『志らぎく』の第2号は、明治38年11月9日に発行されました。表紙は第1号と同じ白菊の花の絵で、第2号の「本号要目」には、「表紙 平福百穂」とありますから、創刊号を出すときに表紙絵を平福百穂氏に依頼したことになります。
本號要目 四 つ の 緒 佐々木 信綱 山 の 神 高 橋 刀 畔 漢 詩 草 間 臥 雲 影 法 師 曲流舎 糸川 泣けり恨めり而して狂せり 東 白 蘋
秋 の 聲 河 原 芳 子 一 本 松 三 浦 守 治
秋 風 菅 野 眞 澄 山 住 山 田 源 子
俳 句 長 塚 節
夕日のなごり あ ざ み 美 女 ヶ 峰 東 志か子 表 紙 平 福 百 穗
ここで、主要な項目だけでなく、すべての内容を題名・作者名・(内容)の順に記しておくと、次のようになります。 四 つ の 緒 佐々木 信綱 (短歌7首) 山 の 神 刀 畔 子 (小 説) 漢 詩 草 間 臥 雲 (漢詩3首) 平 和 末 廣 英 子 (散 文) 影 法 師 曲流舎 糸川 (俳句7句) 泣けり恨めり而して狂せり 東 白 蘋 (小 説) 秋 の 聲 河 原 芳 子 (短歌6首) 一 本 松 三 浦 守 治 (短歌7首) 秋 風 菅 野 眞 澄 (短歌7首)
山 住 山 田 源 子 (短歌16首)
俳 句 長 塚 節 (俳句15句)
夕日のなごり あ ざ み ( 詩 ) 月 夜 訪 友 安江 嘉名吉 (散 文) 虫 松 田 敬 隆 (散 文)
岸上香摘先生選 俳 句 草間臥雲先生選 漢 詩 穗波庵主人選 短 歌 稻の里人選 散 文(秋夜虫聲をきく 松露子) 『俳句新註』より 「鷄頭の皆倒れたる野分かな 子規」 いばらき歌壇(杉村 7首) いばらき俳壇(16句) ほととぎす (16句) あしび (5首) こゝろのはな(5首) 秋 夜 雜 吟 小 林 龍 陵 (漢 詩) 桐 一 葉 西 村 天 風 (散 文) 亡 友 を 思 ふ 松 露 紅 月 (散 文) 晩 鐘 虚 心 (散 文) 志 も つ き (18人の俳句33句) 日本魂を哲學的に觀察して日本の天職に及ぶ 常 陸 東 涯 蝉 史 (散 文)
孫 紿 桓 の 漢詩 (1首) 祝白菊發刊 (12人の短歌・俳句・短詩) 美 女 ヶ 峰 東 志か子 ( 詩 ) 猿 と 蛸 川 口 南 涯 (散 文) 雑誌白菊発刊を祝う漢詩1首(小林龍陵)と短歌3首(新井千湧) 初 雁 栗 山 親 之 (短歌7首)
(「佐々木信綱」の「佐々木」の表記は、原文のままにしてあります。 この表記については、資料104「雑誌『志らぎく』第1巻第1号について」
に記述がありますので、ご覧下さい。)
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ さて、もとに戻って、「本號要目」の次のページに、第1号と同じ『歌集思ひ草』と『美文韻文 そなれ松』の広告があり、その次のページに「小川の胃病丸」の広告があります。 その次がページ「一」となっていて、ここに「志らぎく 第壹巻第貳號」とあり、佐佐木信綱氏の短歌7首が「四つの緒」という題のもとに掲げられています。
四つの緒 佐々木信綱
かへりみれど都は見えず四の緒の ふくろつめたし馬の上の月 波の音眠るに似たる夜(よる)の磯に そぞろ思ふかな天つ神代を 貧しければ汝(な)が身よそはむ錦あらず わがまごころぞ汝が身つつまむ 月に醉てわれわが歌を誦(ずん)ずれば 木人うたひ石女立ち舞ふ 庭鳥もいまだうたはず遠浪の 音かすかなる秋の寢ざめや 天の川星のあふ夜を荒海の 荒浪さわぐ船の上にわれは 石をひき土をはこびて村人が いそしみ建てし師の君の家
次に、刀畔子の「山の神」があります。
山の神 刀 畔 子 ………ハイ、ハイ、何(ど)うせ妾(わたし)は嬶左衛門(かゝあざゑもん)、口の惡いは生れつき、ヱヽ、何ですつて憎らしい、這(こ)う見えても憚樣(はゞかりさま)、土左衛門(どざゑもん)や團左衛門(だんざゑもん)の娘ぢやあありませんからね、さうお安く扱つて貰ひますまい、第一所天(あなた)といふ人が薩張(さつぱり)譯が分らないから、幾何(いくら)お心よしの妾(わたし)だつてさうさう默つてばかりは居られませんわ、まあけふといふけふは、些(ち)とお腹(なか)の減(す)くほど言ひますよ、……ハイ、言ひますとも、てんで所天(あなた)は何とお思ひか知らないが、彼(あ)の自轉車丈(だけ)は廢(よし)て下さい、馬鹿々々しい、このせち辛い世の中に、如彼(あんな)物に乘つて、用もないのにほつき歩くなんて事があるもんですか、それもお錢(あし)の掛(かゝ)らないもんならまだしもですが、買時(かうとき)にはしこたま取られておまけに毎月(まいげつ)毎月、何圓といふ程、やれ油だ修繕費だつて掛(かゝ)つた上に、税金まで取られてさ、きのふも又彼(あ)の自轉車屋から直し賃だつて取(とり)に來たではありませんか、妾(あたし)が裏で洗濯して居ると、何でもハンドロとやらを損じた修繕費が、一圓では高いとか安いとか彼(あの)小僧と言合つて居たでせう、何(なあ)に隱しても整然(ちやん)と知つてますよ、何です八十錢に負(まけ)させたつて、それ御覧なさい、八十錢あれば縮(ちゞみ)か何かで小薩張(こざつぱり)した物の一枚は引張れるといふもんではありませんか、本統に女は詰らないわ、朝から晩まで眞黑になつて、それ御飯の支度だ、それ洗濯だ縫物だつて片時休まず働いて居るのに、やれ遠乘だ競争だなんて、愚にもつかない眞似をして、其度(そのたんび)に帽子(しやつぽ)が新しくなくては景氣が惡いの靴下は毛糸に限るなんて贅澤を並べてさ、所天(あなた)、女房(にようぼ)子供は何(ど)うなつても、彼(あの)道樂には代へられないんですか、馬鹿々々しい見つともない、お尻端折の風を切つて猫背になつて駈出した工合(ぐあい)は、團珍(だんちん)がなけりあお尋ね者でさあね、着物の脊筋が脹らんで、母衣武者(ほろむしや)の出來損ひ見たやうな姿で、駈競(かけくら)するのがなんで那麼(そんな)に面白いのでせう、それに此節(このせつ)では、丸で夢中になつて、呆痴(こけ)が三味線引いたやうに、ペンペンとかチヤンポンとかになつたとかならないとか、あの喧(さは)ぎは一體何事なんです、………ヱヽそりやあチヤンピオンだつて、那麼(そんな)名なんか何だつて構ひやしませんわ、やれ着物が綻(ほころ)びた、袖口が汚れた、裳(すそ)へ油が着いたつて、まあ其(その)始末は皆(みんな)誰の手に掛(かゝ)ると思召(おぼしめ)す、本統に厭になつちまうわ、それも綻(ほころび)や汚れたのは、少し面倒な思ひさへすれば元の通(とほり)になりますがね、所天(あなた)、あれを始めてからといふものは、皆(みな)身裂(みざき)ですから驚きますわ、どれ一枚として無疵の物つたら無(ない)ぢやあありませんか、此間の袷(あはせ)なんか酷いわ、裳(すそ)の兩端が丸で寸斷(ちぎれ)て形(かた)なしなんでせう、あれでは何(ど)うにも手のつけやうがありやしません、些(ち)とは妾(わたし)の身にもなつて考へて下さいな、洗つて張つて縫つて、一枚手を通すやうにする迄の、其苦辛は生はしたな事ではありませんよ、ほだ穴と鍵裂(かぎざき)は最(も)う最う眞平(まつぴら)ですわ、ほだ穴といへば所天(あなた)のやうに煙草(たばこ)の嗜好(すき)な人も又珍らしいのね、家中の疊から座布團皆(みんな)穴だらけでせう、刻(きざみ)はよし西洋莨(たばこ)は御坐(ござ)れ巻莨結構と、宛然(まるで)噛(かぢ)るやうなんですもの、それ御覽なさい、今朝妾(わたし)が美麗(きれい)に掃除したばかりの煙草盆が最(も)う是(これ)ですもの、溜(たま)りごつちやありやしない、それそれ其灰が今膝へ落ちますよ、言つてる尻からあれですもの、……ですから何も其程嗜好(すき)なものなら、丸つきりお廢(よし)なさいではないんですが、些(ちつ)と氣をつけて燒穴(やけあな)の製造を扣目(ひかひめ)にして戴きたいといふんですわ、あれ其(その)蝋紙を又火の中へ燻べなさる、おゝ厭な香(にほ)ひ、妾(わたし)其香(そのにほひ)臭(か)ぐと何だか這(か)うむかついて來ますわ、……當然(あたりまへ)ですわね、其上に所天(あなた)御酒(ごしゆ)まで飲(あが)つて管(くだ)でも捲かれた日には、何うしておたまり小法師(こぼし)があるもんですか、それに又今度は寫眞器械を買ふとか、買度(かひたい)とかいつて被入(いらつしやる)さうですが、何處(どこ)を押せばそんな音(ね)が出るんでせうね、自轉車丈でさへ最(も)う妾(あたし)はくさくさして、是非廢(や)めてお貰ひ申度いと思つてゐるのに、串戯(じやうだん)ぢやありません、此上そんなものまで始められて、やれ暗室がさうまへつたとか、光線が這(こ)う來たのとやられて何(ど)うなるもんですか、其次は屹度(きつと)犬を曳張(ひつぱ)つて銃砲(てつぽう)を擔ぎ出し度(た)くなるんでせう、ね所天(あなた)はそれでも能(い)いとして、妾(あたし)や子供を御覽なさい、お盆が來(こ)やうがお正月が來(き)やうが、つひぞ一枚新しい衣物(やつ)を着せやうぢやなし、世間ではやれお花見の、湯治のつて粧(めか)しこんで出掛(でかけ)る中に、いつも家(うち)にばかり燻りかへつて、芝居一つ見るんぢやなし、如何(いか)に子供等だからつて可哀さうぢやありませんか、それに些(ちつ)とも同情(おもひやり)がない、車の油一個買ふ丈の錢(おあし)があれば、昇(のぼる)にだつて新しい帽子位は買つて遣(や)れませう、お粂(くめ)にだつてね、護謨毬(ごむまり)の一ツ位適(たま)には遣(や)つても、格別罰(ばち)もあたりやしませんわ、それを御自分さへよけりや他(ひと)は何でも構はぬでは、餘り酷(ひど)いといふもんです、何でも此節の身上仕舞(しんしやうしまひ)の三道樂は、自轉車に寫眞に銃砲(てつぽう)だつていふことですが、所天(あなた)も御多聞には洩れないんでせう、せめて所天(あなた)がお一人へかゝる半分丈あつて御覽(ごらう)じろ、二子(ふたり)を連れて成田參詣も出來るわ、大森あたりへ海水浴にも往(い)けますは、歌舞伎座と明治座と東京座と本郷座と……ほゝゝ先(ま)あ芝居は其位にして衣服(きもの)だつてね、嗜好(すき)法題だわ、粹(いき)な明石縮(ちぢみ)か何かの單衣(ひとへもの)だつて買へるわ、繻珍(しゆちん)の帶だつて買へるわ、絽縮緬(ろちりめん)の長襦袢だつて、白ちりの腰巻だつて、おゝ下駄だつて、蝙蝠傘(かうもり)だつて、櫛だつて、簪(かんざし)だつて、根掛(ねがけ)だつて………ねえ所天(あなた)さうでせう、……おやおや呆れちまいますよ、人に酢(す)くなるまで口を利かせておいて、お伽噺(とぎばなし)でも聞(きい)てるつもりで、睡つてしまつたんですね、今日は些(ち)と身に泌(し)みてお聞きになつて下さい、よ所天(あなた)所天てば、………完
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注: |
文字を太くしてある所(「ほつき」「しこたま」「ハンドロ」など)は、原文に傍点の打ってある部分です。なお、平仮名のくりかえし符号(「く」を縦に伸ばした形)は、普通の仮名に直しました。漢字のルビは、必要と思われるものだけ( )に入れて示し、他は省略しました。 |
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次に、草間臥雲の漢詩が3首(「吊某戰死者」「讀某雜誌」「投稿述懷」)があります。
漢 詩
草 間 臥 雲 吊某戰死者 獻身報國。壯烈長存。聖恩優渥。惠及後昆。譽周郷黨。
名達帝 。榮寵是極。千載弔魂。 讀某雜誌 有李有梅兼有櫻。墨痕流麗筆華淸。雄文卓説都如沸。 雜誌界中誰得爭。 投稿述懷 三十餘年擲世榮。靜閑沈默送斯生。將持拙什汚高誌。 只買狂狷迂腐名。
(「 」の漢字は、島根県立大学の“e漢字”を利用させていただきました。)
以下、転記しておきます。
平 和 末 廣 英 子
世に戰あるをもしらぬ村。爭ひなくものごひもなきこの村。 松茸多しといふ向ふの山に日影おちて、村に一人の醫師の家の銀杏に、百舌 せはしうなき立つれば、家なるは、梭おきて夕餉とゝのへ、畑なるは鍬洗ひ て樂しき家にぞ歸る。風は雪の如き蕎麦畑をわたりて、末々とほく戸毎の煙 をぞなびかす。 追分の節おもしろう、蓼の花ちるあぜに、來かゝりし若き農夫。 鍬をおきて村をつゝめる黄金の浪を目もはるにながめぬ。よろこびの光兩の 眼にかゞやき、滿足の色身のうちを漲るらむ。あはれ尊き姿、占領せし壘に 立ちし勇士の嬉しげなる面わには、いづこともなく凄愴の色をぞ帶ぶべき。 俄に多くのこがね得し人のよろこびの顔には、底に卑しきおもひそめるなら むを。あゝ神ならで何の似べき彼が姿。 水の如く澄みわたりし空は桔梗色に、あたりの山やうやうむらさき深うなり ぬ。再び唄聲おもしろう歩み出しゝ彼が目のゆく處、愛らしき子まてる無果 花のかをりよき門、若きつまが夕餉とゝのふる傾きしわが家。 注:「底に卑しきおもひそめるならむを。」とあるのは、「底に卑しきおもひひそめ るならむを。」かとも思われますが、原文のままにしてあります。
影法師 曲 流 舎 糸 川
明月や水田にとりの影法師 子福者の睦み合化李月の友 はつと香の立や花野の通雨 柴築きの 竈戸崩れて 蟋蟀 朝日さす梢に鵙の高音かな 赤らみし柿に古風な在所哉 鹿なくや風に流るゝ聲の尻
泣けり恨めり而して狂せり 東 白 蘋 彼は泣けり、彼は恨めり、而して彼は狂せり。彼の泣ける、何がためぞ、彼の恨める、何がためぞ、あゝ彼の狂せるは遂に是何がためぞや。僕は之を語るに忍びざる也。然れども之を語らずんば、彼は到頭一種の狂人として社會より葬られ去らむ。是吾人の情に於て堪へ得る所にあらざれば也。 金絲銀絲の縫模樣、花の振袖色香ゆかしき人生の春は、彼が十六の時に來れり。豐頬明眉、人は彼を見るに國色を以てせりき。彼の唇頭破れて、一とたび應諾の聲を漏さば、彼は正に輕軒香車の裡、玉を炊ぎ、桂を焚くの身となり得たるべしと雖も、彼の當世に快からざる、人爵を土芥視し、黄金を糞土視して、只管に天の榮光(ほまれ)と、神の恩澤(めぐみ)との其上に在らん事を希へり。 明けぬ、暮れぬ、一陽來復して彼は茲に十七となれり。美益々美に、麗愈々麗也、婚嫁の端は四方より啓かれんとせり、然れども彼は之を拒絶せり、人は是に於てか怪訝の目を※(目+爭)れり、讒罵は亞いで口を衝きて出でぬ、曰く、彼は天刑病の血統を傳ふと。 あゝ彼は果して惡血の遺傳者なりや、彼は果して天刑病を有するものなりや、否々彼は天刑病を有するものにあらず、惡血を遺傳せるものにあらざる也、何を以てか爾か言ふ、乞ふ彼の常に一笑に附して顧みざるを見よ、 是れ何ものも打ち勝つべからざる大なる證據にあらずや。 一夜、月黑く、星飛ぶ事頻り也。天妃山下濤聲急にして陰火沖に燃ゆ。彼乃ち出でゝ白沙の間を逍遙せり。偶々一怪物の彼の脚下に横たはるを認む。熟睹すれば是れ乞丐也、彼に向つて告げて曰く、阿嬌いづこより來りていづこにか去らんとする、浮生恰も輪廻の如し、遂に解脱すること能はざる也。心せよ阿嬌と、 呵々大笑して其之く所を知らず。彼、悚然として戰ぎ、惕然として襟を正しうし、而して涙數行下る。 歸來、豁然として大悟する所あり、眼を閉ぢて物を視れば歴々として形象を指點すべく、耳を蔽ふて物を聽けば瞭々として音節を分解すべし、彼思へらく、われは神に入れりと、然り彼は神に入れる也、唯夫れ彼は神に入れりと雖も、此時より彼の心中一個の蟋かるものあるを覺えたり、乞丐を戀ふの心、即ち是れ。 彼は乞丐を求めんとして、人を四方に走らしめぬ。得ざる也。彼は神託を得て乞丐の所在を知らんとしぬ。亦得ざる也。彼は煩悶せざる能はざりき、懊惱せざる能はざりき、昏轉せざる能はざりき、徹底の大悟畢竟するに元と人爲のみ、終に何の要ぞ、あゝ已みなん、あゝ已みなん、あゝ已みなんかな。 天に愬ふるも、天は冷々たり、地に愬ふるも、地は寂々たり、地は濶く、天は高し、此間に立ちて彼は飽くまでも泣けり、飽くまでも恨めり、而して遂に狂せり、空しく羸ち得たるは狂人(きちがい)お千代の異名?! 狂乎、狂乎、狂人の言は直に天を語るものにあらずや、お千代の狂せる、何等か神契默念の存せるにあらざるやを疑ふ。 狂人お千代、斯くの如くにして幸に埋沒せざるを得む。
次に、河原芳子「秋の聲」(短歌6首)、三浦守治「一本松」(短歌7首)、菅野眞澄「秋風」(短歌7首)、山田源子「山住」(短歌16首)があります。
秋 の 聲 河 原 芳 子 『適(かな)へり』とほほゑみましし親は在らず 君に別れしわれはみなし子 參ぜよと禅にすすめしいもうとの 山に入る日を秋風の吹く 石笛に秘うた吹かん夕くれを 魔性や蟇のわが息奪ふ 法華經の淨寫五度ことをへて 君の初七日懺悔せん霄 なくや虫露深草のゆふやみに 秋野の女神うちふしおはす 手をとらせ岩角つたひ濱に出でて 月をめでばや胸ひらかばや
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一 本 松 三 浦 守 治 富士のねを吹越る風富士の嶺を 越えて何處の國にゆくらむ み怒にふれて戻りし門のべに 笑みて迎ふる我子悲しも まこと此胸たちわりて見すべくば 見せばやとおもふ我心かな 短檠に油そゝぎて文のうちの 昔の友を又もとはばや 草の庵一瓢の飲に事足りて たのしくもあるか人の此世の ともなひし月に向ひて足洗ふ たらひの下のこほろぎの聲 今日か明日か碎かれつべき岩角を 根ざしにたてる一本の松
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秋 風 菅 野 眞 澄 一言のいひあやまりを疑ひて 疎くも君のなりませるかな 君と住むうまし島山神ならば つくりてましをうまし島山 學び屋にかよふ朝々まちあひて 打ちつれゆきし追分のもと 老ませる父をやすめむすべをなみ かしこし鍬をなほとらせまつる 今もなほ君が言葉の耳にひゞく 望とげずば歸りますなと 業ならむ其折をとてふる里に われまつ親をいつか安めむ 故郷の母の長息(なげき)もこもるらむ この秋風のいたくかなしき
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山 住 山 田 源 子 胸に泣きこゝろになけと笑ふへく 世にしひられて十年すきにけり 人の世になみたのなくはこの思 このかなしさを何にもらさむ 君のなさけうたかふとにはあらねとも いつはり多き世の中にして 涙多き吾身と知らは心して つれなき人はおもはさりしを ねたる間を忘れてあれといのりしも 夢にはなれぬわかおもひかな 君なくは生(い)くるかひなしとなけきしを あはれ五年はやすきにけり なきてうらみさきてすてたる文を今 ひろひあつめてまたも讀むかな 道の邊にふみにしられて蒲公英の さくにも似たるわか世なる哉 うきおもひ思ひよはりてなく虫の こゑより細きわかこゝろかな いまさらに悔改めむ時ならす 戀は吾身のいのちならすや わか窓に見ゆる城山たそかれて 雨になるへき入相の鐘 すくふより救はれぬへき其身もて 法の道とく人もありけり いつくまて送りたまふもかなしさの 別はおなしこゝに別れむ わか母のかたみの衣そのまゝに 似合ふとしにもなりにける哉 鍬洗ふなかれに咲ける萩の花 あすは親の日折りて手向けむ 空に浮く雲と見すてゝ人の世の 富も願はす山住の庵
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その次に、長塚節の俳句が15句出ています。
俳 句
長 塚 節 藁灰に莚掛けたり秋の雨
豆引いて莠はのこる秋の風 わかさきの霞か浦や秋の風 蓼の穗に四五日降つて秋の水
此村に高音の目白捉へけり 鳴きもせて百舌鳥の尾動く梢かな 柿赤き梢を蛇のわたりけり
芝栗や落ちたるを拾ひ枝を折る 芭蕉ある寺に一樹の柚子黄なり 一うねは桐の木蔭の黄菊かな
わせ刈つて鷸の伏す田となりに鳧 杉間や朗かにして櫨紅葉 茸狩や櫨の紅葉に來鳴く鳥
足もとに光る茸や夜山越え 稻を扱く藁の亂れや赤蜻蛉
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次に、あざみ「夕日のなごり」(七五調の定型詩)、安江嘉名吉「月夜訪友」(文語短文)、松田敬隆「虫」(文語短文)があります。
夕 日 の な ご り あ ざ み ゆふ日のなごりきえうせて いたりわたれるやみの中に 木々のこずゑはひとしれず こころぼそげにさわぐなり
見よやかなたのをかの上に よそほひいでしつきのかげ やさしき光に こずゑ みな
こころおちゐてしづまりぬ
くらきなげきにさわぐなる 木々のこずゑやわがこころ あはれされどもわがための 月かげ なきを いかにせむ
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月 夜 訪 友 安 江 嘉 名 吉 月夜よし夜よしと云ひおこせたる友やゝおくれて至りぬれば皆人既につどひて火ともさぬ高殿の内にのゝしり合へり、主迎へてかばかり月はまどかなるを君のみは此まどゐにかけ給ふかと惜み居たりと云へば傍より望月の夜に何をかいざよひ給ひし立待居待まちぞ兼つるなど口々に戯るゝを月に叢雲のがれがたき事ありてと應へつゝまどゐに加はれば皆々笑ひ興じ鳧。仰ぎ見れば月もほゝ笑むに似たり。さて互にとりかはす杯にさしいる影もいとさやけく酒の味此世のものに非ず。醉のめぐるまゝに歌ふ者あり。舞ふ者あり。夜はいたく更けたれど興はなかなか衰へず。されど月や勞れけん。漸く西の山の端に傾きければいざとて人々皆まかりぬ。我もかへさはとて立いでぬ。途すがらも猶月をめでつゝ歸りてしばしまどろめば明に鳧。起きいでゝ後の思ひ出にとて夜來の事共ひとわたりかくなむ。
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虫 松 田 敬 隆 秋といへばやがて哀れに淋しき心地す夜は更なり月はみがける鏡の如く風淸うして水に似たりしらべざるにいかなる笙ぞ立舞はざるにいかなる鈴ぞ徒然の折柄うかれ出で聲をしるべに尋ればゆくに從て遠く逃るが如く止りきけば近きにありてさゝやくが如し進めば後へに退けば前に右すれば左に左すれば右にありとすればなし無とすれば在り唯見るものは月を碎きてまけるが如き千草の露と地に横たはれる己の影とのみ竟に求め得ずして歸り來れば追ひ來て庵の周圍に迫れり萬感胸に集り幻影睚の底にあらはれ寢につくあたはず此は是諸の虫各が自々に秋の誠を鳴くなりけり我も亦野中の一人住秋の誠を聞くなりけり哀れ鄙にうとき都の友垣よ月の圓にして此聲のかれぬまに一夜來りて秋の誠をきゝてんや
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次に、岸上香摘先生選の俳句(16句)、草間臥雲先生選の漢詩(6首)、穗波庵主人選の短歌(4首)、稻の里人選の文章(筑後瀬高・松露子「秋夜虫聲をきく」)があります。 次に、『俳句新註』から、正岡子規の「鷄頭の皆倒れたる野分かな」の句についての評釈があります。
岸上香摘先生選 菊。案山子。 菊さいてわかうたなりぬ此の夕 柿 赤 田圃からはたけへつゞく案山子哉 喜久一 自然の景、畫の如くに候 大方は刈りたる小田のかゝし哉 柿 赤 暮秋の景、入日悲しき樣躍動、佳句に候 なき妹がうゑたる菊に綿きせん 柿 赤 新らしき簑を着て居る案山子哉 月 堤 來て見れば立てた斗のかゝし哉 喜久一 竹垣の外にあふるゝ黄菊かな 默 仙 稻かけた下に黄菊のにほひかな 柿 赤 洋服を着た客もあり菊の宿 月 堤 ほのぼのと咲く勝菊の匂ひかな 喜久一 一つ家のさきの山田もかゝし哉 柿 赤 一杯に弓を張りたるかゝしかな 月 堤 見た事のある人らしきかゝし哉 同 人 別れ路の手折り分たる野菊かな 常 卵 媾和してかゝしも弓矢すてに鳧 鶴 堂 川柳の方に近かるべくや 道聞に彳みたればかゝしかな 月 堤
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草間臥雲先生選 菊。江村。
野菊 森本 忠次 籬菊凋殘野菊開 蕭條荒徑夕陽催 此間幽趣無人解 只見尋香一蝶來 江村霜曉 川村 力 月落霜天冷 烟林噪早鴉 蒼茫江上曉 漁火映寒沙 田家觀菊 田中三保藏 賞心猶未出柴扉 籬菊花前對落暉 人在唐賢詩句裏 淸香脈々滿吟衣 江村霜曉 如雲 仙史 微白東窓鳥雀喧 朝來尋句出柴門 江頭一望霜如雪 戸々炊煙殘月村 殘 菊 櫻井 義彰 芳叢半是欲離披 傲霜瀟洒老郤奇 乾葉猶欺衰蝶影 寒枝略似病僧姿 一籬冷澹殘香散 三徑荒凉秋色悲 滿地落英飄盡去 榮枯有命復奚疑 江村秋夕 工藤 龍橋 昨雨新晴景趣加 龍橋南畔望逾 白蘋漾水垂楊岸 靑旆飜風賣酒家 隱々鐘聲沈落日 斜々雁影下長沙 炊煙一抹孤林晩 處々寒林迷宿鴉
(「江村秋夕」の「」の漢字は、島根県立大学の“e漢字”を 利用させていただきました。) ………………………………………
穗波庵主人選 菊 栗山 親之 菊の花匂ふ汀に船寄せて 千代の盃汲みかはさまし なつかしき菊の香誘ふ夕風に 暮ゆく窓もさゝれさりけり 柳池 兵造 わがせこはみ軍にありことしまた 獨りぞめづる白菊の花 少女子が籾ほしむしろしく庭の かたへに匂ふ白菊の花 應募者僅に數人。一も佳作とすべきものなし。 せちに諸君の奮發を望む。 課題 十一月廿五日〆切 各五首以下 和歌。俳句。 夜長。落葉。雪。
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稻の里人選
筑後瀬高 松 露 子 秋夜虫聲をきく こよひは秋のもなかの望の夜、あはれこの時をたゞにいねんもあたらしうて、ひとり矢瀬橋の畔にと足を運びぬ。 團々たる明月は皎々として磨ける鏡の如く、川は潮滿ちて流れ靜まり、白雲の影明らかに水底にあり。 河邊の並木を辿れば、風冷かに面を掠め叢の蟲の音とりどりにをかし。かれは蟋蟀か? これはくつわ蟲? ?々喨々、高く低く、遲く速く、長く短かく、琴々瑟々の淸韻は鏗鏘として互に相應和す、眞に之れ自然の音響節奏抑揚頓挫曲折波瀾の妙調傳はる處凉味を増して秋意深きあり。悲しきか、必ずしも悲しからず。喜ばしきか、又否、微かなる川風の靜かに木の葉を搖するこゑ蟲に和してまた一入の佳味を添ふ。自然の妙曲は彌々眞に逼まりぬ。 亡き母が、我が幼時に「肩させ裾させ」となく虫なりとのたまへりし蟲の聲ふと耳に入りて、あれは俄かに悲しきおもひ胸に充ちぬ。其の昔夫の虫わが庭の小さき築山の中にあまた居て、秋來る毎に、夜な夜な寒き鳴をもて、母の謂所「肩裾のほころびさせ防寒の用意せよ」と歌ひしを裁縫のをりをり我れに向ひて語り給ひしが、想へば今は其人既にあらずして其の蟲のみあり。あはれ其の頃の事よ、今年は鬢のほつれ毛に白髮を混ぜたりなど嘆ち給ひりきアヽ。 川は潮引き初めぬ。江搖月湧金龍流、げに今宵の景色なりけり。 やがて石堰に洩水の響きあり。聲虫に和して一段に佳調を作す。?然として絶えざる水聲、斷々乎たる虫聲を綴りて自然の調べ即ち改まり乃ち佳境に入る。 此の間靜かに竚んで傾聽す、悲喜の感交々胸に去來して、殆ど我をわする! 吁虫、秋の夜の虫、汝は何ぞ有情のものなる、自然は汝によりてきかれ、造物主の思想汝によりて觀ぜらる可し。汝は自然をみるのレンズともなるべし。 吁虫、秋の夜の虫、詩人汝をきゝて泣き、哲學者も亦汝をきゝておもひをこらす、佳人汝を尋ね、才媛汝を求む、羨ましき哉など、思ひつゞくるほどに、夜はいたう更けぬ、いまはとてもと來し路を歸りくれば、月いよいよ、冴えて、露いよいよ繁しく、啼く虫と吹く風と身にしみて寒し。
……………………………………… 鷄頭の皆倒れたる野分かな 子規 鷄頭は剛直な草でうねりくねりのない眞直な莖である、而して凛とした丈夫な冠を戴て居る、一夜野分吹て庭の鷄頭悉く倒る、いかに野分の烈しかりしを想ふよりは寧ろ其の狼藉として脆くも亂れたる光景に對して感深いのである、全體の剛健なる調子は無論わけもなく言ひのけたる力は野分の力よりも大なるものである、趣向から言へば珍らしくもなく人を驚かすほどでもないが、此の平凡な趣向を以て而も犯すべからざるの立派なる野分の句をなすを以て見れば平凡を以て陳腐と混同するの徒宜しく省みる所あつて然るべく思ふ。 (俳句新註) 注 : 『俳句新註』というのは、『俳句新叢第1 俳句新註』(佐藤洽六(紅緑)著、新聲社 明治35年
6月発行)のことでしょうか。未確認です。 次に、「いばらき歌壇」として杉村の7首、「いばらき俳壇」として諸家の16句、「ほとゝぎす」として碧梧桐の3句、虚子の3句、碧童の2句、以下知白・波静・青嵐・奇遇・鹿狸兎・法師・月嶺・為泉の各1句ずつ、「あしび」として5人の短歌、「こゝろのはな」として5人の短歌が掲載されています。
いばらき歌壇 杉 村 花の扉(と)は露に啓(ひら)けて鈴虫が 黄金小鈴を月の野に振る 野に垂れし秋の御神が彩(あや)の裳に 結べる鈴の音と鳴くよ虫 秋の夜を妓女が假寢の手枕や 籠の鈴虫露戀ひて鳴く 露草(つゆくさ)の花の宮居に招がれて 秋の譜(ふ)洩(も)らす樂師鈴虫(がくしすゞむし) 露踏んで月夜花野に興ずれば 麗(よ)き音鈴虫秋を奏(かな)づる 野に立ちて宿世(すぐせ)果敢(はか)なむ伶人が 不遇の才をなくか鈴虫 秋花に綾敷(あやしく)野べの樂童と 鈴虫鳴くによき月夜かな
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いばらき俳壇
星月夜聳ゆる寺の銀杏哉 葦 風 落栗や土にまみれし雨の朝 可 水 掛稻の夕日に向ふ田圃かな 柳 雪 砧打つ裏戸は柿の月夜かな 葵 村 栗燒て詭辯を弄す男かな 瀾 水 たまたまの客に芋煮る庵哉 湖 東 燒栗に子ら呼起す朝寒み 可 水 朝寒の舟呼ぶ聲や野の渡し 柳 水 秋風や磯に碎くる波の泡 女 羊 味噌や米や親船に積む秋の汐 皎 々 旅の宿ひとり廣間に今朝の秋 稻 香 隣室の客に物いふ秋の暮 女 羊 野は秋の筑波も見えて萩尾花 東 郊 秋晴れや門の熟柿に渡り鳥 可 水 芒原越ゆれば蕎麥の花白し 三 樓 新開の畑や陸稻に芒の穗 可 水
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ほとゝぎす
秋の夜や學業かたる親の前 碧梧桐 椎拾ふ子の 朝早 し 渡 鳥 眼白鳴いて麓の芒光りけり 紅葉焚く煙舞ひ込む書窓哉 虚 子 本堂に大工を入れる寒さ哉 秋雨に濕れては乾く障子哉
山宿に九年母を剥く夜長哉 碧 童 新藁を積みし草家や柿紅葉 蒲の穗の水に揃へり秋の雲 知 白 毛見衆の腸をうつ砧かな 波 靜 毛見濟んで一村の秋靜かなり 靑 嵐 朝霧や晴るゝ銀杏の落葉かな 奇 遇 大杉の幹這ひ上る狹霧かな 鹿狸兎 杉の風囮の眼白聲悲し 法 師 荒寺の門にかけたる眼白かな 月 嶺 山遊び柿赤き村の眼白かな 爲 泉
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あ し び
○ 格 堂 秋風に亂れて飛べる白雲に 浮きつ沈みつ月の船ゆく ○ 竹 舟 郎 草刈ると日毎來る山多々良山 淺間の煙いつもよくみゆ ○ 同 人 猪出でて蕎麥荒すかに村人は 茅小屋掛けて夜を守れり ○ 楓 岡 多々良峰ゆ城山見えき城山ゆ 多々良は見えず怪しきろかも ○ 左 千 夫 掛けて見るいづれはあれど紅玉の 切りこの玉は家照るまでに
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こゝろのはな
○ 上 眞 行 花筒にさしゝ八千草いろあせて 秋雨寒しにひはかのうへ ○ 須 磨 浦 子 身におはぬ望もつ子とそしられて 忍び泣せしふる里の秋 ○ 石 榑 千 亦 後の島きゆるともなく霧になりて 前なる島の夢のごと見ゆ ○ 印 東 昌 綱 ねぶりかね右し左しむきかへて さ夜深くきく鈴虫の聲 ○ 田 中 義 治 たのまれぬ人の世の榮波の輪の ひろごるやがて消えゆくが如
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次に、小林龍陵「秋夜雜吟」(漢詩5首)、摂津・西村天風「桐一葉」(文語の文章)、筑後・松露紅月「亡友を思ふ」(文語の文章)、虚心「晩鐘」(文語の短文)、「志もつき」として18人の俳句33句、常陸・東涯蝉史「日本魂を哲學的に觀察して日本の天職に及ぶ」という文語文、奉天の孫紿桓「今日焉日本軍大貫春光兄相遇而送七言詩一首後日作爲紀念也」という七言絶句一首、「祝白菊發刊」として、12人の短歌・俳句・短詩・短句、東志か子「美女ヶ峰」(五五調全84句の詩)、川口南涯「猿と蛸」(文語の文章)が掲げてあります。
秋 夜 雜 吟 小 林 龍 陵 一葉梧桐惹萬愁、金風白露逼林丘、凉炎倏忽瞬間變、又是幽人易感秋。 滿天風露濕吟躯、仰望乾象自慰心、風急浮雲吹忽散、月光描出凌松圖、 萬里如霜玉露垂、似銀明月上簾帷、一年淸景須吟賞、天地大觀是此時、 顥氣横天吟骨寒、半宵慷慨撫刀看、前池風起金波湧、月引詩情入壯觀、 經古戰場有作 悲風落木夕陽多、忽聽消魂老梟過、泣血不堪今昔感、依然不改舊山河、
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桐 一 葉 攝 津 西 村 天 風 阿妹逝けり阿妹逝けり、夢乎夢に非らず、彼は確に逝けるなり、金風そよと桐の一葉を吹いて蟋蟀の聲物悲しき夕余をして愕然夢乎現乎を疑はしめし一片の訃報は、今猶存して案上に在り、余は其夢ならん事を欲すと雖も、遂に夢ならざるを如何せんや。 瞑目すれば汝は莞爾として我が机邊に侍し、端坐すれば汝は朦朧として我が面前に立つ、而も幽明境を隔てゝ捉へんとすれども捉ふるを得ず、語らんと欲して語る能はず、嗚呼親愛なる妹よ、何爲れぞ祖母を捨て母に先立ち我等兄弟を後にして此世を去りし乎、余は實に恨無きこと能はず。 抑も汝は歌神人麿の詠中に入れりし妹山の麓石州津和野の里に産れて、淸流灑々たる錦川の水に産湯を使ひたりき、余は汝が呱々乳を索むるの嬰兒たりし時、常に双手に抱いて花園に胡蝶を追ひ、水邊に鵞鳥を追ふて走り、汝が神の如く罪無き笑顔、汝が花の如く美はしき笑靨を見るをもて無上の樂としたりき、殊に我が家には初めての女子なればとて、祖父君父君の愛も亦一入にて、一家掌中の珠と愛でつ、歡笑の聲絶えざりし中にも、余が猶眼底髣髴として忘るゝ能はざるは汝が命名式の日祖父君美濃紙に「お勝」と書し之を恭々しく三寶盤に載せて折柄來訪せし醫師某に示されけるに、某は名字の上に「お」の字を附するは故らに自ら崇めるやうなりと批難せられ、祖父君は「お」の字の意儀左にあらずと辯ぜられ、果は笑に爲り酒に爲りし事なり、當時汝は何も知らず微笑しつゝ暖かなる衾の中に眠りて在りしに、今や祖父君已に逝かれて温容尋ぬるに由なく、當年の嬰兒も亦去つて跡無し、嗚呼哀しい哉、汝漸く長じて五六才の愛らしさ盛り、余が次弟は方に八九才の椀白小僧なれば、汝と花の美醜を論じ、汝と菓子の多寡を爭ひなどしつる事も?々なりき、其時汝旗色惡しゝと見れば、余に加勢を頼み、言ひ負けて泣き出しては余の肩に取縋りぬ、或時は兄弟三人打連れ立ちて、余は箕を携へ阿弟は手桶を提げ、汝は二人の草履を持ちて小溝の邊を※※(彳+尚、彳+羊)ひ歩きし事ありき、小鮒一尾獲れば打喜んで嬉々として馳け來り、泥鰌一つ跳ね廻れば握り得ずして兄を呼ぶ、其無邪氣なる俤、今も猶網膜に印せり、或時は兄弟三人追ひつ追はれつ、庭園を馳け廻りたる事もありき、阿弟女竹を振つて叫びつゝ追へば、汝は余の背に堅く鷲?み付きて左も嬉しげに笑ひつゝ、疾く走れよと云ひ、阿弟負けたるさまして逃ぐれば、汝は余の肩を叩きて飛び上りつゝ早く追へよと云ふ、其可憐なる言葉は今猶耳に殘れど再び聽く事を得ず、嗚呼哀い哉、 其頃汝は又幼稚園に通ふつゝありき、さまざまの色紙玩具など女敎師より貰ひ受けて返れば、先づ祖母君に見せ、母上に見せ次に余等に示して黄金の玉、眞珠の冠を獲たらんよりも嬉しがれりき、兜、蟹、小船など折りて給はれと祖母君に強請り、母上はせぶり、果ては余にまで持來りて困らせし事もありき、其玩具其色紙一つだにも失はゞ牧者が一匹の子羊をも見失ひたらんかの如く、泣目立ちて索がし歩き、※(開-門)を見附け出すか、左なくば新らしき代りを得るまでは止まざりき、蝶々蝶々菜の葉に留れ。は汝が、最初に覺え最初に唄ひつゝ一家を賑はせし所のもの其頃又小き三味線を埒も無く弾きてうろ覺えの小唄歌ひしをさへ、今猶目前に浮び來るが如く覺ゆるに、汝と再び相見るを得ず嗚呼哀い哉。 汝の幼友達、學校友達はお花さんとて筋違向の家の一人娘なりき、お煙草盆に結ひて紅紐の前垂掛けて『行つて歸りまちよ』と云ひ『唯今歸りまちた』と云ひ二人手を携へて行きつ歸りつ、雛樣事を戯れ飯事を戯れ、時に或は近隣の餓鬼大將に脅かされては『阿兄さん』と呼びて次弟の袖を控へ、彼をして惡魔を逐ひ拂はしめぬ。天神の祭禮祇園の夜祭りには、祖父君の袖に縺れ、祖母君の腕を離さず、花簪、髮飾など貰ひてはいと喜び、蜜柑、水菓子など與へられては又嬉しげに笑へり、汝は殊勝にも幼き時より文讀む事を好み、日を經るまゝに學問上達して、其尋常科より高等科に進みて後も常に女生徒の花たるを失はざりき、花乎、花乎、夜半の嵐は其未だ開かざるに先立つて之を散らしぬ、嗚呼哀しい哉。 余は汝が六才の時遊學して山口に在り、汝が日毎に學校に昇り善く讀書し善く習字するを聽く毎に、欣喜措く能はざりき、歸省の折々いたく其生長せるに驚き、或時は愛らしき護謨球或時は美はしき油畫など與へて其喜べるを見て喜びたりき、明治二十三年の冬幼き弟産れたれば汝は姉となりて頗る喜色あり、一家亦歡然として笑語の聲高かりしに、惡魔は常に戸隙を覗ふて止まず、翌年の秋祖父君は脆くも桐の一葉と共に散り給へり、之れ余が生涯に於て最初に打撃せられたる最大最重の苦痛にして、熈々たる光明界裡の旅人が、俄然として黑闇々たる涙の谷を歩むべく、餘儀無くせられたる關門なりき、愁涙留めあえず哀悼禁ぜず、木主の墨痕も亦未だ乾かざるに、父君ついで歿し給へり、重ね重ねの不幸に一家唯茫然として夢の如く、前後不覺に亡體を抱いて相哭す、汝も亦周章しく學校より歸來りて其薄紅き頬に露の如き涙を垂れ、父と叫んで泣きくづをれぬ、嗚呼今や汝は逝て祖父君の膝に戯れ、父君と語るにやあらん、祖父君は嘸や汝の來る早きに驚き給ひ父君は汝の面を守りて泣き給ひつらん、哀い哉。 爾來余は孤劒飄然久しく靜岡に客たり、一昨年病を獲て歸郷す、時に汝はいと成長して烏羽玉の黑髮は房々しく牡鹿の如き眼は愛らしく、丈高き少女とはなれり、余が病蓐に在りて肝癖強き時も、汝は善く余に侍して親切なりき、余は無理なる事を命じて汝を苦めたる事も?々なりき、嗚呼思へば膓は寸斷せんとす、乞ふ此無慈悲なる兄を宥せ、此友愛薄き兄を赦せ、余は汝が斯く迄も早く世を去るべしとは思はざりしなり、余は余が臨終の床に人の妻として丸髷に結び幼兒を抱き斡旋するの汝を見ん事を欲せしなり、余は余が病に臥するの日も最も柔和なる汝の看護に倚り、汝の介抱に預らん事を欲せしなり、汝去て萬事休す嗚呼哀い哉。 今茲四月余が郷を出でしの日は、圖らざりき汝に對して最後の告別とならんとは、當時汝は心細げなる、面地して余を裏門に送りて出でしが、余は又汝に笑顔をもて迎へられつゝ、汝が祖母に由りて余に云はしめし所の嫁入道具一切を汝の面前に展示して、相語り相喜ぶの日あらん事を期せしなり、余郷に在るの日汝が毛糸にて編みし袋の中に納めて虎の子の如く珍重がれる銀貨の一を借りたる事ありき、發するの前日戯れて曰く、今後三年も經ば百倍千倍して返すべしと、汝は眞面目になりて痛く打喜び、祖母君に語り母上に語りぬ、其時の笑顔余は終生忘るゝ事能はざるべし、六月母上は手簡を贈りて汝が郡下の小學校競進會に出品したる黑繻子に石竹の縫模樣して欝金の襞取りたる「涎掛け」が二等賞を得たりと喜びて報じ給えり、今其手簡を閲すれば悲哀胸を衝てそゞろに書の濡るゝを覺えず、嗚呼千の榮冠万の黄金今汝に向つて何かあらんや、玉の簪瑪瑙の櫛汝に向て又何にかせん哀い哉。 記臆すべき紀念すべき九月七日、汝が此世を辭せしの時、祖母君は如何に慟哭し給ひけん、母上は如何に號叫し給ひけん、病床に侍せし兄弟は如何に哀泣せしならん乎、嗚呼思ふて茲に至らば、余は骨慄ぎ肉顫ふて殆んど昏倒せんとす、寧ろ云はざるに若かず、思はざるに若かず。 屹然として黑魔の睥睨するが如き露城山頭にかゝる一痕の鎌月斜めに新塚を照らして、古銀杏の梢に娑婆たる秋聲あり、正樂寺の茅檐に哀々たる鴉鳴あり、梵唄幽に晩鐘陰々として響くの處汝は十三年の夢を語り汝は冷々たる形骸を殘して逝きぬ、而も稚々天眞を缺かず、戀愛を知らず、未だ塵世の罪惡に汚れざる汝の靈魂は天父の愛の御手に救はれてエデンの樂園に至りしならん、余は汝が淸くして雪の如く高くして月の如きを知る、汝は必ずや天使として召されしならん、思ふて茲に至れば、哀痛の中又自ら慰むるに足るべきものあり。 然り十字架なくんば榮冠なし、余何ぞ婦女子の顰に倣うて猥りに號泣せんや、然れども亦涙なきこと能はず。
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亡 友 を 思 ふ 筑 後 松 露 紅 月 宇宙の萬物は常に變遷して止まざるもの、鋼鐵の頑として變らざるが如きも知らず知らずの間に錆を生ず。靑春の候花笑ひ鳥歌ひ惠風人心に適すと雖も暫らくにして、梧葉飄然、金風寒く枯林を拂ひ、霜飛んで樹紅に悲虫落莫のこゝろを歌ふ。春去りて秋來る、是れ地軸廻轉の結果、天候變遷の現象なり。生者の死ある、想ふに又是生命上の一變轉のみ。茲を以て上は王?より下は庶民に至るまで、賢人となく愚者となく、英雄と凡夫とを問はず、遲さ速さの別こそあれ、等しく是れ寄生の人ならざるはなし。故人曰く生は寄なり死は歸なり、と洋人も亦曰く『ヲールメンマストデツト』と。嗚呼淸正項羽力能く萬騎に敵すと雖も、獨り死の神の襲來には抗し得ざりし。哀れ一たび無常の風吹き渡らば、奈何なる人々も忽ち形骸を棄てゝ遠く去る。北山上の松籟永へに哀音を傳へて荼毘の煙四時につきず。嗚呼果敢なきは人生なる哉。 我が友今村生は正に此の生者必滅の大理法に絆せられて逝去しぬ。己に生ある者の數として免かれ難きの事吾素より多く天を恨むの理はあらず然れども老者去り幼者を殘す事ならば、是正に新陳代謝の常理、さるを享年二十だに滿たず、春秋尚ほ富める妙齡の少年を遽然として奪ひ去る、天道必ず是といひ得べきか、吾は天に對し恨みなき能はざる也。 顧へば前學年餘す所一ヶ月を出でず、彼、我、又人も、皆及第の喜ばしき望を抱いて學年試驗の準備に汲々たりしが、彼は過度の勤勉の結果にや俄然として空しく病褥に打伏すの身とはなりぬ。されども余は彼が平素強壯なりし肥滿の體格に徴して如此考案しぬ曰く當に平癒して追試驗を受け再た共に次學年の窓を同ふする事を得べしと、然るに意外の變は我をして紅涙千行の悲哀を催さしむるに至りぬ。あはれ三月二十一日の夜宛も朧月の光淡き時なりき、庭前一片の落花と共に彼は長途の闇に旅立ち逝きぬと、訃音我手に落ちて西風急なりき、吁夢なるか、現なるか、願くは夢なれや、現なれやとは實に我爾時の念ひなりき。されども事全く事實也。彼の目は長へに眠り、彼の脈膊ははや止ぬるを奈何せん、吁天!眞に涙あるか、果して情あるか。爾來荏苒、落花空しく五月雨の朝に散り、淸水山の色褪せて矢瀬川の水のみ増さり暑氣炎々たる苦熱の交も、はやく去り蒼葉空しく黄ばみて枯林の夕、晩鴉聲寒く、悲虫草間の恨み轉た切なる秋とはなりぬ。 今は我も同級の友も共に更に一學年を進みて、そもはや一學期を終へたり。然るに獨り彼のみならず我考案したりし追試驗も彼は受くべき由なくて徒に我を殘し、我をしてひとり學舎の窓に悄然たらしむ、吁半夜孤燈の下、我は彼をおもふて、制服の筒袖を濕せしこと更に幾回なるを知らず。 吁今村よ、君は實に不幸なる靑年なりし、薄運なる學生なりき、君が生前の偉大なる志望も今は空に歸しぬ、君や實に我が竹馬の友、芝蘭の契り世に最も深かりしなり。半宵孤枕の夢覺めて靜かに彼が生前の行動を思へば、歴々として今尚眼中に映じ來る、嗚呼彼が無邪氣にして、機敏快活なる優に一級の首席者たりし又最人に畏敬せらるゝの質なりし、余は最能く彼が性行を知るものなり、彼は秀發雄偉なりし、彼は忠良篤實なりし、殊に優柔惰落は文字だも彼は耳にするを屑よしとせざる所なりき、彼は近時の學生の優柔爲すなきものあるを見る毎に慨然として憤り熱誠の意は面に溢れたりき。 嗚呼返す返すも遺恨なる哉、強健なる人には反て頑強なる病あり、彼れさきに母を失ふてより、殊に體育に營々たりしが、僅かに數日の勉學餘りに過激なりし乎、俄かに異常なる熱に襲はれて母を哭するの涙未だ乾かざるに彼またその轍を蹈み、空しく學業を抛擲して病の床に呻吟し春をも知らで藥餌と親しむの身となりぬ。病勢はおもひしよりおもくして切なる家族の介抱も終に其效なく、一片の鳥の羽の藥も入るに由なく兩眼空しく窪みぬるを奈何ともす可くなし。嗚呼今や彼が靈魂遠く去りて、形骸獨り殘る。兩の頬微笑を浮べ傳習舘門の※(門+連)を排して入來る彼が肅々の靴聲は今將た聞くに由なし、衝天の意氣と利世の希望とは彼に於て今又空し。 今や彼あらず。地下黄泉、彼の靈は永へに眠りの床にあり。 嗚呼萬事休せり。思へば只涙の下るのみ。生前彼が奈何に希望に富めりしかを察すれば、そゞろに愍然の情に堪えず、吁天は何が故に多々無頼の惡靑年が到る處社会に害毒を流しつゝあるものを淘汰せずして獨り此の有爲好望の天才兒が生命を縮めたる乎、生者必滅會者定離! 嗚呼悲しき哉。 哀れ五尺の形骸いま徒らに靑陵一杯の土を肥すのみ、香魂去つて何れにか歸する、仰で天に訴ふれば蒼穹徒に高くして鴻雁悲音を傳ふるのみ。俯て地に哭すれば、枯草空しく冷かにして殘虫哀聲を漏すのみなり。嗚呼悲しい哉、靑天の上黄土の下夢より外に逢ふ由もなし。一たび缺くる夫の月は再たび滿つる時あるも、一たび萎む此花は復た咲く時の來らんも彼が紅顔復た見るべくもあらず。 蒼々たる淸水の山滾々たる矢瀬川の流、觀舊時に異ならざるも千歳萬秋何れの時か霽れん我涙の曇り、アヽ悲しい哉。 霜枯の野邊標木新たなる彼れが墳墓を弔へば悲風枯葉を誘ひて滿目蕭然、林間の黄鳥一掬の哀音を添へ墓前一莖の野菊悄乎として落日の影を送る。 今茲に彼を弔はんとすれども涙先づ落ち心みだれて意全からず、吁畏友今村生願くは地下に瞑せよ再拜! (「亡友を思ふ」の文中の「」の漢字は、島根県立大学の“e漢字”を利用させて いただきました。)
晩 鐘 虚 心 あな懷かしの鐘の音や、夕暮つぐるその音こそ、幾もゝとせの昔しより、いつもかはらぬ響なれ、樂しき春もうきあきも、薰れる花も、澄むつきも、幾度となくうつろへど、此音はおなじ今もなほ、こけ蒸す墓のその下に、ねむるあまたの歌人も、ますらたけ夫も美女(たをやめ)も、おなじ響を聞きしなり、あな懷かしの鐘の音や、たとひ千歳を經る迚も、變らずひゞけ今のごと、昔の音をばつゞけつゝ。
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志 も つ き 窓開けて子紙燭消されし初嵐 六カタ 淸 志 名月や過分と思ふひとつ家 餘念なく鴫の羽?くや夕日影 眼のさめたやうに笑ふや朝の山 ナカヤマ 泰 岳 庸もなく橋まで來たり夏の月 松原は暮て明るき花野かな 名月や來て居る汐の岸明り イサヅ 一 兄
秋の雨隣りも遠く思ひけり 朝顔に有り那しの風通ひけり 武士もなかせられけり唐辛 ナギ 素 川 力ある尾の働や朝の鵙 秋風のそと撫て行く砥石哉 杖に身を持たれて老の月見哉 龍ヶサキ 花 月
武藏野の芒を友に月見かな くらからぬこゑや闇にも渡る雁 露一と夜ふた夜と秋を深めけり イタハシ 常 洲
松に音殘して晴るゝしぐれかな 松風を押さへて蝉のしぐれかな 名月や心の雲の晴れ渡る 子モト 稻 覺 朝貌や開く時から茶の烟り 朝戸出のうしろの山や鵙のこゑ 夕月やそば刈りひとり蔭の畑 ヨコハマ 武 三 集りて又あみだする夜なが哉 ナガノ 閑 雪
移り住で其夜からきく蟋蟀 モリオカ 柴 庵
進士にもならで老いけり秋の風 グンマ 除 村 鳴子ひけば唖々と鳴き去る烏哉 ウラハ 啼 雀
我は書に倦みたる頃を砧かな アヲモリ 作 治 病める人砧の音にさめにけり ナガノ り い 靜かなる夜にして遠き砧かな アキタ 順 治 枯尾花一村そよぐ夕日かな リク中 源 吉 就中秋はかなしき夕かな カナザハ 江 村 名月や更て千ぐさの友光り 下フサ かほる この月に誰にねよとや山の鐘
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日本魂を哲學的に觀察 して日本の天職に及ぶ 常 陸 東 涯 蝉 史 余が日本魂に就て疑を懷きしは久し頃者或機會を得て稍之を知るを得たり由りて之を哲學的に觀察して聊其正否を質さんとす所謂哲學的とは根本的に又窮極的に論究するの謂なり夫諸種の科學は概ね假定の上に立ち根本的説明は之を哲學に讓る物理學は物質變化の法則を論究する學なり然れども物質とは如何なる者か其本質は措て之を問はず物質の有無如何若しこれ無しとすれば吾人の感官を刺激するは何者ぞ若し之有とすれば其性質は如何等の如き根本的疑問は之を説明せず唯物質ありと假定して其現象の變化する法則を研究するのみ即物理學は假定を以て立脚地となし以て變化の法則を組織的に研究するものなり之を物理的或は機械的説明と云ふ哲學的説明は即根本的に又窮極的に解釋するを云ふ所謂根本的とは假定に對して理論上其根本をなすを云ひ所謂窮極的とは現象變化に對して實質的に窮極を説明するの謂なり日本魂も存在すとせば即實質と現象との兩面なかるべからずいでや研究に從事せん 日本魂に就て論議せし者古來必ず多からん只之を聞かざるのみ其知る處の如きは概日本魂力發表したる客觀的現象の形跡を述べしのみ即所謂物理的に説明するのみにして主觀的實質の本性即哲學的説を與へし者少なし今之を引證して日本魂に對する觀念の概略を知り併せて研究の資料に供せん八多部良吉氏h新體詩的に歌て曰く 日本魂 そは何ぞ寄せ來る敵を打拂ひ外國人の侮を夢にも受くる事はなし是ぞ日本の心なる是ぞ日本の心なる日本魂そは何ぞ、割るれば亡び合へば立つ、如何なることの有る迚も、心合して割れざらん、是ぞ日本の心なる、是ぞ日本の心なる、日本魂そは何ぞ、人々勉め怠らず、力のあらん限りには、國を開きて利を興す、是ぞ日本の心なる、是ぞ日本の心なる、日本魂そは何ぞ、學の道を盛りにし、國に無學の跡を絶ち、智識を以て名を擧る、是ぞ日本の心なる、是ぞ日本の心なる、日本魂其は何ぞ、忠義心を堅く取り、信を盡す其爲に、身を棄てゝも動かじよ、是ぞ日本の心なる、是ぞ日本のこゝろなる、日本魂其は何ぞ、弱を扶けて強を撃ち、正しき道の刃にて、無理非道をば亡ぼさん、是ぞ日本の心なる、是ぞ日本の心なる、日本魂其は何ぞ、幸なき者を憐みて、慈悲の心を擴め、禽獸にまで及ぼさん、是ぞ日本の心なる、是ぞ日本の心なる。 此に由りて是を見れば日本魂は凛然たる事秋霜の如く泰然たる事富嶽の如く洋々たる事大海の如く靄然たること霞の如きものなり然れども之れ余輩に滿足を與ふる者にあらず何となれば其説明の主として倫理的に注斜し日本魂の心的現象なるは之を知るを得べけれども其本質を説かず且つそれを此の如くば世界に於ける一切の國民皆日本魂を有せざるべからず一切國民皆之を有すとせば何を苦しんでか殊更に日本魂と命名せしか又其價値は何れに存すか明白ならざればなり (未完)
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今日焉日本軍大貫春光兄相遇而送七言詩一首 後日作爲紀念也 奉天府鐡嶺西三台子 孫 給 桓 雲淨天高日正中 典師百萬破露兵 功成草載春秋策 從此人歌烈士風
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祝 白 菊 發 刊
○ 栗 山 親 之 咲けばちる千ぐさの色にひきかへて 盛もながし白菊のはな さきしより千代の色香は見えにけり 秋野にあかぬ白菊の花 ○ 横 田 光 風 白菊や凛とさいたる香の配り ○ 百 月 庵 淸 志
白菊のますますしろき匂ひ哉 ○ 好 文 居 泰 山 白菊の世にあらはるゝ譽かな ○ 楓 明 庵 雪 軒 菊作る畑のふへけり占領地 ○ 鈴 木 冷 香 菊さいて客足のつく庵かな 秋寂も知らぬ風情や菊の花 筆甜めた唇黑し菊の主 ○ 齋 藤 馨 世のちりに染らで白し菊の花 ○ 鶴 谷 種 子 白菊のしろきは大和心かな ○ 田 來 居 月 堤 祝ふ事出來てうれしき九月哉 白う咲く菊は誠の光りかな 菊の香や海の外まで溢れ行 ○ 光 風 千種(ちぐさ)百種(もゝぐさ)とりどりに かづわかぬまでさきにほふ 文のそのふに今年また 白菊さけり淸らかに ○ 八十一翁 一 政 しら菊や闇にも廣き香の配り ○ 六十八翁 可 夕 菊香蒼天ニヲトヅレテ稜威世界ニ輝ケリ
美女ヶ峰 東 志か子 風かほる 常盤樹の 深茂(ふかしげ)み いやつづく 美女ヶ峰 祠(ほこら)あり、 常久(とこひさ)の 大昔(おほむかし) 黑おろち 夕月に 眉目(みめ)にほふ 女(め)と化(け)して 雲の上の 公達に 普通(つね)ならず 戀寄(こひよ)りぬ、 しかはあれど 公達の 雄こころぞ 固(かた)かりし 其戀の 成らざるに 黑おろち 憂(う)き、もだえ、 七日(なぬか)夜(よ)さ あれくるひ、 七色の 火を噴いて、 七(なゝ)まわり とぐろ捲(ま)き、 物言はず、 物きかで、 行、年は 七よろづ 今の世の 新代(あらたよ)の 醜女(しこつめ)と 生(あ)れいでて、 戀かがみ うつし見ず、 唯ひとり さびしげに 御神の 膝とほく 座(くら)おきて 俯伏(うつぶ)せる あはれなる 人こそは、 此蛇の 裔(すへ)なりと 言ひつたへ、 語りのこし 相してし 此峰に 祠建て 祀りけん 跡さびて 蒼(あを)ごけの 色に、奇し、 靈こもり、 美しき をみな來て のぞき見ば、 高天(たかあめ)の たゝずまひ 凄まじく、 天柱 折れむかと、 地の軸(ね)また とゞろきて、 月くだけ、 星流れ、 降るは何 石の雨 飛ぶは何 劒の風 渾沌の 状現(さまあ)るる 恐ろしの 不思議に、 人の子は 近づかず 遠のきて 望むのみ、
稻の里人曰く、しか子女史は東白蘋氏の 夫人なり、念のために紹介す ………………………………………
猿 と 蛸 川 口 南 涯 何處にかありけん、いとをかしきことのありけり、そは、ある海べなる畑に、蕎麥のよく實りたるがありて、そのかたへなる、木立の枝上に、今しも、一匹の猿の戯れゐたりける、をりから、浪の上に、大きやかなる一つの蛸の、浮びいでたるが、此方を見かへり、やがて、陸にあがり來りて、そが蕎麥の、みをなん喰ひてけるが、固より好める物とて、したたか腹補ひ、其儘、前後もしらで、熟睡しぬ、こを見たりし彼猿、よきさちとや思ひけん、枝傳ひにおりて來つ、暫く樣子をうかがひ、やがて、其蛸の手の中にも太きを撰りて、噛み切り、そのまま、さきの枝にかへり舌鼓うちて喰ひゐたりけり、とかふするうちに、やうやうねざめたる蛸は、やをらおきあがりたるが、わが手のきられありしに驚き、あわたゞしう、あたりを見廻す樣の、いともをかしと見たりけん、彼猿は、聲をあげて笑ふに、再びおどろき、木の枝を仰ぎ見るに、さも憎さげに、我手を喰ひゐたりければ、口をしくや思ひけん、猿に向ひて、 きらるとてなほあまりある我手なり 今一度はなどてこざらん と、手をあげて、招きけるに、彼猿は、嘲るがごと、笑ふがごと、 ゆくとても君が心やいかならん いかで其手は我くはめやも となん、答へけるとぞ、あなをかしのことどもなりや。
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その後に、小林龍陵「喜文學雜誌白菊發刊賦短古一篇以寄主幹宮本秋光君」(一句5字、全16句)、新井千湧「白菊の發行を祝ひて」(短歌3首)と、栗山親之「初雁」(短歌7首)があります。
喜文學雜誌白菊發刊賦短古 一篇以寄主幹宮本秋光君 小 林 龍 陵 腐敗今文壇 只是事竊攘 借問矯正策 將要爛々光 雜誌白菊起 勢威如疾飃 筆々吐奇氣 字々帶風霜 侃々排私曲 諤々拂粃糠 欲匡詩海陋 一段眼光強 而今本社勢 恰似白菊盛 可期千萬歳 譽比刀水長
白菊の發行を祝ひて 新 井 千 湧 時は秋よき名を得たり文の名に 淸きかをりの白きくの花 稻敷の里のゆかしの人の手に かをりいてたるしら菊の花 ちり多き都はなれて淸き里に 花さきかをる志らきくの花
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初 雁 栗 山 親 之 父は今軍にありて母とわれ 便り待つ夜を初雁の聲 草川の橋の袂のひとつ家の 一本柳秋の聲あり 村雀ひとむら高く飛び立ちて 賤が鳴子に秋風ぞ吹く 長き夜を砧は母の打ならん 更て子守の歌きこゆなり 柴の戸の枕にしげき虫の音も なれては夢に障らざりけり 燒栗のはねる音さへ物淋し 秋さめ寒き山かけの宿 村時雨晴れ行く峯の麓村 門田の杭に鵙の音高し
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そして最後に、長戸村塗戸の横田肥料商店の広告が2頁にわたって載せてあります。
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時下各位彌御安康之趣奉大賀候陳者弊店儀農事の改良上肥料の選擇 に留意し實况を老農に習ひ道理の大體を農學士近藤仙吉郎氏に敎り 獨逸國産カイニツト肥料施用法に因り左記の諸項發明仕候間肥料改 良に御熱心なる篤農家は多少に拘らす御經驗の上在來肥料と其成績 の如何を綿密に比較査考あらんことを祈る 過燐酸大豆粕 牛肉粕干鰯 稻敷郡長戸村塗戸 カイニツト 横 田 肥 料 商 店 遠益燐肥骨粉 特約大販賣 * * * * * * * *
一、苗代の線虫及畑の根切虫を撲滅する事 一、瓜類の萎黄病を豫防する事 一、南瓜及柿の落果を防遏する事 一、茄子の立枯病莖折等を豫防する事 一、稻の倒靡を防遏し瞑虫の害を豫防する事 一、旱魃に際會するも稻草の健全を維持する事 一、田しぶを止め豊産を期する事 一、大豆の連年耕作を嫌はす却て多大の收穫を期する事 一、綿花の豊收を保險し霖雨に蒴の腐敗するを減少すること 一、根菜類、菜豆類、蔬菜類の豊産を穫せしむること 一、無實の果樹に結實せしむること 一、田畑の雜草を滅盡せしむること 一、大麥小麥の葉澁病を豫防すること * * * * * * * * 農學士老農家は醫師の如く文明國の肥料商は藥舗の如し在來の肥料 は漢藥的なり改良肥料は洋藥的なり弊店は土質と作物とに依り三要 素を適宜に調和することを指定して肥料を販賣す即ち作物の藥剤師 なり故に上戸に餅を強ひ下戸に酒を侑むるやうな間違はなし請ふ御 安心ありて御經驗あれ
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最終頁は、寄附者名、投稿注意、定価表とともに、奥付の頁となっています。発行者・印刷所等は創刊号と同じですが、念のため次に写しておきます。
〔最終頁上段〕
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一金壹圓也 |
常陸 |
漁 士君 |
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一金五拾錢也 |
同 |
萩 原 月 堤君 |
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一金四拾錢也 |
同 |
木 村 常 洲君 |
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一金參拾錢也 |
同 |
大 貫 東 里君 |
右本誌發行費へ御寄附被下御厚志辱く存候謹で 誌上を以て奉鳴謝候 ………………………………………
投 稿 注 意 原稿は半紙二つ折にして題毎に用紙を異にせられたし。 楷書にて明瞭に認せられたし。然らざれば止むを得ず 沒書とすべし。 〆切は毎月十五日限り (季に關するものは冬季)
〔最終頁下段〕(奥付)
志らぎく (毎月一回九日發行) |
本誌 定價
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郵税不要 |
廣告料 |
見本所望の方は切手八錢 |
一 册 七 錢 |
一頁 九圓 半頁 五圓 |
六 册 四十錢 |
特等 十三圓 半頁 七 圓 |
十二册 八十錢 | |
購讀者十名以上御紹介の方には毎號進呈す
明治三十八年十一月六日印刷 明治三十八年十一月九日發行
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茨城縣稻敷郡長戸村大字塗戸
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編輯兼 |
宮本長之助 |
發行者 | |
東京市神田區美土代町二丁目一番地 印刷者 島 連太郎 東京市神田區美土代町二丁目一番地 印刷所 三 秀 舎 …………………………………………………… 茨城縣稻敷郡長戸村大字塗戸 發 行 所 白 菊 社
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