑きを與ひ、紅かれとのぞむを卻ぞけてわれは之れに代ふるに靑きを以てしたり、よこしまなる吾が審判のヱホバに分らざりしも初めのうち而已、阿漕が浦に引く網のたとへは免れず、其の度重なるに及びて誰れいふとなく此事よそに漏れたれば、ヱホバの怒り中々にはげしく、金色の衣冠褫ひて斯くこそ追放の身とはなりたれ。さあれ、定まりて行くべきところの無き吾れなり、孤影煢然、足にまかせてあるは雲の峯を越え、あるは星の河を渉りて、はしなく辿り着きてしは此世界、形勝に依りて察すれば、這は兼て噂さに聞きしさかしらの智慧の樹多き國ならずや。指かがなふる五萬年の遠き遠き昔、アダムヰヴよりヱホバの寵幸なからしめたる吾祖サタンの初めて茲に來りしときは斯くまでに文華盛んならざりしといふに、現今にては吾れ却つて危うし祖アダムヰヴの讐(かたき)なりとて捕はれもせば、如何に物うからむよ身は宿り木の日蔭者、憐れみ垂れて取なしあれや、君と。
苟しくも知らずんば即ち止む、天上にありて戀の司したるものと聞いては吾れ如何で見遁さむ、わが心の傷も此の蛇の仕業と思へば憎さは彌増りて、恨みのほど述べて述べて述べのけむかと感ぜざるにあらざりしかど、それと推したるか、彼れは忽ち﨟たき女の童と變りて其光りかがやくは何? 是れ緑髮にあらずや、是れ朱唇にあらずや。是れ豐頬にあらずや、是れ曲眉にあらずや。是れ皓腕にあらずや、是れ纎指にあらずや。是れ柳腰にあらずや、是れ花顔にあらずや。あなやと計り打寄りてジツと目戍れば、いとけなかりし時われの朧に見たるまぼろしのまぼろしの戀の姿よ、さながらに、われはただ惑ひて、いふべきすべを無み。うつつなの身に隘み入るは、奇しき蘭麝(とめき)の香なりけり。
蛇は直ちに元の樣に立ちかへりて、君の平らかならずおぼされしは只今の影失ひたるを想ひ出されての事なるべし、されど君羅馬は一日にして建てられざりしにあらずや、われ無きあとの天上は最早や人の子の戀さまたぐるものもあらじ、君永久なる誠の心を以て其の成らむことを願ひなば、千年萬年の戀、得られずといふ事なからむ、心せよ、君と言ふかと見れば、蛇フツと消えて此の世は霎時八重雲の微路(ほのぢ)小(を)ぐらき地にして魔の叫びぞ高かりし。
夢さめて吾れは茫然、時既に西に傾むく夕日を眺めて、
 『理想(のぞみ)よ』
 『榮光(ほまれ)よ』
 『幸福(さひはひ)よ』
 『わが上にあれかし』
とこそ祷りたる。


   引用者注:上記の前書き文中の「」の漢字は、
        “島根県立大学e漢字フォント”を使用させていただきました。

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       白 菊
            魏  舒 (「魏野」が正しいか)

     濃露繁霜著似無
     幾多光彩照庭除
     何須更著螢兼雪    (「著」は「待」が正しいか)
     便好叢邊夜讀書

    ○引用者注:魏野(960~1019)は北宋の詩人。字は仲先、草堂居士と号す。



         愛 の 小 瓶 
                          河 原 芳 子
  こはそれ     神の代、       小瓶に        秘めたる、
  戀愛(なさけ)の    歌文字、       解(よ)む智惠     有るかと、
  美酒(うまざけ)   みたして、      賜(たび)しは      解(と)き得ず、
  靈妙(くす)しき   薰に、        人の子        醉ひては、
  夢路に      小さき、       望は         足らひて、
  尊き       みさとし、      ただにぞ       誦(ず)したる、
  花の香      天女の、       袖より        洩るれば、
  幽玄(たへ)なる   光明(ひかり)の、     彩(あや)なす      宮居に、
  秘密を      こめたる、      小瓶を        慕ひて、
  ひそかに     覗(うかが)ふ、      涙の         まなざし、
  長久(とこしへ)   御神の、       試問(ためし)に      惑ひて、
  解得ぬ      理想(こころ)を、     誰にか        尋可(とうべ)き。

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        雜  咏
             曲 流 舎 糸 川
    白菊にうたがひのなきにほひ哉
    白菊に疑ひもなき夜明けかな
    待た日の昨日に成ぬきくのはな
    菊咲てとざしのならぬ座敷かな
    菊の香や風の落付ところまで
    一風情野菊にもなる九日かな
    ふいと來た蝶の見なくす花野哉
    拾ふ手の上に落たる木の實かな
    尾花から秋を定むる夕日かな
    枕ともいはず夜明て月のやど
    鰒提て母の寢顔をながめけり
    引汐に穗並の揃ふ尾花かな
    伸る夜に延されぬ夜や雨の月
    朝顔に寢巻もかるし起こゝろ
    子連て啼夜はあれや雨の鹿


        草 鞋 一 日
             田 來 居 月 堤
    子供等の朝起したり今日の秋
    うそ寒きそらや旭の赤井川
    山道や僅のうちに秋淋し
    早稻の香や溜息つけば胸の澄む
    料理屋の見えてはつかし秋の旅
    濡色の草木の中や駒のこゑ
    まだ夏の趣深しせみのこゑ
    大村や秋もやさしきせみしくれ
    足からみするほど虫のなく日哉
    百年の音すかすかし秋の風
    萩のみち話し合手の出來にけり
    又知らぬ人に合けり秋のくれ
    うしろから馬追虫の來りけり
    只一つ秋の螢に合にけり
    三つ四つの梨を土屋の端居哉


       秋の歌の中を
               小 泉 成 純
       立 秋 露
    穗にいでぬ草は秋ともしら露の
           おける葉末の色見えにけり
       庭 草 花
    風吹はかへるかきねの葉かくれに
           咲つる花は眞葛なりけり
       朝 荻 風
    誰かくと朝戸あくれはかけもなく
           はひりの庭の荻のうへ風
       田 家 菊
    山田守秋のなくさと我妹子の
           植てし菊も花咲にけり
       社 頭 月
    神さひてたてる木のまに影もれて
           千木高てらす月のさやけさ
       都   月
    更ゆけはゆきかへしけき都路も
           月のみひとりすみわたるらん
       原 紅 葉
    くるす原きはむ葉末に色赤く
           みゆる紅葉は楓なりけり

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     空家に下駄であがるや秋の雨    鳴 雪

 此空家は疊もない板敷ばかりであらう、晝ながら雨戸を鎖して庭の鷄頭は萎びて居るとはおまけかも知れらぬ、貸家を捜して漸やく此家を見付け戸板を外から外して這入つて見たものの御覧の通りであるから秋雨の路を歩いて來た下駄のままで上がつたのである、秋雨の詑びしき感と下駄で空家に上る詑しき感は一致して居るではないか、秋雨といへば只だ草花や何かで強て感じをよくさせやうとするゴマカシ俳句に迷ふて居る人は十百遍此句を誦するがよい (俳句新註)

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       尾 張 よ り
              三 浦 義 住
芳書拜讀當地は久しう雨ふりつつきて月の影もみえすいふせき事限なし 我門のわさ田は穗にも出つるをいつまて空のさみたれぬらむ 今回雜誌白菊を御發行の旨斯道の隆盛よろこはしき事に御坐候
  色あるはうつろひ安しつくろはぬ
         しら菊の花ちよもかをらむ
  すかたさへ香さへけ高くさきいてて
         白きくの名にそむかさらなむ

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       ほ ぎ ご と
              水 橋 康 子
  氷とざせるきたの海に  にひ若潮のよするごと
  君がみ胸にみなぎりて  高なり湧くや詩の生命


       月 の ひ か り

       社 頭 月     高 崎 正 風
    千木高く月はのぼりてかみがきの
           みたらし川のおとふけにけりけり
       草 花 露     宮 地 嚴 雄
    咲とさく千くさの花のいろいろに
           おきてそ匂ふ野邊のあさつゆ
       月 の 歌     鎌 田 正 夫
    にはとりの聲ききすててみなと舟
           あり明の月にこぎいでにけり
       秋   寒     大 口 鯛 二
    あさがほのつるかれ殘るあし垣に
           むしのね寒きあさぼらけかな
       海 上 秋 風     遠 山 英 一 
    大船にたつるけふりもよこをれて
           あをうなばらにあき風そふく
    初秋やみづにゆらるるたけの影   盛 紹
       ○          阿 蘇 惟 敦
    空をやく阿蘇の火の山火をふきて
           あたりあかるき夜半ものすごき
    紫蘇引けば蟇あらはるる露凉し   少 蛄
       ○          市 來 松 風
    三日月を松の梢にかへり見て
           露しげき野を母と別るる
    かはありや薄のさきに白帆見ゆ   溪 舟
       ○         弘 田 吸 江
    さ夜深き軒の雫に話とだえ
           とみにおぼゆる秋のさびしさ 
    初秋やながれにうつる空のいろ   君 子
       ○         武 井 正 流
    かとのへにつかれてねむる犬の子は
           かけくらへせし夢や見るらん
    秋の野に駒のいななく聲さむし   雪 月
    短日や汽車に乘り繼ぐ時間馬車   河 柳
       ○         大 貫 春 光
    我宿の庭の木立になくせみの
           なくさみつきす日は傾むきぬ
    目なれたる向ひの岡にゆふばえの
           旗雲なひき日はくれんとす
    草の戸の光り滿ちけり秋の月    喜久一

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       秋 の 聲
                稻 の 里 人
    山本の里より里にあさなあさな
           曉つぐるにはとりのこえ
    松の風鷄のこゑ犬のこゑ
           山かげの村さてもとめる哉
    夕風に鈴の音すなり羊追ふ
           賤の牧童今來るらんか
    露萬斛廣田の稻葉さやさやに
           朝ふく風は秋の聲かも




       菊 を め づ る
             岐 阜  服 部 準 二
 朝日影、はなやかに、さし昇りて、門に「たてたる、國旗の光さへ、いとうららかなるは、天つ神も、けふのよき日を、祝ふにやあらむ。東なる皇居を、遙に拜みをへて、文机にうち向はんとする折しも、二人三人の友どち、おとなひ來ぬ。この小春日和、いかであだに過ぐすべきかは。いで芳香園の菊をみてむといふに、おなじ心の友垣なれば、皆手を打ちて諾ひぬ。さて家をいでぬ。道のつれづれなるままに、友にむかひていふやう、人々おのおの氣象の異なるは、なほその面の如し。さればめづるものにも、おのづから別あるものと見ゆ。梅と菊とは、色といひ香といひ、その間、兄弟をわかちがたく、共にすぐれたれども、菅丞相は梅をめで給ひ、淵明は菊を好みしも、この故にやあらむ。菅公は、わが中古の達識にして、淵明は、晋朝の節士なれば、其の名士たりしは相似たりと雖も、公は當時王朝の大臣にして、威權かがやけること、春の日の如し。その春花の魁たる、梅をめで給ひしは、ことはりなきにあらず。淵明は、當時澆季の人情を厭ひ、彭澤の幽園に田を耕して、節を養ふ處士なれば、そのしづけき樣は、秋の日に似たり、これやがて、秋花の獨秀たる菊を好みし故にやあらむ。おのれもと閑靜を好む性あり。春より秋をこのみ、菅公よりも淵明をしたひぬ。さればわきて、菊をめづる習とはなりぬ、されど、なほ學生の身なり。いかで、座右に菊を植ゑてめづることを得べき。故に毎秋、觀菊の遊をもて、こよなき樂とはするなり、今君等とともに、この樂園に入らむとす、よろこばしさ限りなし。といへば友の一人そも君は靖節を慕ひ、菊を好むといへるは、かかるさわがしき芳香園わたりの菊を見給はば、地下の淵明に笑はれなむと罵りぬ。おのれいらへて。かくのたまふ人こそいまだ淵明の眞意を得たまはざるならめ。野山の菊なればめで、都ちかきわたりのものは、これをめでずといはば、たゞ所によりて、菊をめづるとこそいふべけれ、もはや菊をめづるにはあらぬなり。靖節が數多き花の中に、この花をめでしは、いとけだかくて俗塵に汚されぬ色香をめでしなりなどいふほどにおもふあたりにつきぬ。さて菊花園といふに入りぬ。花壇の備あるのみならず五六百歩もあらむとおぼゆる前裁のありさま、いといと優にして雅致あり。まづ花壇をみばやとまぢかくよれば、花の色と形とにより、その品々wpわけ、白菊をつらねたるは、雪に香ありといひつべく、黄色なるは、黄金をならべたりともいひつべし、赤きは錦、紫は氈を布きたらむやうなり。杉にふれてはいひ知らぬ香、かをりわたりて、袖をにほはせつ、げに彭澤の仙境もかくやあらむとおぼえぬ。かくてたそがれ時となりければ、友をうながして歸りぬ。あはれ十六辨の菊は、かしこくも、朝家の御紋にえらばれて日の本の朝日にかがやき、半輪の菊、一條の流水は、忠臣楠氏のしるしとて、世々にその香をとどめたり。雨をおかして開くといふ、重陽の儀式に廃れたれど、今は天長の佳節をさかりと咲出たる、折にあひしこの花の榮、霜にたゆまぬ此花の操、代は萬歳萬々歳。谷川の流れつきせぬめでたさは、彭祖が齡も、ものかはとこそおぼゆれ。

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      吾 が 姉
            常 陸 漁  士
吾姉死せり、吾姉死せり、夢か夢に非ず吾が姉は過ぐる三十三年十二月七日と云ふに逝けり矣
初冬西風寒く白楊を吹きて蕭々たる悲雨簷頭をめぐり夜色また暗淡孤猿巴峽に叫ぶめり。人生朝露の如しといひ今宵談笑の裡に時を移せる身の明日は冥土に辿らんとは誰かまた思ふべき。
あはれ吾が姉は愛子を抱きて兄と妹と爐を擁し明日は共に雲山二百里をへだつる大和に旅立つなればかにかくと旅のことなど語りつゝあり常に虚弱なる母は目の痛めばとて早くも寢につきしが如何なる惡夢に襲はらえけん物憂き唸りの聲を發するなり。夜は更けたり榾火もかすけく細き烟を立てて消えなんとすれば爐を擁せし四人も眠るべく欲せしならん。あはや姉は如何にしけん俄に上氣し來りて氣分惡しければ取り呉れよと抱きし子を兄に渡す暇もなく堂と横さまに倒れ伏せり。直に又吐血せり兄と妹とは此の急劇なる變事に深く驚きて百方介抱に手を盡せどもホンノリと赤かりし頬は次第に蒼白になりまさり堅く結べる口は開かん術もなく勿論藥も入らざりしなり硬直になりし手は苦しかりしも揉掻き得ざるなりあはれ姉は如何に呼べども答へぬなり。只かすけき脉の皷動と辛うじて通へる息の音とはせめてものたのみなれどもこれとていつまでか繼續し得べき。
隣家の誰れかれは驚きの眉をひそめて走り來れり醫師へ走れる人もありされど風雨の故と自ら病める故とによりて直ちに來らざるなり、看護の人は今更めきて其横着なるを咳けり、片田舎なれば一里二里の處には其の醫士を措きては他になきを如何にすべき、文明の世に生れてもかゝる場合にはその恩澤に浴し得ざるぞ常には閑靜を誇りし甲斐もなし。暫くにして姉は結べる口を開きて子の名を呼べり而も苦しき聲音にて次ぎに母を呼べりされど只徒らに呼ぶのみにて何事も語り得ぬ也否語るめれど何事か解し得ぬなり頭は熱するならん頬の邊再び赤うなれり、鷄は晨を報ぜり、雨は未だ止まざるなり、醫士も來らずあはれ姉の玉の緒は何時までかつなぎ得べきか、人は再び醫士に走れり、されど未だ來らず夜は雨の間に白々と明けてあたりに水汲む音の聞ゆなり、姉は依然爐邊に横はれり、手足を揉掻きて轉へるは頭の痛めばなるべし、されど醫士は來らず看護の人は狼狽ひて聲を顫はしつゝ徒らに姉の名を呼びなどするのみ。
斯くの如きこと二時間ばかりなりしが漸次櫻色なる頬を其儘靜かに眠るものゝ如し、看病の人は之を見て病勢の衰へしならんと少しく心おちゐてしめやかに枕邊を擁しせどもとかく姉はこれにて快復し得べきか、醫士は來れり、彼れは憎きまで物靜かに昨夜よりの經過を聞き而して姉の枕邊にさし寄り其の面色を見脉を檢し體温をはかり皷動を聞けり。而して彼れは事もなげに口を開きて曰く、今より二時間も過ぎなば人事を知り全快に至るべしと、我父は曾て腦を病み人事を失ふこと年に二三回恰も今姉が病めるごとかりしも克く快復しき、之を知れる我一家の人は今醫士の言を聞きさらば父の如く暫時にして舊に復すべきを豫期せり、然るに何ぞ圖らん醫士の去りて未だ三十分を過ぎざるに姉は身を措くに堪へざるものゝ如く煩悶すること前に倍せり一座は再び狼狽し人は復直ちに醫士に走れり、されどこれ最後の煩悶にて醫士は直ちに來りしも時已に遲かりしなり。
あゝ吾が姉死せり。吾が姉死せり、人生五十とは人の短命なるを嘆ぜし語なるに吾姉は僅かに其の半ばにして逝けり、夢か夢に非ず二才の男子を殘して姉は逝けり、あはれ名は幾久天壽永きを意味し吾父は兄に迎ひし時之をも慶びの一となせしが今は空しく名實相反せり。さても吾姉の不幸なることよ先には三歳の長男を失ひ次で當歳の長女を失ひ今は一人の子を殘して二人の子の後を追ふ
姉が吾兄に嫁せしは過ぐる二十八年の春なりき吾は故ありて當時長兄の許にあり、初めて逢ひし時は顔の赤うなりて物をもいひ得ざりしが爾來しとやかに物靜なる姉の吾に對すること慈母の子に於けるが如く珍らしき物を得しときには吾が爲にとて必ず殘し置き村芝居などあるときは幼な友達の打連れて行くを見ては遉がに見たき心のなきにもあらねど物堅き父の許さざるを姉は厚く請ふて行くを得しめ、寒き朝衣を温めて吾が眠りを覺ますは姉なり、學校より歸れば空腹なるを察して菓物など與ふるも姉なり、あゝ性來粗擧にして腕白なりし吾は斯る温情に浴しながら猶六かしきことをねだりて姉を困らしめしこと屬なりしが柔よく剛を制すとかや吾は物心の出づるに從ひ姉の高恩に感じ遂には一も二も姉ならでは心濟まざる樣に至れり。十八の春なりしが吾は師範に入學を許され寄宿舎生活をなすに至りては常の如く姉の膝下にありて手を煩はすこと能はず况して其の頃になりては自らは大人びたる心地して姉に多くの手數をかくるは何となく耻かしかり。姉は未だ我を見ること小供にて、常に好めばとて便ある毎に手製の餅、薯、栗などを寄宿舎まで送り越し又或時は餘り裕かならざる財布より兄に秘して小遣になど贈らるゝこともありき、吾は其折々一入姉の厚情に感じ如何にして報ひんかを憂いにき。あー、命あらば假令萬分の一なりとも目のあたり報ずるを得しならんに奈何せん今は迷冥處を異にして影だに相見るを得ざるなり。吾を愛すること斯の如く深かりし姉は吾が父母に對しても亦孝養至らざるなく常に父母の虚弱なる憂ひて自ら業務を執れるの傍ら寸暇あれば父母にかしづきて勞を省き意を慰め又性急なる兄に對しても温柔克く其度を得せしめ理財調ひて吾一家は常に和氣滿ちて團欒の樂みをなすを得他郷にあるの吾等も愁あるときは家郷の和樂を追想して自ら其意を慰むるを得たりきあゝ吾家は姉ありて多くの俗憂なく、姉ありて家政調ひ姉ありて和樂の家庭を作り得しに姉なき未來は如何なるべき、
妹に二才の男子あり浩平といふ、彼れは近來漸く自ら立ちて歩み片言交りにも物言ふを得るに至りしも彼れは慈母の死せるを未だ知り得ざるなり。葬式の準備をなさん爲め翌日多くの人は集れり。彼れは是等多くの人々の俄かに母を失ひしを哀れがりかたみにもてはやすに勇みて終日母を思ひ起すの暇なかりきされど夜に入りて眠りを欲せしとき彼が添寢に肌慣れし慈母のあらざるに心づき幾度か怪しき聲あげて呼べりされど答ふるものは母ならぬ人なるに堪へ得ずなりてはや泣き出でたり。あゝ其聲の悲痛なる世に可憐の聲といふものありとせばこれより上に可憐の聲はあらざるべし。一座の人々は膓を刺さるゝ想ひに彼が顔を眺めては共に袂を絞るなり。あはれ不幸なる兒よ母の添寢せざるは知りて泣かんも、母の死には泣くを得ざるか………彼は斯く呼ぶも叫ぶも遂に母の見ゑざるに今は終日の遊びに疲れてか其が叔母に當れる人に抱かれてすやすやと眠りに就けり吾が母は眼の痛めるに加へて此の變事にいたく心身を勞し持病の心臟病さへ起りて此のいぢらしき孫を世話する能はぬなり
翌朝彼れは叔母と共に起き出しが怪しくも彼れは叔母を母と思へるなる勿論彼れは喜びて之に抱かれ他人の之に接しなどすれば怒れる色さへあるなり、叔母は姉の眞の姉妹にて聲容のいたく似たればなるべし
高張送旗棺郭等調へて葬式の準備成り親戚故舊は悉く集へり神官は葬祭文を誦し萬座はしめやかに傾聽せしやがて禮拜もすみて縁者に逢はしめんがため棺の蓋は開かれたり、旅立たんとて盛装せし姉の顔容は色こそあせたれ少しも?れず涅漿黑く眉濃く髮のホツレ毛二筋三筋頬にまつわりて眼を閉ぢたる樣一見眠れる人とほか見えぬなり、人々はいかに無心なればとて一世の離別なれば一ト眼浩平にもと見せしめたり彼れは暫時蒼白き顔容を熟視せしが母なるに心付きけん笑み傾けて呼べりされど其答ひざるに怪みて再び叔母にしかと抱きすがれり、葬列例の如く家門を出で午後十一時二十分といふに白木の柩は先塋の墓地に葬られたり、
人生悲しきものは死を以て最とす而して其の極なるものは壯者の死なり、あはれ我が姉は天壽僅かに二十有五人たるの職分を盡すべき首途に上りしのみに過ぎざるに此事ある悲まざらんとするも能はぬなり况して母の顔さへ十分に見知らぬ孤子を見るに於てをや。あはれ果敢なきものは人の命なるかな、會葬の人は墓地を去り柩を荷ひ來りし人も亦去れりされど吾は獨り斯る松柏繁りて晝猶ほ小暗き墓地に此の闇黑なる深夜に於て姉を置き去るに忍びざるなり
姉よ斯くも果敢なきものと知りせば生前必ずや言ひ遺すべきもののありしならん、殊に愛兒の將來に就いて相謀ることもありしならん、然るに頓に發せし病魔は之を爲さしめず早くも黄土の下に眠るに至りしは、魂魄如何に多恨なりしぞ、姉よ願はくば心安かれ御身が愛兒は吾が他日業成るの日之を膝下に提ひて御身が養育すべき心を以て心となし生前厚意の萬分に報いべきに。
  閼伽の水汲まむとすれば岩間より
          有明の月の影ぞ流れるる  愚庵



       兵 營 よ り 友 に (第一信)         
              常 陸 濱 郎
其後は久しくも御無沙汰しつる哉、時につけ折にふれ兄を思はぬはなけれども、體疲神倦の練兵にただ勇氣つくは酒保への突撃のみ、されど此の數日郷愁しきに起り毎夜の夢に入るは小川草堂の往事にあらねば、甞て訪ひにし袖が浦わのなつげしき、思ふにわが郷愁は一波をなして來るものの如し、風寒き下志津にある頃は早く業を了へて目出度補充の員に加はらんとの意氣ありければ、夢に入るはただ滿韓の山川のみなりき、花さく春よりわか葉の頃にかけては、花散る蔭、緑滴る樹下にありても神馳するはふりにし事共。
六月の下旬よりは第○○師團に入る内命ありしかば氣はただ「何時跨千島東着加邊呼快哉」の慨ありて魂は常に北樺太より黑龍のほとりにとびき。
されど今や如何に、戰………………………………………………………………
噫、故山の山川恙なきや、筑波の雙峰那珂の長江、わが?を養ひしは父母なるも、わがを神を育てしは實に汝なりき、那珂の川は詮もなけれ、せめては筑波の翠黛にも接せむと昨日曜は一人ひそかに芝愛宕山に昇り彼方の空を眺めたれどただ雲いくへ横たふのみ、
此のさびしき生活に無二の慰藉は、舊友の書信と愛重の手紙、されど今はあまりに出征に機を得ざるをはぢてろくろく發信も返信もせざれば大方は音信絶へぬ
兄に御不音なりしも此の因なりき、一度は二月出征といへ、三月といへのびのびて今日に至る、遷延々何の顔ありて兄に見えん、されどいへ知らぬさびしみはわが心を蝕い神を犯し人なつかしさのあまり茲に再び相見へんとす、幸に許されよ。
最もなつかしくも親しき兄よ、磯に去來の波美しきところ萬里の長風に吹かるる心地はいかにヲヽ夏のながめは如何に
日曜外出の樂は書店の店頭を巡視するにあり、東京にありては既に強半歳 諸官省や北廓の位置は未だ知らねど重なる書店は大抵暗じて明かなり、殊に東京堂の店頭などは何の書籍はどこのあたりにある位まで詳かなり。樗牛全集、紅葉全集などにらみつけて手を布袋のなかにさぐりしこといく度なるかを知らず
今生が書籍出版業に關する智識をおしらせ申さんか、呵々 先づ御同樣愛讀の不如歸は五十何版か出來して思出記と諸共とこの店頭にもあり 之を見ると舊知に遇ふ心地して兄をおもふ一再ならず、文庫派の白羊は不如歸を新體詩に譯し單行本として出せり、愛らしき袖珍本、發端伊か保にある浪子をうつせるあたり 故落合氏の白菊の歌發端と相似たり 定價金二十八錢 讀賣が昨年募集せし「歸省」は美装して店頭にあり 定價二十八錢
文庫の詩をあつめし「靜海波」といへるもありき、手にとればおなじみの横瀬夜雨氏の作物澤山ありき 夜雨といへばいつか淸水屋にて見し文庫のうちに「夏釘の露の朝ほらけくしふか夢はさめにけり」「忘られざりし俤の人をもつひに忘れては」など妙句未だ忘られず……………………………


       茸 狩 に 誘 ふ 文
               大 阪  田 口 た け 子
去年の秋田舎の親族の案内にて茸狩にまゐり候處木の根岩のはざまなどより松茸をあまたとり得候其の面白さ今に忘れ申さず今年もはや其頃に相成候て親族よりの案内をうけ明日は子供をも伴ひてかの山にゆきて松茸とらんと存じ候間御さそひ申上候御差支もなくばわたくし方まで御出待上候かしこ

      ……………………………………………………………
 
       菊 見 に 人 を 招 ぐ 文
               秋 田  田 村 た み 子
庭さきの菊の花やうやう盛りに近づき明日しも陰暦のせつくにあたりまし候へば四五人のしるべを招ぎて菊見せんと思ひ候まま御さしつかへもおはしまさず候はば午後二時頃より御入來下されたく妹にも參るべくやう申つかはし置候へば御くりあはせ是非是非御出の程待入申候かしこ
    白菊にうはの空なる銀化粧    秋 色

      ……………………………………………………………

       笹  舟
              穗 波 庵 主 人
笹舟は其名の如くささふねである。大人に用のある舟ではない。幼童小兒の手づさびとして、たらひの海に浮ぶべきものである、目高むるる里の小川ですらも、直に破壞覆沒の不幸を免るることは難い。
いかに浪が靜かに穏な和歌浦でも、この笹舟を棹さすことは、ゆるさない。もしも、さる企望を懷くものがあらば、そは、かちかち山の狸よりも愚であるといふことは、孩提の童も亦よく知るところである。
この笹舟は、他日、敷島の和歌浦わに遊ばんとする小童等のために、あんだのである。

        初 秋
風淸き夕べの空 木のに白き間三日月 うなゐ指さす三日月のかげ 月はこれより凉しかるべし 夕月もくまなきよひ 松のかげより 夕月の光ほのめく 見渡せば 秋風 秋の初風 まだ身にしむとなけれども 心もうごく 稻葉そよぎて 竹の林ぞそよぐなる 秋は來にけり 秋は來らん 浪とともに 今いく日あらば 門のわさ田も色づく 秋風のしのびしのびに うたたねの朝けの袖 初雁の聲 秋の色こそ見え渡りけれ 淸むる庭の 朝しめり けさの朝けの風の寒しも 夜のまに秋は來にけらし ふく風の身にしむ秋 秋風のふきにし日より なるこのひびく ちりそむる桐の一葉 河風の凉しくもあるかな ほのかなる末野の月 一年の半すぎぬ 花のいろいろほりうゑて


                  藤 原 敏 行
   秋きぬと目には亮に見えねども
          風の音にぞ驚かれぬる 

                  荷 田 春 滿
   ほのかにも明ゆく星の林まで
          秋の光と見れば身にしむ

                  淸 水 濱 臣
   露匂ふ花野の宮の夕づくよ
          小柴がもとに秋はきにけり

                  香 川 景 樹
   朝づく日いまだ匂はぬ山の端の
          松の葉わたる秋の初風

                  石 川 依 平
   天つ空西ふきそめてゆく雲の
          早くも秋になりにける哉

                  河 邊 一 也
   ほのぼのと明る田面の稻葉より
          あらはれ初る秋の初風

                  大 隈 言 道
   昨日よりさらにも空の秋めきて
          色かはりこし日影月影 

                  井 上 文 雄
   淸き風凉しく吹て初秋の
          夕月よこそをかしかりけれ

                  伊 能 頴 則
   海上や朝ひきする大ふねの
          帆かけにしるし秋の初風 

                  佐 々 木 弘 綱
   あまの子が釣する袖に風みえて
          入江の波も秋立にけり

                  税 所 敦 子
   ときあらひいまだ結ばぬ黑髮に
          すずしくかよふ秋のはつ風 

                  黑 川 眞 頼
   さらさらと園の若竹西吹て
          ふしよき程によは成にけり 

                  小 池 道 子
   ふきおろす松風凉し朝雲の
          ただよふ峰に秋やたつらん

                  安 江 秋 水
   うもの葉の玉露こぼす夜更風
          衣手さぶし秋たちぬとか

                  宮 本 秋 光
   露萬斛廣田の稻葉さやさやに
          朝ふく秋の聲かも



       月  虫  茸狩
遠山の松もあらはれ 虫のねの近き夜半かな 草負ひて 草籠に轡虫なく 野道をたどる 栗ひろふ里の少女 いなごおふ子の聲たえて 片山かげのしのすすき 今日の入日よし 秋の夜の月影淸し 山田のくろの虫の音 月にこぐ海士の舟歌 しげくなりゆく虫のこゑ 東の山の月のさやけさ 棹さしとめて月を見る 草むらごとにすだく 雲は千里の外に消て 荷たり馬の鈴の音ゆらぐ夕風 夕暗の小田の細道 虫のこえしげき野原 朝露をふみておりたつ ほのかにひいく松風 感にうたれ夢も結ばぬま夜中 行燈のをぐらきかげ 秋深き落葉がもと 寐覺うれしき虫のこえ 八千草の花さく野べ 小松林 朝露に裳裾ぬらして 秋の山づと 秋山のさ霧がくれ よそにのみ目をくばる 雨はれし秋の山路 松風の音さへいと淸し 想ふどちうさも忘れて 小夜更て よもすがらなきしこほろぎ 尾花ちる野べの草むら わがかげ長し むしや狩るらん 秋はれの野路 ふる星の便もがも 夕やけの空 馬うりて馬屋さむし 秋もややふかくなりゆく たどりゆく山の下路 修行者にあひたり 松にふけゆく月影 二人あひ三人あひ 一つとりまた一つとる あさりにし跡のみ多し 夕ぐれの野に立ちをれば まち出でし夕べの月 遠の里わ 野路の夕ぐれ 山松の上に月はのぼりぬ ほこりがに出る 里の子どもる野路 秋の雨ふる 鄙歌をうたひてかへる おもしろき月夜になりぬ 馬草がなかにこほろぎのなく 月空にあり 稻葉における露毎に 雲はみなはらひはてたり 秋風に光をちらす 月にすみゆく 松風のしらべさやかに 松に殘して



                  田 安 宗 武
   かく山に生るま榊枝さやに
          さえたる月は神もめづらむ

                  加 納 諸 平
   舟窓の秋の燈火ほのぼのと
          しらめる海に月はうかべり

                  木 下 幸 文
   桐の葉はまばらになりていさらゐの
          水影寒き秋の夜の月

                   大 隈 言 道
   おもほえず枕がもとのさやけきに
          まろび起ても見たる月影

                   八 田 友 紀
   ゆふげたく烟の末にいでにけり
          田中の里の秋の夜の月

                   高 畠 式 部
   あすこそは苅らむと思ふ晩稻田の
          稻葉の露に月はさえけり

                   高 崎 正 風
   人影はかがしの外になかりけり
          廣田の面の秋のよの月

                   小 出   粲
   露はちすばもまばらになりて大椋の
          いり江の月にあき風ぞふく

                   佐 々 木 信 綱
   かたづくる夜店商人植木店
          さよ風さむしかたわれの月

                   吉 野   甫
   月の夜のそぞろありきに我とわが
          ひとつの影を追うて行くかな

                   源   實 朝
   あさぢ原露しげき庭のきりぎりす
          秋深き夜の月に鳴なり

                   小 澤 蘆 庵
   月淸く風の凉しき夕べ夕べ
          なきたつ虫の數ぞそひゆく

                   木 下 幸 文
   蓼のはな咲みだれたる山川の
          きしねにすだく虫の聲哉

                   佐 々 木 信 綱
   馬市によき馬かひてかへるさの
          野路面白き鈴むしのこゑ

                   小 池 道 子
   てる月に桐の落葉の露みえて
          虫のねさむし山かげの庭

                   森 田 義 郎
   こほろぎの音をなつかしみ廳の
          秣が中を月に探りつ

                   長 塚   節
   秋の野に豆曳くあとにひきのこる
          莠が中のこほろぎの聲

                  加 納 諸 平
   都人たけ狩すらし片やまの
          すずふく風にこゑのきこゆる

                  松 波 遊 山
   茸かると人のいほりにやすらひて
          山に住たくなりにける哉

                  山 田 源 子
   朝早くわれ茸狩にこしかども
          山の奥にて人のこゑする

                  大 池 龍 子
   みせばやな都の人に秋山の
          紅葉がもとにしめじ初だけ


次に、横田對山氏の「神山魚貫(かみやま・なつら)傳」があります。


          神山魚貫傳
  神山魚貫翁者。下總國埴生郡今改印旛郡飯岡村人。號無境庵。又曰松廼屋。
  庭前有大松。蟠踞高六尺餘。廣袤六七丈許。宛如偃盖。蓋百數十年前物。
  因名焉云。家世業農。村之右族也。翁幼好和歌。僻陬乏師友。無所師承。
  自刻苦勵精。一意取法古人。歌書無不窺。暗誦古今和歌集。八代集等。與
  江戸小山田與淸親善。書牘徃復。得益云。比年知命。讓家男雅貫。營草盧
  于幽邃地隱遁。詠歌自遣。翁素不喜遠遊。然而賦名勝殆逼眞。如足踏其地。
  名聲藉甚。門人益多。伊能頴則。椿仲輔。鈴木雅之徒。高足弟子。翁所著。
  麻葉集。苔淸水前後二篇。前篇献藩主田安侯。及松平春嶽侯。春岳侯書和
  歌一首。及衣錦尚絅四大字。賜賞。盖寓翁之不求人知之意也。田安侯亦賜
  白銀一枚。明治元年冬。右少將植松雅言卿。爲香取例弊使。東下途過滑川
  村。見翁旅舘翁歌曰。五十日許御袖冴良牟騎駒爾冰踏寸流東路乃空。卿嘆
  賞不措云。明治十二年。東京回向院主。福田行誡師。年七十餘。遙來叩翁門。
  師稱高德智識。雅尚和歌款語磬歡。推翁爲師。特別與平常所持水晶念珠一
  顆。歌曰。御佛乃御名唱比宛百年爾餘留齡遠數遍底與君。師後而翁訃。賻金
  拾圓。其爲顯貴所欽羨類如此。光榮可知也。而翁矍鑠詠歌不輟。老而益壯。
  比年九十三。元氣漸衰。不復見人。明治十五年五月某日。溘焉易簀享年九十
  六。齒德倶高。今也亡矣。眞可惜也。翁爲人至孝。事父母甚愼。少壯勤勉耕
  耘。不遑就師。甞奮發曰。俄徴歌調於古人。不傚近代。別欲一赤幟。初擬藤
  原定家卿。後私淑紀貫之。豁然有餘。詠深夜月曰。垣乃外廼川音更天久堅廼
  月波雲井爾澄昇利鳧。又曰。格物致知。在鍛錬數熟之後。我至老歌數不可勝
  計。今撰擇可以胎子孫者。大抵不可二萬首。嗚呼。其詞藻富膽。誰不驚嘆哉。
  宜矣。翁之獨學深造至于此。自非豪邁之資。安得哉。予與翁爲忘年之交。居
  與翁不遠。呼欲應。故接謦咳多年。是以略知翁之爲人。今也翁之門人。前後
  死亡。存者幾希。唯恐翁之傳空爲湮滅。因不自揣。聊述所見聞如此。敢請知
  翁之君子。幸見寄其逸事。以裨補遺漏。明治三十四年。初夏。書于皆學學舎
  窓下。                      横 田 對 山 誌

   (注) 村之右族……「之」は原文「の」。  御袖冴良牟……「牟」は原文「牢」。
       雅尚和歌款語磬歡……原文では「款」は「疑の左側+欠」、「磬」は下の「石」が「缶」。
       詠深夜月曰……「曰」は原文「日」。  呼欲應……原文の「應」は下の「心」が「言」。

       ○ 『成田なんでも百科』というサイトに「神山魚貫」のページがあって、そこに簡
       単な経歴の紹介と肖像写真が出ていましたが、現在は削除されて見ることがで
       きません。また、「神山魚貫の生家跡」のページもありましたが、これも見られま
       せん。(2009年9月29日)

  〔引用者注〕
   神山魚貫(かみやま・なつら)=1788-1882  江戸時代後期の歌人。天明8年1月生まれ。
       生地の下総(しもうさ)埴生郡(千葉県)で農業にはげむかたわら、独学で歌をよむ。
       門人に伊能穎則(いのう・ひでのり)、木村正辞(まさこと)らがいる。明治15年
       2月3日死去。95歳。通称は三郎左衛門。号は松廼舎。家集に「苔清水(こけしみ
       ず)」など。
                  (講談社『デジタル版日本人名大辞典+Plus』による。)
   なお、「成田山仏教図書館蔵書目録」に、『歌人三翁伝─神山魚貫・椿仲輔・伊能頴則ノ伝』
   (写本・1908(明治41年)、横田対山・伊藤久澄 編)が出ています。
    「蔵書検索」で、「図書(一般書、仏教書、個人文庫を含む全ての蔵書)」を選び、
    「歌人三翁伝」と入力して検索すれば、書名が出てきます。


     *   *   *   *   *   *   *   *   *   *


その次に、川村忠雄氏の「神山魚貫翁逸事」が載せてあります。



       神山魚貫翁逸事             川村忠雄

 翁いと若かりし時、まだ二十歳前の事にや有けん歌よみにならんと心ざしけれど
 其頃このわたりに師とたのむべき人なかりしかば一人ひたすら學問して明くれこ
 の道にふけるを同じ里の鰹節屋の老人狂歌者にて
    しきしまの道は都に有といふを
           芋畑たどるおそや此人
 といひてあざみ笑ひけりそれよりますます勵み學びて遂になしとげたりとなむ
 同じ年頃の事にやあらん小浮の聖天の別當に玉穗といふ人あり歌ごゝろある人
 なりければ折々ゆきて何くれと問聞けりある時和尚答へ得ざる事ありてはたと
 腹だち長者に物とふには言語作法あるものなるをかくうちつけにいふはいと無
 禮なりといたくしかられたりしがいかにも人に物とひ聞くには心して恥かかせ
 ざるやうすべき物にこそと語られたる事ありけり
 又ある時馬にて荒海(あらみ)の河岸(かし)に米をはこびけるが苦學中の程なれ
 ば道々も歌にのみ思ひふけりて馬のたづなとり放ちたるも知らで家まで歸り來
 て始めて心づき驚きて立もどりゆき見れば遙の河岸近き處につなぎ有けりこは
 かたはらの人其忘れゆくを見をりていづこまで知らでゆくか後の笑ひ草にとて
 殊更に知らぬ顔してつなぎおきたるなりとぞ
 九十の賀すぎて伊能先生もなくなりし後歌がたりの序にてにをはの強弱輕重過
 不及などの話せられたりこまかにとへば詞に述ぶる事能はず我歌の中に心に得
 る處をあげてとへ又そこの歌にしたる加筆によりてさとれと也さて翁の歌六月 
 の題にて
    しばしだにとまらぬ水の河やしろ
           うべこそ罪も残らざりけめ
 とある「けめ」の辞「けれ」と有たきやう覺ゆるはいかにと問へばただ然らず
 とのみ答へられたりいかにしても類のなきつかひやうなりと疑ひとけざりしに
 萬葉に
    昔こそなには田舎といはれけめ
           今はみやことそなはりにけり
 と有を見いだして辞のつかひかた古人にはぢずと驚き侍りぬまた山口豐風が新
 竹の題にて
    今年生のいささむら竹いささけき
           かげにも夏はあらじとぞ思ふ
 とよめる歌の結句をなきかとぞ思ふと加筆せられたり實に有がたき敎へなりし
 と今に忘れ侍らずかかるたぐひは猶あまたあれど今はただ一節をしるすのみ


 (「六月」の「」の漢字は、“島根県立大学 e漢字フォント”を利用させていただきました。
  この「六月」とは、「六月祓・水無月祓(みなづきばらえ)」のことであろうと思われます。)



その次に、佐佐木信綱先生と高橋刀畔氏の歌が載せてあります。

        ○
                    佐 々 木 信 綱
    總(ふさ)の國埴生(はにふ)の小田に言の葉の
              よき種まきし神山の翁(おぢ)
    白かねのひげかきなでてよくこそと
              迎ふる翁目に見ゆる哉
    ここにして歌おもひけむ歌人の
              面影うかぶ松の下かげ
    やすらかに世をすぎし君後の世の
              夢も安けし老松のもと 

        ○
                     高 橋 刀 畔
    小山田に手づなとりつつ書よみて
              うたの林をわけしきみはも


その次に、神山魚貫の「秋の歌の中を」という短歌が載せてあります。



       秋の歌の中を
                    神 山 魚 貫
        桔梗のふふめるを
    いかにしていかなる時に開くると
             思へばをかしきちかうの花
        朝顔
    殘りぬる心なげにも見ゆる哉
             ひらけはてたる朝がほのはな
        草花盛
    野べの花今さかりなりわがせこが
             見に出なむといひし時きぬ
        野草花
    秋の野に出て花をるこれのみは
             心にかなふわが世なりけり
        浦秋夕
    うらづたふ人の心は見えねども
             姿さびしきあきのゆふぐれ
        霧中雁
    薄霧のいな葉にかかる山もとを
             はるかにすぐる雁の一つら
        題によらでよめる歌
    秋の野をめぐりめぐりて出ぬれば
             もと來し道のちまた也けり
        菊植たる秋かがやかしうあづらかに根
        をそろへ枝をすかしたるとはことにて
        かれが心のままに廣ごり靡きて殊に多
        かりければ得させよとてをりをり人の
        來るに
    我やどは天つ空にもあらなくに
             菊をほしとそ人のいふなる
        ある夜盗人來りて菊の花を根ごめにと
        りて去る
    盗まずばとらせじ物と思はれし
             わが心こそまづうかりけれ
        無境庵にかりねしてよめる
    志らかしの古葉散音におどろけば
             己が宿なりうたたねのゆめ



     *   *   *   *   *   *   *   *   *   *



  巻末の広告には、取手町の「旅館 千代本 根本すみ(茨城県北相馬郡取手町停車場前三百九十三番地)」、京橋の「賄御用達 本店 大野旅館(東京市京橋区南槇町五番地・電話本局二七六五番)、支店 小野差入店(同市牛込区市谷富久町百三十五番地・電話番町一二八四番)」、龍ヶ崎町の「書肆・薬舗 いなりや號 海野東明堂(茨城県稲敷郡龍ヶ崎町砂町) 東明堂書籍部・東明堂薬業部」の名前が見えます。

  次に、奥付の頁に触れておきます。最終頁に上段に<課題>と<投稿注意>があり、下段に「シラギク」の定価表と奥付があります。


  〔最終頁上段〕 

   <課題> (九月二十日締切)
  文章(文體隨意)
    青年の覺悟。秋夜虫の聲をきく。文界雜感。在營の友人に寄する文。
  和歌。俳句。新體詩。漢詩。
    菊。江村。案山子。
   ……………………………………………………………………
   讀者の聲 (何にてもよし用紙端書)

    <投稿注意>
   原稿は半紙二つ折にして題毎に用紙を異にせられたし。楷書にて
   明瞭に認められたし。然らざれば止むを得ず沒書とすべし。 
   課題外の投書も亦歡迎す 
   ……………………………………………………………………

     投 稿 注 意
  原稿は半紙二つ折にして題毎に用紙を異にせられたし。
  楷書にて明瞭に認せられたし。然らざれば止むを得ず
  沒書とすべし。
    〆切は毎月十五日限り
      (季に關するものは冬季)


  〔最終頁下段〕(定価表・奥付)
  
    シラギク (毎月一回九日發行)

  本誌 定價 郵税不要 廣告料 見本所望の方は切手八錢  
  一 册 七 錢 一頁 九圓
半頁 五圓
 
   
六 册 四十錢 特等 十三圓
半頁 七  圓
  十二册 八十錢  

 購讀者十名以上御紹介の方には毎月一册つゝ進呈す


 明治三十八年九月廿七日印刷
 明治三十八年九月三十日發行

                  茨城縣稻敷郡長戸村大字塗戸
       編輯兼
       發行者              宮本長之助

                     東京市神田區美土代町二丁目一番地
        印刷者                  島 連太郎
                     東京市神田區美土代町二丁目一番地
        印刷所                  三 秀 舎 
        ……………………………………………………
                  茨城縣稻敷郡長戸村大字塗戸
      發 行 所            白 菊 社




         * * * * * * * *

 なお、雑誌『志らぎく』の所在について触れておきますと、現在のところ、
次の4か所に保管されていることが分かっています。
  (1)東京大学大学院法学政治学研究科附属近代日本法政史料センター
    (明治新聞雑誌文庫)………第一巻第一号の雑誌とマイクロフィルム
  (2)成田山仏教図書館…………第一巻第一号~第三号の3冊
  (3)首都大学東京図書館………第一巻第一号
  (4)茨城県立図書館……………第一巻第一号のマイクロフィルム
    (2016年9月26日時点では3か所でしたが、2018年6月5日、首都大学東京図書館にも
     第一巻第一号が保管されていることが分かりましたので、付け加えました。)


(注)1.「雑誌『志らぎく』第1巻第2号について」が、資料236にあります。
     「雑誌『志らぎく』第1巻第3号について」が、資料237にあります。
     「雑誌『志らぎく』第2巻第1号について」が、資料238にあります。
   2.『東京大学大学院法学政治学研究科附属近代日本法政史料センター(明治
     雑誌文庫・原資料部)』のホームページへは、
       → 近代日本法政史料センター(明治新聞雑誌文庫・原資料部)
     なお、『東京大学OPAC』に、『志らぎく』第一巻第一号の蔵書目録があります。
       →  『東京大学OPAC』で、「志らぎく」と入力して検索。
   3.成田山仏教図書館は、(財)成田山文化財団が経営する公共図書館です。新勝
     寺の傍らに建っています。 「成田山仏教図書館 逐次刊行物目録(雑誌・新聞)」
     の中に、『志らぎく』の目録が出ています。
      シ306 志らぎく 1-1~3(M38.9~12)
     また、「蔵書検索」で「その他(一般書の論文・記事や一般の雑誌、新聞など)」を選び、
     「志らぎく」と入力して検索すると、『志らぎく』の目録が出て来ます。
      シ306 志らぎく 1-1~3(M38.9~12) 白菊発行所
   4.『首都大学東京図書館』のホームページの記載は、下記のとおりです。
       → 『首都大学東京図書館』の『志らぎく』の記載
   5.『茨城の文学史』は、茨城県教育委員会・茨城文化団体連合/ 編、昭和50年10
     月18日の発行です。
   6. 『志らぎく』の中に出ている、稻の里人・穗波庵主人・宮本秋光は、すべて発行
     者・宮本長之助の別名(号)です。「秋光」は、「ときみつ」と読ませたようで、時に
     は「宮本ときみつ」とも名乗ったようです。
     「秋光」に関しては、『茨城俳句』(茨城俳句刊行委員会、昭和54年1月1日発行)に、
     次のように出ています。
       (大正3年4月、宮城県の新声吟社から発行された『俳人宝典』に)次いで、右の著か
       ら半歳を経た十月、『現代 全国俳人名簿』が東京市芝区琴平町三、中央出版協会
       から三苫巖(三苫落魄居であろう)の編で発行された。大正期十五年間に刊行された
       類書の中では、全国の俳人を隈なく渉猟しての採録数の多量さという点で最も充実し
       たもの。但し秋声会派の作者までで旧派はふくまれない。
       俳号のいろは順に県関係俳人のみを抽出する。(引用者注:以下、稲敷郡長戸村の
       人だけを抜き出すことにします。)
            油原 探涼(寅造) 稲敷郡長戸村塗戸
              網干して時機またん漁家芦の角
            北沢 斧川(朝吉) 稲敷郡長戸村塗戸
              洪水後の不毛田広く鴨鳴ける
            横田 天風(正松) 稲敷郡長戸村塗戸
              炉開きのその夜狐の尖り声
            木村寿山楼(寿三郎) 稲敷郡長戸村塗戸
              公暇炉開く高天井窓の梅枯れて
            宮本 秋光(長之助) 稲敷郡長戸村塗戸
              難船に命あればぞふぐと汁
          四千名からの搭載者の中に、県内作者は以上六十九名数えられる。当時としては
          編者の目の行き届いたものといえよう。
          (『茨城俳句』巻末記載の「茨城俳壇史」の「茨城県俳句史 =大正初期~昭和
          二十年=」、同書1488~1492頁。執筆者・幡谷東吾氏)
   7.平福百穂(ひらふく・ひゃくすい)……日本画家。本名、貞蔵。秋田県角館(かくの
          だて)生れ。川端玉章に学び、ついで東京美術学校卒。文芸雑誌や新聞に挿
          絵を描くとともに、无声会(むせいかい)、ついで金鈴社を結成。文展・帝展
          でも活躍。アララギ派歌人としても著名。(1877~1933)
          (『広辞苑』第6版による)
     平福百穂(ひらふく・ひゃくすい)……(1877-1933) 日本画家。秋田県生まれ。
          本名貞蔵。画家平福穂庵の子。独自の南画的な風格ある作風。また新聞に
          時事漫画も寄稿。アララギ派歌人としても知られる。代表作「予譲」、歌集
          「寒竹」                  (『大辞林』第2版による)
     平福百穂(ひらふく・ひゃくすい)……1877.12.28~1933.10.30 日本画家。
          秋田県生まれ。本名・貞蔵。1899(明32)年東京美術学校(現・東京芸大)
          卒。13歳で画家の父、平福穂庵(すいあん)を失い、94年上京し、川端玉章に
          入門。97年東京美術学校日本画科に編入。1900年結城素明らと无声会
          (むせいかい)を組織し、自然主義を標榜して中心的存在になる。1902年東京
          美術学校西洋画科に入学、1年間デッサンを学ぶ。07年以降、『国民新聞』
          に挿絵を担当する。15(大4)年小川芋銭(うせん) 川端龍子(りゅうし)
          らと珊瑚会(さんごかい)、16年素明、鏑木清方(きよかた)らと金鈴会を結成
          して研鑽を積み、17年第11回文展で「豫譲」が特選。「荒磯」(26年)で大和
          絵(やまとえ)のたらしこみを生かすなど无声会時代の社会性の強いものから、
          写実的自然観照へと進み、晩年は南画的な枯淡な画風へと展開した。40年に及ぶ
          画業は一定の型にはまらず、東北人らしい剛毅朴訥な意志をうかがわせる。32
          (昭7)年東京美術学校教授に就任、翌年横手で死去。歌集に『寒竹』(27
          年)があり、アララギ派の歌人としても名高い。(金原宏行) (『[現代日本]
          朝日人物事典』(朝日新聞社、1990年12月10日発行)による。)
        なお、岩波文庫の表紙の装丁も平福百穂によるもので、これは奈良正倉院所蔵
       の古鏡「鳥獣花背方鏡」(ちょうじゅうかはいのほうきょう)の模様を模した唐
       草模様だそうです。(岩波文庫の「文庫豆知識」による。)
       ○「Hatena::Diary」の「2007-06-20 日本画家・平福
         百穂の装丁」の中に、岩波文庫の表紙の装丁についての記述や、平福百穂の経歴
         についての詳しい紹介があり、この記述をされている方が持っておられる百穂の
         装丁書誌一覧が出ています。(残念ながら『志らぎく』は出ていません。)




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