資料238 雑誌『志らぎく』第2巻第1号について
雑誌『志らぎく』第二巻第一号について
『志らぎく』第二巻第一号
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昭和50年に発行された『茨城の文学史』(茨城県教育委員会・茨城文化団体連合/ 編)によれば、明治39年1月9日発行の『志らぎく』は第二巻第一号で、表紙は平福百穂が描いており、その中に、武石女羊、長久保紅堂、海老沢杉村、上軍岩治、滝田枕水らの執筆者にまじって、野口雨情が「二十六字詩」という文章を書いている由です。 |
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(注) | 1. |
「雑誌『志らぎく』第1巻第1号について」が、資料104にあります。 「雑誌『志らぎく』第1巻第2号について」が、資料236にあります。 「雑誌『志らぎく』第1巻第3号について」が、資料237にあります。 |
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2. | 平福百穂(ひらふく・ひゃくすい)=日本画家。本名、貞蔵。秋田県角館(かくのだて)生れ。川端玉章に学び、ついで東京美術学校卒。文芸雑誌や新聞に挿絵を描くとともに、无声会(むせいかい)、ついで金鈴社を結成。文展・帝展でも活躍。アララギ派歌人としても著名。(1877〜1933) (『広辞苑』第6版による) 平福百穂(ひらふく・ひゃくすい)(1877-1933)=日本画家。秋田県生まれ。本名貞蔵。画家平福穂庵の子。独自の南画的な風格ある作風。また新聞に時事漫画も寄稿。アララギ派歌人としても知られる。代表作「予譲」、歌集「寒竹」 (『大辞林』第2版による) |
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3. | 武石女羊(たけいし・じょよう)=明治11年(1878)、那珂郡勝田村勝倉(現・ひたちなか市勝倉)に生まる。本名、如洋。飛行家武石浩玻の兄。河東碧梧桐の門下。野口雨情とも交遊があった。本業の医師の傍ら「いはらき」や「常総新聞」の俳壇選者を務めた。はじめ女羊、のち如也芋と改号。 (『茨城の文学史』によってまとまたもの) |
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4. | 『志らぎく』第二巻第一号は、まだ現物を見ていないので、内容について詳しく触れることができません。どこかで見られるといいと思いますが、まだその所在が確認できていません。 (2024年6月24日現在) | ||||
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平輪光三著『野口雨情』(雄山閣出版、昭和32年9月1日初版発行)から、「志らぎく」掲載の雨情の「二十六字詩」に関する部分を引用しておきます。 又、当時は、「万朝報」によつて「俚謡正調」が盛んに行われ、明治三十八年五月には長沢守太郎編の「俚謡正調」が出版されたが、雨情がこれ等の雑誌、特に「明星」や「文庫」に親しんだであろうことは想像される。然し、その作品を発表した機関紙については残念ながら知ることが出来ない。唯茨城県長戸村の宮本長之助が編集発行人となつている明治三十九年一月の「しらぎく」という文学雑誌に「二十六字詩」と題して雨情が俗謡を論じ、その蒐集の多くを発表しているのは興味深い。その中で雨情は「二十六字詩形を詩としての詩的価値に至りては濃厚なるあり艶麗なるあり、優雅なるあり純僕素野なるあり詩趣津々として情緒纏綿として漢詩、新体詩、和歌、俳句、其他謡曲等の遠く及ばざるものあり」と言つているが、新体詩、短歌、俳句の近代文学勃興期の唯中にあつて、雨情が如何に民謡や俗謡に打込んでいたか知れるのである。(同書 p.47〜48) |
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6. | 雑誌『志らぎく』の所在について 現在のところ、次の4か所に保管されていることが分かっています。 『志らぎく』第二巻第一号は、現在のところ所在不明です。 (1)東京大学大学院法学政治学研究科附属近代日本法政史料センター (明治新聞雑誌文庫)……第一巻第一号の雑誌とマイクロフィルム (2)成田山仏教図書館…………第一巻第一号〜第三号の3冊 (3)東京都立大学(旧首都大学東京)図書館……第一巻第二号・第三号の2冊 (4)茨城県立図書館……………第一巻第一号のマイクロフィルム (2020年4月1日現在) |
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7. | 『東京大学大学院法学政治学研究科附属近代日本法政史料センター(明治新聞雑誌文庫・原資料部)』のホームページへは、 → 近代日本法政史料センター(明治新聞雑誌文庫・原資料部) なお、『東京大学OPAC』に、『志らぎく』第一巻第一号の蔵書目録があります。 →『東京大学OPAC』で、「志らぎく」と入力して検索。 |
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8. | 成田山仏教図書館は、(財)成田山文化財団が経営する公共図書館です。 新勝寺の傍らにあります。 「成田山仏教図書館 逐次刊行物目録(雑誌・新聞)」の中に、『志らぎく』の目録が出ています。 シ306 志らぎく 1−1〜3(M38.9〜12) また、「蔵書検索」で、「その他(一般書の論文・記事や一般の雑誌、新聞など)」を選び、「志らぎく」と入力して検索すると、『志らぎく』の目録が出て来ます。 シ306 志らぎく 1−1〜3(M38.9〜12)白菊発行所 |
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9. | 『東京都立大学(旧首都大学東京)図書館』のホームページの記載は、下記のとおりです。 → 『東京都立大学(旧首都大学東京)図書館』の『志らぎく』の記載 |
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10. | 『志らぎく』の中に出ている、稻の里人・穗波庵主人・宮本秋光は、すべて発行者・宮本長之助の別名(号)です。「秋光」は、「ときみつ」と読ませたようで、時には「宮本ときみつ」とも名乗ったようです。 ※ 宮本長之助 明治18年(1885年)3月15日、父・丑松、母・もとの長男として茨城県稲敷郡長戸村大字塗戸2055番地の1に生まれる。明治36年(1903年)、同じ塗戸の湯原武吉の長女・かつと結婚。自宅で雑貨商を営むかたわら、短歌・俳句などをつくり、一時、短歌結社・竹柏会(「心の花」)に加わる。明治38年(1905年)、文学雑誌『志らぎく』を発行。昭和29年(1954年)10月5日没。享年69(数えで70歳)。 |
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11. | 『志らぎく』を印刷した印刷所・三秀社については、資料104の「雑誌『志らぎく』第1巻第1号について」の注をご覧ください。 |