雑誌『志らぎく』第一巻第三号について
『志らぎく』第1巻第3号は、明治38年12月9日に発行されました。表紙は第1号、第2号と同じ白菊の花の絵で、平福百穂氏によるものです。 初めに、本號要目があります。
本號要目 て が み…………佐々木 信綱
小 菊 物 語…………湯 川 貫 一 旅 籠 屋…………小 花 淸 泉
山守がうたへる………… 河 原 芳 子
星 月 夜…………淸 水 竹 意 昔 の 秋…………梅柳園 主人
す ゝ は き…………宮 本 秋 光 落 月 記…………三 井 殘 月 炭 山 物 語…………植 田 秋 山
神 風……………………… し は す………………………
課 題…………岸上香摘 選 表 紙…………平 福 百 穗
裏面 てがみ…………印 東 昌 綱
「本號要目」の下に、「第一巻第一號要目」「前號要目」が掲げてあります。
ここで、主要な項目だけでなく、すべての内容を題名・作者名・(内容)の順に記しておくと、次のようになります。
て が み 佐々木 信綱(手 紙) 小 菊 物 語 湯 川 貫 一(物 語) 『俳句新註』より 稻靑の句「ふいとした事に家出や秋の暮」 についての評釈。(評 釈) 旅 籠 屋 小 花 淸 泉(定 型 詩) 山守がうたへる 河 原 芳 子(定 型 詩) 星 月 夜 淸 水 竹 意(短歌14首)
昔 の 秋 梅柳園 主人(短歌7首) す ゝ は き 稻 の 里 人(短歌16首)
落 月 記 三 井 殘 月(小 説) 炭 山 物 語 植 田 秋 山(小 説)
神 風(短歌11首:粟山親之・寺田憲・早川北汀・長柳義方・ 岡野雅一) 志 は す(俳句51句:香取・逸叟、下總芦田・櫻月、芦田・湖山、古河林・ 貞喜、松山・千及、興津・雪軒、根本・月堤、矢代・香耕、 沼田・晩翠、翠山、ナギ・素川、サイタマ・梅雪、下總芦田・ 鶯梅、龍ヶ崎・冷香、梅雪、シバサキ・鶴堂、ネモト・ 嵐石)
曲流舎糸川・春日庵極處 兩 吟 (短歌18首)
故 郷 湯 原 竹 外(散 文) 後の郊外の散策 常陸 淮 陰 居 士(散 文)
墳 墓 大和 吉 岡 水 蔭(散 文)
雨 常陸 靑 葉 子(散 文) 風 常陸 黄 葉 子(散 文) 千 代 女 廣 瀬 尾 山(散 文) 椿 仲 輔 傳 伊 藤 久 澄(漢 文) (付)仲輔の京に上るを送る歌 魚貫、潁則 霜 柱 柿本 赤太郎(短歌7首)
岸上香摘先生選 俳句28句、選者吟4句 短 歌 4首 高 柳 義 方、栗 山 親 之 漢 詩 2首 可 瀬 素 川 手 紙 (未至磨撲堂店より、川崎子より、From Mr.Okano、田口子より、 沼田子より、廣島・宮本兄より、朝倉・小川二君より) 言道の歌1首 明治三十九年度課題 二月 筆。朝。湊。 二月 櫻。風。燈。 …… 選評:詩文…草間臥雲先生、和歌…大橋文之先生、 俳句…岸上香摘先生 課題外の選評:草間臥雲氏、曲流舎糸川氏、穗波庵主人氏 次號豫告 手 紙 印 東 昌 綱 謝辭・志らぎく定價・奥付 (前号の紹介と同じく、「佐々木信綱」の「佐々木」の表記は、原文 のままにしてあります。この表記については、資料104「雑誌『志らぎく』 第1巻第1号について」に記述がありますので、ご覧下さい。)
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
巻頭に、次の佐佐木信綱氏からの手紙が掲載してあります。
佐々木信綱 菊紅葉秋をかさり候頃うつくしき 白菊御發行いかて白菊の千代にか をりゆかん事をいのり上候御祝ま て 早 々
次に、湯川貫一「小菊物語」があります。
小 菊 物 語 湯 川 貫 一 都にほど遠からぬ日暮里といふ所のいといぶせき草のいほりにあやしげなる翁と、らうたき少女と住ひけり。翁は日毎にこの少女をゐて都に出でゝ、その時々の草花をひさぐをもてなりはひとせり。少女の年は十まり五とせ六とせばかりなるべし。きたなきつゞれの衣をこそまとひつれ、みめかたちのうるはしきこと世にたぐひあるべしともおぼえず。たとへば玉の如く、はたその手にもたる花のごとく、如何なるやんごとなき姫君たちといへども中々にやさしかるべきにほひなりければ、見る人毎に、かゝる翁につけて、かくてのみあらんはいともあたらしきことゝいひてあはれむこと限なし。まして若き人々たちは殊にあはれがりて、名をとひ家をもとひなどすれど、答へまゐらすべきほどのものならずといひて過ぎゆくを、すきすきしき際はおひしたひつゝ、そがいほりに至りて物語らひなどするもあり。かくてこの噂、やうやうひろまりければ、都ぶりの、珍らかなるもの見おくれじとにや、人々の日毎夜毎に翁のいほりのほとりに集ひさわぎ、むかへて妻とせんといひよるものも數しらず。されど、如何なる故かありけん。とかくうけひくべうもあらず。この人々の中に、あるやんごとなきつかさ人の御子と、財寶あまた貯へたるわかうどとありけり。一日、この人々翁の家に例の如く音づれて、如何に翁よ汝が女をわれにつかはさば淸らなる殿の中に共にすみ、春は樂しき庭に手をとりて春の遊し、秋は高殿にならびて月をめで、よろづ心のまゝにかなはせん、汝はわが父にいひて、ふさはしき官にまけ、祿あまたかづけん。わが父は御かどの御寉、なのめならず、官位天か下にならぶものなきぞ。さりともなほいなといはんか、如何に如何にといへば、つかさ位はさこそあらめ、一度君の覺衰へなば如何あらん、昨日の淵もあすか川淺ましからん行末はなほ手のうちをかへす如くならんを、世は財寶多きにしかず、われは日本とはいはず遠き遠き國の極みまぎぬとも、わればかり富めるはあらじ、天は消え地ほろびなばこそわがたからも失せめ、如何に、われに嫁ぎて、天地の榮を占めずや、はやくいらへしね、それきくまでこゝをさらじ。かくはのたまふものか、げにことわりなめり、さまでのたまふをいなみ申さんはかしこし、汝が心はいかにとかへり見れば、この數ならぬわらはを、かくまでにおぼしたまはん御なさけのほど、嬉しさ身にあまりて、何時の世にかは忘れ侍らん。されど二人の御言皆理ありて、いづれへ從ひまつるへしとも定めがたし。いかでわらはが上は必ずおぼし忘れたまひてよ。わらはは世の常の人のわざをば、えしはべらじ。といとも打しほれ涙ぐみて語りけるが、えもいはず思ひなやめる面もちなるよと見るほどに、あなあやしきかも、奇しきかも、さしもうるはしかりし少女の姿は見る見るかはりゆきて、つひに枯れ果てたる小菊の一本の壁にすがれるを見るのみ。あまりのことに驚きて二人は、かたみに顔うちみやればこはそも、いつの間に千歳や經にけん、おのもおのも、かしらは枯野の霜の如く背は弓の如くかゞまりて、翁の姿もいつしか消えてはやあともなし。
次に、稻靑の「ふいとした事に家出や秋の暮」という句についての『俳句新註』の評釈が出ています。
ふいとした事に家出や秋の暮 稻 靑 ふいとした事は即ち家出する程の事でもないのに何か其時の氣まぐれに無鐵砲にも 家出をした事である家を出て旅に出て見れば流石に一人は物淋しく今更ら家へ歸る にも閾が高くて歸れず秋風看す看す暮れんとして懷に一文もなく煙草は喫めず腹は へる宿る所もなければ下駄の鼻緒が切れさうになる幾らか後悔の念も起つて肌寒さ も一入に思はれるのである。(俳句新註)
以下、少し転記しておきます。
旅 籠 屋 小 花 淸 泉 長き年月流浪して 旅に老いたるすゑ遂に 故郷へ急ぐ道すがら この山里の旅籠屋に きのふ宿りし翁びと ふるき枕を枕にて さびしき床の夢に見つ おそろしかりし過去の事。 富も位も取りつべく 朽ちせぬ名さへ得らるべし 花の都に疾くこそと 今夜やどれる若き人 樂しき未來夢に見つ 同じ枕を枕にて。
山守がうたへる 河 原 芳 子 雨、西風(にしかぜ)の時を得て 土は かぐはし女松山(めまつやま) 昨日(きのふ)も今日(けふ)も一昨日(おととひ)も 菌(きのこ)にくるふ 秋興や。
鼻(はな)のさきなる歌がるた 入亂(いりみだ)れてはとりとりに 手疵(てきず)負(お)ひしも面白(おもしろ)う 紅(あか)きものさへ仄見(ほのみ)ゆる。
『時代(とき)』の繪巻(まきゑ)を展開(ひらき)たる 神祇、釋敎、戀(こひ)、無常 心も空に 積日の うさはらす可き遊びとよ。
あゝ吾こゝに山守(やまもり)の 惠(ぐ)を省(かへりみ)る いとまなく 利の爲(ため)忍(しの)ぶ 木下(こした)かげ 味氣(あぢき)なき世(よ)の露を吸(す)ふ身(み)か。
星 月 夜 淸 水 竹 意
遠白くなびく尾花のかけ見えて 武藏野さむき星月夜かな 峯の鹿ふもとの砧とりとりに 秋を深むる山中の里 おもむろにみ簾はまかれつ萩殿や 月にすみ行く玉琴の音 來ぬ君をわびつゝ窓により添へは 傾く月に雁鳴き渡る 散り殘る堤のくぬぎ百舌鳴きて 行く水寒し依田の大川 ねくらゐる烏の夢もあらはにて 木末にさゆる冬の夜の月 木からしは吹きおさまりて月影の 霜になり行く夜半の寒けさ 冬かれしかやの枯穗をなびかして 吹く風寒し岡こえの路 むら時雨そゝぐ細江に舟やれば 簑もましろに芦の花散る 時雨來ぬはや黄昏れぬ門に立つ 御坊よ今宵宿まゐらせむ 見なれたる向の山も面白し 今朝はつ雪にうすけはひして さむけれど雪には窓をさしかねて 眺むる程に月も出てにけり たなつもの實りし十畝せまけれど 身を過すにはあまりありけり 名は願はす此山里に柴こりて 老いたる母に我は仕えん
昔 の 秋 梅 柳 園 主 人 從一位久我建通公より秋のみ歌あまた惠まれ ける返し 足曳の山田を守る案山子にも 惠みの露のかゝる嬉しさ 大僧正毘厄薩苔巖師より愛菊てふみうた惠まれ ける返し 絹きせし君が惠みに菊の花 千代の盛りの永くやあるらん 同師の虫聲非一てふ御詠の返し 野守すらしらぬ虫の音きゝわけし 君か心の奥そえならぬ 正四位津守國美男よりかつかつ玉詠を惠まれた るか中に秋の歌の返し 住む里の遠里小野の萩原に 夜半はを鹿の聲やきくらん 從五位夫人諏訪晴子刀自より秋野のみ歌惠まれ ける返し 諏訪の野の千種の花を惠まれて 千々に見れどもあかぬ色かな 從五位諏訪忠元大人のもとへ ひなの秋の歌送りける中に 家毎に秋のみのりを祝ひつゝ 酒くみかはすひなの豐けさ 一筋の利根の流れは靜かにて 常陸、下總稻の穗波うつ
す ゝ は き 稻 の 里 人 あしたには男神おりたち夕べには 女神まひまふ富士の神山 千僧の讀經の聲にまさるべし うくひすはやこ高崎の山 ながき日を花にくらしてかへるさの 風心地よき野の夕べかな 人の世のたゞ樂きを知れる君の 雨にちりゆく花を見まもる 人の世に友なきわれは今日も亦 若駒の群と春の廣野に 山里の友かり訪ふと梅雨の 雨間の風にふかれつゝ行く 妹をのせさ苗をつみてこぎ下る 里川つゝみ苺みのれり 我やどの樫の木かげに生ふる茸の ましろく淸くかをり高しも はたゝ神たつみの方にしづまりて 淸くくはしき虹あらはれぬ 遙かなる竹村にまで白妙の 綿なす雲のかけ走りゆく 村を出づる身をいなづまのたえず射て 北ゆく雲のすさまじき夜や とかまもつ指さき凍り晩稻かる 朝明小路霜置きにけり 遠方の山むらさきにくれそめて しもかれ村のゆふべしづけき 燈火のますます照りて寒き今宵 氷割る音のさやけくきこゆ とげとげし柊の葉の面白く つもれる雪にあさ日にほへり 遠々しかなたの岸にいつかつかむ つながれにたる舟よわが身よ
落 月 記 三 井 殘 月
(一) 十一月それの日、いさゝか快(こゝろよ)からぬことありて、麻の如く亂るゝ胸の、やるせなく狂ほしきに、少しは心のまぎるゝこともやと、常にもあらず幾杯かの麥酒に、辛うじて暫しの醉ひを買ひつ。されどそは、げに限りなく苦(にが)き醉ひなりき。 思へばわれ幼きより沈欝孤峭、人に容(いれ)られざる性(さが)のやがては恐ろしく身を呪ひ、人を恨みて、おのづから一夜を泣き明すことも多かりき。時を閲(けみ)し齡(よはひ)を重ねて、數(かず)多き場合と人とに遭逢しては、流石(さすが)に昔のごとき敢(あえ)なき思ひこそはせざれ、つもる年波は、何故(なぜ)かくも吾が涙をして苦きものとはなしけむ。 今宵==げに淋しき夜なりき。四人住みの友の二人は、ふと思ひ立ちたるやうに、夕ぐれ他の家に移り住みつ。殘れるは遠からず去るべき唯一人の友のみ。われは平らかならぬ胸をいだきて、更たくるまで夜着のうちに呻吟(うちうめ)きつ。げにも眠られぬ夜なるかな。 護國寺のなるべし、夜半打つ鐘の音冴えたり。 (二) 吾れはあまりの苦しさに、獨り寢床を起き出でつ。油すくなうして豆の如きともし火のかげに、默然として樗牛が「わが袖の記」を讀む。身は先づ彼れが編中のものとなりて、興うたゝ深きを覺えぬ。 あゝ彼れ今や則ち亡し。多き靑春の時代を去る僅かに一歩、未だ光明の門に入るに及ばずして、彼は逝けり。然り、苦かるべき煩悶の裡に彼れは逝ける也。 げに不可思議なるは人の生死かな。 神は人を造りて、また人を殺す。生命の長短、そも何の規る所ぞ。彼れ生前好んで死を説けり。而も身自から此境に至らんとは、流石にその際までも思ひ及ばざりけめ。あはれ片手落ちなる神の大御業は、常に斯くの如くなりき。諸人よ、惱みある人の子に強いる死の聲の、いか計り心なく無慈悲なるかを聞かずや。予は今眩然として泣ける也。 物におびえたるやうに悲しき聲を絞りて、今し一羽の五位は、西より東へと吾が頭上を横ぎれり。 我れはふと驚きて窓に倚りつ。 十三夜の月、露を帶びて物凄く、冴えたる面に初冬の幽寂を添えて、神秘を語るらむやうなる諸星の光り、凛として自ら敬虔の情に絶へず。 われは爽凉として胸の淸きを覺えぬ。 (三) 『星晨これ天の詩なるかな。汝の輝く紙面に於て、我れ帝國及人間の運命を讀む。我れ偉大ならんと感奮せる時は、吾人の歸向するところ、此の肉體を脱却して汝と同體ならんとするにあり。げに汝は美麗なり、又神秘なり』とは甞て詩聖バイロンがチャイルド、ハロルド中に述べしところにあらずや。然り吾れ自然を愛す。其美はしき微妙の大腹中に包まれて、一切の時間を忘れ、一切の系累を離るゝの時、わが心は常に云ふべからざる快を覺えて、うたゝ「有我(うが)」より「無我(むが)」に入るの感に堪へざる也。 あゝ吾れや生れて狂欝、毎に人と相叶はず。到るところ衝突多し。唯大自然ありて能くわれを容れ、よく吾がおもひを聞く。人は瑣少のことに忽ち豺狼と變ずれ共、自然のみは然らず。常に甚深なる愛情を以て我れを俟つ。我れに於て彼れは生ける也。あゝ自然よ、汝があたゝかきふところに眠るの時、吾れに慾なく、われに悲しみなし。 星も山も生けるにあらずや、岸打つ波は精神を有せざるか、露滴も洞窘も、 共に幽默なる涙を流すの情なきか。(バイロン) 然り、確かに我に於て自然は生ける也。星も月も木も草も、乃至は山も水も、吾が爲には皆朋友たる也。人間に友すくなき我れは、常に自然に向かつてこを要求す。自然は長へに温かなり。 あゝ、ネェチュアアなるかな。われは我が心の平らかならざるを覺ゆるごとに、常に自然に對してそを分かたんとす。何となれば、自爲は人間の容貌よりも、われに取りては親しければなり。 (四) 想へば四年の昔なりき。平日の欝結を斗升の涙にかへて、われひとり由津湖畔の草に埋もれ、消ゆるが如き殘月のかげに、心の限り泣きしことありき。 予や慰めを求むると共に、又自然に向つて泣くことを敢てす。幼なかりしより人の前に泣くことを好まざる予は只管自然の前にて泣けり。人は嘲り笑へ共かの自然のみは吾れを慰めて、ともに聲を同じうしければ也。 かくて吾れ自然に對すれば、自然は父母の如くに、吾れを愛し吾れをいつくしむ。吾れ常に稚き煩悶を起して、終夜眠らず人生の不可解を叫ぶの時、唯彼れありて、詢々其の誤まれるを説き、眞理ならざるを諭す。 懷かしの自然よ、わが父よ。われ汝が寂寞の中に獨座して、ひとり人生の終始を思へば、孤憤懷疑の雲忽ち散じて、嚴肅「無限」の感起り、眞理は我が體に溶解流入して、わが「本我」を淸め、人なく我なく世界なく、從つて又生死の輪廻なく、肉は溶け、骨は流れ、汪洋として天地の間に漲(みなぎ)るを覺ゆ。 恍惚虚遊のわが魂、此時大夢幻裡にかけ入り、蒼々の天に漲りわたれるは、 これ精靈自然の相を現するに似たり。(コルクツヂ) 噫この瞬間、この刹那、誰か又「我」を思ふの暇あらんや。 われは斯くの如くにして、常に自然のふところに眠る。 (五) あゝ人生の不可解、人間の疑惑、吾れいかで自然の啓示によりて之を解明することを得んや。されど自然は大なり。唯その大なるが故に我れ之に從ふ。然り不可解の中に妄從する也。其何の爲めなるかを問ふ勿れ、吾れは彼に向つて到底「否」を唱ふるの力だもなき也。あゝ大なる自然よ、なつかしき師父よ、吾れは今、此の愴寥たる初冬の夜に坐して、深く結ぼれたる胸の蟠りを解かむとす。 水の如き大空は、滿面の星に淸冽なる光りを與へて、月はいま西の森に落ちなむとす。夜は正に二時を過ぎたるらし。高等師範の建物いかめしく暗にそゝりて、街燈の光り、淡きこと豆のごとし。 やをら我が再び低頭して神に入りし時、物あり、羽音あらく屋後の森を過ぎて、あとは又一汐の寂寞に歸りぬ。 今宵==げに眠られぬ夜なるかな。
炭 山 物 語 植 田 秋 山
去年の秋の事であつた。我は腦を煩つたゝめ一月餘り中學を退いて能鹿の郷里に病を養つた、夏よりかけて照りつゞけた天氣は案の如く一秋を降り通したのである。二日と蒼空を仰ぐことができない雨空は一方ならず農民の胸を傷めた。しかし我は却て好ましく感じた。それは、どんよりと迫らず物靜な雨の日が病める頭腦を養ふに最も力があつたからである。醫師も堅く禁ぜしが憂鬱に傾ける性質は迚も書齋の一室(ひとま)で、心靜に服藥する籠居の緘默を改むることができなかつた。これも半月餘、腦の痛みが全く治するに至ては追々雨も厭はしく友も戀しい心地のする事となつた。それに秋の田舎ほど心せはしく物淋しいしいものはなからふ。磨臼(ひきうす)の響、籾うつ音の忙しいのはいはずとも、雲がとぎれて落日の影が一面に稻はぞにかゝるとき人も馬も野に驅けつけて村は空屋同樣なるが、留守の子守が唱ふ歌の暮方、柿の實を狙ふ鴉の聲、もう今は柱に靠て夜に入る妹等を迎ふ力なく感ぜられた。それも讀書の慰もあらばまだしも包みの底に取り遺されし一冊も數回繰りかへしたので其頃より藥瓶片手に友を訪問することゝした。友といふのも過半は鋤鍬に腕をよる少壯農夫となつたので今に竹馬の交情を保つは唯村の學校に敎職を奉ずる二三の友人のみであつた。十月も暮れた。農家一年の辛勞は全く倉に藏められた。立列ねた空はぞに秋風が單調な笛のしらべを奏する野原の蕭條なるに庭の楓の赤きが散つて泉水の緋鯉と共に底に沈んだ時いつの間にか雨に洗ひ曝れ滿山の薄紅色いよいよ褪せて峯續の林は篩はれたる如く梢まばらに落葉したらしく見えた。艶なる春景色のさることながら子供の時分より我は秋色に對して殆ど天性の如く多くの趣味を感じ茸狩、栗拾い、いつも獨で日を暮らしたので自詮自稱の秋山を名に負ひたるも全く秋の逍遙より得たのであつた。我はこの懷しい里の秋を數年中學に皆ゐたので今年の歸省を幸ひ飽くまで故山の秋色を探らうとこればかりは生々の希望であつたが、秋も將に盡むとするに勃々の遊意いよいよ抑ゆべからずであつた。それも十一月に入つて雨も晴れ上つたので或夜友を訪ひ是非にと促したが二言なく次の日曜を期して友は直に賛同を表した。腰辨當の一日を栗の刺殻に足を痛めて暮らすもつまらぬが、石動上に登つて天平寺の殘礎を尋ぬるは餘程興あることながら、これは迚も病る我の攀ぢ難き所でこゝかしこと場所を選んだ末思ひ浮べたる如く一人が八代炭山と手を拍ちたるに議が一決した。八代炭山とは我村より國境の胡桃原峠を越へて一里餘りなる越中磯部村の一小炭山である。そこへ通ずるに道が二條ある其一は荒山峠の險路なるが歸は其峠を越ゆべき考であつた。珍しくも雲なき夜の星影に明日の好晴を卜して心樂しく床に就きしが其日の朝は案の外なる空模樣であるにひどく失望した。しかし北の空に帶の如き蒼空が見えたので再び望をつなぎしが、見る見る薄墨の雲は南に流れて、我等が越べき山の彼方は旭の光に紫の彩を映じた如く思はしめた。用意を了へし頃書齋の窓を一面に日影がさした。昨日よりも快く晴れんとの事なるが、いよいよ草鞋の紐を手早く結んだ。友の三人は各洋服に雙眼鏡までの旅装十分である。我は制服に外套を着け手輕な採集箱を肩にした。これは鑛物などの標本もとめんとするのみならず磯部附近の多く現存するといふ穴居の遺趾を探つて其遺物を採集せんとの目的であつた、それは我中學のさる敎師の委嘱で、一半をさいて其喜びに誇らんとしたのである。村を離れて數丁爪上りの山路にかゝつた。峰までは半里たらず、羊膓たる落葉の下道を進んだ。山蔭に色淺き櫨の紅葉が露を染むる力もなげに殘れるが高き梢の二葉三葉それも今飛び立てる鳥の羽うちに散らされ益々眺めつきたる秋の惜く感ぜられた。秋に肥えたる鳥の一聲谿に落ちたる流のいさぎよく聞ゆるに松の葉末を縫ふて向の山腹にかゝる瀧のさま、一ツ々に迚も見馴れたる故山の風景とは思はれない。汗は流れ息苦しくなつたが、送迎に遑なき眼は病を忘れしめたのである。十時といふに峠に登りついた枯草に坐して身を横へ煙草燻しながら雙眼鏡を友の手より得た。雲は全く收まりて天は益々高く南に轉じたる日影は暖く我等の頭上を射た。峠の四邊は嵐に吹き亂れたる茅の茫々たるが眼を遮る蔭もないので、坐がら三州の山海を一眸の裡に賞し得らるゝのである。我は思はず起ちて愉快を連呼した。一罎の酩酒か吟吟の興をすすめて居た。越中灣は弓なりに藍を湛えたるが、一望の平野を隔て墨に靑を加へた一刷に畫筆に描き出されたるやうな立山々脈が南より東に引きたるが水も一つに模糊たる雲のぼかしに越後の米山は其の紺靑の姿を今日は見せなかつた。其黑き彩りに一條二條白くきわだちたる神通、射水の流で唐島、出島も釣舟の如き眺を浮ばせて居る。北には鳳珠の山遠く北洋の空に落ちたるが越中灣の全景を半に奪ひたる石動山を右に泉水のやうな七尾灣の絶景は手にとる如く白帆三つ四つ目睫の間に搖めきわたるのである。とりわけ西が晴れたので汪洋たる加能一帶の外海は金絲をまきちらしたともいふべく見る目眩(まばゆ)き此の風景に對して我ながら二旬餘の蟄居の怪しく感ぜられた。鹿羽の野を横ぎる汽車のこれも樣變はりて見ゆるにいつともなく眉丈山麓を廻りて影を沒した。上りは十時半といふに驚いて起ち上つた。こゝより下り坂の足も輕く深き谿を進んだ。陰森たる蔭路に歩を急轉するは甚不快なるべきことなるにかくと感ぜざりしは全く異境といふ考を以て滿たされたからであらう。狼などが襲ひくるやうにはざはざはと峯より風が吹おろした。雲が一ひら二片日影を掠めて行手の空に飛むだ、鎌持ちたる若者が物珍らしく我等を見送る萱山を過ぎて柿の實赤き山畠の畦を進むだが唯一ツの峯を背腹にかゝる遲速を來たすものかと打驚かされたのは木々の紅葉の猶散らで秋の色を留めたる一事であつた。胡桃原村を過ぎたときは道を失ひ、さる家の背戸へ入つたに主人らしき男が馬に秣(まぐさ)食ませたるが我等の姿を見てさも驚きたる如く見る見る顔を靑くした。道を尋ねたので漸く心を安めたやうであつた。我等を收税吏と見謬り濁酒の檢査なとゝ恐れしものか。思へばふきださゞるを得なかつた。道は深き谿に沿ふて通ぜるが新らしく修繕したる泥道の麁朶(そだ)を伏せたる所は格別踐み込む足を拔くに滿身の力を以てせねばならぬ、それに一歩誤らば轉び隨つべき危惧に足辷(すべ)らして汗を絞つた事が幾度であつたか。この危さも心にかけず鈴の音のどかに己も重荷の炭擔ひながら牛牽く男の道を譲るに態と横柄(わうへい)に通り退く友の素振の滑稽とは思はれなかつた。山一つ超て谿に架けたる橋を渡つた。北より二俣川の落ち合て淵をなしたるが黑き森を浸して濃き藍の色凄きが轟く渦のすさましう我等が倦みたる氣を醒まさしめた。數丁ならずとの敎に力を勵ましいよいよ歩を進めしが岨より小屋が見えた取り落された石炭の小塊も見出だされたのである。伐(き)り仆されたる材木に腰うちかけて煙草取りだした。雨の氣遣は非るも空の半は紛絮たる雲を浮ばせた。我等は坐せる傍への小き流に影を染めた若き楓の一本に眼を注いだ、その紅葉の又と得難き珍らしいので賞するといふより寧ろ驚きを以て先づ我を起たしめたのである。其刻みの深く細かなるに眞紅の色の燃ゆるはかりなるが或は黄くその彩りの一葉二葉に工(たくみ)を凝らしたる美しさ畫師の筆も及ばじとながむるに今更ながら自然の藝術の眞似るべからざるを感じた。おぞましくも我は根こぎにせんものと力の限り引きしが熊笹に根をかためたので迚もかなはぬに夕に惱める旅人の慰もあらうものと手を放ちしが惜しげもなくはらはらと散りそめた。餘りの惜しさに五葉六葉衣嚢(かくし)の裡に藏めた。それこそ第一の獲物と友の一人は我が採集箱を見て笑つたのである。石炭の香は遙かに薫した。十一時過であつた。削りたてたる山のきりぎしに道の通じたるがその下に木を以て坑口を組まれたのが三ツ四ツ穿れてある。坑に面して小屋が四五棟ばかり建て列ねられ其後に二俣川が岸に捨てられた黑き土塊を渫つて流れて居る。 我等は山の如く積みたる石炭小屋の右より事務所と標されたる板葺の一棟に刺を通じた。股引に藁はゞきのこれも黑光に汚れたる筒袖襦袢(つゝそでじゆばん)に手拭の端を捩ぢて額(ひたい)の眞向(まつこう)に鉢巻した坑夫がカンテラに火をつけたるまゝ又かとうるさげに我等を見返りこづら惡(にく)げなる鄙歌(ひなうた)うたひながら小屋に入(はい)つたのが見えた。少くも二三十は居ろふと思ふたに喧しき聲もせざるが坑口の空車も泥(どろ)の星せたるに今日は休日としられた。四十ばかりの赤ら顔のぶつてりと髯のぼうぼうしたる事務員の兵兒帶に木綿羽織のしだらなきが快く來意を聞取てくれた。 土瓶に煮たる番茶をすゝめながら炭山の起元、採掘高などゝ根ほり葉ほりの間に應じて一々叮嚀に答へ懸板の作業表迄示されたのである。『時間のひまがありますれば坑内に火をともして見物いたさせますが。それに今日は休業で坑夫も少ない、暗かろふが、カンテラで直ぐと坑夫に御案内いたさせます』と窓から撰んだらしく高聲に坑夫の名を喚び我等の案内を命するや傍の物置から汚れたる洋服仕立の古上衣(ふるうはぎ)古襯衣(ふるしやつ)を取り出し、『着物が汚れますから穢いですが、これをお召しなさい』と何からなにまで有難い心付けに我等は手早く上着を脱ぎすて胴衣(ちつき・ママ)の上に被(はほ)つた。甲斐々々しく我等の所持品を取り纏め戸棚に始末せられたので心せはしく吸ひかけの煙管(きせる)を叩き捨て事務所を出た。自分の樣は兎にかく手拭(てぬぐひ)にて頬冠(ほうかむ)りまでしたる友の頓興(とんきよう)な姿の可笑いのに滑稽な一人は草鞋の紐締めながらさも眞面目(まじめ)らしく『僕等も今から坑夫さんだ何分新參者だから宜しく願ひます、で今夜は氷見て奢りますよ』腹抱ゆるは坑夫ばかりではなかつた。後に立ちたる事務員は『能く似合ますよ。それぢや私もお相伴に預りませうハアヽヽヽヽ』とつぶらなる目付のどこまでもご愛嬌である。 我等はいよいよカンテラの光を生命(いのち)のしるべに五尺の體を案内の坑夫に任して暗黑なしかも崩壞の難多しと聞えし坑内に入ることとなつた。坑夫==温慈の日影に背きて奈落の底に生命股がけの鐡槌を振ふ坑夫といふ名に對して我は殘暴、陰忍の聯想を惹起してならなかつたのだ。渠等は社会に齒せられざる無頼漢が最後の一日を其職によつて許されたるものとも云ふべく、我は常に土の如く蒼ざめた頬の肉落ちて唯眼のみ物凄き渠等の姿を浮ばせたのである。ストライキを起した、鶴嘴で頭腦を打ち碎いたとは渠等に珍らしからざる事ながら、今我等の案内に立つた、酒よ肴と荒れ暮らす休業の一日も猶泥まみれの精勤なる三人の坑夫は實に意外であつた。中に挾まれたるは齡の頃十五六か大柄なれども七とはなるまい。他の二人は二十五六か。とりわけ殿(しんがり)として我が後に控えたるは色白く少しは憂を帶びたるやうなるが鼻筋の通りたる男であつた。何處の若樣としても恥かしくないのに冷たき地下の陰風にあたら靑春の花を吹きちらさうすとるはだうした運命のものか素性も卑しくはなからうにと我は心の底から憐に慕はしく顧みた。渠も力なげにうな垂れたのである。それは我一行に對して堪えぬ感慨(おもひ)を繰り返したのであつたらしい。我が注意を與ふるまで解けたる脚胖を結ばうともしなかつたから。カンテラの火は油煙を漲きらせ頻りに我等を促がすやうに見ゆる我等は勇しく眞中の坑に向つた。『おい吉田忘れずと鑛泉へも御案内申して呉れ』『はい』と事務員に答へたのは我後に立つた其男であつた。吉田とつぶやきながら又も顧みた。我が鋭敏なる神經は渠に向つて興奮したのであつたらふ。一足娑婆を遠さかる心地に進みゆく坑の高さの※にも及ぶが時々雫のひやりと襟元に落つる氣味わるさ、布きたる木呂に躓きて倒れむともするに吾等はカンテラふり上げて平氣である。五十間ばかりと思ひしが急に低くなりし天井の中腰にせねばならぬに肩にかけたる採集箱は云ふべからざる邪魔物であつた。幅狭き礦脈の表れしが質(たち)が惡いと問はず語りの説明は先に進む男の口からつきでた。坑は四通八達と穿たれてある。後も先きも見えないに魚貫して進む七ツの影の色なく映じ出されたるさい心細きに新らしく材木を頭上に渡せるは岩の崩れたる跡かなと物凄く仰がるゝ箇所が多いのである。坑内の蒸し暑さ、拭はさる汗は浴びせかけられたやうに流れる。胸も逼迫するかの如く感ぜられた。友の一人は堪えなかつたと見え。『頭痛がするのでもう堪らなくなつた、それに氣管支を煩らふてゐるので太層息苦しいから僕は歸らうどうかカンテラ一箇かして下さらんかな』と投げ出した。これは甚だ申譯的の言分なるが高く低く蟻垤の如く通じたるに路は自分一人で求むることの覺束なく危ふまれたらしく『君も病氣であるに我慢しちや惡るい、一所に歸らう』理をせめて誘ひしが我は應じなかつた。吉田は氣の毒げに、『おまへ後は私等二人で御案内申すからお送り申して呉れ』と年少坑夫を促した。渠は不興らしく友を率ゐて踵を返へせしが我等の元氣なきを嘲るやうであつた。我の病といふに如何に思ひしか手ごろの炭塊を拾ひ入るゝ採集箱に目を注ぎて、『邪魔になりませう、其箱私が持つて上げませう、いや何も其御遠慮はいりませぬ。さあ』と奪ふが如く我肩より紐をはづした。勿論反響を以て聞えたが朗らかに少し甲走(かんばし)つた其聲は去年の春肺の爲めに斃(たほ)れた我同窓の知己其儘の如く感ぜられた。帶の如く三尺餘りの礦脉は角を光らせて見事に表はれてゐる。『はい、五番のうちでも此の邊(あた)りの炭が最も質の良いのです』と一塊を我に呉れたので會釋(えしやく)して再び彼に渡した。其脈の絶ちし所に木を組みて坑を閉ぢたるやうに見えしが好奇心は我を驅つて其何たるかを問はしめた。『これから脈に沿ふて四五間ばかり地面の底へ坑が穿(ほ)られてあるのですがなかなか危險な事です。はい、空氣を送らねばもう行くことができませぬ、それに大層水がでまして良い脈だけれど暫くうつちやつてあるのです』我はいよいよ暖爐(ストーブ)を圍みて渠が得意の詩文を論じたる亡き友の姿を胸に浮ばせた。なつかしく語を交へしが其語の野鄙ならず訛(なまり)なき口づきに所のものではなかろふと考へしものゝ素性を問ふ暇がなかつたのである。此處から三番の鑛泉へ脱(ぬ)けるとの事であつたが渠が先に立つときはなるべく燈火を背にまはし後にあるときは指さし出して我が踉々(よろよろ)たる足元を注意し『危(あぶの)ふござります』とは常に我を勞る渠の親切であつた。坑も塞がらむばかり崩れ墮ちたる岩を取り除(の)けながら、『これに度々仲間がやられます、ついこのあとも……』胸は塞つたらしく聲を顫はした。我は又何心なく其一塊を拾つた。十年以前此の鑛泉が始めて發見せられた時此の八代谷の叔母より一罎贈られた事があつたが、かゝる靈泉の坑内に川をなして流るゝといふ噂には駭かざるを得なかつたが今又其豫想外なるに一驚を喫した。處々の岩壁よりにぢみいづる雫の、一滴、猶分時を要すべき至て小量のものなるに、少(ちい)さく穿(うが)たれたる池には泡さく酒の如く鑛泉が飴色に湛へられてある。かの空罎(あきびん)を忘れたのは殘念であつた、此の邊は坑内廣く且凉しく感ぜらるゝに暫く足を休めた、他の一人は蟾(ひき)の如く匍匐(はらばへ)ながら口づけに二口三口飲みしが眉うち顰めて『あゝ渋い』と舌鼓をうつた。我も物數寄に手で掬ひ上げしが。諫むるかの如く『あまり、たんと飲むと下痢しますからと』吉田は注意した渠は引きとるやうに。『なんで下痢なんかするものか、傷の大妙藥が、それにアルコホルをぶつこんで砂糖でやれば、まるで葡萄酒の味がする。月々罎詰にして東京へ送るがなんでも獸の毛を染めることができるさうだ。大抵なら猫や狐は變に染めこんで、へい、これは外國から渡つた何とかと山師どもが金儲の種となるのだろう、儲かりやせないでもせめて眞物の酒であつたら一杯宛ぐいと引かけやうに、見るたんびに忌々しい氣持がしてならん、はあ々々』笑つてきゝ居たる吉田は煙管に火を付けたるか『お吸いなさるならどうです』と我にすゝめた。話は酒に及むだ、例の友は吉田を顧みて『おまへさんもいくらしい顔付だが、其恰好なら五合位はぐいと飲みだろう、又飲まなきやならないさ』渠は『酒ツ!』と叫むだ。其答の冷かなるに五體は物に魔はれし如く顫はした。我目の誤りなりしか顔は甚だ蒼ざめて見えた。談は一轉して坑夫の勞働に移つた。我は可憐なる渠に表したる同情は慰むるより寧敎ゆるやうに『それは酷いにきまつて居る、日蔭の仕事に何時岩が崩れまいとも知れぬ危險があるから、いくら車牽くのがつらひといふたつて生命(いのち)投出しのこの仕事に較(くら)べる事もできまい。其代りたんと錢儲けができると云から、まあ折角働いて何か樂な職業に就かるゝのが得策だ、この元氣さへあつたら、又どんな事でもやり遂げらるゝに違ひない、それに體も丈夫らしいから餘程結構だ』と宛然老婆の兒孫を諭すやうであつた。これが靑書生の口からときけば如何に他の坑夫の面憎しと思ふたであつたらうか、兎に角渠は感謝の意を以て耳を傾けたやうであつた。此の時渠はふと一つの深き感懷を思ひ浮べたる如くほつと溜息吐きながら『何といふてもこゝで一生朽ちねばならぬのだから……』と沈みたる調子のつぶやくが如き有樣であつた。一足一足明くなるに理由もなく罪を許されたる心地せられて嬉しく坑内を飛びだした時、心の裡に事無かりし身を祝した。腰うちかけながら行厨の包を解いた。握飯を手にしたるまゝ見るともなしに仰ぎたるは軒裏に掲げたる墨新らしき『八代炭山救恤規則』であつた。何とはなく讀み了へし時齒の根を合はすことができなかつた。喫したる飯の冷たかりし爲のみでなかつたらしい。再び川に下りて嗽ぎ盛に火を焚きたる坑夫小屋へ這入つた。七八人の坑夫ががやがやと騷ぎ立つるに吉田のみは獨默然と立ち無言のうちに半は我に席まで譲つて呉れたのである。空はいよいよ曇りて、ばらばらと雨は板屋をうつた。既に二時に迫つたといふので厚く事務員に好意を謝し、僅かばかり捻つたる紙包を投げ棄て早々我等はこゝを立つた。羨ましげに此時坑口に向ひたる渠は鶴嘴(つるはし)も重げに我等を目送した。我も幾度かふり顧みた。雨は急に降り注いだ。渠は暗黑の坑内に飛び込んだのであるらしい。我等は荒山峠に向つてひらけたる谿を鑿ちし山坂を進んだ。新道といふのも名のみ粘土の泥田の如くなるに牛馬の踏み込んだ足跡は脚絆の半を沒するので、道ぎはを刈り込む笹の尖りに傷む足の痛みは却て忍び易ひのである、それに下駄で越した痕の見ゆるに魚淵の諺も面白く思ひだされた。降りしきる雨は霙となりて横さまに吹きつけるに先を趁ひ後を待つ力もなく濡れ鼠の如くちりぢりに危き坂を攀ぢた。風に奪はれじと蝙蝠傘の柄を一心に足元のみうち守る餘裕なき我胸にも頻に彼の坑夫の想像をくりかへした。雨の少しく晴れたるがむらむらと立ち上る霧の底に水音凄き谿を隔てゝ笠一蓋に餘所の嵐といはんばかり鼻歌男の芋掘る山畠の畦に横穴らしきもの數多見えけるが採集箱も用なきに友の冷語も聞いた事なれば一層雨の腹立しう殘念に堪えなかつた。峠へ半里計といふ一寒村の茶屋で何より火が第一の饗應と草鞋なから圍爐裏に體を暖め再び重き外套引き被り漸く峠の絶頂に登つた。荒山の二軒茶屋とは評判な眺望の所であるこれさへ今は冬籠のさびしきに七尾灣の風景も一面に垂れかゝる雲に隱れ右に聳ちたる石動山の雪となりしか峰の白々と影寒きが獨り升形山の廢址は近く暮秋の嵐に咽むで居た、二里餘の道に日を暮らし特に我が爲に設けた風呂の湯の沸きたつた時紐切れたる草鞋引きずりながら家に歸つた。夕食の膳に向ひ委しく物語せしがかの可憐なる坑夫につきては心のゆく所少なからざる想像を加へたのであつたらしい。五日程經て十一日の十三日我は中學に歸つた。 * * * * * * 年も暮れて寒中休暇となつた。歸省中我が從兄弟の越中から遙々訪ね來て呉れたのである。久々の事とてかれよこれよと立ち騷ぎしが我と同じく中學生なれば何よりの愉快と夜更くるまで膝を交へて語り盡した。金澤富山の市況、運動會の模樣など面白くはては數(ママ)師の品評(しなさだめ)とまで興を進めたが暫く語のとぎれた時、渠はパイプの吸殻(すいがら)を爐の絲で拂ひながら、さも秘密を訐(あば)きたる如く一(ひと)きは語調を強めて、『君例の話聞いたのか』と我の知らざるを寧ろ怪しみが如くなりしが、『なにを』と急に應ぜざりし我の答に其唐突なりしを漸く悟りたる如く『八代炭山の崩壞さ』と強いて調子の緩きを力(つと)めたるやうであつた。八代炭山と聞きたる我は『其崩壞がどうした』と鋭くせき込むだ。『知らぬか、大變可愛相な話だ、委しいことは言へないが、まあ一通りこういふのだ』感に迫つたらしく急に語を續け得なかつた。左の手で冷えた茶を一口にぐいと飲み干し『あの炭山に吉田といふ坑夫が居た』それを言はせず我は吉田と叫むだ、渠の驚きしも理なるが、『君知つてるのか』と訝かしげに漸く尋ねた、我は炭山見物の物語せしが點頭(うなづき)ながら口にしたるパイプの火の消えたりしを知らなかつたやうである、『うむ、矢張其男だ、確と聞かぬか十一月の十三日とかいつたが』我は『あの日!』とつぶやきたるを聞き取らず、『午後採堀の取りかゝるなりとの事であつた、地響するやうな音がしたので隣の坑夫が驅けつけて見ると崩れ落ちた岩の下にはやもうやられてゐたとの事である、その壓し潰された姿の慘酷な二目と見る事ができなかつたそうだ、見て來た人の話では無念そうに握つてゐた鶴嘴はどうしも放されなかつたとの事である、それに可愛相なは、君、後に殘された一の母親だ………』渠は咽むだらしく語はとぎれた。我も口返事が出なくなり垂れた頭を背けてそと涙を拭ふた嵐が一しきり吹きわたつて庭の松が物凄き音を立つるに首を締められたる如き靑鷺(あをさぎ)の聲は聞えた渠はパイプに火を點けた。『母親といふのが我子が死むだときくとなり狂ひだした、君無理はなからふ、杖とも柱ともたつた一人の我子に死なれては、可愛相なものじや、毎晩々々髮ふりさばいて文太郎々々々と坑の口で喚びつゞけるのだ、其聲がまだ耳にあるやうで思ひ出すと棘然(ぞつと)する』。 渠は其身の上に及むだ、其調子は甚だ沈むで居た。國は忘れたが、何にしろ上方のものだといふ事である、家は元立派な資産家であつたらしいが、父といふのが非常な酒呑みですつかりの飲潰した上惡事まで働いて監獄へ繋がれ、それも一月餘りで卒中とかで倒れて仕舞たそうだ、それに又妻がゐたそうだが中々の浮氣者で父の死なぬうち情父と出奔したといふ事である、そこで悲しいやら耻かしいやら合す顔もないので年よりの母を引き連れ夜遁げ同樣に少しのつてを以てあの炭山へ來たのは一昨年の暮とかいふ事だ、書(て)も立派にかいたといふが坑夫をやらなくとも二人口を養ふ位は何をしたつて容易(らく)であるのに態と名もない炭山を擇んだは屹度世間を憚るといふ心があつたからであらふ。それに坑夫といふ日陰の職を執つたのも云ふべからざる深意があつたに違はあるまい』これは深く耻ぢたる渠の口より洩れたのではないとの事なるが我はゆくりなく『一生こゝで朽ちるのと』つぶやきたる渠の姿を胸に浮ばせた。我は力なくシガレットの箱を手にしたまゝである。『君もいふた通り餘程すなほな、しかも辛抱強い男で仲間から嫉まれる程事務員の信用も厚かつたそうだ、誠にあはれな事ぢやないか。八代郷では寄るとさはると此の一つ話で誰一人泣かぬものはをらぬ、ところが坑の内で鬼火が見えたとか、掛聲で石炭掘る音がするとか評判がするうへ文太郎と母の泣き聲が谷から谷へ響きわたる物凄さに、晩方から小供などはちつとも外へ出ないのだ』。 と身を顫はせた。我も堪らず堰き上げた。油の盡きたるかランプの急に暗くなりしに窓打つ嵐のいよいよ吹き荒れて靑鷺の聲が又も更けたる空に一層さびしく悲しくきこえた。『もう磯部を通ふのがいやだから君の家へもゆきにくい氣持がするわ』小供らしき此の語に渠は『つまらない』と始めて煙草吹かしたのである。可憐なる坑夫が永劫(えいごう)の筐(かため・ママ)なる石炭の小塊はわが書齋の標本箱に黑く光を帶びて轉んでゐる、渠が暫しなりと肩にしたりし採集箱は壁にかゝつてある。我は怨めしき岩の一塊を力の限り庭の飛石目がけて投げつけた。今年の二月かの無慘なる遺族救恤義捐金(いぞくきうじゆつぎゑんきん)の募集廣告が北國紙上に表はれた時、其期限に後れざらんが爲め我は三册の書籍を賣り拂つて書生の身には不似合ともいふべき大金を義損した。炭山見物の折拾ひとりたる紅葉は愛玩の詩集に枯れたるまゝ猶血汐の色赤く挟まれてある。涙種ながら我は終生これを捨つる事は忍ばれないのである。 (完) |