室長室016 思い出すままに


             

 

     思い出すままに

 
羅馬(ロオマ)に往きしことある人はピツツア・バルベリイニを知りたるべし。こは貝殻持てるトリイトンの神の像に造り
(な)したる、美しき噴井(ふんせい)ある、大(おほい)なる広こうぢの名なり。貝殻より水は湧き出でてその高さ数尺(すしやく)に及べり。(森鴎外訳『即興詩人』冒頭)
 即興詩人アントニオの生家は、このバルベリイニ広場のすぐ近くにあったとされる。9月24日の早朝、ポポロ広場から回って噴水を訪れた時には、そのことはまるで頭になかった。幼いアントニオは、このあと若い画家フェデリゴに連れられてカタコンベに出かけ、危うく命をおとしそうになるのだが、彼等の入ったカタコンベはサンカリストのそれであって、我々が訪れたドミティラのカタコンベとは違うようだ。それにしても、よもや訪れる機会などあろうとは思わずに読んだこれらの場面の印象は、まるで記憶に残っていなかった。
 我々が訪れたのは秋だったから、木の実もいろいろ目についた。石で割って食べた旧アッピア街道の松の実をはじめ、ローマやパリで見かけたイチイと思われる木のピンクがかった小さな赤い実、栗に似たマロニエの実はパリばかりでなくカッシーノの農業専門学校にもあった。名のわからぬ生垣の小さな白い実もあった。ローマの公園で見かけた大きなイチイの木には、甘く匂う小さな赤い実がいっぱいついていた。その時にはそれがイチイの木だとは知らず、ましてその実が食べられることなど知らなかったから、中に黒い種子の覗いて見える、果肉の妙にねばねばするその実を、なにやら気味の悪いもののように手にしたのであった。食べられると知っていたらたくさん食べておくのだった。
 ヨーロッパには雑草がないと聞かされた驚きを和辻哲郎はその著『風土』に記しているが、雑草のないヨーロッパの野や畑の緑の美しさを、我々は西ドイツフルダ近辺で十分窺い知ることができた。とはいってもバスの中から眺めただけで実際にその中に身を置いてみたわけではないのだが、石造りの端正な住居と緑美しいその周辺の情景は、町や道路の看板や標識のつややかな美しさとともに、忘れられない西ドイツの印象のひとつである。
 そのほか、カッシーノの宿舎での裸電球のことだの、フルダの宿舎のおもしろい構造の窓のことだの、思い出すといろいろあるが、またの機会に譲りたい。
  (昭和60年11月)
 

 


       
   

 
     これは、ドイツがまだ東西に分かれていたころにヨーロッパを訪れたときの思い出の文章です。  

 





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