「……てほしい」の「ほ」は仮名書きに 朝日新聞への要望
朝日新聞では、「……てほしい」の表記は「……てほしい」「……て欲しい」のどちらでもよい、という方針をとっておられるようで、実際に紙面にはその両方の表記が見受けられます。 『朝日新聞用語の手引』(1997年発行、1999年第2刷発行)には、「連体詞、感動詞、助動詞、助詞、補助動詞、形式名詞などは、原則として平仮名で書く」として、「(5)補助動詞・補助形容詞 【例】…である(…でない) …していく …している …しておく …してみる …になってくる」と例があげてありますが、その次に<注>として、「「手に取って見る」「友達が遊びに来る」「……して欲しい」「……かも知れない」など、本来の意味に使う場合は、漢字書きでよい」としてあります。 しかし、私は次の理由で、「……てほしい」の「ほ」は仮名書きに統一してほしいと思います。 まず、「……てほしい」の「ほしい」は、形容詞の本来の用法とは異なり、補助形容詞としての用法であること。次に、「ほ」を漢字で書いても字画の節約には全くならないこと(画数は、4画から11画に増えてしまいます。漢字にすることによって、字数を減らせるのならまだしも、字数は同じで、画数だけが増えてしまうのです!)。そして3番目に、小中高生が新聞で学習する機会が増えてきたこのごろ、新聞によって小中高生にこの区別をはっきり教えることは、教育上からもたいへん望ましいと考えられること。 具体例で見てみると、「お菓子がほしい」と「その本を見せてほしい」の二つの「ほしい」は、前者が形容詞本来の用法であるのに対して、後者は補助形容詞としての用法です。「お菓子がほしい」を「お菓子が欲しい」と漢字で書いてもいいでしょうが、「見せてほしい」の「ほしい」は、補助形容詞なので仮名書きにすることが望ましい、ということです。 この両者を区別することは、小さなことのようでいて、実はことばに対する意識を育む大切なことだと思うのです。『朝日新聞用語の手引』が、折角、補助動詞・補助形容詞は仮名書きにする、としながら、「……してほしい」の「ほしい」(補助形容詞)は本来の意味だから漢字をあててよいとしたのは、ことばのはたらき・語の性格を無視したものというべきでしょう。 『手引』に<「手に取って見る」(中略)など、本来の意味に使う場合は、漢字書きでよい>としてあるのは、「漢字書きでよい」のではなく、「漢字書きにする」とすべきでしょう。なぜなら、「手に取ってみる」と、「手に取って見る」とは、明らかに意味するところが違うのですから。 その、「手に取ってみる」と「手に取って見る」の関係とちょうど同じ関係が、「その本を見せてほしい」と「その本を見せて欲しい」の間にあることは、明らかだと思います。だとすると、「その本を見せて欲しい」という書き方は、「その本を見せて(何かが)欲しい」というニュアンスをもった言い方だ、ということになるでしょう。ふつう、私たちは「その本を見せて(何かが)欲しい」とは言わないので、「その本を見せて欲しい」という書き方は好ましくない、──つまり、「……てほしい」の「ほ」は仮名書きにすべきだ、と思うのです。 中学校や高等学校で、国語の先生が補助動詞や補助形容詞について教えて、「私たちの書く文章では、補助動詞や補助形容詞は仮名書きにします」と指導しても、「先生、朝日新聞には『……て欲しい』と書いてありますよ」と生徒たちが言った時、先生たちはどう答えればよいのでしょうか。逆に言えば、学校でいくら「……てほしい」の「ほ」は仮名で書きなさいと指導しても、新聞がそれを妨げている、ということになりませんか。 朝日新聞の社説ではこれがどうなっているかと注意して見ているのですが、さすがに新聞の顔ともいうべき社説には、「……て欲しい」は使っていないようです。 日本を代表する新聞である朝日新聞の紙面において、「……てほしい」の「ほ」は仮名書きに統一してほしい、と強く要望します。
お断り:一部の語を書き換えたところがあります。
小中学生 → 小中高生 など (2020年5月6日)
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